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Wikipedia:珍項目/選考/ココナッツによる死 20140422

仕切り直し
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  • 報告 勝手ながらこちらで仕切り直しとすべく対応させていただきました。この記事の問題点について議論された後、再選考が必要という合意形成に至る可能性もあります先日の議論はみやすく残しておきます。珍項目にふさわしいと判断した方は、なぜ無視できないくらい多数の反対票がついてしまったのか。逆に反対票を投じた方は、どうして賛成派を納得させることができなかったのか。記憶が薄れる前に提起された問題をお互い振り返る場としましょう。--Damena会話) 2015年4月30日 (木) 10:10 (UTC) --(追記)Tomomoriさんのご指摘を受け訂正。--Damena会話2015年4月30日 (木) 15:06 (UTC)(追記)よくよくみるとこのサブページ名は「Wikipedia:珍項目/選考/ココナッツによる死 20150422」とすべきでした。。大きな問題はなさそうなので、さしあたって移動は不要と考えられますが、それにしてもお恥ずかしい限り……。[返信]
  • コメント 仕切りなおしというよりは「感想戦」ぐらいの感覚でコメントします。
選考の流れは下記の2段階になっています。
  • (1)Wikipedia:珍項目/選考#推薦の基準=「推薦できるか(条件をクリアするか・客観的基準)」
  • (2)Wikipedia:珍項目=「珍項目と思うか(主観的判断)」(読み方によってはどことなく珍妙さやユーモアなどを感じさせる、など3項目)
私見ですが、(2)まで進んでしまうと「珍妙」とか「ユーモラス」という主観的な判断基準になるので、そこの段階で票が割れちゃったら多数決でしょうがない、という感じはします。(1)の推薦に値するかは、独自研究とか出典の不備とかトリビアとか、形式的な問題を論点に客観的に議論できると思うのですよね。
正直私もこの2段階の検証を厳密にやって投票したという感じもしないのですが、私の感覚では(1)はビミョー(OKとは言いがたい、NGより)、(2)はNO寄り、ということで総合的な判断として反対票を投じました。
(1)がビミョーなのは、独自研究くさい、と感じたからです。既に指摘済みですが、ココナツ落下による死をメインテーマに据えながら、記述の1/4ほどは喧嘩とか、倒木とか、漂流物を食べた海棲生物の死とかのありきたりなもので、別にココナツである必要さえありません。本来関係ない話を「ココナツに関係するトピックを無理やりかき集めた」という感じです。
大衆文化節あたりに出てくる記述の場合はこうです。
  • 1965年 ギリガン君SOS
  • 1983年月不明 博士の論文
  • 1983年7月 ドンキーコング3発売“
  • 1985年2月 NYTが死亡事故の報道
  • 2001年8月 トレド・ブレイドの誤報
  • 2001年(10月?) イグノーベル賞受賞
  • 2002年以降 さまざまな逸話
本文では最初のほうで「逸話の起源はバルス博士が発表した研究論文」と言っています。であれば、それ以前の事象を掲載するのはおかしいです。論文発表が何月かはわかりませんが、おそらく7月に日本で発売のドンキーコング3が、論文に触発されたという可能性はないでしょう。牽強付会です。
  • 記録(落下による死)10件の事例のうち、5件は1983年以前のもの。関係ない。
  • 記録(その他)はすべて博士の論文に関係ない。
  • 訴訟節の3件の事例のうち、2件は1983年以前のもの。関係ない。
これ結局、あたかも「都市伝説」につながっているかのように見せるために雑多な事象を都合よく並べかえただけで、時系列で並べ直したら全然関係ない話が記事の半分ぐらいを占めてそうです。「都市伝説」節では2001年以前の事象はほぼ皆無、それ以降の事例ばかりで、都市伝説というか、要するに1983年の論文というより、2001年のイグノーベル賞で耳目を集めて面白おかしく広まった、ということじゃないでしょうかね。博士の論文に直接関係があるもの、かつ、イグノーベル賞以降の物に限定すると、記事のボリュームは1/3ぐらいになりそうです。しかも残るのは「雑多な事項を並べただけのもの」。私にはすべての出典を検証できないので、断定はできないんですが、WP:NORWP:TRIVIAの気配を感じました。
すべての出典に直接当たることはできないので私には検証できませんが、テーマ全体を1本通して言及しているような基本的な出典があるのだろうか、と感じました。肝心な部分の出典がアクセス不能ばかりですし。で、英語版とくらべていろいろ眺めると、Surviving Paradise(2006)が元ネタという感じです(Googlr Booksではp241しか読めないので完全には検証できませんが。)。
この241ページを見る限り、「都市伝説」節の冒頭「博士の論文が発表→ココナツの死者の話が誇張・拡散」という部分は、ほとんど嘘に近いじゃないかと思いますね。『Surviving Paradise』で示されているのは、論文(1984)→イギリスの保険会社のプレスリリース→サメ研究所(2002)という流れです。18年も間があいてる。本当はイグノーベル賞(2001)が契機だったんじゃないですかねえ。
この都市伝説節も叙述の順序がおかしい。あたかも順番に起きて「拡散していった」かのように書いてあるけども、年代順に並べると全然違う。
  • 「ストレイト・ドープが神話にすぎないと論じ」たのは2012年。
  • そのあとの「別のメディアは」の出典は2004年
  • 次の「サメ研究所」は2002年
  • そして世界の一流紙で大規模に」の最初の事例は1985年
  • 次の事例は2001年8月
「トレド・ブレイド」は『世界の一流紙』じゃなさそう。オハイオ州トレドは人口30万弱、全米60位。日本で言うと函館ぐらい。函館新聞は、申し訳ないけど「世界の一流紙」ではないでしょう。これが「主なもの」に入るんですからね。
  • NYT(2002年)は確かに世界の一流紙でしょう。しかしこの記事は「バージェスの主張」を載せてはいますが、その前段でさんざん鮫リスクに備える人たちの話を載せてます・・・。
2005年以降の事例もいくつか出てますが、2004年の『続・嘘と統計クソ食らえ(More Damned Lies and Statistics)』という本で既に「馬鹿じゃねーの」みたいな指摘があったわけで、こうなってくると「ココナッツによる死」というよりも、「ココナッツが危険だというアメリカの2002年頃の都市伝説」という記事名で2001年のイグノーベル賞以降に絞って再編したほうがいいんじゃないかなあという感じです。以上、感想でした。--柒月例祭会話2015年4月30日 (木) 13:43 (UTC)[返信]
  • コメント 感想の感想、なんですが、はじめに私はここでの慣習がよくわからない、と申したとおり、この選考に臨むスタンスがよくわかっていないんですよね。「そんなにムキにならなくても、ジョークなんだから気軽に読んで面白いと思えばそれでいいじゃない、それともユーモア欠乏症なのかい?」みたいに言われたら反論できないんです。新着記事の投票あたりでは、私も記事をサラッと読む程度で、出典の中身までじっくり読まずに投票することはあります。良質や秀逸、強化記事の選出ではもっとじっくりやりますが、この選考ではそこまでしなくとも、ということなのかもしれません。「サブページ化の提案」に関しても、「まじめに書いたのに選出されて立腹する執筆者もいるかもしれないから」ということで反対意見もいただきましたが、そこらへんにも、この選考ではそこまで真剣に取り組まなくても・・・という雰囲気を感じました。--柒月例祭会話2015年5月1日 (金) 04:38 (UTC)[返信]
  • コメント 正直なところ私も慣習についてはよくわかっていないですけど、選出されている記事を見る限り今回みたいにきちんと議論して選出してるって感じがしない記事も多い気がしますし、今回の議論の経緯をみてて戸惑ったって言うのも正直なところです。過去に珍項目に選出されたあとに独自研究による削除を受けた記事が多いみたいなので厳しくなったのかなって気もしますけど。あまり大きなことを言えた立場じゃないですが、なれた感じのユーザー様の間でも姿勢が分かれている感じがするので、一回珍項目はどうあるべきかって議論はしたほうがいいかもしれませんね。--Mashir43会話2015年5月1日 (金) 05:12 (UTC)[返信]
  • コメント Damenaさん、まずは気を遣って頂いてのご処置に感謝申し上げます。ですが、「議論が紛糾した選考は1週間の選考期間後もサブページを設けて議論を継続することができる」という選考ルールは存在しません珍項目#投票の仕方に、「投票期間は、推薦から1週間(168時間=翌週の同曜日同時刻まで)です。これを超えての投票は無効です。」と明記されています。上記に暫定決定とありますが、ココナッツによる死は、暫定も何もなく賛成6反対4でルール通り珍項目認定です。「その上での再議論が必要であれば珍項目の再選考が用意されておりますので。」と私はコメントでも申し上げました。
また、Damenaさんの2015年4月30日 (木) 10:13 (UTC)におけるコメントに「Tomomoriさんのコメント「『投票期間が終了した候補は「#選考中の候補」から除去してください。』という成文ルールが優先ですから、他の方の編集を妨げるものではありません」もこの対処を支持するものと解釈いたしました。」とありますが、規定の期間を越えて議論を継続するという対処は私は想定していませんでしたし支持もできません。先の文章は、投票期間の終了した候補の選考議論は除去するという成文ルールを私が個人の判断で無視していることを自認した上で、「私が選考経過を一定期間残そうとしている措置は本当はルール違反ですから、他の方が即座に選考経過を除去しても一向に構いませんよ」という意図で書いたものです(そうはっきり書くべきでした…)。たしかにサブページ化も一案とした選考の過去ログ化はノートで議論を始めたばかりですが、まだ合意も何も出来ていません。
また、再選考の開始に合意が必要というルールもありません。再選考は1ユーザが個人の意志でいつでも提案してよいものです。
最初にルールを破ったのは私ですから、まずは皆様にお詫び申し上げます。その上で申し上げるなら、柒月例祭さんのような拘束力のない「感想」ならともかく、議論の継続が必要なら、ここではなくルール通り再選考でやりましょう。その時に冒頭でコメントとして選考経過の載った過去版リンクを張るのなら、ルール上問題ないはずです。--Tomomori会話2015年4月30日 (木) 14:24 (UTC)[返信]
  • コメント Tomomoriさんのご意見はご尤もなことです。ただ「個人の意志で」性急に再選考を提案しても投票者の母集団が変わらない限りはそう簡単には結果は変わらないでしょう。再度議論が必要になった際、過去の議論の履歴から必要な部分だけを後から抜き出すのは大変骨が折れることです。選考期間以内で吟味することができないのであれば、議論する場を個別に用意することはさほど不自然なことではないでしょうし、現行のガイドラインに照らし合わせても特に問題はないと思います。冒頭の誤解を招く表現は修正しました。なお現状で珍項目の選考に関してサブページ化の手続きは明記されていませんが、ガイドライン上は進行中の議論をサブページ化すること自体には問題はなかったと思います。--Damena会話2015年4月30日 (木) 15:06 (UTC)[返信]
    コメント ご説明および冒頭部コメントへの対処ありがとうございました。(あと見間違いからお名前の綴りを間違えていました、大変失礼しました。)叶うことならば、Wikipedia:珍項目/選考#選考中の候補における「Tomomoriさんのコメント……支持するものと解釈いたしました。」の部分に打ち消し線を付して頂くことはできませんか?そのように解釈される発言をしたのは私自身ではありますが、私の発言からこうした状況(サブページ化)が起こるとは全く想定しておらず、支持できないのも事実で、少々困惑気味なのです…。--Tomomori会話2015年4月30日 (木) 15:57 (UTC)[返信]
    コメント ご処置ありがとうございます。--Tomomori会話2015年5月1日 (金) 12:37 (UTC)[返信]
  • コメント最初に推薦したものですが、まさか議論がこんなに白熱するとは思わずあっけにとられているうちに終わった感じで、結果はともかく見ようによっては書き逃げみたいな形になって後味悪いなと思っていたので少しだけコメントを。
まず、本件に関して最初の推薦文で私が誤読して「さめより怖い殺人生物」と言ってしまったことが最大の問題だったと思います。この一言で議論が白熱した感はありますし。ちゃんと読んでもう少し客観的な書き方をすればよかったと反省しています。まずはこの点についてはここでお詫びします。すいませんでした。
そのうえで、㭍月例祭さんもおっしゃっている以下の流れに沿ってコメントします。
  • (1)Wikipedia:珍項目/選考#推薦の基準=「推薦できるか(条件をクリアするか・客観的基準)」
  • (2)Wikipedia:珍項目=「珍項目と思うか(主観的判断)」(読み方によってはどことなく珍妙さやユーモアなどを感じさせる、など3項目)
(1)は満たすのではないかと私は思いました(だから推薦したわけで…)。議論を見たうえで読み返すと確かに記事に改善の余地はあると思うんですが、現在珍項目に掲載されているほかの記事から考えても出典はしっかりしていると思いますし珍項目の記事として問題があるほどとは今でも感じていないです(異論はあると思います)。
(2)について、「人の死を扱うのは不謹慎」「研究者が不快に思っている」などの議論が該当していたと思うのですが、これらの意見に関して主観が入るのは仕方なく、これで多数決になるのは仕方なかったかなと思います。--Mashir43会話2015年5月1日 (金) 02:43 (UTC)[返信]
  • コメント 今回の選考で「反対」票を投じた者です。「1回目の投票が主観に基づく内容であった」という理由で自ら票を撤回し、再度投票を行ないましたが、柒月例祭さんのこのコメントを拝見して、「あぁやはり自分は記事の読み込みが甘かった。わざわざ票を差し替えてもなお、自分の意見は『主観的』だった」と気づきました。現在の「ココナッツによる死」の内容は、翻訳元の「en:Death by Coconut」と概ね同一でありますが、英語版で「出典皆無」である記述がカットされている、長大な節が切り分けられている、などの「改善」がみられます。また、柒月例祭さんがご指摘の「一部の節で時系列が混乱している」ことに関しては、英語版の時点で既に「時系列が滅茶苦茶」であったようです。これらの点を踏まえた上で、(先の選考での発言と一部重複しますが)「論点1」「論点2」にそってコメントします。
  • (1)Wikipedia:珍項目/選考#推薦の基準=「推薦できるか(条件をクリアするか・客観的基準)」→ココナッツによる死#都市伝説ココナッツによる死#その他ココナッツによる死#ココナッツと訴訟ココナッツによる死#大衆文化が、「ココナッツ"による""死"」と直接関係ない話題をかき集めたものと化しており、WP:TRIVに抵触している。「ココナッツによる死」そのものではなく「誤読と誤解により都市伝説化したこと」が「珍」であると言わざるを得ず、「全体ではなく部分が"珍"」ということである。(英語版のそもそもの内容に問題があるのであって、日本語版への翻訳者さんに非はない事を強調しておきますが)意図的であるか否かにかかわらず、ココナッツによる死#都市伝説ココナッツによる死#大衆文化など「時系列が歪められている」箇所があり、英語版の執筆者による「独自研究」あるいは「情報の合成」である可能性が拭えない。こうした点からみて、Wikipedia:珍項目/選考#推薦の基準を満たしているとは言えない。
  • (2)Wikipedia:珍項目=「珍項目と思うか(主観的判断)」(読み方によってはどことなく珍妙さやユーモアなどを感じさせる、など3項目)→ピーター・バルス博士本人が、自身の研究がイグノーベル賞を受賞した事を快く思っていないことを汲むと、「ユーモア」として笑いの対象にはしにくい。「人の死が絡む」「都市伝説化のプロセスが統計学リテラシーの欠如から来たものである」「時系列順に内容を検討し直すと、結局、イグノーベル賞受賞をきっかけに統計学リテラシーの欠けた連中が騒いだ、としか思えない」ことからみて、「珍」であっても「ユーモア」は感じられない。