コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/聖徳太子 20181208

選考終了日時:2018年12月22日 (土) 10:05 (UTC)

  • (推薦)この記事は、{{出典の明記}}などの記事の問題がなく、様々な「説」は両方が明記されていて注釈、出典及び参考文献の量が多く内容の信憑性があります。また飛鳥時代の人物として珍しい画像が多く使用されていております。良質な記事としての基準を満たしていると思います。であるからしてこの記事を推薦させていただきます。-ダーフレ (会話履歴SUL1SUL2他P) 2018年12月8日 (土) 10:05 (UTC)[返信]

1.* 賛成 -Jag har alltid varit intersserad av Sverige会話2018年12月8日 (土) 10:22 (UTC)(←利用者:ダーフレの代理投票・ダーフレはこれを自分の票とし、自分は投票いたしません)[返信]

  • 反対 膨大な研究史がある上に現在でも活発な議論が続いている人物であり、難易度が非常に高い主題の記事であるということはあるのですが、現状では情報の精度、説明の質、量いずれにおいても良質とは言い難いと考えます。
  • §名称:聖徳太子の名称についての研究はそれだけで論文が何十本もあるような分野であり分厚い研究史があります。しかし、現在この節で使用されている出典は『新設戦乱の日本史』という信頼を置き難い雑誌1冊と『石宝殿―古代史の謎を解く』という恐らく聖徳太子自体を対象としていない書籍、一次資料となる『日本三代実録』および風土記となっており、情報源の品質に問題があります。また各名称も順に羅列されているのみですが、聖徳太子をどのような名前で呼ぶかということ自体に各種の思想が反映されてきた経緯を考えれば、歴史的推移と位置付けからの記述が必要と考えます。実際の研究者でも例えば石井公成『聖徳太子 実像と伝説の間』では聖徳太子が歴史上どのように呼ばれてきたか、また現代の呼び名がどのように移り変わったかについて、かなり込み入った経緯があったことを明らかにしており、名称についてかなりの分量を割いています。
  • §日本書紀に見られる記述:『日本書紀』に見られる、としつつ「キョウダイ婚」への言及や部民制への言及が中途半端にあるのは構成上良くないと考えます。まず『日本書紀』の記述に基づく伝承を書き、分析的内容は別節に分けるべきだと考えます。
  • §そのほかの伝説:100年前の研究者によるネストリウス派キリスト教の影響についての言及を冒頭に持ってきていたり、各伝説の歴史上の位置付けや現代の研究における言及などの情報が乏しく、雑多な情報の羅列となっています。
  • §ゆかりの寺院および§ゆかりの神社:これらの節が一覧になるのは性質上当然ではありますが、出典がほぼ皆無であり良質な記事の基準からは大いに問題があります。
  • §後世の評価:歴史上の聖徳太子像の変遷や、政治的立場による言及の仕方の違いなどについての記述が不可欠であると思います。
  • §虚構説:全体の構成から見て不自然に分量が多く、しかも記事内で議論を行っているような体裁となっており抜本的な修正が必要だと思います。「現在の歴史学会では無視されている」という本文の(上にあげた石井公成氏の本を出典としていますが)記述から考えれば、一行程度言及があればそれで十分であるとも思えます。
問題点はまだまだ挙げられる気がしますが、とりあえず特に大きな問題と感じるのは上記です。履歴を見ると主筆者と言える人間がおらず、徐々に加筆されて現在の形に至ったように思われ、その意味ではWikipediaらしい道を歩んできた記事であるとも思いますが、全体的な構成の見直し、出典の信頼性の再確認などが必要であり、品質面で改善を要する状態であると思います。--TEN会話2018年12月10日 (月) 14:19 (UTC)[返信]
  • コメント 分量はありますがそれに対して出典がない節が多いように感じられます。全体の半分は占めている「名称」から「著作」の節まで注釈ではないrefがつけられているのは10しかなく、それ以降の特に「虚構説」の節に出典ありの記述が集中しています。出典がある箇所でもページ番号の記載がないことが多いです。何年か前ならこの程度でも選考通過する可能性はあったかもしれませんが。--Nuonuonuo会話2018年12月12日 (水) 16:36 (UTC)[返信]

選考終了時点で賛成1票、反対1票のため、今回は見送りとなります。--Tam0031会話2018年12月24日 (月) 15:11 (UTC)[返信]