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「嘉門タツオ」の版間の差分

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*[[神谷明]] - 当時嘉門が『ヤンタン』に出演していた頃、同じく神谷が『オールナイトニッポン』で「ギネスに挑戦!」というコーナーをやっていたため、嘉門もその当時は同じようなコーナーをやっていたことから、互いの番組投稿者の縁で親交を持つ。
*[[神谷明]] - 当時嘉門が『ヤンタン』に出演していた頃、同じく神谷が『オールナイトニッポン』で「ギネスに挑戦!」というコーナーをやっていたため、嘉門もその当時は同じようなコーナーをやっていたことから、互いの番組投稿者の縁で親交を持つ。
*[[河合奈保子]] - 『ヤンタン』にて共演。
*[[河合奈保子]] - 『ヤンタン』にて共演。
*[[川口浩 (俳優)|川口浩]] - ヒット曲「ゆけ!ゆけ!川口浩」は『[[水曜スペシャル]]』の人気コーナー「川口浩探検隊シリーズ」をテーマにしたもの。嘉門達夫が承諾を得るために『[[ノックは無用!]]』出演時の川口に交渉に行ったところほぼOKをもらえたが、唯一「([[ピラニア]]に)噛まれた腕はいったい誰の腕なんだろう?」という歌詞に「あれは私の腕なんです」と主張し、その部分のみ歌詞が差し替えになった。
*[[川口浩 (俳優)|川口浩]] - ヒット曲「ゆけ!ゆけ!川口浩」は『[[水曜スペシャル]]』の人気コーナー「川口浩探検隊シリーズ」をテーマにしたもの。嘉門達夫が承諾を得るために『[[ノックは無用!]]』出演時の川口に交渉に行ったところほぼOKをもらえたが、唯一「([[ピラニア]]に)噛まれた腕はいったい誰の腕なんだろう?」という歌詞に「あれは私の腕なんです」と主張し、噛まれた痕を見せられたことから、その部分のみ歌詞が差し替えになった。
*[[北野誠 (タレント)|北野誠]]・[[桂雀々]] - 同世代の友人で、過去に3人で組んでラジオ番組を務めていた。北野は嘉門のいくつかの楽曲にネタを提供。
*[[北野誠 (タレント)|北野誠]]・[[桂雀々]] - 同世代の友人で、過去に3人で組んでラジオ番組を務めていた。北野は嘉門のいくつかの楽曲にネタを提供。
*[[北山修]] - 嘉門の替え歌を医学的見地から体にいいと分析。北山のほうから嘉門とのジョイントを申し出た。「真夏のカモン!EXPO!」にもゲスト出演していた。この日、[[フォークル]]の代表曲のひとつである「[[あの素晴しい愛をもう一度]]」の替え歌「あのすさまじい部屋を掃除しろ」を嘉門とともに熱唱した。
*[[北山修]] - 嘉門の替え歌を医学的見地から体にいいと分析。北山のほうから嘉門とのジョイントを申し出た。「真夏のカモン!EXPO!」にもゲスト出演していた。この日、[[フォークル]]の代表曲のひとつである「[[あの素晴しい愛をもう一度]]」の替え歌「あのすさまじい部屋を掃除しろ」を嘉門とともに熱唱した。

2020年9月20日 (日) 08:00時点における版

嘉門かもん タツオ
出生名 鳥飼 達夫
別名 笑福亭 笑光、嘉門 達夫
生誕 (1959-03-25) 1959年3月25日(65歳)
出身地 日本の旗 日本 大阪府茨木市
学歴 大阪府立春日丘高等学校卒業
ジャンル 歌謡曲
コミックソング
職業 シンガーソングライター
担当楽器 ギター
ボーカル
レーベル クラッチ.
事務所 さくら咲く
クラッチ.(業務提携)
共同作業者 新田一郎
中町俊自
水戸華之介
工藤隆
公式サイト 嘉門タツオオフィシャルサイト

嘉門 タツオ(かもん たつお、男性、1959年(昭和34年)3月25日 - )は、日本シンガーソングライターである。さくら咲く所属。大阪府茨木市出身。血液型はA型。本名は鳥飼 達夫(とりかい たつお)[1]

略歴

  • 1959年3月25日に大阪府茨木市で生まれ、茨木市立中条小学校茨木市立養精中学校大阪府立春日丘高等学校を卒業する。小学校6年時に日本万国博覧会が開催され、足繁く通いピンバッジを64個収集してクラス3位となる。中学時代にギターを演奏し始め、あのねのねに影響を受けてテープに自作曲を録音する。高校時代は笑福亭鶴光への弟子入りのため、3年時に友人と自主制作映画の撮影に没頭する。
  • 1975年 - 大阪府立春日丘高等学校在学中の16歳で、友人が運転するカブで鶴光を追跡して弟子入りを志願し、当時27歳の笑福亭鶴光へ弟子入りするも、在学中であることから鶴光の勧めもあり、放課後に師匠の家へ行く「通い弟子」を務めた。高校卒業後に鶴光邸へ住み込んで、先に社会人経験を経てから入門していた兄弟子の學光に次ぐ二番弟子として“笑福亭 笑光”(しょうふくてい しょうこ)の名を授かり、所属事務所松竹芸能となる。同期の芸能人は田辺エージェンシー所属のタモリで、彼とは後に『森田一義アワー 笑っていいとも!』で共演することになる。
  • 1978年 - 『MBSヤングタウン水曜日』(以下ヤンタン)にレギュラー出演する。
  • 1980年 - 笑福亭鶴光から破門を宣告され、松竹芸能から専属契約を解除されて担当番組も全て降板する。「人生経験を積むために旅に出ろ」と笑福亭鶴瓶にアドバイスを受けたことから[2]日本放浪へ旅立ち、与論島やスキー場でアルバイトをしながらコミックソングの面白さを認識する。
  • 1981年 - 日本を放浪の後、ヤンタンの初代プロデューサーである渡邊一雄の勧めで[2]「次は海外へ放浪しようか」と考え、渡航資金を貯めるためアルバイトをしていた頃にスキー場で作った曲がアミューズ大里洋吉会長に評価され、アミューズの契約社員としてサザンオールスターズの「チャコの海岸物語」を関西地区の有線ラジオなどへ営業する。この縁でサザンのコンサートの打ち上げなどにも参加し、バンドでフロントマンを務める桑田佳祐と親しくなる。所ジョージの芸名は宇崎竜童が命名したことを聞き、桑田に自らの芸名を考えて欲しいと依頼すると、当初は桑田が“カメリア・ダイヤモンド”を挙げるが嘉門が却下し、桑田が別の活動時に使用していた“嘉門雄三”の苗字を譲り受け、“嘉門 達夫”を名乗る[3]。のちにヤンタンへ復帰する。
  • 1982年 - 10月 「寿限無No.1!」(森雪之丞プロデュース)をコロムビアレコードから発売し、歌手デビューする。ジャケットに描かれた『寿限無さん』(岡のいも デザイン)を売り出すためのキャラクターソングだったが、結局、何らかの事情でキャラクター展開は頓挫してしまう。
  • 1983年 - シンガーソングライターデビューし、「ヤンキーの兄ちゃんのうた」をリリース。当初は自主制作盤であったが、少しずつ話題を獲得し7月にコロムビアレコードより発売され、大阪有線が主催する読売テレビ有線放送大賞とキャンシステムが主催するTBS有線大賞で新人賞を受賞する。
  • 1984年 - 6月 『水曜スペシャル 川口浩探検隊』のヤラセ演出を皮肉った「ゆけ!ゆけ!川口浩!!」を発売する。
  • 1989年 - 7月 代官山プロダクション(以下代プロ)へ移籍し、日本コロムビアからビクター音楽産業へ移籍する。
  • 1991年 - 「替え唄メドレー」が82万枚[4]を売り上げて自身最大のヒット曲となる。
  • 1992年 - 『第43回NHK紅白歌合戦』に「替え唄メドレー〜紅白バージョン」で出場する。
  • 1994年 - 1月1日に発売した「スモーキンブギレディース」を皮切りに、「マンスリーCDリリース計画」と称して毎月1枚シングルやアルバムを発売する。
  • 1997年 - ビクターから代プロの自社ブランドDAIPRO-Xへ移籍し、移籍第1弾「新・替え唄メドレー」を発売する。
  • 2000年 - トレードマークのオールバックを黒髪から金髪へとイメージチェンジする。
  • 2002年 - 「ガッツ石松伝説」を発売した。2年後の2004年に「伝説の男 〜ビバ・ガッツ〜」を発売したはなわが盗作を疑義された。
  • 2003年 - 4月 デビュー20周年記念アルバム『達人伝説』を発売する。
  • 2003年 - 6月 初のDVDメディア作品『達人伝説』を発売する。
  • 2005年 - 1月5日 アポロ・シアターで「アマチュアナイト」に出演する。当時流行の『ラストサムライ』と『キル・ビル』からサムライ姿での切腹をパントマイムした後にギターでブルースを歌う予定が、歌に入る前のパフォーマンスでブーイングを受けて退場する。
  • 2005年 - 1月 コロムビア時代の曲を集めたアルバム『嘉門達夫ゴールデン☆ベスト -オールシングルス&爆笑セレクション1983〜1989-』を発売する。
  • 2005年 - 4月 東京都立翔陽高等学校校歌「はばたけ!未来へ」の作詞と作曲を担当する。
  • 2006年 - 7月 GyaOの『嘉門達夫のナリキン投稿天国』で派生した“嘉門達夫とナリ天ボーイズ”が歌う「恋のチャルメラ ププッピ ドゥー!」を発売する。
  • 2008年 - 同年6月時点での、シングルとアルバムを合わせての累計売上が847万枚となる[4]
  • 2008年 - 11月30日に結婚。当時嘉門は49歳、相手の女性は43歳であった。披露宴と結婚報告会見については2009年2月に行った[5]
  • 2009年 - 9月 個人事務所「さくら咲く」を設立して独立する。同月に所属していた代官山プロダクションが倒産している。この頃よりギターをTakamineから、K.Yairiのカスタムメイドギターへ変える。
  • 2010年 - 5月 上海万国博「日本産業館」応援団長に就任する。
  • 2013年 - 5月 『歌ネタ王決定戦』決勝へ進出する。キャッチコピーは『心は悪ガキ体は54歳!』。結果は6位。
  • 2013年 - 7月 芸能生活30周年を記念して万博記念公園で「真夏のカモン!EXPO!歌と笑いと食のワンダーランド」を開催する。明石家さんま桂雀々北野誠ワハハ本舗久本雅美梅垣義明スターダストレビューきたやまおさむ押尾コータローET-KINGら芸人や歌手仲間が多数出演した。
  • 2017年 - 58歳の誕生日を迎えた3月25日、名前の部分を片仮名にした“嘉門 タツオ”に改名する[6]

ディスコグラフィ

シングル

発売日 タイトル c/w曲 備考 最高順位
- 1982年12月21日 寿限無No.1! 真冬のロンリー・ビーチ
1st 1983年7月21日 ヤンキーの兄ちゃんのうた アタシはばってら 71位
2nd 1984年6月21日 ゆけ!ゆけ!川口浩!! あったらコワイセレナーデ そらのおとしも5話のエンディング曲 24位
3rd 1985年4月1日 アホが見るブタのケツ あったらコワイセレナーデ2 48位
4th 1985年12月1日 哀愁の黒乳首/ペンション 両A面シングル。
5th 1986年7月1日 ユカイなモッコリ アホが見るブタのケツ・2
6th 1987年12月21日 タンバでルンバ ウシ
7th 1988年9月1日 小市民 ほっといてくれよ! 「小市民」は小倉久寛とのデュエット。 90位
8th 1989年3月21日 小市民2 AWAN AWAN!! 小倉久寛とのデュエット。「小市民宣言」収録の物よりも短いシングルバージョン。
9th 1989年9月21日 結婚しようよ -彼女はもうすぐ26- ドッチボール
10th 1990年2月1日 タリラリラーン ロックンロール その日は朝から夜だった フジテレビ系アニメ『平成天才バカボン』オープニングテーマ/エンディングテーマ。
「タリラリラーン ロックンロール」では『平成天才バカボン』に出演した声優陣と共演。
11th 1990年3月21日 FUTAMATA FUTAMATA(女性編)〜アッシー君とツクシンボ〜
FUTAMATA(男性編)〜あの娘はファースト、彼女はセカンド〜
12th 1990年7月4日 勝手にシンドバッド 夏のサマー 89位
13th 1990年10月21日 やってミソ! ジミー&ハデー(リゾート篇) 「やってミソ!」:カルビー「ポテトチップス辛みそソース味」CMソング
「ジミー&ハデー(リゾート篇)」:川鉄商事「リゾート篇」CMソング
14th 1991年2月21日 カラオケNo.1 カラオケNo.1(LONG VERSION) 嘉門達夫&原田さとみ名義。
15th 1991年5月21日 替え唄メドレー バイバイスクールデイズ 9位
16th 1991年9月21日 替え唄メドレー2 血液型ハンバーガーショップ 4位
17th 1992年1月1日 替え唄メドレー3 (完結篇) んなアホな! 3位
18th 1992年4月21日 鼻から牛乳/帰って来た替え唄メドレー4 両A面シングル 8位
19th 1992年7月22日 鼻から牛乳 -第2章- ショートソングメドレー 12位
20th 1992年12月2日 デュエット替え唄メドレー ひとりぼっちのクリスマス(シングルバージョン) 嘉門達夫・浅田美代子名義。
「ひとりぼっちのクリスマス」は著名なクリスマスの音楽(一部例外あり)を短調に編曲したメドレー[7]
28位
21st 1993年3月24日 GO!GO!スクールメイツ 替え唄メドレー -紅白バージョン- 福武書店進研ゼミ中学講座」CMソング 24位
22nd 1993年8月21日 NIPPONのサザエさん ひねりなさい2 「ひねりなさい 2」:UHA味覚糖CMソング 48位
23rd 1994年1月1日 スモーキン・ブギ レディース NIPPONのお正月
英会話教室
MONTHLY TATSUO KAMON 1994 Chapter 1 86位
24th 1994年2月2日 マーフィーの法則 チョコくれ!!
ワンルームマンション1
ワンルームマンション2
MONTHLY TATSUO KAMON 1994 Chapter 2 69位
25th 1994年3月2日 君がいた季節/カラオケならOK 卒業 両A面シングル
MONTHLY TATSUO KAMON 1994 Chapter 3
「君がいた季節」:福武書店「進研ゼミ中学講座」CMソング
「カラオケならOK」:ジョイサウンドCMソング
64位
26th 1994年5月11日 WE ARE ROCKMAN 小市民(こどもの日ヴァージョン)
スラング講座
MONTHLY TATSUO KAMON 1994 Chapter 5
カプコンロックマンズサッカー』CMイメージソング
93位
27th 1994年6月1日 続・マーフィーの法則 結婚披露宴 MONTHLY TATSUO KAMON 1994 Chapter 6 97位
28th 1994年7月21日 あわんあわん音頭 ウシ’94 MONTHLY TATSUO KAMON 1994 Chapter 7
29th 1994年8月24日 アイしてりんこスキりんこ ショートソング(IN ボトムライン) MONTHLY TATSUO KAMON 1994 Chapter 8
日清食品「日清ラーメンこってりんこ」CMイメージソング
96位
30th 1994年9月21日 サザン替え唄大メドレー 地獄の運動会 MONTHLY TATSUO KAMON 1994 Chapter 9 47位
31st 1994年10月21日 ネコニャンニャンニャン[達夫&伸郎バージョン] 修学旅行行進曲 嘉門達夫&原田伸郎名義。
MONTHLY TATSUO KAMON 1994 Chapter 10
98位
32nd 1994年11月23日 ススメ 大名行列 MONTHLY TATSUO KAMON 1994 Chapter 11
大正製薬「大正漢方胃腸薬」CMイメージソング
33rd 1995年7月21日 怒りのグルーヴ 〜震災篇〜 怒りのグルーヴ 〜宗教篇〜
怒りのグルーヴ 〜おとぎ話篇〜
怒りのグルーヴ 〜団塊の世代篇〜
34th 1995年12月1日 激突!ハンバーガーショップ 妄想
かもかもかものすけ
「かもかもかものすけ」:テレビ東京ハローキティとバッドばつ丸」エンディングテーマ
35th 1996年4月24日 TK替え唄メドレー YAKINIKU POWER 53位
36th 1996年9月28日 TK替え唄メドレー2 ラーメンパワー 87位
37th 1997年3月21日 新・替え唄メドレー 諸行無常 45位
38th 1997年6月21日 ソリャニャーゼ セニョリータ ありがとうお母さん
39th 1997年9月22日 替え唄クラシックメドレー 替え唄クラシックメドレー〜カモメタルヴァージョン〜
40th 1997年12月17日 アニメ替え唄スーパーメドレー Mr.説教MAN 61位
41st 1998年3月21日 ワールドカップだぜぃ! カモンの部屋
42nd 1998年8月5日 ザッツ・替え唄メドレー Mr.説教MANやっちゅーてんねん!
43rd 1998年10月21日 男に逃げられた WOMAN(〜LIVE at NAGOYA BOTTOM LINE〜)
44th 1999年2月24日 誰がそこまでガンバレ!言うた 言うだけ番長(ライブバージョン)
45th 1999年5月21日 ええ奴やんか ババシャツ
46th 1999年9月22日 それはまるで ワンダーランド2
拉麺道 RAUMEN-ROAD
47th 2000年1月21日 替え唄メドレードラゴン 俺だけかぁー
48th 2000年8月23日 ミレニアムの法則 唄のワンダーランド2000
49th 2000年11月1日 鼻から牛乳〜世紀末バージョン〜 唄のワンダーランド〜POWER SELECT〜
50th 2001年1月24日 これは何かの陰謀だスペシャル 恐怖の恋愛劇場
よくある話
51st 2001年4月21日 替え唄メドレー2001 ストーリーランド
うれしい たのしい たまんない 体操
52nd 2001年7月25日 特選・替え唄メドレー 〜DANCE MIX〜 あったらコワイ コンビニエンス
まちがってますよ〜DANCE MIX〜
53rd 2001年10月24日 CM替え唄メドレー そりゃそーだ
こういう事ってあるでしょう
54th 2002年3月21日 CHAU!CHAU!CHAU!/THE ENKA 替え唄メドレー 両A面シングル
55th 2002年6月21日 ガッツ石松伝説 懐かしいもの
ネタのワンダーランド・特盛り
56th 2002年9月21日 夢・ドリーム おもわくちがい
言うだけ番長〜コスモス〜
57th 2003年1月22日 青春フォーク替え唄メドレー なごみのひととき
エピソード・シアター
58th 2003年4月23日 明るい未来〜シングルバージョン〜 プロローグ
エピローグ
糾弾
何やってんだ?オレ
59th 2003年11月21日 ひとりぼっちのクリスマス/NIPPONのお正月 前フリ
お歳暮ワンダーランド
お年玉ワンダーランド
両A面シングル
60th 2004年4月21日 少年はいつの日もバカ!/ジ・アンサーソング〜テツ&トモに捧ぐ〜 両A面シングル
61st 2005年4月21日 ワリカンがイヤだって言ってるんじゃないのよ! 創作料理の店
40なかば
62nd 2005年10月21日 替え唄メドレー2005 爆裂!ワンダーランド お徳用
63rd 2006年4月21日 働くオジサン宣言〜関白宣言〜 〜SHOW TIME〜
64th 2006年7月26日 恋のチャルメラ ププッピ ドゥー! 男のチャルメラ どんと来い!
みんなのチャルメラ レッツゴー!
65th 2006年10月25日 新・鼻から牛乳 新・男のチャルメラ どんと来い!
66th 2007年4月25日 続・アニメ替え唄スーパーメドレー 唄・ネタ ワンダーランド〜ナリ天ver.〜
67th 2007年10月24日 あったらコワイセレナーデ〜ベスト・オブ・エロコワ〜/あったらコワイセレナーデ〜ベスト・オブ・最近〜 両A面シングル
68th 2010年1月20日 さくら咲く 小市民〜受験生篇〜
新・鼻から牛乳〜ライブバージョン〜
112位
69th 2010年10月6日 風が吹いてる〜炭坑があった町〜 風が吹いてる〜炭坑があった町〜(歌/原えいじ
70th 2011年5月25日 希望のマーチ 怒りのグルーヴ〜震災篇2011〜
さくら咲く
71st 2011年7月21日 うな太郎の大冒険 短篇集
希望のマーチ
72nd 2011年12月14日 アホが見るブタのケツ〜ベスト〜/鼻から牛乳〜キッズバージョン〜 キッズ替え歌メドレー(ライブレコーディング) 両A面シングル
73rd 2012年3月28日 アホが見るブタのケツ・2 新・アホが見るブタのケツ
アホが見るブタのケツ・2(TVサイズ)
74th 2013年6月26日 笑う門には福来る プロローグ
明るい未来〜シングルバージョン〜
エピローグ
デビュー30周年記念シングル
75th 2015年5月21日 レッツゴー!ミナミ! 道頓堀へいらっしゃい!音頭 大阪ミナミ400年祭 記念シングル
76th 2016年1月1日 だるまのオッサンの歌〜ソースの二度漬けは禁止やで〜 元祖串かつ だるまのイメージソング。だるま常連客の赤井英和とだるま社長の上山勝也が声の出演(Guest of voise)をしている。
77th 2016年8月7日 マッシュルーム ラブ トークコーナー 〜嘉門達夫とWAQ TRADING 高橋和久さん(中央エフエム「嘉門達夫のゴー!ゴー!カモン!〜日本食列伝」より)
78th 2016年11月9日 炎の麻婆豆腐 赤坂 四川飯店 陳建一 公認
麻婆十字団 公式ソング

アルバム

発売日 タイトル 最高順位
1st 1985年6月12日 お調子者で行こう
2nd 1986年2月21日 日常 〜COM'ON! 超B級娯楽音楽〜
3rd 1988年11月21日 小市民宣言
1989年3月21日 小市民大全集(ミニアルバム)
4th 1989年11月21日 バルセロナ
5th 1990年7月21日 リゾート計画 89位
6th 1991年3月21日 42位
7th 1992年1月1日 天賦の才能 10位
8th 1992年9月9日 怒濤の達人 6位
9th 1993年9月22日 NIPPONの楽しみ 34位
10th 1995年1月1日 娯楽の殿堂 75位
11th 1996年1月1日 伝家の宝刀 53位
12th 1997年4月9日 Oh!My God 50位
13th 1997年10月1日
14th 1998年4月1日 笑う女
15th 1998年11月6日 ジャングル ウッキー!!
16th 1999年5月21日 お前はまちがっとる!
17th 2000年1月21日 かもたつ
18th 2000年11月21日 図星でしょ☆
19th 2001年4月21日 劇的な日常
20th 2002年3月21日 絶対キレイになってやる!
21st 2002年9月21日 症候群
22nd 2003年4月23日 達人伝説〜20周年記念アルバム〜 145位
23rd 2004年4月21日 人類はいつの日もバカ! 219位
24th 2005年4月21日 残念なお知らせ 〜世の独身女性に捧ぐ〜
25th 2005年10月21日 元気が出るCD!!
26th 2006年4月21日 笑撃王
27th 2006年10月25日 アホダラ王国物語
28th 2007年4月25日 言葉のチカラ!
29th 2007年10月24日 「これさえあればゴハン何杯でも食べられる」と言って2杯で限界になっているアナタへ
30th 2008年5月21日 帰ってイモ食うて屁こいて寝よ!
31st 2014年4月30日 GO!GO!COME ON!!
32nd 2016年12月21日 食のワンダーランド〜食べることは生きること〜其の壱
33rd 2018年7月21日 HEY!浄土〜生きてるうちが花なんだぜ〜

ベストアルバム

発売日 タイトル 最高順位
1st 1988年1月21日 エエトコドリ!
2nd 1989年12月1日 嘉門達夫全曲集
3rd 1991年6月21日 嘉門達夫金色大全集
4th 1991年11月1日 THE BEST OF KAMON TATSUO 13位
5th 1994年4月6日 THE BEST OF KAMON TATSUO II 63位
6th 1996年9月28日 The Very Best Of KAEUTA MEDLEY 98位
7th 2001年10月24日 嘉門達夫シングルベストコレクション+1 1997-2001
8th 2004年11月21日 嘉門達夫シングルベストコレクション+3 2002〜2004
9th 2005年1月26日 嘉門達夫 ゴールデン☆ベスト -オールシングルス&爆笑セレクション1983〜1989-
10th 2008年11月19日 TATSUO KAMON 25th anniversary SELF COVER BEST!
11th 2009年6月3日 嘉門達夫豪華盤 〜Columbia Years〜
12th 2009年9月16日 嘉門達夫 ゴールデン☆ベスト 〜BEST OF 替え唄&ヒットソングス1989-1996〜
13th 2010年3月24日 "笑い"のさくら咲く 〜ギャグセレクション〜
14th 2010年4月21日 "恋"のさくら咲く 〜恋愛セレクション〜
15th 2011年3月23日 "青春"のさくら咲く 〜スクールセレクション〜
16th 2012年10月24日 嘉門達夫 ゴールデン☆ベスト 〜怒濤のビクター編1989-1996〜
17th 2012年12月26日 嘉門達夫BOX 怒濤のビクター・シングルス

著書

出演

テレビ番組

ここではレギュラーでの出演経験がある番組のみを列記する。

テレビドラマ

ラジオ番組

ここではレギュラーでの出演経験がある番組のみを列記する。

CM

その他

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手
1992年/第43回 替え唄メドレー〜紅白バージョン〜[17] 11/28 藤あや子

注意点:出演順は「出演順/出場者数」で表す。

関連芸能人

  • 明石家さんま - 親戚弟子に当たる。20周年記念アルバム「達人伝説」に出演し、彼自身のギャグ「めっかっちゃった!」をテーマにした曲が二人のデュエット曲として収録されている。また、デビュー30周年イベント「真夏のカモン!EXPO!歌と笑いと食のワンダーランド」にもノーギャラでゲスト出演している[18]
  • 浅田美代子 - 1992年、「デュエット替え唄メドレー」で共演。
  • あのねのね - 売れない時期、面倒を見てもらっている。あのねのね事務所として代官山プロダクションと業務提携していた。「WE ARE THE 魚屋のオッサン'91」「つくばねの唄」「ネコニャンニャンニャン [達夫&伸郎バージョン]」などのオリジナルは彼らの曲。さんまとともに「真夏のカモン!EXPO!歌と笑いと食のワンダーランド」にも参加している。
  • 荒井注 - 替え唄の歌詞の中に名前が何度も登場するほか、「替え歌メドレー3 (完結編)」では特別出演している。
  • アル・ヤンコビック
  • 伊藤秀志 - 『ヤンタン』にて共演。自称「嘉門達夫評論家」。「少年はいつの日もバカ!」にある「好きな娘のジャージを床に並べ重なって寝てみた」という歌詞は彼の実体験に基づいている。
  • いんぐりもんぐり(→INGRY'S→THE INGRY'S→FoolyouS) - 代プロ時代の後輩であったが、弟子のような存在。
  • 小倉久寛 - 1988年に「小市民」、翌年に「小市民2」にて共演。
  • 上岡龍太郎 - 多くの共演実績の他、アルバム『宴』に収録されている小ネタ「ツッコミドレミファドン」に司会者役で登場している。
  • 神谷明 - 当時嘉門が『ヤンタン』に出演していた頃、同じく神谷が『オールナイトニッポン』で「ギネスに挑戦!」というコーナーをやっていたため、嘉門もその当時は同じようなコーナーをやっていたことから、互いの番組投稿者の縁で親交を持つ。
  • 河合奈保子 - 『ヤンタン』にて共演。
  • 川口浩 - ヒット曲「ゆけ!ゆけ!川口浩」は『水曜スペシャル』の人気コーナー「川口浩探検隊シリーズ」をテーマにしたもの。嘉門達夫が承諾を得るために『ノックは無用!』出演時の川口に交渉に行ったところほぼOKをもらえたが、唯一「(ピラニアに)噛まれた腕はいったい誰の腕なんだろう?」という歌詞に「あれは私の腕なんです」と主張し、噛まれた痕を見せられたことから、その部分のみ歌詞が差し替えになった。
  • 北野誠桂雀々 - 同世代の友人で、過去に3人で組んでラジオ番組を務めていた。北野は嘉門のいくつかの楽曲にネタを提供。
  • 北山修 - 嘉門の替え歌を医学的見地から体にいいと分析。北山のほうから嘉門とのジョイントを申し出た。「真夏のカモン!EXPO!」にもゲスト出演していた。この日、フォークルの代表曲のひとつである「あの素晴しい愛をもう一度」の替え歌「あのすさまじい部屋を掃除しろ」を嘉門とともに熱唱した。
  • 桑田佳祐 - 芸名の名付け親。嘉門が出すサザンオールスターズの曲の替え歌も容認している。替え歌を作ったら先ず桑田の自宅に電話し、電話越しに替え歌を歌って聴かせ、桑田は苦笑した後に「いいよいいよ」の一言でOKを出すという。また、アミューズ時代の先輩にあたる。この縁で嘉門はサザンのベストアルバム『すいか』のテレビCMに出演している。
  • 小室哲哉 - 同じ「TK」のイニシャル同士のよしみで「TK替え歌メドレー」シリーズを快諾。
  • SAICO(鈴木彩子) - 代プロ時代の後輩で、弟子格にあたる。嘉門のアルバム『宴』および『怒濤の達人』にゲストで参加し、その後『爆裂スーパーファンタジー』で共演した。
  • 笑福亭学光 - 元兄弟子。
  • 笑福亭笑瓶 - 従兄弟弟子に当たる。上記の「北野誠」「桂雀々」ともに古くからの友人で、彼らとともに「真夏のカモン!EXPO!」にも出演していた。
  • 笑福亭鶴光 - 元・師匠。
  • 笑福亭鶴瓶 - 叔父弟子に当たる。20周年記念アルバム『達人伝説』にも登場している。
  • ぜんじろう - 『ヤンタン』時代の共演者で、嘉門はアメリカの劇場へ行く際にぜんじろうからアドバイスを受けている。詳細はぜんじろうのブログを参照。
  • 田中義剛 - 『笑っていいとも!』、『ヤンタン』等共演多数。
  • 丹波哲郎 - 「タンバでルンバ」は彼の大霊界語録が元ネタであり、気に入った丹波がTBSのドラマ『結婚してシマッタ!』(1988年)で自分の秘書役で嘉門を起用した。
  • 根本要スターダストレビュー) - 長い付き合いがある。「真夏のカモン!EXPO!」にはメンバーとともに参加した。
  • 新田一郎 - 代プロ社長で、師匠格。「ゆけ!ゆけ!川口浩」のトランペットは彼の演奏。
  • 原田さとみ - 『ラジごめ』など多くの作品で共演。
  • 久本雅美 - 下積み時代からの友人で、アルバム「達人伝説」にもゲスト出演している。また、「真夏のカモン!EXPO!」にも梅垣義明とともにゲスト出演した。
  • 細木数子 - 『ズバリ言うわよ!』(2006年12月12日放送分)内で嘉門曰く「20年ぶりに再会した」。同番組で嘉門が当時独身だった頃に細木から未婚の理由と女性への価値観があまりにも矛盾していることを指摘され、「七変化の女性が欲しいのでは」と批判された。細木は「頭が良すぎて人を小バカにするものが出てくる。自分がもう1つランクの気持ちを下げれば本当にいい人にも遭遇してるはず。だから結婚しなきゃダメ。来年(2007年)からものすごいいい年になるから」とのアドバイスを授けられたことがある。また、同時に「芸名を“嘉門”から“加門”へ改名しないと絶対人気が出ない」(改めると画数が13画になる)と言われたが、結局改名はしなかった。
  • 前田日明 - 親交があり、アルバム『宴』に収録されている小ネタ「宅配ピザ」に、ピザ配達員役で登場している。
  • 槇原敬之 - 春日丘高校の先輩後輩関係。嘉門が出演していた当時の『ヤンタン』火曜日に、自身最初のヒット曲「どんなときも。」のプロモーションで訪れたり[19]、1991年末に紅白への出場を果たした後も『ラジごめII金曜日の王様』にゲストで訪れたりしていた。また、嘉門出演のテレビの特番にも、配達ピザ店のコスプレをして1度だけ出演したことがある。
  • 宮地佑紀生矢野きよ実 - 別々の曜日ではあったが互いに『ラジオDEごめん』のパーソナリティを務めていた時代から親交があり、現在でも名古屋にキャンペーンに訪れた際には両名司会の生番組『どですか!』(メ〜テレ)にゲスト出演・新ネタ披露することがある。
  • 美輪明宏 - アルバム「伝家の宝刀」に収録されている「愛だと思ってた」は美輪が嘉門に言った言葉から出来た曲。アルバム「達人伝説」にもゲスト出演している。
  • 伊藤多賀之細根誠 - 1998年、ブリーフ&トランクスに曲「残尿感」を提供。

脚注

  1. ^ 嘉門タツオのコラム”. www.sakurasaku-office.co.jp. 2020年6月28日閲覧。
  2. ^ a b ラジオパラダイス』(三才ブックス)1988年8月号 pp.59 - 65
  3. ^ <私の恩人>嘉門達夫 名付け親は桑田佳祐さん 「サザン」の曲も好きに使っていいと許された”. THE PAGE (2013年8月18日). 2013年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  4. ^ a b [長寿のヒミツ]音楽と笑い融合嘉門達夫バカソング一筋25年スポーツ報知、2008年6月10日。
  5. ^ 嘉門達夫夫妻が2ショットで結婚報告会見|最新ニュース|eltha(エルザ)”. オリコン (2009年2月15日). 2018年7月22日閲覧。
  6. ^ 嘉門タツオのプロフィール”. さくら咲く. 2017年3月25日閲覧。
  7. ^ 使用曲:「もろびとこぞりて」「ジングルベル」「赤鼻のトナカイ」「ママがサンタにキッスした」「サンタが街にやってくる」「きよしこの夜」「聖者の行進」「ホワイト・クリスマス」「ハレルヤ」「もみの木
  8. ^ デビュー直後の杏里と担当していた。
  9. ^ プロ野球ナイターが無い時期の20時から放送されていた一時間番組。関西のアマチュア/セミプロの音楽を扱ったバラエティー番組。当時ソウルファンクバンドITACHI!!!を率いていた三井雅弘と共にDJを担当していた。
  10. ^ 嘉門達夫のコラム ファンモバ”. さくら咲く. 2018年7月24日閲覧。
  11. ^ 嘉門タツオ (2008年12月20日). “道頓堀から生放送 |嘉門タツオ オフィシャルブログ「冷やし中華始めましたか?(知らんガナ!)」”. 2018年7月24日閲覧。
  12. ^ a b 嘉門タツオ (2008年6月29日). “ニッポン放送 |嘉門タツオ オフィシャルブログ「冷やし中華始めましたか?(知らんガナ!)」”. 2018年7月22日閲覧。
  13. ^ 2017年3月25日の「嘉門タツオ」改名にともない、3月31日の最終回は「嘉門タツオのナゴヤ DE ゴメン!」の番組名になっていた。
  14. ^ a b c d 嘉門達夫のプロフィール”. さくら咲く. 2016年3月25日閲覧。
  15. ^ 岩下食品代表取締役の発言より。@shinshoga (2011年7月31日). "15年ほど前の、そのTVCMは、私は立ち会わなかったのですが、嘉門達夫さんはマシンガンのような早口で新生姜に関するうたをギター弾き語り。ワンテイクでOKだったとか。出演はなくても、歌は誰もがわかる嘉門節。名人芸でした。". X(旧Twitter)より2018年7月22日閲覧
  16. ^ 嘉門タツオのCM出演情報 |ORICON NEWS”. oricon ME. 2018年7月22日閲覧。
  17. ^ 使用曲:「函館の女」「ジュリアに傷心」「渚のはいから人魚」「ハイティーン・ブギ」「プレイバックPart2」「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」「なごり雪」「神田川」「クリスマス・イブ」「恋人がサンタクロース」「FUNK FUJIYAMA」「ひと夏の経験」「およげ!たいやきくん」「てんとう虫のサンバ」「ドナドナ」「こまっちゃうナ」「グリーングリーン」「三百六十五歩のマーチ」「ブルー・ライト・ヨコハマ」「涙のキッス」「いい湯だな」「SAY YES」「蛍の光
  18. ^ 嘉門達夫30周年ライブにさんまがノーギャラ出演Yahoo!ニュース2013年7月22日(2013年7月24日閲覧)
  19. ^ 槇原が出演した当時は「どんなときも。」が発売されて間もなくの時だったので、槇原自身は世間的には全くの無名の頃だった。

関連項目

外部リンク

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