Wikipedia:査読依頼/弘前大学教授夫人殺人事件 20190418
弘前大学教授夫人殺人事件 - ノート
[編集]はじめに
[編集]#古畑鑑定節の内容について、数学、とりわけベイズ推定について見識をお持ちの方からのご意見を頂戴したく思います(もちろん、それ以外の部分に関しましても、多くの方からのご意見・ご感想を歓迎致します)。
現在、#確率計算に対する批判節の内容は、ほぼ全面的に
- 半沢英一 著「数学と冤罪 - 弘前事件における確率論誤用の解析」、庭山英雄編 編『被告 最高裁』技術と人間、1995年、252-273頁。ISBN 978-4764501010。(初出は『技術と人間』第22巻第5号、64-73頁、NAID 40000631304)
- 岡安隆照「弘前事件・古畑鑑定における確率の計算について」『東北学院大学論集 - 法律学』第16号、東北学院大学文経法学会、1980年3月、122-131頁、ISSN 03854094、NAID 40002640862。
の2論考に依拠しております(以降も、本依頼では基本的に敬称略とします)。
半沢論考は下記のように、最も詳細かつ他の論考とも矛盾が少なく、岡安論考もほぼ同内容です。しかし、古畑鑑定に循環論法が含まれるという指摘は、他の論考にはない半沢論考独自のものです。
一方、管見の限りでは古畑鑑定のベイズ推定について詳述した論考はもう3件存在します。
- 浜上則雄、加賀山茂「法医学者による血液型に基づく証明方法に対する批判と提案(上)」『ジュリスト』第650号、有斐閣、1977年10月、95-101頁、ISSN 04480791、NAID 40001751696。
- 木下信男「裁判と数学 - 弘前事件にみる冤罪の軌跡」『明治大学教養論集』第240号 自然科学、明治大学教養論集刊行会、1991年3月、1-15頁、ISSN 03896005、NAID 40003633337。
- 管賀江留郎『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか - 冤罪、虐殺、正しい心』洋泉社、2016年。ISBN 978-4800307453。
浜上・加賀山論考は、古畑鑑定に対して独自の批判を加えていますが、これに関しては古畑鑑定を批判する立場の複数の論者からも、下記のように否定的な評価を受けています。木下論考については他に取り上げる論者も存在せず、その古畑鑑定に対する批判方法も他の論者とは根本的に食い違っています。近年出版された管賀書は、他のすべての論考とはまったく逆に、古畑鑑定の方向性は正しかったがそれを徹底しなかった、という趣旨の記述をしています。
以上の5論考について、その内容を私が纏められる範囲で簡潔に紹介させて頂きます(数式や文字はなるべく原文ママとしています)。もちろん私は数学については素人に近いため、私による要約が誤っている可能性も否定しきれません。その際は遠慮なくご指摘頂ければと思います。
半沢論考の要旨
[編集]- シャツの血痕の血液型がBMQE型である事象を とする
- シャツの血痕が被害者のものである事象を とする
- シャツの血痕が被害者のものでない事象を とする
- 古畑鑑定における とは のことである
- 古畑鑑定における とは のことである
- に異論はない
- 古畑鑑定における とは のことである
- 古畑鑑定は、 と仮定している
- 古畑鑑定は、 と仮定している(Arvin注:細かい計算については現在の記事内容を参照のこと)
脚注
半沢論考の古畑鑑定に対する批判
[編集]- との仮定が乱暴(被告人が犯人である蓋然性を始めから50パーセントに設定している)
- 土倉メモよりの引用「数学的にはこれは大きな仮定である」「慣例的な面もあるが(数学辞典、岩波、三六五頁)種々の批判の的となってもいる。たとえば近代統計学の祖といわれるR・A・フィッシャーも批判的といわれる(統計学辞典、東洋経済新法社〔ママ〕昭和四十二年版、五八、二六五頁)」(半沢論考270-271頁)
- というのは「被害者を除いた日本人におけるBMQE型の出現頻度」であり、循環論法を生むため と連立させてはならない
岡安論考の要旨
[編集]- シャツの血痕と畳表の血液が同一人のものである事象を とする
- シャツの血痕と畳表の血液が同一人のものでない事象を とする
- シャツの血痕の血液型がBMQE型である事象を とする
- 古畑鑑定は、 と仮定している
- 古畑鑑定における とは のことである
- 古畑鑑定における とは のことである
- に異論はない
- 古畑鑑定は、 と仮定している
- よって古畑鑑定の復元式は、 および である(Arvin注:タイプミスと思われるが原文ママ)
岡安論考の古畑鑑定に対する批判
[編集]- との仮定が乱暴(五分五分である根拠がない)
- 浜上・加賀山論考もこの仮定を批判している(Arvin注:下記のように、浜上・加賀山論考はこの仮定に無批判であり、岡安の記述には首肯しかねる)
- 、すなわち日本人全体におけるBMQE型の割合とするのも乱暴(日本人全員がシャツに血を付ける機会があったかのような仮定)
- 再審鑑定人である木村康もこの仮定を批判している(Arvin注:ここで岡安が挙げている資料は未公刊の裁判資料と思われる)
- そもそも日本人におけるBMQE型の出現頻度も0.015ではない。公判提出資料に基づけば 0.217(B型)×0.3(M型)×0.33(Q型)×0.87(EB型)=0.0187 である(Arvin注:加筆予定)
浜上・加賀山論考の要旨
[編集]- 「シャツにBMQE型の血痕が附着している」という結果を とする
- 「被害者の血液がシャツに附着した」という原因を とする
- 「被害者以外の血液がシャツに附着した」という原因を とする
- 古畑鑑定は、 と仮定している
- 古畑鑑定は、 と仮定している
- および の事前確率 および は不明であるため、 とする
- よって古畑鑑定の復元式は、 および である
浜上・加賀山論考の古畑鑑定に対する批判
[編集]- 血液の飛散・附着状況によっては とは限らない(Arvin注:犯行時にシャツに血液が附着しない可能性について述べている?)
- 犯行時以外にシャツに被害者の血液が附着した、あるいは、犯行時にシャツを着ていたのが被告人ではなかった、など他の原因を考慮していない
- はさらに「犯行時に血液が附着した」という原因 と、「犯行時以外に血液が附着した」という原因 に細分化せねばならない(場合によってはそれ以上)
- の蓋然性 は の範囲で変化する
- の場合、 は以下のように減少し得る
0.5 | 0.4 | 0.3 | 0.25 | 0.2 | 0.1 | 0 | |
0.985 | 0.788 | 0.591 | 0.493 | 0.394 | 0.197 | 0 |
浜上・加賀山論考に対する批判
[編集]- 半沢論考および岡安論考が指摘する2つの仮定の問題にまったく無批判であり、「原因の数をふやすという方向で問題の確率計算を修正しようとしている。残念ながら問題の本質をとりちがえているのではないかといわざるをえない。」(半沢論考270頁)
- 「数学をもてあそんでいるものとしか思えない」(石山昱夫『血液型の話』サイエンス社〈サイエンス叢書 [N-3]〉、1979年、231頁。 NCID BN02251277。)
- 「石山昱夫氏は、古畑鑑定を擁護する立場からの浜上、加賀山論文批判であり、その立場に同調はできないが同論文の原因の数をふやす修正を『数学をもてあそんでいるとしか思えない』と論難している点は不当とはいえないと思う」(半沢論考270頁)
- 「古畑鑑定の改良にはなっているかも知れないが古畑鑑定を否定するものではないと考えられる」(同上に引用の土倉メモ)
- (Arvin注:私見ではこれら3者の批判に同意。浜上・加賀山論考の言う「被告人宅から真犯人がシャツを盗んだ可能性まで考慮せよ」などというのは屁理屈に思える)
木下論考の要旨
[編集]- 被告人がシャツを着て犯行現場に行く確率を とする
- この時、被害者の血液がシャツに附着する確率を、古畑鑑定は としている
- 古畑鑑定は と仮定している(Arvin注:論旨が不明瞭なため私が誤読している可能性はあるが、こう仮定しなければ古畑鑑定と計算が合わない)
- この時、被害者の血液がシャツに附着する確率を、古畑鑑定は としている
- シャツを着た被告人(または家族)が怪我人に出会い、その血液がシャツに附着する確率を とする
- その怪我人の血液型がBMQE型である確率を、古畑鑑定は としている
- 古畑鑑定は と仮定している
- よって古畑鑑定の復元式は、 である
木下論考の古畑鑑定に対する批判
[編集]- 刺殺の場合には必ず返り血が飛散するため、 とすべき(Arvin注:この辺りの論理展開が理解困難)
- である保証はない(Arvin注:半沢論考および岡安論考の指摘に類似している?)
管賀書よりの引用
[編集]人工六万の弘前市で、九百人に絞り込んだだけなのに、九八・五パーセントと云い替えただけで充分狭い範囲に限定されたような錯覚を起し、さらにそれ以外の情報を追加し「合せて一本」で唯一無二まで絞り込む作業を怠ってしまったのだ。
冤罪が確定してから、何人もの数学者たちが古畑博士の〈ベイズ確率〉の間違いを数学的に証明しようとしたが、ことごとく失敗している。〈ベイズ確率〉の意味がほんとうに知られるようになったのはつい最近のことなので、数学者もきちんと理解できていなかったらしいが、古畑博士がベイズによって算出した九八・五パーセント自体は数学的に正しかったのだ。 — 管賀書351頁
備考:文中に注はないが、管賀書末尾の参考文献一覧には半沢論考、浜上・加賀山論考および岡安論考も挙げられている。
依頼まとめ
[編集]叙上の各論を鑑み、専門的な部分について、以下の点に関するご意見を頂戴したいと考えております。
- 半沢論考および岡安論考に依拠した現在の記事内容(およびこれから補充しようとしている内容)は妥当か
- 浜上・加賀山論考の内容は、他の論者が指摘するように(現状の記事通り)批判的に言及するのが妥当か
- 他の論考と大きく食い違う木下論考および管賀書の内容は、記事で触れる必要もなく棄却するのが妥当か
繰り返し申し上げますが、縷々述べました数学に関する部分以外にも、記事の全体につきまして、幅広く忌憚ないご意見をお待ちしております。--Arvin(会話) 2019年4月23日 (火) 09:56 (UTC)
- 突然の連絡失礼いたします。
- 一昨年他界した父(山形大学名誉教授:河村新蔵)が 「ペイズの定理 再考」という論文を残しており、その中に本事件「弘前大学教授夫人殺人事件」についての見解を述べられた内容がございます。
- この論文を山形大学に提出後、すぐに他界したのですが、生前Wikipediaに記載されている本事件について識者の論考に食い違いがあり査読依頼があるので、論文によって自身の見解を示したいという旨を語っていた事を思い出し、こちらが適切な箇所か判断がつかないのですがもし査読依頼についての回答になればという思いで投稿させていただきます。
- 私自身は数学的な知識が全く無い為、父の論文が掲載されているリンクをお送りさせていただきます。
- ▼山形大学学術機構リポジトリ「「ベイズの定理」再考」
- https://yamagata.repo.nii.ac.jp/records/5742
- 内容や返信の仕方が不適切であった場合はお手数ですが削除してください。--河村健(会話) 2024年1月17日 (水) 04:58 (UTC)
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