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い号券

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

い号券(いごうけん)は、日本銀行券紙幣、お札)の種類の一つ。券種は、い百円券い十円券い五円券い一円券い十銭券い五銭券の6種である。

このシリーズから、題号は単に「日本銀行券」となり、不換紙幣として発行されるようになった。ただし、い五円券のみ題号は日本銀行兌換券兌換)となっているが、これも事実上の不換紙幣である。

当時の様式符号は、単純に額面金額ごとの発行順(計画されていたが未発行の券種を含む)に符号が付与されていたため、同じ様式符号であっても近い時期の発行とは限らない。

い百円券は乙号券、い十円券は丙号券、い五円券は丁号券、い一円券は改造券の後継として発行され、い百円券・い十円券・い五円券についてはろ号券、い一円券・い十銭券・い五銭券についてはA号券が後継として発行された。

い号券は全券種発行が停止されているが、い一円券のみが現在も法的には有効である。

い号券の一覧

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い号券の一覧
券種 表面 裏面 発行開始日 支払停止日・失効日 備考
い百円券
聖徳太子法隆寺夢殿

法隆寺西院伽藍全景
1944年(昭和19年)3月20日 日本銀行券預入令により1946年(昭和21年)3月2日限りで失効 通称は「2次100円」。
新円切替の際、証紙を貼付して新円の代用とする措置が取られ、これは1946年(昭和21年)10月31日限りで失効。
い十円券
和気清麻呂

護王神社本殿
1943年(昭和18年)12月15日 日本銀行券預入令により1946年(昭和21年)3月2日限りで失効 発行当初は記番号黒色で通し番号あり、通称「2次10円」。
1944年(昭和19年)11月20日より記号赤色で通し番号なしのものが発行開始、通称「3次10円」。
透かしの仕様変更により2次10円2タイプ、3次10円3タイプあり。
新円切替の際、証紙を貼付して新円の代用とする措置が取られ、これは1946年(昭和21年)10月31日限りで失効。
い五円券
菅原道真北野天満宮

彩紋
1942年(昭和17年)1月6日 日本銀行券預入令により1946年(昭和21年)3月2日限りで失効 題号は「日本銀行兌換券」だが、事実上の不換紙幣
通称は「2次5円」。
い一円券
武内宿禰

宇倍神社拝殿
1943年(昭和18年)12月15日 1958年(昭和33年)10月1日支払停止 通称は「中央武内1円」。
発行当初は通し番号あり。
1944年(昭和19年)11月20日より通し番号なしのものが発行開始。
現在でも法的には有効。
い十銭券
八紘一宇塔

彩紋
1944年(昭和19年)11月1日 小額通貨整理法により1953年(昭和28年)末限りで失効 通称は「八紘一宇10銭」。
い五銭券
楠木正成

彩紋
1944年(昭和19年)11月1日 小額通貨整理法により1953年(昭和28年)末限りで失効 通称は「楠公5銭」。

未発行券種

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い号券の一覧 (未発行)
券種 表面 裏面 発行企画・製造等時期 備考
い千円券
日本武尊建部神社本殿

彩紋
1945年(昭和20年)11月製造 (※画像は流用元の甲千円券)
敗戦を想定して企画され、緊急時の紙幣需要に対応するために製造されたが、余りにも作りが貧弱なため発行中止。
デザインは甲千円券の流用・一部改変。
い五百円券
武内宿禰

彩紋
1945年(昭和20年)11月 - 1946年(昭和21年)2月製造 敗戦を想定して企画され、緊急時の紙幣需要に対応するために製造されたが、余りにも作りが貧弱なため発行中止。

※を付けた画像は、本来の画像がないため代わりに暫定的に流用元や流用先等の類似の紙幣の画像を用いているものである。