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Wikipedia:井戸端/subj/映画内容解説のページに、史実との違いを指摘し記述する事について。

映画内容解説のページに、史実との違いを指摘し記述する事について。

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私が疑念に思っている事について書き込みます。ご意見頂ければ幸いです。

ウィキの原則ルールとして、

『映画の内容(あるいはドラマ)を解説しているページに、細かい史実との違いを指摘して記述しない』

というのを提案したいのです。 『男たちの大和』・『連合艦隊』(映画の方です)のノートのページや履歴をご覧頂ければ幸いですが、映画の設定や表現に対し、史実と異なる部分を「あら探し」した記述を書き並べ、果たして映画の内容解説をしているのか?それとも映画のあら探しページになっているのか解らなくなっていく傾向があります。

例を上げますが 『日本海軍の映画を取り上げているのに、敬礼が陸軍式になっている』 『着用している軍服が○○式であるが、当時はすでに改訂されており不自然である』 『下士官が上官に対してこの様な対応をすることはあり得ない』 等々。

確かにそうかも知れませんが、この様な記述は本来の目的から外れています。もちろん映画やドラマの制作側が、当時の十分な資料を調査した上で極力史実に沿った形で表現に努めることは必要と考えます。しかし映画の監督や脚本家があえて(史実と違うことは了解しつつも)間違った表現で描写している場合もありますし、現在の技術では再現することが出来ない・調達できなかった小道具・資料不足や不明な部分があり史実と同じに出来なかった場合も考えられ、史実に近づけたかったとしても出来なかった場合もあります。

確かに「違うな?」と思う描写や設定はあります。しかし映画やドラマは『事実に基づいたフィクション』であり、再現や学術研究を目的とした物ではありません。もし『史実と異なる点を記述する』必要性があるのであれば、たとえば映画『パールハーバー』公開時の様に、マスコミや批評家・評論家が公の媒体を用いて指摘問題提起した時、あるいは知識のない人でも「これはちがう」と一目でわかる描写がされている場合のみ、間違いを指摘する記述を書き込む事が許されるのではないでしょうか?

あくまでも個人が映画を観ていて、史実との小さな差違を発見したとしても、それは『独自研究』の範囲であり、その事を映画(ドラマ)解説のページに『補足』『問題点』と頭出しを付けてつらつらと書き込むのは、知識のひけらかしに過ぎません(どうしても指摘したいのなら、個人のブログやHPを立ち上げて書けばよい事です)。

これはあくまでも私個人の感想です。反対の方もいらっしゃるかも知れません。ぜひよろしくお願いします。--男梅 2009年3月22日 (日) 07:46 (UTC)[返信]

問題の根幹はWikipedia:井戸端/subj/翻訳と「独自研究」についてと同じですね。参考までに。--ゆきち 2009年3月22日 (日) 10:55 (UTC)[返信]
出典のない独自研究部分は削除かコメントアウトでよいと思います。もっとも、史実との違いの指摘が必要ないわけではなく、男梅さんが述べられているマスコミや評論家が指摘したなど複数のソースから出典が取れるようなら記述すべきだと思います。その場合は些細な差異ではないと判断してよいと思います。例えば史実と違うことを製作者が認めている300 (映画)などではそれが必要でしょう。これの英語版は秀逸な記事になっていて、Reception(評価)の項にHistorical accuracyの節が作られて解説されており、その記述の仕方はとても参考になると思います。英語版でもen:Wikipedia talk:WikiProject Films/Style guidelines/Archive 3#Films "based upon a true story"で同じようなことが話題になっていました。--Afaz 2009年3月22日 (日) 12:16 (UTC)[返信]
その番組自体が「史実をもとにしたフィクション」という形で発表されたものなら、史実との相違などは記述は掲載してよいものと思います。「ある時代を舞台としたフィクション」というものですと、こちらは史実との相違点はトリビアとなります。ただし、その相違点が何らかの指摘・批判を受けていたり注目されている点(その記事の記述として特筆するべき事項である)などであるなら掲載してよいものとなるかもしれません。
双方とも、相違点について言及している出典というのは、検証可能性や独自研究などの観点から、必須事項です。--春日椿 2009年3月22日 (日) 15:17 (UTC)[返信]
結局の所皆様方がおっしゃるとおり、フィクションと史実との相違について指摘している「信頼できる情報源」が存在するかどうか、というのがWikipediaに記述できるかどうかの分かれ目になるかと思います。ただ、上述の『パール・ハーバー (映画)』や『300 (映画)』のように、史実との著しい乖離が物議を醸すケースも多いので、Wikipedia全体として「細かい史実との違いを指摘して記述しない」というルールを制定するのまではどうかな、と。やはり個々の記事において、ケースバイケースで対応すべきかと思います。
男たちの大和』の過去の版には、「本作品の表現と原作・史実との比較」という項目で一応何冊か参考文献が挙げられていますが、これはどうなんですかね。参考文献はおろか映画も未見なのでわかりかねますが、それらの文献はただ戦艦大和について述べたものであって、映画中の描写との比較検討を目的とされたものではない、と判断して良いのでしょうか。だとしたらやはりWikipediaの記事に記述できるかどうかはグレーゾーンになってしまうかな、と。編集者による独自研究を排除するという大原則が存在するWikipediaでなければ有益な情報だとは思うんですけどね。--Murmur1868 2009年3月22日 (日) 16:18 (UTC)[返信]
ノート:男たちの大和/YAMATOで議論をしていた者です。あげられている文献の多くは映画公開前の出版です。私も文献自体は見ていませんが、その文献により得られる情報は史実のみで、映画との比較は時間的にありえないと考えています。--Borg 2009年3月22日 (日) 23:58 (UTC)[返信]
これ、わざわざルール化するような内容でしょうか?WP:NORWP:Vだけで十分だと思うのですが。--Borg 2009年3月23日 (月) 00:05 (UTC)[返信]
わたくしもWP:NORWP:Vの問題で処理するので相当だと考えます。原作小説・マンガの映画化(例えばデスノート)などでもよく出てくる編集トラブルの典型の一つだと思います。--ネコバット 2009年3月23日 (月) 06:42 (UTC)[返信]

様々なご意見ありがとうございます。今後はこの様な記述を発見した場合『独自研究記述を載せない』という基本ルールで対応していこうと考えます。--男梅 2009年3月24日 (火) 22:47 (UTC)[返信]

今更ながらに補足すると、「『××物語』は、~といった点が史実・原作と異なる」という書き方はWP:NORに觝触しますが、「なお、史実では○○は△△している」や「なお、原作では(以下同文)」のように記載されている場合は、禁じられている「情報の合成」ではなく、単なる情報の羅列ですので、誤って除去しないようにお気を付け下さい。--白文鳥 2009年3月31日 (火) 17:07 (UTC)[返信]
この話しは結論として、出典が明記できればあら探しでも書いてOKということですよね。そこで「敬礼が陸軍式」を書く場合を例に2点確認させてください。
1つ目、この場合に出典に出来るのは、A.「男たちの大和」の敬礼が陸軍式であることを指摘している本。B.正しい海軍式の敬礼の仕方が書いてある本。のどちらでしょうか。おそらく二次資料にどこまで認められるかということになると思います。(一次資料は映画そのものですよね?)
2つ目、白文鳥さんが書いている方法でOKなのは、本当にAの本がある場合かBが出典として認められる場合の話ですよね?(みんな知ってる一般常識は例外として)--こゆっきー 2009年4月22日 (水) 15:03 (UTC)[返信]