Wikipedia:秀逸な記事の選考/銀象嵌銘大刀 20241121
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賛成/条件付賛成/保留/反対 2/0/0/0 この項目の選考期間は、2025年2月21日 (金) 12:15 (UTC)(2025年2月21日 (金) 21:15 (JST))までです。
- (推薦)1873年に熊本県玉名郡和水町の江田船山古墳から出土した、銀象嵌による75文字の銘文が刻まれた大刀です。日本の古代史における希少な文献資料として、日本のみならず東アジアの古代史の重要資料とされています。良質な記事選考通過後に査読依頼でご意見を頂き、より完成度が高くなったと判断して秀逸な記事選考に出したいと思います。よろしくお願いいたします。--のりまき(会話) 2024年11月21日 (木) 12:15 (UTC)
- 戦前からごく最近のものまで幅広い資料をまとめた、非常に充実した記事となっているものと考えます。
- 「形態」節に銘文の書き起こしがありますが、丸括弧でかこまれた漢字については「おそらくこう読む」程度のニュアンスで理解してよいのでしょうか。
- 「江田船山古墳」節についてですが、清原古墳群全体の性質およびそのなかでの江田船山古墳の立ち位置についての記述もあれば嬉しいなと思いました(どちらかといえば江田船山古墳側に記述すべきことかもしれませんが…)
- 「戦前の研究史」節に「論文の中で福山は銘文内の大王を「𤟱□□□歯大王」と読み、 反正天皇(タジヒノミズハワケ・タジヒノミツハワケ)であると主張した」とありますが、反論もふくめ、タジヒノミズハワケ/タジヒノミツハワケに「蝮之水歯別」の漢字が宛てられることを知らなければ読みづらい記述だと思います。
- 「戦後の研究史」節に「蓋鹵王説への批判としては……銀象嵌銘大刀に蓋鹵王の文字を刻むことは考えられないとの意見があり…」「金錯銘鉄剣の発見後、銀象嵌銘大刀の銘文も「獲□□□鹵大王」であり、ワカタケル大王すなわち雄略天皇のことを指すという説が唱えられるようになる」「なお、東野の釈読に関しては、強引な解釈や判読不能な文字を無理に読もうとしている部分がみられるとの批判がある」「中でも後述の「八十練、(九)十振」の部分の「振」は「捃」と釈読するのが多数説であり、東野の釈読に無理があると指摘されている」という記述がありますが、単純な事実というわけではなさそうなので、誰の説であるのかの帰属化が必要と思います。
- 同節に「クリーニング後、東野治之は銘文の釈読を行い、「獲」は「𤟱」ではなくて「獲」の異体字と断定してよく」とありますが、やや不自然であり、最初の「「獲」は…」の部分は「この文字は…」といった表現に置き換えたほうがよいかなと思います。
- 「解釈と評価」節「なお、文字を表記や表現をするために使用する前段階として、呪術的な機能を持つものとして認識されていたと考えられ…」についても、帰属化が必要と考えます。
--Nux-vomica 1007(会話) 2024年11月27日 (水) 12:13 (UTC)
- 返信 Nux-vomica 1007さん、ご意見どうもありがとうございます。改めて資料を読み込んで対応したいと思いますので、少々お時間をいただければと思います。よろしくお願いいたします。--のりまき(会話) 2024年11月27日 (水) 21:11 (UTC)
- コメント改めて資料を取り寄せている最中ではありますが、手持ちの資料でNux-vomica 1007さんのご意見に関して対応してみましたので、ご確認よろしくお願いします。
- 「形態」節の銘文の書きおこしに関しては、丸括弧でかこまれた漢字については「おそらくこう読む」程度のニュアンス(というか、そう読むと思うのだけど確証が持てない)で大丈夫です。
- 清原古墳群の簡単な説明と、古墳群の中で江田船山古墳がいつ頃築造されたのかを加筆してみました。どうも清原古墳群全体について紹介した良い文献が見つからず、手持ちの資料で古墳群について触れられたものを用いて加筆をしたのですが、今後、江田船山古墳本体の本格加筆も検討しておりますので、引き続き資料を探していきたいと思います。
- 銀象嵌銘大刀の大王の旧説である反正天皇説ですが、銘文の冒頭部分を「治天下𤟱宮弥都歯大王世(弥都の字は別の字をあてた可能性あり)」などとして「タヂヒの宮に天の下治ろすミヅハの大王の世」と大王の宮と名前をセットにした形で釈読する説でしたので、そのように記述してみました。
- 「戦後の研究史」節に「蓋鹵王説への批判としては……銀象嵌銘大刀に蓋鹵王の文字を刻むことは考えられないとの意見があり…」「なお、東野の釈読に関しては、強引な解釈や判読不能な文字を無理に読もうとしている部分がみられるとの批判がある」「中でも後述の「八十練、(九)十振」の部分の「振」は「捃」と釈読するのが多数説であり、東野の釈読に無理があると指摘されている」の、3点のご指摘に関しては説を唱えた人物に関しての帰属化を行い、あわせて文章の推敲を行いました。
- 「金錯銘鉄剣の発見後、銀象嵌銘大刀の銘文も「獲□□□鹵大王」であり、ワカタケル大王すなわち雄略天皇のことを指すという説が唱えられるようになる」の部分ですが、実はこの記述の帰属化が難問です。金錯銘鉄剣の発見後、これまでの反正天皇説から文字通り一夜にして雄略天皇説に変わってしまったというのが実態だからです。とりあえず手持ちの資料で金錯銘鉄剣の発見後に雄略天皇説となった専門家の名前を列挙する形としてみました。実際問題として反正天皇説に対して金錫亨が指摘した銘文の内容との矛盾、江田船山古墳の副葬品と百済の武寧王陵の副葬品との類似から李進熙が指摘した年代面の矛盾の指摘はともに的確であり(お二人が唱えた蓋鹵王説も矛盾が多いのですが……)、反正天皇説に無理があることが日本の古代史の学会内部でも感じられるようになる中での金錯銘鉄剣の発見だったので、あっという間に定説が変わってしまったということなのだと思います。このあたりは資料を取り寄せていますのでもう少し加筆できるかと思います。
- 「クリーニング後、東野治之は銘文の釈読を行い、「獲」は「𤟱」ではなくて「獲」の異体字と断定してよく」の部分は、表現を改めてみました。
- 「解釈と評価」節「なお、文字を表記や表現をするために使用する前段階として、呪術的な機能を持つものとして認識されていたと考えられ…」についても説を唱えた人物に関して帰属化を行い、あわせて文章の推敲を行いました。--のりまき(会話) 2024年12月1日 (日) 06:26 (UTC)一部修正--のりまき(会話) 2024年12月1日 (日) 06:39 (UTC)
- ご対応ありがとうございます。今後も加筆のご予定があるとのことですが、とりまず懸念していた点についてはすべて解消されたと考えます。
- 五月雨式で申し訳ないのですが、井上光貞・大野晋・岸俊男ら (1979)、亀井(1979)、熊本県文化財保護協会(1986)、佐藤(2024)を確認いたしました。おおむね記事との齟齬はなかったのですが、「修理保存について」節「銀象嵌銘大刀は、銀によって象嵌がなされていて文字部分に錆が出来やすい。しかし錆を落とす目的で研ぐと象嵌の剥落を起こす恐れがあると考えられたため、安全に錆を落とす方法が確立されるまでできる限り手を加えずに保存されていた」には出典にない情報が含まれているように見えます。いかがでしょうか(脚注22由来の情報でしょうか?)。--Nux-vomica 1007(会話) 2024年12月1日 (日) 23:36 (UTC)
- Nux-vomica 1007さん、ご指摘どうもありがとうございました。結論からするとページの指定ミスでした。該当部分(p.4)を抜粋しますと、「……銀象嵌太刀は、象嵌が銀であるため文字面の銹化が早く、度々文字を研ぎ出すと銀に摩耗をきたし、象嵌文字の剥落等を起こすおそれがある……安全な方法が考えられるまで、できるかぎり研磨等の手を加えず保存し」となります。修正いたしましたのでご確認よろしくお願いいたします。--のりまき(会話) 2024年12月2日 (月) 09:56 (UTC)
- 賛成 修正を確認いたしました。賛成票を投じます。--Nux-vomica 1007(会話) 2024年12月2日 (月) 12:19 (UTC)
- Nux-vomica 1007さん、ご指摘どうもありがとうございました。結論からするとページの指定ミスでした。該当部分(p.4)を抜粋しますと、「……銀象嵌太刀は、象嵌が銀であるため文字面の銹化が早く、度々文字を研ぎ出すと銀に摩耗をきたし、象嵌文字の剥落等を起こすおそれがある……安全な方法が考えられるまで、できるかぎり研磨等の手を加えず保存し」となります。修正いたしましたのでご確認よろしくお願いいたします。--のりまき(会話) 2024年12月2日 (月) 09:56 (UTC)
- 2024年12月11日 (水) 10:57版をもとに、出典となっている東京国立博物館(1993)、宮崎(1983)、平野(1985)、井上(1985)、福山(1975)、川口(1979)、川勝(2008)、鈴木(1988)、高木(2002)、一瀬(2005)を参照し、出典中の内容と記事中の記述を突き合わせて確認しました。その結果、下記の点を除き、大きな齟齬や問題はないことを確認しました(私が理解できる範囲内ですが)。ページ間違いのような誤記のたぐいについては、直接編集を加えて修正しました。
- 福山(1975)pp.28-29.を出典とする「蓋鹵王説に対して福山敏男は虫偏の「虫」を「犭」で表記する例があることを示し、「歯」であるか「鹵」であるかについては文字的にやはり「歯」ではないかとした[84]。」の記述につきまして、出典中の内容と齟齬があるように思います。「虫」や「犭」の話が持ち出されるのは、4文字目(福山では「蝮」、東野では「獲」)の解読に関してです(福山(1975)p.28)。8文字目が「歯」であるか「鹵」であるかについては、福山(1975)では「大王」が後続することからその大王の名または称号の一部であろうから弥都"歯"(反正天皇)だと推測する記述があるのみです(福山(1975)p.29)。確認をお願いします。--Yapparina(会話) 2024年12月15日 (日) 02:59 (UTC)
- Yapparinaさん、丁寧な査読と誤記等の修正、どうもありがとうございました。ご指摘の福山(1975)の記述との齟齬に関しては出典を確認して修正してみました。いかがでしょうか?--のりまき(会話) 2024年12月15日 (日) 09:09 (UTC)
- (賛成): 修正を確認しました。ありがとうございます。賛成とします。--Yapparina(会話) 2024年12月16日 (月) 12:47 (UTC)
- Yapparinaさん、丁寧な査読と誤記等の修正、どうもありがとうございました。ご指摘の福山(1975)の記述との齟齬に関しては出典を確認して修正してみました。いかがでしょうか?--のりまき(会話) 2024年12月15日 (日) 09:09 (UTC)
- 冒頭に「銘文は文献資料が希少な古代日本の数少ない文献資料として、日本のみならず東アジアの古代史における重要な資料とされて」とありますが、言葉の重複が多く、この半分くらいで事足りている内容ではないかとも思えます。また、この文章は「銘文の評価」説にほぼ同じものが繰り返されていますが、資料の希少性や重要性について、繰り返しでなく敷衍した形での説明があるべきではないでしょうか。文中のどこかに説明があって、「……以上のように希少であり重要である」というまとめ方ならそれでもいいのですが、そのようには読めませんでした。
- 江田船山古墳については、古墳の形状寸法など、当該古墳の記事よりも詳しい説明がありますが、ここで重要なのはそういうことよりも出土した刀剣との関連においてなにがわかり、なにが考えられているかでしょう。とくに当該古墳の埋葬者がだれなのかは本項目の主題と密接に関わる事柄です。しかし、当該古墳記事では「筑紫君一族の配下に連なる地域の中首長の墓であったことが想像できる」や「被葬者は3名と考えられている」とされていることが、本項目ではそこまで踏み込んだ記述がなく、使用文献の違いによるものかもしれませんが、書かれるべき内容が古墳と刀剣で逆になっている印象です。また、当該古墳記事には刀剣の画像が複数掲載されており、むしろ本項目で使用した方がよいと思えるものがあります。
- 「戦前の研究史」及び「文様」節に、馬の文様をペガサスとする主張が紹介されていますが、繰り返し採り上げていることからして、有力な説ということでしょうか? ペガサスの名称はギリシア神話由来だと思いますが、日本の古代史の文脈で普通に使われるものなのかという疑問があります。例えば「翼のないペガサス」文様が西域から伝来した形跡や事例が近隣にもあるなら別ですが、そのような肉付けもされていない中では、いささか唐突に見えます。
- 銘文に記載された人名はムリテ、イタワ、張安の3名ですが、「ムリテとヤマト王権」のようにまとまった記述があるのはムリテのみで、イタワと張安については「銘文の解釈」で触れるのみとなっています。「作刀」や「銘文の評価」といった節分けがあるにもかかわらず、この2者の名前がそうした業績的な文脈に結びついて出てこないのはなぜでしょうか? あるいはあえてそのような扱いとしているのかとも受け取れます。--みっち(会話) 2024年12月30日 (月) 13:43 (UTC)
- 返信 みっちさん、ご意見どうもありがとうございます。ご意見に基づき修正を加えたいと思いますが、少々時間がかかると思います。
- 第一点ですが、冒頭部分の記述は見直してみたいと思います。なお資料の希少性、重要性についてはもう少し書けると思いますので、加筆をしたいと思います。
- 第三点ですが、本文には記述しませんでしたが、考古学者の乙益重隆が参考文献にも使用した乙益(1982)の中で福原岱郎に近い見解を述べ、銀象嵌銘大刀の国際性について主張しています。またやはりは参考文献に使用している亀井(1979)でも天馬と記述しています。正直なところ銘文以外の研究が少ないため、定説であるとまでは言い難いのですが、有力な説であると思います。なお、本記事では中立性にも考慮して懐疑的な意見にも触れた形にしています。
- 第四点ですが、これは本人の業績に結びつけられた記述がなされている参考文献が無いからです。張安に関しては銘文の作成者以外にも、中国語にも日本語にも堪能な渡来系の人物であったと説があり、銘文に大きく記したのは何らかの意志が働いていたのではとの推測を書けたのですが、イタワは参考文献からは表記法から見て日本人ではないかという記述しか確認できません。
- 第二点ですが、これが一番の難問です。まず江田船山古墳の諸元に関してですが、考古学的な重要事物について紹介する際には、出土した古墳に関して現状程度の説明を行うのは通常的に行われていることだと思います。古墳の被葬者ですが当記事内で説明している通り、通説としては複数回の埋葬が行われたとされていますが、埋葬が二回あったのか三回なのか、何回目の埋葬時に銀象嵌銘大刀を副葬したのかはいまだ定説がない状況です。また注釈でも触れましたが複数回の埋葬を否定する説も残っています。実際、被葬者に定説があるとは言い難く、しかもいつの埋葬時の被葬者と銀象嵌銘大刀を紐づければよいのかが不明確な中、安易に被葬者論を当記事内に記述するのは危険であると判断しました。ただ、被葬者像の中で大方のコンセンサスが得られている面があるのも事実ですので、そのあたりは加筆したいと思います。
- 第二点のもうひとつの要点である、出土した刀剣の中での銀象嵌銘大刀の位置づけが欲しいとのご要望ですが、確かに必要性が高い項目だと思います。ただ、江田船山古墳の出土品の中で銀象嵌銘大刀以外の刀剣の重要性は低く、鏡、装身具、馬具、冠に関する論文はあるのですが、刀剣に関しては記事中でも触れた銀象嵌銘大刀と同タイプとされる大刀2本と、銀装環頭大刀、金銀装龍文環頭大刀の合計5本の大刀しか文献的には無いのが現状なのです。記述可能な大刀について述べる項目を立てて、銀象嵌銘大刀の位置づけ等を記述してみたいと考えています。--のりまき(会話) 2024年12月31日 (火) 05:11 (UTC)
- 追記使用している写真に関して追記します。当記事は東京国立博物館で行われたエディタソンで作成されたものです。その際、東京国立博物館側から所蔵している文化財に関しては、「ColBase 国立博物館所蔵品統合検索システム[1]」のものを使用して欲しいとの要請がありました。そのため当記事で使用している銀象嵌銘大刀の写真は、戦前期のもので著作権切れが明らかなものを除き、ColBaseからコモンズにアップロードしたものを使用しています。--のりまき(会話) 2024年12月31日 (火) 09:31 (UTC)