「日本橋人形町」の版間の差分
編集の要約なし |
Sapporo2016 (会話 | 投稿記録) |
||
55行目: | 55行目: | ||
堺町と葺屋町にあった芝居小屋は、[[1841年]]([[天保]]12年)10月7日の火災の後、[[天保の改革]]の一環で浅草猿若町(現:[[台東区]][[浅草]]6丁目)に移転した。 |
堺町と葺屋町にあった芝居小屋は、[[1841年]]([[天保]]12年)10月7日の火災の後、[[天保の改革]]の一環で浅草猿若町(現:[[台東区]][[浅草]]6丁目)に移転した。 |
||
[[1951年]]([[昭和]]26年)に東京初の[[アーケード]]が完成(現存せず)。 |
[[1951年]]([[昭和]]26年)には、人形町通り沿いの商店街に、東京初の[[アーケード]]が完成([[1984年]](昭和59年)撤去、現存せず)。 |
||
昭和末期頃まで日本橋蛎殻町に[[陶器|和陶器]][[卸売|卸]]が集まっていたことで、現在でも人形町において「せともの市」が継続的に開催されている<ref>[https://centraltokyo-tourism.com/spot/detail/801000051 人形町せともの市 東京中央区観光ガイド]</ref>。 |
昭和末期頃まで日本橋蛎殻町に[[陶器|和陶器]][[卸売|卸]]が集まっていたことで、現在でも人形町において「せともの市」が継続的に開催されている<ref>[https://centraltokyo-tourism.com/spot/detail/801000051 人形町せともの市 東京中央区観光ガイド]</ref>。 |
2020年6月19日 (金) 05:39時点における版
日本橋人形町 | |
---|---|
日本橋人形町 (2018年2月28日撮影) | |
北緯35度41分10秒 東経139度46分56秒 / 北緯35.68611度 東経139.78222度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 中央区 |
地域 | 日本橋地域 |
人口 | |
• 合計 | 5,277人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
103-0013[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 品川 |
日本橋人形町(にほんばしにんぎょうちょう)は、東京都中央区の地名で、旧日本橋区に当たる日本橋地域内である。現行行政地名は日本橋人形町一丁目から日本橋人形町三丁目。郵便番号は103-0013[2]。
概要
オフィス・飲食店や住居が混在する街並みで人形町通りや甘酒横丁を中心に飲食店が連なる。毎年8月に人形町通りで行われる「せともの市」は夏の恒例行事となっている。
江戸時代初期には遊廓、吉原(元吉原)があり、江戸中期に入ると陰間茶屋に取って代われ、男色の中心地として多くの店が軒を連ねていた場所としても有名であった。
地理
日本橋地域のほぼ中央に位置する。
歴史
江戸時代初期には、幕府公認の遊廓、吉原が人形町通り東側の辺りにあった(元吉原)。「大門通り」はその名残である。1657年(明暦3年)1月の明暦の大火(振り袖火事)で辺り一帯が焼失したことを機会に、幕府の命令で、遊郭は地名ごと浅草寺裏の日本堤付近に移転した(新吉原)。
舞台小屋が集中していた土地柄、陰間茶屋も軒を連ね、1764年(明和元年)には旧芳町だけでも12軒もの陰間茶屋が存在し、近隣の旧堺町や旧葺屋町まで含めると20数軒にまで及ぶほど、現在の日本橋人形町は男色の中心地として賑わいを見せていた。
堺町と葺屋町にあった芝居小屋は、1841年(天保12年)10月7日の火災の後、天保の改革の一環で浅草猿若町(現:台東区浅草6丁目)に移転した。
1951年(昭和26年)には、人形町通り沿いの商店街に、東京初のアーケードが完成(1984年(昭和59年)撤去、現存せず)。
昭和末期頃まで日本橋蛎殻町に和陶器卸が集まっていたことで、現在でも人形町において「せともの市」が継続的に開催されている[4]。
都電の「人形町」電停が人形町交差点付近に存在した。都電は人形町通りを走り、秋葉原駅付近を経由して新宿方面(13番系統)・北千住方面(21番系統)へ、また水天宮前方面とを結んでいた。現在は、同所に、都営地下鉄浅草線地下鉄日比谷線の人形町駅が存在する。
旧町名
下記5町が一つになり、現在の日本橋人形町が成立した。
- 日本橋人形町(旧)
- 日本橋芳町
- 日本橋蛎殻町(旧:一部)
- 日本橋小網町(一部)
- 日本橋浪花町(一部)
地名の由来
江戸時代、堺町と葺屋町が現在の日本橋人形町三丁目の人形町通り西側にあり、歌舞伎小屋の中村座と市村座があった。また、薩摩浄瑠璃(薩摩座)や人形芝居(結城座)も行われていた。一般には人形遣いが多く住んでいたから人形町と名付けられたとされている。江戸時代においては、人形町は通りの名で大坂町、島町、住吉町、和泉町、堺町、芳町がこの通りに面していたが、1933年(昭和8年)に正式にこれらの町名が「人形町」という町名に変更された。
-
人形町駅 A4出入口(2010年5月)
-
甘酒横丁
-
甘酒横丁の道路標
-
勧進帳の弁慶像(浜町緑道)
世帯数と人口
2019年(令和元年)9月1日時点の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
日本橋人形町一丁目 | 901世帯 | 1,582人 |
日本橋人形町二丁目 | 1,475世帯 | 2,615人 |
日本橋人形町三丁目 | 682世帯 | 1,080人 |
計 | 3,058世帯 | 5,277人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 | 備考 |
---|---|---|---|---|
日本橋人形町一丁目 | 全域 | 中央区立日本橋小学校 | 中央区立日本橋中学校 | |
日本橋人形町二丁目 | 15~20番 32~36番 |
調整区域。以下の学校と選択可能。 ・中央区立有馬小学校 | ||
21~31番 37番 |
調整区域。以下の学校と選択可能。 ・中央区立久松小学校 | |||
その他 | ||||
日本橋人形町三丁目 | 全域 |
地域
- 中央区立日本橋図書館
- 中央区立日本橋小学校
- 中央区立日本橋幼稚園
- 中央区立人形町保育園
観光
交通
- 都営バス秋26系統 人形町三丁目(秋葉原駅前行)
- 中央区コミュニティバス 北循環 水天宮前 / 人形町駅
- メトロリンク日本橋 Eライン 人形町一丁目
- 東京都道・千葉県道50号東京市川線(新大橋通り)
- 甘酒横丁
- 水天宮通り(人形町通り)
- 大門通り
脚注
関連項目
- 久松警察署 - 同町周辺の管轄に当たる。(所在地:日本橋久松町)
- 日本橋消防署 - 同町周辺の管轄に当たる。(所在地:日本橋兜町)
- 親子丼 - 日本橋人形町発祥の東京名物
- 三田政吉 - 料亭「濱田家」の二代目。明治座の元会長。
- 街物語 (まちものがたり) - 山下達郎の曲。当地を舞台とするテレビドラマの主題歌で、山下が街を実際に散策して作曲したとされる。
- 人形町末廣 - かつて存在した寄席
外部リンク
- 中央区ホームページ
- 日本橋小舟町地区 町名の由来 - 中央区
- 日本橋蛎殻町地区 町名の由来 - 中央区
- 銀座 日本橋 築地 月島 人形町 東京観光 - 中央区観光協会
- 日本橋人形町 - 古今・お江戸日本橋 日本橋“町”物語
- 人形町商店街協同組合
- 人形町一丁目芳人町会
- 甘酒横丁 - 日清紡ホームページ内
- 人形町観光ガイド