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'''フィリップス・レコード'''('''Philips Records''')は、[[オランダ]]の電気メーカー「フィリップス」により創設された[[レコード・レーベル]]である。フィリップスがオランダのバーンに近代的な工場を設立し、Philips Phonografische Industries (PPI)を通じてレコード事業に乗り出したのは[[1951年]]のことだった。<ref>フィリップス・レコード第1回発売月報(日本ビクター発行)による</ref> |
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アメリカ市場では[[1953年]]に米コロムビアが[[フィリップス]]と提携して[[エピック・レコード]]を創設し、販売窓口となっていた。<ref>岡俊雄著「マイクログルーヴからデジタルへ」上巻 1981年ラジオ技術社</ref> |
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*[[1957年]]5月27~28日 初のステレオ録音を、アムステルダムにて行う([[エドゥアルト・ファン・ベイヌム]]指揮による[[ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団]]による演奏で、[[ドビッシー]]作曲の「[[海 (ドビュッシー)|海]]」、「[[夜想曲 (ドビュッシー)|夜想曲]]」、「[[英雄的な子守歌]]」、「[[スコットランド風行進曲]]」を録音。<ref>この録音のCDは現在、日本の[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]]から発売されている(CD番号:UCCP-3336)</ref>)。 |
*[[1957年]]5月27~28日 初のステレオ録音を、アムステルダムにて行う([[エドゥアルト・ファン・ベイヌム]]指揮による[[ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団]]による演奏で、[[ドビッシー]]作曲の「[[海 (ドビュッシー)|海]]」、「[[夜想曲 (ドビュッシー)|夜想曲]]」、「[[英雄的な子守歌]]」、「[[スコットランド風行進曲]]」を録音。<ref>この録音のCDは現在、日本の[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]]から発売されている(CD番号:UCCP-3336)</ref>)。 |
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*1962年 シーメンス傘下の[[ドイツ・グラモフォン]](DGG)と業務提携しDGG/PPIグループを形成。 |
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== 日本での事業 == |
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*日本では、[[1956年]]に[[日本コロムビア]]系列の[[日蓄工業]]より[[エピック・レコード]]として発売されたのが最初である。但し、この時点ではオランダ・[[フィリップス]]との直接契約ではなく、米コロムビア経由の発売であった。<ref>エピックレコード第1回発売月報 1956年9月号(日蓄工業株式会社発行)</ref>日蓄工業は当初発売も販売も自社で行っており、[[1956年]]7月27日に[[日本レコード協会]]にも加盟していた。<ref>日本レコード協会五十年史 1993年3月1日発行</ref>その為、[[エピック・レコード]]の中には、オランダ・フィリップスにはない米独自の原盤によるものも含まれていた。(ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の録音など) |
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*日本では、[[1960年]]に[[エピック・レコード]]のフィリップス制作[[原盤権|音源]]の発売権が[[日本コロムビア]]から[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|日本ビクターレコード事業部]]に移行し、「フィリップス」レーベルが使用されたのがはじまりである。 |
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*その後、日本ビクターレコード事業部内にさらにフィリップス事業部が設立され、[[1966年]]には邦楽作品のレコード制作を開始。邦楽制作開始当時は、[[シンコー・ミュージック・エンタテイメント|新興楽譜出版社]]が原盤の共同制作に当たっていた。1970年6月1日にフィリップスと日本ビクターと[[松下電器]]の合弁で「'''日本フォノグラム'''」として独立。以来、国内レーベル仕様では特にシングル部門などでは「日本フォノグラム」の表記が目立った。 |
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*1984年に自社販売から、ポリドールに販売元を移管する。 |
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*1979年から1987年までは、「[[ベルテルスマン]]」が買収した「[[アリスタ・レコード]]」の発売を担当していた。その後、[[ポリグラム]]の買収によりグループの一社となる。海外アーティスト・クラシックの販売業務などについては1993年までに日本ポリグラムに事業移管される。[[1988年]]頃に邦楽部門の撤退措置。[[1992年]]から邦楽部門再開。 |
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*1995年に'''[[マーキュリー・レコード|マーキュリー・ミュージックエンタテインメント]]'''に社名変更し、2000年には親会社にあたる[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]]に事業譲渡して解散。レーベルおよび制作部門は旧キティ・エンタープライズと合流した[[社内カンパニー]]「キティMME」を経て、「ユニバーサルJ」または「ユニバーサルシグマ」となっている。 |
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*PHILIPSロゴが停止したのに伴い、日本フォノグラム時代より発売されているキャロルのアルバムやCD選書などの旧譜のカタログは品番と価格に変更はないが、随時ユニバーサルのレーベルロゴと制作元のクレジットがユニバーサルミュージック・USMジャパンに変更された上で、製造出荷されている。 |
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*フィリップスレコード及びキティMME所属アーティスト[[原盤権]]は、基本的にユニバーサルミュージックが承継している。 |
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*[[シングル|8cmCDシングル]]規格パーティには当初、加盟しなかった。 |
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=== 所属していたアーティスト === |
=== 所属していたアーティスト === |
2021年8月26日 (木) 13:11時点における版
フィリップス・レコード(Philips Records)は、オランダの電気メーカー「フィリップス」により創設されたレコード・レーベルである。フィリップスがオランダのバーンに近代的な工場を設立し、Philips Phonografische Industries (PPI)を通じてレコード事業に乗り出したのは1951年のことだった。[1] クラシック系ではアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、ハーグ・フィルハーモニー等,ポピュラー系ではジュリエット・グレコ、イブ・モンタン等を擁していた。
解説
アメリカ市場では1953年に米コロムビアがフィリップスと提携してエピック・レコードを創設し、販売窓口となっていた。[2]
現在はユニバーサル ミュージック グループの一部にある。
フィリップス・クラシック・レコードは同社のクラシック音楽部門であったが、現在はユニバーサルミュージックのデッカ・レコードに統合されている。長らく茶色の横帯がジャケットに入るのが特徴だった。
沿革
- 1951年 フィリップスにより創設。
- 1957年5月27~28日 初のステレオ録音を、アムステルダムにて行う(エドゥアルト・ファン・ベイヌム指揮によるロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による演奏で、ドビッシー作曲の「海」、「夜想曲」、「英雄的な子守歌」、「スコットランド風行進曲」を録音。[3])。
- 1962年 シーメンス傘下のドイツ・グラモフォン(DGG)と業務提携しDGG/PPIグループを形成。
- 1971年 シーメンス・フィリップス両者合弁のポリグラムを持ち株会社として、グラモフォンとともに同社の傘下に入る。
- 1972年 ポリドール・レコードと統合し、ポリグラムに移管。
- 1979年11月12~13日 初のデジタル録音を、アムステルダムにて行う(コリン・デイヴィス指揮によるロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による演奏で、ムソルグスキー作曲の組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編曲)と「はげ山の一夜」(ニコライ・リムスキー=コルサコフ編曲)[4])。
- 1982年10月21日 コンパクト・ディスク・ソフトの発売を開始する。CD第1号は、イ・ムジチ合奏団によるヴィヴァルディ作曲の協奏曲集「四季」(CD番号:410 001-2。1982年7月のデジタル録音による音源)。ちなみにCD製造は、当時の西ドイツのポリグラムのハノーファー工場にて行う。
- 1998年 ポリグラムはMCAと統合、ユニバーサルミュージックを作り、フィリップスはその一部に入る。
- 2007年 クラシック部門が、デッカ・ミュージック・グループの傘下に入る。
- 2009年 クラシックに於いてのフィリップス原盤でのPHILIPSロゴの表示が一切停止され、全てDECCAに置き換わる。
現状
資本的にフィリップス系列を離れたことから、これまでフィリップスレーベルで発売された音源の内、クラシック以外は順次マーキュリー・レーベルに切り替えられた。クラシックのみフィリップスレーベルが存続していたが、2009年からは、順次デッカレーベルで再発売されている。
フィリップスへ録音している主な演奏者(クラシック)
- ウィレム・メンゲルベルク
- ヨーゼフ・シゲティ
- ハンス・クナッパーツブッシュ
- クララ・ハスキル
- エリー・アーメリング
- エドゥアルト・ファン・ベイヌム
- カール・ベーム
- オイゲン・ヨッフム
- ネヴィル・マリナー
- スヴャトスラフ・リヒテル
- クラウディオ・アラウ
- ヘンリク・シェリング
- アルテュール・グリュミオー
- サルヴァトーレ・アッカルド
- ヴィクトリア・ムローヴァ
- コリン・デイヴィス
- キリル・コンドラシン
- アルフレート・ブレンデル
- イングリット・ヘブラー
- ベラ・ダヴィドヴィチ
- ハインツ・ホリガー
- ジョン・エリオット・ガーディナー
- ベルナルト・ハイティンク
- 小沢征爾
- リッカルド・ムーティ
- マルタ・アルゲリッチ
- ホセ・カレーラス
- フランス・ブリュッヘン
- 内田光子
- ヴァレリー・ゲルギエフ
- ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
- オランダを代表するオーケストラとして、メンゲルベルクからハイティンクまでの歴代首席指揮者の録音を残した。
- ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
- ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
- バイエルン放送交響楽団
- バイロイト祝祭管弦楽団
- ボストン交響楽団
- ロンドン交響楽団
- マリインスキー劇場管弦楽団
- サイトウ・キネン・オーケストラ
- 18世紀オーケストラ
- イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
- イ・ムジチ合奏団
- イタリア合奏団
日本での事業
- 日本では、1956年に日本コロムビア系列の日蓄工業よりエピック・レコードとして発売されたのが最初である。但し、この時点ではオランダ・フィリップスとの直接契約ではなく、米コロムビア経由の発売であった。[5]日蓄工業は当初発売も販売も自社で行っており、1956年7月27日に日本レコード協会にも加盟していた。[6]その為、エピック・レコードの中には、オランダ・フィリップスにはない米独自の原盤によるものも含まれていた。(ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の録音など)
- その後、日本ビクターレコード事業部内にさらにフィリップス事業部が設立され、1966年には邦楽作品のレコード制作を開始。邦楽制作開始当時は、新興楽譜出版社が原盤の共同制作に当たっていた。1970年6月1日にフィリップスと日本ビクターと松下電器の合弁で「日本フォノグラム」として独立。以来、国内レーベル仕様では特にシングル部門などでは「日本フォノグラム」の表記が目立った。
- 1984年に自社販売から、ポリドールに販売元を移管する。
- 1979年から1987年までは、「ベルテルスマン」が買収した「アリスタ・レコード」の発売を担当していた。その後、ポリグラムの買収によりグループの一社となる。海外アーティスト・クラシックの販売業務などについては1993年までに日本ポリグラムに事業移管される。1988年頃に邦楽部門の撤退措置。1992年から邦楽部門再開。
- 1995年にマーキュリー・ミュージックエンタテインメントに社名変更し、2000年には親会社にあたるユニバーサルミュージックに事業譲渡して解散。レーベルおよび制作部門は旧キティ・エンタープライズと合流した社内カンパニー「キティMME」を経て、「ユニバーサルJ」または「ユニバーサルシグマ」となっている。
- PHILIPSロゴが停止したのに伴い、日本フォノグラム時代より発売されているキャロルのアルバムやCD選書などの旧譜のカタログは品番と価格に変更はないが、随時ユニバーサルのレーベルロゴと制作元のクレジットがユニバーサルミュージック・USMジャパンに変更された上で、製造出荷されている。
- フィリップスレコード及びキティMME所属アーティスト原盤権は、基本的にユニバーサルミュージックが承継している。
- 8cmCDシングル規格パーティには当初、加盟しなかった。
所属していたアーティスト
- あ行
- 伊藤敏博とあみんの原盤権はヤマハミュージックパプリッシングが所持しているため、現在伊藤の分はテイチクエンタテインメントから、あみんの分はキングレコードから発売中。
- か行
- さ行
- 斎藤こず恵
- 斉藤とも子
- ザ・カーナビーツ(アイ高野)
- ザ・サベージ(寺尾聰)
- ザ・ジャガーズ
- ザ・スパイダース(堺正章、井上順(※)、かまやつひろし(※))
- ザ・テンプターズ(萩原健一)
- 佐藤恵利
- 沢田聖子(日本クラウン→フィリップス→東芝EMI→キング→古巣クラウンに復帰→SMC(所属事務所のインディーズレーベル))
- SALLY
- 少女隊(所属事務所ボンド企画が設立したブロードウェイレーベルに在籍していたが、フォノグラムの邦楽部門一時撤退の煽りを受けて柏原と共に東芝EMIへ移籍)
- 神保美喜
- た行
- 田中久美(第8回ホリプロTSCグランプリ)
- ダニーロング・プロジェクト(1981年にビーイングの長戸大幸が企画した氷室京介や高橋ジョージらが参加したカバープロジェクト。1993年9月にCD復刻)
- つのだ☆ひろ(→ディスコメイト)
- な行
- 直江喜一
- 内藤やす子(日本コロムビア→ラジオシティレコード→フィリップス→テイチクエンタテインメント→BMGビクター→日本コロムビア→地中海→ユニバーサルミュージック)
- は行
- いずれも日本ビクター時代(※は日本フォノグラムとして独立後も引き続き在籍)。原盤権はシンコー・ミュージック・エンタテイメントが所持しているため、現在はクロニクルから発売中。
- P.T.A.(岡浩也)
- 飛行船
- フィンガー5(→ポリドール)
- 布施明(キング→フィリップス→日本コロムビア→zetima→Rice Music→ユニバーサルシグマ)
- ザ・ブロード・サイド・フォー
- ポール・モーリア
- 本田恭章
- ま行
- 黛ジュン(キャピトルレコード(東芝音工)→フィリップス→キャニオンレコード→CBSソニー)
- マイク眞木
- 野口ひでと(オックス解散後、ビクターからソロデビュー、後にフィリップスに移籍。『全日本歌謡選手権』にて10週を勝ち抜き、山口洋子の命名で真木ひでとに改名しCBSソニーから再デビュー)
- 又吉&なめんなよ
- 松居直美(日本コロムビアへ移籍)
- 皆川おさむ
- みのや雅彦
- 村木賢吉
- 桃井かおり
- 森山良子※
- もんた&ブラザーズ(もんたよしのり)
- や行
- 矢野顕子(→ジャパン・レコード→ミディ→EPICソニー→ヤマハミュージックコミュニケーションズ→SPEEDSTAR RECORDS)
- 由美かおる
- よせなべトリオ-松居が出演していたテレビ番組欽ドン!でのユニット。他のメンバー・小柳みゆきとのレーベル契約の関係でフィリップスは西日本地区限定発売。東日本地区は小柳が所属していたフォーライフ・レコードが発売。
- ら行
- わ行