出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アレハンドロ・アメナーバル(スペイン語: Alejandro Amenábar, 1972年3月31日 - )は、チリ・サンティアゴ出身、スペイン国籍の映画監督・脚本家・作曲家。
父親のウーゴ・リカルド・アメナーバルはチリ人、母親のホセフィーナ・カントスはスペイン人である。ホセフィーナの姉はスペインからチリに渡っており、後にホセフィーナをチリに招いた。ホセフィーナはそこでウーゴと出会い、1972年3月31日にアレハンドロ・アメナーバルが生まれた。アメナーバルにはリカルドという1969年生の兄がいる。アメナーバル自身はチリとスペインの二重国籍である。父親はゼネラル・エレクトリックのエンジニアである。アレハンドロが1歳だった1973年8月、アメナーバル家はスペインに移住した。当初はキャンピングカーに寝泊まりしていたが、やがてマドリードに落ち着いた。アレハンドロが6歳の時、郊外にあるマドリード州パラクエーリョス・デ・ハラマ(英語版)の団地に引っ越した。
15歳の頃から足しげく映画館に通い、その他には執筆や読書にも情熱を注いだ。アメナーバルの母親によると、アメナーバルは読んだ文章のすべてを吸収する能力を持っていた。さらには、物語を書いた時には文章に合わせてキーボードやギターで作曲を行った。アメナーバルはヘタフェの学校に在学していたが、高校2年時にはマドリードの北東部にあるアラメダ・デ・オスナ学校に転校した。この学校はアメナーバルの家からは遠かったが、マドリード有数の学校として知られていた。マドリード・コンプルテンセ大学の情報科学部に入学、コンプルテンセ大学ではマテオ・ヒル(英語版)などと出会い、ヒルとはプロジェクトの相互支援を行っている。アメナーバルは最終的にコンプルテンセ大学の学位は取得していない[1]。
1991年から1994年の間に、アメナーバルは『La Cabeza』、『Himenóptero』、『Luna』という3本の短編映画を監督した。ホセ・ルイス・クエルダ(スペイン語版)が『Himenóptero』の脚本を担当し、若いアメナーバルに助言を与えた。23歳だった1996年には初長編作品『テシス 次に私が殺される』を監督。この作品はゴヤ賞で新人監督賞と脚本賞を受賞し、ベルリン国際映画祭でも審査員の注目を集めた。1997年のSFアクション映画『オープン・ユア・アイズ』は、ベルリン国際映画祭や東京国際映画祭で高評価を得た。この作品はアルフレッド・ヒッチコック監督の1958年作『めまい』をアメナーバルなりにアレンジしたものであると語っている[1]。トム・クルーズがハリウッドリメイク権を購入、クルーズ自身が主役を演じて『バニラ・スカイ』としてリメイクされた。2001年の3作目『アザーズ』ではハリウッドに進出。ニコール・キッドマンが主演するスリラー映画である。スペインでは同年の最多観客数を記録し、アメリカ合衆国では数週間にわたって興行成績第1位となった。この作品はヴェネツィア国際映画祭でプレミア上映され、ゴヤ賞では作品賞・監督賞を含む8部門で受賞し、ヨーロッパ映画賞では作品賞にノミネートされた。
2004年には尊厳死活動家のラモン・サンペドロの手記『地獄からの手紙』を元に、ハビエル・バルデムをサンペドロ役に据えた『海を飛ぶ夢』を製作。この作品はアカデミー外国語映画賞を受賞し、ヴェネツィア国際映画祭では審査員特別賞を受賞した。ゴヤ賞では14部門で受賞した。この作品の発表後には尊敬するスティーヴン・スピルバーグから賛辞の手紙を受けとったという[1]。2005年には映画芸術科学アカデミーのメンバーとなった[1]。2008年にはレイチェル・ワイズやマックス・ミンゲラを主演に据えて『アレクサンドリア』を監督。当初は『Mists of Time』という題名の予定だったが、結局は『Agora』と改題されている。2009年5月17日のカンヌ国際映画祭でプレミア上映され、10月9日にスペインで一般劇場公開された[2]。2011年にはマドリード・ウォーク・オブ・フェイム(スペイン語版)に選ばれた[3]。
2015年には約7年ぶりの長編映画として、エマ・ワトソンとイーサン・ホークを主演に据えて『リグレッション』を監督した[4]。この作品は2015年9月のサン・セバスティアン国際映画祭でプレミア上映された[4]。
アメナーバルは自作の音楽のほかに、ホセ・ルイス・クエルダ監督の『蝶の舌』や、マテオ・ヒル監督の『パズル』のサウンドトラックも手掛けている。熱心なサウンドトラックの収集家である[1]。スティーヴン・スピルバーグ、ジェームズ・キャメロン、スタンリー・キューブリックなどを好きな監督に挙げている[1]。
2004年、スペインの雑誌にてゲイであることを公表[5][6]。スペインでは2005年に同性婚が合法化されている(スペインの同性婚)。2015年7月18日、ダビド・ブランコ(男性)と結婚した[7]。
- 監督した長編映画
- その他の作品
年 |
原題 |
日本語題 |
担当 |
備考
|
1991 |
La cabeza |
|
監督・脚本・音楽・出演 |
短編映画
|
1992 |
La extraña obsesión del Doctor Morbius |
|
監督・脚本・音楽・出演 |
短編映画
|
1992 |
Himenóptero |
|
監督・脚本・出演 |
短編映画
|
1994 |
Luna |
|
監督・脚本・音楽・出演 |
短編映画
|
1999 |
La lengua de las mariposas |
蝶の舌 |
音楽 |
|
1999 |
Nadie conoce a nadie |
パズル |
音楽 |
|
2009 |
Spanish Movie |
最終爆笑計画 |
|
カメオ出演
|
2010 |
El mal ajeno |
命の相続人 |
製作 |
|
2013 |
Me encanta |
|
監督・脚本 |
ミュージックビデオ
|
2015 |
Vale |
|
監督・脚本 |
テレビコマーシャル[8]
|
- インディペンデント・スピリット賞
年 |
部門 |
作品 |
結果
|
2004 |
外国語映画賞 |
海を飛ぶ夢 |
受賞
|
- アマチュア映画人独立協会賞
年 |
部門 |
作品 |
結果
|
1991 |
短編賞 |
La cabeza |
受賞
|
1994 |
脚本賞 |
Luna |
受賞
|
音楽賞 |
受賞
|
- アリエル賞
年 |
部門 |
作品 |
結果
|
2006 |
ラテンアメリカ作品賞 |
海を飛ぶ夢 |
ノミネート
|
- アルゼンチン映画批評家協会賞
年 |
部門 |
作品 |
結果
|
2006 |
スペイン語作品賞 |
海を飛ぶ夢 |
受賞
|
- サン・ジョルディ賞
- ブタカ賞(英語版)
- スペイン音楽賞
年 |
部門 |
作品 |
結果
|
2005 |
作曲賞 |
海を飛ぶ夢 |
受賞
|
- トゥリア賞
年 |
部門 |
作品 |
結果
|
2005 |
観客賞 |
海を飛ぶ夢 |
受賞
|
- フォトグラマス・デ・プラータ
年 |
部門 |
作品 |
結果
|
2005 |
作品賞 |
海を飛ぶ夢 |
受賞
|
- 世界サウンドトラック賞
年 |
部門 |
作品 |
結果
|
2005 |
年間最優秀サウンドトラック |
海を飛ぶ夢 |
ノミネート
|
- オーストラリア映画批評家協会賞
年 |
部門 |
作品 |
結果
|
2005 |
外国語映画賞 |
海を飛ぶ夢 |
受賞
|