Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/オーガスタス・フィッツロイ (第3代グラフトン公) 20201123
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選考終了日時:2020年12月7日 (月) 09:29 (UTC)→2020年12月21日 (月) 09:29 (UTC)
- (自薦)イギリスの首相の記事です。政治家としての経歴や評価を加筆した上、Wikipedia:執筆・翻訳者の広場#「オーガスタス・フィッツロイ (第3代グラフトン公)」の競馬関連の出典についての依頼で㭍月例祭さんが馬主としての経歴を加筆してくださったため、良質な記事の目安を満たすものとして自薦します。--ネイ(会話) 2020年11月23日 (月) 09:29 (UTC)
- 賛成 :半分は自薦、半分は推薦という形ですが、とりあえず自薦とします。--ネイ(会話) 2020年11月23日 (月) 09:29 (UTC)
- 賛成 おおむね良いものと思います。オックスフォード大学学長就任に伴う博士号授与を固辞したのは、イングランド国教会との関係だと書かれていますが、後段のユニテリアン主義の教会に移ったからということなのでしょうか。そうであればそのように、こちらの側でも記載してほしいです。記事末尾のテンプレートによれば学長就任は1768年だそうですが、「神学」の節でイングランド国教会離脱は1774年とあり、博士号授与は学長退任時だったのか、あるいはまだ国教会を離脱はしていなかったけれど既に国教会との関係を持つ気がなくなっていたのか、とかいろいろ考えてしまいます。--Tam0031(会話) 2020年12月1日 (火) 15:29 (UTC)
- すみません、頭の中でオックスフォードとケンブリッジが入れ替わっていました。ケンブリッジの学長でした。--Tam0031(会話) 2020年12月2日 (水) 00:02 (UTC)
- 返信 学長への選出は1768年11月29日で、就任は1769年7月1日です(出典:英国人名事典)。『オックスフォード英国人名事典』では「1770年より神学に興味を持つようになった」「ケンブリッジ大学在学中に自由主義派の聖職者(liberal churchmen)と関わりを持った」とあり、博士号授与を固辞したのは国教会から距離を置きたいためだと推測できますが、この推測を証明できるような出典はこちらでは見つかりませんでした(出典は探していませんが、学長への博士号授与は就任に伴うものだと記憶しています)。--ネイ(会話) 2020年12月4日 (金) 08:25 (UTC)
- コメント 選考終了時点で賛成2票のため、選考期間が2週間自動延長となります。--Tam0031(会話) 2020年12月7日 (月) 14:34 (UTC)
- 賛成 質、量ともに基準を超えていると判断しました--Hanabishi(会話) 2020年12月8日 (火) 09:04 (UTC)
賛成のみ3票以上の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031(会話) 2020年12月10日 (木) 14:48 (UTC)