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「下毛郡」の版間の差分

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== 行政 ==
== 行政 ==
=== 歴代郡長 ===
;歴代郡長
特記なき場合『下毛郡誌』による{{sfn|大分県下毛郡教育会|1927|loc=269-270頁|ref=shimoge}}。
特記なき場合『下毛郡誌』による{{sfn|大分県下毛郡教育会|1927|loc=269-270頁|ref=shimoge}}。
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!代!! 氏名!! 就任年月日!! 退任年月日!! 備考
!代!!氏名!!就任年月日!!退任年月日!!備考
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|1||鈴木閒雲||明治11年(1878)11月1日||1898年(明治31年)8月?||
|1||鈴木閒雲||明治11年([[1878]])[[11月1日]]||明治31年([[1898年]])[[8]]?||
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|2||鶴田正義||1897年(明治30年)12月||1900年(明治33年)6月||
|2||鶴田正義||明治30年([[1897年]])[[12]]||明治33年([[1900年]])[[6]]||
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|3||鈴木閒雲||1900年(明治33年)6月||1904年(明治37年)7月||
|3||鈴木閒雲||明治33年(1900年)6月||明治37年([[1904年]])[[7]]||初代の再任
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|4||出事<!--人名か?-->||1904年(明治37年)7月||1909年(明治42年)3月||
|4||出事<!--人名か?-->||明治37年(1904年)7月||明治42年([[1909年]])[[3]]||
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|5||松岡公達||1909年(明治42年)3月||1914年(大正3年)6月||
|5||松岡公達||明治42年(1909年)3月||大正3年([[1914年]])6月||
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|6||出事<!--人名か?-->||1914年(大正3年)6月||1919年(大正8年)4月||
|6||出事<!--人名か?-->||大正3年(1914年)6月||大正8年([[1919年]])[[4]]||4代の再任
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|7||田島七郎||1919年(大正8年)4月||1922年(大正11年)8月||
|7||田島七郎||大正8年(1919年)4月||大正11年([[1922年]])8月||
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|8||桂登利蔵||1922年(大正11年)8月||1924年(大正13年)10月||
|8||桂登利蔵||大正11年(1922年)8月||大正13年([[1924年]])[[10]]||
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|9||尾形善忠||1924年(大正13年)10月|| 大正15年(1926)6月30日|| 郡役所廃止により、廃官
|9||尾形善忠||大正13年(1924年)10月|| 大正15年([[1926]])[[6月30日]]||郡役所廃止により、廃官
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2021年9月25日 (土) 23:29時点における版

大分県下毛郡の位置(水色:後に他郡から編入した区域)

下毛郡(しもげぐん)は、大分県豊前国)にあった

郡域

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、中津市の大部分(小祝・山国町長尾野を除く)にあたる。

歴史

古代には三毛郡(みけのこおり)であったが、後に山国川を境に上三毛郡と下三毛郡に分けられ、さらに上毛郡・下毛郡となった。現在でも山国川を挟んで隣接する旧上毛郡地域(現在の福岡県豊前市の一部、築上郡東部)とは文化・歴史的に関係が深い。

近世以降の沿革

知行 村数 村名
幕府領 西国筋郡代[1] 21村 戸原村、跡田村、折元村、落合村、東谷村、西谷村、山移村、柿山村、大久保村、樋山路村、宮園村、中摩村、金吉村、島村、守実村、藤野木村、吉野村、平小野村、小屋川村、草本村、宇曽村
旗本領 3村 上秣村、下秣村、西秣村
藩領 豊前中津藩 1町
74村
金谷村、中津城下[2]、萱津村、角木村、大塚村、蠣瀬[3]、島田村、中殿村、牛神村、宮夫村、一ツ松村、東浜村、大新田村、下池永村、上池永村、永添村、相原村、湯屋村、万田村、高瀬村、上宮永村、下宮永村、今津村、赤迫村、鍋島村、諸田村、全徳村、合馬村、是則村、田尻村、定留村、野依村、上植野村、下植野村、北原村、大悟法村、大貞村、中原村、犬丸村、助部村、福島村、加来村、伊藤田村、下伊藤田村、佐知村、土田村、臼木村、諌山村、原口村、成恒村、森山村、小袋村、東田口村、中畑村、大野村、槻木村、西田口村、上深水村、下深水村、樋田村、下屋形村、今行村、西屋形村、東屋形村、曽木村、平田村、冠石野村、多志田村、三尾母村、福土村、小友田村、川原口村、栃木村、柿坂村、金手村[4]
  • 慶応4年(1868年)8月 - 旗本領が日田県の管轄となる。
  • 明治3年(1870年)1月 - 幕府領が対馬厳原藩領となる。
  • 明治4年
  • 明治9年(1876年
  • 明治11年(1878年11月1日 - 郡区町村編制法の大分県での施行により、行政区画としての下毛郡が発足。郡役所が中津に設置。
  • 明治17年(1町94村)
    • 大久保村・島村が合併して大島村となる。
    • 明治22年までの間に以下の各村の統合が行われる。
      • 上植野村・下植野村が合併して植野村となる。
      • 東田口村・西田口村が合併して田口村となる。
      • 下伊藤田村が伊藤田村に合併。
  • 明治21年(1町89村)
    • 7月 - 中津城下・金谷村・萱津村が合併して中津町となる。
    • 中畑村・大野村・川原口村・栃木村が合併して津民村となる。

町村制以降の沿革

1.中津町 2.大江村 3.豊田村 4.小楠村 5.鶴居村 6.大幡村 7.如水村 8.和田村 9.桜洲村 10.尾紀村 11.三保村 12.山口村 13.真坂村 14.深秣村 15.東城井村 16.城井村 17.津民村 18.上津村 19.東谷村 20.西谷村 21.柿山村 22.山移村 23.下郷村 24.三郷村 25.溝部村 26.槻木村(紫:中津市)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。全域が現・中津市。(1町25村)
    • 中津町(単独町制)
    • 大江村 ← 蠣瀬、大塚村、角木村
    • 豊田村 ← 島田村、中殿村、上宮永村、下宮永村
    • 小楠村 ← 一ツ松村、宮夫村、金手村、牛神村、大新田村、東浜村
    • 鶴居村 ← 万田村、高瀬村、湯屋村、永添村、相原村
    • 大幡村 ← 大貞村、上池永村、中原村、大悟法村、加来村
    • 如水村 ← 助部村、下池永村、是則村、合馬村、全徳村
    • 和田村 ← 定留村、諸田村、田尻村
    • 桜洲村 ← 今津村、赤迫村、鍋島村
    • 尾紀村 ← 植野村、野依村、犬丸村
    • 三保村 ← 福島村、伊藤田村、北原村
    • 山口村 ← 成恒村、諫山村、原口村、田口村、森山村
    • 真坂村 ← 土田村、佐知村、小袋村、臼木村
    • 深秣村 ← 西秣村、上秣村、下秣村、上深水村、下深水村
    • 東城井村 ← 下屋形村、樋田村、今行村、東屋形村、西屋形村、曽木村
    • 城井村 ← 戸原村、冠石野村、平田村、多志田村、三尾母村、小友田村、福土村、柿坂村
    • 津民村(単独村制)
    • 上津村 ← 折元村、跡田村、落合村
    • 東谷村西谷村柿山村山移村(それぞれ単独村制)
    • 下郷村 ← 大島村、金吉村、樋山路村、宮園村
    • 三郷村 ← 中摩村、守実村、宇曽村、藤野木村、日田郡長小野村
    • 溝部村 ← 草本村、平小野村、吉野村、小屋川村
    • 槻木村(単独村制)
  • 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
  • 明治29年(1896年)4月1日 - 中津町が福岡県上毛郡高浜村の一部(小祝の一部)を編入。(越境合併
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正14年(1925年
    • 4月1日 - 豊田村・大江村が中津町に編入。(1町23村)
    • 9月1日 - 城井村が改称して耶馬溪村となる。
  • 大正15年(1926年
  • 昭和3年(1928年)4月1日 - 柿山村が改称して深耶馬溪村となる。
  • 昭和4年(1929年
    • 4月1日 - 小楠村が中津町に編入。(1町22村)
    • 4月20日 - 中津町が市制施行して中津市となり、郡より離脱。(22村)
  • 昭和8年(1933年)4月1日 - 桜洲村・尾紀村が合併して新昭村が発足。(21村)
  • 昭和10年(1935年)時点での当郡の面積は477.98平方km、人口は47,376人(男23,361人・女24,015人)[5]
  • 昭和15年(1940年11月3日 - 新昭村が町制施行・改称して今津町となる。(1町20村)
  • 昭和17年(1942年7月1日 - 「下毛地方事務所」が中津市に設置され、本郡を管轄。
  • 昭和18年(1943年8月8日 - 鶴居村・大幡村・如水村が中津市に編入。(1町17村)
  • 昭和26年(1951年)4月1日(1町11村)
    • 東耶馬溪村・上津村が合併して本耶馬渓村が発足。
    • 津民村・山移村・下郷村が合併して中耶馬溪村が発足。
    • 三郷村・溝部村・槻木村が合併して山国村が発足。
    • 三保村が中津市に編入。
  • 昭和28年(1953年
    • 4月1日 - 耶馬溪村が中耶馬溪村に編入。(1町10村)
    • 9月1日 - 中耶馬溪村が改称して耶馬溪村となる。
  • 昭和29年(1954年
    • 1月1日 - 耶馬溪村の一部(多志田・冠石野の各一部)が本耶馬渓村に編入。
    • 3月31日(1町4村)
      • 東谷村・西谷村が本耶馬渓村に編入。
      • 深秣村・山口村・真坂村が合併して三和村が発足。三和村が即日改称して三光村となる。
      • 耶馬溪村・深耶馬溪村が耶馬溪村に編入。
    • 10月1日 - 和田村が中津市に編入。(1町3村)
  • 昭和30年(1955年2月1日 - 今津町が中津市に編入。(3村)
  • 昭和33年(1958年)4月1日 - 山国村が町制施行して山国町となる。(1町3村)
  • 昭和34年(1959年)11月1日 - 本耶馬渓村が町制施行して本耶馬渓町となる。(2町2村)
  • 昭和40年(1965年)4月1日 - 耶馬溪村が町制施行して耶馬溪町となる。(3町1村)
  • 平成17年(2005年3月1日 - 三光村・本耶馬渓町・耶馬溪町・山国町が中津市に編入。同日下毛郡消滅。

変遷表

自治体の変遷

行政

歴代郡長

特記なき場合『下毛郡誌』による[6]

氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 鈴木閒雲 明治11年(1878年11月1日 明治31年(1898年8月?
2 鶴田正義 明治30年(1897年12月 明治33年(1900年6月
3 鈴木閒雲 明治33年(1900年)6月 明治37年(1904年7月 初代の再任
4 出事 明治37年(1904年)7月 明治42年(1909年3月
5 松岡公達 明治42年(1909年)3月 大正3年(1914年)6月
6 出事 大正3年(1914年)6月 大正8年(1919年4月 4代の再任
7 田島七郎 大正8年(1919年)4月 大正11年(1922年)8月
8 桂登利蔵 大正11年(1922年)8月 大正13年(1924年10月
9 尾形善忠 大正13年(1924年)10月 大正15年(1926年6月30日 郡役所廃止により、廃官

脚注

  1. ^ 記載は厳原藩領。
  2. ^ 中津城下63町の総称。記載は中津町畑。本項では便宜的に1町として数える。
  3. ^ 記載は蛎瀬村。
  4. ^ 記載なし。
  5. ^ 昭和10年国勢調査による。国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。
  6. ^ 大分県下毛郡教育会 1927, 269-270頁.

参考文献

  • 大分県下毛郡教育会 編『下毛郡誌』大分県下毛郡教育会、1927年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1189329 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 44 大分県、角川書店、1980年11月1日。ISBN 4040014405 
  • 旧高旧領取調帳データベース

関連文献

  • 山本艸堂 編『下毛郡史』私立三余女学校、1912年。NDLJP:946517 

関連項目

先代
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行政区の変遷
- 2005年
次代
(消滅)
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