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Wikipedia:井戸端/subj/コメント依頼の「まとめ」はコメント依頼者だけが行うものなのか?

コメント依頼の「まとめ」はコメント依頼者だけが行うものなのか?

[編集]

コメント依頼の「まとめ」は、コメント依頼者だけが行えるものであって、第三者がコメント依頼者の「まとめ」に対してコメントや補足をしてはいけないものなのでしょうか?

具体的にはWikipedia:コメント依頼/Tomo suzukiでのことなのですが、頭痛さんが行われたまとめに対して、私がコメントを加え、更にさんが第三者の立場からコメントの要約を加筆されたところ、頭痛さんが私と超さんの発言を勝手に移動してしまいました[1][2]

頭痛さんがおっしゃるには、「このコメント依頼は私のコメント依頼(私・頭痛が自分の判断材料をいただくためのコメント依頼)です。調査投票を行っているのではありませんので、私から見て論外である意見は弾くのが当たりまえです。かつ、最初に提示した判断(「解任動議を考えている」)に対して、すでに少数意見に留まったことを踏まえて判断を下しています。第三者が勝手にまとめをおこなわないでいただきたい」とのことで、超さんからの異議・差し戻しに対しても、頑として譲りません[3]

私としても、自分の発言が文脈から外れた位置に移動され、発言の趣旨が理解しづらいものになっていることが非常に不本意です。できれば発言を元の位置に戻したいと思うのですが、このような場合、みなさまはどのように考えられるのでしょうか。--Dwy会話2013年1月4日 (金) 15:07 (UTC)[返信]

誰かがまとめ的な発言をしたいなら、誰が発言しても良いんじゃないですか。コメント依頼提出者しかまとめ的な発言をしてはいけない、または、発言内容はコメント依頼提出者の指示に従わねばならない、と言うルールも慣用もないはずです・・・どこかに明記されていましたでしょうか?誰かのまとめが気に入らないからとそれを除去することは、他者の発言の改竄・除去に該当する可能性があります。気に入らないなら単に気に入らないと言えば良いだけの話でしょう。除去が適切とは思いません。ですからDwy氏も超氏も、正式に行為の停止要請を行なうか、管理者に行為停止のためのブロックを提案することが可能なケースと思います。また頭痛氏はどうも、今回のコメント依頼ページは自らの私物であるとお考えの節がある気が致します。確かに
「以上の経緯から、被依頼者に対する解任動議を考えています。その前に上記の被依頼者の問題点を周知してもらうとともに、被依頼者のこれまでの管理者としての活動や方針理解度、解任動議提出の是非に関して広くコメントを求めたいと思います。動議について否定的な意見が多いようであれば解任動議の提出は見合わせます。--頭痛(会話) 2012年11月15日 (木) 16:15 (UTC)」
と宣言なされていますが、宣言したからと言って、私物にはならないと思うんですよね。当たり前ですけど。コメントログは中立の第三者が将来的に合意の確認などの為に参照する可能性のあるものだと言うことを失念なされているのではないでしょうか。Tomo suzukiさんもそのつもりで弁解された訳ではないでしょうし、他の方も頭痛氏の私物ページにコメントをなされたと言う意識はないでしょう。本件は「みんなで考える」べき案件だったんじゃないですか。まとめ的なものも、そうでないものも、余程アレなものを除いて、あらゆるコメントを許容しましょう。ウィキペディアはそういうところであるはずです。ただし、脱線話などのノートへの移動については、先方またはコミュニティの同意またが合意があれば必ずしも禁止されるものでないことも、恐らく確かです。基本は、お話し合いと合意です。--Hman会話2013年1月4日 (金) 15:51 (UTC)[返信]
えーと、それは明確にWP:OWNに反してますね。ウィキペディアにあるすべてのコンテンツの編集は共同して行われます。何人も―どんなに熟練していて、コミュニティ内でどんなに高い地位にあろうと―ある記事を所有しているかのように振る舞う権利はありませんということであって、「すべてのコンテンツ」とは「記事、カテゴリ、テンプレート、その他を含」みます。他人にいじられずに済むのは自分の会話ページぐらいなのでは。すでに抗議されているにもかかわらず、他人のコメントを勝手に移動するのも、WP:TPO的にどうかと思います。記事のノートで「まとめ」節をどうやって編集するか、話し合うしかないのでは。--Bugandhoney会話2013年1月4日 (金) 16:01 (UTC)[返信]
例えば、議論や合意の呼びかけによるコメント依頼、あるいは井戸端やプロジェクト等において、依頼者(提案者)が「自分の意に沿わない発言だから認めない」って言ったら大半は紛糾する、というか下手したらブロックです。もちろん、明らかに論旨を理解してない人を排斥するのは必要だけれども、その議論に対して、その発言が妥当かどうか判断するのは、依頼者という個人じゃなくてコミュニティです。そして、議論の結果、すなわち「合意」「まとめ」に対して通常の形でコメントができないというのは、削除依頼やブロック依頼といった高度に位置する議論だけ、かつ依頼者にそれらを執行する権限がないのは言うまでもなく。利用者行為のコメント依頼にのみ、依頼者に議論の一切を差配できる大きな権限が与えられていると解するのはさすがに無理がある。
あと個人的に、利用者行為のコメント依頼においては、依頼者と被依頼者は公平にあるべきであり、今回のようなことを認めてしまうと、被依頼者側が著しく不利になってしまう。--EULE会話2013年1月4日 (金) 16:12 (UTC)[返信]
頭痛さんの見解には同意できません。一般の記事と同様、コメント依頼も発議者の従属物ではないはずです。そもそも広く第三者の意見を聞くのが趣旨であるはずのコメント依頼で「私から見て論外である意見は弾く」は論外でしょう。依頼者の「まとめ」をみて、「なんだこれ、みんなのコメントを全然理解してないじゃん」ということは当然ありえます。それに対して異議を表明できないのは不合理です。私も、とあるコメント依頼で、依頼者の「まとめ」のあとに「正しいまとめ」という節を作って加筆したことがありました。今後も必要を感じればそうする所存です。--Kojidoi会話2013年1月4日 (金) 16:31 (UTC)[返信]
私の編集が批判を呼んでいるようで残念ですが、Wikipedia:コメント依頼/サンプルの書き方を見る限りでは、利用者に対するコメント依頼の「まとめ」はやはり依頼者が結論を述べ・終了宣言を行うための場として想定されているように思われます。・・・と思ったのですが、今サンプルページの履歴を見たら「終了宣言」は管理者が行うことを想定していたようですね。[4]。本文のこの書き方じゃ分からないと思うんですが・・・、現在の慣習としてはどうなっているんでしょうか。
Wikipedia:コメント依頼/Tomo suzukiについてですが、時間が経っていたこともあり私の「まとめ」が議論の総括としてはかなり適当であったことは否めませんが、コメント欄もさほど長大化しているわけではなく、もとのコメントは「まとめ」のすぐ上のコメント欄を一望できるのですから、いただいたコメントすべてに触れたりする必要があるとは思えませんでした。要はどちらかといえばコメントをまとめるというより終了宣言をするために書いた「まとめ」ということです。超さんがまとめてくださった内容はその点、コメントすべてを中立的な立場から並べられており、超さんも中立的に書いたことに自信があったのだと思いますが、しかし経緯を確認しながら何行にもわたって書かれた詳細なコメントと、2行程度で私から見れば理由も理屈も付けられずおざなりに付けられたようにしか見えないコメントを同じものとしてそれぞれ1行で箇条書きにしてカウントする、というのは私から見れば「まとめ」ではなくて「統計」です。しかし「まとめ」のまとめ方をめぐって「まとめ」で議論する、などというのは不毛としか思われなかったのでノートに移させていただきました。コメント欄からリンクをたどることができますし、誰も気づかないようなところに移動したわけではありません。
利用者のコメント依頼は多くの場合、利用者間での意見の食い違いなど、特定の問題の解決のために出されるものだと思います。「コメント欄」だけでなく「まとめ」まで多人数で書き込む欄にしてしまってはそれこそまとまるものもまとまらないという事態が多発するでしょう。「まとめ」欄は依頼者が基本的に書くものと考え、「まとめ」に疑問があるのであればノートなどを利用する、という形にしておくのがよいと思います。コメント依頼の依頼者側に問題があり、寄せられていたコメントを十分理解できずにそれがまたトラブルのもととなるのであればそれはまた新たなコメント依頼を出して解決をはかるべきで、特定のコメント依頼を係争の場にすべきではありません。--頭痛会話2013年1月4日 (金) 22:49 (UTC)[返信]
他者のコメントをあなたがあれこれ品評して、これはボツだから裁量で消して、これは採用だから残しておく、と言うのは、不適切でしょう。何はともあれ、他者発言の除去・改竄はそれが適切であるとコミュニティが認めるか、それが強く推察されるべき時のみである筈で、また今回のあなたの行為はそれに該当していません。ここまではおわかりですよね?
記事空間でしたら当然、記述の吟味も必要に成りますが、今回、場所はコメント依頼なのですから。そう簡単にコメント権・発言権を奪ってはいけません。そのコメントが気に入らないなら、下に「気に入らない」なり「目障りです」なりと書いて置いて下さい。余程汚い言葉を使わなければ、第三者がそれを除去や移動することは、ありません。あなたにも超さんと同程度のコメント権・発言権があるのですから。--Hman会話2013年1月4日 (金) 23:17 (UTC)[返信]
入れ違いになりましたが、今回の件ではここでのコメントを参考に節をはっきり分けた上でまとめを二つ置く、という形にさせていただきました。
前述までの編集は「まとめ」を議論の場にしてしまうことを避けるためのものであった点を理解していただければと思います。発言の移動と除去は同一ではありません。--頭痛会話2013年1月4日 (金) 23:28 (UTC)[返信]
入れ違いの件はサーバーの挙動の問題の様で(?)、そちらの会話ページにてご連絡申し上げました。しかし、当たり前ですが「除去したんじゃなくて他の場所に移動したんだからセーフ!」ではもちろんありませんので、今後はくれぐれもご自重願います(もちろん会話ページで初心者さんがTOPICを一番上に追加してしまったものを末尾に移動するが如きは全く問題は無いでしょうし、投稿場所をあきらかに間違っていたなども考慮されるべきケースかもしれません。しかし今回、超さんはページ本体での発言をお望みなのであり、誰の同意も得られない中これを頭痛さん独自の判断でノートに移動させることは、許されることではないでしょう)。他者の発言は、あなたの発言と同程度には、重いのです。どうか、他の方を尊重して下さい。--Hman会話2013年1月4日 (金) 23:41 (UTC)[返信]
ですから、「まとめ」を議論の場にしてしまうことを避けるなどということは、相手に提案して了解を得てから行ってください。了解も得ずに勝手に移動し、その結果その相手からコメントの移動に関してはっきりとした不満が表明されているわけであって、そんな状態の他人のコメントの編集が認められるわけがないでしょ。WP:TPOをよく読んでください。--Bugandhoney会話2013年1月5日 (土) 00:44 (UTC)[返信]
「まとめ」は「まとめ」であって「まとめについて討議する場所」ではありません。WP:TPOはノートページのガイドラインです。--頭痛会話2013年1月5日 (土) 01:00 (UTC)[返信]
今後もまとめについて議論していると頭痛さんが判断したコメントは相手の了解を得ずに勝手に移動させるということですか?超さんのコメントはなぜ戻したのですか?--Bugandhoney会話2013年1月5日 (土) 01:15 (UTC)[返信]
節を分離してまとめを並列すれば議論にはならない、ということにこちらのコメントを読んでいて気がついたのでそのようにして戻したのです。一文目は質問の意図がよくわかりませんが、「まとめについて議論していると」というのはどこでどのように議論している場合ですか。コメント依頼に限らず、依頼の場で依頼の趣旨からはずれているコメントを勝手にノートに移すというのは私はしばしば行います。--頭痛会話2013年1月5日 (土) 01:30 (UTC)[返信]
超さんのコメントに関しては了解です。一点目は、そういう一般論でもいいです。依頼の場で依頼の趣旨から外れているなり、何らかの節でその節の趣旨から外れていると頭痛さんが判断した他人のコメントということでいいです。Dwyさんのコメントの移動に関しては、Dwyさんはこのページで自分の発言が文脈から外れた位置に移動され、発言の趣旨が理解しづらいものになっていることが非常に不本意だと異議を唱えてますよね。要するに、頭痛さんの判断に反して、Dwyさんは自分のコメントは「まとめ」節にあるべきだと考えているということです。このようにコメントのあるべき場所に関して他の人は頭痛さんとは違う判断をする場合は当然ありますよね。実際、このページでは、第三者が勝手にまとめをおこなわないでいただきたいという頭痛さんの考えに反して、第三者が「まとめ」節でコメントするのは別に構わない、という意見が多いですよね。今までは他人のコメントを移動しても問題にならなかったということなのかもしれませんが、こういうふうにはっきりと異議を訴えられた場合、今後はどういうふうに対処するつもりなのか知りたいです。--Bugandhoney会話2013年1月5日 (土) 02:05 (UTC)[返信]
最初に書いたように利用者コメント依頼の「まとめ」については多少誤解もあったのですが、複数の人間が思い思いに書くべきではないという意見は変わりません。意見の対立を調停するのに使われる場でコメントの場所を増やすのは混乱のもとです。
Dwyさんのコメントについては「まとめ」節にあるべきだとは考えません。コメント欄に移す際にも「まとめ」に付けられたものであることがはっきりわかるように注記を添えた上で行いました。別に趣旨がわかりづらくなっているとは思えません。従ってこの点で別の対応を行うつもりはありません。
依頼の場で今後(勝手に)コメントを移動するかどうか、ということについては当たり前ですが状況によります。仮に今Wikipedia:コメント依頼/Tomo suzukiの「まとめ(頭痛)」のところにあなたがコメントを行ったとすれば、了解をとらず勝手にコメント欄への移動を行うでしょう。--頭痛会話2013年1月5日 (土) 02:24 (UTC)[返信]
(追記)まあ上のコメント依頼については、実質的に依頼者からの結語にすぎないものを「まとめ」として出してしまったことにそもそも問題があったと思われるので、今後同様のケースがあれば「まとめ」ではなく「コメントを受けての依頼者からのコメント」とかそういった無難な見出しにして終了を宣言する、というような形にするかもしれません。忘れていなければですが。--頭痛会話2013年1月5日 (土) 02:36 (UTC)[返信]
コメントを勝手に移動させたせいでいざこざになっていて、なおかつ、何人かの人からコメントの移動は慎重にせよ、といわれている状態で、「まとめ(頭痛)」のところにあなたがコメントを行ったとすれば、了解をとらず勝手にコメント欄への移動を行うというのであれば、とても共同作業を行おうとする姿勢には私には見えないですね。--Bugandhoney会話2013年1月5日 (土) 19:48 (UTC)[返信]
ここまでの話を見ていましたが、とりあえず異議が出ている時点で、その「まとめ」は総括として不適切であり「まとめ」とは言えないでしょうね。勿論、恣意的に依頼者に有利なようにコメントを移動させることも不適切。異議が出た時には、全体を見直し改めて総括を試みることが求められるのであって、頭痛氏のとった「対立する意見は移動・排除」という手段は、悪手もいいところです。頭痛氏がご自分お考えを通すのは勝手ですが、それが周囲からどう評価されるかお考えになった方がよろしいかと思います。--森藍亭会話2013年1月5日 (土) 11:22 (UTC)[返信]
頭痛氏は差し戻しをやめてください。何故Dwy氏のご意見を、超氏のご意見を聞くにも及ばず(なんでしたらついでに私も)、差し戻しこそが、自身の主張する版こそがベストだと即断なされ即座に差し戻されたのですか。記事空間でもなし、差し戻しが半日遅れたからなんだと言うのですか。人の意見を聞きましょう。何度でも申し上げますが、他者のコメントやご意見はあなたのコメントと同程度には重要なものであり、尊重すべきものです。頭痛氏のコメントやご意見も他者の同程度には重要なものであり、尊重すべきものですが、それ以上のものではありません。
具体的には、頭痛氏の「勝手な」整形に異議が出たのであれば、「本来の時系列の」自然な版に戻すことは真剣に検討されるべきでしょう。少なくとも即座に差し戻す様なものじゃない。--Hman会話2013年1月5日 (土) 11:45 (UTC)[返信]
「差し戻しが半日遅れたからなんだ」というならそちらの版でも同じことが言えます。いまは「人の意見」を聞いている最中ではないのでしょうか。直前のBugandhoneyさんへのコメントで「まとめを議論の場にすること」に対して私が納得していないことは明確であったにも関わらず、なぜ中途半端なところで打ち切って編集を強行したのでしょうか。議論はどこにいったのですか。--頭痛会話2013年1月5日 (土) 11:53 (UTC)[返信]
えーと・・・それが故に、自身が1分、2分で反射的に差し戻したのは正当な行為である、と、そう主張なさられるのですか・・・?--Hman会話2013年1月5日 (土) 11:57 (UTC)[返信]
議論はもうやめるのですか? --頭痛会話2013年1月5日 (土) 12:01 (UTC)[返信]
  • 報告 当然ご存じでない方もいらっしゃるでしょうから、今夜ここまでの事態の顛末を少々説明させて頂きます。その後Dwyさんにより、頭痛氏の勝手なコメント順の入れ替えに異議を唱えるかたちで編集が行なわれました。頭痛氏はわずか2分でこれを差し戻され、Dwyさんは10分後に更に差し戻されましたが、頭痛氏は今度はわずか1分でこれを差し戻されています[5]。実はこの間私は頭痛氏に「短慮な差し戻しはやめる様に」メッセージをタイプしていたのですが、その間に2往復です。ここ数日の頭痛氏の現行を勘案し、私は編集合戦の停止と氏に数日のクールダウン期間を設ける意味で、もしくは説得を試みる時間を確保するため、投稿ブロックが必要と判断し、管理者伝言板でブロックの提案を行ないました。本件に対応なされたKs aka 98さんの裁定は「コメント依頼を保護、まとめはどういうかたちで行くのが良いか話し合ってくれ」(多分この井戸端で)でした[6]。以上、ご報告まで。なお、Ks aka 98さんも言及なさられていますが、投稿ブロック依頼は必要であれば、おおよそ誰が提出なさられても問題はありませんし、先行議論を行なうことにも特に制限は無いと思います。以上、ご報告まで。--Hman会話2013年1月5日 (土) 11:55 (UTC)[返信]

ウィキペディアの議論において、他人の発言を勝手に改ざんすることは「荒らし」とみなされています。ここでいう「改ざん」には、発言を文脈から切り離して別の場所に移動することも含まれます。だからこそ、Hmanさんも上で「ブロックを提案することが可能なケース」とおしゃっているのだと思います。頭痛さんが行った私の発言の移動について、私ははっきり「不本意」だと言っています。発言者本人が明確に異議を述べているにもかかわらず、発言を元の場所から移動することを繰り返すのは、明らかに「荒らし」だと言わざるを得ません。こんなことは基本中の基本で、改めて議論する必要もないものと思っていました。そうではないのでしょうか?改めてコミュニティの皆さんの確認を求めます。--Dwy会話2013年1月5日 (土) 12:12 (UTC)[返信]

文脈がたどれるように注記をしていると言いました。「理解しづらい」ものになっているとは思えません。私は移動の意図を何度も説明していますが、それに対して反論するでもなく、支持を集めて「荒らし」認定しようとするのは議論の態度ではありません。「どういうかたちでまとめるのがいいか」議論する気はないのですか? 既に過度なトラブルと化していることもあり、私のほうは意見の摺り合わせや妥協の準備をしているのですが。頭痛会話2013年1月5日 (土) 12:20 (UTC)[返信]
Dwyさんのご発言の趣旨に賛同します。勝手に移動されて非常に不本意だと仰る方がいらっしゃり、また、必ずしも必要でない移動なのですから、本来の時系列に則った版を安定版としましょう。発言の除去[7](2013年1月5日 (土) 10:02 (UTC) 分)まで行なわれているのですから是非もありません。--Hman会話2013年1月5日 (土) 12:24 (UTC)[返信]
えーと、これは改竄とは違うと思いますよ。「移動」であって、その適切さや妥当性を問うてください。
  • その移動の、頭痛さんにとっての根拠のひとつであった「依頼者であること」は、EULEさん、Kojidoiさんからも指摘があり、本人も気付かれているように、根拠足りえません。依頼者によるまとめでもよいですが、少なくとも依頼者が客観的にまとめたものを「まとめ」とするのであって、依頼者の主観による「まとめ」は不適切です。個人的には、頭痛(会話) 2013年1月2日 (水) 08:13 (UTC)は、依頼者からの結語になってしまっているとしても、ひどく偏ったまとめとも思いませんが、それでは十分ではないと考えた第三者である超さんのまとめを排除するべきではありませんでした。
  • 超さんのように、まとめの修正や補足をするのならば、依頼ページに直接書き込めばいい。Dwyさんのように、まとめについての批判をし議論をするのなら、最初からノートでやるのがよかったんじゃないでしょうか。普通ノートページはそのように使われますし、削除依頼やブロック依頼でも、議論が始まればノートに移動されることはあります。少なくともDwyさんの書き込みをノートに転記し、そこで議論・対話を行なうことは否定されるべきではないです。
  • 「まとめはどういうかたちで行くのが良いか話し合ってくれ」というのは、頭痛さんのまとめと超さんのまとめの併記で問題があるとするなら、さらに修正するか補足するか、というようなことを「話し合ってくれ」です。
  • 編集合戦になっていた編集について、まとめ方についての議論を、コメント依頼に対するコメントやまとめと別の場所に置くこと自体は問題にはなりません。まとめについて議論しているものは、誰でも移動して構わない。コメント依頼全体の見通しをよくするためには、むしろ推奨されることです。移動の際に、勝手な順序の入れ替えや誘導的なコメントの選択がある場合は、問題視されるでしょう。保護の対処者という立場を離れて意見ができるなら、安定版は、超さんのまとめを併記した上で、まとめについての議論を依頼ページに含めないもののほうが好ましいと思います。
  • ただし、ここでの議論の推移を含めて考えるなら、頭痛さんのrvは、拙速であったと思います。「言った」だけでは、合意ではない。納得してもらった上で編集する、よほど重要なものでなければ、いったんは相手の編集を受け入れるというようなことも、考えてみてください。--Ks aka 98会話2013年1月5日 (土) 17:25 (UTC)[返信]
今問題になっているのは、コメントの移動の適切さや妥当性もさることながら、そのやり方ではないでしょうか。「まとめ」欄の内容が中立的でなかったり独善的である、ということよりも、「まとめ」欄の編集の仕方が独善的なことが問題を大きくしていると思います。「(頭痛)」と付ければ、その欄がその人の持ち物になるわけではないです。編集の内容ではなく、編集の仕方が問題を生じさせているのだから、ページの保護ではなく編集者の投稿ブロックで対応すべきです。
Dwyさんのコメントは「まとめ」欄が中立的ではないという異議申し立てなので、その直後にないと意味を成さなくなります。「まとめ」欄をすっきりさせることよりも、読んだ人が事態の経緯と「まとめ」欄の内容に関して何が論点になっているのか、容易に理解できるように時系列で並べるのが最適だと思います。--Bugandhoney会話2013年1月5日 (土) 19:48 (UTC)[返信]
(追記)一般論として、コメントの移動が必要な場合はあるでしょうけど、それは誰の目にもそれが適切だと思われる場合に限られるのでは。今回のように、コメントを移動された当人がコメントを移動しないでほしいと訴えていて、それ以外にも何人もの編集者がこのようなコメントの移動は適切ではないと主張しているような状態でのコメントの移動が妥当なはずがないでしょう。--Bugandhoney会話2013年1月6日 (日) 07:21 (UTC)[返信]
Wikipedia:荒らしでは、署名された他のユーザーのコメントを、その意味を変えるように編集することを「荒らし」としています。
問題になっている私のコメントで、私は「『まとめ』であれば両論併記すべきだろうと思うので、一応コメントしておきます」と言っています。私の意図としては、頭痛さんの「まとめ」と私の「コメント」が「両論併記」されていることが重要であり、「コメント」だけがあさっての方向に飛ばされてしまっては、私の発言の意味がちゃんと伝わらなくなってしまいます。私からすれば、頭痛さんの編集は、どう考えても「荒らし」です。
また、仮に「まとめ方についての議論を、コメント依頼に対するコメントやまとめと別の場所に置くこと自体は問題にはなりません」ということなら、議論の起点となった頭痛さんの「まとめ」から根こそぎ移動すべきでしょう。議論の途中から移動してしまっては、そこだけ読む人に話の意味が理解してもらえません。また、自分の「まとめ」だけそのまま残すというのは、誰が見ても恣意的・独善的で不適切だと思います。--Dwy会話2013年1月6日 (日) 02:17 (UTC)[返信]


別に自分のリバートに正当性があると思っているわけではないが、自分で始めた議論を突然ぶち切って議論になっている当の編集をはじめる、ということに正当性があるとも思えない。どのような状況でどのような種類の記述をどのような形で移したか、という具体的内容をろくに問わずに「他者の記述を勝手にいじった。本人も不本意だと言っている。荒らし行為だ。」と人権でも侵害されたかのように色めきだつというのはさすがにおかしいだろう。Bugandhoney氏は何がなんでも所有の問題にしたいようだが、こちらは「コメント依頼のまとめ欄の使い方」という観点を提示しているのに、本来次元の違う「コメント欄を所有物であるかのようにふるまっている」という観点で問題のすべてを塗りつぶすのだろうか。「共同作業」というのは異なる人間が異なる立場から作業をしたり意見を言ったりすることだと思っていたが、一方の認識を押し付けることが貴方の言う「共同作業」か。

先述したようにこちらにも「まとめ」の性質について誤解があったのは確かだが、このサンプルページの書き方を見れば大半のものは「「まとめ」は依頼者がコメントを受けての自分の見解と今後の展望を書いて、自分の行った依頼に鳧をつけるもの」と考えるのではないか。皆当然のように「まとめは誰が書いてもよかった」と言っているが、実際は「はっきり決められていたわけではなく、今までその場その場でなんとなく使われていた」というのが本当のところではないのか。「誰でも書いていいことになっていた」と「特に決まってなかった」は全然ちがう。上のサンプルページで「経緯」「被依頼者のコメント」「第三者のコメント」がそれぞれ分けられているのも、依頼に対して立場の違う利用者が思い思いの場所に書き込んで混乱しないようにするためであるはずだ。「「まとめ」を多人数で書き込むようにして議論の場とすべきでない」という私の意見がおかしいとは思えないし、その観点から「まとめ」に付けられた異論をまとめに付けられたものとわかるようにしてもともと議論の場としてはっきり設定されているコメント欄に移動する、という私の編集もおかしいとは思えない。

Hman氏は「記述の移動に同意をとっていない」というが、私は「まとめ」を議論可能な場とすることに同意していない。議論に関わらず同意の次元に違いがあるから編集合戦が起こるのだし、だからそれを保護する際に管理者は保護の版を選ばないことになっているのではないのか。「どれが同意されている版か」客観的に簡単に決めることができるならそんな決まりはいらないはずだろう。「基本は話し合いと合意」であるというが、その「合意」のレベルを一方的に設定しておいて、それに不服を表明するとブロックに追い立てられるというのであれば随分都合のいい「話し合いと合意」だ。私は「話合いと合意」は異なる見解をすり合わせることだと考えており、無論すりあわせかたによっては一方の主張が完全に否定されることもあるだろうが、その場合にもそれなりのプロセスを踏むはずだ。「記述を下から上に移動する際に「移動していいでしょうか」とお伺いをたてる。それができなければブロック」ここでは「話し合いと合意」はそのように解釈されるのか?

私が「改竄した」と言われている問題のDwy氏によるコメント[8]だが、そもそもいったいこれのどこが「両論併記」なのか? 「ご本人が苦しんでいるからプライバシー侵害だというような、単純なものではありません。ご本人の「プライバシーの権利」だけでなく、Wikipediaの「表現の自由」や読者の「知る権利」も考慮する必要があります」 。一wikiサイトに過ぎないウィキペディアがいったいどうやって個々人の「表現の自由」や「知る権利」を侵害できるのか、適当なことを言っているとしか思えないが、それよりそもそも「表現の自由」や「知る権利」といった論点はDwy氏自身をはじめとしてコメントの場で誰も提示していないじゃないか。「両論併記」と中立性を装いながら、実際にやっていることはコメントの場で誰も述べていない論点を急にもちだして、その自分の新たな意見を「まとめ」と称して併記しているのだ。私から見れば私のまとめを実際以上に偏ったものにみせるするための詐術以外の何物でもない。その上で「本件についてこれ以上の議論をしようとは思いません」と書いて後は我関せずとして、私がそれに対して異見をつけても一切反応しないが記述の移動だけは許さない。これでは「両論併記」という中立性を装っていちゃもんをつけようとしているだけだ。議論の態度ではない。「まとめ」に問題があるなら「まとめ」を正常化することを考えるべきで、そのための議論はコメント欄だろうがノートだろうがどこでもできる。にも関わらずこの場でも「自分のコメントがまとめ欄にあること」のみに固執するというのは、実際のところまとめの正常化などどうでもよく自分のいちゃもんを少しでも目に付くところにおきたいばかりの行動であるとしか思えない。従って仮に「まとめに自分のコメントがついた」版に差し戻して安定版とした場合、それ以上の「まとめ」のあり方について議論が進むとは思えない。「不本意です。ここでも大勢の利用者が移動すべきではなかったといっています」で終わっていただろう。自分ではろくに議論に参加せずに、人を集めて同意意見多数であることを持って議論の代わりとし、管理者の一人がブロックも可という意見をつけたことを持ってそれを理由に議論を打ち切ってブロックの議論をはじめる。もう一度言うがそんなのは議論の態度ではない。そういう振る舞いにははっきり「汚い」と言わせてもらう。

Wikipedia:コメント依頼/Tomo suzukiについては、もともと私が「まとめ」の性質を誤解しておざなりなまとめを書いたことが問題の端緒となってるのだから(書いている間に先にDwy氏に書かれたが)私のまとめとそれに付けられたコメントをそのままの形でノートに移した上で、氏によるまとめのみ残し、そのまとめに「まとめ」について議論があったことを簡単に付け加えてノートおよびこの井戸端の議論へのリンクを貼っておく、という形にしておくのがよいと思う。私のまとめは被依頼者に念をおすためのものだし、当人はすでに読んでいるだろうから文章としての目的は果たしている。ノートにはすでに書き込みがあるので、ノート移動ではなく除去にしてまとめでは過去の版へのリンクを示す、という形でもよい。その部分の加筆は依頼できるのであれば超氏に依頼したい。--頭痛会話2013年1月6日 (日) 04:04 (UTC)[返信]

Dwy氏がある箇所にあるコメントを行ないたいのであれば、あなたにはそれを拒む術はありません(余程誰が見ても不適切でない限り。・・・つまりあなたではなく、コミュニティの合意でそれを拒むことはあり得ます)。あなたが独自の持論をもって彼の挿入場所を強制的に移動させてはいけない。挿入箇所により意味合いが異なる場合もあります。Dwy氏がコメントを行なうことに、あなたの同意なんて必要ないんですよ。いい加減、他人の行動をコントロールしようとすることと、ページの私物化はやめましょうよ、ほんと・・・。Dwy氏よりあなたが偉いと言うこともなければ、超氏よりあなたが偉いと言うことも無いんです。彼らはあなたの好みと命令に従う義務はない。Dwy氏のversionで特に困ることはありません。頭痛氏の好みだけの問題です。コメント依頼の形式ってそんなに誰かの形式がどうこうとかあれの形状が順番がってこだわって、コメントの場所をころころ移動させて良いものでしたか?そんなことをやっているのはあなただけですよ。いい加減にしてください。まずは通常版を安定版とすることを前提に、編集強行をやめることです。--Hman会話2013年1月6日 (日) 06:10 (UTC)[返信]

二つ上の頭痛さんのコメントに対して、いくつかコメントさせていただきます。

>自分で始めた議論を突然ぶち切って議論になっている当の編集をはじめる、ということに正当性があるとも思えない。

私は頭痛さんの編集が荒らし行為だと思っているので、荒らしに対する対応をさせていただきました。荒らしだという私の判断の当否については、上でコミュニティの皆さんの確認を求めていますので、皆さんのコメントを待ちたいと思います。私としては、私なりに手順を踏みコミュニティの意見も聞きながら判断したものですから、少なくとも「安易に荒らしと呼んだ」わけではないと思っています。(もうひと手間かけるべきだったという批判があるかもしれませんが、こちらも無限に手間と時間をかけられるわけではないので、あれ以上のことは現実的に困難だったと思います)

>一wikiサイトに過ぎないウィキペディアがいったいどうやって個々人の「表現の自由」や「知る権利」を侵害できるのか、適当なことを言っているとしか思えない

例えば、トロン(ハッカー)の遺族がウィキペディアの記事におけるトロンの本名記載に関連した訴訟を起こした時、財団(ドイツ支部)は「出版の自由は擁護されなければならない」と主張し、結局訴訟は財団側の勝訴に終わりました[9][10]。「表現の自由」や「知る権利」も考慮する必要があるというのは、そういうことを念頭に置いた発言でした。

>コメントの場で誰も述べていない論点を急にもちだして、その自分の新たな意見を「まとめ」と称して併記しているのだ.

これは頭痛さんのおっしゃるとおり。でも、だからといって、いきなり他人の発言に勝手に手を出して良い理由にはなりません。他人の意見に異論があるなら、異論を自分の意見として表明すれば良いことです。そういう順当な議論が行われていれば、おそらく、私の方も発言の一部を撤回(余計な新論点を取消線で消すことにより)していたことでしょう。

>実際のところまとめの正常化などどうでもよく自分のいちゃもんを少しでも目に付くところにおきたいばかりの行動であるとしか思えない。

自分の方が「正常」で、相手側は「いちゃもん」ですか?私の方から見ると、私のほうが「正常」で、頭痛さんが「わがまま」です。こういう場合、「いちゃもん!」「わがまま!」と言い合っていては喧嘩になるだけですよ。前にも言いましたが[11]、今後はWikipedia:エチケット#ウィキペディアにおけるエチケットの原則の「主張を個人的な見解として表現してください」のあたりを考慮していただけると、ありがたいです。

>私のまとめとそれに付けられたコメントをそのままの形でノートに移した上で、超氏によるまとめのみ残し、そのまとめに「まとめ」について議論があったことを簡単に付け加えてノートおよびこの井戸端の議論へのリンクを貼っておく、という形にしておくのがよいと思う。

そのようにしていただいて結構です。--Dwy会話2013年1月6日 (日) 06:52 (UTC)[返信]

(頭痛さんへ)そうです。私は頭痛さんがコメント欄を所有物であるかのようにふるまっている点をもっとも問題視しています。それから、私はあなたに私の認識を押し付けてないです。だって件のコメント依頼には今のところ一切手を触れてませんので。一方で、あなたはコメントの移動やリバートという手段を用いて、自分が考える、あるべき「まとめ」欄の形を他の人に押し付けてるんでしょ。そこんところが違うと思いますよ。--Bugandhoney会話2013年1月6日 (日) 07:21 (UTC)[返信]

こちらは論点の提示を事実上無視されたことを問題にしているのに「いっさい手を触れていない」ことを持って「押し付けていない」ことになるのかね。議論が編集につながっている場所で無邪気な考えもあったものだ。「まとめ」に問題があるのであれば問題を検討して問題がなくなるまで議論すればいい、その議論場所はどこだったいいはずだ、ということを言っているのになんで「あるべきまとめを押しつけている」ことになるんだ? 文章をちゃんと読めてるのだろうか。--頭痛会話2013年1月6日 (日) 07:35 (UTC)[返信]

コメント 第三者としてもうコメントしない予定でしたが、現段階で、コメント依頼はもうされていない(終了した)はずのWikipedia:コメント依頼/Tomo suzukiが、編集保護になっているという不自然な状況、また、まとめ前の時系列がばらばらで読みにくいものとなっていますので、素人ながらコメントさせていただきます。Wikipedia:コメント依頼/サンプルによりますと、確かにまとめ部分は、依頼者がするのが通常のようにも読めますが、そのあとに、「(終了宣言)議論が終結(または)最後のコメントから1か月経過 しているため、今回のコメント依頼は終了とします。」とあります(依頼者か、第三者による)。つまり、まとめ部分にさえ、そのまとめ如何によっては、新たな議論の元になる可能性があることを、サンプルとしても想定していたものと考えられます。つまり、まとめに対して、反論したい(まとめ前には想定できなかった議論)ということはありうるということですね(つまり、移動行為前の状態に戻されては)?皆様にとっては常識だったかもしれませんが、一刻も早い解決に役立てば幸いです。--Muzmuz会話2013年1月6日 (日) 09:15 (UTC)[返信]

まとめのコメントと終了宣言との間に時間差がある、ということはそのサンプルの書き方からはわかりません。--頭痛会話2013年1月6日 (日) 09:26 (UTC)[返信]
なるほど。ただ、コロンで段落が深くなっていたのと二つ著名があったので、別の方が時差をもってする可能性もあるのかと読めました。今回のコメント依頼では、頭痛様の途中で行うコメントの仕方に対し、反対意見もございましたね(超様の 2012年11月17日 (土) 18:23 (UTC) のご意見)?サンプルがもう少しわかりやすくても良い気がしました(「まとめ」より「終了提案」など)。失礼しました。--Muzmuz会話2013年1月6日 (日) 09:43 (UTC)[返信]
真ん中の文が何を言っているのかわからないが、反論をするなと言いたいのでしょうか?--頭痛会話2013年1月6日 (日) 09:50 (UTC)[返信]
発言場所がどこなのか明確に決まっているといいですね、ということです。そうであれば、少なくとも無駄な話(コメントを求められていた趣旨とは無関係な)が防げたわけですから。--Muzmuz会話2013年1月6日 (日) 09:57 (UTC)[返信]

その後下の節の議論で、超さんにより私(頭痛)がまとめの追加文を書くことを希望する旨が表明されましたので、まだ下の議論が続いているのかもしれませんがとりあえずWikipedia‐ノート:コメント依頼/Tomo suzukiにその文案と編集手順を提示しました。各位ご確認をお願いします。確認期間は3日を予定していますが、もっと延ばせというご意見がありましたらその点の表明もお願いします。--頭痛会話2013年1月11日 (金) 09:36 (UTC)[返信]

後回しになっていましたが、ついでに上記のDwy氏のコメントについてコメントしておきます。財団が出版の自由を主張して争ったというケースですが、これは書かれているとおり裁判所という公権力の決定に対して財団がその権利を主張したというものでしょう。私は「ウィキペディアがいったいどうやって個々人の「表現の自由」や「知る権利」を侵害できるのか」と言っているのです。表現の自由のような権利は一般的に国家などの公権力やそれに類似する権力を持つものから侵害されないものとして認められている国民の権利であって、個人間とか個人対私企業のような場合には、少なくともそのままの形ではまず適用されないものです(作家志望の青年が「表現の自由」を主張して文芸誌に自作の掲載を主張する、などということが認められたらどうなるでしょうか)。ウィキペディアがウィキペディア内で自発的に作られた方針に基づいて特定の情報の書き込みを制限したとして、それがどうして個々人の「表現の自由」や「知る権利」を侵害しうるのですか。

ウィキペディアのいくつかの方針で法律が関わってくるものは、おもにプライバシー、名誉毀損、著作権などに関連する事項でしょうが、方針やガイドラインがこれらに気をつけよということを言っているのは、個人の権利をウィキペディアが侵害することによってウィキペディアに対する訴訟が起こり、コミュニティ自体のリスクとなるからであるはずです。Wikipedia:存命人物の伝記もそのような方針の一つです。そのような方針を運用するにあたって、どこに個々人の「表現の自由」や「知る権利」を侵害する要素があり、それが訴訟となってコミュニティを脅かすというようなリスクとなりうるのでしょうか。やはり私には「適当なことを言っている」ようにしか見えません。

「いちゃもん」が云々というところですが、いちゃもんというのは要するに「単にそのコメントをつけることが目的と化していて、議論しようという流れにはなっていなかった」という意味で言っています。下の議論でも「クレームをおいてはまずいのか」という発言がありますが、我々の間では「まとめ欄をまとめのための意見表明や議論のために使うかどうか」という点で合意は確認されていません。いまでこそまとめについて議論するという流れになっていますが、私が移動したり差し戻しをしたりしていた段階では、「まとめ」欄が複数人の書き込みでごちゃごちゃしたままにされる、という可能性が十分にありました。法律に関する上の点の疑念なども考え合わせると、別に編集合戦を正当化するつもりはありませんが、そのようなことにならなくてよかったとは思っています。--頭痛会話2013年1月11日 (金) 09:56 (UTC)[返信]

すべてのコメントに反応する余裕はないのですが、一応こちらにはコメントを返しておきます。
私は「Wikipediaの『表現の自由』や読者の『知る権利』も考慮する必要があります」と言っただけで、Wikipediaが「表現の自由」や「知る権利」を侵害すると言いだしたのは頭痛さんです。私が言ってもいないことを無茶振りしないでください。というか、頭痛さんの目には「プライバシーの権利」vs「表現の自由」の対立の構図が全く見えていないようですね。これって、プライバシーの権利を語る際には外せない基本的なポイントだと思うのですが…
「いちゃもん」云々について。おっしゃるとおり「単にそのコメントをつけることが目的」です。それで、何の問題がありますか?自分はとんでもなく一方的な発言をしておいて、他人からはコメントをつけられたくないというのは、誰が見てもわがままだと思いますよ。
それから、もうひとつ。頭痛さんは「まとめ」欄が複数人の書き込みごちゃごちゃしたままにされることを、さも悪いことのように言いますが、一体どんな問題があるでしょう?そりゃ、もちろんスパッと一発でまとまっていた方が格好は良いでしょうが、最初にまとめようとした人の「まとめ」に問題があれば、誰でも気が済むまで追加・補足すれば良いでしょう?それを禁じる理由がどこにありますか?だいたい、「まとめ」欄がごちゃごちゃしたのは、最初の「まとめ」がスパッとまとまっていなかったからで、責めるなら自分を責めるべきでしょう。--Dwy会話2013年1月12日 (土) 19:49 (UTC)[返信]
訴訟という現実的で具体的なリスクのかたちを取るのでないのであればWikipedia:存命人物の伝記を運用する際に「表現の自由」や「知る権利」を我々が現実問題として考慮する必要はないんですよ。いまこのように方針や法律について公開の場で自由に語っていること自体が我々に保証されている「表現の自由」や「知る権利」です。今回のケースで言えば、プライバシーを根拠とする項目本人からの要請といういわば外部の圧力があったために、特定の個人情報の書き込みをやめるという形で「WPに保証されている表現の自由」に一定の制限が加えられました。それは起こった現象としてそうなのであって、そのような「表現の自由の制限」はWPの側が自発的に設定したWikipedia:存命人物の伝記において予め行われているのです。Wikipedia:存命人物の伝記の運用を離れて、単にプライバシーの権利と表現の自由がときに対立する、というようなことを一般論として言っていただけだ、というようなことであればなぜあの場で文脈を離れてそのような一般論が持ち出されるのかわかりません。あなたが言っているのは「存命人物の項目本人の要求を無際限に受け入れることによってプライバシーに当たらないような情報まで削除すべきではない」程度のことではないのでしょうか。それを「表現の自由」とか「知る権利」という漠然とした言い方にすることによって、存命人物記事の問題を予め防いだりスムーズに対処するためにあるWikipedia:存命人物の伝記の運用に不用意な躊躇の根拠を与えるべきではありません。それは「適当なことを言っている」意見です。
「まとめ」を対立する複数の意見や議論を書く場としてしまっては「まとめ」ではなくなります。その点について我々の間で意見の一致が見られなかったからそちらのほうを議論しようということを何度も言っていたのですが(もうちょっとそちらをいまさらつづける気力はありませんが)。最初の私のまとめがまずかったし問題発生のそもそもの原因になった、というのはこの議論のかなり最初のほうから自分で繰り返し認めており、その点についてある程度の予防策もいくつか示したつもりなのですが、まったく記憶していませんか。まあ完全に「他者の記述の移動の是非が云々」の方に気を取られておられたようなので無理もない気もしますが。--頭痛会話2013年1月13日 (日) 03:54 (UTC)[返信]
Dwyさんと頭痛さんのそのコメントは、『コメント依頼の「まとめ」はコメント依頼者だけが行うものなのか?』という事を議論している場に適切なものですか? まだ続けますか?--会話2013年1月13日 (日) 05:11 (UTC)[返信]

他者のコメントを文脈から外れた場所に移動することについて

[編集]

頭痛さんの編集が「荒らし」にあたるかどうかについて上で皆さんのご意見を求めているのですが、ちゃんとコメントがつくか怪しい雰囲気ですし、一般論としても重要な問題だと思うので、節を分けて改めて問題提起します。

これまでずっと私は、他者のコメントを文脈から外れた場所に勝手に移動することは「荒らし」の一類型である「コメントの改竄」に該当すると思っていました。でも、上でKs aka 98さんに「えーと、これは改竄とは違うと思いますよ。『移動』であって、その適切さや妥当性を問うてください」と言われてしまいました。私としては、ちょっと困惑しています。

自分のコメントを移動されても「その適切さや妥当性」を議論したあとでなければ元に戻せないということになると、よほど時間に余裕がある編集者以外は、不満に思っても泣き寝入りにならざるを得ません。確かに議論全体の見通しをよくするためにコメントの移動が必要な場合もあるでしょうが、そういう場合はコミュニティの合意の下にやれば良いことで、一人の編集者の判断で勝手にやることを認める必要はないと思います。百歩譲ってコミュニティの合意が得られるとの予測の上に「大胆な編集」を行うことを認めるとしても、今回のように発言者本人から異議が出ており、コミュニティの賛同も得られていないことが明らかな状況において何度も移動を繰り返すことに対しては、「荒らし」として対処すべきではないでしょうか?みなさまのご意見をお待ちします。

最後に一言だけ申し添えますが、私としては、頭痛さんを荒らし扱いしてブロックに持ち込みたいわけではありません(ブロックしてもらいたいのなら、上のHmanさんの「発言の除去[7](2013年1月5日 (土) 10:02 (UTC) 分)まで行なわれているのですから是非もありません」の尻馬に乗って、私の発言を除去していることに対して「何の反省も謝罪もない」と言い立てる方が話が早いでしょう。でも、そういうことは私の本意ではありません)。あくまで、頭痛さんや私、そしてコミュニティ全体の今後の行動の指針として、どう考えればよいかを問うています。--Dwy会話2013年1月6日 (日) 15:30 (UTC)[返信]

一般論としては、Dwy氏はあなたが適切と思うところにぶらさがりで、コメントを入れることが許されます(これは、ウィキペディア参加者なら当然誰にでも許された権利です。まさしくこの井戸端でも、記事のノートでも、コメント依頼ででも、です。ただし他者の会話ページは事情が異なる場合があります)。ただしそれが明らかに不適切であるとコミュニティが認めた場合には、移動や除去がなされる場合がありえます。これは(1)事前に協議される場合もありますし、(2)緊急時には事後承諾の場合も、(3)もしくは周囲がまあ無理もないかと黙認する場合もあります。移動か、除去か、コメントアウトはケース次第です。まあ、通常は荒らし対応なんですけどね、こんなことは。で、頭痛氏の行為はこの三点のいずれにも該当しません。よって、発言の除去もしくは不当な移動と判断します。・・・そして例の差分の如く、実際に除去も行われている様なのですが。・・・もちろんケースによっては第三者がDwy氏に「ここへのぶらさがりは違うのではないか」と意見することもあれば、Dwy氏がそれを認めて移動を行われる場合もあるでしょう。また、他の方が要約欄で「ここにぶらさげるべきでは?」としながら、独断で位置を変更なさられることもあり得るでしょう。ですが、その場合はDwy氏からの異議があれば、彼は速やかに持論を引っ込めるものでしょう。--Hman会話2013年1月6日 (日) 16:35 (UTC)[返信]
文脈、文脈というわりには当の文脈がずいぶん等閑にされているように見えるが。Ks aka 98氏は「移動」(具体的には私の行った移動)の適切さや妥当性を議論すべきだということを助言しているのに、その個別具体的な移動の妥当性を問わないで「発言者本人から異議が出て云々の場合には~」のように抽象化して議論しようとするのは何故なのだろうか。文脈というのは文字通り状況依存的なものであって、前後・周囲の具体的な状況を考え合わせなければならない。対して抽象化は脱文脈的なものだ。「文脈」が何なのかわかってないのではないか。
例えば私のあるコメントに対して、そのすぐ下にDwy氏が何か批判的なコメントをつけたとする。そのDwy氏のコメントを私が勝手に移動して、別のHman氏のコメントの下に付け、恰もDwy氏がHman氏を批判しているかのように見せかけたとしたら完全に不正な文脈操作だ。異論の余地はない。あるいはそこまでではないとしても、どこか全然別の場所に注釈もなく移動させて、そのコメントが誰に対する批判であるのか当事者以外にはわからなくなったりしてもまずい。文脈が変えられたとか破壊されたとか辿れなくなったというのはそういうことを言うのだ。
それに対して、例えばここ(井戸端)の下のほうにある「カテゴリーって何ですか?」という節の議題は、井戸端にふさわしくないからということで氷鷺氏によって利用者案内のほうへ「勝手に」移動が行われている。もしかしたら最初の投稿者は「利用者案内」ではなくあえて「井戸端」を投稿先に選んだかもしれず、その文体も「利用者案内」ではなく「井戸端」にふさわしい文体(そんなものがあるか知らないが、あるとして)をわざわざ選んで投稿していたかもしれない。従って「あえて井戸端に投稿したのに! 自分のつもりと違う」と文句を言うかもしれない。その不満の妥当性はさておき、この利用者の投稿は氷鷺氏の注記によって、井戸端から利用者案内へと移動されたものであるということが、一般常識の持ち主であれば誰でも理解できるようになっている。だからもしその投稿が「井戸端用の文体」のために利用者案内で異彩を放っていたとしても、それが井戸端から移動されたものであるためだということが誰の眼にも理解できる(無論、移動自体が妥当であったかどうかは別の話だ)。従ってもとの文脈は保たれている。その投稿者が「井戸端に書きたかったのに。不本意だ」と不満を表明したとしてもそれは「文脈」とは別の話であって、この場合「文脈が破壊された」というようなことを理由することはできない。あくまで「話題として井戸端にふさわしかったかどうか」が問われなければならない。
私が行った移動に関して言えば、私は上記のように「「まとめ」に付けられたもの」だという注記を行ったうえで同ページ内のコメント欄に移したのだ。誰が見ても「私のまとめにつけられたコメント」であることは分かるようになっており「文脈」は保たれている(まあ現在の状態は後から「まとめ」を並列させて処理を忘れたせいでわかりにくくなってしまっているが、これは一時的なものだ)。Bugandhoney氏は「まとめ」に対する異議申し立てなのだからその直後にないと意味がないと主張しているが、「異議申し立て」自体はノートページだろうが会話ページだろうがどこにでも表明できるのだからこれはおかしい。単にコメント欄ではちゃんと目立たず異議申し立てが存在することが十分公知されない、ということであるのなら、公知の方法がそれしかないと思っている時点でおかしい。会話ページで触れ回るなりコメント依頼に回すなり問題の公知の方法はいくらでもある。いずれにしろ「文脈」とは関係ない。
いったいにDwy氏は「まとめ」が中立的でないことを問題視してコメントを投下したのであろうのに、そのもともとの問題の所在を忘れて「自分のコメントを勝手に移動されないこと」それ自体を議論の「文脈」から抜き出して恰も天賦の権利であるかのように主張しはじめ議題の中心をそちらに移したりすることがそもそもおかしいのだ(Hman氏もだ)。「まとめ」が問題であるのなら「まとめ」を問題にし続けるべきである。そしてこの場合、私は「まとめ」欄を不特定多数が書き込んで混乱させるべきではないと主張していたのであって、要するに「まとめ欄の使い方」それ自体が対立点となっていたのだ。そのような議論の文脈における「まとめ欄からコメント欄への移動」に対し、意見の対立ではなく「荒らし」と見なそうとすることが筋の良い議論運びであったのか、「記述の移動が許されない一般的なルール」などのようなことを考える前にもう一度見なおしてみたらどうなのか。
付け加えるなら、どういう場合に記述の移動が妥当になるか、というようなことはそれこそ文字通りに文脈依存的に決まったり論議されることであって、「発言者が異論を唱えている場合には・・・」のような2,3の単純なファクターだけで予め決めておくべきこととは思われない。以前のプライバシーに関する井戸端の論議でも思ったが、状況に応じて対応すべき性質の事柄になぜ画一的なルールを設けておこうとするのだろうか。その場に応じて対応や議論をするということができないのか。--頭痛会話2013年1月6日 (日) 17:34 (UTC)[返信]
私は「そうそう軽々に他人の発言をいじりなさんな」と申し上げているだけで、それはウィキペディアでは普遍的な概念だと思うんですけど。取り敢えず腕ずくの差し戻しはやめましょうよ。1分2分で差し戻しって・・・あなたがそれを続ける限り、周囲が以下に智恵を絞ろうが、あなたが腕ずくであなた好みの版ににしてしまう。それは駄目です。--Hman会話2013年1月6日 (日) 18:23 (UTC)[返信]
抽象化して議論するなよ、ということを言った直後に「軽々しくいじる」とはずいぶんまた極端に抽象化されたものだなあ。腕ずくというが、私からみれば件の編集こそ議論の真っ最中に腕ずくで行われたものにしか見えなかったがね。咄嗟には説明できなかったが、こちらの意見が数で封殺される危惧があったから無理に差し戻したことは上で多少説明したのだが。
それからコミュニティ、コミュニティというが、コミュニティの総意というのは井戸端で20時間程度意見を聞いたくらいで測れるものだったかね? Dwy氏がここで議題を投下してから編集をはじめるまでそれくらいしか経っていない。よほど単純な案件でもない限り1週間はかけて議論するのが普通だろうし、その間に少数意見が埋もれないように議論や意見調整が行われるものじゃないのか。現に24時間以上経過した時点で(まあ編集合戦をうけてだが)Ks aka 98氏の毛色が違うコメントが現われたではないか。「コミュニティ」という言葉を我田引水に使うんじゃないよ。--頭痛会話2013年1月7日 (月) 02:42 (UTC)[返信]
参加者の皆様、特に頭痛氏に。Wikipedia:議論が白熱しても冷静に」及び「Wikipedia:礼儀を忘れない」を今一度お読み下さるようお願いします。--森藍亭会話) 2013年1月7日 (月) 03:27 (UTC) 参照文書追加--森藍亭会話2013年1月7日 (月) 03:31 (UTC)[返信]
いずれにしても、恐らくは一端は差し戻しが入ります。前述のとおり、Dwy氏の書き込みを反射的に除去しているのですから、これは回復されればならないものです。そのあとにあなたが差し戻しをしなければ、問題は無いのです。その後の編集については、コミュニティの合意を得てから行って下さい。Dwy氏が納得なさられるのであれば、コミュニティはそれを是認するでせしょう。編集合戦をやめ、十分にお話し合いの後で、編集してくださいとしか申しようがございません(頭痛氏以外に既に何百人もの方に申し上げてきたことですが)。--Hman会話2013年1月7日 (月) 03:54 (UTC)[返信]
そりゃあ一方が差し戻しをしなければ編集合戦は起こらないだろうさ。互いが納得してないから編集合戦が起こるんだし保護のシステムがあるんだろう。その保護が行使された以上、実地の編集は一端おいて議論で問題の検討というのが普通のプロセスではないのか。「保護しておく版はどれか」などで議論してどうする。で、もともとの件は超氏に編集を依頼するということで合意が成立しているはずだ(これは後で私が依頼しておく)。「私のまとめごとノートに移動」という形が決まっているんだから、その形をつくるために超氏がいったん差し戻しをかけようが履歴の過去版から浚おうがまったくどうでもいい。私の差し戻しの巻き添えで除去されたというコメントは「Dwy氏の差し戻し」が成立している版自体になければあまり意味がないと思うが、このコメントのノートへの保存をDwy氏が望んでいるにも関わらず超氏が移し忘れていたりしたならまた超氏に対応を頼めばいいというだけだ。Hman氏の一連のコメントは問題の比重を見誤っているとしか思えない。何度も言うがどのような状況下でどのように付けられたコメントか、ということを度外視して「コメントをつけること」それ自体を抽象化して神聖視すべきではない。我々はいったい何のためにいろんな状況下でコメントを付け合っているのだ。ページを文字で特定の模様に彩るためか。--頭痛会話2013年1月7日 (月) 04:25 (UTC)[返信]
ああ、超氏には編集ではなくまとめの加筆を依頼するということを書いたんだったか。どちらにしろ合意が成立している形をつくるための過程で誰がどのように版を編集しようがどうでもいいことだ。--頭痛会話2013年1月7日 (月) 04:34 (UTC)[返信]

(インデント戻します)既にKs aka 98さんが同趣旨の意見を述べているので屋上屋になる嫌いがあり書き込みを控えていたのですが、なんか揉めてますので一言。

ある特定の行為が適切であったのか否かという問題は、行為が為された時点とその後の話し合いの後では異なることがあります。今回の頭痛さんの編集を見ると、Dwyさんの意見を移動した編集は当該時点では不適切とは言い切れなかったと思います。(超さんのまとめをノートページに移動した編集は幾分不適切であったと感じました。率直に言うと、頭痛さんは超さんのまとめに対し、単に「中立の立場からのまとめ、ありがとうございます。」との応答で済んだ話ではなかったかとも思いますが、それはさておき。)

いずれ、どの版で固定すべきかという問題については、どちらかが荒らしであるという観点での議論をすべきでありません。現状では、頭痛さんの編集に対する否定的な意見が多く見られます。しかし編集合戦に関しては頭痛さんにも理があります。勿論、Dwyさんの行った「当初の発言順に戻す編集」が不適切なわけでもありません。どちらの案が、後日参照する第三者から見て議論を追いやすいか、見やすいかという観点で議論すべきでしょう。

最後に、頭痛さんは、頑なな態度をもう少しどうにか出来ませんか? 安易に荒らしと呼んだDwyさんに反発する気持ちは分からないでもないが、Dwyさんの意見を貴方が移動した編集にDwyさん自身が異議を唱えた時点で、貴方の編集の妥当性が大きく傷ついたことは確かなのですから。--ろう(Law soma) D C 2013年1月7日 (月) 05:34 (UTC)[返信]

こっちも問題の解決のために譲歩しているつもりなんだがなあ。ブロックちらつかされながら5人6人相手に論を張ることの精神的負担も少しは加味してもらいたいね。Dwy氏の議論態度に対しては全般的に不信を感じているが、伝言板にブロックを依頼されたり荒らし呼ばわりされたこと自体は別に気にしちゃいないよ。--頭痛会話2013年1月7日 (月) 06:04 (UTC)[返信]
  • コメント 頭痛さんは、当該コメント依頼の「まとめ」はどうあるべきかという観点から発言されているのでしょう。このコメント依頼の議論は、プライバシー情報の扱いという、ウィキペディアのあり方に関わっておそらく今後も参照されることになる重要性のあるもので、読みやすく整理されたコメント配置とすることはあとから閲覧する者にとっても必要なことです。その観点からいえば、まず頭痛さんのコメント自体が「まとめ」として適切でなかったことは、ご本人もお認めのとおりです。Dwyさんのコメントは、その頭痛さんのコメントに対する異議申し立てであって、当然これも「まとめ」としてふさわしいものではありません。したがって、「まとめ」として適切でないコメントを移動するのであれば、Dwyさんのものだけでなく頭痛さんのコメントもともに移動すべきでした。すでにこの点では、両者のコメントをノートに移すことでお二人で合意があるようですから、そのようにするか、あるいは「まとめ」でなければいいのであれば、節見出しを「あらためて依頼者より」などに変更し、Dwyさんのコメントはそのままぶらさげるかまたはそこから「異議」などとして新たに節分けする、という手もあると思います。残念ながら、頭痛さんのこうした問題意識はほとんど共有されておらず、この点では当該コメント依頼の提起ともある種似通った状況といえるでしょう。ここで他者の発言の改ざんはいけないとか説教しておられる方々は、コメント依頼の文脈や意義、より納得性の高い解決方法などは視野になく、頭痛さんの差し戻し行為のみを切り取って悪とし、Dwyさんのコメント位置を元に戻すことが「正義」という一点張りなので、かみ合うはずもありません。--みっち会話2013年1月7日 (月) 10:16 (UTC)[返信]
    • 執筆でお忙しいさなかにコメントいただいて申し訳ない。精神的に一息つけた心持です。もともと解任動議するかしないか問うという趣旨もあったので、議論の要約的な超氏のまとめだけでは座りが悪いかという気もしており、「まとめ」ではなく依頼者の結語を改めてつけるということは考えていました。「まとめ」が落ち着いた後にノートで文案をつけて提示するつもりでおります。--頭痛会話2013年1月7日 (月) 23:14 (UTC)[返信]
  • コメント コメントさせていただきます。
    まず、他編集者のコメント移動の是非ですが、論点を分かりやすくするためなどの論理的な理由があり、かつ、都合の良い意見だけを残すような恣意的な編集でなければ、行うべきものだと思います。
    ただ、今回の頭痛さんの移動では、結果として、まとめの章から頭痛さんのコメント以外をすべて移動したことにより、恣意的な編集と見えかねない状態になったため揉めたのだと思います。みっちさんもおっしゃっているように、頭痛さんのまとめ、Dwyさんのコメント、超のまとめをいっしょにノートなりに移動した上で、「では、どういうまとめがよいのか」と話し合うのが良かったのでしょう。
    また、私やDwyさんも、まとめの章に直接コメントするのではなく、ノートなどで提議するのが適切だったと思います。
    ただ、頭痛さんが第三者のコメントの章に移動した私のまとめまでリバートしたのは適切ではなかったと思いますが。

    Wikipedia:コメント依頼/Tomo suzukiですが、当初のまとめは、被依頼者の問題点を指摘する一方で、КОЛЯさん等大きく問題視していない(問題なし、もしくは、プライバシーについて今後勉強すればよい)人が過半数を超えているのにそれら全ての意見が「プライバシーに対し無理解」と切り捨てられていたため、それらの方の意見が尊重されていないと感じ、あのように書かせてもらいました。
    保護期間明けに、後者の意見がまとめの中で尊重される事を望みます。尊重されるのであれば、私のコメントは中間生成物ですので、ノートにあろうが削除されようが、いっこうに構いません。
    私としては、できれば経緯を一番理解されている頭痛さんが加筆して下さるのがいいのではないかと思っています。--会話2013年1月7日 (月) 14:20 (UTC)[返信]
みっち氏のコメントにあるように、のちに参照する人の簡便さを考えると超氏のまとめはあったほうがよさそうに思う。コメント欄から除去したのは「コメント」ではないという単純な理由。「まとめ」に具体的な問題を感じていたなら「まとめ」を乱立させる方向にではなく議論で提起してほしかったとは思う。参加者が自分の「まとめ」をそれぞれ出し合う方向にしたら「まとめ」にもなんにもならなくなる。「まとめ」が荒れだしたらとりあえず出ている「まとめ」を表から全部ひっこめるようにすれば、というのは(そういう議論の流れにならなかったので言うタイミングがなかったが)途中から私も考えていた。当該コメント依頼の場合 2012年12月28日 (金) 01:52‎ に戻してコメント欄かノートで(ノートのほうがいいと思うが)議論する、という感じ。--頭痛会話2013年1月7日 (月) 23:14 (UTC)[返信]
コメント埋もれてしまった私のコメントはもう一度繰り返しておきます。一般論として、コメントの移動が必要な場合はあるでしょうけど、それは誰の目にもそれが適切だと思われる場合に限られるのでは。今回のように、コメントを移動された当人がコメントを移動しないでほしいと訴えていて、それ以外にも何人もの編集者がこのようなコメントの移動は適切ではないと主張しているような状態でのコメントの移動が妥当なはずがないでしょう。
それで、これが荒らしに該当するかどうかというと、該当しないでしょう。依頼系のページで他人のコメントをノートに移動するというのはわりとありふれた習慣なので、形式だけで(他人のコメントを移動したという事実だけで)荒らしと認定するのは無理だと思います。それと、ウィキペディアの荒らしの原則は誰の目にも明らかな記事破壊行為ということであって、頭痛さんのコメント移動に対しては否定的な意見が多い一方で、たとえばKs aka 98さんは特に問題を感じていないようなので、荒らしということにはならないと思います。
ただ、周囲がどう考えてようと、移動を行う人が正当な理由があると考えている限り、他人のコメントの移動は許される、となると依頼系のページは荒れそうかなと思います。異議があれば元の位置に戻す、「まとめ」節で議論が再燃して見通しが悪くなるというのであれば、その議論の内容を踏まえた上で節を改めて新たな「まとめ」をする、というのじゃだめなんですかね。そういうふうになっているページも結構あると思うのですが。超さんのまとめにはそういう意味合いがあったと思います。
(ろう(Law soma)さんへ)頑なな人と建設的な議論をするのは普通無理でしょう。あと、コメント移動の妥当性を議論するというのはすでにメタな議論になってますから、「まとめ」節の内容はどうあるべきか、という点に関してそもそも建設的な議論にはならないと思います。--Bugandhoney会話2013年1月7日 (月) 15:02 (UTC)[返信]
自分がブロックの提案に賛成してたことを忘れてないか? こっちは純然とオブジェクトレベルの理由で編集しているのに「ああこれメタレベルの議論だから」ってこっちの編集理由全部捨象されて編集制限かけられちゃたまらないよ。文脈から切り取って抽象化すんなよっていうのはそういうことを言ってるんだけど。
まとめが議論になったら「まとめ」節で議論つづけて後で節を調整する、ってことに決めておくんだったらそれでもいいかしらんがね。いったいDwy氏が編集はじめた時点でそんな雰囲気があったかね? 上に書いたように「議論」じゃなくまとめの目立つところにクレーム置くことを目的としていたようにしか見えなかったが。「依頼系ページが荒れそう」ってんなら「まとめ」を議論の場として解放しとくのも荒れるよ。最初から言ってるだろ。だったらはじめからこういう場合にちゃんと決まってるように見えない「まとめ」の使い方をどうするか決めとこうぜ、という方向に議論の舵を切っておくべきだったんじゃないの、コメント移動にはブロックかけようぜ、という方にではなく。「建設的な議論」が聞いて呆れるよ。--頭痛会話2013年1月7日 (月) 22:44 (UTC)[返信]
>まとめの目立つところにクレーム置くことを目的としていたようにしか見えなかったが
まとめの目立つところにクレーム置いてはまずいですか?自分の(私から見ればたいへん偏った)コメントはまとめの目立つところに置いといて、それに対するクレームは目立たない他のところでやってくれというわけですね。恐れ入りました。
Bugandhoneyさんもおっしゃっていますが、こういうのを問題なしとして認めてしまうと、あちこち編集合戦だらけになって収拾つかんと思うんですがね。ちなみに、頭痛さんがおっしゃっている「『まとめ』を議論として開放しとくのも荒れるよ」は、的外れ。「まとめ」で議論が荒れたとしても、議論が白熱するだけ。お互い他者のコメントに手を出さないことで了解が取れていれば、編集合戦にはなりません。「荒れる」の意味というかレベルが全然違います。--Dwy会話2013年1月8日 (火) 16:27 (UTC)[返信]
うーん、そこなんですよね。議論の白熱の是非はさておき、取り敢えず他者のコメントに軽々に手を出さない、ここをお約束頂いてからでないと、ちょっとどう話を進めて良いものやら。まとめに異議があるからまとめの直下にぶら下がりで異議を唱えるべきと言うのも問題は無い。コミュニティが頭痛氏によるDwyさんのコメントの除去を「問題無し」と認めてしまうとちょっとまずい。ここは、駄目なモノは駄目としておかないといけない。この点では合意を得て、Dwyさんのコメントが本来のところにある版でが、さし当たっての可能性、版としたい。で、他にどんな可能性があるか?は、それから考えたらいい。ですが、あるまとめがそこにあり、それに対する異議については、その直下か、その直下の節にあるのが、自然です。頭痛氏の主張する版ではDwy氏が誰のまとめに異議を唱えているのかが不明瞭であり、不適切です。時系列もバラバラ。異議→本文(この場合はまとめ)は、おかしい。本分→異議、とあるべきです。また何度も申し上げますが、現在頭痛氏がDwyさんのコメントを無断除去された状態になっていますので、[12](2013年1月5日 (土) 10:02 (UTC))、さし当たり1回rvしてから話を続けるべきでしょう。っていうか、頭痛氏の拒否する最新版[13]、そんなに悪いですかね?もしまとめが不適切で異議があるのであれば、そしてまた別のまとめも現れたのであれば、このまま議論を続ければいい。差し戻し合戦なんて必要無い。まとめられる状態じゃない。十分話し合って、半月後にでも改めてまとめたらいいじゃいですか。--Hman会話2013年1月8日 (火) 17:02 (UTC)[返信]
あーすいません、もう一つ。頭痛版まとめと超版まとめを節ごとに分ける事自体にはそう悪いとは思いませんよ(私は行いませんけど)。ただ、それに対するコメント等の時系列をご自身の好みだけで移動させる様なことは、慎んでください。Dwyさんも超さんも、この、まとめを節ごとに分けるところまでは、まあ事後承諾になりお行儀の悪いかたちですが、必ずしも納得できない訳ではないのではありませんか?もし超さんのまとめにツッコミが入るのであれば、恐らくそれも、超さんのまとめの節にぶらさがりで入るのが自然なかたちでしょう。--Hman会話2013年1月8日 (火) 18:15 (UTC)[返信]
Starchild1884さんからの忠告もあったので少しコメントを控えようと思っていたのですが、保護が解除になってしまったので、とりあえず結論が確認できるまではWikipedia:コメント依頼/Tomo suzukiの編集を始めないでネ、とだけお願いしておきます。他の点は様子をみてまたコメントします。--頭痛会話2013年1月9日 (水) 04:03 (UTC)[返信]
論点の提示ということで一言だけ簡単に付け加えておきますが、今回のケースがなぜ「コメントの移動が認められた先例」になりうるのでしょうか。--頭痛会話2013年1月9日 (水) 05:33 (UTC)[返信]
「コメントの移動が認められた先例」ではなくて、「コメントした人の意に反してコメントの移動が認められた例」ということだと思います。依頼系のページや井戸端のサブページでコメントがノートに移動されるのは見かけたことがありますが、移動自体をめぐって移動した人とされた人の間で揉めるというのは私の記憶にはないです。ただ、私は依頼系のページにあまり出入りしないので、他にそういう例が全くなかったのかどうかは知らないです。--Bugandhoney会話2013年1月9日 (水) 13:50 (UTC)[返信]
ええ、ですからその「コメントした人の意に反するコメントの移動」を「問題なしとして認め」ている人がどこにいるんでしょうか。若干名の方にある程度事情を斟酌していただいたりはしましたが、私にはこの場でその編集をそのように是認している人は一人もいないように見えるんですが。なぜこの議論の流れでそれが「認められた」ことになるのですか。--頭痛会話2013年1月9日 (水) 15:48 (UTC)[返信]
それはそうですね。そもそもウィキペディアは先例主義ではないので、「認められた」とか「先例」などという考え方をする必然性はないです。コメントした人の意に反して他人のコメントを編集した人が「だって頭痛さんの例では認められたじゃないか」などと主張したところで、「それはそれ、これはこれ」というような応答しか返ってこないと思います。「先例」ということでしたら、コメントを移動された人が管理者に投稿ブロックの報告をするほどまでに抗議した例、というような見方もできるので、その場合は、この事例は移動を含めた他人のコメントの編集に対していっそう慎重にさせるはたらきをするかもしれないです。いずれにせよ、依頼系のページは荒れそうかなという程度の、確定していない事柄に基づいたあやふやな未来予測なので、この線で、私のほうからこれ以上議論を続けるつもりはないです。--Bugandhoney会話2013年1月9日 (水) 19:09 (UTC)[返信]
保護が解除になったからといってすぐに手を出す気は、私にはありません。でも、除去されている私のコメントは、頭痛さんの手で復帰するのが筋なんじゃないかな。他者のコメントに安易に手を加えないというのはある意味礼儀の基本だから、「私の差し戻しの巻き添えで除去されたというコメントは「Dwy氏の差し戻し」が成立している版自体になければあまり意味がないと思うが」のような自分勝手な判断で他者のコメントの除去を正当化していると、本当にブロックされちゃうんじゃないかと思うよ。
Hmanさんや私は、本人の承諾やコミュニティの合意がない限り他人の発言には手を入れないのが原則だと考えているんですよね。だから、「この場でその編集をそのように是認している人は一人もいないように見える」のであれば、当然、デフォルトの最初のバージョン(私が差し戻したバージョン)に戻すことになる。だから、ここで「自分なりに理由があれば、ほかの人が同意してくれていなくても、まず移動して、後で話し合えば良い」という先例ができてしまうと、相当影響が大きいと考えるわけです。--Dwy会話2013年1月9日 (水) 22:11 (UTC)[返信]
コメント そうですね。先方が嫌がり、周囲も少なからず諫めているのに他人の発言に手を入れまくることが当然、と言う様な流れになってきますと、ウィキペディアは大きく後退してしまう。私はそんなに新しい世代の利用者ではありませんが、そういう基本的なルールが整備されてくことで私やDwyさんや超さんやBugandhoneyさんみたいな、古参から見ればあまり弁の立たない新しい利用者でも編集に参加できるかたちになってきたんだと思っています。私の知り得る限り昔はとっくみ合いの戦場になることが多かったから。勿論避け得ない議論もあります。私もちょくちょく、やってますから。けど今回のこれは、避け得る議論です。少なくとも、ここから先は。--Hman会話2013年1月10日 (木) 05:21 (UTC)[返信]
コメント その「自分はブロックされないぜ」みたいな自信がどこから来るのか私には分かりません。--Starchild1884会話2013年1月9日 (水) 22:27 (UTC)[返信]

(戻し)「自分なりに理由があれば、ほかの人が同意してくれていなくても、まず移動して、後で話し合えば良い」と言い換えても別に変わらないと思いますが。私は「自分なりに理由があったので、ほかの人が同意してくれていないのに、まず移動」しましたが、それに引き続いた「話し合い」の中でその一連の行動を「良い」と言っている人がどこにいますか。あるいはこの議論の流れのなかのどこにそのような要素があるのでしょうか。私にはその自分の「まず移動」がどちらかというとひどく批判されているようにしか見えないんですが。

除去されているDwy氏のコメント、と繰り返し言われているのはこのリバートの際に巻き添えを食って事実上除去された最後の2段落の部分で、もともと私による移動の差し戻しの際に付け加えられたものです。要は編集合戦の流れの中で加わったり消えたりしていた部分であって、その状況を度外視して除去された除去されたと言っているのはちょっとおかしいのではないでしょうか。除去といえば除去でしょうが、例えば私がこの場で、誰でもいいですが例えばBugandhoney氏のコメントを「うるせえ。部外者は黙ってろ」とか言って勝手に除去してしまう、というようなコメントの除去とはだいぶ性質が違いますよね。しかし「除去」と言って一般化してしまうとその性質の違いというのは見失われてしまう。そのようないくつもの粗雑な一般化に基づいて「除去が認められた」とか「まず移動すればよいということの先例になった」とか解釈しているのは実におかしな話です。仮にここでの議論を示して「頭痛は勝手に移動したのに問題視されていないじゃないか。俺だって許されるはずだ」というようなことで好き勝手に他者のコメントを移動するような利用者が現われたのであればそれは誰が見てもただの馬鹿だとわかりますし、実際にスムーズにブロックが行われると思います。どのような知見にもとづいて「相当影響が大きい」と判断されているのでしょうか。どうしても不安であるのであれば「今回のケースではブロックなどの対処までは行われなかったが、だからといって本人の意に沿わないコメントの移動が一般的に認められることなったわけではない」ということを確認しておけば済むことではないのですか。

先述したように合意されている形をつくる際の途中の版で誰がどうしようがまったくどうでもいいことで、上で超氏が私に書いて欲しいとコメントされている流れからして、おそらく私がまとめの加筆部分を文案として示してDwy氏ほかの合意をとってから実際に編集、ということになるのだと思いますが、その際にどうしてもそのDwy氏がリバートした版にいったん私に戻して欲しいというのであれば、加筆の前に一度再リバートを行うというのは別にかまいません。何の意味があるのか理解できませんし、内心馬鹿馬鹿しいと思いながらやることになりますが。またまとめをどうするかという解決の形が概ねできているところで、Dwy氏の版にいったん戻して半月くらい保護しよう、というようなことを主張されているHman氏のコメントはまったく理解できるものではありません。なぜそう、一度リバートとか保護とかブロックとかをしなければシメシが付かない、みたいな主張が出てくるのでしょうか。リバートや保護やブロックってそういうことのために行われるものでしたか?--頭痛会話2013年1月10日 (木) 03:30 (UTC)[返信]

合意されている形をつくる際の途中の版で誰がどうしようがまったくどうでもいいということでしたら、今すぐDwyさんのコメントを元の位置に戻すことをお勧めします。Dwyさんは自分のコメントをノートに移動させることにはすでに同意してますから、最終的な版に自分のコメントが頭痛さんのまとめにぶら下がりであることにこだわっているのではなくて、自分のコメントに勝手に手を入れられたことに対して不快感を示したのに、元に戻してもらえないことにこだわっているように私には見えます。このように、編集内容の是非とは別に、他人に勝手にコメントをいじられること自体に反発を覚える編集者が多いので、WP:TPO例外的に他人のコメントを編集してもよい場合もありますが、必ず充分に慎重に行ってくださいというふうになっています。読みやすさという観点からは誤字・脱字がないほうがよいに決まってますが、無用な揉め事を避けるために、誤字・脱字の訂正や指摘も行ってはならないとなっているのです。
「まず移動」がどちらかというとひどく批判されているようにしか見えないということですが、批判されているのは「まず移動」の部分ではなくて、その後の頭痛さんの対応だと思います。ウィキペディアでは一般的にある編集行為に対してあらかじめ同意を得る必要はありません。その代わり、その編集行為に対して異議が出された場合は、そられの意見に真摯に耳を傾けてください。Dwyさんのコメントの移動に対しては、その直後にノートでDwyさん自身が異議を申し立てており[14]、その後Dwyさんが実際に自分のコメントを元の位置に戻すまでの間に、頭痛さんの編集行為に対して、HmanさんEULEさんKojidoiさんから、ブロックが必要になるかもしれないなどという強い否定を含めた、いずれも否定的な見解が寄せられています。それにもかかわらず、このように、複数の編集者からすでに不適切だと指摘された編集行為を、頭痛さんはその直後に繰り返しています[15][16]。こういうことをウィキペディアという共同作業の場でされると非常に困ります。Dwyさんは自分の見解をコミュニティに問いかけて、これから行おうとしている編集行為の妥当性をあらかじめ確かめてから行っているのに対して、頭痛さんはその見解に反対する意見はあってもサポートする意見が一切ない状態で行っています。二度も。編集合戦はDwyさんにも責任があるかのような意見がありましたが、このように、両者のこの事態への対処の仕方には大きな違いがあります。どちらがよりましな編集姿勢なのかは言うまでもないでしょう。
それからウィキペディア上の全てのコンテンツの編集は共同して行われるという原則の確認を今一度お願いします。コメント依頼のページでは、頭痛さんに他の編集者に優先する権限が与えられているわけではありません。その際にどうしてもそのDwy氏がリバートした版にいったん私に戻して欲しいというのであれば、加筆の前に一度再リバートを行うというのは別にかまいません。何の意味があるのか理解できませんし、内心馬鹿馬鹿しいと思いながらやることになりますというような態度で、コメント依頼のページを頭痛さんが決めた手順で自分が同意する内容で自分だけで行うなどというのであれば、永遠にまとまることはないでしょう。誰がどんな手順でまとめたっていいし(個人的には超さんによる今のまとめがあればそれでいいです)、不適切な位置にコメントがあるのであれば、頭痛さんが移動しなくても誰か他の人が移動させるでしょう。--Bugandhoney会話2013年1月10日 (木) 17:56 (UTC)[返信]
(Bugandhoneyさんへ)頭痛さんは建設的な議論を望んでいると感じたからこそ「頑なな態度をもう少しどうにか出来ませんか?」と書いたんですが。何を指摘しているか、よく分からない。上で頭痛さんが言っていることは、口調は兎も角、間違ってはいない。折角譲歩しているのに、という思いは頭痛さんと共通しています。--ろう(Law soma) D C 2013年1月8日 (火) 00:43 (UTC)[返信]
コメント 話全体を追う気力も意思も全く無いですが(それこそDwy氏に要約していただきたいくらい)、頭痛氏の「ブロックちらつかされながら5人6人相手に論を張ることの精神的負担~」には賛同と言いますか同調します。というか管理者伝言板に行ったのはHman氏ですが、私、以前にHman氏に「管理者権限ちらつかせながら議論するのいい加減に止めろ」と注意したことがあったのですが全然直ってないようで。悪意は無いと思うので、自覚が無いのだと思いますが。
しかし「自覚が無い」というのはいわゆるブーメランであり、私は私に返ってくるし、頭痛氏は頭痛氏に返ってきます。そういう人の発言に一切何も納得できなくても、また周りが間違っていたことが後で明らかになったとしても、ひとまず「自分が自覚できていないだけなのかも」と定義し、一旦引いてみるのは如何でしょう。具体的には1週間くらい黙ってみるとか。1週間くらい時間を置いたってどうということはない。その間に「黙るな」とか「逃げるな」とか言うような痴れ者がいたら、私が荒らしとして管理者伝言板に報告しておきますから。
頭痛氏とは何度か衝突したことはありますが、別に嫌っているわけではないので、少なくとも頭痛氏に賛同できる部分は賛同しておきます。賛同できない部分には賛同しませんが、全否定はしない。なんかややこしいことになっているようなので取り急ぎ。--Starchild1884会話2013年1月7日 (月) 23:16 (UTC)[返信]

(インデント戻し)総括的なコメント。なんで、こんなにグダグダになっているのか全く理解出来ません。

繰り返しになりますが、頭痛さんが行った他者投稿文章の移動2件のうち、Dwyさんの投稿は同じページの別の節に移動、超さんの投稿はノートに移動された訳です。個人的意見ですが、前者は異議が出なければ認められるケース(Wikipedia:ノートページのガイドラインWikipedia:議論が終わったらまとめておく参照。基本的にコメント依頼ページでも準用されうると思う。Wikipedia:合意形成#合意形成も参考になるでしょう。)、後者は議論を追いにくくなるので不適切なケースだったと思います。

その後、頭痛さんは異議を受けて話し合いの場についている。保護解除後も再度編集合戦になる虞は極めて少ない。この状況で一方を責めてどうするんですか? 総括という名で反省会でもしたいのですか?

投稿者から異議が出たのに別の節に移動することに固執したことに関して、頭痛さんは今後気を付けて欲しい。頭痛さんは異議が出た時点で一旦rvすべきだったことを認めた方がよいです。上でKs aka 98さんから「納得してもらった上で編集する、よほど重要なものでなければ、いったんは相手の編集を受け入れるというようなことも、考えてみてください。」と言われているのは、そういうことです。

異議を申し立てている側は単なる形式に拘ることによって、少なくとも移動時点では明確なルール違反とまでは言い切れなかった編集を、いつまでも責めるべきではないと思います。

結論として、コメント依頼の「まとめ」はコメント依頼者だけが行うものではありません。また、他者のコメントを文脈から外れた場所に移動することについては、その方がまとめとして有効であれば許容されるものです。要は、どっちが悪いと断ずることが出来るモノではない。だからこそ、Ks aka 98さんも私も複数回にわたって、「まとめはどういうかたちで行くのが良いか話し合ってくれ」、「修正するか補足するか、というようなことを『話し合ってくれ』」、「どちらの案が、後日参照する第三者から見て議論を追いやすいか、見やすいかという観点で議論すべきでしょう」と助言している訳です。建設的な議論をする上で、必要以上に相手を頑なにするような議論の進め方は上策とはいえないと思います。議論参加者のご賢察を願います。--ろう(Law soma) D C 2013年1月10日 (木) 06:43 (UTC)[返信]

「Dwyさんの投稿は同じページの別の節に移動」という理解は正確ではありません。頭痛さんの編集によって2013年1月5日 (土) 10:02 (UTC)の以下の私の発言が除去されています。
(引用開始)頭痛さんによって恣意的な節の切り分け・コメントの移動が行われ、議論の時間的・論理的な流れがフォローしづらいものになっていましたので、もともとの議論の流れの順に復元しました。
これから先、コメントの移動を行う場合は発言者本人の了解、節の切り分け等を行う場合は編集者間の合意を取り付けてからにしてください(ちなみに私自身は、この文章の分量では節の切り分けは不要だと思っています)。--Dwy会話2013年1月5日 (土) 10:02 (UTC) (引用終了)[返信]
「移動」はともかく、「除去」ついては明らかな「荒らし」と言わざるを得ないのではないですか?他人の発言を消しておいて、あんな発言は消されても問題ないだろうみたいな態度で良いと皆さんがおっしゃるのなら(3つばかり上の頭痛さんのコメントは明らかにそういう態度に見えますが)、私からはもうなにも申し上げることはありません。--Dwy会話2013年1月10日 (木) 17:04 (UTC)[返信]
そこも、極力「善意に取る」とすれば、「Dwyさんが改めて移動し、その上でコメントを追記した。しかし頭痛さんの当時の理解としてはまとめの項で議論するのは妥当ではないと思っていたので『Dwyさんが行った移動』をrvしようとした。しかし、その時Dwyさんが追記したコメントを見落とし、コメント残す処理を行わなかった」という解釈もできると思います。
そもそも、特定の編集者の問題点を議論するのであれば、論点を明確にするために、井戸端ではなく、別途コメント依頼を提起するのが正しいのではないでしょうか。ただ、私としては、単発の問題であれば「善意に取る」方がいいと思っています。
正直な話、井戸端では、そろそろ「どういう形、進行があるべき姿か」「再発を防ぐにはどうすればよいか」という前向きな議論に向かう事を望みます。--会話2013年1月10日 (木) 17:51 (UTC)[返信]
うっかりして「その時Dwyさんが追記したコメントを見落とし、コメント残す処理を行わなかった」のであれば、「うっかりしてごめんなさい」「二度とこういうことがないように今後は気をつけます」を言い、態度で示すべきではないでしょうか?今の頭痛さんの発言や態度からすると、頭痛さんはあの発言の除去にはなんの問題もなかった(=同じようなことを何度でも繰り返してよい)と考えておられると思います。皆さんがそれで良いと思われるのなら、私からはこれ以上何も言いません。--Dwy会話2013年1月10日 (木) 22:30 (UTC)[返信]
  • 一通り履歴を眺めれば理解できることなので、この「除去」を「荒らし」とは呼べないことについて、私から噛んで含めるような説明は致しません。実際超さんは、そのように受け止めておられますし。--ろう(Law soma) D C 2013年1月11日 (金) 00:23 (UTC)[返信]
ぶら下がりを分かりやすくするため、書式を変更させていただきました。ご容赦下さい--会話2013年1月11日 (金) 17:34 (UTC)[返信]
  • 私のコメントにそういうお返事をされるという事は、Dwyさんとしては「頭痛さんの謝罪がなければ、今回の件を善意に取る事はできない」ということなのでしょう。そうだとすれば、それはDwyさんのお考えなので、私としては「そうなんですね」としか言いようがありません。
    それで、同じ質問を繰り返して恐縮ですが、井戸端の議論を紛糾させないためにも、特定の編集者の問題点を議論するのであれば、井戸端ではなく別途コメント依頼を提起する(もしくは、当事者のノートなどで直接会話する)のが適切かと思うのですが、そのようにする事は難しいでしょうか。--会話2013年1月11日 (金) 17:34 (UTC)[返信]
(ろうさんへ)かりに故意ではないから「荒らし」に該当しないとしても、破壊行為の例としてあげられている「他の利用者の署名付きコメントを改竄すること」には該当しますよね?リンクされている改竄の説明によれば、悪意がなくても「改竄」と言うようですし・・・もし違うということなら、私が心から納得して「変な言いがかりをつけてごめんなさい」が言えるように、噛んで含めるような説明をお願いします。
(超さんへ)わざとでなかったことは分かっていますが、わざとでなくてもブロックの対象になるくらい、いけない行為だと私は思うので、その点を確認した上で、頭痛さんには「もうしないように気をつけます」と言って欲しいのです。「いけない行為」だという私の理解が間違っているなら、私のほうが「変な言いがかりをつけてごめんなさい」を言います。--Dwy会話) 2013年1月12日 (土) 17:27 (UTC)破壊行為のところのリンク修正--Dwy会話2013年1月13日 (日) 14:34 (UTC)[返信]
井戸端は、Wikipediaの方針やあるべき姿を議論するための場だと思っております。同じ質問を繰り返して恐縮ですが、井戸端の議論を紛糾させないためにも、特定の編集者の問題点を議論するのであれば、井戸端ではなく別途コメント依頼を提起する(もしくは、当事者のノートなどで直接会話する)のが適切かと思うのですが、そのようにする事は難しいでしょうか。--会話2013年1月12日 (土) 23:00 (UTC)[返信]
私としては、特定の編集者の問題点を議論しているというより、他者のコメントを移動・除去することについて(一般論として)コミュニティはどのように評価するのかを問うているつもりです。ろうさんから(中立的な立場で、ウィキペディアの方針にある程度詳しい方ならほかの方でも結構ですが)ご意見がいただければ、そのあとはあまり議論をするつもりもありませんので、あともう少しだけ続けて、こちらで蹴りをつけさせてほしいと思います。--Dwy会話2013年1月13日 (日) 06:25 (UTC)[返信]
ろうさんはもう、『他者のコメントを文脈から外れた場所に移動することについては、その方がまとめとして有効であれば許容されるものです。要は、どっちが悪いと断ずることが出来るモノではない』とおっしゃっていますよね? ご意見はもらえたので、議論終了でよろしいですね?--会話2013年1月13日 (日) 07:33 (UTC)[返信]
「移動」についてのその見解は伺いました。さらに、わざとでなければ「除去」が荒らしでないというご意見もいただきました。最後にもうひとつだけ[こちらの質問]に答えていただいたところで、とりあえずここの議論は終わろうと思います。--Dwy会話2013年1月13日 (日) 09:20 (UTC)[返信]
その質問は、ろうさんの『一通り履歴を眺めれば理解できることなので、この「除去」を「荒らし」とは呼べないことについて、私から噛んで含めるような説明は致しません。実際超さんは、そのように受け止めておられますし[17]』というコメントをご覧になった上で、それでもご回答がほしいとおっしゃっているんですね? 荒らしではないとしても改竄ではないのか、そう質問されるのですね?
「少なくとも移動時点では明確なルール違反とまでは言い切れなかった編集を、いつまでも責めるべきではないと思います[18]」というろうさんのコメントに耳を傾けるつもりはないんですね?--会話2013年1月13日 (日) 11:57 (UTC)[返信]
荒らしでないにしても改竄ではないのかと質問しています。Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案#破壊行為にもはっきり書いてありますし、なんであれが「明確なルール違反とまでは言い切れなかった編集」なのか説明が欲しいです。耳を傾けるつもりがあるからこそ質問していると解釈していただけないものでしょうか。
終わったことであればいつまでも責めたりしませんが、頭痛さんは自分が重要でないと判断した発言は除去しても構わないというスタンスのようですから、このままでは今後も同じことをされると思います。やって良いことなのか悪いことなのかは、ちゃんとみんなで確認するべきではないですか?--Dwy会話2013年1月13日 (日) 14:18 (UTC)[返信]
超さんが完全に理解されておられることでお分かりのように、私の意見は分かるように書いているつもりです。ですが、このままでは私も対話拒否であるかのように思われてしまいそうな勢いですので、ちょっとだけ。
複数のルールが適用できる場合には、プロジェクトの目的や趣旨を考慮し、更にはルールの制定状況・制定理由を併せ鑑みて、どのように解釈すべきかを検討することが大切なことではないでしょうか。ご指摘の改定案はブロックに関しては効力を有しているものですが、方針全体の中では「草案」と位置付けられており、Wikipedia:個人攻撃はしないWikipedia:善意にとる等との整合性を取るのが難しいとは思えません。
私は既に「頭痛さんは今後気を付けて欲しい。頭痛さんは異議が出た時点で一旦rvすべきだったことを認めた方がよいです。」と書いていますし、頭痛さんを無謬だとは最初から思っていませんよ。ただ頭痛さんが素直に謝れない原因として、貴方の態度も影響しているとは思っております。--ろう(Law soma) D C 2013年1月15日 (火) 02:56 (UTC)[返信]
私の疑問は、「たとえ善意であっても(ブロックの対象である)『改竄』だとされているようですが?」というものでした。ですから、ろうさんのお答えはちょっと的はずれかと。また、ここでどうしてWikipedia:個人攻撃はしないが出てくるのか、私には理解できません。私の発言が「個人攻撃」だったとは思いませんし、仮に「個人攻撃」だったとしても、いきなり除去や移動をして良いというルールにはなっていないはずです。結局のところ、私にはろうさんのおっしゃっていることが全く理解できません。
とはいいながら、ろうさんが、誤解や勘違いでなく、本気であのコメント除去を「明確なルール違反とまでは言い切れなかった編集」とおっしゃっていることは分かりました。また、ろうさんには私の問題意識が理解できないらしいこともはっきりしました。これ以上反論してもあまり意味のある議論にならないでしょうから、これで終わりにします。長々お付き合いいただきありがとうございました。--Dwy会話2013年1月19日 (土) 13:31 (UTC)[返信]
責め続けるとか、総括したいとかいうことではないのですが、このぐだぐだが二度と繰り返されないという保証はほしいです。このぐだぐだが件のページの改善に役立つということはまずないでしょう(「建設的」とは「ページの改善に役立つ」というような意味合いで使ってました)。ろうさんの言うとおり、頭痛さんは超さんのまとめに対し、単に「中立の立場からのまとめ、ありがとうございます。」との応答で済んだ話ではなかったかと私も思いますので。今後似たような原因で似たようなぐだぐだが再び繰り返されるとしたらあまりにも不毛です。そういう観点で言うと、今までのところの頭痛さんの応答はいささか心許ないです。保証とは言わず、二度と起きなさそうな予感くらいでもいいのですが。
一般論で言うと、誰の目にも明らかなルール違反を犯したところで、問題の所在を理解して同じ間違いをしないように努めるというのであれば、それ以上追求する人はいないと思います。逆に言うと、明確なルール違反だとは言えなくても、揉め事を起こした後でも同じやり方を続けるというのはいかんでしょう。無用な摩擦はできるだけ避けるように、編集の仕方を工夫してほしいです。--Bugandhoney会話2013年1月10日 (木) 23:34 (UTC)[返信]

コメント関係する元の案件等も拝見した上で雑感を。

第三者の率直な感想として、Dwyさんのコメントを移動した後の版はコメントの時系列・対応関係が分かりにくく、読みづらくなった感は否めません。頭痛さんの一連の対応が過度に強硬だとも感じました。

しかしその点については、頭痛さんの誤解(コメント依頼の「まとめ」作成と議論終結の宣言が依頼者の専権事項だという誤解)に基づく行動だったということをご本人が既に説明されていますし、Wikipedia:荒らしの冒頭部分やWikipedia:個人攻撃はしない#個人攻撃の例に照らせば、このようなケースで「荒らし」という言葉を軽々に用いるのは明らかに不適切です。Dwyさんが直面した状況・心情を考えると無理なからぬ面もあるかとは思いますが、それでもDwyさんよりはるかにぞんざいな扱いを受けたさんが努めて理性的な対応で仲裁を試みられていることも心に留めながら、ほかの議論参加者の方々も含め建設的な最終解決に注力していただきたいと思います。

「まとめ」節の扱いについて、現状復帰のためだけの報復的なリバートやノート等への再移動を改めて行うメリットはほとんどないと思います。後の閲覧者に従前の議論の流れを示すとしても、過去版へのリンクを張って参照するのが一番わかりやすいかと。

頭痛さんのまとめ文章のうち1文目と2段落めの文は不適切だと思いますが(議論終結は依頼者の専権事項ではないし、コメント依頼者当人が依頼を遂行してくれた編集行為自体を非難するのは理不尽(内容について丁重に異論・説明を加えるのは差し支えないと思いますが))、それ以外は頭痛さんの当初の文面そのまま掲載ということでも別に問題ないような気がします。--ディー・エム会話2013年1月10日 (木) 16:07 (UTC)[返信]

こちらにも書いておきますが、Wikipedia‐ノート:コメント依頼/Tomo suzukiにまとめの追加文案と編集手順を提示しましたので、各位ご確認をお願いします。確認期間は3日を予定していますが、もっと延ばせというご意見がありましたらその点の表明もお願いします。--頭痛会話2013年1月11日 (金) 09:36 (UTC)[返信]

「荒らし」扱いしたことについて頭痛さんにおわび

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これまでの皆さんの意見を見る限り、「他者のコメントを安易に変更・移動・除去するのは『荒らし』」という私の認識は、コミュニティのコンセンサスになっていないと認めざるを得ません。頭痛さんの編集が皆さんに是認されているわけではないようですが、「荒らし」と言えるほどのものではないという評価のようです。私にとっては非常に意外な結果ですが、こうなってしまっては仕方がありません。前にも言ったように、私としてはそれなりの手順を踏んで皆さんの意見も聞いたつもりで、決して「安易に」荒らしと呼んだわけではないのですが、それも言い訳にはならないでしょう。「荒らし」扱いしたことについて、頭痛さんにお詫びを申し上げます。ごめんなさい。--Dwy会話2013年1月19日 (土) 13:31 (UTC)[返信]

2013/1/14時点の中間まとめ

[編集]

議論が空中戦になっているようですので、いったん、ここまでの議論で「コメント依頼のまとめ」「コメント依頼における第三者のコメントの移動」について、合意したと思われる事を整理します。もし事実誤認がありましたらご指摘下さい。なお、個別の編集者に対する指摘などは割愛します。もし必要であれば、本件の完了後に別途扱う方がいいと思います。

  • コメント依頼の「まとめ」の項について
    まとめは、依頼者に限らず、誰がまとめても問題ない。(ただ、Wikipedia:コメント依頼/サンプルは、その旨が分かりにくいのではないかという意見あり。)
    ただし、まとめた人以外から異議があった場合は、耳を傾ける必要がある。
  • 「コメント依頼における第三者のコメントの移動」について
    移動自体は、その方がまとめとして有効であれば許容される。ただし、移動した人以外(特に移動された発言者)から異議があった場合は、すみやかに戻した方がよい。

ここまで、認識違い、また、コメントが反映されていない等がありましたらご指摘下さい。--会話2013年1月13日 (日) 15:12 (UTC)[返信]

よいまとめだと思います。まとめというか、感想ですけど、ウィキペディアでは編集者間の無用な摩擦はできるだけ避けるような編集の仕方を心がけるというのが基本であって、そういう点では、すでに論争になっている相手のコメントに不用意に手を加えることは対立を激化させる方向にはたらくこともある、ということであって、対立している編集者のコメントの修正は第三者に任せるのが賢明かなと思いました。--Bugandhoney会話2013年1月16日 (水) 14:33 (UTC)[返信]
「ただし、移動した人以外(特に移動された発言者)から異議があった場合は、すみやかに戻した方がよい」がコミュニティのコンセンサスとして確認できるのなら、大変結構だと思います。Wikipedia:コメント依頼/Tomo suzukiでの成り行きを見ていると、そういうコンセンサスがあるようには見えなかったりするので、私にはちょっと気になっていたのですが・・・--Dwy会話2013年1月19日 (土) 13:35 (UTC)[返信]
一般論としてある編集行為を不適切だとみなすのと、具体的にある特定のページからそのような編集行為を取り除くのは別の問題ということなんだと思います。件のコメント依頼ページの場合、話があまりにもぐだぐだしていて議論が追えていない、当事者の間で何がどこまで合意しているのかよくわからない、あととにかくもう終わらせたい、という心理が働いたのではないでしょうか。私の場合、Dwyさんのコメントをぶら下がり位置に戻した上で頭痛さんのまとめごとノートに移動するということで当事者間では合意されていたような気がしていたので、Ks aka 98さんによる整形にはあれっと思ったのですが、それ以上いじる気力はなかったです。--Bugandhoney会話2013年1月25日 (金) 05:06 (UTC)[返信]

議論が長い…ので、質問者にDwyさんに対するコメントのみになりますが、一応これまでの形式的に(あくまで強制力なんてものはありませんが)、まとめは依頼者の方がやったほうが「すっきりする」という感は確かにあります。しかし、それが適切な内容でないと感じた場合に、第三者が反論を行うのも自由でしょう(上に書いたようにすっきりとした終わり方にはならないかもしれませんが)。今回の場合、削除でなく移動であることからまた話がややこしくなっているのかもしれませんが、いわゆる「まとめ合戦」みたいなものがもし延々と続いた場合のみ、移動もありなんじゃないかと思います(依頼者による最初のまとめも含めて)。いずれにしましても、まとめってそんなに大事なことでしょうか?私にはそうは思えませんしそこまで拘りを持つ必要はないでしょう。これまでの依頼でも、まとめなるものが存在するものやそうでないものなど、まちまちでしょうし、そんなもので揉めるだけ馬鹿馬鹿しいと思うのですが…。上では依頼者がやればすっきりと書きましたが、別に第三者の方が上手くまとめられるのであればそれでいいでしょうし、ないならないで構わないと思うのですよ。これも一種の形式的なものであって、人によってまとめがあるのが当たり前のように感じてしまっていることが原因になっているのではないでしょうか?勿論、中には自分の恣意的な考えを反映させたいだけの方もいるかもしれませんし、注目の案件でそういった意図のまとめがなされた場合は、揉める確率が高いのではないかと思いますが。いずれにしましても、移動や除去をされた頭痛さんのやりようについてあくまで議論をするというのであれば、井戸端でなく個人に対するコメント依頼やブロック依頼が適切なんでは?と思いました。そこで賛同を得られるかはまた別の話ではありますが。--CHELSEA ROSE会話2013年1月21日 (月) 17:52 (UTC)[返信]