Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/中国攻め 20100911
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選考終了日時:2010年10月11日 (月) 08:30 (UTC)
選考期間の規定により選考期間を1ヶ月に延長--ikedat76 2010年9月23日 (木) 12:49 (UTC)
- (推薦)Wikipedia:月間新記事賞/2010年8月の月間新記事賞では次点となりましたが、良質な記事の目安とされている4点は満たされると考え推薦します。--ブレイズマン 2010年9月11日 (土) 08:30 (UTC)
- 賛成 推薦賛成票です。1577年-1582年の6年間の渡り、織田信長の中国攻め(毛利輝元とそれらに連携した戦国武将)が記載されている記事です。いくつかの戦闘を1つのページにまとめて、短い時間で全体像を知る上で有益と考えます。参考文献も多数記載され、一つ一つの戦いも、簡素に纏められている印象を持ちます。月間新記事賞では次点となりましたが、良質な記事に加えることに賛成させて頂きます。--ブレイズマン 2010年9月11日 (土) 08:30 (UTC)
- 賛成 中国方面軍司令官・羽柴秀吉の戦績を丁寧に時系列で追っていると思います。月刊新記事賞で次点となりましたがGAに賛成です。--Wushi 2010年9月11日 (土) 08:58 (UTC)
反対中国攻めの開始以降の経緯についてはよくまとまっており目から鱗が落ちる思いもしますが、中国攻めの契機や織田氏と毛利氏との対立の原因を説明すべき「信長包囲網の形成と毛利の播磨侵攻」の節については、記述も少なく、また典拠も不足しているように見えます。その点が改善されない限り、良質な記事とはいいがたいです。--Kangoshiyouichi 2010年9月13日 (月) 14:56 (UTC)- コメントブレイズマンさん、御推薦ありがとうございました。Wushiさんはおひさしぶりです。御支持ありがとうございました。Kangoshiyouichiさん、御指摘ありがとうございました。御指摘の通りと考え、改善をほどこしましたが、いかがだったでしょうか。忌憚のない御意見をお願いします。--Chokorin 2010年9月16日 (木) 22:32 (UTC)
- コメント上記コメントにありますように、初稿執筆者差分によって、中国攻め#信長包囲網の形成と毛利の播磨侵攻を中心に大幅に変更されました。他の方も含めまして再考出来る部分がありましたらご検討ください。また、初稿執筆者も 賛成 、 反対 の意見表明が可能ではないかと考えております。良質な記事の目安とされている4点を参考に意見がありましたらご検討くださいませ。--ブレイズマン 2010年9月17日 (金) 07:21 (UTC)
- 賛成 上記の加筆によってさらに精度が高まっており、提案に賛成いたします。別件で申し訳ありませんが記事名については(「織田軍の中国攻め」など)一考の余地があるのではないかと思いました。--オクラ煎餅 2010年9月20日 (月) 04:14 (UTC)
- コメント 選考期限が今週末に迫っていますが、選考期間の規定によれば、「記事の修正が必要とされる意見が出た場合、選考期間を最大1ヶ月延長することができます」とあることを援用してよろしいかと思いますので、独断ながら選考期限を変更いたしました。なお、投票の仕方に「投票内容についての質問がなされ、2週間以内に返答がないとき、投票は無効となる場合が」あると記されています。反対票を投じられたKangoshiyouichiさんの投稿履歴を拝見する限り、9/14からしばらく活動が途絶えているようです。ご本人にお知らせを差し上げておきますが、2週間たっても反応が得られない場合は、「無効となる場合」を検討してもよろしいのではないでしょうか。--ikedat76 2010年9月23日 (木) 12:49 (UTC)
- コメント選考期間延長に関しましては、私も適切な判断と思われます。反応に関しましては、すでに対話が始まっておりますので、議論の様子を見守っていきたいと思います。
- 上記の点とは別に疑問があるのですが、仮に本日選考期間が終了した場合、[ 賛成 票3票:全体の75%、 反対 票1票:全体の25%]となり、選考期間に記載されている「選考期間終了時点で賛成票が3票以上かつ2/3以上の支持」の両基準を満たされ、良質な記事に選定する、という認識に問題はありますでしょうか?--ブレイズマン 2010年9月24日 (金) 15:04 (UTC)
- 私の反対票について、「無効となる場合」の適用が検討された以上、賛成票についても「無効となる場合」の適用を検討する可能性が避けられないであろう、ということも考えられますね。--Kangoshiyouichi 2010年9月24日 (金) 15:11 (UTC)
- コメントWikipedia:秀逸な記事の選考のルールを拝見すると、「無効となる場合」は「投票内容についての質問がなされ、2週間以内に返答がないとき」に限られております。上記指摘は、無効になる前にお知らせして頂いたものと思います。ただそれ以外では「無効となる場合」は記述が無いように思えます。あくまでも仮にですが、本日選考期間が終了した場合は、良質の記事とすることにルール上は問題無しでよいでしょうか?--ブレイズマン 2010年9月24日 (金) 15:43 (UTC)
- 私の反対票について、「無効となる場合」の適用が検討された以上、賛成票についても「無効となる場合」の適用を検討する可能性が避けられないであろう、ということも考えられますね。--Kangoshiyouichi 2010年9月24日 (金) 15:11 (UTC)
- (インデント戻す)Kangoshiyouichiさんに。早速対応いただいたお礼申し上げます。ただ一点だけ、蛇足かもしれませんが申し上げたい点があります。Kangoshiyouichiさんの反対票が「程度の低い(高い)意見」だから、無効票とされるわけではありません。
- 詳しくはWikipedia:良質な記事/良質な記事の選考#投票の仕方にある通りをお読みいただきたいのですが、今回の件に即して言えば、当初Kangoshiyouichiさんが反対票を投じられた論点につき状況が変わった(可能性が)あることから、Kangoshiyouichiさんに応答が求められ(「投票内容についての質問がなされ」)た - そういうことなのだとお考えください。
- たしかに「無効」云々という語は多分に刺激的であると言え、その点は申し訳ないと思います。しかしながら、決してKangoshiyouichiさんの投票やご意見を軽視したわけではありません。
- ブレイズマンさんに。現状において、既に選考が延長された(かつ異論も出ていない)以上、「仮に本日選考期間が終了した場合」を考えるのはあまり意味が無いことかと存じます。ただ、現状のまま、賛否の比率が変わらないまま延長された期限に達した場合、選出されると考えてよいでしょう。
- なお、どなたにも申し上げておきたいのですが、選考期間につき当方が差し出がましいことをしましたが、同じ選出をするにしても出来るだけ議論を尽くしてより良い状態でという思いからのものです(今のところあまりいい展開をもたらしていないように見えるのは大変残念に感じます)。その点、どうか汲んでいただけるとありがたく存じます。--ikedat76 2010年9月24日 (金) 16:29 (UTC)
- コメント「仮に」という点に拘りましたのは、推薦を初めて行いましたので、私のルールの解釈に誤りがあると問題だと思い積極的に質問させていただきました(上記ルールには、「選考が終了したら速やかに以下を実施してください。実施は推薦者でなくても構いません」とありますので、推薦者も作業する必要があると思っておりましたので)。ルールの解釈に関しましては了解しました。回答有難うございます。--ブレイズマン 2010年9月24日 (金) 17:03 (UTC)
- 本来は記事が良質の基準に達しているかどうかの議論については、主筆者ではなく推薦者が具体的に説明すべきものかと思われます。何を申し上げたいかというと、現時点で少なくともブレイズマンさんの票については、「投票内容についての質問がなされ」、「返答がない」状況ですので、無効票となる可能性があるかと考えます。いたずらに選考期間の終了を待ち続ける姿勢に終始することなく、下の議論についても何らかのコメントをいただけないでしょうか。--Kangoshiyouichi 2010年9月25日 (土) 01:50 (UTC)
- 利用者‐会話:ブレイズマンにて、「先に述べた意見を維持されるか、変更されるか、ご検討いただけますでしょうか。」というご質問を頂戴いたしました。今後議論の推移を拝見して、私の意見を変更する場合はございます。しかし、下記議論を拝見しましても現時点では 賛成 票を維持します。Wikipedia:秀逸な記事とWikipedia:良質な記事選考基準が違います。秀逸な記事の目安には「内容が充実している。必須の点だけをわかりやすくカバーしただけでは不十分」や「詳しくない読者にもその主題について理解できるように、わかりやすく書かれている」とありますが、良質な記事にはそのような目安はありません。良質な記事の目安とされている4点は満たされると私は考えております。但し、繰り返しになりますが、議論の推移を見守って私の意見を変更する場合はあります。それとご指摘にある「いたずらに選考期間の終了を待ち続ける姿勢」というのは望ましいものではありません。問題解決に寄与出来る部分がありましたら、意見を述べたいと思います。ただ、私自身にもう少し「中国攻め」に関する知識が必要とも思えます。下記にあがっている文献や本文にある参考文献も一度読んでみようかなとも思います。--ブレイズマン 2010年9月25日 (土) 05:56 (UTC)
- 本来は記事が良質の基準に達しているかどうかの議論については、主筆者ではなく推薦者が具体的に説明すべきものかと思われます。何を申し上げたいかというと、現時点で少なくともブレイズマンさんの票については、「投票内容についての質問がなされ」、「返答がない」状況ですので、無効票となる可能性があるかと考えます。いたずらに選考期間の終了を待ち続ける姿勢に終始することなく、下の議論についても何らかのコメントをいただけないでしょうか。--Kangoshiyouichi 2010年9月25日 (土) 01:50 (UTC)
- コメント「仮に」という点に拘りましたのは、推薦を初めて行いましたので、私のルールの解釈に誤りがあると問題だと思い積極的に質問させていただきました(上記ルールには、「選考が終了したら速やかに以下を実施してください。実施は推薦者でなくても構いません」とありますので、推薦者も作業する必要があると思っておりましたので)。ルールの解釈に関しましては了解しました。回答有難うございます。--ブレイズマン 2010年9月24日 (金) 17:03 (UTC)
反対返答が遅れた点は申し訳ありませんが、軽々しい意見を述べたつもりはありませんので、そのつもりでよろしくお願いします。拝見したところ、たしかに記述量は増えているようですが、例えば、「織田信長と毛利氏は、それまで但馬・播磨両国の西側を境として、おおよその勢力圏とし、表面上は友好関係を保持してきた」の部分については、依然としてまともな典拠が挙がっていないなど、問題点があまり改善されていないように見受けられます(近年出た書籍のいくつかを調べれば、織田信長と毛利氏がそれまで友好的であったのは、阿波三好氏という共通敵が間に存在したことが大きいという指摘が複数の論者から指摘されていることが分かるはずです。但馬・播磨両国の西側が境となった時期についても不明確です。備中兵乱のことにも触れられていませんしね。)。また、「これは、必ずしも毛利氏の歓迎するところではなかったが、」とありますが、これの典拠も明確にすべきでしょう(例えば、藤田達生『謎とき本能寺の変』には、毛利氏に身を寄せた足利義昭の動静についてそれなりに解説されているのですが、読まれましたか?)。現時点の水準で良質な記事と認定されてしまいますと、かえって大胆な改稿のさまたげとしかなりません。まずは査読を十分に経るべきだと思います。選考期間を延ばす意義があるとは思えませんが、特にその点については異議は申し上げないことにします。--Kangoshiyouichi 2010年9月23日 (木) 13:46 (UTC)
- コメント備中兵乱のことは脚注でふれたつもりでいましたが、不充分だったでしょうか。「これは、必ずしも毛利氏の歓迎するところではなかったが、」については、池上裕子の講談社版『日本の歴史』に記載があったので脚注に出典を付したつもりです。同様の記載は『クロニック戦国全史』にもあったと思います。藤田先生の『謎とき本能寺の変』は数年前に読んだと思いますが細かいところは全然覚えていません。書斎を探せばあると思いますので探してはみますが、藤田説に立つならば義昭の行動は過大視されがちなのではないかと思います。おもしろいとは思いますが、個人的には「黒幕説」にはいささか懐疑的で、そこに依拠することには躊躇する気持ちが正直ございます。ともあれ、丁寧に読んでくださり、きびしく評してくださったことに感謝します。阿波三好氏の件についても御教示ありがとうございました。改善の余地はありそうですので、努力したいと思います。--Chokorin 2010年9月23日 (木) 15:26 (UTC)
- 報告「これは、必ずしも毛利氏の歓迎するところではなかったが」という部分なのですが、先ほど滋賀県立安土城考古博物館『是非に及ばす』という文献のP.83に「不如意の敗北の上に子息義尋を信長に奪われ、頼りにしていた毛利からは何かと理由をつけて下向を拒否され」という記載を見つけました。不如意の敗北とは槇島城の戦いをさしており、子息とは足利義尋を指していると思われます。ご報告しておきます。ブレイズマン 2010年10月9日 (土) 18:51 (UTC)
- 藤田説を全面的に採用しろ、と申し上げたわけではありませんし(「黒幕説」の部分は私もどうかと思いますし)、義昭の行動を一方的に過大視しろ、と申し上げたわけではありません。Chokorinさんの言い方を借りるのであれば、義昭の行動を過少に見積もる見解と過大に見積もる見解が存在する以上、それはそれぞれの文献をあげて両論併記をすべきであり、それが出来ていない記事は中立的な観点からみて問題がある、ということです。Chokorinさんが一方の論説を黙殺している以上、それは執筆者の個人的なPOVが排除しきれていない状況であるといえます。つまりその部分だけ取り上げてみても、現在の中国攻めの記事は良質な記事とはほど遠い状況である、ということです。備中兵乱については、信長を黒幕とする見解とそれ以前から毛利氏と敵対していた大友宗麟を黒幕とする見解があり、この点は山本浩樹『西国の戦国合戦』に解説がありますが、これも読まれた上で何らかの理由で「そこに依拠することには躊躇する気持ち」があったということでしょうか。--Kangoshiyouichi 2010年9月23日 (木) 16:11 (UTC)
- 「良質からほど遠い」というのは、そうかもしれませんね。ただまあ、理屈はわかりますが、「備中兵乱」の記事は他にあるわけですから、『西国の戦国合戦』の信長・宗麟の両黒幕説は「備中兵乱」に書くべきじゃないかと思います。義昭について、両論併記をすべきかどうかは、藤田先生の本をもう一度読んで決めたいと思います。現状でそれほど中立性が損なわれているというふうにも思わないんですが、そう感じる人がいることも事実なんでしょう。不勉強は認めます。--Chokorin 2010年9月23日 (木) 16:30 (UTC)
- (追記)「中立的な観点からみて問題がある」ということについてですが、義昭の行動に関する両論併記についてはむしろここでは書くべきではないし、書いた方がかえって「良質からいっそう遠くなる」と考え直しました。「これも足りない」「あれもない」ということで書き足していったら、どんどん散漫な記事になってしまいます。結局、記事をどこで切り取るかという点に関してわたしとKangoshiyouichiさんとでは考えが違うようで、わたしは、この記事の場合は「かくして足利義昭の働きかけは結果としては大成功を収め、本願寺・毛利・上杉を主とする信長包囲網が成立した」という記載からスタートするのが適切と考えます。こういう堅い事実から中国攻めをスタートした方が紛れがありませんし、読者に対しても親切です。そこにひっかかる人は、むしろmainタグを貼った「信長包囲網」を読むべきなのであって、ですからまあ、おっしゃるような義昭の行動の評価については、むしろ「信長包囲網」にこそ詳述すべきと考えます。阿波三好氏の件についても同じです。阿波三好氏について書くならば、尼子氏についても書かなくてはならなくなりますが、これらは「中国攻め」に必須かというと決してそうではないと思います。遠交近攻は、この時代はむしろありふれた姿なのであり、その推移を詳細にということになると、どんどんテーマから外れていくと考えます。一体、何年前までさかのぼったらいいんだという話です。これも、書くのだったら「信長包囲網」の方が妥当でしょう。知識を詰め込んだら良い記事になるかというと、わたしはむしろそうではなく、こういう何年にもわたる戦役、放っておけば肥大化しがちな内容をもつ記事は、むしろ最小限に絞って説明するのがよいと考えます。ただし、コメントしてくださったことはありがたく感じております。それにしても、これだけ、関心が高く、知識の豊かな人もたくさんいて、しかも加筆もさかんなのに、日本の戦国時代を扱った記事で「良質な記事」がひとつしてない、まるで戦国時代だけ避けているように綺麗さっぱりないというのは、不思議というかおもしろい現象ですね。--Chokorin 2010年9月24日 (金) 11:38 (UTC)
- Chokorinさんのお考えの問題点は、記事のみかけレベルの完成度を「良質」な状態に保つために、記事扱う射程を限定しておきながら、その切り分けの基準について(失礼ながら)自分勝手な基準しか提示できていない点にあるかと思われます。「織田信長と毛利氏は、それまで但馬・播磨両国の西側を境として、おおよその勢力圏とし、表面上は友好関係を保持してきた」という部分の説明のためには、それまでの織田氏と毛利氏との関係や、織田氏・毛利氏それぞれについて足利義昭や尼子氏・阿波三好氏・浦上氏・大友氏といった周辺勢力との関係の整理がある程度なされていることが必然となります。Chokorinさんが、まるで論点をそらすことのみに熱心になっているように見えることは、大変遺憾に思います。--Kangoshiyouichi 2010年9月24日 (金) 13:26 (UTC)
- Kangoshiyouichiさんのおっしゃる「必然」を私はさほど必然とは思わないということなんじゃないでしょうか。つまり、「表面上は友好関係を保持してきた」という事実の提示があればそれで充分とわたしは考えるのであり、それは何故かということの説明は、「中国攻め」のテーマからは大きく逸脱するというふうにわたしは考えるわけです。なぜ友好関係が保たれたかというと、端的にいえば「お互い敵にはまわしたくなかった」ということでしょうし、敵にまわしたくなかったのは何故かということなら、おっしゃるように、周辺勢力との関係もあるんでしょうし、おそらくは瀬戸内海の制海権の問題やら但馬の生野の銀山の問題やらもあるんでしょうし、周辺勢力のみならず、北陸ないし東山地方の動向も当然からんでくるでしょう。西進するためには当然東を固めなければならないわけです。それを詳細に記すことが記事の向上になるかというと、わたしはならない、むしろ蛇足になるというふうに考えるわけです。「自分勝手」にみえるのなら仕方がないですけれど、テーマは「中国攻め」という織田・毛利間の戦争なわけですから、力点が置かれるべきは「表面上の友好関係」なんかではなくて「本願寺・毛利・上杉を主とする信長包囲網が成立した」というところにあるのは当然じゃないかと考えます。したがって、「表面上の友好関係」の部分に加筆するとしても、まことに自分勝手で申し訳ありませんが、個人的には脚注で簡単にふれる程度にしたいと考えます。とはいえ、こう申し上げたからといってKangoshiyouichiさんの加筆を拒むものではなく、むしろ、それは大歓迎です。御心配されている方もいらっしゃいますが、わたしはたいへん有意義なやりとりをしていると思っています。これからもよろしくお願いいたします。--Chokorin 2010年9月25日 (土) 00:53 (UTC)
- 場合によっては今後の加筆次第でスタブに逆戻りしかねないような状態の記事とのことなら、なおさら良質な記事とはいえないのではないでしょうか。現状で良質の記事に選ばれてしまうことで、かえって加筆や大胆な改稿の可能性が損なわれてしまうのではないか、とは既に申し上げたとおりです。恐れ入りますが、本当に他者の加筆を歓迎するというご意思をお持ちなら、Chokorinさんご自身から、今回は良質の記事への選出を辞退すると宣言していただけないでしょうか。--Kangoshiyouichi 2010年9月25日 (土) 01:50 (UTC)
- それはお断りします。あなたの反対意見は尊重いたします。--Chokorin 2010年9月25日 (土) 01:54 (UTC)
- まるで私があなたの意見を尊重していないような口ぶりですが、友好関係が「表面的であった」、という点についての説明がまだですので、よろしくお願いします(あなたの意見や愚にもつかない一般論ではなく、具体的な典拠の提示という形式でですよ)。私もあなたの意見は尊重します。それに賛同するかどうかは保証できかねますが。なお、これは、この記事がWikipedia:良質な記事/良質な記事の選考#良質な記事の目安を十分に満たしているか、という質問でもあります。--Kangoshiyouichi 2010年9月25日 (土) 02:07 (UTC)
- それはお断りします。あなたの反対意見は尊重いたします。--Chokorin 2010年9月25日 (土) 01:54 (UTC)
- 場合によっては今後の加筆次第でスタブに逆戻りしかねないような状態の記事とのことなら、なおさら良質な記事とはいえないのではないでしょうか。現状で良質の記事に選ばれてしまうことで、かえって加筆や大胆な改稿の可能性が損なわれてしまうのではないか、とは既に申し上げたとおりです。恐れ入りますが、本当に他者の加筆を歓迎するというご意思をお持ちなら、Chokorinさんご自身から、今回は良質の記事への選出を辞退すると宣言していただけないでしょうか。--Kangoshiyouichi 2010年9月25日 (土) 01:50 (UTC)
- Kangoshiyouichiさんのおっしゃる「必然」を私はさほど必然とは思わないということなんじゃないでしょうか。つまり、「表面上は友好関係を保持してきた」という事実の提示があればそれで充分とわたしは考えるのであり、それは何故かということの説明は、「中国攻め」のテーマからは大きく逸脱するというふうにわたしは考えるわけです。なぜ友好関係が保たれたかというと、端的にいえば「お互い敵にはまわしたくなかった」ということでしょうし、敵にまわしたくなかったのは何故かということなら、おっしゃるように、周辺勢力との関係もあるんでしょうし、おそらくは瀬戸内海の制海権の問題やら但馬の生野の銀山の問題やらもあるんでしょうし、周辺勢力のみならず、北陸ないし東山地方の動向も当然からんでくるでしょう。西進するためには当然東を固めなければならないわけです。それを詳細に記すことが記事の向上になるかというと、わたしはならない、むしろ蛇足になるというふうに考えるわけです。「自分勝手」にみえるのなら仕方がないですけれど、テーマは「中国攻め」という織田・毛利間の戦争なわけですから、力点が置かれるべきは「表面上の友好関係」なんかではなくて「本願寺・毛利・上杉を主とする信長包囲網が成立した」というところにあるのは当然じゃないかと考えます。したがって、「表面上の友好関係」の部分に加筆するとしても、まことに自分勝手で申し訳ありませんが、個人的には脚注で簡単にふれる程度にしたいと考えます。とはいえ、こう申し上げたからといってKangoshiyouichiさんの加筆を拒むものではなく、むしろ、それは大歓迎です。御心配されている方もいらっしゃいますが、わたしはたいへん有意義なやりとりをしていると思っています。これからもよろしくお願いいたします。--Chokorin 2010年9月25日 (土) 00:53 (UTC)
- Chokorinさんのお考えの問題点は、記事のみかけレベルの完成度を「良質」な状態に保つために、記事扱う射程を限定しておきながら、その切り分けの基準について(失礼ながら)自分勝手な基準しか提示できていない点にあるかと思われます。「織田信長と毛利氏は、それまで但馬・播磨両国の西側を境として、おおよその勢力圏とし、表面上は友好関係を保持してきた」という部分の説明のためには、それまでの織田氏と毛利氏との関係や、織田氏・毛利氏それぞれについて足利義昭や尼子氏・阿波三好氏・浦上氏・大友氏といった周辺勢力との関係の整理がある程度なされていることが必然となります。Chokorinさんが、まるで論点をそらすことのみに熱心になっているように見えることは、大変遺憾に思います。--Kangoshiyouichi 2010年9月24日 (金) 13:26 (UTC)
- 藤田説を全面的に採用しろ、と申し上げたわけではありませんし(「黒幕説」の部分は私もどうかと思いますし)、義昭の行動を一方的に過大視しろ、と申し上げたわけではありません。Chokorinさんの言い方を借りるのであれば、義昭の行動を過少に見積もる見解と過大に見積もる見解が存在する以上、それはそれぞれの文献をあげて両論併記をすべきであり、それが出来ていない記事は中立的な観点からみて問題がある、ということです。Chokorinさんが一方の論説を黙殺している以上、それは執筆者の個人的なPOVが排除しきれていない状況であるといえます。つまりその部分だけ取り上げてみても、現在の中国攻めの記事は良質な記事とはほど遠い状況である、ということです。備中兵乱については、信長を黒幕とする見解とそれ以前から毛利氏と敵対していた大友宗麟を黒幕とする見解があり、この点は山本浩樹『西国の戦国合戦』に解説がありますが、これも読まれた上で何らかの理由で「そこに依拠することには躊躇する気持ち」があったということでしょうか。--Kangoshiyouichi 2010年9月23日 (木) 16:11 (UTC)
(インデント戻す) コメント初稿執筆者により、再び差分大幅な改稿が行われました。上記議論になっている、
- 「表面上は友好関係を保持してきた」という部分に関して出典明示
- 「必ずしも毛利氏の歓迎するところではなかった」という部分に関して出典明示
- 周辺勢力との関係の整理がある程度がなされた
と上記3点に関しては、一定の改善が行われたのではないかと思われます。他の方も含めまして再考出来る部分がありましたらご検討ください。--ブレイズマン 2010年9月30日 (木) 08:36 (UTC)
- コメント初稿執筆者により、三度差分大幅な改稿が行われました。
- 上記議論になっている「「信長包囲網の形成と毛利の播磨侵攻」の節については、記述も少なく」という部分に関して、現在の版では中国攻め以前の織田・毛利関係、信長包囲網と織田・毛利の激突、毛利勢の東進と3節に分割され、記述内容も豊富になった
- また下記に議論になっている「『クロニック戦国全史』のみにのっかかり過ぎている部分が多すぎて」という部分に関しては、信長包囲網の形成と毛利の播磨侵攻の節では出典も多彩となった
- と上記2点に関しては、一定の改善が行われたのではないかと思われます。他の方も含めまして再考出来る部分がありましたらご検討ください。--ブレイズマン 2010年10月9日 (土) 09:03 (UTC)
- (コメント)ご意見が抽象的な判断を述べるに終始しており、具体性を欠いているのが大変残念に思います。--Kangoshiyouichi 2010年10月10日 (日) 10:59 (UTC)
- 賛成 基準を十分に満たしていると思いますので、GA化に賛成です。記述が丁寧でわかりやすいです。--Pastern 2010年9月26日 (日) 15:27 (UTC)
- 反対 ブレイズマンさんは改稿を行った当人ではない以上、「一定の改善が行われた」と判断した理由についてもう少し具体的に説明されたほうがいいかと思いますが、それは各自がやれということでしょうか。周辺勢力との関係の整理についてはある程度の改善(ないしは表現の書き換え)の形跡は認めますが、編集者次第では節スタブが複数ついてしまう状況には変更がなされていません(例えば、中国地方のそれぞれの国について、毛利氏の元々の版図がどこからどこまでで、それが中国攻めの時期までにはどれくらい膨れ上がったか、という点について記事を一読しても情報が得られませんよね)。典拠については、数十年前に刊行された『クロニック戦国全史』のみにのっかかり過ぎている部分が多すぎて、いくら秀逸と良質の記事との判断基準が異なるからといっても、中立性からみてどうなのでしょうか。ついでですが、「信長包囲網の形成と毛利の播磨侵攻」の冒頭が、1574年の播磨の諸勢力の信長への帰服という事実の紹介からスタートする理由がよく分かりません。--Kangoshiyouichi 2010年10月2日 (土) 08:42 (UTC)
- コメント 同じ人が何度も反対票を投じるのはやめてください。票を数え間違います。以前と意見が変わらないのなら、あくまでコメントとして書いてください。--Tam0031 2010年10月2日 (土) 15:58 (UTC)
- (コメント)ブレイズマンさんのコメントは、一度それまでの投票をリセットして、改めて賛否を述べることを要求しているものであると解釈できる内容でしたので、そのような場合もあると考えて改めて反対票を投じたまでの話です。この場合は批判されるべきは、紛らわしいコメントを挿入させたブレイズマンさんの側であるかと思いますよ。さて、そろそろ選考期間がリミットですが、推薦時より記事の内容がかなり変化しており(バイト数が増えさえすれば必ずしも記事が改善された、と判断できるわけではない。)以前に賛成票を投じたまま長期間議論に参加されていない方の票については、「票が無効になる場合」の適用を検討してもいいのでは、と個人的には理解しておりますが、反対票を投じている以上、こちらからそのような要求を出すつもりはございませんので、それは公平な立場の方の良識に委ねたいと思います。--Kangoshiyouichi 2010年10月10日 (日) 10:59 (UTC)
- コメント上記
反対票を付せ字にされておりますが、これは反対票を撤回する、という解釈でよろしいのでしょうか?改めまして真意を明確にして頂けばと思います。--ブレイズマン 2010年10月10日 (日) 11:25 (UTC)- (コメント)上のTam0031さんのご指摘を受けた上での措置ですが、よく考えたら以前の反対票にはすべて取消し線が引かれており、「数え間違える」はずがありませんですよね。早とちりをお詫び申し上げます。記事の内容がやはりあまり改善されていない以上、反対票は撤回しません。一人の人間に多くのことを求めるつもりはありませんが、論ずべきは記事が良質の基準に達しているかどうかですので。--Kangoshiyouichi 2010年10月10日 (日) 11:38 (UTC)
- コメント上記
- (コメント)ブレイズマンさんのコメントは、一度それまでの投票をリセットして、改めて賛否を述べることを要求しているものであると解釈できる内容でしたので、そのような場合もあると考えて改めて反対票を投じたまでの話です。この場合は批判されるべきは、紛らわしいコメントを挿入させたブレイズマンさんの側であるかと思いますよ。さて、そろそろ選考期間がリミットですが、推薦時より記事の内容がかなり変化しており(バイト数が増えさえすれば必ずしも記事が改善された、と判断できるわけではない。)以前に賛成票を投じたまま長期間議論に参加されていない方の票については、「票が無効になる場合」の適用を検討してもいいのでは、と個人的には理解しておりますが、反対票を投じている以上、こちらからそのような要求を出すつもりはございませんので、それは公平な立場の方の良識に委ねたいと思います。--Kangoshiyouichi 2010年10月10日 (日) 10:59 (UTC)
- コメント 同じ人が何度も反対票を投じるのはやめてください。票を数え間違います。以前と意見が変わらないのなら、あくまでコメントとして書いてください。--Tam0031 2010年10月2日 (土) 15:58 (UTC)
(選考終了)賛成4 : 反対1。「選考期間終了時点で賛成票が3票以上かつ2/3以上の支持がある」(Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考#選考期間)により選考通過。選考を通過したとしても、記事の更なる改善は何ら妨げられません。選考の行方に執心するのではなく、記事に力を注いでください。--ikedat76 2010年10月11日 (月) 14:00 (UTC)