カルルス温泉
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カルルス温泉 | |
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カルルス温泉入口(2011年8月) | |
温泉情報 | |
所在地 | 北海道登別市カルルス町 |
交通 |
鉄道:JR北海道室蘭本線登別駅 バス:道南バス「カルルス」バス停 車:北海道道2号洞爺湖登別線 |
泉質 | 単純温泉[1] |
泉温(摂氏) | 48 - 68 °C |
湧出量 | 1,200リットル/分[1] |
pH | 7.2[2] |
液性の分類 | 中性 |
浸透圧の分類 | 低張性 |
宿泊施設数 | 6 |
外部リンク | 登別国際観光コンベンション協会 |
カルルス温泉(カルルスおんせん)は、北海道登別市にある温泉。「登別カルルス温泉」とも言われる。「国民保養温泉地」に指定されており[3]、「名湯百選」にも選定されている[4]。
概要
[編集]登別温泉の北西約8kmに位置し、来馬岳、オロフレ山の麓を流れる登別川沿いに数軒の旅館が存在する。源泉の色は無色透明である。
この地はアイヌ語で「ペンケユ[5]」と呼ばれていた[6]が、旧オーストリア帝国(現チェコ領)のカルルスバード(カールスバート、カルロヴィ・ヴァリ)の温泉と似た泉質であったことから「カルルス」と名づけられた[7]。
泉質
[編集]歴史
[編集]1886年(明治19年)、室蘭郡役所書記を務めていた日野愛憙(ひのあいき)が屯田兵入植地として登別川上流の調査をしていた際に発見された[8][9]。その3年後の1889年(明治22年)に彼の養子である日野久橘(ひのきゅうきつ)が再びこの温泉を発見し、持病の胃カタルが治った事から、温泉の開発に心血を注いだ[8]。
1899年(明治32年)の開湯時には共同浴場と旅館1軒のみだったが、日露戦争の後期に登別温泉と共に旭川陸軍予備病院の指定する療養地となったことで全国的に知られるようになった[7]。
1949年(昭和24年)に周辺地域が「支笏洞爺国立公園」に指定された[10]。その後、1957年(昭和32年)に北海道で第1号、全国でも12番目となる「国民保養温泉地」に指定された[3]。1961年(昭和36年)、スキー場(現・カルルス温泉サンライバスキー場)が開設された[11]。
周辺
[編集]- カルルス温泉サンライバスキー場
- 橘湖(国内唯一の個人が所有している湖)
- 登別カントリー倶楽部
- オロフレ峠
- カルルス温泉簡易郵便局
アクセス
[編集]- 車
- 道央自動車道登別東ICから北海道道2号洞爺湖登別線経由で約20分。
- 鉄道・バス
- 北海道旅客鉄道(JR北海道)室蘭本線登別駅から道南バス登別温泉ターミナルまで約20分。「サンライバスキー場」行に乗換えて約25分。
備考
[編集]バスクリンが「日本の名湯・登別カルルス」という名称で入浴剤を販売している[12]。入浴剤は乳白色だが、源泉の色は無色透明である。
脚注
[編集]- ^ a b c “泉質・泉温、適応症・禁忌症”. 日本温泉協会. 2014年8月8日閲覧。
- ^ “カルルス温泉の特徴”. 森の湯・山静館. 2014年8月8日閲覧。
- ^ a b “国民保養温泉地一覧” (PDF). 環境省. 2014年8月8日閲覧。
- ^ “名湯百選 温泉療法医がすすめる温泉”. NPO法人 健康と温泉フォーラム. 2014年8月8日閲覧。
- ^ アイヌ語ラテン翻字: penke-yu 「上の・温泉」の意で、現在の登別温泉の上流にあった温泉、の意とされる。
- ^ “アイヌ語地名リスト オニシベ~キタ P31-40P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月19日閲覧。
- ^ a b “カルルス温泉 国民保養温泉地計画書”. 環境省. 2024年12月10日閲覧。
- ^ a b “登別ガイドブック”. 登別市. 2024年12月10日閲覧。
- ^ “登別の歴史”. 登別国際観光コンベンション協会. 2024年12月10日閲覧。
- ^ “支笏洞爺国立公園”. 北海道地方環境事務所. 環境省. 2014年8月10日閲覧。
- ^ “サンライバ スキー場”. サンライバスキー場管理事務所. 加森観光. 2014年8月1日閲覧。
- ^ “日本の名湯 | 入浴剤・バスタイム製品”. バスクリン. 2014年8月8日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 登別国際観光コンベンション協会
- 登別国際観光コンベンション協会 - YouTubeチャンネル
- 登別国際観光コンベンション協会 (noboribetsuonsen) - Facebook
- 登別フィルムコミッション連絡協議会