はけ
はけ(またはハッケ、バケ、バッケ、ハゲ等)は、丘陵・山地の片岸[1][2]、すなわち崖地形を指す地形名である。特定の場所を指す地名として固有名詞化している例も多く[2]、とくに武蔵野地域に多いとされる[3]。一方標準語において不特定の崖を「はけ」と呼ぶことは稀で、普通名詞としては「方言または古語」などとして扱われる。
なお、類語として「まま」や「のげ」、「はば」、「岨」等の字を当てる「そわ」「そば」[4]、「はけ」と同じ子音をもつ「ほき」「ほっき」等も、崖などの険阻な地形を表す方言・古語とされる[注 1]。
「はけ」という言葉
[編集]柳田國男は 著書『地名の研究』において、『茨城方言集覧』に「ばっけ」を「山岡などの直立せる崖」としている例などを引きつつ、「ハッケまたはハケは東国一般に岡の端の部分を表示する普通名詞である[5]」と定義した。
同書によれば、奥州征討の旅程を記した『吾妻鏡』の次の一節などが文献上最も古い使用例だという[5]。
さらに同書では、吉田東伍『大日本地名辞書』経由の孫引きとして大槻文彦『北海道風土記』に「国後島の大八卦、一名ノポリパッケ、島中第一の高山なり」とある旨を引用し、また永田方正『北海道蝦夷語地名解』に地名に含まれる「パケ」を「端」の意としている2例を引き、「偶然かも知れぬが」とことわりつつ、この語がアイヌ語由来である可能性を示唆している[5]。
実際の地名は必ずしも“東国”にかぎらず、西は九州にまで及んでいる。また「ハッケ」「ハケ」のほか「バッケ」「バケ」等の音でも表れ、多種多様な漢字が当てられる(→ #地名・町丁名)。「八景」「八慶」等の字をあてて「ハッケイ」と読まれるようになってしまった例もある。また「ハゲ」も同類であるという[6]。
これらの呼称は一般に河岸段丘の崖線・崖面や山地の崖そのものを指すほか、とくに「ハッケ」「ハケ」は「崖上の地域」「崖上の集落」を指すことも多く、そうした地名の例は全国各地に多数見られる。これに対して「峡田」「羽毛田」などと書いて「ハケタ」と読む呼称が、「ハケ下」「ハケの下」などとともに、「崖下の地域」には多く用いられている。
ただし東京都下の国分寺崖線周辺等では、「はけ」は崖線そのものではなく、崖線のところどころに刻み込まれた「斧でV字状に彫刻したような“ノッチ”(小裂け目)」を意味していたという[7][8][9]。 この語が広く知られるきっかけとなった恋愛小説『武蔵野夫人』(大岡昇平、1950(昭和25)年)では、主人公は「はけの家」に住み、国分寺崖線の周辺を舞台として話が展開するが、冒頭近くにおいて次のように解説されている。
どうやら「はけ」はすなわち、「峡(はけ)」にほかならず、(中略)道に流れ出る水を遡って斜面深くに喰い込んだ、一つの窪地を指すものらしい。
以上をまとめると、この言葉には ①崖を指す、②崖上の一帯を指す、③崖下の湧水窪地を指す、など多様な用法があった、ということになる。もちろん全国すべての地域ですべての用法があったと確認できるものではなく、地域ごとに意味の分化・方言化が進んでいた可能性は想定できる。
鈴木健によれば縄文時代に起源をもつ古い語彙であるという[10]。
地名・町丁名
[編集]「ハケ」およびその類音を含む地名は、旧地名や通称地名も含めれば全国に無数といってよいほど存在するが、一例を下に挙げる。多くの場所は崖地や河岸段丘等の近傍だが、なかにはほとんど高低差を感じられないような場所もある。他の語源によるものでないことが証明されているわけではない。
なお、以下に示す地名において「ハケ」等を含む箇所の多くは小字(こあざ。伝統的な地名の最小区分)に該当する小地名であるが、現在では小字が廃止されていたり、地番のみで到達できるため小字はほぼ無用となっているなどで、失われた地名となってしまっているケースも多い(詳細については小字を参照)。
- 青森県
- 岩手県
- 秋田県
- 山形県
- 福島県
- 茨城県
- 群馬県
- 埼玉県
県南の一部地域では、崖・崖線地形があるとも見えないなだらかな丘陵地帯に「ハケ」(〜バケ)の名が多く見られる。また、「𡋽」「坫」「岾」「屼」「山へんに爪(以下"◆"と表記)[注 6]」等の造字をあてているのも大きな特徴である。これらの字はいずれも稀少地名漢字などと通称されるもので、他で見ることはまずない。
- 川越市大字寺尾字𡋽(はけ) / 大字新宿字𡋽上・𡋽下 / 大字下赤坂字大𡋽(おおばけ)[11]
- 狭山市大字堀兼字𡋽下[11][注 7]
- 川越市大字砂久保字小坫(小岾)(こばけ)[11]
- 所沢市大字坂之下字岾(はけ) / 大字南永井字大岾(おおはけ)[11]
- 入間市大字宮寺字岾上 / 岾下 / 上岾下(かみはけした)[11]
- 所沢市大字北秋津字屼山(はけやま) / 同屼西久保 / 大字上安松字向屼(むこうはけ)[11]
- 赤ばっけ(所沢市 東所沢和田) - 柳瀬川沿いの崖地で、もとは赤土が露出していたとされる。旧地名は「所沢市大字下安松字赤◆[注 6]」[11]。通称地名としての「赤ばっけ」は今も使われることがある。
- ようばけ(秩父郡小鹿野町) - 赤平川沿いに地層が露出した崖で天然記念物に指定されている。
- ハケの坂(朝霞市浜崎) - 崖面を斜めに上る、なだらかで長い坂道。宅地化以前には坂上の眺望地に古墳があり、峡山(はけやま)古墳と呼ばれていた。
- 東京都
- 峡田領(はけたりょう) - 『新編武蔵風土記稿』等に見える広域管轄名で、その名の示すとおり荒川に沿った崖線下の農村地帯を中心として、現在の荒川区周辺および板橋区周辺の2地域に分かれて存在した。「峡田」の名は荒川区立の小学校名等に遺る。
- 北豊島郡滝野川村大字田端字峡附(はけつき)[5] - 旧地名。田端駅至近の崖面を中心とした一帯で、現在の北区東田端の一部にあたる[注 8]。なお、この崖は上野から赤羽まで直線状に連なる巨大な「日暮里崖線」の一部である。
- 八景坂(はっけいざか、大田区山王) - 大森駅西の坂道(池上通り)を指す通称地名。武蔵野台地と東の海岸低地が接する崖線にかかる位置にあり、広重の名所絵に見えるとおり、古くより崖の上下を結ぶ主要な坂道であった。なお、八景坂の名はいわゆる八景物に関連づけられることが多いが、「どう考えてみても八景一覧の地とは思われ」ず、この名はハッケまたはハケに対する「上品な当て字」であると柳田は指摘している[5]。
- 化坂(ばけざか、目黒区八雲) - 呑川駒沢支流の西岸にあたる坂道。
- バッケの坂(新宿区中落合〜中井)- 妙正寺川沿いの坂道で、現地標識に「この地域の斜面は古くからバッケと呼ばれており、この坂は坂下のバッケが原への近道であったため、バッケの坂と呼ばれていた」とある。
- 北多摩郡調布町大字布田小島分字波毛(はけ)[5][注 9] - 旧地名、現在の調布駅南西方の崖線上にあった集落名。
- 北多摩郡谷保村大字谷保字岨ノ下(はけのした)[5] - 旧地名、現在の中央道国立府中インターチェンジ西方。なお、ここから1kmほど西方の青柳崖線(立川崖線系に属する一崖線)下には「ママ下湧水」と呼ばれる湧水があり、同じ河岸段丘が「はけ」「まま」2つの名で呼ばれてきたことがうかがわれる[注 10]。
- 清瀬市大字清戸下宿字屼(はけ)[12] - 旧地名。現在のUR清瀬旭が丘団地のある崖線上の一帯[注 11]。所沢市内の屼山や赤◆[注 6]等(前述)と同じ柳瀬川沿いの一地域。
- 西多摩郡日の出町三吉野欠上 / 欠下(はけうえ / はけした) - 平井川南岸側河岸段丘の上と下。
- 赤禿(あかっぱげ、伊豆大島) - 赤みを帯びた溶岩でできたスコリア丘の残骸で、高さ20m超の海崖となっている。
- 神奈川県
以下はいずれも相模川の河岸段丘に関連している。
- 新潟県
- 長野県
- 高知県
- その他の県
はけ道
[編集]河岸段丘の崖下には水が湧くことが多く、湧水地周辺の崖上・崖下には古くから集落が発達した。後に稲作が行われるようになると湧水下の低地面は水田として利用された。
崖線沿いに多数あった集落をたがいに結ぶ生活道路は「はけ道」などと呼ばれる。現在では住宅街の中の一道路にしか見えないものが多いが、以下のように固有の名で呼ばれているものもある。
- 多摩川の河岸段丘に沿ったはけ道
- はけの道(東京都小金井市) - 小説『武蔵野夫人』(前述)によって戦後有名になった国分寺崖線下の道。本ページ冒頭の画像を参照。小金井市により整備が進められており、はけの森美術館などがある。近辺では崖線の上下にわたり縄文時代からの遺跡が多数発掘されている[15]。
- 御滝道・ハケタ道(東京都府中市)- 筏(いかだ)師が多摩川下流に筏を届けたあと上流方面へ帰るのに使った陸路を総じて「筏道」と呼び、河岸段丘上の台地を通る品川道を中心にいくつかの経路があったが、府中市内で立川崖線(府中崖線)の崖上を縫う道は、崖下の湧水地に建つ「瀧神社」にちなみ「御滝道」と呼ばれた[16]。また、同崖線下の低地にあたる府中市押立町のあたりでは「ハケタ道」と呼んだという[16]。
- 羽毛下通り(はけしたどおり、東京都調布市) - 立川崖線の最東部に位置し、崖下に沿って延びる道。宅地化が進んでおり崖として残っている箇所は少ないが、場所によっては高さ2〜3m程度の擁壁を見ることができる。
- その他
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ただし全てが完全に同じ意味というわけではない。たとえば「岨」は、川や湖等の水面に面してそびえる崖にのみ使われる語彙である。
- ^ 現在の盛岡市厨川(くりやがわ)。
- ^ 人名と推定される。一説に「郎」の書き落としとも。
- ^ a b 盛岡市雫石町八卦に比定し、「家」の字を補って「八卦の家」などとも訳されるが、柳田は「この頃の武家が諸処のハケを求めてこれを住宅としたと仮定すれば、その邸を直接に波気と呼んだと見ても不自然ではない」としている[5]。なお、雫石町八卦は南方を流れる雫石川に沿う河岸段丘上の地域であり、すぐ南で高さ10〜15mほどの崖を見下ろす形になっている。
- ^ 「景勝ポイントが8つある」ことによる命名とされているが、具体的な地点や名称については諸説あり判然としない。地形としては歴然たる崖線地形であり、元来「黒岩ハケ」と呼ばれていたとしても何ら不思議ではない。
- ^ a b c やむを得ず「◆」で代用したが、漢字1字(山へんに爪)である。この字はUnicode上に定義のない稀少国字であり、PCやスマホでは画像以外の方法で表示することができない。
- ^ なお、同地にあるバス停は表記が「赫下」となっている。
- ^ また、やや上中里駅寄りには 大字中里字峡下 / 東峡上 / 西峡上 もあった。
- ^ 柳田は「峡上」として言及しているが、当時の地形図によれば「波毛」である。
- ^ もちろん同時期に両方の呼称で呼ばれていた保証はない。したがって「片方の名が廃れてのちもう一方の名が使われるようになった」といった可能性はある。
- ^ なお、区域内に架かる跨道橋は字体の異なる「岲橋」(はけばし)である。
- ^ 伝承によれば八景物にちなんだ命名とされている[14]が、「っ」の脱落や「水谷」という用字・読みは不自然。東京の「八景坂」同様、後づけで意味を求めたいわゆる民間語源の一種とみられる。今尾恵介によればこの「ハケ」は「崖下の湧水地」の意という[6]。
出典
[編集]- ^ 『広辞苑 第七版』「はけ」岩波書店。
- ^ a b 『精選版 日本国語大辞典』「はけ」小学館。
- ^ 山口、139ページ。
- ^ デジタル大辞泉『岨』 - コトバンク、2012年9月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 柳田 303ページ(地名考説 42 八景坂)
- ^ a b c 今尾、61ページ。
- ^ 「「ハケ」は、「ガケ」ではない。まして「崖線」ではない」 コレジオ、2023年1月9日閲覧。
- ^ 小金井市史Ⅴ、19ページ。
- ^ 田中、160ページ。
- ^ 『縄文語の発掘』[要ページ番号]
- ^ a b c d e f g h 稀少地名漢字リスト「埼玉県」、2013年1月13日閲覧。
- ^ 稀少地名漢字リスト「東京都」。
- ^ a b このまちアーカイブス「神奈川県 相模原」 三井住友トラスト不動産、2013年1月21日閲覧。
- ^ 八景水谷公園 2022年12月27日閲覧。
- ^ まろん通信「小金井は縄文遺跡が多く有名です」 小金井市観光まちおこし協会、2023年1月16日閲覧。
- ^ a b こども府中はかせ12「府中の道」 府中市立図書館、2022年12月29日閲覧。
- ^ 「フィールドミュージアムガイド 赤塚公園」 赤塚公園サービスセンター、2023年1月29日閲覧。
参考文献
[編集]- 柳田國男『地名の研究』 中央公論新社、2017年4月6日、ISBN 978-4-12-160173-5。
- 山口恵一郎『地名を考える』 NHKブックス、日本放送出版協会、1977年5月。
- 今尾恵介『地名の社会学』 角川選書、角川書店、2015年6月。
- 大岡昇平『武蔵野夫人』 新潮文庫、新潮社、1953年6月。ISBN 4101065020
- 鈴木健『縄文語の発掘』 新読書社、2000年2月22日、ISBN 978-4-7880-9016-3。
- 田中正大『東京の公園と原地形』 けやき出版、2005年。
- 『小金井市史Ⅴ 地名編』 小金井市、1978年。