Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/織田信行 20190519
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選考終了日時:2019年6月2日 (日) 12:41 (UTC)→2019年6月16日 (日) 12:41 (UTC)
- (推薦)現行の版の記事の多くの部分を私が書いているので自薦ということになると思います。織田信長の弟である戦国時代の人物の記事です。知名度の高さに反して生涯も短く史料も多く残っているわけではないため、現状でほぼ書くべきトピックは網羅できているつもりです。また、新しいものも含めて信頼できる二次資料に依拠しています。出典の柴裕之「総論 戦国期尾張織田氏の動向」や谷口克広の『天下人の父・織田信秀 : 信長は何を学び、受け継いだのか』を見る限り、織田信行を扱った主要な文献は抑えられていると思います(論集『尾張織田氏』は「織田信長による尾張平定までの尾張織田氏に関する主要な七本の論考」を収録したもので、この論集所収の論文と村岡幹生氏の論文で主要な研究論文はカバー)。研究者間で議論のあるところは帰属化・両論併記によって中立的に書き、導入部等もWikipedia:スタイルマニュアルに則るように留意しましたので、WP:GACの4つの基準を満たしているのではないかと考えています。ご意見いただければと思います。よろしくお願いいたします。--伊佐坂安物(会話/履歴) 2019年5月19日 (日) 12:41 (UTC)修正--伊佐坂安物(会話/履歴) 2019年5月19日 (日) 15:12 (UTC)
- 賛成 現状で分かっていることを中心に、新しい資料を丁寧に参照し、意見の対立があるものについては両論併記にするなど、ウィキペディアの記事として求められる書き方がきちんとなされているものと思います。良質な記事の水準に十分達しているものと思います。--Tam0031(会話) 2019年5月21日 (火) 14:56 (UTC)
- 賛成 しっかりとまとまった記事であると思います。一応、和田裕弘『織田信長の家臣団』(中公新書)に織田信行(同書は一貫して信勝を採用していますが)について本記事より大分簡潔ではあるもののまとめがあるので、比較してみましたが大枠で齟齬無く問題はありませんでした。1点だけ、本文中の記述と合致しないものとして、「この名のうち『達』の字は守護代の織田大和守家の当主の通字であり、信行もそのことを意識して改名したと思われる」という記述に対し、同書はこの「達」字を有名無実化した守護代家の跡を襲う意図があった可能性を想像しつつ、守護斯波義達の達の字との関係について述べていますが、著者の推論という枠を出る書き方ではないためこの見解への言及は必ずしも必要ないものと想像します。--TEN(会話) 2019年5月26日 (日) 17:19 (UTC)
- 皆様コメントありがとうございます。ご指摘の書籍の斯波義達との関連性についての記述を注釈として取り入れました。--伊佐坂安物(会話/履歴) 2019年6月2日 (日) 11:49 (UTC)
- コメント 選考終了時点で賛成2票のため、選考期間が2週間自動延長となります。--Mogbot(会話) 2019年6月3日 (月) 00:08 (UTC)
- 賛成 あまりよく分かっていない人物であることを踏まえつつ、現状分かっている(研究されている)こととしてしっかりまとめられていると思います。「近年の論文や書籍では、『信行』ではなく、『信勝』として表記されることが多い」とある通り私もこの人物を信勝の名で認識していたんですが、それ以前は信行の名で知られていたんですね。--totti(会話) 2019年6月5日 (水) 07:12 (UTC)
賛成のみ3票の状態が48時間継続したため、早期終了・通過となります。--Mogumin(会話) 2019年6月7日 (金) 09:01 (UTC)