Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/皇太子裕仁親王の欧州訪問 20121011
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皇太子裕仁親王の欧州訪問 - ノート
[編集]選考終了日時:2012年10月24日 (水) 18:53 (UTC)
- (自動推薦)2012年9月度の月間新記事賞受賞記事。--totti(会話) 2012年10月10日 (水) 18:53 (UTC)
- 賛成 参考文献が少ないのが気になりました。図書館で軽く調べただけでも裕仁親王の欧州訪問の文献は簡単に見つかります。しかし、裕仁親王の欧州訪問に関する事柄は十分に網羅されていると思います。また構成も分かりやすく、読みやすい良文です。--ぱたごん(会話) 2012年10月11日 (木) 09:57 (UTC)
- 賛成 読みました。
- 「洋行反対の動き」の節:兄弟の色弱が発覚したことを契機に家系的な色盲遺伝が疑われたのであって、「色弱遺伝が判明した」と書くと医学的根拠を元に何らかの事実が判明したように見えて違和感がある。久邇宮家が杉浦重剛の支持を得て山県との対立を深めたことが書かれていない。また、洋行問題と宮中某重大事件を期に中村宮相が辞任したことと、山県の権威が失墜したことは記述すべきではないだろうか、と感じた。
- 「往路」から「帰国」までの工程については章レベルをもう一段下げてもいいのでは。目次が見辛い。
- 参考文献についてはぱたごん氏に同意。特に「洋行反対の動き」の脚注3-15まで、実質一人の筆者の典拠のみとなっているため、中立的な観点で問題ないのかどうか判断しかねる部分がある。(多分問題ないのでしょうけれども)
- 書かれるべきことが書かれてますし、構成上の深刻な問題はないと思いますので、良質な記事への選出に賛成します。--ayasesaya(会話) 2012年10月11日 (木) 11:50 (UTC)
- 賛成 やはり、参考文献が外務省文書アーカイブのほかは、児島襄氏の書籍だけに頼っているところは気になります。内容的には、この外遊の影響といったものはまとめられないものか、と思います。欧州諸国における以降の対日観はどうだったのか、日本国内での外遊に対する反応はどうだったのか、そして裕仁親王自身はどういう感想だったのか、といったあたりをうまくまとめられればさらに充実するものと考えます。確か、この外遊がこれまでで一番楽しかったと後に昭和天皇自らが回想した、という話があったように思います。ともあれ、外遊の内容自体については非常にうまくまとめられ、読みやすくわかりやすい文章になっているものと思います。スタブは外してしまってよいのではないかとも思います。--Tam0031(会話) 2012年10月16日 (火) 16:11 (UTC)
賛成のみ3票の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031(会話) 2012年10月18日 (木) 16:15 (UTC)