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2014年8月30日 (土) 08:35時点における版
宮城野部屋(みやぎのべや)は、日本相撲協会所属で伊勢ヶ濱一門の相撲部屋。
歴史
もともとは明治時代に創設された部屋で、大正時代には横綱・鳳を輩出した。1916年5月から鳳は二枚鑑札で年寄・7代宮城野を襲名し、1920年5月場所限りで現役を引退して以降は年寄専任となって宮城野部屋を継承したものの、1956年11月に7代宮城野が逝去したために宮城野部屋は閉鎖された。この時、宮城野部屋に在籍していた7代宮城野の娘婿である幕内・福ノ里は高嶋部屋へ移籍した。
その後、高嶋部屋に所属する横綱・吉葉山が、1958年1月場所において現役を引退して一代年寄・吉葉山を襲名すると同時に自身が主宰する吉葉山道場を創設し、1960年に名跡変更を行い年寄・8代宮城野を襲名して、それに伴い道場の名称を宮城野部屋と改める形で宮城野部屋を再興した。8代宮城野は関脇・明武谷や陸奥嵐、小結・廣川など数多くの関取を育て上げた。
1977年11月に8代宮城野が逝去したため、同年12月に宮城野部屋の部屋付き親方である10代東関(元小結・廣川)が9代宮城野を襲名して宮城野部屋を継承した。9代宮城野は先代の弟子から幕内・竹葉山や港龍などといった関取を輩出した。
1989年6月には9代宮城野が急逝し、それに伴い、宮城野部屋の部屋付き親方である10代中川(元幕内・竹葉山)が10代宮城野を襲名して宮城野部屋を継承した。10代宮城野は先代の弟子から幕内・光法や十両・若隼人を、自身の直弟子からはモンゴル出身の白鵬を関取として輩出した。
2004年8月26日に出羽海一門の北の湖部屋に所属する十両・金親が、9代宮城野未亡人と養子縁組を行った後に9代宮城野次女と結婚し、同時に11代宮城野を襲名して宮城野部屋を継承し、それまで宮城野部屋の師匠を務めていた10代宮城野は年寄・15代熊ヶ谷を襲名して再び宮城野部屋の部屋付き親方となった。一門の枠組みを越えた相撲部屋の継承は昭和中期以降では初めてのこととなった。11代宮城野が師匠に就任していた時期には、白鵬が横綱へと昇進しているほか、先代からの弟子であるモンゴル出身の龍皇が関取へ昇進している。
2007年5月に「11代宮城野が知人の女性に対して『(白鵬が初の綱獲りに挑戦した)2006年7月場所で横綱・朝青龍ら4人に計900万円を支払って白鵬に勝たせるよう依頼した』と語った」という内容の記事が講談社『週刊現代』に掲載され、日本相撲協会は名誉棄損として『週刊現代』を訴えて、その裁判自体は日本相撲協会側が勝訴したものの、日本相撲協会は11代宮城野の言動が協会の品位を傷つけたものであるとして、2010年12月24日に開催された日本相撲協会理事会において11代宮城野に対して15代熊ヶ谷と年寄名跡を交換することによって部屋の師匠の座を交代することを勧告した。その後、同年12月27日に11代宮城野が勧告を受け入れたことにより、15代熊ヶ谷は11代宮城野と年寄名跡を交換する形で12代宮城野として再び宮城野部屋の師匠に就任し、11代宮城野は16代熊ヶ谷を襲名して宮城野部屋の部屋付き親方となった。2012年9月場所には大喜鵬が新十両へ昇進し、12代宮城野が師匠に再就任して以降では初となる関取が誕生している。
所在地
師匠
- 8代:宮城野潤之輔(みやぎの じゅんのすけ、第43代横綱・吉葉山、北海道)
- 9代:宮城野泰孝(みやぎの やすたか、小結・廣川、神奈川)
- 10代:宮城野泰孝(みやぎの やすたか、前13・竹葉山、福岡)
- 11代:宮城野正浩(みやぎの ただひろ、十2・金親、神奈川)
- 12代:宮城野誠志(みやぎの せいじ、前13・竹葉山、福岡[1])
力士
現役の関取経験力士
幕内
- 関脇
- 小結
- 廣川泰三(神奈川)
- 前頭
- 宇多川勝太郎(前3・東京)
- 大雪嶺登(前3・北海道)
- 港龍安啓(前4・徳島)
- 若吉葉重幸(前6・北海道)
- 大心昇(前8・北海道)
- 龍皇昇(前8・モンゴル)
- 光法賢一(前9・鹿児島)
- 嵐山次郎(前12・岐阜)
- 竹葉山真邦(前13・福岡)
十両
所属年寄
- 熊ヶ谷典諭(くまがたに のりさと、十2・金親、神奈川)
脚注
- ^ 10代と同一人物。