Wikipedia:井戸端/subj/日付記事誕生日節における掲載人物基準について2
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日付記事誕生日節における掲載人物基準について
[編集]Wikipedia:井戸端/subj/日付記事誕生日節における掲載人物基準についての続きになると思います。ここのところ「独立記事が存在しない人物をコメントアウト」という編集が目立ちます。しかし中にはどうも納得がいかないものだってあります。「12月3日」のこの編集しかり、「12月14日」のこの編集しかりです。大御所と言われる人をつかまえておいて「特筆性は?」か? そんな問答は野暮だし、納得いかないです。それとも、この編集をした人は、これでも今いくよ氏、中田ダイマル氏らを「特筆性不明」とでも言うのでしょうか?「そんなこと言うのはあなただけ」といった感じですが。My Little Lover、Kiroro、ダ・カーポなどといった、ヒットしたアーティストに対しても「特筆性は?」と訊いてくる。それはどういうことでしょうか。失礼じゃないかとも思うのですが。ちょっとやり過ぎだと思います。特筆性って一体全体どうなってるのか。私もこれについてはある程度分かっているつもりではいますが、各人の特筆性についての見解がちょっとおかしい所があるのではないか、と極端染みたことも言いたくなります。世間の空気など関係なく単独記事の有無だけで特筆性を問うということにもよく分かりにくく、胸が詰まるほどの疑問を持ちます。こんなことが続くのなら、誕生日節、忌日節の全廃止にも反対しない、とも思います。これについてのWikipediaにおける公的な基準が未だ定められてないのならば、プロジェクトを作り、明文化した上での早急な制定を求めます。それか、生没年ごとのカテゴリーが既にあるように、「Category:○月○日生」「Category:○月○日没」といった生日・没日のカテゴリーを新たに作成して、全てこっちの方に集約してはとも思うのですが、以上、強くお願いします。--2400:2200:D8:98CE:535E:3147:E9F7:7893 2017年7月23日 (日) 07:17 (UTC)
- 世間の空気というものを読み取る能力を執筆者に求めることは困難です。特筆性について客観的な出典を要するのは Wikipedia のルールであり、やり過ぎということは有り得ません。 -- ktns(会話) 2017年7月25日 (火) 02:27 (UTC)
- 「特筆性は?」という書き方が悪印象を与えてしまったのかもしれませんが、単独記事がないということは特筆性を確認するためには一から調査するしかないということです。日付記事のメンテナンスの際に単独記事のない人物の特筆性まで調査するというのは時間的に難しいかと思います。所属グループやユニットが記事のあるケースだけコメントアウトしないという規定にするとAKB48のような大規模ユニットのメンバーの扱いが問題になるかと思われます。公平に扱おうとするとやはり独立記事がない場合を基準にせざるをえないでしょう。「世間の空気」といった編集者の主観が入りやすいものはWikipediaでは根拠にできませんし、「特筆性は?」という書き方が失礼だとしても、ただでさえ手間のかかる記事のメンテナンスをしてくださっている利用者に「特筆性の根拠が提示されていません。どなたか加筆をお願いします。」のように丁寧な書き方をいちいちするよう要望する訳にもいかないでしょう。出典を示す責任は掲載を希望する側にあるのがWikipediaですから、出典がないからと除去されたのが不満であれば自分自身で出典を用意すべきというのが方針にそった回答になるかと思われます。--SilverSpeech(会話) 2017年7月25日 (火) 03:38 (UTC)
- 2人組、3人組とAKB48のような何十人のグループとは一緒くたにして扱えないと思います。こういうことについてのルール明文化も必要だと思います。--122.219.131.210 2017年7月25日 (火) 06:22 (UTC)
- コメント Wikipedia:各日のスタイルガイドには「その人物についての詳しい情報はその人物のページに記述してください」という文があり、誕生日や忌日に記載する場合「その人物のページ」が存在することが前提条件になっていると思います。「特筆性は?」という書き方に問題あるなら、記載しないようにします--aki42006(会話) 2017年7月25日 (火) 07:44 (UTC)
- コメント Wikipedia:各日のスタイルガイドでは現状、『「その人物のページ」が存在することが前提条件』なる一文は明記されていないようですが。「思います」では独自研究になりやしませんか?まず、Wikipedia‐ノート:各日のスタイルガイドでまとめるのが先ではと思います。--39.3.161.17 2017年7月25日 (火) 10:10 (UTC)
- 日付の話に特定すれば、(Wikipedia‐ノート:各日のスタイルガイドで提案し)、キリがないので誕生日や没日を除去すべきだと思います。同様に〇〇県出身の一覧などがあれば、キリがないので削除すべきでしょう。このあたりはカテゴリで良いでしょう。なお、アイドルの一覧とか漫才師の一覧とかであれば、グループ・ユニットの方を書けば良いでしょう。--JapaneseA(会話) 2017年7月25日 (火) 11:19 (UTC)
- 「単独記事が立項されていない(立項できない)」人物は、特筆性がないものと推定する、という考え方は妥当です。SilverSpeechさんのご意見に同意します。--Pooh456(会話) 2017年7月26日 (水) 02:11 (UTC)
- 単独記事が立項されなかったり、出来なかったりという人物の記事は、有名なのにもかかわらずその人物についてよく詳細を知らなかったりなど利用者各々の知識、技量の問題もあるのではないでしょうか。一概に特筆性の問題とは言い切れないと思います。--39.3.161.17 2017年8月3日 (木) 10:49 (UTC)
- 特筆性があるが単独記事が立項されていない人物はどうするのでしょうか。
- 具体的な例として、ダ・カーポ_の榊原まさとしは、単独でアルバム2枚リリースしているのでWikipedia:特筆性_(音楽)#音楽家・音楽グループの項番5 『2枚以上のアルバムをメジャー・レーベル(または重要なインディーズ・レーベル)から発表している』に該当しており特筆性はあります。しかし単独記事にはなっておらず、榊原まさとしは「ダ・カーポ」へのリダイレクトです。--アルビレオ(会話) 2017年8月6日 (日) 10:08 (UTC)
- 質問 その人の誕生日であることに特筆性があるのですか?その人自身や誕生日に特筆性があると主張しながら、誰も単独記事を立項しようとしない理由は何でしょうか?--aki42006(会話) 2017年8月7日 (月) 07:57 (UTC)
- コメント ある人物の特筆性とその人物の誕生日の特筆性とは別の問題でしょう。榊原まさとしの場合はウィキペディアの規定では本人は特筆性はあります。ですが、本人の誕生日は特筆性はあるのでしょうか?
そもそも、誕生日「のみに」特筆性があるか否かは、判断基準が明確でありません。ばっさり全削除でもいいと思うのですが。--Susuka(会話) 2017年8月7日 (月) 08:05 (UTC)- 「人物の誕生日の特筆性」とは何ですか? 解説をお願いします。ここまでの議論は「対象人物に特筆性があるか」と、「対象人物の単独記事が立項されているか」で進んできています。そこに突然「人物の誕生日の特筆性」という新しい概念を導入されてもわかりません。
- Susukaさんの「ばっさり全削除でもいい」の対象は何でしょうか? 日付記事の誕生日節全体ですか? --アルビレオ(会話) 2017年8月7日 (月) 08:27 (UTC)
- コメント 例えば、榊原まさとしの件でいうならば、本人には特筆性はあるのでしょう(ウィキペディアの基準には該当します)。ですが、彼の誕生日が2月27日であることに特筆性はあるのでしょうか(私はこの人物のことは何一つ知らないので、例示としては不適切なのかもしれませんが)。特筆性がないのなら掲載は不要ですよね。--Susuka(会話) 2017年8月7日 (月) 08:36 (UTC)
- 「明治天皇と昭和天皇の誕生日は祝日だけど、大正天皇の誕生日は祝日でないから特筆性はない」という議論になるのでしょうか。 --ねこぱんだ(会話) 2017年8月7日 (月) 12:27 (UTC)
- 「彼の誕生日が2月27日であることに特筆性はあるのでしょうか」と聞かれても、そもそも「人物の誕生日の特異性とはなにか」の回答がないので、なんとも答えようがありません。まずは「人物の誕生日の特異性とはなにか」について回答願います。
- また、「ばっさり全削除でもいい」の対象は何でしょうか? についても回答をお願いします。--アルビレオ(会話) 2017年8月7日 (月) 12:50 (UTC)
- 例えば、小池百合子知事の誕生日は1952年7月15日です。小池氏本人は当然特筆性のある人物で、当然立項されています。ですが、小池氏が特筆性があるということと、小池氏の生まれた日が7月15日その日であるという事実の特筆性とは、別ものではないのか、ということです。
「人物の誕生日の特筆性」を言及されたのはAki42006さんですが、「人物自身の特筆性と、その人物の誕生日の特筆性(榊原まさとしの特筆性と、彼が2月27日生まれであることの特筆性)とは、必ずしもイコールで適用できるのではないのではないか」というのが、私の疑問です。「人物の誕生日の特筆性」とは、上のねこばんださんが仰られるように、誕生日を祝う大規模なイベント(祝日など)が行われる、という基準にも受け止めることができます。そのような扱いとなる人物は、極めて少数のはずです。であるならば、「(そういう少数の実例を除いて)ばっさり全削除でいい」のかもしれません。--Susuka(会話) 2017年8月7日 (月) 15:13 (UTC)
- 私も全除去に賛成しますが、それを提案するのは、ここではなくWikipedia‐ノート:各日のスタイルガイドだと思います。--JapaneseA(会話) 2017年8月7日 (月) 18:30 (UTC)
- 言ってしまえば、日付記事における誕生日/忌日節なんてのは9割方不要です。なぜならば、本来そこに書くべき人物は歴史上、年代から逆算する必要がある著名な人物(言い換えれば、現代ほどに年月日が明確になりづらい時代の著名な人物)か誕生日/忌日が記念日の由来になったと(半)公的に認められた人物(天皇誕生日や桜桃忌など)についてだけで、特に存命の人物に対しては本来は書く必要がありません。はっきり言ってしまうと日付ページにまでただの有名人の誕生日/忌日を書くのはゴシップ(私はあの人の誕生日と同じなんだースゴーイ!)か宗教(この者は○○年の春分の日に生まれたから占星術では云々)かクイズが動機でありウィキペディアは名鑑ではないので全削除しスタイルガイドからも由来のない誕生日/忌日に関しては除外することを勧めるべきだとさえ思っています。まあつまり言い換えれば「有名人というだけではその係累に特筆性は発生しない」ということです。あなたは今いくよ(里谷正子)氏の誕生日が12月3日であると書くことに特別な理由(特筆性)があることを説明できますか?「他の人が誕生日を記入しているから私の好きな人の誕生日を記入しよう」なんて動機では即時差し戻しもやむを得ないと思われますがいかがでしょうか?--力在領域(会話) 2017年8月16日 (水) 04:15 (UTC)
- 報告 『Wikipedia‐ノート:各日のスタイルガイド#誕生日の掲載基準について』で議論提起を行いました。--Susuka(会話) 2017年8月16日 (水) 05:38 (UTC)