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Wikipedia:査読依頼/エジプトの歴史 20201009

エジプトの歴史についての記事です。去年加筆した際に月間強化記事賞を経て良質な記事に選ばれてはいますが、改善の必要を感じるので査読を依頼したく思います。主たる問題は記事のサイズであり、今日時点で本記事は334,604バイトとかなり大型の記事となっています。大部分自分で書いておいてこういうのも何なのですが、長すぎると前々から感じており、特にスマートフォンで見た場合には正直なところ実用に耐えないようにも思えます。また、現時点では政治史を中心としていますが、本来は社会史や文化史的な記述も必要な記事です。しかし、現状のままさらにそれを追加すれば際限のない長文になると思われます。このような理由から、前々から大幅な間引きを考えています。ですが自分では必要だと思うからこそ記述を加えたこともあり、どうしても細々とした縮小になってしまう感があります。このため、記事規模の圧縮(記述の削除や分割や移転)に向けて助言をいただきたく思います。説明上冗長・不要だと考えられるような内容、もっと簡単に説明できるというような助言をいただければ嬉しいです。もちろん内容についての助言や誤りの指摘もいただければ幸いです。いろいろな形が考えられる記事ですが、ミニマムな姿としては現在の§概要と§地誌以外を取っ払ってしまう(その上で文化史等のトピックを追加していく)のもありかと考えています。個人的な希望としては最低でも100,000バイトは縮小すべきだと考えています。なお、本査読依頼と平行して記事の圧縮の編集を進めようと思っています。よろしくお願いいたします。--TEN会話2020年10月9日 (金) 13:09 (UTC)[返信]

【査読】 ──専門家の方による審査結果。
【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価。
【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
【感想】 ──専門外の方による感想。
コメントエジプト史には詳しくないので読んでいてとても面白いので間引くのは惜しい気もするのですが、一方で例えばエジプトの歴史#近代エジプトのソースが16,475文字(一太郎調べ、空白除く)で、ムハンマド・アリー朝が11,047文字(同上)とかいう現実を見てしまうと「流石にそれは主客が転倒してるのでは…」という気分になるのも事実です。で、改めて英語版を読んだ後で読み直すと、例えば今ある「わからない」「詳らかでない。」「議論に影響を与えている」「試みが続けられており」みたいな結論になる部分はとりあえず全部個別記事に分割すべきではないかなと思いました。たしかに分からないことを分からないというのはとても大事なことなのですが、歴史の大きな流れを知るための記事にそういうのが必要なのかというと、正直厳しいかなと思います。概説史とは状況証拠の積み重ねというか「状況」そのものを記述するもので、議論が分かれている部分は個別記事の仕事ではないかなと。そんな風に思いました。--シダー近藤会話2020年10月16日 (金) 02:18 (UTC)[返信]
返信 コメントありがとうございます。ご指摘の通り記事間主客転倒も結構問題であると思っています。研究状況・不明瞭な点への言及は言われてみればその通りなような気がします。とりあえず全体を一本の筋道で話を終わらせるのが総説記事には適しているかもしれません。これは削る方向で考えたいと思います。--TEN会話2020年10月17日 (土) 15:00 (UTC)[返信]
コメント §イスラームの征服~§マムルーク朝をざっと見た感じで次のような感想を持ちました。
  • カーリミー商人カイロ・ゲニザ文書といったエジプトの歴史を語るうえで外せない用語が出ていないようなので、できれば出したい。「ファッラーヒーン」の初出がムハンマド・アリー朝のところになっているが、7世紀のアラブ・イスラームによる征服の叙述で出してもいいと思う。『イスラーム百科事典第2版』のエジプトの項(EI2, Miṣr)では、おおむねそのあたりの叙述において「ファッラーヒーンが過重な税に起因する困窮を不満として逃散するのはファラオの時代からよくあることだった」みたいな文脈で出てきます。
  • エジプトがギリシア人、ローマ人の支配を受けたことによって、紅海からインド洋へと向かう交易システムと東地中海の交易システムが連結し、エジプトはその結節点になったと思うのですが、それがさらにムスリム支配後に発展したという話があるといいかもしれません。『ヨーロッパ覇権以前』という本を使えば加筆しやすいと思います。
  • ほとんどがアラビア半島やシリアの話になっている§イスラームの征服 の第1パラグラフ、ウマイヤ朝やアッバース朝の一般的な説明になっている§イスラーム帝国 の第1パラグラフなどは大幅に圧縮できると思います。
  • ナグ・ハマディ文書ケルンのマニ教文書といった資料の名前を出して、2世紀ごろのマニ教、グノーシス主義の隆盛について少しでいいから触れる必要があるのではないか。板垣雄三は、ズンヌーン・ミスリーの所論によれば、こうしたエジプトの文化的土壌がスーフィズムに影響を与えたと言っている(平凡社『イスラム事典』旧版)。こうした思想文化面の記述が薄い。
私はエジプトの歴史の専門家でもないので的外れな指摘になるかもしれませんが、この記事はせっかくの大項目なので事件史の羅列ではもったいない気がします。--ねをなふみそね会話) 2020年10月20日 (火) 06:56 (UTC) ちょっと追記しました。--ねをなふみそね会話2020年10月20日 (火) 08:58 (UTC)[返信]
返信  コメントありがとうございます。正直なところ私はエジプトの歴史で網羅すべき事項についてきちんと把握できていないので大変参考になります。まだ具体的には全然考えていないですがとりあえず返信です。
  • カーリミー商人カイロ・ゲニザ文書ファッラーヒーン:それぞれの用語自体について漠然としか理解できていないですが、いくつか参考になりそうな出典は見つけたのでそれを元に配置を考えてみたいと思います。
  • マニ教グノーシス主義:初期キリスト教の教義論争やイスラームにおけるエジプトの存在感的にも宗教・思想史が必要なのはご指摘の通りと思います。が、思想については知識不足も手伝ってちょっと良い書き方が思いつかず。まだ全然きちんと考えてないですが、§ビザンツ帝国と教義論争の部分をローマ帝国期の宗教思想の変革(におけるエジプトの役割)的な節に変えて、1. グノーシス主義等後期ローマ帝国の思想的な潮流⇒2. 初期キリスト教・アレクサンドリア教会・アリウス派⇒3. イスラームの征服⇒4. エジプトにおけるイスラーム 的な感じで(可能かどうかわかりませんが)それぞれどこかに配置してみようかと思います。なんとなく、§サーサーン朝による占領を省いて1行で済ませれば1,2,3は比較的綺麗な流れで記述できそうな気はします。
  •  ウマイヤ朝とアッバース朝の説明:これはばっさり切ってみます。
  • 紅海からインド洋へと向かう交易システムと東地中海の交易システムの連結:参考文献の紹介ありがとうございます。まずそれを確認してみようと思います。
  •  戴いたコメントを参考にまとまった時間が取れる時にとりあえず下書きしてみようと思います。--TEN会話2020年10月21日 (水) 15:56 (UTC)[返信]
コメント 近代以降のエジプトに関する記述について。日本語で書かれた一般人向け概説書では、たいていの場合、"nationalism" に対応するアラビア語の単語にはカウミーヤ qawmiya とワタニーヤ waṭaniya の2語があって、微妙に意味が異なるという話が書いてあります。エジプトの近現代史の理解には必要なキーワードかなと思います。リファーア・ラーフィー・タフターウィーという思想家やアフマド・アラービー・パシャはワタニーヤを強調し、ナセルはカウミーヤを強調したそうです。日本語でも国民主義,民族主義,国家主義のいずれに訳すべきか迷います。どこの地域でも当てはまる話ですが、近現代史は西洋文明の受容の在り方が大きな問題で、当時の知識人がどのように考えたのかが少しでいいので紹介されていたらば、と思います。--ねをなふみそね会話2021年1月7日 (木) 06:27 (UTC)[返信]
【その他】 ──表記・文体など
返信 ありがとうございます。まだまだ作業が進んでいないのですが、近代エジプトの成立過程で上記の用語も触れた形にできればと思います。--TEN会話2021年1月11日 (月) 18:14 (UTC)[返信]
返信 つちくらです。記事を拝見しました。ちょっとした提案ですが、TENさん自身がお話ししているように、歴史の部分の記述が、ボリュームの原因となっていると感じます。かつ、それぞれの部分は別に記事がある(例えば「統一王朝以前」の項ならエジプト先王朝時代など)ので、私だったら各時代の記述を、パソコンで見たときに3行程度に収まるように、概要のみを記載するスタイルにします。詳しいことを知りたければ、そちらの項目に飛べばいいだけなので・・・。こうやって減量すれば、スッキリするのではないかと思いますが、いかがでしょうか?--つちくら会話2020年10月9日 (金) 21:33 (UTC)[返信]
返信 つちくらです。今、TENさんが作業されている、新石器時代の部分が、まさに私がイメージしていたやり方です。エジプトの歴史は、概要・アウトラインを把握するためのページに特化し、細かい内容を知りたい人はさらにそれぞれのページに飛ぶ、というのが、利用者にとっても利便性が高いのではないかと思います(必要に応じて、リンク先のページに移設する記述もあるかもしれません)--つちくら会話2020年10月11日 (日) 02:44 (UTC)[返信]
返信  つちくらさん、ありがとうございます。コメントいただいた通り、3行くらいとなると利用者:TEN/sandbox#新石器時代の感じになるのかなぁと思っています。ですが、個人的には物足りない感が強く、なかなかこの形でまとめるのはもやもやしてしまうのも正直なところです^^; PCで3行だと個人的には節分けの必要を感じない規模感でもあり、具体的に「エジプトの歴史#新石器時代」⇒(古代エジプト)⇒「エジプト先王朝時代」⇒「ファイユーム文化」⇒「エジプトの石器」というようなイメージで階層的に詳しさを上げていくイメージだと、いっそエジプトの歴史は「有史以前」で一塊にして旧石器・新石器という区分はしないというのもありかなぁと思います。「エジプト文明」も概説と歴史で1大節2小節のようなイメージです。機種依存ではあるはずですが、手持ちのスマートフォンで見ると文字サイズ標準なら今の新石器時代で画面のほぼ半分。ということはPC画面6行相当でスマートフォン1画面、PC画面12行でスマートフォンで2画面なので、総論的な記事の1節としてはスマートフォン2画面くらいまでは許容範囲かなとも個人的に思うので、有史以前なら概説4行、旧石器3行、新石器3行、合わせて10行に画像1つくらいのサイズ感ならある程度読みやすいかなとも思います。--TEN会話2020年10月12日 (月) 00:44 (UTC)[返信]
返信 つちくらです。ボリュームの加減については、難しいですよね~。スマホの画面で見たときのボリュームまでは、ちょっとチェックしていませんでした(^o^;。横から茶々を入れた感じですみませんでしたが、まぁ、そういうイメージで編集してみるのもいいのではないかと思いました。
返信 横からの茶々入れ(というか指摘)はそれが欲しくてこういう査読依頼を建てたのでとても嬉しいです。もちろん自分の編集が指摘を全部反映したものにはならないですが、気付いたことがあればがんがん指摘いただければ幸いです。言いっぱなしでも問題はないですし。正直自分の書いた記事は全体的にスマホの画面で見るとスクロールが長すぎてきついなと感じることが多く(個人的に長文はあまり苦にしないのですがそれでも面倒に感じ、スマホという媒体の特性が大型のWikipedia記事とかなり相性が悪い気がしています)、この記事は特にそうなんですよね・・・。この記事はPCで見ても相当長いですけども。もちろんどこまでいっても個人の感覚にしかならないので規模感や網羅すべき内容について別の人間の見解をうかがいたいなと思います。最低でも10万バイトは縮小させたいとは書きましたが、新石器時代という規模の単位を3行にまでまとめるということは考えてなかったので非常に参考になります。--TEN会話2020年10月13日 (火) 14:23 (UTC)[返信]
コメント 査読期限間際のコメントで恐縮ですが、気になりつつもどうすべきかはっきり考えがまとまらずにいたらあっという間に年末でした(汗)。現在も圧縮について具体案がある訳ではないのですが、折角の機会ですので現時点での自分なりの考えを述べておこうと思います。まず、この記事の全体的な感想ですが、個人的には長すぎるという感覚はなく、特段多く削る必要もないのではないかという気がします。どういうことかというと、基本的にこの手の総論記事は一気読みする性質のものではないと思っていて、例えば「エジプトの歴史の〇〇の時代について知りたい」という時に、記事の目次から飛んで「つまみ読み」するという利用の仕方のイメージがあります。特に普段Wikipediaを使い慣れていない人からすれば、調べ物の入り口としては恐らく個別の記事ではなくて、「〇〇の歴史」のような総論記事から当たる人もそれなりにいるのではないかと想像しています。なので、一気読みするには長くてもある程度内容を充実させておくことには一定の意義と需要があるように思います。もっとも概要だけでいいという人も多いでしょうし、スマホでは現状は見づらいというのもその通りだと思うので、見やすさや読みやすさ重視で内容を圧縮するのも一つの考えだと思います。何をどう削るかは現状具体的な案は思い浮かばないですが、一つは重複という意味で概要説を丸々カットしてしまうのもありだと思います。あとは既にsandboxにあるコメントに沿った方向で概ね良いと思いますが、特に期間が短いサーサーン朝部分はグレコ・ローマン期に含めて大幅カットで賛成です。基本はつちくらさんの言われる通り各項目は概要のみで詳細は関連記事へというのが理想形ですが、関連記事の充実とセットにならないと全体としては却って質的にも劣化しかねない意味もあるので、全体を一気に圧縮というよりは長い目で少しずつ関連記事の充実化と本文の簡略化を進めつつ、まだ記事内で触れられていない文化史等の記述を簡潔に加筆するという方向性が良いのではないかと思います(言うは易し行うは難しですが...)。あまり具体的なことは指摘できていませんが、参考になればと思います。--Los viajeros 77会話2020年12月30日 (水) 19:35 (UTC)[返信]
返信 コメントありがとうございます。ここ1ヶ月余り忙しくてWikipediaにあまり時間をとれておらず、査読依頼中なのですが満足に編集できていません。つまみ読みに関しては意外と周囲の人を見ると長い記事は概要節があっても節ごとの部分読みをしている人はあまりいなくて、求める情報を求めて記事のあちらこちらに飛んで情報を探しているようにも見受けられるので、長さについては悩ましいところです。歴史記事を読む人はまた違うかもしれませんが・・・。構成が上手い具合に決まらないのもあるのですが、まだ全然編集が進んでいないので査読依頼は少しだけ延長させてもらおうと思っています。基本的にはエジプトの歴史の各時代ごとのキーワードを提示し(例えばグレコ・ローマン時代なら、プトレマイオス朝、ヘレニズム、アレクサンドリア図書館、クレオパトラ、皇帝属州、エリュトラー海案内記、エジプトのキリスト教化、アレクサンドリア教会、単性論、等々)それが何なのかを簡単に説明してそれぞれの記事へ誘導する、というのが総論記事の役割かとは思うのでそういう感じにまとめたいとは思っています。--TEN会話2020年12月31日 (木) 14:46 (UTC)[返信]
  • コメント 査読コメントを戴いた皆様、ありがとうございます。申し訳ないながら、自分の時間的状況も変わらないため編集作業にまだまだ時間がかかってしまいそうであり、規定を越えて査読依頼に居座り続けるのも良くないと思いますので、一応一旦締めさせていただくことにしたいと思います。作業自体は継続しますので、査読依頼としてはいったんはずしますが何かあればこちらの方に書き込んでいただくこと自体は嬉しいです。一段落したところで再度別の査読依頼として別途上げようと思います。よろしくお願いいたします。--TEN会話2021年2月1日 (月) 16:55 (UTC)[返信]
  • コメント 査読期間が過ぎていますが、コメントをさせて頂きます。上で量を減らす議論がありますが、それに気づかず古代エジプトの年表を足してしまいました(しかも、どう書けばよいか分からなかったとはいえ、TENさんのタイムラインひな形を勝手にお借りして。申し訳ありません。)。
私としては、エジプトは普通の国より「古代」の分量が多く、それ自身で一分野を築いているくらいですから、分量が増大しているのは致し方無いと思います。上で挙げられています部分などで膨大なところは、削って対象記事に転記することをしてもよいと思います。必要な分だけで、これだけの力作を書く心労と時間も相当なものでありますので、これを削るのはなかなか無理がある、むしろ記述するより骨が折れるだろうと思います。これは、いっそ秀逸な記事に推薦すればよろしいのではないでしょうか? 秀逸記事ならば、分量が多い=網羅できていることは歓迎されると思います。身勝手な意見で失礼いたしました。--Sethemhat会話2022年2月6日 (日) 09:31 (UTC)[返信]
    • 返信 コメントありがとうございます。私の利用者ページにある雛型は英語版Wikipediaからコピーしてきただけのものなので特に利用について気にしていただく必要はないです。現状のエジプトの歴史は大部分私が加筆した状態ですが、33万バイトという現在の規模は内容以前の問題として記事サイズに問題がある気がしていて、個人的に秀逸であるとは思っていないので、やはりダイエットというか適切な整理が必要であると思っています。上でアドバイスいただいているように事件史の羅列になっている点もやはり改善が必要だろうと思っています。ただ、ではどう整理するかというと遅々として進んでいないのですが。ファラオ、コプト、マムルーク、イクター、ファッラーヒーン、考古学、ワタン、ナイル川、中東戦争のようなエジプト史の重要ワードをさっと把握できるようなイメージで、必要があれば詳細が書かれた各ページに誘導できるような構成にできればとは思っているのですけれども。--TEN会話2022年2月8日 (火) 17:10 (UTC)[返信]