Wikipedia:井戸端/subj/出典として新聞などを優先する人について
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出典として新聞などを優先する人について
[編集]参考文献として新聞や本を優先する人がいます。参考文献としてネットが挙げられているとわざわざそれを直してまで新聞や本を挙げる人がいます。新聞や本はお金を出さないと買えません。ネットの方がすべてのひとがあまねく幅広く参照できるはずです。出典として、ネットを最優先すべきだと思います。新聞や本は出典として不適格ではないでしょうか。--チンモミ・アハーン(会話) 2018年1月17日 (水) 17:15 (UTC)
- 異なる節に議論が追加されていたため、サブページを作成し移動させて頂きました。--切干大根(会話) 2018年1月18日 (木) 00:36 (UTC)
- コメント 出典の優劣については私は説明できる自信がないのでとりあえず置いておいて、新聞も書籍も、図書館に行けば基本的に無料で閲覧できると思いますが…。特に新聞については、専門書を置いていないような普通の図書館でも閲覧できると思います。それを鑑みるに、「ネットを最優先すべき」というのはちょっと乱暴ではないかな?と思います。--MK0210(会話) 2018年1月18日 (木) 00:48 (UTC)
- 会員限定配信記事や研究会で資料として配布された翻訳でさえ一律に不適格とはされていませんから、適格不適格でいうなら適格でしょう。むしろ検証可能性の点だけで考えるなら、内容の変更が容易で、場合によってはアーカイブもされていないケースが見受けられるネット資料より優れていると思います。とはいえ記事の質の差もあるでしょうから、もし機械的に置き換えているようならそれはそれで問題だとも思いますね。「どちらもその媒体のみから判断して『最』優先すべきではない」と考えます。切干大根さん失礼しました。--Hiroes(会話) 2018年1月18日 (木) 02:18 (UTC)
- 紙媒体とオンラインのいずれも信頼できる情報源ならば、両方とも出典として併記すれば良いだけでは? 複数の出典が挙がっていれば、それだけ検証可能性がアップします。オンラインの方が誰でもすぐに検証できるという利便性があるものの、一方でオンライン記事は知らぬ間に更新されていて、ウィキペディア本文の内容と出典元オンライン記事の内容が不一致を起こす短所があります。またオンライン記事はリンク切れかつアーカイブなしに陥ることもあるため、紙媒体の出典も併記してあると、検証不可能性のリスクが回避できます。--Mis0s0up(会話) 2018年1月18日 (木) 03:23 (UTC)
- Mis0s0upさんのご指摘どおりと思います。--柒月例祭(会話) 2018年1月18日 (木) 04:08 (UTC)
- インターネット上で無料で見られるWEBニュースは「同時に表示されている広告などをクリックした不特定多数が(あなたの代わりに)購読料を支払っているもの」であり、図書館で無料で見られる書籍、文献は「図書館が(公的な運営資金から捻出して)著作権者に正当な金額を支払って購入しているもの」であり、どちらもそれなりの金額を(あなた以外の誰かが)負担しているもの、なので。つまり、あなたがご自分のお財布から実際に現金を捻出して入手したかどうか、という点では、特にどちらかが(情報入手難易度として)一方的に優れているかどうかの指針には成り得ないです。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年1月18日 (木) 04:53 (UTC)
- (コメント)そもそもオンラインの情報(特に日本の報道ソースの場合)は、短期間で削除される場合が少なくありません。NHKオンラインとかだと3日くらいしたら無くなってたりする。また、上でも書かれているように、内容の更新によって出典とすべき記述がなくなってしまうなんてこともあります。と言うかありました。更に出典として「http://www~」しか貼ってなかったりすると最悪です。何についての出典だったのか調査すら困難になりますから。また、オンラインの出典が削除されていると「出典が無いぞ!除去だ除去!!」みたいな対応を取る利用者が居たりするってな問題もあります。少なくとも「ネットを最優先」すべき理由は皆無です。--KAMUI(会話) 2018年1月18日 (木) 10:51 (UTC)
- 最近の調査によれば、若い人たちの多くは新聞を読む習慣がなく、記事を読ませても記事の内容自体が理解できない者がほとんど、とのことです。そもそも新聞に触れる機会がない、長文の読解力がない、という若年層が増えているようです。わたしも新聞は長文過ぎて理解できないですし。「そんなことないよ、若い人だって新聞くらい読めるよ」と反論される方もいるでしょうが。それはあなたの属する階層がたまたまそうだというだけで、地方在住で中等教育が最終学歴の若年層は、新聞などわけわからんという人たちがざらでしょう。一方で、スマホでネットニュースを読むことなら、多くの若年層若者でもできるようです。わたしもウィキ記事なら最後まで読み通せますし。そういう意味だと、ネットの情報の方を本や新聞より優先させた方が、検証しやすいようにも思いますね。逆に日本の特定世代の一定数には理解できないような本や新聞を出典とする方が、問題ありそうな気がします。「新聞や本を出典にすべきだ」と主張している人を見ると、なんだか新聞を理解できない世代の人たちのことをバカにされてるような気になります。新聞を理解できるレベルの人たちしか執筆してはいけない、と思ってるわけではないでしょうが、どこか心の中で下にみてるような感じがして、非常に嫌な気持ちになります。--エキセントリック皇帝ボウイ(会話) 2018年1月18日 (木) 16:22 (UTC)
- コメント 主として、女性声優(アニメ、音楽関係を含む)、野球関係を中心に執筆させて頂いている者です。自分の場合、女性声優関係を中心に参加させて頂いていますが、基本的なこと(考え)については、Mis0s0upさんの仰る通りと思います。で、自分の場合、WP:BLPに関係する記事の執筆(加筆)が多いですので、その立場から述べさせて頂くと、
「書籍(新聞、雑誌を含む)」「ネット記事(web記事)」「(本人やメンバーの)Twitter、ブログ」を、ケースバイケースに応じて出典として組み込む(まあ、バランスですかね)、ただ、書籍(自分の場合は雑誌が多いですが)の方が、やはり手元に確保しやすくなり(勿論購入する資金の問題はある訳ですが。新聞や、メジャーな本とかだと、図書館で閲読できる訳ですけど)、より説得力を持たせられるかな、と。かつ、複数の出典を併記できる感じならばなおさらよいかな、と。
あくまでも自分の考えですけど、少なくとも人物記事の場合だと、それは執筆しながら強く感じています。ですけど、その人物のインタビュー記事の場合でならば、「ネット記事」も、勿論出典として有益な場合は、結構あるとは感じていて(例えば、「オリコン」「映画.com」「まんたんウェブ」とかのインタビュー記事ならば、より説得力があるかな、と。つまり、出典元[インタビュー元]の記事によって、やはりそれなりの信頼性の違いはどうしても出てしまいますから)。
- ですので、ネットを最優先すべきとも、書籍(雑誌、新聞)を最優先すべきとも、自分は思いません。ただ、ネットニュースの場合、例えば「NHKニュース」だと、「1週間~2週間(場合によっては数日)」で除去されたり、「Yahoo!ニュース」だと、「1か月~数か月」で除去される傾向が強いので、特にこの2つについては、出典として用いる際は留意が必要かな、と(逆に、野球選手の記事の執筆の際において感じているのは、スポーツ紙のweb記事は、結構長い期間残っている傾向が強かったりします。特に選手の契約更改[年俸がいくらか]とかだと、ネットニュースのweb記事に頼らざるを得ないのですけど[近年だと、スポーツ紙のみならず、「Full-count」「ベースボールチャンネル」「ベースボールキング」等のネットメディアを出典にする機会が増えていると感じてますし、これらはこれらで、ネットメディアだからこその存在意義はあるかなと感じてますし]、その意味で、(繰り返しですみませんが)「書籍」「web記事」、それぞれをうまく組み合わせる(使い分ける)ことが大切かな、と感じます(あくまでも、こういう解釈があるよ、という程度ですけど…)。貴重なスペースを申し訳ないです。--愛球人(会話) 2018年1月18日 (木) 23:11 (UTC)
- コメント 似たような議論をしたような記憶があるなあと、色々確認していましたら、やはりやっていました。途中、私の言動に、いささか行き過ぎたところもあり、お恥ずかしい限りなのですが、参考まで提示しておきます(「ノート:アスペルガー症候群/過去ログ2#井戸端での意見募集」、「Wikipedia:井戸端/subj/出典として挙げた文献の内容をノートページに引用するルールの是非」)。当時、IP利用者群の主張は、本件提起者とよく似た「出典をオンライン上のものに限定すべき」というものでしたが、結果として、この主張は受け入れられることはありませんでした。本件における他の方の意見でも、「媒体(ネット上にあるものなのか、印刷物なのか)で優劣をつける」という考えは否定されているように見えます。結局のところ、「Wikipedia:検証可能性」や「Wikipedia:信頼できる情報源」の考えに照らし合わせて、その資料を使用することが適切なのか、というところに落ち着くのでしょう。記事の執筆に必要な全ての情報が、Web上にあるわけではありませんし、そもそも論として、本件提起者の「出典として、ネットを最優先すべき」、「新聞や本は出典として不適格」という主張は、「Wikipedia:検証可能性」や「Wikipedia:信頼できる情報源」の主旨にそぐわない、いわば暴論と言うべきものではないでしょうか。--森藍亭(会話) 2018年1月19日 (金) 12:00 (UTC)
- 検証可能性、あるいは、信頼できる情報源などの観点からみて「紙媒体の方が望ましい」というならまだわからなくもないでしょうが(もちろんそれだって極論ではありますが)、「出典として、ネットを最優先すべき」という主張はどう考えてもむちゃでしょう。とはいえ、紙媒体の出典が提示されていると、わざわざ片っ端からウェブ媒体の出典に差し替えていくような「ネット出典至上主義者」みたいな人も散見されるので、意外と誤解してしまっている人も多いのかもしれません。地道にウィキペディアにおける出典の趣旨を周知、啓蒙するしかないのかもしれませんね…。--126.246.15.108 2018年1月19日 (金) 16:09 (UTC)
- 「短期的なアクセシビリティ」としてはネット媒体は有効だと思います。しかし、大手(というか大半の)報道機関のニュース記事は、一定期間が建てば消えてしまいます。この「一定期間」は短くて1日も持ちません。例えばNHKのニュース速報は1日経たず消えてしまいます。読売でも朝日でも2週間あれば消えます。となると、「中長期的なアクセシビリティ」として情報源を求めるのならば紙の新聞、紙の本しか手段がなくなります。新聞なら縮刷版、最悪の場合国立国会図書館をあたれば「検証可能性のある信頼できる情報源」を担保できます。わざわざ新聞を買ってまで信頼できる情報源を探しでして加筆してくれたのに、それを「アクセシビリティ」の一言でネット記事に差し替えられては、新聞をあたった人の労力が報われないでしょう。--昼落ち(会話) 2018年1月21日 (日) 00:53 (UTC)
- たとえば「紙媒体の出典も提示した方が望ましい」 https://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?diff=67017712&oldid=66975320 のような尊大な物言いをする人もいるのですが、こういう言い方について皆さんなにも思わないのでしょうか。ネットの情報だって探し出す人は色々と苦労した末に発掘し、それを出典としていることでしょう。それを「紙媒体の出典も提示した方が望ましい」と一刀両断に批判するのは無礼だと思います。だったら批判する人が自分で「紙媒体の出典」とやらを見つけてくればいいじゃないか。「紙媒体の出典」を見つけてくることもできないくせに何で尊大な物言いをする必要があるのか。要は何を言いたいかというと本だろうが新聞だろうがネットだろうが出典には変わりないのだから、自分で出典を見つけて来もしないで「紙媒体の出典も提示した方が望ましい」などと口先だけで批判する人は控えてほしいということ。批判するなら、まず自分が「紙媒体の出典」なるものを探してきてからにしてくれ。--エキセントリック皇帝ボウイ(会話) 2018年1月21日 (日) 07:29 (UTC)
- 要するに「紙媒体の出典も提示した方が望ましい」などと独自意見を主張する人は、尊大な態度を取るのではなく、もう少しやわからかく依頼すべきでしょう。仮にも依頼する方なのですよ。現在の出典で十分に記事の体裁は整っているのだが、わたしのようにネットに疎い者には理解ができないので、申し訳ないのですが「紙媒体の出典も提示」していただくことはできないでしょうか……くらいに言えばいいと思うのです。そうすれば相手側も気分を害することなく出典を探してくれるのではないでしょうか。「紙媒体の出典も提示した方が望ましい」などという独自見解を主張する人たちの個人的嗜好に合わせてほしいのならば、もう少し頼み方というものがあるでしょう。物も言いようで角が立つと言いますし。--エキセントリック皇帝ボウイ(会話) 2018年1月21日 (日) 07:34 (UTC)
- 例示された編集は、依頼などでなく出典がない記述について紙媒体の出典を見つけてきてくださってるようにしか見えないのですが。どこがどう『口先だけ』なのか分かりませんし、その方の編集に何ら問題があるようには思えません。ただ紙媒体の出典も提示した方が望ましいと要約欄に記入することのどこが尊大であるのか分かりません。ここは個人攻撃を行う場ではありません。また、「ネットに疎い者には理解ができないので申し訳ない」このような文面が必要とは全く思えません。角が立つというのであればあなたのそのような馬鹿にするような物言いのほうが、前回のコメントを含めて遥かに問題であるといえます。--Aiwokusai(会話) 2018年1月21日 (日) 07:45 (UTC)
- コメント 「『紙媒体の出典』を見つけてくることもできないくせに何で尊大な物言いをする必要があるのか。」と主張するための論拠として示された例では、実際に紙媒体の出典を示しているのですから、例として不適切。むしろ、提示された事例は、エキセントリック皇帝ボウイ氏のように、何も出典を伴った記事編集をしない(投稿記録)でただ不満を並べるより、遙かに建設的です。大体にして、紙媒体の文献資料は古くから存在し、過去の百科事典など様々な文献において出典として用いられてきた歴史があります。そういった背景を、エキセントリック皇帝ボウイ氏が知らないだけで、別に「独自見解」でも何でもないのですね。ちなみに、エキセントリック皇帝ボウイ氏の主張は、見方を変えれば「現在の出典で十分に記事の体裁は整っているのですが、わたしのようにネットしか見ない者には、新聞は長文過ぎて理解できない[1]ので、申し訳ないのですが『ネット媒体の出典も提示』していただくことはできないでしょうか。」と言い換えられます。無礼? 元々はエキセントリック皇帝ボウイ氏のコメントですよ。いくつかの単語を置き換えただけです。 --森藍亭(会話) 2018年1月21日 (日) 09:53 (UTC)
- コメント 横道にそれそうな様子ですので、ちょっと整理。本件提起者利用者:チンモミ・アハーン(会話 / 投稿記録)氏の主題は、
前提条件:ネットの方がすべてのひとがあまねく幅広く参照できる「はず」。(かぎ括弧は森藍亭による)
主張1:出典として、ネットを最優先すべき。
主張2:新聞や本は出典として不適格。
会員限定記事など「すべてのひとがあまねく幅広く参照できる」わけではない現実を踏まえれば、前提条件そのものが成立しないことは明らかですが、それはさておき、この2つ主張について、現在意見が述べられているところです。
今のところ、お一人を除いて
といった線で概ね同意いただけるのではないかなと思います。本件提起者の主張が否定されると同時に、「ネット出典至上主義」も「書籍至上主義」も勘弁と言うとこでしょうか。残る一人の方については「紙に印刷された文献だと、自分が理解できないからネット上の情報(それも長文ではないもの)でないとダメだ。」といっているだけですから、本件の主題から外れるでしょう。--森藍亭(会話) 2018年1月21日 (日) 09:53 (UTC)どちらもその媒体のみから判断して出典として適格かどうかを判断すべきものではなく、優先順位もまた同様である。情報入手難易度は、紙媒体とオンライン、どちらの情報媒体が一方的に優れているかどうかの指針には成り得ない。そもそも、紙媒体とオンライン上の情報がいずれも信頼できる情報源ならば、両方とも出典として併記すれば検証可能性の向上が見込めるのだから、記事の内容に合わせて適宜組み合わせるのがよい。ただし、オンライン上の情報は短期間で変更・削除されることも多く、短期的なアクセシビリティでは紙媒体に勝るところもあるが、長期的なアクセシビリティでは劣り、出典としての採用には注意が必要。
- コメント エキセントリック皇帝ボウイ氏の初投稿が井戸端での問題提起で、いきなり不平不満を並べ立てるのは不自然。この人は無期限ブロックされたユーザーのソックパペットと疑いますね--Akasatanah(会話) 2018年1月21日 (日) 12:11 (UTC)
- この議論での結論を身勝手に援用してネット媒体を過剰に優先する方が出現しないとも限らないので、一応念のため。杞憂かもしれないですが、若干気になる言い廻しが見受けられるので確認したく。「WP:BLPに関係する記事の執筆(加筆)が多いですので、その立場から述べさせて頂くと、「書籍(新聞、雑誌を含む)」「ネット記事(web記事)」「(本人やメンバーの)Twitter、ブログ」を、ケースバイケースに応じて出典として組み込む(まあ、バランスですかね)」と言っている方がいますが、この「バランスですかね」とはどういう意味でしょうか。出典を提示する際、それが出典として相応しい記述内容か否か、信頼性のある適切な出典か否か、といった内容そのもので出典を取捨選択すべきですよね。「バランス」に配慮して取捨選択するというのは筋違いでしょう。だいたい「バランス」が取れた状態とは、いったいどういうことを指しているのでしょうか。紙媒体の出典の数と、ネット媒体の出典の数とを、同数にすれば「バランス」が取れた、とでもいうつもりでしょうか。--126.168.4.59 2018年1月23日 (火) 14:45 (UTC)
- コメント 「この議論での結論を身勝手に援用してネット媒体を過剰に優先する方が出現しないとも限らない」って、どこをどう読めば、本件がそのような結論になったと判断できるのか、IP利用者の言い分にはちょっと首をかしげるところ。むしろ、紙媒体とオンライン、どちらかを過剰に優先する姿勢は否定されている流れなのですが。揚げ足とり、議論攪乱目的でしょうか? --森藍亭(会話) 2018年1月23日 (火) 15:20 (UTC)
- 「紙媒体とオンライン、どちらかを過剰に優先する姿勢は否定されている流れ」なのは理解できていますよ。エキセントリック皇帝ボウイさん以外のみなさんは「紙媒体とオンライン、どちらかを過剰に優先する姿勢は否定されている」というお考えには賛同してくださるでしょうし、それがこの議論の結論でいいと思いますよ。ただ、エキセントリック皇帝ボウイさん以外の方の中にもおかしなことを言ってる人がいますよね。たとえば「バランス」を取れと言ってる意見はちょっと視点が異色でしょう。こういう意見を残しておくと、あとでネット最優先至上主義者が「バランスを取るため、ネット媒体の出典を追加し、紙媒体の出典は削っておきました」みたいに「揚げ足とり」をした屁理屈を言い出しかねないと思います。ですので「杞憂かもしれないですが」一応申し上げたのです。現に「紙媒体の出典をわざわざ削除したうえで別のネット媒体の出典に差し替えて回っているようなユーザ」も出現しているわけですから。あくまで紙媒体であろうがネット媒体であろうが、媒体だけを根拠にして出典として適格かどうかを判断すべきものではなく、あくまで内容そのものをみて出典として適格かどうかを判断すべきでしょう。バランスで判断すべきという発想はちょっとわけがわからんでしょう。--126.151.50.155 2018年1月23日 (火) 17:29 (UTC)
- コメント どうやら、IP利用者さんの仰る「バランス」云々は、自分の発言を念頭に置いていると思われますので、少し補足をさせて頂こうと思います。
基本的なことは、森藍亭さんが「2018年1月21日 (日) 09:53 (UTC)」の編集にてまとめて頂いたことの通りです。「バランス」というのは、真意としては「ケースバイケース」であって、例えば、SNSやブログ(主に、芸能人関係を念頭)からの出典を、必ずしも全否定すべきではない(勿論、SNSやブログに頼り過ぎるのはよくないかなとは思いますが)というニュアンスで述べた感じです。
個人的には、どちらかといえば、紙媒体の方がより信頼性が高い場合は多いのかなと思いますが(あくまでも「私見」ですし、「どちらかといえば」程度の感じにすぎませんが)、ネット記事はネット記事で、それだからこその強み(よさ)がある(どちらがよいかということは一概に言えないということ)。
- 例えば、自分は声優記事(主として人物面ですが)を執筆させて頂くことが多いのですが、人物の執筆には、紙媒体、ネット記事(いずれも基本的にはインタビュー記事が多いですが)を総合的に取捨選択して(勿論、複数の出典を併記するケースも起こり得ます)綴りますが、「出演」の記事で出典を示す(自分の場合は基本的にあまりこの「出演」節の編集はしません。声優記事で「出演」の編集をよくなさっている別の編集者によって書かれていることが多いかなです)場合でだと、出演するテレビアニメ(あるいは映画とか)の公式サイト、あるいは各種ネット媒体(例えば、「アニメイトタイムズ」「4gamer.net」とか)、そして作品なり本人なりのTwitter(あるいはブログ)、この「ケースバイケース」の感じです。
「バランス」という表現は、自分の語彙力不足ですので、誤解を招いたかもしれずですのでお詫びさせて頂きますが、真意としては、「紙媒体、ネット媒体、SNS」、その時々に応じて「ケースバイケース」で使用する感じになる(特に芸能人関係[声優、俳優、歌手、アイドルとかを問わずして]とかの場合でだと)、それぞれの媒体について必ずしも「この方が信頼性がよいから、そうでない媒体は出典としてはふさわしくない」と決めつけるのはよいとはいえないと考えられる、といいたかったのです。
自分としては、このような感じです。では、失礼します。--愛球人(会話) 2018年1月24日 (水) 07:03 (UTC)--愛球人(会話) 2018年1月24日 (水) 07:34 (UTC)(一部を補足。)