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ACミラン

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ACミラン
原語表記 Associazione Calcio Milan s.p.a
愛称 Rossoneri
クラブカラー 赤と黒
創設年 1899年
所属リーグ レガ・カルチョ
所属ディビジョン セリエA
ホームタウン ミラノ
ホームスタジアム サン・シーロ
収容人数 85,847
代表者 (空位)[1]
監督 イタリアの旗 マッシミリアーノ・アッレグリ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

ACミランAssociazione Calcio Milan s.p.a)は、イタリアミラノを本拠地とするサッカークラブチーム。

概要

クラブカラーからロッソ・ネロイタリア語で「赤と黒」、複数形でロッソ・ネリとも)またはディアボロ(イタリア語で「悪魔」)の愛称で呼ばれる。サポーターのことをミラニスタという。

同じ街の同じスタジアムを本拠地とするインテルとは永遠のライバル関係にあり、ミラノダービーと呼ばれる対戦は街を二分する盛り上がりを見せる。インテルのファンがブルジョワ階級と呼ばれる富裕層であるのと比較して、ACミランのファン層は労働者階級を中心であるとされていたが、現在では特別に隔たった支持層は無く、お互いに広い層から支持を集めている。

UEFAチャンピオンズリーグでは過去7度の優勝を果たしており、これはレアル・マドリードの9度に次ぐ歴代2位の記録である。また、この記録はイタリア国内でUEFAチャンピオンズリーグを制覇した経験のある他の2チームの記録(インテルは3度、ユヴェントスは2度)を大きく引き離している。なお、チャンピオンズリーグで5度の優勝、或いは3連覇を達成したクラブにはビッグイヤー(優勝杯)の永久保持が認められているが、同時にビッグイヤーのロゴと優勝回数が書かれたワッペンがユニフォーム左袖につけられることが許される。このワッペンをつけているのはACミランの他に、レアル・マドリードリヴァプールFCアヤックス・アムステルダムバイエルン・ミュンヘンの4クラブのみである。

歴史

スクデットを祝うミラノのドゥオーモ
ファイル:Milan - Chievo 04-2006 1.jpg
ミランのサポーター
ファイル:San Siro3.JPG
スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ

1899年12月16日にミラノ在住のイギリス人アルフレッド・エドワーズが中心となって、「ミラン・クリケット・アンド・フットボール・クラブ」(Milan Cricket and Football Club)を創設し、その後上記の通り「ミラン・アッソチアツィオーネ・カルチョ」と名称は変更されたがMilanだけは英語のまま残った。(イタリア語ではMilanoである)。クラブ名のうちアッソチアツィオーネAssociazioneは英語のAssociationつまり協会ではなく、法人という意味で、Associazione Calcioはサッカー法人となる。つまり全体では「ミランサッカー法人」が正しい訳語となる。Milanが英語であるため、ACの部分がAthletic Clubだと誤解される場合が多い。

低迷期

1979-80シーズンのホームでのラツィオ戦が八百長の疑いで調査が行われ、セリエBへ降格処分となった。当時クラブ会長であったフェリーチェ・コロンボは永久追放となった。この処分により1980-81シーズンはセリエBでのシーズンとなったが、優勝して1年でセリエAに復帰した。しかし、セリエAに復帰した翌1981-82シーズンはわずか7勝という成績で再びセリエBへ降格となった。 再びセリエBでプレーすることとなったが、1982-83シーズンは優勝してまたも1年でセリエAに復帰した。

ベルルスコーニの登場

その後、後にイタリア首相を務めるシルヴィオ・ベルルスコーニが1986年にクラブを買収して会長に就任した。ベルルスコーニは有力選手を大補強し、クラブを立て直した。当時はほぼ無名だったが、後にこのチームでサッカーに革命を起こすことになるアリゴ・サッキパルマから監督として招き入れた。そして、ベルルスコーニが会長に就任して2シーズン目、サッキが指揮を執って1シーズン目の1987-88シーズンには2敗という成績でスクデットを獲得した。また、ベルルスコーニは1987年には当時の史上最高額移籍金でルート・フリットPSVから獲得、マルコ・ファン・バステンアヤックスから獲得し、1988年にはフランク・ライカールトサラゴサから獲得した。

黄金期

サッキが採用した高い位置でプレッシャーをかけてボールを奪うというプレッシングサッカー戦術とキャプテンのフランコ・バレージや、ルート・フリットマルコ・ファン・バステンフランク・ライカールトオランダトリオなどの選手の活躍もあり、1988-1989シーズン、1989-1990シーズンにかけてUEFAチャンピオンズカップを2連覇した。1990-1991年のUEFAチャンピオンズカップ準々決勝のオリンピック・マルセイユ戦で、マルセイユが1-0でリードしていた88分にスタジアムの照明が消灯し、照明復帰後もACミランが試合の続行を拒否したため没収試合となった。この結果ACミランは1年間ヨーロッパの大会から締め出されることとなった。

1990年代になると、バレージの他にもパオロ・マルディーニアレッサンドロ・コスタクルタデメトリオ・アルベルティーニの3人が中心になり、1991年から監督となったファビオ・カペッロのもとで、無敗優勝を含む1991-1992シーズンから1993-1994シーズンにかけてのセリエA3連覇や1992-1993シーズンから1994-1995シーズンにかけてのUEFAチャンピオンズリーグ3季連続決勝進出(1993-1994シーズンは優勝)などの成績を残し、「グランデ・ミラン」(偉大なミラン)や「リ・インヴィンチービリ」(無敵のミラン)と呼ばれる黄金期を築いた。バレージを含めたこの4人は、ミラン栄光のバンディエラ(イタリア語で「旗印」の意。そのクラブで長くキャリアを送ったシンボル的なプレーヤーを指す)ともいわれる。

最強神話崩壊と過渡期

ファビオ・カペッロレアル・マドリードへ去ると、1996-1997シーズンは優勝争いから脱落し、その責任を取るかたちでオスカル・ワシントン・タバレスが解任され、かつて栄光を築いたアリゴ・サッキが監督に復帰したものの低迷から抜け出せなかった。1997-1998シーズンには1年でレアル・マドリードの監督を解任されたカペッロを連れ戻すが、大きな効果は得られなかった。1998-1999シーズンは、監督にウディネーゼで旋風を起こしたアルベルト・ザッケローニを招聘し、1997-1998シーズンのセリエA得点王であるオリバー・ビアホフトーマス・ヘルヴェグを獲得。序盤こそ苦戦していたが、終盤に勝ち点でSSラツィオを逆転して悲願のスクデットを獲得した。しかし、その後は1999年夏の移籍市場でアンドリー・シェフチェンコの獲得に成功した以外は目立った出来事はなく、2000-2001シーズン途中でザッケローニは解任された。

アンチェロッティ監督時代

2001-2002シーズンも中位に低迷していたが、シーズン途中でカルロ・アンチェロッティが監督に就任し、セリエAを4位で終えてUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得(予備予選からの出場)に成功すると、ここから、アンドレア・ピルロレジスタへとコンバートしてボールポゼッションを高めるフットボールを展開し、90年代前半の「グランデ・ミラン」(偉大なミラン)を彷彿とさせる強さを発揮する。2002-2003シーズンには、UEFAチャンピオンズリーグ優勝とコッパ・イタリア優勝の2冠を達成。2003年夏の移籍市場ではカカカフーらを獲得し、シーズン開幕前にはUEFAスーパーカップを制覇。2003年12月のインターコンチネンタルカップでは南米代表のボカ・ジュニアーズにPK戦の末敗れたものの、最終的に2003-2004シーズンはセリエAで2位のASローマに勝ち点11の大差をつけてスクデットを獲得した。

しかし、2004-2005シーズンは開幕前にスーペルコッパ・イタリアーナを制したものの、シーズンはユヴェントスに国内の覇権を握られ、UEFAチャンピオンズリーグでは決勝戦でリヴァプールFCと対戦し、前半終了時点で3-0の大差をつけていたものの後半追いつかれ、最終的にPK戦の末敗れた(イスタンブールの悲劇)。2005-2006シーズンはUEFAチャンピオンズリーグでベスト4まで勝ち進むも準決勝で同大会の優勝を果たしたFCバルセロナに敗れ、4季ぶりの無冠に終わっている。

2005-2006シーズン終了後に発覚したカルチョ・スキャンダルによって、「2005-2006シーズンのリーグ戦での勝ち点-44(事実上の2006-2007シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ出場権剥奪)」、「2006-2007シーズンのセリエAを勝ち点-15からの開始」という処分がイタリアサッカー協会のスポーツ裁判所によって下された。ミランは控訴し、控訴審では処分が軽減された。最終的に2005-2006シーズンの勝ち点は58となり、3位扱いとしてUEFAチャンピオンズリーグ出場が決まったほか、2006-2007シーズンのセリエAは勝ち点-8からの開始となった。

2006-2007シーズンでは、勝ち点-8というハンディキャップ以上に、チェルシーFCへ移籍したアンドリー・シェフチェンコの穴を埋めることが出来ずに苦しんだ。彼の穴を埋めるべく2007年1月、レアル・マドリードで出場機会を失っていたロナウドを完全移籍で獲得。ロナウド加入後チームのコンディションは徐々に上昇し、最終的にセリエAでは順位を4位にまで上げた。UEFAチャンピオンズリーグでは決勝戦でリヴァプールFCと対戦。試合はフィリッポ・インザーギが2ゴールを挙げる活躍によって勝利し、2年前のイスタンブールの悲劇の雪辱を果たして4年ぶり7度目となる優勝を勝ち取った。

2007-2008シーズンはシーズン開幕前にUEFAスーパーカップを制覇し、2007年12月にはFIFAクラブワールドカップ2007に出場。決勝戦で南米代表のボカ・ジュニアーズを破り欧州代表としては初の同大会優勝を成し遂げた。しかし、主力選手の高齢化、相次ぐ負傷に加えて、ここ数年の補強失敗のツケが重なり、UEFAチャンピオンズリーグでは決勝トーナメント一回戦でアーセナルFCに敗れてベスト16敗退。セリエAでも早々と優勝戦線から遠ざかり、後半戦は新加入のアレシャンドレ・パトの台頭もあって追い上げるも7年振りにUEFAチャンピオンズリーグ出場権をも逃し、UEFAカップ出場権を得るにとどまった。

この失敗を踏まえて、2008-2009シーズン開幕前にはアーセナルFCからマチュー・フラミニを、FCバルセロナからジャンルカ・ザンブロッタロナウジーニョを獲得し、また、チェルシーFCからシェフチェンコをレンタルで再び獲得。更に、2009年1月よりメジャーリーグサッカーロサンゼルス・ギャラクシーに所属するデビッド・ベッカムをシーズン終了(当初は同年3月9日)までの期限付き移籍で獲得した。だが、チーム全体(特にDF陣)の高齢化や大型のCFの不在といった問題は解消されず、そのうえ負傷者の続出にも悩まされセリエAではユヴェントスと同勝ち点の3位に終わり、優勝候補の大本命に挙げられたUEFAカップもヴェルダー・ブレーメンに敗れラウンド32で敗退した。シーズン終了後、主将のパオロ・マルディーニが現役を引退。また、2009年6月1日にアンチェロッティは監督を辞任した。

レオナルド監督時代

カルロ・アンチェロッティの退任後、後任監督にはかつてミランで活躍し、現役引退後はミランの副会長補佐を務めたレオナルドが就任。しかし、2009年6月9日、クラブは財政難からカカレアル・マドリードに放出した。これまでのチームを支えた立役者であったアンチェロッティ、パオロ・マルディーニ、カカが去ったことに加え、レオナルドの経験不足やチームの高齢化、また選手補強が上手くいかないこともあって2009年夏のプレシーズンマッチはことごとく敗北を喫し、2009-2010シーズン開幕後もしばらくは低迷が続くが、「4-2-ファンタジー」とも称される攻撃的な4-3-3の布陣に活路を見出すとこれまで低迷していたロナウジーニョアレシャンドレ・パトマルコ・ボリエッロFW陣が調子を上げ始め、また引退とも囁かれたアレッサンドロ・ネスタが新加入のチアゴ・シウバとのCBコンビでその全盛期を彷彿させる活躍を果たしたことでセリエAでは優勝争いを演じる。しかし、終盤には負傷者の続出に悩まされ調子を落とし、最終的な順位は3位に終わり、ベルルスコーニとの確執によってシーズン終了と共にレオナルドは監督を退任した。

アッレグリ監督時代

2010年6月にマッシミリアーノ・アッレグリが監督に就任、しかし緊縮財政の状況は変わらず補強はキエーヴォ・ヴェローナからマリオ・ジェペスジェノアCFCからソクラティス・パパスタソプーロスケヴィン=プリンス・ボアテングマルコ・アメリアを獲得するに留まる地味なものだったが、移籍市場が閉まる直前にFCバルセロナからズラタン・イブラヒモビッチマンチェスター・シティFCからはロビーニョを立て続けに獲得し、インテルとのスクデット争い候補に急浮上した。

ユニフォーム

ホームユニフォームは赤黒の縦じま。ただしUEFAチャンピオンズリーグインターコンチネンタルカップ等の決勝では上下白のセカンドを希望して着用することが多い。チャンピオンズリーグ7回の優勝のうち6回を白のセカンドユニフォームで勝ち取っている。また、選手支給スーツはドルチェ・ガッバーナから提供される。

胸スポンサー

  • オペル (1990年代)- ドイツの自動車メーカー。ユニフォーム表記は「OPEL」
  • オペル・ザフィーラ(1994~96頃)- オペル社の車名。ユニフォーム表記は「オペル社のロゴの下にZAFIRA」
  • Bwin (2000年頃~09-10シーズン)- オーストリアのオンラインサービス提供企業。ミランのユニフォームの代名詞でもあった。
  • エミレーツ航空(10-11シーズン~)- UAEアラブ首長国連邦の航空会社。契約金は5年総額約6000ユーロ[2]。ユニフォーム表記は「FIy Emirates」

タイトル

国内タイトル

1901, 1906, 1907, 1950-51, 1954-55, 1956-57, 1958-59, 1961-62, 1967-68, 1978-79, 1987-88, 1991-92, 1992-93, 1993-94, 1995-96, 1998-99, 2003-04,
1980-81, 1982-83
1966-67, 1971-72, 1972-73, 1976-77, 2002-03
1988, 1992, 1993, 1994, 2004

国際タイトル

2007
1969, 1989, 1990
1962-63, 1968-69, 1988-89, 1989-90, 1993-94, 2002-03, 2006-07
1967-68, 1972-73
1989, 1990, 1994, 2003, 2007
1951, 1956
1982

過去の成績

シーズン セリエA コッパ UEFACL EL
(旧UEFAカップ
CWC
(旧トヨタカップ
2009-2010 3位 38 20 10 8 60 39 ベスト8 ベスト16
2008-2009 3位 38 22 8 8 70 35 ベスト16 ベスト32
2007-2008 5位 38 18 10 10 66 38 ベスト16 ベスト16 優勝
2006-2007 4位 38 19 12 7 57 36 ベスト4 優勝
2005-2006 2位→3位[3] 38 28 4 6 81 31 ベスト8 ベスト4
2004-2005 2位 38 23 10 5 63 28 ベスト8 準優勝
2003-2004 1位 34 25 7 2 65 24 ベスト4 ベスト8 準優勝
2002-2003 3位 34 18 7 9 55 30 優勝 優勝
2001-2002 4位 34 14 13 7 47 33 ベスト4 ベスト4
2000-2001 6位 34 12 13 9 56 46 ベスト4 2次リーグ
1999-2000 3位 34 16 13 5 65 40 ベスト8 1次リーグ
1998-1999 1位 34 20 10 4 59 34 ベスト16
1997-1998 10位 34 11 11 12 37 43 準優勝
1996-1997 11位 34 11 10 13 43 45 ベスト8 グループリーグ
1995-1996 1位 34 21 10 3 60 24 ベスト8 ベスト8
1994-1995 4位 34 17 9 8 53 32 ベスト16 準優勝 準優勝
1993-1994 1位 34 19 12 3 36 15 ベスト32 優勝 準優勝
1992-1993 1位 34 18 14 2 65 32 ベスト4 準優勝
1991-1992 1位 34 22 12 0 74 21 ベスト4
1990-1991 2位 34 18 10 6 46 19 ベスト8 ベスト8 優勝
1989-1990 2位 34 22 5 7 56 27 準優勝 優勝 優勝
1988-1989 3位 34 16 14 4 61 25 ベスト16 優勝
1987-1988 1位 30 17 11 2 43 14 ベスト16 2回戦

現所属メンバー

2011年2月2日現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK イタリア マルコ・アメリア
4 MF オランダ マルク・ファン・ボメル
7 FW ブラジル アレシャンドレ・パト
8 MF イタリア ジェンナーロ・ガットゥーゾ副主将
9 FW イタリア フィリッポ・インザーギ
10 MF オランダ クラレンス・セードルフ
11 FW スウェーデン ズラタン・イブラヒモビッチ
13 DF イタリア アレッサンドロ・ネスタ
14 MF シエラレオネ ロドニー・ストラッサー
15 DF ギリシャ ソクラティス・パパスタソプーロス
16 MF フランス マチュー・フラミニ
17 DF イタリア マッシモ・オッド
18 DF チェコ マレク・ヤンクロフスキ
19 DF イタリア ジャンルカ・ザンブロッタ
20 MF イタリア イグナツィオ・アバテ
21 MF イタリア アンドレア・ピルロ  (第3主将)
No. Pos. 選手名
23 MF イタリア マッシモ・アンブロジーニ主将captain
25 DF イタリア ダニエレ・ボネーラ
27 MF ガーナ ケヴィン=プリンス・ボアテング
28 DF オランダ ウルビー・エマヌエルソン
30 GK イタリア フラヴィオ・ローマ
32 GK イタリア クリスティアン・アッビアーティ
33 DF ブラジル チアゴ・シウヴァ
35 DF スペイン ディダク・ヴィラ
52 MF ドイツ アレクサンダー・メルケル
66 DF イタリア ニコラ・レグロッターリエ
70 FW ブラジル ロビーニョ
76 DF コロンビア マリオ・ジェペス
77 MF イタリア ルカ・アントニーニ
90 FW ナイジェリア ヌナムディ・チャイディーベレ・オドゥアマディ
99 FW イタリア アントニオ・カッサーノ

ローン移籍選手

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK イタリア マルコ・アメリア (ジェノア)
11 FW スウェーデン ズラタン・イブラヒモビッチ (バルセロナ)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
DF ブラジル マルカス・ディニス (エウペン、2011年6月まで)
DF ブラジル ジゴン (ペナフィエル、2011年6月まで)
MF イタリア ダヴィデ・ディ・ジェンナーロ (パドヴァ、2011年6月まで)
FW ナイジェリア キングスレー・ウムネグム (レナーテ、2011年6月まで)
FW ガボン ピエール=エメリク・オーバメヤン (モナコ、2011年6月まで)
No. Pos. 選手名
FW ガーナ ドミニク・アディアー (レッジーナ、2011年6月まで)
FW イタリア マルコ・ボリエッロ (ASローマ、2011年6月まで)
5 DF アメリカ合衆国 オグチ・オニェウ (FCトゥウェンテ、2011年6月まで)
22 DF ウルグアイ ブルーノ・モンテロンゴ (ボローニャFC、2011年6月まで)

10/11移籍

プリマヴェーラ

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
50 GK イタリア フィリッピ・ペルッキーニ
53 MF ブラジル ロドリゴ・エリー
54 MF イタリア シモーネ・カルヴァーノ
56 DF イタリア アンドレア・デ・ヴィト
65 FW イタリア シモーネ・ヴェルディ
GK イタリア ダヴィデ・ディ・ファビオ
GK イタリア アントニオ・ドンナルマ
DF イタリア ミケランジェロ・アルベルタッツィ
DF イタリア マッティア・デ・スキーリオ
DF イタリア ルーカ・ギリンジェッリ
DF イタリア ルーカ・メレガッリ
DF イタリア ニコロ・モッタ
No. Pos. 選手名
DF イタリア ニコラ・パシーニ
DF イタリア シモーネ・ロマニョーリ
MF イタリア マッテオ・バルビーニ
MF イタリア ルーカ・ベルトーニ
MF イタリア ルーカ・ディ・ラウリ
MF ガーナ エドムンド・ホッター ※1
MF スロベニア ミトヤ・ノヴィニッチ
MF イタリア ジョルダン・ペドロッキ
MF イタリア ジョヴァンニ・スカンピーニ
FW イタリア ジャコモ・ベレッタ
FW イタリア マルコ・ガエタ
FW イタリア アンドレア・スケネッティ
  • ※1 トリエスティーナと共同保有

歴代監督

氏名 国籍 期間
ハーバート・キルピン イングランドの旗 イングランド
エンゲルバート・クーニッヒ  オーストリア 1928-1931
ヨージェフ・バーナーシュ  ハンガリー 1931-1933
ヨージェフ・ヴィオラ  ハンガリー 1933-1934
アドルフォ・バロンチェーリ イタリアの旗 イタリア 1935-1937
ヨージェフ・バーナーシュ  ハンガリー 1937-1941
マリオ・マグノッティ イタリアの旗 イタリア 1941-1943
ジュゼッペ・サンタゴスティーノ イタリアの旗 イタリア 1943-1945
アドルフォ・バロンチェーリ イタリアの旗 イタリア 1945-1946
ジュゼッペ・ビゴーノ イタリアの旗 イタリア 1946-1949
ラヨス・セズラー  スウェーデン 1949-1952
エクトル・プリチェッリ イタリアの旗 イタリア 1954-1956
ジュゼッペ・ヴィアーニ イタリアの旗 イタリア 1956-1958
ルイジ・ボニッツォーニ イタリアの旗 イタリア 1958-1960
パオロ・トデスキーニ イタリアの旗 イタリア 1960-1961
ネレオ・ロッコ イタリアの旗 イタリア 1961-1963
ルイス・カニージャ アルゼンチンの旗 アルゼンチン 1963-1964
ニルス・リードホルム  スウェーデン 1964-1966
アルトゥーロ・シルベストリ イタリアの旗 イタリア 1966-1967
ネレオ・ロッコ イタリアの旗 イタリア 1967-1974
ジョバンニ・トラパットーニ イタリアの旗 イタリア 1974
グスタボ・ジアニョーニ イタリアの旗 イタリア 1974-1975
ジョバンニ・トラパットーニ イタリアの旗 イタリア 1975-1976
ジュゼッペ・マルキオーロ イタリアの旗 イタリア 1976-1977
ネレオ・ロッコ イタリアの旗 イタリア 1977
ニルス・リードホルム  スウェーデン 1977-1979
マッシモ・ジャコミーニ イタリアの旗 イタリア 1979-1981
ルイジ・ラディーチェ イタリアの旗 イタリア 1981-1982
エリオ・ガルビアーティ イタリアの旗 イタリア 1982
イラリオ・カスタニェル イタリアの旗 イタリア 1982-1984
エリオ・ガルビアーティ イタリアの旗 イタリア 1984
ニルス・リードホルム  スウェーデン 1984-1987
ファビオ・カペッロ イタリアの旗 イタリア 1987
アリゴ・サッキ イタリアの旗 イタリア 1987-1991
ファビオ・カペッロ イタリアの旗 イタリア 1991-1996
オスカル・タバレス ウルグアイの旗 ウルグアイ 1996
アリゴ・サッキ イタリアの旗 イタリア 1996-1997
ファビオ・カペッロ イタリアの旗 イタリア 1997-1998
アルベルト・ザッケローニ イタリアの旗 イタリア 1998-2001
チェーザレ・マルディーニ イタリアの旗 イタリア 2001
ファティ・テリム トルコの旗 トルコ 2001
カルロ・アンチェロッティ イタリアの旗 イタリア 2001-2009
レオナルド ブラジルの旗 ブラジル 2009-2010
マッシミリアーノ・アッレグリ イタリアの旗 イタリア 2010-

永久欠番

歴代所属選手

太字は現所属選手

GK

DF

MF

FW

関連項目

脚注

  1. ^ 組織図 | AC  Milan
  2. ^ - スポーツマネジメント
  3. ^ 審判指名操作の不正行為により勝点を30減点されたため、最終順位が変更されている。カルチョ・スキャンダルを参照。

外部リンク


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