かつら枝代
かつら 枝代(かつら しよ、1946年(昭和21年)[1] - )は、上方落語の三味線囃子方。本名は前田(旧姓・前山)志代子。2代目桂枝雀の夫人。愛称は「しよちゃん」。和歌山県日高郡南部川村(現・みなべ町)出身[1]。落語家の桂りょうばは長男、ミュージシャンのCUTTは次男。
来歴
[編集]桶屋を営む家庭に7人きょうだいの4番目として生まれる[1]。父親は浪曲好きで自身も愛好するようになり、1961年に中学校を卒業すると大阪の浪曲師の元で住み込み修業をした[1]。しかし本業は薬局という浪曲師の元で店の手伝いをさせられ、病を得て2年で帰郷した[2]。
1964年に女性浪曲漫才トリオ「ジョウサンズ」のメインを務める日吉川秋水嬢に入門し、師匠の身の回りの世話の傍らアコーディオンを習う[2]。翌1965年(昭和40年)に「ジョウサンズ」に日吉川良子の名でアコーディオン担当として参加する[2]。これは脱退した日吉川スミ子の穴埋めであった。
1970年(昭和45年)10月に2代目桂枝雀(当時:桂小米)と結婚する[3]。出会ってから約1年あまりでの結婚だった[3]。結婚後も「ジョウサンズ」の活動を続けたが、懐妊が判明したため、1971年(昭和46年)8月に引退[4]、1972年に長男を出産する[5]。
家庭に入ってから、寄席三味線の池中スエに寄席三味線を習う、スエの没後は桑原ふみ子に師事、夫・枝雀の連れ下座としてお囃子に専念する。結婚に際して枝雀から「私の奥さんにはならなくてもいいから、噺家の奥さんになってくれ」と言われ、三味線を習ったのはそれが理由だった[6]。
枝雀死後も米朝一門の立三味線としてお囃子中心に活動したが、2000年(平成12年)7月8日の桂米團治独演会を最後に、第一線を退いた。
脚注
[編集]- ^ a b c d 上田、2003年、pp.69
- ^ a b c 上田、2003年、pp.70 - 72
- ^ a b 上田、2003年、pp.72 - 74
- ^ 上田、2003年、p.76
- ^ 上田、2003年、pp.83 - 84
- ^ 上田、2003年、p.77、181
参考文献
[編集]- 上田文世『笑わせて笑わせて桂枝雀』淡交社、2003年。ISBN 4-473-01989-6。