Wikipedia:井戸端/subj/定義部分の出典について
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定義部分の出典について
[編集]利用者‐会話:MNGIG#「意匠分類カード」を用いた出典についてで意匠分類に基づく出典は適切ではないと指摘されてしまったのですが、その判断について第三者の方に委ねたいと思います。--MNGIG(会話) 2014年4月4日 (金) 22:11 (UTC)
- 会話ページでのやり取りだけを見ての一般論としての感想ですが、出典が何も付けられていないよりは意匠分類カードを用いた出典が付けられている状態のほうがいい状態であることは間違いないと思いますし、各種方針に照らして容認できる範囲の問題ない出典だと思います。日用品などごく一般性のある物の定義というのは、当たり前すぎて逆にきちんとした定義が分からない、調べにくいということも非常に多くあるかと思いますし、その部分に出典がつけられることは歓迎されるべきことでしょう。ただ、定義部分の出典として最も適した出典なのかと考えれば新続頭痛さんのご意見にも一利ある部分もあると思いますし、将来的には更により良い出典を探し適宜差し替えて行くことを考える必要があることもまた確かなのだろうとも思います。その点はMNGIGさんの頭の隅に置いた上で編集作業を行っていただければ思います。--重陽(会話) 2014年4月5日 (土) 04:23 (UTC)
- 結局ケースバイケースだと思いますね。一応、特許庁・経済産業省の見解ではあるのでしょうから、「現代日本」或は「現代の日本語」における定義であるという前提ならば、適切だと思います。しかし、新続頭痛氏も懸念されてるように、歴史的経緯や世界的観点を鑑みた場合、おかしくなることがあることもあるでしょう。例えば、意匠分類カードではベストを「袖無し」と定義してるようですが、17世紀のベストには袖がありました。要は扱い方次第だと思います。--uaa(会話) 2014年4月5日 (土) 09:54 (UTC)
- 十分な出典だと思いますし、有用な情報源だと思います。その手があったかー。最善ではない、一般的な現代日本語としての情報源の一つであるということは、MNGIGさんもご理解いただいていると思います。--Ks aka 98(会話) 2014年4月5日 (土) 10:41 (UTC)
- 必要十分かどうか。信頼性のある情報源かと言われると一応そうは言えるから、出典として使う必要条件は満たしている。だけれども、ものすごく限定された目的での分類だから、十分条件を満たすかと言われると100点満点ではない。定義は定義として必要だけれど、言葉の定義が示せればいい辞典とは違って、あるモノやコト、ヒトについていろいろな観点から広がりのある解説をするのが事典だから、出発点として使う分にはイイかも知れないけれど、その出発点に収まらないものを記事から切り捨てるように使ってしまったらダメ。「17世紀のベストには袖がありました」(uaa 2014年4月5日 (土) 09:54 (UTC))みたいな原則から外れる例外だけれどベストに違いないもの、みたいなものも事典だと説明できてほしいし、できていないと事典として用をなさない。
- 利用者:新続頭痛さんもそこらへんのことをちゃんと丁寧に説明しようと思えばできるはずなのだから、こうやってこじれさせる前に納得させるような、説明のしかたをすることが説明する側・される側、そしてその周囲の利益になるはずなのだから、そこは気をつけて欲しい。お互いに他山の石とするべきところだろうけれど。--ikedat76(会話) 2014年4月5日 (土) 12:52 (UTC)
- 私は積極利用はあまり関心しません。具体例でいくと自動販売機は一見良さそうですが、このカードに従えば「情報自動販売機」は自動販売機に分類されていないということになりますし、例えばPR目的で子供を喜ばすような仕掛けで即販するようなタイプは、省力化が目的でないから自動販売機ではないから本文から削除せよと言いだす人が出るかも知れない。なんて変なことになりそうです。--Gyulfox(会話) 2014年4月6日 (日) 22:35 (UTC)
- 出典ナシとアリのあいだは0か1かですが、それ以外の出典の性質は0か1かには必ずしもなりません。ここでは0か1かではないけれど、それ以外のところで議論の余地が無いわけではないもの(「情報自動販売機」を包含できないかもしれない定義)について問題になっているものと理解します。
- さて、関連する井戸端のトピックとしてWikipedia:井戸端/subj/定義不詳と思われる記事の処遇について(相談)というのがあります。そこでのKs aka 98さんの説明を追ってみていただくのがよろしいでしょうが、「(略)「確たる定義」のある主題というのは限定的です。(略)数学や、専門用語などでは宣言的に確たる定義が与えられますが、ウィキペディアが扱う対象は、それに限りません」(Ks aka 98さん、2014年2月18日 (火) 18:24 (UTC))。定義があったとしても、それはウィキペディアが辞典ではなく事典である以上、原則に対する例外やバリエーションというものも含んだ、敢えて言えば「あいまいさを含んだ」広がりを説明することになります。それでも説明の出発点として定義なしというわけには行きませんし、その定義に対し出典アリとナシで言えば、アリの方が比較不可能なくらい良いに決まっています。いま出典として付けられているものが絶対なのではないから、それで不十分だと考えるなら自分で探せばいいし、文句をいうだけでは記事が良くなるわけではありません。「本文から削除せよと言いだす人」がいるなら、ノートで合意形成をすれば良いし、第3者の意見を求めても良いし、(自分に理があって)相手に理がないと自分が思うのに、なおも編集を強行したり・意見の異なる利用者を攻撃したりということであれば、投稿ブロックも考えられるでしょう。
- 家庭用品の定義となるとなかなか難しいでしょうが、学問の対象となっているものでもそう簡単に「これで絶対!」という定義は得られる訳ではありません。「鎌倉幕府の創始の年は?」という問いはトリヴィアや物知りクイズのタネではなく、鎌倉幕府とは一体どのような政権であったのかという歴史上の位置づけと密接に関連し、有力な説も相対的に非力な説もありますが、100%全ての歴史学者(念のため、査読誌に掲載された論文があり、学位を持っている人に限る)が一致するわけではありません。では、鎌倉幕府は実在しないのでしょうか?そんなことを真剣に考えるのはトンデモのネタとして以外、真剣に取り上げるに値しないでしょう。鎌倉幕府と呼ぶべき何かがある、という確信を歴史学者たちは(定義についていかに論争したとしても)疑ってなどいないはずです。
- 定義は必要ですが、それをまるで数学の
述術語のように厳密で少しのブレもなく決められると思うのは、キツい言い方をすれば現実の複雑さと多面性とを忘れた無知であって、そうしたものに居直る傲慢で粗雑な態度である場合があります。今回のトピックの発端は台所用品だったようです。まして、日常生活の中でいつから使われていたかも分からないような道具となっては、むしろそうした定義や定義の出典となるものを安易に求められると思うほうがむしろ間違っているでしょう。 - 現実は複雑です。それに適切な定義を与えられる出典をそうやたらと容易に求められると考えるべきではない場合があります。それでも出発点として定義は決めないわけにはいかないし、その場合に出典アリの方が圧倒的にいい。ウィキペディアへの参加は記事を書くこと(新規作成であれ加筆であれ)です。問題があるなら文句をただ言うだけではなく、改善することを考えるのがウィキペディアンのすることです。{{要出典}}を使ってもよいけれど、それは自分の力や知識の及ばなさを自覚することとともに使うべきでしょう。「出典出せや、ゴルァ!」みたいな傲慢な思い上がりで使ってはダメです。--ikedat76(会話) 2014年4月7日 (月) 11:47 (UTC)typo.--ikedat76(会話) 2014年4月10日 (木) 16:19 (UTC)
- 何だかなあ。「出典がないよりあったほうがいい」ってみんな強調して言い過ぎじゃないの。別にいますぐ定義に出典つけないと記事が崩壊してくわけじゃないですよ。
- たとえば学術用語とか流行語とかなら優先的に定義文に出典をつけて欲しいしそれは比較的難しくない作業だと思いますが、道具とか家具とか日用品とかいうのはある程度常識が通用する領域です。厳密に定義しようとすることでかえって不備がおこる可能性があるし、特に定義をめぐってノートで議論が起こってるとかいうことでないなら、不備がある可能性がある出典をむりくりつけるくらいなら最適な出典がつくまで無出典で放っておく選択肢だってあるでしょう。不備となりうるケースが具体的に指摘されているところで「出典アリとナシで言えば、アリの方が比較不可能なくらい良いに決まっています」「それで不十分だと考えるなら自分で探せばいい」とか断言するのはWikipedia的倒錯だと思いますよ。
- 会話ページのほうに書いたようにその意匠分類カードというのは特許庁が「意匠審査における迅速・的確なサーチ、外部における先行意匠調査や意匠権調査を効率よく検索するため」に設けたというものです。特定の目的のために設けられたものであり、だからといって常識や実際から逸れた定義分類をすることはないでしょうが、日用品や工業製品の分類定義それ自体を目的としたものではありません。出典としては補足的に用いるくらいが適当でしょう。道具類の記事の定義文やヴァリエーションの説明文を一個一個逐次的にこれに従ったものにしていくとしたら(いくら後でより適切な出典に変えることを前提としているにしても)さすがにそれはおかしいと思いますね。--新続頭痛(会話) 2014年4月7日 (月) 14:50 (UTC)
- 完璧な状態に出来ないなら手を付けるなというような考え方はWikipedia:編集方針#完璧でなくてもよいのです。編集を楽しんでください。に真っ向から反しているのではないですかね。編集方針には「ウィキペディアの方針とガイドラインに反しないものであるならば、不完全な記事を投稿することも歓迎されるべきです。」とあります。記事が理想の状態に仕上がるまでの過渡的な状態において、今現在の記事が不完全な状態であったとしてもWikipediaはそれを許容しています。当然、新続頭痛さんが方針やガイドライン等で求められる以上の高いレベルにハードルを設けて編集活動をされることは新続頭痛さんの自由です。ですが、それを方針の枠内で活動されている他の編集者にまで求める権限は誰にもありませんよ。その点のご理解をお願いいたします。--重陽(会話) 2014年4月9日 (水) 13:33 (UTC)
- なんだか極端な伝わり方しちゃったみたいですね。「出典がついてないという不備」と「不完全な出典がつくことによって生じる何らかの不備」とがあったとして、Wikipedia:出典の明記があるからといって前者に対して後者を過分に擁護する必要はないじゃないのってだけの話なんですが。その出典をつけたほうがよいかどうかは不備の度合いによるでしょう。私が気にしているのは完璧じゃないとかそんなことよりも、特許庁が作った意匠分類カードという特定の分類に沿った記述に特定のジャンルの記事群を網羅的に書き換えられていったらそれは百科事典として片寄った在りかただなあという、どちらかといえばバランス感覚的なことです。--新続頭痛(会話) 2014年4月9日 (水) 20:49 (UTC)
- 「完璧でない」ということなら私が多少気を入れて書いた記事だって次善次々善の出典ばかりですよ。--新続頭痛(会話) 2014年4月9日 (水) 22:16 (UTC)
- 後者を擁護するような考え方は少なくともWikipedia:出典を明記するやWikipedia:編集方針などの各文書類で許容されている考え方の範囲ですが、前者に対して後者を過分に擁護する必要はないという考え方は何かの方針ガイドライン等の裏づけがあるわけではない新続頭痛さん独自のお考えですよね。バランス感覚的な話であるという点は了解しましたが、そのような感覚的なものは人によって閾値が異なるのが当然のものでしょうし、なおさら方針の枠内で活動されている他の編集者にご自身のバランス感覚と近い感覚で編集を行うことを求めるのは難しいことであるように思えます。ルールすべてを無視しなさいという文書が5本の柱に挙げられているようなウィキペディアにおいて過度に杓子定規に方針が文書がという気は毛頭ありませんし、不具合の度合いによるというのは正にその通りであるとは思います。記事を書く上での私自身の方法論はむしろ新続頭痛さんの考えにより近い部分も多いのではないかとも感じます。ですが、そのようなウィキペディアで広く支持されているわけではなく方針ガイドライン等の文書に裏付けられているわけではないような一個人の独自の考え方に基いた、文書類が求める要求レベル以上のレベルの要求を他の利用者に対して働きかけるのであれば、もう少し話の持って生き方を上手くやっていただけないと中々相手に受け入れてはもらえないのではないかとも感じました。少なくとも利用者‐会話:MNGIG#「意匠分類カード」を用いた出典についてのやり取りとその後の流れを見る限り、MNGIGさんは新続頭痛さんの書き込みをウィキペディアのルールに反する編集への注意警告の類であると解しているように思えますし、そのように受け取られても仕方のないような書き方になってしまっていたようにも思えます。そのような場合は相手の考え方を否定するのは控えて相手の肯定容認から話題に入り、もっとより良い方法がありますよとお願いや助言の形で提言するのがいいのではないかと思います。また、MNGIGさん自身があくまでも記事を充実させるための「第一歩」として編集しているのだとおっしゃっているように、意匠分類を出典として付ければそれで十分だと考えられているわけではなく更なる充実が必要であることはきちんと認識されているはずです。であるならば、下でuaaさんやikedat76さんがされているようなやり方で上手く話を持っていけば容易にご理解ご納得いただけた話ではなかったかなとも感じました。--重陽(会話) 2014年4月10日 (木) 16:03 (UTC)
- そのような丁寧なやり方が苦手だとわかっているので第三者の意見を募るようにと早めに促したつもりです。方針に書かれていないから即「独自の考え」であるというのは違うと思いますよ。共用されている認識というものはあるものですし、それがなければ方針の妥当な解釈や運用といったものがそもそもできません。この場の議論を見る限り、結局のところそうした感覚が我々の間で割りあい共用されていることが確認できたように思います。--新続頭痛(会話) 2014年4月10日 (木) 21:37 (UTC)
- 丁寧なやり取りが苦手だとご自覚されているのであれば、他者への働きかけを極力控えていただくという選択肢もあることは頭に置いておいていただければと思います。本格的に活動するようになってからまだ日が浅い履歴の方に対する働きかけには特に慎重さが必要ですし、トラブルになりがちです。それでも何とかしなければならない場合は、会話ページで人に働きかけて人の問題としてしまうのではなく記事のノートで個別具体的な問題点を取り上げて記事の問題に落とし込んでしまうという方法もありますし、相手に第三者の意見を募るように促す前に先にご自身で第三者の意見を募るという方法もあるでしょう。後は下でikedat76さんが上手くまとめて下さっているので、私から付け加えることは特にありません。--重陽(会話) 2014年4月12日 (土) 16:20 (UTC)
- 第三者の意見を募る、は向こうから打診があったのでそのようにしてくれと言いました。なにか会話ページへの書き込みの印象が余程悪かったみたいですね。今回の件は比較的うまく開けた議論への誘導ができたなあと思ってたんですけど。--新続頭痛(会話) 2014年4月12日 (土) 21:47 (UTC)
- 丁寧なやり取りが苦手だとご自覚されているのであれば、他者への働きかけを極力控えていただくという選択肢もあることは頭に置いておいていただければと思います。本格的に活動するようになってからまだ日が浅い履歴の方に対する働きかけには特に慎重さが必要ですし、トラブルになりがちです。それでも何とかしなければならない場合は、会話ページで人に働きかけて人の問題としてしまうのではなく記事のノートで個別具体的な問題点を取り上げて記事の問題に落とし込んでしまうという方法もありますし、相手に第三者の意見を募るように促す前に先にご自身で第三者の意見を募るという方法もあるでしょう。後は下でikedat76さんが上手くまとめて下さっているので、私から付け加えることは特にありません。--重陽(会話) 2014年4月12日 (土) 16:20 (UTC)
- そのような丁寧なやり方が苦手だとわかっているので第三者の意見を募るようにと早めに促したつもりです。方針に書かれていないから即「独自の考え」であるというのは違うと思いますよ。共用されている認識というものはあるものですし、それがなければ方針の妥当な解釈や運用といったものがそもそもできません。この場の議論を見る限り、結局のところそうした感覚が我々の間で割りあい共用されていることが確認できたように思います。--新続頭痛(会話) 2014年4月10日 (木) 21:37 (UTC)
- 後者を擁護するような考え方は少なくともWikipedia:出典を明記するやWikipedia:編集方針などの各文書類で許容されている考え方の範囲ですが、前者に対して後者を過分に擁護する必要はないという考え方は何かの方針ガイドライン等の裏づけがあるわけではない新続頭痛さん独自のお考えですよね。バランス感覚的な話であるという点は了解しましたが、そのような感覚的なものは人によって閾値が異なるのが当然のものでしょうし、なおさら方針の枠内で活動されている他の編集者にご自身のバランス感覚と近い感覚で編集を行うことを求めるのは難しいことであるように思えます。ルールすべてを無視しなさいという文書が5本の柱に挙げられているようなウィキペディアにおいて過度に杓子定規に方針が文書がという気は毛頭ありませんし、不具合の度合いによるというのは正にその通りであるとは思います。記事を書く上での私自身の方法論はむしろ新続頭痛さんの考えにより近い部分も多いのではないかとも感じます。ですが、そのようなウィキペディアで広く支持されているわけではなく方針ガイドライン等の文書に裏付けられているわけではないような一個人の独自の考え方に基いた、文書類が求める要求レベル以上のレベルの要求を他の利用者に対して働きかけるのであれば、もう少し話の持って生き方を上手くやっていただけないと中々相手に受け入れてはもらえないのではないかとも感じました。少なくとも利用者‐会話:MNGIG#「意匠分類カード」を用いた出典についてのやり取りとその後の流れを見る限り、MNGIGさんは新続頭痛さんの書き込みをウィキペディアのルールに反する編集への注意警告の類であると解しているように思えますし、そのように受け取られても仕方のないような書き方になってしまっていたようにも思えます。そのような場合は相手の考え方を否定するのは控えて相手の肯定容認から話題に入り、もっとより良い方法がありますよとお願いや助言の形で提言するのがいいのではないかと思います。また、MNGIGさん自身があくまでも記事を充実させるための「第一歩」として編集しているのだとおっしゃっているように、意匠分類を出典として付ければそれで十分だと考えられているわけではなく更なる充実が必要であることはきちんと認識されているはずです。であるならば、下でuaaさんやikedat76さんがされているようなやり方で上手く話を持っていけば容易にご理解ご納得いただけた話ではなかったかなとも感じました。--重陽(会話) 2014年4月10日 (木) 16:03 (UTC)
- 完璧な状態に出来ないなら手を付けるなというような考え方はWikipedia:編集方針#完璧でなくてもよいのです。編集を楽しんでください。に真っ向から反しているのではないですかね。編集方針には「ウィキペディアの方針とガイドラインに反しないものであるならば、不完全な記事を投稿することも歓迎されるべきです。」とあります。記事が理想の状態に仕上がるまでの過渡的な状態において、今現在の記事が不完全な状態であったとしてもWikipediaはそれを許容しています。当然、新続頭痛さんが方針やガイドライン等で求められる以上の高いレベルにハードルを設けて編集活動をされることは新続頭痛さんの自由です。ですが、それを方針の枠内で活動されている他の編集者にまで求める権限は誰にもありませんよ。その点のご理解をお願いいたします。--重陽(会話) 2014年4月9日 (水) 13:33 (UTC)
- Ikedat76さんへ。おっしゃることは尤もで、だから出典として使えないとは言いませんよ。 だけど別の比喩でいえばですね、「霊」っていう一般用語があるとするでしょ。でもキリスト教神学でも「霊」っていう専門用語があるんだけど、定義文でキリスト神学の査読済みの論文を出典として、「霊」とはこれこれしかじかであると定義されたとする。まあそれも良いだろう。 でもそれはあくまでも1宗教の定義であって、「霊」という一般用語の話ではないわけであってその問題を是正しようという判断で、より一般的解釈が示されている書籍を調べて(岩波の国語辞典しか見つからず)、やむなくそれを出典とした一般的記述も定義も含めたいという情況があったとする。でこれは信頼できる3次情報源であっても、査読済み論文よりは確かに力関係が弱いわけで、相手が同程度の高い信頼性を要求して辞典からの定義を拒絶したとなったら、Ikedat76さんは、どのような理由でどっち側につくよ?という設問とほぼ同じ理由で、私はこの件について一種の懸念を表明しているわけです。ユーザーの殆どのみなさんが、「中立の観点」や「ニセの権威に注意せよ」というルールを熟知しているなら、私の懸念は杞憂なのですが、Ikedat76さんはおそらく大丈夫と思いますがコメント依頼で、バランス感覚が欠けたユーザーが来て「どっちもどっち」だの「3次情報源はやめた方がいい」だのとコメントを書かれた日には参ってしまうのです。(ちなみにこれは比喩であって「霊」のページでそのような論争は勃発してませんのでご安心ください)。--Gyulfox(会話) 2014年4月7日 (月) 20:29 (UTC)
- 「査読済み論文よりは確かに力関係が弱い」というのが間違いで、一方は学術的な信頼性は高くとも特定の観点からの記述であり、他方は十分な信頼性を持つ包括的な観点からの記述なのですから、とりわけ定義部分に関しては、後者のほうが力関係からは強い、です。「どっちもどっち」だの「3次情報源はやめた方がいい」だのとコメントを書かれた日には、中立的な観点を案内し、説明する。バランス感覚が欠けたユーザー、無知なユーザーを前提にしていては、まともなことは何もかけませんよ。--Ks aka 98(会話) 2014年4月8日 (火) 04:04 (UTC)
- Ikedat76さんへ。おっしゃることは尤もで、だから出典として使えないとは言いませんよ。 だけど別の比喩でいえばですね、「霊」っていう一般用語があるとするでしょ。でもキリスト教神学でも「霊」っていう専門用語があるんだけど、定義文でキリスト神学の査読済みの論文を出典として、「霊」とはこれこれしかじかであると定義されたとする。まあそれも良いだろう。 でもそれはあくまでも1宗教の定義であって、「霊」という一般用語の話ではないわけであってその問題を是正しようという判断で、より一般的解釈が示されている書籍を調べて(岩波の国語辞典しか見つからず)、やむなくそれを出典とした一般的記述も定義も含めたいという情況があったとする。でこれは信頼できる3次情報源であっても、査読済み論文よりは確かに力関係が弱いわけで、相手が同程度の高い信頼性を要求して辞典からの定義を拒絶したとなったら、Ikedat76さんは、どのような理由でどっち側につくよ?という設問とほぼ同じ理由で、私はこの件について一種の懸念を表明しているわけです。ユーザーの殆どのみなさんが、「中立の観点」や「ニセの権威に注意せよ」というルールを熟知しているなら、私の懸念は杞憂なのですが、Ikedat76さんはおそらく大丈夫と思いますがコメント依頼で、バランス感覚が欠けたユーザーが来て「どっちもどっち」だの「3次情報源はやめた方がいい」だのとコメントを書かれた日には参ってしまうのです。(ちなみにこれは比喩であって「霊」のページでそのような論争は勃発してませんのでご安心ください)。--Gyulfox(会話) 2014年4月7日 (月) 20:29 (UTC)
すでに言っている通り、不適当な出典であると考えるなら付け替えればいいと言っていますし、記事を書くこと(新規・加筆を問わず)がいわばウィキペディアンの本分である(口だけ文句を出して何もしない、代案も示さない、ではなく)ならそうすれば良いだけです。それを止めたりは別にしていません。
コトやモノの定義というのは、定義すべき対象が中空に浮かんでいて定義できるというものはほとんどあり得なくて、「霊」ならキリスト教の、イスラームの、…等々で使われている術語のネットワークの中で始めて定義が決まります。他も大抵そう。そういう、前提となる文脈を確定していないで何かを定義するというのは、そもそもにおいて難しい。「十分な信頼性を持つ包括的な観点からの記述」と「一方は学術的な信頼性は高くとも特定の観点からの記述」とKs aka 98さんは表現しているけれど、これらの「力関係」だってどういう文脈にあるかで変わってきてしまう。
そうした文脈が多様にあるとき、いずれかの文脈だけに偏るな(あるいは、偏るにしても《どのように》偏っているのかを明示せよ)というのがWP:NPOVの考え方でしょう。その意味で、定義の部分でそうしたWP:NPOVが確保できないのなら、抽象的で動議反復にも近いような曖昧な定義であってもかまわないのでは。何も「完璧な定義(但書:文句の付け所のない出典つき)」を書くことではなく、記事を書くことを求められているのだから、そういう定義の難しさを持つ題材なら記事の本文をしっかり書くことによってしか、何ともしようがないのであって、「完璧な定義(但書:文句の付け所のない出典つき)」とかそれに類することは求められていないと思います。
自分自身の書いてきた記事を省みてみるときに100本前後ありますが、意識していたわけではありませんが、よほど事情がない限り定義文に出典を付けたことはありません。前段落のWP:NPOVを確保するのが難しい場合に限らず、記事に何を書くかと言えば、つまりは巡りめぐって定義について書いているわけです。そういう意味で言えば、定義に出典は要らないと考えることも出来ます(極論でしょうが一面では正鵠を射ているはず、多分)。ところで、このトピックの前提は、《定義に出典を付ける》ということであったはずですが、違うのでしょうか。そういう前提の範囲で私は話をしていたつもりだけれども、前提を守らなくて良いのであれば、こういう風にちゃぶ台を返して別な考え方も出来る。ただ、付けないといけないという前提に立つ限り、そこには色々と無理が出てくる場合があるし、「完璧な定義、文句の付け所のない出典つき」を書こうとして悩んだりモメたりするのであれば、別の対応の仕方というものが自ずとあるというものでしょう。
あと、Gyulfoxさんの言う、ヘンな奴が(大意)という話はKs aka 98さんが書いているとおりなので、特に付け加えることはありません。強いて言えば、じゃあこんどは「オレ、小学生(幼稚園児…etc.etc.)だけど、難しくてワカンネーから分かるように直せよ」と言ってきても対応しますか。書くにしても読むにしてもある程度の前提はあって、それを過度に下回ったり切り下げたり、歪めたりするのであれば、それははっきり言うけれど相手をする必要はないと思う。それこそ英語版の提案中の文書だけれどen:Wikipedia:Use common senseであって、ヘンな奴(大意)にはそれなりに対応(究極はブロック)すればいいとは既に私も書いた通りです。--ikedat76(会話) 2014年4月8日 (火) 13:49 (UTC)
やや脱線。比較xx学(歴史、宗教、民族、政治…etc.etc.がxxに入る)という研究の仕方がありますが、これらも別に特定の文脈に依存しないコトやモノの本質的定義(イデア?)を取り出すことを求めてはいません。比較(ただし有意な)を通じて比較対照したコトやモノのそれぞれの理解をいっそう深めることを目的としていて、共通する点・相違する点が研究の過程で多数あぶり出されてきます。それらを「包括する」必要はないし、WP:NPOVはしょせんウィキペディアのローカルルールに過ぎないけれど、そうした多様性がちゃんと説明されていた方が、百科事典としての学習効果は高いと思いますが。--ikedat76(会話) 2014年4月8日 (火) 13:57 (UTC)
この問題の発端は、記事の定義を片っ端から「意匠分類カード」の定義に書き換えられていることに対して、新続頭痛氏がMNGIG氏の会話ページで懸念を示されたことですね。MNGIG氏の履歴で私の目に付いた、そのことによって定義がおかしくなっている実例として、下着のこの編集が挙げられます。「意匠分類カード」では、和服の下着(じゅばん等)は「下着」から除外され、「和服」に分類されいます。そして、「直接肌に身に付け、保温、汗とり、体形を整える等の目的で使用されるもの」とJISや服飾辞典より狭く定義されいます。「直接肌に身に付け」という要件があると、「肌じゅばん」以外の「じゅばん」は「下着」では無いということになりますし、和服以外のものについても矛盾を生じますね。これこそ、社会一般の認識とは異なる、「意匠審査における迅速・的確なサーチ、外部における先行意匠調査や意匠権調査を効率よく検索するために設けた」都合上の定義ですよね。ちなみに、JISでも「じゅばん」は「和服」に分類されていますが、「下着」の定義が広くなっており、「(和服の)下に着る下着」と定義されています。
あと、物干しは記事名の適否を出典資料からは判断できないという問題もあるんですが、「物干しざお、洗濯ロープ、物干しロープ、物干し器などがある」という定義にJPOVの問題があるように思えますね。「物干しざお」って日本以外じゃ見かけないですよね。日本ローカルのものを同列に扱っていることに違和感を感じます。
一方、草履や下駄の定義は改善されたと思います。
以上のように、乱用すると弊害を生じますが、かといって一律排除されるものではないでしょうし、出典がないよりはあった方がよいというのも一理あると思います。結局、個別に適否を判断するべきことではないでしょうか?但し、一度に大量の記事へ加筆するというのは、検証が追いつかないので控えてほしいと思います。--uaa(会話) 2014年4月10日 (木) 08:28 (UTC)
僭越な言い方ながら、uaaさんの2014年4月10日 (木) 08:28 (UTC)のコメントがまとめとして適切であるように思えます。「出典ナシとアリのあいだは0か1」と2014年4月7日 (月) 11:47 (UTC)と書きました。でも今回のように、「ナシとアリ」を脱した、そこから先の領域で考えるのであれば、uaaさんのような流儀でものを考えるのがいいのだと思います。いちおう、今回トピックとなった情報源はそれ自体は信頼できると考えてよいもので、後は個々のの記事ごとの文脈によって適否を考えるしかない。「学術的な信頼性は高くとも特定の観点からの記述」と「十分な信頼性を持つ包括的な観点からの記述」であっても、その適否はどういう記述に対する出典として使われようとしているかによるとしか言えないもので、uaaさんは具体的な記事に即して「コレはOK、コレはNG」という判断をしようということですよね。十把一絡げに「特定の観点だからことごとく不適、ダメ」という判断ではなくて。そこまで見て、ようやく話の始まりで、いろいろ話は出ているけれど、ダメならもっといい出典に差し替えるなり、除去して記事本文で何とかするなり方法はいろいろある。
もちろん、そもそもゴシップ雑誌みたいにどうしょうもない情報源だったら、どんな所に付けたって…ということになるかも知れないけれど、少なくとも今回の一件はそうじゃなかった。方針やガイドラインに沿った情報源を挙げるのは最低限あるいは必要条件ではあって十分条件ではないので、方針やガイドラインに沿っているからいいんだ、というのもいい説明ではないですが、十把一絡げにクソミソという話をしたら、そういう雑な話にしかならないし、益するところがないでしょう。--ikedat76(会話) 2014年4月10日 (木) 13:54 (UTC)下線部追記。--ikedat76(会話) 2014年4月10日 (木) 16:19 (UTC)
中立的観点がいびつになる場合のみ文頭に日本の特許庁・経済産業省の扱いは・・・と入れておけば良いのかも知れません。専門書の場合でもあまりにも中立からかけ離れる場合はそうやっておけば、懸念は消えます。読者は特許庁・経済産業省の扱いではそうなんだと理解する。ゴシップ誌のような信頼性の薄い情報源でもないのに変な感じは残りますけどね。定義部分で軒を貸して母屋をとられるようなことにもならないし。--Gyulfox(会話) 2014年4月11日 (金) 12:43 (UTC)
WP:NPOVに従わなければならないのは論を俟ちません。WP:NPOVは記事を書くための方針であって記事の定義だけに係る方針ではありません。定義は確かに重要ですが、それはあくまで記事の一部に過ぎず、記事を書くすなわち文章でモノやコトを説明することを通じて実現するべき事柄のひとつとしてWP:NPOVが挙げられているわけです。「定義部分で軒を貸して母屋をとられるよう」ようなのであれば、それはもう記事の構成から見直したほうがよくて、そういうことはすでに言ったとおりです。記事を書くことが求められているわけであって、記事の定義を完璧にすることが求められているわけではありません。定義がきちんとしているに越したことは無いけれど、そこだけいくら良くても文章でモノやコトを説明することのせいぜいスタートにしかたっていないんです。
便宜上この位置で続けるけれど、共用(共有かな?)というのもよく分からない。明文化されていないものは即「独自の考え」というのはあたっていない、それはその通りだけれど、その点が問題になっていたわけではないはずです。今回の件、WP:VなりWP:CITEなりに則して・それ以上でもなくそれ以下でもなく編集をすることと、それ以上の水準をもとめる編集とで意見が割れたことが発端といえます。重陽さんが既にお書きの通り、WP:VなりWP:CITEの求めるところに単に従うという以上の水準を自らに課している利用者というのは要るし、どちらかと言えば自分自身もそちらよりではある。とはいえ、その水準で他者にも行動するよう求めるのは、お願いや説得の結果としてはともかく、強制することは出来ない。相手が方針とガイドラインに則しているのであれば、なおのこと。ウィキペディアンにはそれぞれベストを尽くして欲しくはあるけれど、完璧であることを義務付けられている訳ではないし、ダメな記事だと思えば大胆に直しても構わない(配慮が必要になる場面が無いではないけれど)。このトピックで共有されていると確認できたことがあるのだとしたら、それは明文化されている範囲内のことがらでしょう。--ikedat76(会話) 2014年4月12日 (土) 01:27 (UTC)
- 共用→共有ですね。何か変だと思った。
- 妙に抽象化されてるなと思ってこちらのほうの議論はちゃんと追ってませんでした。議論の抽象レベルを上げること自体は別に否定しませんが、私は今回の件で「意匠分類カード」というものの具体的性質を離れて議論してもあまり意味がないと思っています。「強制」という言葉が何度が出ていますが、一般利用者が一般利用者に対して会話ページの会話で厳密な意味で「強制」を行うことはできません。君が使ってる出典なんか変じゃないの、とツッコミがあって、言われた当人がホントに変か?と思って第三者の意見が集まる場所に意見を投下した、それで第三者の意見が集まった、流れとしては通常の流れです。
- 「強制」と言っている人はなんだかMNGIGさんが「意匠分類カード」のみを出典として編集せざるを得ない特殊な状況下にあると判断されているみたいに見えます。他者からの強制力があるという意味ではどんなに控え目にされたアドヴァイスも大なり小なり「強制」です。あとは「強制」と極力相手に取られないようにするテクニックがあるのに頭痛の奴はそれができていなかった、というそれだけのことでしょう。--新続頭痛(会話) 2014年4月12日 (土) 21:47 (UTC)
具体的。ごく限定的な目的のための分類法であるというのは否定しないし、そのようにも言っていないつもり。ここでやり取りしている人たちはたぶん異論がないところだろうけれど、意匠分類カードはひとまずWP:RSのうちに入ります。WP:RSだとしても、どう文脈を補完しても適切になりようがない情報源というのも考えられるけれど、今回のはそうではない(微妙、ではあるかも知れない)。その限りで、情報源の性質だけを理由として不適切とみなすことはすでに出来ません。
となるとあとは、そうした出典を付けることで記事がどれくらい改善したか、その度合いなり効果なりでもって考えるしかない。自分自身でも一度は気付いている通り(「もし使われる箇所が適切でなければ不適切な出典ということになります」、2014年4月4日 (金) 21:20)、不適切になるのは「使われる箇所が適切でな」い時で、逆に言えば適切であれば適切になります。
となれば、具体的であるこというのは、「この記事は改善された」「この記事はちょっと変」といったuaaさんのような仕方でしょうし、uaaさんのやり方はむしろ誰よりも抽象度を下げて考えているといえる。しかしながら、MNGIGさんの会話ページでのやり取り(そしてそれ以外はMNGIGさんにも第3者にも見えません)では、そうした効果測定はほとんどなしに〈特定の目的による分類法だから〉という形での異論という以上にも以下にも、MNGIGさんにも第3者にも見えません。そうしたやり方が具体的と言い得るのか、それとも十把一絡の雑な話と見なすべきものなのか。仕方のあるもの・ないものが混在というときに、「ないもの」があるからといって全てを捨てさせようとするのは、具体的ではなく、どれほど有益なのかよく分からない。uaaさんの言うように救えるものや有益なものもあるのに、それを見つけ出す方向性になっているとは言えない(卵ゆで器なら〈他の情報源の方がマシ〉)。
単に説得の技術の問題に切り下げるとしても、MNGIGさんが「意匠分類カード」をしか使えないというのは短期的にはまさにその通りでしょう。学生か研究職でもない限り、勤め人がやたら図書館で文献を探す時間は無い。そこで、全称命題で「お前のやっていることはダメだ」(口調のいかんに関わらず趣旨として)とやるのは、まがりなりにも方針とガイドラインに沿って適切に行動しようとする相手に対し、その努力を踏みつけにすると受け取られても仕方ない。他山の石として自戒しつつ言うけれど、よほど気をつけて言わないとこじれる。方針とガイドラインは大事です。でも文書が記事を書いてくれるわけではなくて、オンラインの向こう側にいる感情の動物が記事を書いている。そういう顧慮を欠くようであれば、重陽さんの示唆に耳を傾けた方がいいでしょう。できていなかっただけ、は自分の問題でも良いかもしれない。でもそれで、意欲を持った新規参加者が去ってしまえば、それは自分ひとりの問題じゃありません。--ikedat76(会話) 2014年4月12日 (土) 22:55 (UTC)
- あー、長文を費やしていただいて申し訳ないんですが、重陽さんが書かれたことを引き伸ばしただけですよ。私が行った会話ページへの書きこみが具体的な議論であった、というような話は全然していません。そういう点も含めて丁寧に応対できないから意見を募るよう促した、と書きました。「短期的には」特定の出典しか使えない、などというのは言葉遊びにしか見えないです(誰だってそうだ)。「定義部分の出典について」という議題のもとでそうした点を巡って議論を続けるつもりはありません。--新続頭痛(会話) 2014年4月13日 (日) 00:22 (UTC)