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カルルス温泉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カルルス温泉
カルルス温泉入口(2011年8月)
温泉情報
所在地 北海道登別市カルルス町
交通 鉄道:JR北海道室蘭本線登別駅
バス:道南バス「カルルス」バス停
車:北海道道2号洞爺湖登別線
泉質 単純温泉[1]
泉温(摂氏 48 - 68 °C
湧出量 1,200リットル/分[1]
pH 7.2[2]
液性の分類 中性
浸透圧の分類 低張性
宿泊施設数 6
外部リンク 登別国際観光コンベンション協会
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カルルス温泉(カルルスおんせん)は、北海道登別市にある温泉。「登別カルルス温泉」とも言われる。「国民保養温泉地」に指定されており[3]、「名湯百選」にも選定されている[4]

概要

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登別温泉の北西約8kmに位置し、来馬岳オロフレ山の麓を流れる登別川沿いに数軒の旅館が存在する。源泉の色は無色透明である。

泉質

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歴史

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※ホテル岩井「カルルスの歴史」も参照[5]

1886年明治19年)、室蘭郡役所書記を務めていた日野愛憲(ひのあいき)によって発見されるが、温泉開発までには至らなかった。1889年(明治22年)に彼の養子である日野久橘(ひのきゅうきつ)が再び温泉を発見。持病の慢性胃カタルが治った事から、温泉の開発に心血を注いだ。1899年(明治32年)、幌別から温泉までの道路を開削し開湯。

それまでこの地はアイヌ語で「ペンケユ[6]」と呼ばれていた[7]が、旧オーストリア帝国・カルルスバード(カールスバート、現チェコカルロヴィ・ヴァリ)温泉と似た泉質であったことから、「カルルス温泉」と名づけられた。日露戦争後期に旭川陸軍及び病院の指定する療養地が置かれたことにより、温泉地として整備されていった。しかし、再び戦争に突入すると入り込み客数が減少に転じていき、戦後においても低迷を続けていた。

1949年昭和24年)、周辺地域が「支笏洞爺国立公園」に指定される[8]1957年(昭和32年)、北海道で第1号、全国でも12番目となる「国民保養温泉地」に指定される[3]1961年(昭和36年)、スキー場(現・カルルス温泉サンライバスキー場)が開設[9]。その後、新たな源泉掘削の成功により各旅館に内湯を備える事が可能になった。

周辺

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アクセス

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鉄道・バス

その他

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バスクリンが「日本の名湯・登別カルルス」という名称で入浴剤を販売している[10]。入浴剤は乳白色だが、源泉の色は無色透明である。

脚注

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  1. ^ a b c 泉質・泉温、適応症・禁忌症”. 日本温泉協会. 2014年8月8日閲覧。
  2. ^ カルルス温泉の特徴”. 森の湯・山静館. 2014年8月8日閲覧。
  3. ^ a b 国民保養温泉地一覧” (PDF). 環境省. 2014年8月8日閲覧。
  4. ^ 名湯百選 温泉療法医がすすめる温泉”. NPO法人 健康と温泉フォーラム. 2014年8月8日閲覧。
  5. ^ カルルスの歴史”. ホテル岩井. 2014年8月1日閲覧。
  6. ^ アイヌ語ラテン翻字: penke-yu 「上の・温泉」の意で、現在の登別温泉の上流にあった温泉、の意とされる。
  7. ^ アイヌ語地名リスト オニシベ~キタ P31-40P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月19日閲覧。
  8. ^ 支笏洞爺国立公園”. 北海道地方環境事務所. 環境省. 2014年8月10日閲覧。
  9. ^ サンライバ スキー場”. サンライバスキー場管理事務所. 加森観光. 2014年8月1日閲覧。
  10. ^ 日本の名湯 | 入浴剤・バスタイム製品”. バスクリン. 2014年8月8日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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