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ノート:中国攻め

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良質な記事の選考過程の議論をうけて

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コメント本記事は私が推薦させていただき、良質な記事を通過しました。推薦時点の版や最新の版でも良質の記事の水準には達していると私は考えております。ただ、議論の過程を拝見し、例えば秀逸な記事にノミネートした場合、良質な記事の選考終了時点で、いくつかポイントを指摘させていただけばと思います。(参考:Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/中国攻め 20100911,コメント時点での版

  1. 記事名について 選考過程の議論にも「一考の余地があるのではないか」との指摘がありました。推薦時にはまったく注視しておりませんでしたが、「中国攻め」というタイトルは中国という解釈も成り立つ可能性があり、Wikipedia:記事名の付け方の「曖昧でない」という部分に抵触する可能性があるのではと思います。どのような本記事名が適切かはいいアイデアはありませんし、私から積極的に{{改名提案}}はしませんが、確かに一考の余地はあるかと思います。
  2. 毛利氏の版図 またこちらも同議論内で「中国地方のそれぞれの国について、毛利氏の元々の版図がどこからどこまでで、それが中国攻めの時期までにはどれくらい膨れ上がったか、という点について記事を一読しても情報が得られませんよね」という指摘は私もあった方が良いかと思います。毛利氏のページを見てみると、安芸から周防、長門、備中、備後、因幡、伯耆、出雲、隠岐、石見を領有した、との記述が見受けられます。この記述が正確かは解りませんが、「なるほど、毛利氏というのは短期間で所領国を増やしたのか」という事が短期間で理解できるのではと思われます。もし縮図に関して出典を探すことが可能な方(私も含めて)は、記載するとよい良い記事になると思います。
  3. 過剰リンクぎみ 最初はあまり気にならなかったのですが、いろいろと見ていくうちにリンクが過剰ではないかと思います。Wikipedia:井戸端/subj/同一記事への過度な多重リンクに対する制限の根拠でもありますように、まだ明確な指針はありませんが、近いうちに過度な多重リンクに対する制限の提案が行われるかもしれません。こちらでも「同一記事へのリンクは一つのセクションに一つまで」の見解が示されているように、このあたりが妥当ではないかと考えます。

以上3点指摘させて頂ければと思います。--ブレイズマン 2010年10月11日 (月) 17:14 (UTC)[返信]

感想

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初稿執筆者におかれましては、本記事内容の大幅な改稿御苦労さまでした。初稿段階では参考文献も8冊でしたが現在の版では17冊もなり、資料を揃えるだけでも大変ですが、ページ数を見ながら脚注をいれ、文章構成を考えるのは大変なご努力ではなかったかと思われます。上記議論の中では「最小限に絞って説明するのがよいと考えます」ともありますが、Wikipedia:完璧な記事には「ほとんど全ての記事は、「本当に」優れているならば、少しでも良くなるために長くなっていきます」とあります。現在の版は推薦時点の版よりレベルアップされているのではないかと感じました。御苦労も多いと思われますが、ご協力のほどお願い申し上げます。--ブレイズマン 2010年10月11日 (月) 17:14 (UTC)[返信]

  • ブレイズマンさんの御厚情に心より感謝申し上げます。選外だった本記事を良質記事に推薦してくださったこともたいへん感激いたしましたが、加筆してくださったこともたいへんありがたく、また、うれしく思いました。ありがとうございました。御指摘の点に関しては、追々改善を図っていきたいと思っています。これからも何とぞよろしくお願いいたします。--Chokorin 2010年10月13日 (水) 22:19 (UTC)[返信]
  • コメント過剰リンクに関して個人的には1記事に1リンクあれば十分だろうと思うので、2回目以降はいらんと考えています。織田信長、羽柴秀吉、柴田勝家、羽柴秀長、佐久間信盛他、織田家臣団の重鎮、毛利輝元、吉川元春、小早川隆景、清水宗治、安国寺恵瓊といった毛利家臣団、顕如、足利義昭、別所長治といったところでしょうか。人によってはそうでもないという考えがあるかもしれませんが。あと、ソックパペットみたいに書いていますが、脚注で単数ページを表記する場合は、p.、複数ページを表記する場合はpp.です。手元の英和辞典で確認ください。--Wushi 2010年10月27日 (水) 14:08 (UTC)[返信]

月間強化記事賞

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本記事はWikipedia:月間新記事賞/2010年8月では次点となりましたが、上記に記載している通り、初稿執筆者の努力により大幅な改変が行われ、Wikipedia:月間強化記事賞/2010年11月を受賞する事になりました。その旨記載しておきます。--ブレイズマン 2010年12月11日 (土) 17:18 (UTC)[返信]