Wikipedia:井戸端/subj/「は」と「とは」、どちらを使いますか?
表示
< Wikipedia:井戸端 | subj
|
「は」と「とは」、どちらを使いますか?
[編集]私が強迫性障害で完璧主義なのかもしれませんが、記事の書き出しの所、「○○(読み)は」と「○○(読み)とは」とで分かれてしまう必然性が見いだせません。例えば英語版ウィキペディアのほうは"is"や"was"などが使われています。それを日本語に直訳すると「○○は」になると思うし、実際多くの記事がそうですが、「○○とは」から始まる記事も少なくはありません[1]。百科事典として「とは」のほうが適切な気もしますが。その辺はどうお考えなんでしょうか。 --以上の署名のないコメントは、42.126.144.72(会話)さんが 2018年1月5日 (金) 15:12 (UTC) に投稿したものです。
どちらでも支障ないから、書く人によって分かれているだけではないでしょうか。--ただのしかばね(話 / 歴 / 記) 2018年1月5日 (金) 15:52 (UTC)- 『は』の方が自然な場合と、『とは』の方が自然な場合と、有るという事ではないでしょうか。提示された検索結果を見ると、『は』だと違和感のあるものが結構ありました。逆に、『は』の方が自然な場合も多いからこそ、『実際多くの記事がそう』なのだと思います。--ただのしかばね(話 / 歴 / 記) 2018年1月5日 (金) 15:57 (UTC)
- どちらでも、その文の結びの形に対して自然なほうを用いれば良いかと思います。紙でできた(日本語の)事典・辞典類では「A(=項目名)は/とは、Bである。」という書き出しの文はなく、書き出しはいきなり「B。」ですから、こういう書き出しは、いわばウィキペディア独自の慣例なんですよね…。で、紙の事典・辞典で標準的な体言止めも、ウィキペディアでは嫌われる傾向があるので、書き出しの一文も「……である」「……をいう/指す」など様々です。前者なら は/とは どちらも使えるものの、後者だと とは のほうが自然な気がします。--Hisagi(会話) 2018年1月5日 (金) 22:18 (UTC)
- この手の文章をよく目にするせいかもしれませんが、用語の定義として書くというのであれば、当方としては「とは」を使う方が違和感が少ないです。ただ、あえて統一を図る必要性までは感じません。 --kyube(会話) 2018年1月6日 (土) 05:03 (UTC)簡易的にreferencesを設置しました。 --kyube(会話) 2018年1月6日 (土) 05:03 (UTC)
- ただ、なぜか人物記事の場合は、「は」の方が違和感がないですね。謎です。 --kyube(会話) 2018年1月6日 (土) 07:00 (UTC)
- 主題が「A山」「B川」「C湖」「D市」など、「山なんだね」ということが自明であるような場合には、「A山は」で始めるのが自然なんだろうと思います。名称は「A山」だけど、実はこれ果物の品種名なんです、みたいな場合には「A山とは」で始めるほうが自然な感じがします。感じですが。ま、どっちでもいいこと、気にするようなことではないと思います。英文でも「A is 」と「A is 」でニュアンスは変わりますし。--柒月例祭(会話) 2018年1月6日 (土) 07:08 (UTC)
- 端的に言えば、よく知られた事物のうちのひとつである場合には(その事物への言及は不要なので)「は」、事物そのものに言及する必要がある場合には「とは」という事だと思います。ニュアンス的には違うものだとは思うのですが、いざ言葉に収束して説明するとなると難しいですね。--Hiroes(会話) 2018年1月6日 (土) 09:26 (UTC)
- ご質問の趣旨から少し逸れるかもしれませんが、「は」と「とは」に加えて「では」「には」も交えて捉え直してみると、なんだか面白そうですよ。jawpの記事の書き出しにおいて、主題を提示するときに使う表現として、「とは」は「…とは何ぞ(や)」という疑問形を念頭に「…とは何かというと」を省略した形(例: 人間)、「では」は一言では言い表せないような主題(例: 日米関係)を提示する形の一つ、「には」は様々に定義され得る主題を間接的に提示する形の一つ(例: 音楽)、といったところでしょうか。私個人の感覚としては、「とは」を用いると、その後に続く文の内容について、読者/聞き手の関心を引きつける効果が表れるような感じがしますし、先に挙げた【人間】のように、定義が哲学的なニュアンスを帯びるような主題にも「とは」が使えると思います。このほか、ウィクショナリーの【とは】の説明「通常、ことを用いて定義する」という見方や、Hisagi氏のコメントにあるような「係りと結び」の関係を基礎にする考え方も理にかなっていると思います。--Doraemonplus(会話) 2018年1月6日 (土) 15:25 (UTC)
- あまり上手く言えないのですが、固有名詞に「とは」を用いるとやや礼に欠ける感じがするのは私だけでしょうか。なんでだろうと考えてみると、「は」は「ほとんどの人が知っているであろう」表現、「とは」は「さほど著名とは言えない/知らない人が多々居るであろう」表現なのかな、と思ったりします。人名や団体名・車名や番組名など、少なからず愛着や親近感を持てる固有名詞である場合に顕著に感じます。個人的には生物全般にも「とは」はそぐわない(と言うより「は」の方がしっくり来る)感があります。--Purple Quartz(会話) 2018年1月14日 (日) 07:16 (UTC)
- 他の皆様と同じような内容とも思いますが、個人的には、対象が明確な場合(例えば人物)は「は」、その用語の指す意味や範囲も含めて改めて説明したい場合(例えば左翼・右翼、全体主義)は「とは」、というニュアンスがあると思います。言い換えれば、本当は「世間では安易に使われているが、そもそも左翼・右翼という用語は」と書きたいような場合は「とは」が向くし、逆に「は」でも「一般には」などを併記している場合はニュアンス的には「とは」に近い気もします(例えばジプシー)。とはいえ、人物でも歴史上の人物で存在が曖昧な場合もあり、一見明確な「動物、植物」なども完全な分類はできないので、程度問題ですし、編集者による個人差も大きいため、明確な使い分けはされていない(というか、できない)と思います。語尾の「〇〇です」(普通の断定)、「〇〇である」(強く断定)、「〇〇のことである」(改めて強く断定)も似たようなものかと思います。また、同じ記事内でも、堅苦しい「とは」「である」などは、記事の冒頭(導入部)や概要では平易さを優先して避けて、記事詳細では多用する場合もあると思います。ただし冒頭を意図的に単純化して平易に書くと、冒頭だけ読んで「不正確」と指摘する人と議論になる事も多く、難しいところですが、最後はバランス感覚や編集者の趣味などかとも思います。--Rabit gti(会話) 2018年1月14日 (日) 07:26 (UTC)
- ご質問の趣旨から少し逸れるかもしれませんが、「は」と「とは」に加えて「では」「には」も交えて捉え直してみると、なんだか面白そうですよ。jawpの記事の書き出しにおいて、主題を提示するときに使う表現として、「とは」は「…とは何ぞ(や)」という疑問形を念頭に「…とは何かというと」を省略した形(例: 人間)、「では」は一言では言い表せないような主題(例: 日米関係)を提示する形の一つ、「には」は様々に定義され得る主題を間接的に提示する形の一つ(例: 音楽)、といったところでしょうか。私個人の感覚としては、「とは」を用いると、その後に続く文の内容について、読者/聞き手の関心を引きつける効果が表れるような感じがしますし、先に挙げた【人間】のように、定義が哲学的なニュアンスを帯びるような主題にも「とは」が使えると思います。このほか、ウィクショナリーの【とは】の説明「通常、ことを用いて定義する」という見方や、Hisagi氏のコメントにあるような「係りと結び」の関係を基礎にする考え方も理にかなっていると思います。--Doraemonplus(会話) 2018年1月6日 (土) 15:25 (UTC)
- 端的に言えば、よく知られた事物のうちのひとつである場合には(その事物への言及は不要なので)「は」、事物そのものに言及する必要がある場合には「とは」という事だと思います。ニュアンス的には違うものだとは思うのですが、いざ言葉に収束して説明するとなると難しいですね。--Hiroes(会話) 2018年1月6日 (土) 09:26 (UTC)
- 主題が「A山」「B川」「C湖」「D市」など、「山なんだね」ということが自明であるような場合には、「A山は」で始めるのが自然なんだろうと思います。名称は「A山」だけど、実はこれ果物の品種名なんです、みたいな場合には「A山とは」で始めるほうが自然な感じがします。感じですが。ま、どっちでもいいこと、気にするようなことではないと思います。英文でも「A is 」と「A is 」でニュアンスは変わりますし。--柒月例祭(会話) 2018年1月6日 (土) 07:08 (UTC)
- ただ、なぜか人物記事の場合は、「は」の方が違和感がないですね。謎です。 --kyube(会話) 2018年1月6日 (土) 07:00 (UTC)
私は「とは」を使います。--パープルレッド(会話) 2018年1月15日 (月) 22:48 (UTC)
言われて改めて考えると「感覚的に使い分けている」ように自己判断しました。ただ、必ずどちらかに統一せよ、と言われると弊害の方が大きそうな気がします。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年1月16日 (火) 03:53 (UTC)
- 私論でありまするが、普通は目的語として限定的な「とは」を使うべきでありましょうな。すなわち、「AはBである」「AとはBである」では後者のほうが読み手に対しての問題が起きづらいためであります。「月は地球の衛星である。」と「月とは地球の衛星である。」、どちらが(Wikipediaにおいての)頭文として自然であるかは自明であります。ではどういうときに「は」が許容されるかといえば、以前に(頭文などで)語をきちんと定義され、それを継承した文を書くときでありましょう。「月とは地球の衛星である。月は球形をしており~」と「月とは地球の衛星である。月とは球形をしており~」では後者のほうが幾分冗長的で、省略できる上に読み手に混乱を招くおそれも少ないでしょう。
逆に私文であれば、言い換えれば語に私観、筆者などの意識主体を付与することが許可されるならば「は」の使用や「とは」の乱用は吝かではないでしょう。例えば「吾輩は猫である。」と「吾輩とは猫である。」では後者は完全に語義が寸断され、「吾輩」という語の語義を広義にせず猫と提起しており、私観が喪失していることが逆に問題になっております。
また拙論ではありまするが、Wikipediaの記事にはウィキペディアンの意識や私観を持ち込んではいけない、すなわちウィキペディアは常に三人称でなければならないと思うので、語義を目的しない語であり、逆に一人称的に語義を提起し私観の介入を許可し詩文に変じさせる可能性すら孕む「は」は非常に慎重に使われるべきであり、仰るようにTPOを辨えずに使われているならば大いに修正されるべきであると小生は愚考いたします。
小生個人としては、そもそもなぜ「英語版でwasを使っているから日本語版では直訳して「は」を使う必要がある」と考えてしまったのか、その点について拝聴したくあります。--力在領域(会話) 2018年1月23日 (火) 19:41 (UTC) - 蛇足ですが「とは」は「と(いうもの/用語/概念)は」の意味と思います。一般論では、人物でも「夏目漱石」ならば「は」、実在不明な「卑弥呼」ならば「とは」が向くと思います。しかしウィキペディアでは、百科事典としてより正確な表現を重視するか、冒頭文では簡潔な表現を優先するかはバランスの問題でもあり、更に各分野での傾向、各主題の特徴、編集者の個人差などもあるため、単純な統一は不可能(不適切)と思います。--Rabit gti(会話) 2018年1月27日 (土) 09:20 (UTC)