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パスパ文字

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パスパ文字
パスパ文字モンゴル語による牌子(パイズ)
類型: アブギダ
言語: モンゴル語中国語チベット語テュルク語サンスクリット
発明者: パクパ (Drogön Chögyal Phagpa)
時期: 1269年-1368年
親の文字体系:
Unicode範囲: U+A840–U+A87F
ISO 15924 コード: Phag
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パスパ文字(パスパもじ、八思巴文字、モンゴル語: дөрвөлжин үсэгdörvöljin üseg、〔モンゴル文字ᠳᠥᠷᠪᠡᠯᠵᠢᠨ
ᠦᠰᠦᠭ
〕 「方形文字」、チベット語: ཧོར་ཡིག་གསར་པ་、hor yig gsar pa 「モンゴル新字」、中国語:蒙古新字 Měnggǔ xīnzì、八思巴字 Bāsībā zì)は、13世紀モンゴル語など、大元ウルス(元朝)の各種言語表記に用いるために制定された表音文字。上から下へと縦に綴る。パクパ文字方形文字(ほうけいもじ)とも呼ばれる。

パスパ文字は発明から100年間ほどしか使われなかったが、チベットでは1642年に発足したガンデンポタン政権のもとで、ダライ・ラマチベットハルハオイラトなどの諸国のモンゴル人王公たちに称号を授与する際、印章に称号を刻むための文字として採用された[1]

歴史

創成とモンゴル帝国大元ウルスにおける使用

パスパ文字で書かれた元朝の勅令。
左→右へ読まれる。
漢字・パスパ文字の韻書蒙古字韻』(1307年)の写本

モンゴル帝国の大元ウルスで国師であったチベット仏教ラマパスパ(パクパ)が、クビライ・ハーンの命を受けて、大元ウルス下の全ての言語を表記するための共用国字として作成した。

従来、モンゴル語表記に使用していたウイグル文字(ウイグル式モンゴル文字)は、モンゴル語の音を全て表記するためには不完全であり、大元ウルスが支配下に置いた地域で広く用いられている中国語のような全く異なった音韻体系を持つ言語に使用を広げるのは非実用的であった。また、元より先に華北に存在したも独自の文字を持っていた[2]。このため、元のクビライは、大元ウルス全体で使用するための新しい文字の設計をパスパに命じた。パスパは、叔父のサキャ・パンディタが考案した文字を元に[2]、モンゴル語や中国語などを包含するようにチベット文字悉曇文字や現行のデーヴァナーガリーと同じくブラフミー文字の系列)を拡張した。1269年至元6年)3月、パスパが作成した文字は元の国字として公布された[3]。パスパの没後、テムルカイシャンの時代、軟母音、後置字、再置字などのパスパ文字の細部の仕上げがされた[2]

この成果としての38字は、その形状に基づき「方形文字」などとも呼ばれるが、今日一般的には「パスパ文字」として知られている。元朝時代にはパスパ文字は、「蒙古字」ないし「蒙古新字」と称されていた。

字体の起源が、横書きのチベット文字にあるにもかかわらず、以前のウイグル文字や漢字と同様に縦書きであり、かつウイグル文字と同じく左から右へ書かれる。朝の公的文書や碑文には、中国語をパスパ文字で表記したものも残されているが、全て漢字併記の形として書かれている。縦書きで漢字との併記になじみやすいという利点もあるが、声調を区別できない表記法であるため、意味の誤解を生みやすく、単独での使用には堪えなかったためである。しかし、モンゴル人などが漢字を学習する場合には、およその読みが分かって効率を高める働きがあった。また、通常の楷書体の他に、画数を増大させた篆書体も存在し、印章などにも使用されていた。

17世紀のチベット仏教圏における使用の復活

17世紀、モンゴル系のオイラトの支援で成立したチベットダライ・ラマ政権(1642年 - 1959年)のもとで、パスパ文字は印章の印面を刻むための字体の一種として大々的に復活をとげ、ダライ・ラマ自身の印章や、ダライ・ラマがチベットハルハオイラトの王公、貴族たちにハンホンタイジジノンタイジなどの称号を授与する際に送られる印章を刻むのに使用された[4]

現代に出版されたチベット文字の各種字体の学習帳にも「新ホル文字(hor yig gsar pa)」として収録されている[5]

用途

パスパ文字表記での「ウィキ

1269年(至元6年)の制定以降、皇帝聖旨などの中央から発給されるモンゴル語の命令文書や碑文、印章、牌子(パイズ)、貨幣(大元通宝至元通宝至正通宝)などに使用され[2]、それらの遺物も多い。また、モンゴル語以外にトルコ語を音写したケースも存在する[6]。近年、元朝時代にパスパ文字で書かれたモンゴル語による皇帝聖旨などの命令文書やそれを刻した碑文が大量に発見されており、それらはパスパ文字モンゴル語文と漢字文の合璧碑文や、中には伝統的な漢字の文語文にパスパ文字による音写を並記したものも存在する[7]曲阜孔廟には、1307年に納められたパスパ文字と漢文を併記した碑文が現存する[8]

現存しないが、『孝経』や『資治通鑑』、『貞観政要』などの漢籍類も武宗カイシャンなどの命によってパスパ文字モンゴル語訳がされて、それらが印刷されたことが史書に記録されている(ウイグル文字のものではあるが、モンゴル語訳『孝経』は現存する)。漢字の注音にパスパ文字を用いた現存資料としては字書・韻書『蒙古字韻』(1307年)があり、類書『事林広記』の元代刊本では「百家姓」の項目に漢人の姓のそれぞれの音に対応するパスパ文字が並記されている。近年の文書研究では公文書の書式例文に官僚たちが押した署名や印章にパスパ文字が用いられた形跡が確認されており、14世紀には華北から華南一帯ではパスパ文字が広く受容されていたことが推測されている[要出典]

しかし、幾何学的なパスパ文字は早書きに適していないために普及せず、一般には便利なウイグル文字が使用されることが多かったと考えられている[2][9]。その後、1368年、元朝が朝の攻撃を受けて北走すると、幅広く認められないままに急速に使われなくなった、と考えられていた。

しかし近年の調査で、北元以降もモンゴル高原周辺のモンゴル王侯や仏教寺院において、印章や門扉の祈願文などに篆書体のパスパ文字が近代になるまで、使用例は減少していたものの使い続けられていたことが判明している。

17世紀に入り、オイラトの支援でチベットダライ・ラマの政権ガンデンポタンが発足すると、ダライラマがチベットやハルハ、オイラトの諸国の王公・貴族たちに授与する称号を印章に刻むための文字として、ふたたび広く使用されるようになった。現代チベットではパスパ文字は「蒙古文字」と呼ばれ、印章や装飾文字に使用されることがある[2]

元代に著された膨大な文書資料は、当時の漢字音である近古音を記録している歴史資料として価値があり、羅常培蔡美彪などの現代の言語学者により、中国及び他のアジアの言語変化に関する手がかりとして研究されている。

ハングルとの関係

パスパ文字とハングルの比較

朝鮮の歴史やハングルの研究で知られ、コロンビア大学名誉教授であるガリ・レッドヤード英語版は論文で、ハングルは元朝のパスパ文字を参考にして考案されたという説を唱えている。

レッドヤードの主張の根拠のひとつは、『訓民正音』にあるハングルの字形についての「象形而字倣古篆(形を象りて、字は古篆に倣ふ)」という記述である。伝統的には、この記述にある「古篆」は「古い篆書体」の意だとされるが、レッドヤードはこの「古篆」は当時「蒙古篆字」の名で知られていたパスパ文字を指すとしている。レッドヤードはまた、ハングルの字母にパスパ文字と字体が似ているものがいくつかあり、いくつかの合成字母についても作り方がパスパ文字に似ていることを指摘している。

パスパ文字をハングルの基礎だとする見解は、レッドヤード以外の研究者からも出されている[10][11]。 この説の通りだとすると、ブラーフミー文字を起源とするパスパ文字もすべてフェニキア文字を大源とし、ハングルも含め、主要な言語のアルファベット、音素文字体型はフェニキア文字に繋げることができる。

Unicode

パスパ文字に用いるUnicodeは、バージョン5.0以降で、U+A840 から U+A87F である。文字のほか、記号等を含む56字が割り当てられている。

U+ 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 A B C D E F
A840
A850
A860
A870

脚注

  1. ^ Schuh,Dieter,Grundlagen tibetischer Siegelkunde:Eine Untersuchung über tibetische Siegelaufuschriften in 'Phags-pa-Schrift,Sankt Augustin:WGH Wissenschafsverlag,1981.
  2. ^ a b c d e f 藤枝「パスパ文字」『アジア歴史事典』7巻、372-373頁
  3. ^ C.M.ドーソン『モンゴル帝国史』3巻(佐口透訳注、東洋文庫平凡社、1974年6月)、39-40頁
  4. ^ 中野美代子『沙漠に埋もれた文字:パスパ文字のはなし』ちくま学芸文庫,1994。ISBN4-08165-8,pp.50-69,211-217。石濱裕美子『チベット仏教世界の歴史的研究』東方書店,2001。pp.107-142
  5. ^ go ba dbyig, hri zhod lis,GANGS CAN MKHAS PA'I PHYAG BRIS SNA TSHOGS PHYOGS BSDUS RIN CHAN PHRANG BA/, kan su'u mi rigs dpe skurn khang,1990,ISBN75421-0048-3。pp.168-170。
  6. ^ 北川、杉山『大モンゴルの時代』、180頁
  7. ^ 北川、杉山『大モンゴルの時代』、179-180頁
  8. ^ 北川、杉山『大モンゴルの時代』、179頁
  9. ^ 佐藤長「パクパ」『世界伝記大事典 世界編』7巻(桑原武夫編, ほるぷ出版, 1978年 - 1981年)、296-297頁
  10. ^ 正木晃『裸形のチベット チベットの宗教・政治・外交の歴史』、37-38頁
  11. ^ 岡田英弘『皇帝たちの中国』、第3章 ISBN 978-4562031481

参考文献

関連項目

外部リンク

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