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アストンマーティン・ラゴンダ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アストンマーティン・ラゴンダAston Martin Lagonda )は、イギリス自動車メーカーであるアストンマーティンが1974年から1990年まで製造していた大型高級4ドアセダンである。

概要

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第二次世界大戦以前の『ラゴンダ』は、ル・マン24時間レースでの優勝経験もあり、ベントレーに匹敵する程の名門高級車メーカーであった。しかし、経営不振から1948年には農業トラクターメーカー経営者のデイヴィッド・ブラウン(David Brown )によって、アストンマーティンとともに買収された。その後、1961年にアストンマーティン・DB4の4ドア版としてラゴンダ・ラピードが登場し、ラゴンダの名が復活したが、生産期間はわずか4年間であった。

それから約10年の時を経て再登場したのが、本項で解説するアストンマーティン・ラゴンダである。

シリーズ1

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アストンマーティン・ラゴンダシリーズ1
概要
販売期間 1974[1] - 1975年
ボディ
乗車定員 5 人[2][3]
ボディタイプ 4ドア[2][3]セダン[2][1][3]
駆動方式 FR
パワートレイン
エンジン V型8気筒[2][1][3]DOHC5,340cc[2][1]
変速機 ZF製5速MT/クライスラー製3速AT
車両寸法
ホイールベース 2,915 mm[2][3]
全長 4,900 mm[2][3]
全幅 1,830 mm[2][3]
全高 1,370 mm[2][3]
車両重量 2,000 kg[2][3]
系譜
先代 ラゴンダ・ラピード
後継 アストンマーティン・ラゴンダシリーズ2
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DBSのホイールベースを約300mm延長し、4ドアセダンに仕立て直したモデルである。

1974年10月に本車が発表された当時、約25年間君臨したデイヴィッド・ブラウンは経営危機のためアストンマーティンを去っており、経営を引き継いだカンパニーディヴェロップメンツは倒産寸前であった。そのような中でアストンマーティンは、ラピード以降消滅していた最高級4ドアセダンを復活させ、同社製4ドアセダンの伝統に則って『ラゴンダ』と命名された。1974年から1975年の間に7台のみが生産された。

外装

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改良型のV8を基本とし、全体が緩やかな曲面で構成されており、V8の4ドア版という印象である。フロントフェンダーの2連ダクトを継承しており、リア周りも同様で主要部品の流用も多い。V8同様、真正面から見た顔つきは同時代のフォード・マスタングにも似ている。

機構

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メカニズムはすべてアストンマーティン・V8からの流用である。5,340ccのV型8気筒DOHCエンジンはボッシュ製メカニカルインジェクション[1]で280PS/5,500rpm[2]、ヨーロッパ仕様305hp[1]、トルクは48.7kgm/3,100rpm[2][3]トランスミッションZF[1]5速MT[2][1]かクライスラー製トークフライト[1]3速AT[2][1]を選択できた。最高速度は255km/h[2]

サスペンションは前輪がダブルウィッシュボーン/コイルで後輪がド・ディオン式のパラレルトレーリングアーム。タイヤは225VR15。4輪ともディスクブレーキ[2]

シリーズ2

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アストンマーティン・ラゴンダシリーズ2
外観
概要
販売期間 1976 - 1986年
ボディ
乗車定員 5 人[4]
ボディタイプ 4ドア[4][5][6]セダン[4][5][6]
駆動方式 FR
パワートレイン
エンジン V型8気筒[4][7][5][6]DOHC[5]5,343 cc[4][5]
変速機 クライスラー製3速AT[4][5][6]
車両寸法
ホイールベース 2,910 mm[5][6]または2,915 mm[7][4]
全長 5,182 mm[4][7]または5,280 mm[6]
全幅 1,816 mm[4]または1,790 mm[6]
全高 1,300 mm[6]または1,302 mm[4]
車両重量 1,727 kg[4]または2,040 kg[6]
系譜
先代 アストンマーティン・ラゴンダシリーズ1
後継 アストンマーティン・ラゴンダシリーズ3
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1976年10月の英国国際モーターショーでシリーズ2が発表された。デザインから構造まで一新された新開発のモデルであり、アストンマーティンは「スポーツカーメーカーが作る4ドアセダン」という市場に着目し登場させた。当時、この市場での競合車種はマセラティ・クアトロポルテデ・トマソ・ドーヴィルといった少数の高価格車のみだった。日本向けには約3,900万円で販売され、後年になるにつれ上昇し最終的には4,500万円ほどになった。LEDを使用したデジタルメーター(後述)の開発に手間取ったため、発売は1978年となった。生産台数は465台。

外装

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過去の伝統をすべて排し、低く長く、未来的なエクステリアになった。フロントには小さなフロントグリルとその横いっぱいに並べられた補助ランプ類、リトラクタブル・ヘッドライトが備わる。リアにはそれと対をなす、整然と並べられた薄型ランプ[注釈 1]が備わる。極端なロングノーズ・ショートキャビンであり、エッジの効いたボディラインは極めて個性的なものとなっている。

後部座席の空間を広げたロングホイールベース仕様、シューティングブレーク、2ドアクーペなど外部コーチビルダーによるいくつかの改装車がある。

シリーズ2の途中で、後席左右の窓を広く開くことができるようにするためリアドアに三角窓を追加、ドアミラーの取り付け位置をボディ側Aピラーつけ根部分からフロントドア部分に変更、デジタルメーターの表示パネルを変更、多言語に対応し、英語ドイツ語フランス語アラビア語にそれぞれ表示切り替えが可能となった。

内装

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最上級のコノリーレザーまたはベロア、ウッドパネルなどを採用した。贅を尽くし、基本的にイギリス製高級車の伝統に則っているが、シリーズ2のシートには同時期のアメリカ製高級車を思わせる豪奢なデザインを採用しており、外観の先鋭さと比べいささか異なった趣を持つ。赤色LEDによる数字・文字表示のデジタルメーターを採用したことが一番の特色で、また車両管理にコンピュータを採用しており、これらはともに市販車として世界初である。これらメーターおよびコンピュータシステムには、車両本体自体の実に4倍に及ぶ開発費が掛けられた。

機構

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ボディはアルミニウム

エンジンはアストンマーティン・V8と共通である。ボアφ100mm[6]×ストローク85mm[6]、V型8気筒[6]で5,341cc[注釈 2]ウェーバー製42DCNFキャブレター[5][6]、圧縮比8.3[6]で243PS/5,000rpm[5][6]、44.2kgm/4,000rpm[5][6]

タイヤは235/70VR15[5][6]。4輪パワーアシスト付き通風ディスクブレーキ[5][6]

シリーズ3

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アストンマーティン・ラゴンダシリーズ3
外観
概要
販売期間 1986 - 1987年
ボディ
乗車定員 4 人
ボディタイプ 4ドアセダン
駆動方式 FR
パワートレイン
エンジン V型8気筒DOHC5,340cc
変速機 クライスラー製3速AT
車両寸法
ホイールベース 2,910 mm
全長 5,281 mm
全幅 1,791 mm
全高 1,302 mm
車両重量 2,023 kg
系譜
先代 アストンマーティン・ラゴンダシリーズ2
後継 アストンマーティン・ラゴンダシリーズ4
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1986年発売。生産台数は75台。

機構

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エンジンがインジェクション化された。

シリーズ4

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アストンマーティン・ラゴンダシリーズ4
外観
概要
販売期間 1987 - 1990年
ボディ
乗車定員 4 人[8][9]
ボディタイプ 4ドア[10][11]リムジン[11]
駆動方式 FR
パワートレイン
エンジン V型8気筒[11][8][10]DOHC[11][10]5,340cc[11][8][10]
変速機 クライスラー製トークフライト[11][10]3速AT[11][10][9]
前:ダブルウィッシュボーン[8][9]/後:トレーリングアーム[9]
前:ダブルウィッシュボーン[8][9]/後:トレーリングアーム[9]
車両寸法
ホイールベース 2,910 mm[8][9]
全長 5,360 mm[9]または5,370 mm[8]
全幅 1,790 mm[8]または1,810 mm[9]
全高 1,310 mm[8][9]
車両重量 2,040 kg[8][9]
系譜
先代 アストンマーティン・ラゴンダシリーズ3
後継 アストンマーティン・ラピード
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生産台数は105台。シリーズ4においては1週間あたり約1台という生産ペースだった。最終製造車のシャシナンバー13645は1990年3月18日にイギリス国内仕様車としてラインオフし、同年6月14日顧客に販売され、イギリスで保存されている。

外装

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大幅な変更を実施し、全体的に若返らせた。角張っていたボディの角を丸め、ボリューム感を増した。ボディサイドのキャラクターラインやクロームメッキのモールを廃止するとともにフロントグリルをカラード化。ドアミラーのデザインを変更。リトラクタブル・ヘッドライトを廃止し、角目6灯の固定式ヘッドライトを新規採用。フロントのウィンカーランプ設置場所をバンパー内部に変更した。薄い長方形型リアランプユニットを二段重ねから一段に変更するとともに設置場所をトランクリッド側からボディ側に変更した。

内装

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デジタルメーターの表示パネルを更に変更。表示部分を大幅に拡大し、液晶に黄緑、橙、赤のLEDを組み合わせた日本車などで一般的なものとなった。

機構

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エンジンはボアφ100mm[8][9]×ストローク85mm[8][9]、V型8気筒[11][8][9]で5,341cc[注釈 3]ボッシュ製Lジェトロニック[11][8][10]で240PS/5,500rpm[11][8][10][9]、39.8kgm/2,200rpm[11][8][10][9]。0-100km/hが8.8秒、最高速度は230km/h[10]

ホイールサイズを16inに拡大し、タイヤが255/60VR16[11][8][10]になった。4輪とも通風式ディスクブレーキ[11][8][9]を備える。

注釈

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  1. ^ リアランプはランプユニット全体がトランクリッド開口部に一体化されており、夜間にトランクリッドを開けると灯火類が見えなくなる構造である。そのためイギリス国内仕様車などにおいては、トランクリッド内側に補助のリアウィンカーテールランプが増設されている。これと同じ構造は、現在でもアウディ・A1などで見られる。
  2. ^ 3.14159×(10/2)×(10/2)×8.5×8=5340.703。
  3. ^ 3.14159×(10/2)×(10/2)×8.5×8=5340.703。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『外国車ガイドブック’76』p.116。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『外国車ガイドブック’75』p.214。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『外国車ガイドブック’76』p.209。
  4. ^ a b c d e f g h i j k 『外国車ガイドブック’77』p.204。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l 『外国車ガイドブック1987』p.114。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『外国車ガイドブック1987』pp.198-199。
  7. ^ a b c 『外国車ガイドブック’77』p.114。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『外国車ガイドブック1989』p.206。
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『輸入車ガイドブック1990』pp.236-237。
  10. ^ a b c d e f g h i j k 『輸入車ガイドブック1990』p.142。
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m 『外国車ガイドブック1989』p.76。

参考文献

[編集]
  • 外国車ガイドブック'75』日刊自動車新聞
  • 『外国車ガイドブック'76』日刊自動車新聞社
  • 『外国車ガイドブック'77』日刊自動車新聞社
  • 『外国車ガイドブック1978』日刊自動車新聞社
  • 『外国車ガイドブック1979』日刊自動車新聞社
  • 『外国車ガイドブック1980』日刊自動車新聞社
  • 『外国車ガイドブック1981』日刊自動車新聞社
  • 『外国車ガイドブック1982』日刊自動車新聞社
  • 『外国車ガイドブック1983』日刊自動車新聞社
  • 『外国車ガイドブック1984』日刊自動車新聞社
  • 『外国車ガイドブック1985』日刊自動車新聞社
  • 『外国車ガイドブック1986』日刊自動車新聞社
  • 『外国車ガイドブック1987』日刊自動車新聞社
  • 『外国車ガイドブック1988』日刊自動車新聞社
  • 『外国車ガイドブック1989』日刊自動車新聞社
  • 輸入車ガイドブック1990』日刊自動車新聞社

関連書籍

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  • 『自動車アーカイヴVol.3』-'60年代のイギリス車編-別冊CG-二玄社
  • 『自動車アーカイヴVol.7』-'70年代のイギリス車編-別冊CG-二玄社
  • 『GTroman』-西風 (漫画家) 集英社-第1巻に登場。

外部リンク

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関連項目

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