Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ウィリアム・グレンヴィル (初代グレンヴィル男爵) 20200717
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選考終了日時:2020年7月31日 (金) 06:23 (UTC)
- (推薦)イギリスの首相の記事であり、現在良質な記事になっているイギリス首相の記事と照らしても十分な内容になっていると考えて、推薦いたします。--ネイ(会話) 2020年7月17日 (金) 06:23 (UTC)
- 賛成 :--ネイ(会話) 2020年7月17日 (金) 06:23 (UTC)
- コメント 全体的にとてもよく書かれた記事だと思うのですが、以下の点が気になります。
- 政治家の記事ということで、政治的な業績が重要なトピックということになると思います。そういう意味では、内閣の首相として政治改革に取り組んだことが大事な点になるのだと思いますが、在任期間が短かめとは言え、いまの首相時代の記述は、「良質な記事の目安」のいうトピックの網羅性の観点からはやや不足かもしれません。特に奴隷貿易の廃止は、導入部にも書かれているとおり、政治家としてイギリスに大きな影響を与えた事柄だと思うのですが、本文では、廃止が取り決められた、という内容の一文のみしか記述がないことが気にかかります。カトリック解放も、この人物が生涯をかけて取り組もうとしたことなのだと思いますし、カトリック解放の記事のなかで名前が上がっているように、カトリック解放運動全体のなかでもこの人物はおそらく重要な位置を占めるのだと思います。ただ、そうだとすると、現状の記事ではカトリック解放に関わったということだけしか記載がなく、この人物がどんな背景で、どんな経緯や方法でカトリック解放に取り組もうとしたか、というところが見えてきません。
- 奴隷貿易についてはODNBから加筆しました。
カトリック解放についての加筆は明日にでも行います。カトリック解放に取り組む経緯として「1801年の退陣の理由になった」「首相期の政策として取り組み、内閣崩壊の一因になった」「首相退任後もカトリック解放法案の弁論に参加した」ことについて加筆しました。背景は出典にないので難しいところですが、小ピットの影響を受けた可能性があると思います。--ネイ(会話) 2020年7月19日 (日) 05:34 (UTC)
- 奴隷貿易についてはODNBから加筆しました。
- 上の事項が最も気になるところなのですが、次に気になるのは、「生い立ち」の節の記述です。生まれた家族と学歴の記載のみとなっていますが、その前半生でどういう政治思想を形成していったのか、というところに簡単でも良いので触れたほうが良いのではないかと思いました。例えば、父親も首相だったようですからその影響もあるかもしれませんし、従兄の小ピットに近い立場をとっていたということで以前からその影響を受けていたのかもしれません。また、全体としてどういう政治思想を持った人物なのかをまとめた節があったりしても良いかと思いました(こちらは実際に書くとなると大変かと思いますが……)。
- 「生い立ち」の節はオックスフォード英国人名事典から加筆しました。今の構成では政治思想を経歴節に組み込んでいるので、重複記述が多くならないよう両者を分離するのは大変だと思います。
- これは指摘されても困ると思いますが、出典としてかなりの部分を占める、英国人名辞典やブリタニカ百科事典第11版といったかなり古い文献(19世紀後半~20世紀初頭)は、今日的な観点から見たときに使用は妥当なものなのでしょうか。事実関係の確定という意味でもそうですし、歴史的な評価も変わっていそうです。「英国人名事典」(oldid=78452000)の記事に「20世紀中の歴史評価の変化や、新知見により時代遅れになっていたものの、これらの増補編はいずれも、現存する事典原本の記述を置換するものではなかった。結果として、事典は歴史学の参考書としてはどんどん役立たないものになってしまった」(無出典の記述なのであれですが、英語版にも記載があります)と書かれているような懸念が実際に存在するのではないかなと思います。
- ウィキペディア図書館経由でオックスフォード英国人名事典(ODNB)にアクセスしましたが、DNBの内容を全て含むわけではないので、出典としては両方とも用いるべきだと思います。オックスフォード英国人名事典公式サイトの紹介ではDNBが"seen as increasingly dated"に留まる程度となっており、19世紀末の専門家による事典で一次出典も参考にした内容なので、「歴史学の参考書として役立たない」=「信頼できる情報源ではない」というほどではないと思います。ただし、「ヴィクトリア朝の視点からの記述となっている」というのは妥当な評価だとは思うので、基本的には人物評価の記述を帰属化して書くようにしています。
- 後は細かい点です。Infoboxは所属政党が「小ピット派トーリー党→ホイッグ党」となっています。ただ、本文では当初の庶民院議員選出はホイッグ党からということのようです。そもそもトーリーとホイッグの区分が明確なわけではないのかもしれませんが、小ピット内閣の閣僚になった時点でトーリーに転じた、ということでしょうか。途中に「新しい反対党」という党派を組織したともあり、またフォックスに近い立場をとった後も正式なホイッグ党員でなかったとあるので、Infoboxの記載とあわせて整理してみたほうが良さそうです。
- 概ね伊佐坂安物さんの認識で合っていますが、そもそも現代の政党組織が成立する前の1806年時点で「正式なホイッグ党員」が存在するかが疑問です(小松春雄の著書での記述も確認したほうがいいと思いますが、私には無理です)。ODNBでは"Leader of the whig party, 1807–1817"という明確な見出しがあるので、とりあえず所属政党を「ホイッグ党→小ピット派トーリー党→ホイッグ党」に変更しました。
- Ministry of All the Talentsは、「総人材内閣」と訳されていますが、ちゃんと調べたわけではないですが「挙国人材内閣」が自然かつ定着した表現なのかなと思います([1])。細かな話ですが、Google書籍やCiniiでもすぐに調べられるものも多いので、「」でくくるような固有名詞については表現を選んでくると良いかと思います。
- 加筆前の記事にあった訳語で、この前の加筆では特に変更を加えませんでした。「挙国人材内閣」に変更しました。
- 小ピットの手配でグレンヴィルが男爵になり、貴族院議員となることが「大法官の初代サーロー男爵エドワード・サーローの抑止力」となるという記載があります。サーローという人物がここで初めて出てくるのでわからなかったのですが、この人物が小ピット内閣と潜在的に対立関係にあるということなのだと思います。ただ、グレンヴィルが貴族院議員となることが、サーローの抑止力になる、ということが具体的にどういうことなのかがわかりませんでした。何らかの記述を補足いただくと良いかもしれません。
- これまたDNBからの加筆で恐縮ですが、「小ピットの政策を常に支持するわけではないサーローを見張る役割」だと思います。
- グレンヴィルが外相だったときの「両政府が存在をかけている」という発言の「両政府」とは、イギリスとフランスのことでしょうか。その前の発言が革命後のフランスの脅威について語っていることはわかるのですが、この発言がどういう意見なのかが汲み取れませんでしたので、こちらも補足いただくと良いかもしれません。--伊佐坂安物(会話/履歴) 2020年7月18日 (土) 13:43 (UTC)修正--伊佐坂安物(会話/履歴) 2020年7月18日 (土) 14:03 (UTC)
- 原文を追記した上で翻訳を修正しました。正確には「2つの政治制度」(イギリスの立憲君主制とフランスの共和制=この文脈ではおそらくジャコバン派の恐怖政治が背景にある)だと思います。
- 政治家の記事ということで、政治的な業績が重要なトピックということになると思います。そういう意味では、内閣の首相として政治改革に取り組んだことが大事な点になるのだと思いますが、在任期間が短かめとは言え、いまの首相時代の記述は、「良質な記事の目安」のいうトピックの網羅性の観点からはやや不足かもしれません。特に奴隷貿易の廃止は、導入部にも書かれているとおり、政治家としてイギリスに大きな影響を与えた事柄だと思うのですが、本文では、廃止が取り決められた、という内容の一文のみしか記述がないことが気にかかります。カトリック解放も、この人物が生涯をかけて取り組もうとしたことなのだと思いますし、カトリック解放の記事のなかで名前が上がっているように、カトリック解放運動全体のなかでもこの人物はおそらく重要な位置を占めるのだと思います。ただ、そうだとすると、現状の記事ではカトリック解放に関わったということだけしか記載がなく、この人物がどんな背景で、どんな経緯や方法でカトリック解放に取り組もうとしたか、というところが見えてきません。
- 一部返信しました。--ネイ(会話) 2020年7月18日 (土) 17:02 (UTC)
- 賛成 丁寧にご対応いただきありがとうございます。奴隷貿易廃止やカトリック解放等の業績についても記述が充実したものと思いますし、疑問点についても理解いたしました。気になるのはやはり英国人名事典等の問題で、古い文献を中心とすると、史料(一次資料)の解釈の面で、事実関係の記載にも影響が出る可能性がある点が気にかかっています。たとえば1940年代の『大日本戦史』をもとに長篠の合戦の三段撃ちが行われた(現在ではほぼ否定されている)ということが事実かのように書かれる、といった問題です。ただ、主題が近代史でもありますし、オックスフォード英国人名事典で加筆もいただいたことで古い文献による部分の割合も低くなっていますし、良質な記事として賛成します。ウィリアム・ウィルバーフォースの記事を読むと、グランヴィル(おそらくグレンヴィル)が法案可決前に貴族院で重要な演説を行ったという話が書かれているので、もし出典等あれば、こちらの記事に書いても良いかもしれません。--伊佐坂安物(会話/履歴) 2020年7月23日 (木) 04:18 (UTC)
- DNB、ODNB、HOPのいずれにも見あたらなかったので、とりあえず一次出典である貴族院議事録から(ほぼ一文だけですが)加筆しました。--ネイ(会話) 2020年7月24日 (金) 07:54 (UTC)
- 賛成 丁寧にご対応いただきありがとうございます。奴隷貿易廃止やカトリック解放等の業績についても記述が充実したものと思いますし、疑問点についても理解いたしました。気になるのはやはり英国人名事典等の問題で、古い文献を中心とすると、史料(一次資料)の解釈の面で、事実関係の記載にも影響が出る可能性がある点が気にかかっています。たとえば1940年代の『大日本戦史』をもとに長篠の合戦の三段撃ちが行われた(現在ではほぼ否定されている)ということが事実かのように書かれる、といった問題です。ただ、主題が近代史でもありますし、オックスフォード英国人名事典で加筆もいただいたことで古い文献による部分の割合も低くなっていますし、良質な記事として賛成します。ウィリアム・ウィルバーフォースの記事を読むと、グランヴィル(おそらくグレンヴィル)が法案可決前に貴族院で重要な演説を行ったという話が書かれているので、もし出典等あれば、こちらの記事に書いても良いかもしれません。--伊佐坂安物(会話/履歴) 2020年7月23日 (木) 04:18 (UTC)
- 賛成 良質な記事の水準に達しているものと思います。--Tam0031(会話) 2020年7月28日 (火) 14:20 (UTC)
賛成のみ3票以上の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031(会話) 2020年7月30日 (木) 14:43 (UTC)