Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/サラエボ事件 20190425
表示
選考終了日時:2019年5月9日 (木) 15:14 (UTC)
- (推薦)強化記事賞に漏れた記事です。第一次世界大戦の原因となった有名な事件です。その背景と事件の経過、そしてその後の裁判に至るまできちんと詳しく書き込まれており、一方第一次世界大戦の原因となったことはダイジェスト的に記載した上で、それ専用の記事に振っており、良い記事構成も確保できているものと思い、推薦します。--Tam0031(会話) 2019年4月25日 (木) 15:14 (UTC)
- 賛成 :推薦者票。--Tam0031(会話) 2019年4月25日 (木) 15:14 (UTC)
- コメント 事件そのものについて良く書けていると思うのですが、§背景の以下の説明には若干の問題を感じるため反対ではないものの、コメントのみです。
- その後の10年間、セルビアは勢力の拡大に向かい、14世紀の帝国を徐々に再生しようとしたため、近隣諸国との間では数々の紛争が発生した。
- オーストリアによるボスニア・ヘルツェゴビナ併合に抗議したことで引き起こされた1908-1909年のボスニア危機。
- そしてオスマン帝国からマケドニアとコソボを獲得し、ブルガリアを駆逐した1912-1913年の第一次・第二次バルカン戦争がそのような紛争の例だった。
- 歴史上重要な事件であるため、やはり事件自体だけではなく背景の説明も重要な要素であると考えます。20世紀前半の紛争の原因をセルビアに求める記述がベースになっていますが、当時、バルカンで中世の帝国を再現しようとしていたのはほぼ全ての民族に該当することであり、セルビアの拡張主義が原因で近隣諸国との紛争が発生したかのように読める説明は明確に問題ありと考えます。また、オーストリアによるボスニア・ヘルツェゴビナ併合は青年トルコ革命などを契機に、ベルリン条約で認められた名目上の支配権が失われることを恐れたオーストリア外相のエーレンタールが領有を公式のものにしようと、ハンガリーの反対を押し切って実施したものの、事前の根回しに失敗したことからイギリスやロシアの抗議と介入を招いたもので、セルビア政府が抗議したかどうかは併合自体が外交危機化した原因としては副次的な話でしかないはずです。また、バルカン戦争はバルカン諸国の共謀と対立の中で発生したことであり、これもセルビアの拡張主義とのみ結びつけた説明は不適切であると思います。
- サラエボ事件自体が、二重帝国とセルビアの関係、また南スラヴのナショナリズムを背景に発生し、セルビア人民族主義者たちによって実行されたこと自体は間違いないので、その部分が説明の主体になるのは当然ですが、そこに至る紛争の背景までセルビアが主たる要因のように読める説明が行われているのは適切ではないと思います。--TEN(会話) 2019年4月27日 (土) 06:26 (UTC)
- 返信 加筆を行った者ですが、ご指摘の部分には私も疑問を感じましたので、いくつか出典を追加して加筆修正してみました。加筆によりセルビア側を一方的に批判する内容はだいぶ改善されたと思うのですが、よろしければご意見をお聞かせください。-- 麩(会話) 2019年4月29日 (月) 09:46 (UTC)
- 賛成 修正ありがとうございます。大きな問題点としては解決したように思われるので賛成します。1点、記事全体のバランス的に背景節が節1つで長くなりすぎている感じは受けるのですが、これは完全に好みの範疇に入ると思いますので現状で問題は無いと思います。--TEN(会話) 2019年5月1日 (水) 11:41 (UTC)
- 賛成 :記事の構成、分量、脚注数すべてGAの基準を満たしていると考え、賛成いたします。Arisen(会話) 2019年5月5日 (日) 16:36 (UTC)
賛成のみ3票の状態が48時間継続したため、早期終了・通過となります。--Mogumin(会話) 2019年5月8日 (水) 08:14 (UTC)