Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/東慶寺 20131211
表示
選考終了日時:2013年12月24日 (火) 16:14 (UTC)
- (自動推薦)2013年11月度の月間強化記事賞受賞記事。--ぱたごん(会話) 2013年12月10日 (火) 16:14 (UTC)
- 賛成 これは素晴らしい出来栄えだと思います。FA推薦されても前向きに検証作業に当たる気になる記事です。縁切寺としての経緯、法的な側面、から当時の家族制度まで伺えるばかりでなく、現代の寺の様子も的確に書かれていると思います。強いて言えば「示滅」などのほかではあまり使われない用語を(文脈から意味は分かりますが)一般の読者に分かりやすい用語に変えられないかとも思います。「示滅」を「入滅」や「寂滅」などのより一般的な言葉に直してはニュアンスが異なってくるのかその辺の判断がつきませんでした。もっともそれはwikipediaの他の項目が充実していればいいことなので、記事の瑕疵ではありません。GAならば十分すぎるほどです。是非FAを目指していただきたい。--ぱたごん(会話) 2013年12月14日 (土) 00:42 (UTC)
- ご評価を頂き有難う御座います。「示寂」は確かに在家(一般社会)では使わない言葉だと思います。辞典によると「高僧などが死ぬこと」らしいですから。実は私も今回初めて使いました。僧侶の世界は在家の世界とは違った言葉を使うので私も詳しくはありませんが、どうも宗派によって位によって死亡の呼び方が違うらしいのです。下手に別の言葉に替えると場合によっては「失礼な!」ということにもなりかねず、霊牌(在家の位牌)の記述、先々代住職の御本の記述に従って「示寂」としました。「文脈から意味は分かりますが」ということでお許し下さい。天秀尼を書いたときにはそこまで考えずに「去天秀尼の死去」としてしまったのですが。---Ktmchi(会話) 2013年12月16日 (月) 15:15 (UTC)
- コメント 内容的には非常に充実していると思いますが、書き方にちょっと疑問が残ります。「寺領」の節は、「歴史」節の中に出てきてかなり長い期間に渡る寺領の変遷について説明していますが、これは独立した節に持って行った方が良いのではないでしょうか。歴史節の中のこの部分において説明を行わなければならない必然性を見出せませんし、ここにこれがあることで前後の節とで説明している時代がかなり前後してしまっています。「明治以降」が別節に区切られていますが、長らく尼寺であったことからすれば大きな展開であるのは分かるものの、やはりこの寺の歴史の一部として解説すべきなのではないでしょうか。「喜連川代官」「円覚寺被官」と、「東慶寺の寺法手続き」の節内の各サブセクションの節タイトルには頭に中黒(・)が付けられているようですが、節タイトルに中黒を付けるのは妥当でないと思います。箇条書きのような効果を狙ったのかもしれませんが、そもそもウィキペディアでは本当に並列になっている事項を列挙するのでないかぎり、あまり箇条書きは好まれていません。スタイル的なことを言えば、あちこちで改行(<br />)を使っているようですが、これも標準的ではないと思います。書籍の表紙のイメージを何か所か使っているようですが、これは本当に著作権的に大丈夫なのか心配が残ります(私はこういう利用態様には詳しくないので断言できませんが)。
- それから全般的に文体が、百科事典の解説に使われるようなものではないと感じます。小説を読んでいるように感じさせるところがあります。たとえば、「近世・江戸時代の離婚」の節で、この時代の婚姻・離婚に関する考え方や制度の背景を説明しているのはよいのですが、
儒教での「女はかくあるべし」が「女三界に家なし」な『女大学』であり、儒家の目からすれば、妻が夫を嫌って別れたいなど不届千万。 男子禁制の東慶寺が夫から逃れる為の妻の駆込みを受け入れるなど言語道断。荻生徂徠門下の太宰春台などは1717年(享保2年)に鎌倉を訪れた際に「誰か松ヶ岡を淫婦の叢林にあらんずと謂ふや」とまでいう。
- などは特に体言止めを使用するなどして印象が強く残ります。百科事典の文章というのは、もっと淡々としてあっさり解説するものだと思います。私なら以下のように直します。
儒教では、この時代に用いられた教訓書である『女大学』に「女三界に家なし」とされたように、妻が夫を嫌って別れたいなどということは不届千万とされていた。男子禁制の東慶寺が夫から逃れる為の妻の駆込みを受け入れるということも言語道断とされていた。荻生徂徠門下の太宰春台などは1717年(享保2年)に鎌倉を訪れた際に「誰か松ヶ岡を淫婦の叢林にあらんずと謂ふや」とまで述べていた。
- このようにすると、だいぶあっさりとしてより中立的な感じの記述になるのではないでしょうか。「縁切寺への幕府の態度」の節なども同様の傾向があるように思いました。一方、離婚制度の建前と実態の説明は重要だと思いますし、実態としての統計情報の提示もよかったものと思います。もう少し文体を工夫できれば、と思います。--Tam0031(会話) 2013年12月18日 (水) 15:45 (UTC)
- アドバイス有難う御座います。
- ・「寺領」の節は自分でも悩ましいところでした。章の構成は昔から上手くないので。ただ「寺役人」の話の前に説明しておかないと、と思いあの位置に置きました。話の中心が16世紀後半ということもあります。ただし「ここにこれがあることで前後の節とで説明している時代がかなり前後してしまっています」というのはおっしゃる通りです。取り敢えず、江戸時代後期の収入の話は「1.7.3 院代法秀尼」の方の注記に移して、「寺領」を「戦国時代の寺領」に変更してみました。「歴史」と同列の節にするかどうかはもう少し考えます。重ねてご意見頂ければと思います。
- ・「明治以降」は「現代」だからと「歴史」から外したのですが、結果的に記述量を抑えたので、「歴史」の中でも良いかもしれません。移動しました。
- ・「サブセクションの節タイトルには頭に中黒(・)が」の件は、箇条書きのような効果というよりも、節タイトルの2段目と3段目、3段目と4段目にあまり差が無く、節の階層が見えにくいという問題への苦肉の策でした。全角スペースだとリンクを貼るときに自分でも忘れてしまうので。邪道であることは意識していましたので取り去ることにします。
- ・「あちこちで改行(<br />)」は、例えば「室町から戦国時代」の16世、17世、18世、19世ですが、それが行の頭に無いと自分でも探しにくい、かといって段落を分けるほどでもないということで改行を用いています。もうひとつは、書籍ですと行間がある程度確保されているのであまり改行しなくとも読みやすい。しかしネット記事は、書籍と同じ量の段落を改行無しのベタにしてしまうと読みにくくなると思いますが如何でしょうか。
- ・画像で自分が気にしているのはむしろ「文化財」に使っている「蒔絵展より初音蒔絵火取母」のポスター写真です。自分で撮ったものですが本の表紙ほど公共性は無いしトリミングもしてるし。東慶寺さんには宝蔵の文化財や古文書の撮影許可を頂いていており、年末24日の宝蔵閉館後に撮影に行きますのでそのあと差し替えます。
- ・「文体」で例をあげて下さった部分は修正しました。太宰春台の文の読み下し引用を増やしました。その方が儒家の感覚が良く伝わると思いましたので。昔から論文みたいな語調だと云われていて注意はしていたのですが、たまに出てしまいます。まだあるかとは思いますが、追々和らげていこうかと思います。---Ktmchi(会話) 2013年12月19日 (木) 12:06 (UTC)(一部追記)
- 「縁切寺への幕府の態度」における、郡代が〈離婚は夫の意思によってなされるものであり云々とそうとうに反発している 〉という部分を、〈離婚は「夫之意ニより」、「左様ニ(縁切寺法のように)婦人之方理合強キ様ニては不相済」と反発している 〉に修正しました。---Ktmchi(会話) 2013年12月19日 (木) 13:05 (UTC)
- 賛成 ありがとうございます、だいぶ改良されたと思います。文化財の撮影許可を得られているというのは素晴らしいですね。今後さらに改良されることを楽しみにしております。--Tam0031(会話) 2013年12月20日 (金) 15:17 (UTC)
- 「縁切寺への幕府の態度」における、郡代が〈離婚は夫の意思によってなされるものであり云々とそうとうに反発している 〉という部分を、〈離婚は「夫之意ニより」、「左様ニ(縁切寺法のように)婦人之方理合強キ様ニては不相済」と反発している 〉に修正しました。---Ktmchi(会話) 2013年12月19日 (木) 13:05 (UTC)
- 賛成 月間強化に推薦された頃と比較すると、所々に見られた百科事典らしくない表現は修正されたと感じました。確かに東慶寺と言えば『縁切寺』としての歴史が解説の主体になるでしょうから、人のえにしを主題にしたエピソードを解説するのは百科事典的記述から逸れた内容に計らずともなりがちで、上手く表現するのは難しいと感じます。ただし全体を通せば『縁切寺』の概要がよくわかる優れたもので、GAとして問題のないものと思います。--さかおり(会話) 2013年12月23日 (月) 06:15 (UTC)
選考終了時点で賛成3票のため、通過となります。--84story64(会話) 2013年12月24日 (火) 22:46 (UTC)