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サクラメント・キングス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サクラメント・キングス
Sacramento Kings
2021-22シーズンのサクラメント・キングス
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所属リーグ  NBA アメリカ合衆国の旗カナダの旗
カンファレンス  ウェスタン・カンファレンス 
ディビジョン  パシフィック 
創設 1923年 (101年前)
チーム史 ロチェスター・ロイヤルズ
1945年–1957年
シンシナティ・ロイヤルズ
1957年–1972年
カンザスシティ=オマハ・キングス
1972年–1985年
サクラメント・キングス
1985年–
本拠地
サクラメント・キングスの位置(アメリカ合衆国内)
サクラメント・キングス

カリフォルニア州の旗 カリフォルニア州サクラメント
アリーナ ゴールデン1センター
チームカラー パープル, スレートグレー, ブラック[1][2]
     
オーナー ヴィヴェク・ラナディベ英語版
社長 ジョン・ラインハート[3]
GM モンテ・マクネア[4]
ヘッドコーチ マイク・ブラウン
優勝歴 1回 (1951年)
ファイナル進出 1回
ディビジョン優勝 6回(1949年, 1952年, 1979年, 2002年, 2003年, 2023年)
永久欠番  1   2   4   6   11   12   14   16   21   27   44 
NBAGL提携チーム ストックトン・キングス
公式サイト www.nba.com/kings
アソシエーションのジャージ
チームカラー
アソシエーション
アイコンのジャージ
チームカラー
アイコン
ステートメントのジャージ
チームカラー
ステートメント
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チームカラー
シティ
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サクラメント・キングス (Sacramento Kings)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サクラメントに本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。ウェスタン・カンファレンスパシフィック・ディビジョン所属。チーム名は、カンザスシティ時代にMLBロイヤルズ(Royal=王侯)、NFLチーフス(Chief=酋長)などといった頭首のニュアンスから韻を踏んで名付けられた。

歴史

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ロチェスター・ロイヤルズ

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現在のサクラメント・キングスは、1946年ロチェスター・ロイヤルズとしてニューヨーク州ロチェスターで創設された。ロイヤルズは、NBL (National Basketball League) に参加した1946-47シーズンにリーグを制した。1948年にロイヤルズはNBLを離れてもう一つのバスケットボールリーグBAA (Basketball Association of America) に移った。1949年にBAAはNBLと統合し、NBAが誕生した。

レッド・ホルツマン

ロイヤルズは1951年ニューヨーク・ニックスを破り優勝。のちのキングス時代を含め、この時がNBAのチームとしての唯一の優勝となっている。優勝チームには、のちに監督になるレッド・ホルツマンもいた。

以後数年間ロイヤルズは勝率6割程度の有力チームだったが、ショットクロックが導入された1954年に苦戦し、その後も負け越しのシーズンが続いた。

シンシナティ・ロイヤルズ

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シンシナティ時代のロゴ

1957年、チームはオハイオ州シンシナティに移転し、チーム名をシンシナティ・ロイヤルズと改めた。この頃の中心選手は、モーリス・ストークスジャック・トゥィマンだったが、ストークスは外傷後脳障害のため引退し、1959-60シーズンに勝率はチーム史上最低まで落ち込んだ。

ロバートソンはロイヤルズ在籍時に6シーズンにわたり、1試合平均30点以上、NBAアシスト王を6回受賞している。

しかし、1960年オスカー・ロバートソンを、1962年ジェリー・ルーカスを獲得すると、以降数年のシーズンでチームは勝ち越し、1962年から6年連続でプレイオフに進出した。しかし1960年代末になると再び低迷が始まり、ロバートソンはミルウォーキー・バックスへ移った。

カンザスシティ・キングス

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1971年にチームはミズーリ州カンザスシティの実業家に売却された。翌1972年にシンシナティから移転、カンザスシティとネブラスカ州オマハが本拠地となった。カンザスシティにはメジャーリーグカンザスシティ・ロイヤルズが存在したため、新たなチーム名はカンザスシティ・オマハ・キングスとなった。1975年にはホーム戦のほとんどをカンザスシティで行うようになり、カンザスシティ・キングスと名称は再び改まった。

ネイト・アーチボルドは1972-73シーズンに1試合平均34.0得点、11.4アシストを記録し、それぞれリーグリーダーとなった。

この時代にチームを牽引したのはネイト・アーチボルドだった。得点とアシストで同時にリーグ首位になるなどアーチボルドは奮闘したが、事実上アーチボルドのワンマンチームだったロイヤルズは1975年を除き勝率5割を越えられなかった。その後のキングスは、コットン・フィッツシモンズが指揮を執った1970年代末から1980年代初頭にかけて一時期プレイオフに出場した。

サクラメント・キングス

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1983年、キングスはサクラメントの実業家に買い取られた。1985年にチームはサクラメントに移転し、名称はサクラメント・キングスとなった。

この時期が終わるとキングスは長い停滞の時代に入り、1984年から1998年までの十数年間で勝ち越しは一度もなく、プレイオフ出場は2シーズンのみだった。1991年から1998年までキングスでプレイしたミッチ・リッチモンド1996年ドリームチームIIIメンバーとしてアトランタオリンピックに出場した好選手だったが、チームの状況は苦しいままだった。

リック・アデルマン・ヘッドコーチ時代

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状況が好転したのは1998年だった。ジェイソン・ウィリアムスをドラフトで、インサイド陣にクリス・ウェバーとユーゴスラビア人のブラデ・ディバッツをトレードで獲得した。このシーズンからリック・アデルマンヘッドコーチに就任し、1996年にドラフトで指名しておりギリシャでプレイしていたユーゴスラビア選手のペジャ・ストヤコヴィッチが1999年にキングスに加わった。1998-1999年のロックアウトで短縮されたシーズンを27勝23敗と勝ち越し、キングスは西地区を代表する強豪へと成長していった。1998-99シーズンから2005-06シーズンまで、リック・アデルマン指揮のもと8年連続でプレーオフ進出を果たすことになる。

1999-2000シーズンにはタリーク・アブドゥル=ワハドとのトレードでニック・アンダーソンを加えチーム成績は44勝38敗と2年連続で勝ち越した。1999年のシーズン開幕戦で、キングスは日本を訪れミネソタ・ティンバーウルブズと対戦した。この頃からキングスの控え選手たちは、リック・バリーの息子で、ブレント・バリーの兄のジョン・バリーが名付けた「ベンチ・モブ」と呼ばれるようになった。

2000-01シーズンにはコーリス・ウィリアムソンとのトレードでダグ・クリスティを加え55勝27敗を挙げるなど、年を追うごとに戦力は充実していった。

2001-02シーズンは、ジェイソン・ウィリアムスとのトレードでマイク・ビビーを加え、リーグ最高の61勝21敗に達し、プレイオフではカンファレンス・ファイナル(地区決勝)へ進出。チャンピオンチームロサンゼルス・レイカーズを脅かしたが、3勝を挙げたものの一歩及ばずカンファレンス優勝は逃した。

2002-03シーズンは59勝23敗と前年に続き好成績を残したが、カンファレンス準決勝でダラス・マーベリックスに敗れた。

2003-04シーズンは、インディアナ・ペイサーズから移籍したブラッド・ミラーが、平均得点とリバウンドでダブル・ダブルを記録し、55勝27敗の好成績を残し、移籍後、毎年のように安定した好成績を残し、インサイドの要として活躍した。このシーズンには、自己ベストの平均15.6得点をあげて、2年連続となるオールスター出場を果たした。しかし、チームはカンファレンスセミファイナルでミネソタ・ティンバーウルブズに3勝4敗で敗れ、この頃からウェバーとストヤコヴィッチとの不仲説が囁かれるようになった。

2004-2005シーズンはシーズン前にディバッツが退団し、シーズン中にはウェバーがウィリアムソンらとのトレードがありながらも、55勝27敗と好成績を収めたが、プレーオフでは1stラウンドでシアトル・スーパーソニックスに敗れた。

2005-2006シーズンは、半ばにミラーは1981年にサム・レイシーが達成して以来久々となる得点、アシストのダブル・ダブルを達成したセンターとなった。主力選手の安定した活躍で、46勝36敗と好成績を残したが、プレイオフではカンファレンス・クォーターファイナル(地区1回戦)で敗退した。

2005-06シーズンにはストヤコヴィッチがロン・アーテスト (現:メッタ・サンディフォード=アーテスト) と交換でインディアナ・ペイサーズに放出され、このシーズンを最後にリック・アデルマン時代は終わり、ヘッドコーチはエリック・マッセルマンに引き継がれたが、1シーズンで解任され、2007-08シーズンからはレジー・セウスが指揮を執ったが成績は改善されなかった。

低迷期

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2007-08シーズン中盤にマイク・ビビーをトレードに出し、2008-09シーズンは、ケビン・マーティンを中心に置いたチーム再建となった。しかしながら大方の予想通り成績はさらに下がり、シーズン途中レジー・セウスは解雇され、17勝65敗でシーズンを終えた。 2009-10シーズン続く最悪の成績から、ドラフト上位指名権を得てタイリーク・エバンスを4位指名で獲得し、わずかではあるが成績を上げ、引き続き2010-11シーズン、5位指名でデマーカス・カズンズを獲得したが、50敗以上の“ドアマット・チーム”から抜け出すことはできなかった。 2011-12シーズン、60位指名で入団したアイザイア・トーマスが予想以上の働きを示した中でも、2013-14シーズンもやはりチームの勢いが上向くことはなかった。 2014-15シーズンは、開幕から5割前後の闘いで踏ん張ってきたが、12月に入りデマーカス・カズンズをウィルス性髄膜炎で欠いて以降連敗が続き、マイケル・マローンHCは、12月14日に解任された[5]。12月16日、ペジャ・ストヤコビッチの背番号16を永久欠番とすることを、祝賀セレモニーで発表した。ストヤコビッチの16番は、チーム11番目の永久欠番となった[6]。その後、タイロン・コービンがアシスタントからヘッドコーチに昇格したものの事態は好転せず、コービンは退任となり、オールスターゲーム明けからジョージ・カールを新たにヘッドコーチに招聘し、再出発したがチーム状況が好転したとは言えず、チーム再建は2015-16シーズン以降に持ち越しとなった。 なお、2014-15シーズンはデマーカス・カズンズがキングスの選手としては2004年のブラッド・ミラーペジャ・ストヤコビッチ以来のNBAオールスターの出場メンバーに選出された。

ラジョン・ロンドマルコ・ベリネッリなど、優勝経験者を獲得した2015-16シーズンだったが、それでも悪い流れは変わらず、10年連続負け越しとプレーオフ不出場に終わり、ジョージ・カールHCはシーズン終了後に解任。アルコ・アリーナから親しまれてきたスリープ・トレイン・アリーナの最後のシーズンを飾ることは出来ず、2016-17シーズンより、新アリーナのゴールデン1センターで再出発することになった。

新アリーナに移転し、新ヘッドコーチにデビッド・イェイガーを招聘して挑んだ2016-17シーズンだったが、それでも悪い流れは変わらず、同シーズンのNBAオールスターゲーム開催日には、遂にデマーカス・カズンズニューオーリンズ・ペリカンズに放出。同シーズンも負け越しで終了した。

2017-18シーズンは、ヴィンス・カーターザック・ランドルフといったイェイガーHCのメンフィス・グリズリーズ時代の教え子やジョージ・ヒルなどベテラン選手を獲得しシーズンスタート。10月24日にはジェニー・ブーセックとコーチ契約を結び、リーグ3人目の女性コーチとして話題を呼んだ。しかし、同シーズンも負け越しで終了。

2018-19シーズンはドラフト全体2位でマービン・バグリー3世を指名。オールルーキーチームに選ばれる活躍を見せ39勝を記録。しかしドラフトでルカ・ドンチッチを指名しなかったことで疑問符を打たれるシーズンとなってしまった。またシーズン終了後、選手とのコミュニケーションに問題があると言われたイェイガーコーチを解任した。

2019-20シーズンは新HCにウォリアーズのアシスタントコーチ、レイカーズでヘッドコーチを勤めたルーク・ウォルトンを招聘。更なる勝ち星の上乗せを期待され、バブルにも進出したもののプレイイントーナメントへの出場を逃し、勝ち星も31勝と前シーズンを下回る結果となった。

2020-21シーズン、若手の活躍でプレイオフも視野に入っていたものの、怪我人が続出して失速。前シーズンと同じ31勝にとどまった。ウォルトンは4年契約の最中ということもあってか早々に続投が発表された。

2021-2022シーズンはドラフト9位でデイビオン・ミッチェルを指名。しかし開幕6勝11敗と出遅れてウォルトンを解任し、アルヴィン・ジェントリーを暫定HCとするも勝ち星が伸びず、トレードデッドライン前にチームの主力であったタイリース・ハリバートンバディ・ヒールドらを放出し、インディアナ・ペイサーズからオールスターセンターのドマンタス・サボニスを獲得するトレードを断行した。しかしチーム状況が上向くことはなく、結局30勝52敗でシーズン終了した。

低迷脱却

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2022-23シーズン 負の連鎖に終止符

2022-23シーズン、昨シーズンまでウォリアーズのアシスタントコーチをしていたマイク・ブラウンを招集し、プレイオフ進出を目指した。シーズン開幕から4連敗してしまったものの、昨シーズンにトレードで獲得したドマンタス・サボニス、今オフに獲得したケビン・ハーターマリーク・モンク、ドラフトで指名したキーガン・マレーなどの選手が、マイク・ブラウンの指揮の元で活躍をし、前年までが嘘のように勝ち星を上げた。シーズンが進んでもキングスの勢いは失速せず、オールスターブレイク時点で西の3位と好順位に位置していた。NBAオールスターにはフォックスとサボニス、ライジング・スターズ・チャレンジにはマレーが選出された。そしてオールスターブレイク後も順当に勝ち星を積み重ね、遂に3月30日のポートランド・トレイルブレイザーズ戦に臨んだキングスは、120-80で大勝。今季成績を48勝34敗とし、2005-06シーズン以来、実に17年ぶりのプレーオフ進出を決めた。

シーズンごとの成績

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Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率

シーズン % プレーオフ 結果
ロチェスター・ロイヤルズ (通算勝敗に含まない)
1945-46 24 10 .706 NBL準決勝勝利
NBL決勝優勝
ロチェスター 3, フォートウェイン 1
ロチェスター 3, Sheboygan 0
1946-47 31 13 .705 1回戦勝利
NBL準決勝勝利
NBLファイナル敗退
ロチェスター 3, シラキュース 1
ロチェスター 2, フォートウェイン 1
シカゴ 3, ロチェスター 2
1947-48 44 16 .733 1回戦勝利
NBL準決勝勝利
NBL決勝敗退
ロチェスター 3, フォートウェイン 1
ロチェスター 2, アンダーソン 1
レイカーズ 3, ロチェスター 1
ロチェスター・ロイヤルズ (通算勝敗に含む)
1948-49 45 15 .750 ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝敗退
ロチェスター 2, セントルイス 0
レイカーズ 2, ロチェスター 0
1949-50 51 17 .750 タイブレークゲーム敗退
ディビジョン準決勝敗退
レイカーズ 78, ロチェスター 76
フォートウェイン 2, ロチェスター 0
1950-51 41 27 .603 ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝勝利
NBAファイナル優勝
ロチェスター 2, フォートウェイン 1
ロチェスター 3, レイカーズ 1
ロチェスター 4, ニックス 3
1951-52 41 25 .621 ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝敗退
ロチェスター 2, フォートウェイン 0
レイカーズ 3, ロチェスター 1
1952-53 44 26 .629 ディビジョン準決勝敗退 フォートウェイン 2, ロチェスター 1
1953-54 44 28 .611 3チームによるプレイオフ
ディビジョン決勝敗退
2-1
レイカーズ 2, ロチェスター 1
1954-55 29 43 .403 ディビジョン準決勝敗退 レイカーズ 2, ロチェスター 1
1955-56 31 41 .431
1956-57 31 41 .431
シンシナティ・ロイヤルズ
1957-58 33 39 .458 ディビジョン準決勝敗退 ピストンズ 2, シンシナティ 0
1958-59 19 53 .264
1959-60 19 56 .253
1960-61 33 46 .418
1961-62 43 37 .538 ディビジョン準決勝敗退 ピストンズ 3, シンシナティ 1
1962-63 42 38 .525 ディビジョン準決勝勝利 シンシナティ 3, シラキュース 2
セルティックス 4, シンシナティ 3
1963-64 55 25 .688 ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝敗退
シンシナティ 3, シクサーズ 2
セルティックス 4, シンシナティ 1
1964-65 48 32 .600 ディビジョン準決勝敗退 シクサーズ 3, シンシナティ 1
1965-66 45 35 .563 ディビジョン準決勝敗退 セルティックス 3, シンシナティ 2
1966-67 39 42 .481 ディビジョン準決勝敗退 シクサーズ 3, シンシナティ 1
1967-68 39 43 .476
1968-69 41 41 .500
1969-70 36 46 .439
1970-71 33 49 .402
1971-72 30 52 .366
カンザスシティ=オマハ・キングス
1972-73 36 46 .439
1973-74 33 49 .402
1974-75 44 38 .537 カンファレンス準決勝敗退 ブルズ 4, キングス 2
カンザスシティ・キングス
1975-76 31 51 .378
1976-77 40 42 .488
1977-78 31 51 .378
1978-79 48 34 .585 カンファレンス準決勝敗退 サンズ 4, キングス 1
1979-80 47 35 .573 1回戦敗退 サンズ 2, キングス 1
1980-81 40 42 .488 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
キングス 2, ブレイザーズ 1
キングス 4, サンズ 3
ロケッツ 4, キングス 1
1981-82 30 52 .366
1982-83 45 37 .549
1983-84 38 44 .463 1回戦敗退 レイカーズ 3, キングス 0
1984-85 31 51 .378
サクラメント・キングス
1985-86 37 45 .451 1回戦敗退 ロケッツ 3, キングス 0
1986-87 29 53 .354
1987-88 24 58 .293
1988-89 27 55 .329
1989-90 23 59 .280
1990-91 25 57 .305
1991-92 29 53 .354
1992-93 25 57 .305
1993-94 28 54 .341
1994-95 39 43 .476
1995-96 39 43 .476 1回戦敗退 ソニックス 3, キングス 1
1996-97 34 48 .415
1997-98 27 55 .329
1998-99 27 23 .540 1回戦敗退 ジャズ 3, キングス 2
1999-2000 44 38 .537 1回戦敗退 レイカーズ 3, キングス 2
2000-01 55 27 .672 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
キングス 3, サンズ 1
レイカーズ 4, キングス 0
2001-02 61 21 .744 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
キングス 3, ジャズ 1
キングス 4, マーベリックス 1
レイカーズ 4, キングス 3
2002-03 59 23 .720 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
キングス 4, ジャズ 1
マーベリックス 4, キングス 3
2003-04 55 27 .672 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
キングス 4, マーベリックス 1
ウルブズ 4, キングス 3
2004-05 50 32 .610 1回戦敗退 ソニックス 4, キングス 1
2005-06 44 38 .537 1回戦敗退 スパーズ 4, キングス 2
2006-07 33 49 .402
2007-08 38 44 .463
2008-09 17 65 .207
2009-10 25 57 .305
2010-11 24 58 .293
2011-12 22 44 .333
2012-13 28 54 .341
2013-14 28 54 .341
2014-15 29 53 .354
2015–16 33 49 .402
2016–17 32 50 .390
2017–18 27 55 .329
2018–19 39 43 .476
2019–20 31 41 .431
2020–21 31 41 .431
2021–22 30 52 .366
2022–23 48 34 .600 1回戦敗退 ウォリアーズ 4, キングス 3
2023–24 46 36 .561
通算勝敗 2,700 3,220 .456
プレイオフ 76 109 .411 優勝1回

主な選手

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現在のロスター

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サクラメント・キングス ロースター
プレーヤー スタッフ
Pos. # 名前 国籍 年齢 身長 体重 出身
G 22 デビン・カーター (Devin Carter)  アメリカ合衆国 22 (2002/03/18) 6 ft 2 in (1.88 m) 188 lb (85 kg) プロビデンス大学 
F 24 アイザイア・クロフォード (Isaiah Crawford)  アメリカ合衆国 23 (2001/11/01) 6 ft 6 in (1.98 m) 220 lb (100 kg) ルイジアナ工科大学 
F 99 ジェイ・クラウダー (Jae Crowder) アメリカ合衆国 34 (1990/07/06) 6 ft 6 in (1.98 m) 235 lb (107 kg) マーケット大学 
G/F 10 デマー・デローザン (DeMar DeRozan) アメリカ合衆国 35 (1989/08/07) 6 ft 6 in (1.98 m) 220 lb (100 kg) USC 
G 23 キーオン・エリス (Keon Ellis) アメリカ合衆国 24 (2000/01/08) 6 ft 5 in (1.96 m) 175 lb (79 kg) アラバマ大学 
G 5 ディアロン・フォックス (De'Aaron Fox) アメリカ合衆国 27 (1997/10/20) 6 ft 3 in (1.91 m) 190 lb (86 kg) ケンタッキー大学 
G/F 9 ケビン・ハーター (Kevin Huerter) アメリカ合衆国 26 (1998/08/27) 6 ft 7 in (2.01 m) 190 lb (86 kg) メリーランド大学 
G 20 コルビー・ジョーンズ (Colby Jones) アメリカ合衆国 22 (2002/05/28) 6 ft 6 in (1.98 m) 205 lb (93 kg) ゼイビア大学 
F 17 アイザック・ジョーンズ (Isaac Jones)  アメリカ合衆国 24 (2000/07/11) 6 ft 9 in (2.06 m) 245 lb (111 kg) WSU 
G 15 メイソン・ジョーンズ (Mason Jones)  アメリカ合衆国 26 (1998/07/21) 6 ft 4 in (1.93 m) 190 lb (86 kg) アーカンソー大学 
C 25 アレックス・レン (Alex Len) ウクライナ 31 (1993/06/16) 7 ft 0 in (2.13 m) 250 lb (113 kg) メリーランド大学 
F 41 トレイ・ライルズ (Trey Lyles)  カナダ 29 (1995/11/05) 6 ft 9 in (2.06 m) 234 lb (106 kg) ケンタッキー大学 
F 7 ダグ・マクダーモット (Doug McDermott) アメリカ合衆国 32 (1992/01/03) 6 ft 6 in (1.98 m) 225 lb (102 kg) クレイトン大学 
G 3 ジョーダン・マクラフリン (Jordan McLaughlin) アメリカ合衆国 28 (1996/04/09) 6 ft 0 in (1.83 m) 185 lb (84 kg) USC 
G 0 マリーク・モンク (Malik Monk) 6th アメリカ合衆国 26 (1998/02/04) 6 ft 3 in (1.91 m) 200 lb (91 kg) ケンタッキー大学 
F 13 キーガン・マレー (Keegan Murray) アメリカ合衆国 24 (2000/08/19) 6 ft 8 in (2.03 m) 215 lb (98 kg) アイオワ大学 
F/C 77 オーランド・ロビンソン (Orlando Robinson) アメリカ合衆国 24 (2000/07/10) 6 ft 10 in (2.08 m) 235 lb (107 kg) フレズノ州立大学 
P/F 10 ドマンタス・サボニス (Domantas Sabonis) リトアニア 28 (1996/03/05) 6 ft 11 in (2.11 m) 240 lb (109 kg) ゴンザガ大学 

記号説明


外部リンク


更新日:2024年12月13日


保有するドラフト交渉権

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ドラフト年 指名順 選手 Pos. 国籍 現所属チーム 注釈 Ref

永久欠番

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ゴールデン1センターの垂木には、キングスの永久欠番となったすべての背番号が掲げられている。

サクラメント・キングス永久欠番
No. 選手 Pos. 在籍期間 式典日
1 ネイト・アーチボルト G 1970–1976
2 ミッチ・リッチモンド G 1991–1998 2003年12月5日
4 クリス・ウェバー F 1998–2005 2009年2月6日
6 ファン ("The Sixth Man") 1985–現在 1986–87
11 ボブ・デイヴィス G 1945–1955 1989–90
12 モーリス・ストークス F 1955–1958
14 オスカー・ロバートソン G 1960–1970
16 ペジャ・ストヤコヴィッチ F 1998–2006 2014年12月6日
21 ブラデ・ディバッツ C 1998–2004 2009年3月31日
27 ジャック・トゥィマン F 1955–1966
44 サム・レイシー C 1970–1981

バスケットボール殿堂入り

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サクラメント・キングス殿堂入り
選手
No. 名前 Pos. 在籍間 殿堂入り年 No. 名前 Pos. 在籍間 殿堂入り年
11 ボブ・デイヴィス G 1945–1955 1970 19 ボブ・クージー 1 G 1969–1970 1971
14 オスカー・ロバートソン 1 G 1960–1970 1980 16 ジェリー・ルーカス 2 F/C 1963–1969 1980
10
27
31
ジャック・トゥィマン F 1955–1966 1983 9 ボビー・ヴァンツァー G 1948–1957 1987
34 クライド・ラブレット C/F 1957–1958 1988 1
10
ネイト・アーチボルド G 1970–1976 1991
14 アーニー・ライゼン C 1948–1955 1998 12 モーリス・ストークス F 1955–1958 2004
50 ラルフ・サンプソン C 1989–1990 2012 5 ガイ・ロジャース G 1967–1968 2014
2 ミッチ・リッチモンド G 1991–1998 2014 13 シャルーナス・マルチュリョニス G 1995–1996 2014
12 ジョ・ジョ・ホワイト G 1980–1981 2015 21 ブラデ・ディバッツ C 1998–2004 2019
4 クリス・ウェバー F 1998–2005 2021 15 ヴィンス・カーター G/F 2017–2018 2024
コーチ
名前 Pos. 在籍間 殿堂入り年 名前 Pos. 在籍間 殿堂入り年
ピート・キャリル英語版 アシスタントコーチ 1996–2006
2008-2012
1997 5 リック・アデルマン 4 ヘッドコーチ 1998–2006 2021
ビル・ラッセル 5 ヘッドコーチ 1987–1988 2021 ジョージ・カール ヘッドコーチ 2015–2016 2022
貢献者
名前 Pos. 在籍間 殿堂入り年 名前 Pos. 在籍間 殿堂入り年
レス・ハリソン英語版 ヘッドコーチ
オーナー
1948–1955 1980 15
32
34
ウェイン・エンブリー 3 C 1958–1966 1999
コットン・フィッツシモンズ ヘッドコーチ 1978–1984 2021

FIBA殿堂入り

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サクラメント・キングス殿堂入り
選手
No. 名前 Pos. 在籍期間 殿堂入り年
14 オスカー・ロバートソン G 1960–1970 2009
21 ブラデ・ディバッツ C 1998–2004 2010
13 シャルーナス・マルチュリョニス G 1995–1996 2015

歴代ヘッドコーチ

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脚注

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  1. ^ Kramers, Alex (April 27, 2016). “Making Of: Kings New Logos”. NBA Media Ventures, LLC. http://www.nba.com/kings/blog/making-kings-new-logos June 21, 2016閲覧。 
  2. ^ Sacramento Kings Reproduction and Usage Guideline Sheet”. NBA Properties, Inc.. August 10, 2016閲覧。
  3. ^ John Rinehart Profile”. NBA.com. March 5, 2021閲覧。
  4. ^ Kings Name Monte McNair General Manager” (英語). Sacramento Kings. 2020年9月17日閲覧。
  5. ^ Report: Kings fire Malone---NBA.com
  6. ^ P・ストヤコビッチの背番号16がキングスの永久欠番に---NBA.co.jp

チーム記録

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外部リンク

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