Wikipedia:査読依頼/平泉澄 20060714
(依頼形式不備(サブページなし)につき、形式を直しました。ご了承ください。--ikedat76 2006年7月16日 (日) 03:10 (UTC))
記事自体は充実してきたものの、加筆部分に皇国史観礼賛とも受け取れる部分も見受けられる。中立的な観点から皆さんのご意見をお伺いしたいと思います。--水野白楓 2006年7月14日 (金) 17:05 (UTC)
「加筆部分に皇国史観礼賛とも受け取れる部分も見受けられる」とは、如何なることでしょうか。そんなに「皇国史観」が悪いのでしょうか。出来るだけ中立的に記述したつもりですが‥‥(苦笑)。水野白楓様は、何か「皇国史観」と聞いただけで、嫌悪感を抱かれているように拝察します。とても「中立的」とは言えないのではないでしょうか。とても「平泉澄」を、一冊でも直に読まれた形跡が見受けられません。何か批判者のみの記述を読んで、記載しているとしか思えません。ご再考を御願い申し上げます。もう少し参加訂正させて戴き、なおも我慢ならんと仰るなら仕方ありませんが‥‥。—以上の署名の無いコメントは、124.96.82.66(会話・履歴)氏によるものです。2006-07-15 02:48:23
Wikipedia:出典を明記するにしたがって、記事の記述に使用した参考文献・参考資料などを示してみてはいかがでしょうか。対応する参考文献を探すことが困難であれば、(査読依頼を取り下げなくともかまわないと思いますので)Wikipedia:加筆依頼かWikipedia:修正依頼を通じて「参考として使える文献情報の加筆」を呼びかけてみるという手もあるかと思います。それと、2006-07-16 13:46:38版以降では節「著書」の上にある1段落がほぼ文献からのコピーで構成されているようなのですが、Wikipedia:引用のガイドライン/草案との整合性は取れていますでしょうか。現状では記事の何かを補完するために「従」としての引用をしているようには見えないので、このままにしておくのはまずい(なぜそれを引用しなければならないのかをきちんと記述する必要がある)と思います。安全側に倒すとなると節「エピソード」の項目一つ目も引用していいものかどうかと悩みますが、これはWikipedia:引用のガイドライン/草案が正式運用となれば、自動的に解決しそうですね。但し、現状では「万が一に備えて、引用しない方が良い」という状況&まだ追記されてから版が浅いですので、2006-07-15 12:46:59版へとリバートしてから著作権的に不安のない部分のみを追記しなおし、2006-07-15 13:11:00版からリバート直前の版を特定版削除するという手順もご検討いただければ……と。引用に関しては執筆者の方々がとるスタンスによって変わるであろうと思いますので、どちらが良いかを申し上げるつもりはありません。 -- かえで 2006年7月16日 (日) 18:45 (UTC)
- 参考文献
(1)文献自体が挙がっていない。それらしきもの(『平泉史学と皇国史観』)が挙がっているが、書誌事項(著者名・刊行年・出版社etc.)がない。これらなしでは文献を挙げたことにならない
(2)(百歩譲って)唯一「挙げられている」上記著作も門下生によるもののみ。平泉史学と言えば、その評価をめぐる論争史があるはずなのに、「平泉史学がいかに素晴らしいか」という観点からの記述だけが目立つところは否めない(「皇国史観礼賛」との誤解もやむを得ないか?)。
この他にもスタイル的な問題があるようです。
- 雅文調(例:帰幽、明徴)
- 敬語の使用(例:敢然と批判されたのが、平泉博士であつた。)
- 旧仮名(例:きらはれた、ゐる)
- 推奨されない表現(例:我が国)
百科事典的な客観性とこれらのスタイルは両立しないと考えるのが普通です。--ikedat76 2006年7月17日 (月) 02:03 (UTC)
記述内容を検証してみました。ikedat76さんの記述のようにスタイルが気になる部分もあります。ただし、旧仮名や敬語に関しては引用ですので、引用もとの原文通りに記述しているものと思われます(引用も「」で内容の会話の部分も「」なので読みにくいので改善したほうがよい気はします)。直したほうがよいと思われるスタイルは1.雅文調、2.推奨されない表現の二点です。その他の内容に関しては皇国史観礼賛という表現も過度な表現ではないかと思います。皇国史観が正しかったという内容では記述されておらず、平泉氏の立場が「皇国史観」ではなかった旨の記述のように思われます。平泉氏の立場が所謂「皇国史観」であったかそうではなかったかは議論があります。この項目の記述では、「皇国史観」ではなかった論だけになっていますので、氏の立場が所謂「皇国史観」であった論も存在しますので、そちらの論を加筆することでバランスの取れた中立的な項目になるのではないかと考えます。--葉月 2006年7月28日 (金) 01:35 (UTC)