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Wikipedia:井戸端/subj/日付記事誕生日節における掲載人物基準について

日付記事誕生日節における掲載人物基準について

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ここ数日、利用者:Sonchou会話 / 投稿記録 / 記録氏による、日付記事の「誕生日」節からの人物除去が非常に気になってます。同氏のこのコメントによると「無出典や一次資料ばかりで固められいて二次資料寄りの出典のない記事(特筆性なし)を除去の基準にしています」とのこと。びっくりしました。日付記事の誕生日節に掲載出来るのは、それまでの実績など全く関係無く、二次資料以上の出典があるかどうかで決まるわけですか。大きな実績があってもそうなるわけですか。そんなの全く聞いたことがありません。著名性特筆性は違うのでしょうか。おそらくこれはSonchou氏の独断だと思いますが、もしWikipedia内に既にそのような基準や方針が設けられているのなら私が知らなかっただけで申し訳ありません。とにかく現状では納得いかないことばかりなのでこちらに提起しました次第です。このような事態が続くようならば、日付記事誕生日節に掲載出来る人物の基準を早急に定めていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。--126.245.71.166 2017年5月21日 (日) 05:58 (UTC)[返信]

コメント 著名性があるのならそこには二次資料による言及もあるはずです。それら二次資料による言及が人物記事へ掲示されてから改めて「年」や「月日」記事への掲載をしても遅くはないと考えます。「主演をした」「賞を取った」と無出典(独自研究)や一次資料寄りで固められた人物の記載を認めてしまうと際限なく加筆されて、ただの「名鑑」になってしまいます(ウィキペディアは名鑑ではありません)。単純に独自研究や一次資料寄りばかりの記事だからといってその人物記事の削除依頼をしようとも思いません。その人物記事において二次資料寄りの出典をテンプレートなどで要請して記事を充実させれば良いだけです。--Sonchou会話2017年5月21日 (日) 07:41 (UTC)[返信]
(追記)126.245.71.166さんは、「『著名性(実績)』があるなら、無出典(独自研究)で成り立っている人物記事でも除去せず日付記事の一覧に名を残すべきだ」と主張しているようにしか私には見えません。「独立記事作成の目安」もそうですが「ウィキペディアは何ではないか」に書かれている方針を理解できるのならそのような主張は出てこないのではないかと思いますが。見渡す限り「月日」や「年」記事などへの内部リンクを貼るだけの一覧は次から次へと加筆されていて、過剰な内容の整理の観点からも除去整理が必要に見えます。それでもなお126.245.71.166さんは「事細かに除去の基準がないならば納得しない」などと仰るのでしょうか。--Sonchou会話2017年5月23日 (火) 14:52 (UTC)[返信]
コメント ウィキペディア日本語版における「特筆性」の意味については、まずWikipedia:独立記事作成の目安をご覧になってください。--aki42006会話2017年5月22日 (月) 09:36 (UTC)[返信]
コメント (皆様宛)8月1日を見るに全除去ではないのですね、取捨選択の基準がわかりかねます。この人は有名だから載せる、などというのはダメですが、この人の誕生日が有名(=出典の量と質が極上で検証可能)だから載せるというのはアリです。例えば、その人物の誕生日が祝日になったとか、そういう派生する影響があれば、多くの2次資料で述べられている事でしょう。「バースデーライブを行った」がオリコンで報道されても、日付記事から見ればそれはWP:IINFOです。あるいは、Wikipediaに記事のある人物を全て載せるという手もありますが、誕生日のわかっている人物記事数÷365(366)は、いくつになるのでしょうか。--JapaneseA会話2017年5月23日 (火) 15:10 (UTC)[返信]
コメント 少なくとも、Wikipediaに記事の無い人物は、掲載対象外だと考えて良いと思います。また記事があり誕生日が明示されていても、特筆性が明らかでない(=対象者と独立した信頼できる公の二次情報源が明示されてない)人物に関しても、掲載対象外にした方が良い様ですね--aki42006会話2017年5月25日 (木) 10:59 (UTC)[返信]