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Wikipedia:手続きは重要

Wikipedia:PIから転送)
「見よ、私が混沌から秩序を生み出すのを!」ハムラビ法典

手続きは、ウィキペディアにおいて、あるいはウィキペディアにとって重要なものです。一方で、ルールすべてを無視しなさいウィキペディアは規則主義ではありませんといったウィキペディアの方針[注釈 1]雪玉条項のような私論にもとづき、手続きの重要性を最低限に評価する人たちも居ます。しかしながら、手続きは成果物を生み出すために不可欠なものです。手続きは、コミュニティーの合意を実行するための、多数の人たちが共同プロジェクト上で一緒に働くための、基礎的な手段の一つです。あるいは、他の利用者が公平に振る舞っている、ルールが突然変わったりしない、ルールが特権を持った利用者にとって変わったりしない、と利用者が信用できるようにするための方法です。手続きを全く省略したり、不十分だったりすることは、最終的には私たちの成果物に害をなすことにもなります。

ウィキペディア上には様々な手続きが存在しています。記事の削除の手続き、即時削除の手続き、管理者への立候補の手続き、論争の解決の手続き、秀逸な記事の選考の手続きなどがあります。ウィキプロジェクトなどのもっと具体的な範囲で特有な手続きもあります。さらに、各記事の内容や書式などについて複数の編集者による議論になったときは、各記事のノートにおいても、解決に向けての手続きが日常的に行われています。

これらの手続きのほとんどは、形は違っても、コミュニティーの合意によって決定されます。ある争点に対して合意を決定するために、いくつかの手続きでは最終的には投票を実施することもあります。しかしながら投票の最中であってさえも、意見を違える人々を説得できることを、お互いの歩み寄りが生まれることを、単なる多数派あるいは圧倒的多数派ではなく本当の合意が生まれることを願って、単純な賛成・反対の投票だけでなく、議論をすることが許可されているだけでなく奨励されます。

手続きなんて見てられないかもしれませんが、70年間、世界大戦は避けられてきました。

デュー・プロセス・オブ・ローにおいて、「法に基づく適正手続の保障」を定めていることは偶然ではありません。実際、ほとんどの統治制度において、権利と自由を守るための有効な仕組みは、原則的に手続きにもとづく仕組みとなっています。もちろん、ウィキペディアは統治機構ではありません。社会実験や共同体実験を行っているわけでもありません。しかし、多くの人々が交流するとき、いつだろうと同じ問題が発生するものです。このような問題を解決するために使用されてきた手続きによる方法を、適切に変化させながら、ウィキペディアのようなプロジェクトに適用されるべきです。プロジェクトが大きくなり、影響力を増すほど、このことがより当てはまることになります。

時として、手続きはあなたをうんざりさせるかもしれません。いくつかの手続きは、編集者に対して結果を得るまでに様々な手順を踏むことを要求します。面倒だったり、時間の消費になったりもします。特定の状況によっては、望むような早さで対処されない場合もあります。時には、手続きを経てもあなたが望むような結果が得られそうにない場合もあります。これらのような状況では、一方的な行動を取ってもいい、単純に自分が問題だと思う場所を直せばいいという誘惑が存在します。そして、時として、多くの人々もそれを支持します。

この誘惑に従うことの問題点は、ウィキペディアの体制全体に悪影響を与えることです。プロジェクトを動かす歯車に砂が混入するようなものです。手続きを無視して振る舞う他の人々を見たとき、人々は「自分たちもそのようにすべきだ」と確信するかもしれません。あるいは、「個々の声や観点が尊重されたり、考慮されることはない」と確信するかもしれません。もし、全ての人々が手続きを無視すれば、そもそも手続きは存在せず、私たちの努力が組織化されることもないでしょう。そして、私たちは一つの共同プロジェクトを持つことはできず、混沌だけが手元に残るでしょう。

決してサッカーの観衆によって無意識的に生み出されたわけではない、秩序立った情報の収集物。写真は1909年から1922年にかけて発行されたフィンランドの百科事典(Tietosanakirja

ウィキペディアの根本的目標は百科事典を作ることで、あらゆる手続きはそのための一つの手段に過ぎません。重要なウィキペディアンによるコミュニティーでさえも、そのための一つの手段です。特定の状況では、手続きに従うことによって時間やエネルギーを要するかもしれません。時には、手続きに従った結果、思ったよりも貧相な結果しか得られないこともあります。しかし、頻繁に手続きを無視した行動が行われると、人々の不平不満が強くなり、広がっていきます。そのような不平不満によって、手続きを無視したことによって節約した以上の時間やエネルギーの消費が発生するかもしれません。大きな騒動とならない多くの場合であっても、手続きを無視した行動は個々の利用者同士の信頼関係を傷つけたり、コミュニティーを損傷させたりしがちです。コミュニティーは百科事典を作るために欠くことのできない手段です。コミュニティー無しでは、百科事典を書こうとする人はいないでしょうし、それらの執筆を取りまとめる手段も無くなるでしょう。さらに言えば、コミュニティー無しでは、百科事典を作る上で必要だが魅力のない課題を人々が引き受ける理由も無くなります。

手続きは必ずしも融通が利かないものではありません。コミュニティーや関連する部門が望めば、ウィキペディア上の手続きや方針は変更できます。多くの手続きは、特定の場合や状況では例外や別の方法も許容しています。そのような例外的やり方も手続きへ組み込むことができます。

ロバート議事規則。これによって、秩序立った民主的な手続きが誰にとっても利用可能になりました。

小さなグループでは仕組みや手続きに対する需要は少ないものです。5人のプロジェクトでは、仕組みはわずかであったり、公式な手続きなどない方が望まれるかもしれません。5千人が一緒に働くプロジェクトでは、多少の仕組みが不可欠となります。ウィキペディアは意図的に比較的わずかな仕組みしか持たないようにしていますが、生産的な方法を継続するには多少の仕組みは不可欠です。公式な手続き、あるいは非公式な日常的な手続きは、その仕組みにおける重要な要素となります。

ウィキペディアが始まって間もない頃は、ウィキペディアの仕組みを保つための手続きは、わずかなものしか求められませんでした。初期のほとんどの貢献者はお互いを知っていましたし、そうでなくてもすぐにお互いを知ることになっていました。問題は日常的な非公式の議論を通じて解決可能でした。ウィキペディアが成長するに連れて、多くの手続きが発展しました。未だに多くの貢献者がお互いを知っていたとしても、多くのサブコミュニティーが存在し、主要な貢献者たちの全員あるいはほとんどを知っているような人はもはや居ないでしょう。方針や記事の問題点について、人々は異なった観点を持っています。全ての人々が妥当だと受け入れることができるような方法で問題が解決できるように、公式な手続きが必要とされます。一方的な行動は、この受け入れを壊し、自己優先的で自分のやり方しか認めないようなプロジェクトに対する姿勢につながります。たとえ、人々がその行動はプロジェクトの利益のための行動だと心から信じてくれる場合であっても。

特に、手続きを無視した行動に、管理者しか使用できないような権限や長年のベテラン利用者しか知り得ないような知識が関わっている場合、その行動はとりわけ危険です。まるでカースト制度のような印象を与えるかもしれません。誰もカースト制度の最下層になりたいとは思わないでしょう。そのような印象は貢献のモチベーションを下げることになります。

しかし逆にあなたが方針と手続きに従うなら、他の編集者はどの方法が現在きちんと働いているか知ることができますし、足元がおぼつくとは感じないでしょう。ひょっとしたら皮肉にも、方針に徹底的に従うことは、透明性を高く保ちながら、迅速な解決法を追うよりも物事を支障なく進めることができるかもしれません。透明性を提供することは、関心を持つあらゆる人々に関連する証拠を批評できるようにします。また、最終決定が妥当かどうかを誰もが独立して検証できるようにし、混乱を減らすこともできます。混乱を減らすことによって、編集者は、他者へ自らの行動を弁明することに時間を費やすことなく、他の重要な課題に集中することができます。

これらの理由から、編集者、特に管理者は、本当に緊急を要するような状況でない限り、既存の手続きを守り、手続きの外で行動することへの誘惑に抵抗すべきです。もし、ある手続きが良いものでなかったら、他のウィキペディアンをその問題に関与させて、変更を提案しましょう。単に手続きを無視しないでください。

脚注

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注釈

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  1. ^ 2015年現在、Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいはウィキペディア日本語版では草案となっています。

関連項目

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