Wikipedia:コメント依頼/Yassie 20100525
利用者:Yassie(会話 / 投稿記録 / 記録)さんの行動についてコメントをお願いいたします。
今回、Wikipedia・トーク:管理者の辞任において、本来名前を挙げずとも通じる例示でありながら、利用者:NiKe(会話 / 投稿記録 / 記録)さんのお名前を出していらっしゃいます。「利用者・トーク:Yassie#お願い」にて殊更名前を出すことはなく、ただの感情論になってしまうために今後は自粛をしていただきたい旨、お願いしました。
Yassieさんが利用者:NiKe(会話 / 投稿記録 / 記録)さんををよく思っていらっしゃらないことは、Yassieさんご自身が表明しているとおりです。
- Wikipedia・トーク:曖昧さ回避
- Wikipedia・トーク:管理者への立候補/Mitsuki-2368 20091023 下段
- Wikipedia・トーク:管理者への立候補/Mitsuki-2368 20091023 その2
今回の差分のように「例えば[[利用者:NiKe|この人]]などとは違って」というような編集の仕方の場合は、検索にかかりにくいので実際にはもっとあるかもしれません。
仮にYassieさんが言うように「解任審議を経て解任となった方」について言及するならば、名前を出す必要はありませんし、この発言のみであればさほぼ問題視することもないとは思います。しかしながら対象となる利用者は上記のリンクでも明らかなように、Yassieさんが良い感情を持っていない方であることは明らかです。Yassieさんがどなたを嫌いでも構わないのですが、こう言った言動を、非常に執拗にくりかえし表明する意味は全くないと思われます。
私は、「Wikipedia:礼儀を忘れない」から文中の「無礼なふるまいとは、「深刻な争いやストレスを引き起こす土壌をつくりだすような、他者への攻撃的な行為のこと」と大雑把ながら定義できます」を引用し、相手の方にとってはストレスを引き出す土壌を作り出して欲しくないと思い、無益で無意味なのでやめていただきたいと思い、お話をしてみましたが、ご理解がいただけません。
現在Yassieさんが「利用者・トーク:Yassie#お願い」にて主張しているようなロジックであれば、特定の利用者に対する負の感情に基づくと思われる発言であっても、「Wikipedia:礼儀を忘れない」の理念と照らして容認されうるものなのか、広くご意見を伺いたいと思います。私個人としては、「そんなことを言わなくても、他の言い方でいくらでもなんとかなる事なのに、何故そうしないのだろう」という単純な印象です。よろしくお願いします。--海獺 2010年5月25日 (火) 12:19 (UTC)
被依頼者のコメント
[編集]Wikibreak中ですが、コメントします。まず、依頼者が述べているそんなことを言わなくても、他の言い方でいくらでもなんとかなる事なのに、何故そうしないのだろうとのことですが、私はものをズバリ、ハッキリ、ありのまま述べることが悪いと思ったことは一度もありませんし、悪いと思ってたらそもそもそうしません。逆に、物事を所謂「オブラート」とやらに包むことによって、何を伝えたいのかを解りづらくし、それを引き出すために何往復も何十往復もしなければならない状況を作り出すことのほうが、はるかにストレスのたまるコミュニケーションだとも思っています。同様の理由で、主語や動詞や目的語や補語や例示を明らかにすることが悪いとも思いませんし、Yes/Noはハッキリ言うべきであるとも思っています。従って、「なんで例示として名前を出すことが悪いの?」というのが、未だに理解できません。それとも、依頼者がノートに記していることから鑑みるに、例えばくだんの元管理者の代わりに、(解任前に特に私と対立していなかった)Lonicera様の名前でも出していたら、問題にならなかったのか? とも思います。
次に「もう終わりにしたら?」という点ですが、私がくだんの元管理者からさんざん、管理者権限をちらつかせた(と言うか濫用までされた)ばかりでなく、Lemon pieやMikihisaという長期荒らしに荷担してまで嫌がらせを受けていたことは、既に皆様もご存知の通りかと思いますが、未だにくだんの元管理者の存在は、私にとっては恐怖です。時間が経って、皆が忘れた頃にしゃあしゃあと立候補して、質疑で口の上手さを活かして過去の悪行をごまかして管理者権限を得て、再任されたらこれ幸いとばかりに、私に対して再び、かつて行ったような嫌がらせの数々をするのではないかという恐怖に、常に駆られています。その恐怖を取り去ってくれる、つまりくだんの元管理者の行動を改善させ、百科事典に寄与する結果を出させるか、自発的ないし投稿ブロックという手段を以って出て行かせるか(勿論、前者のほうが望ましいのは言うまでもありません)というのなら「もう終わりにしたら?」という提案も受け入れるにやぶさかではありませんが、そうでないのなら、教室でのいじめを見て見ぬふりをしているその他大勢の生徒のごとく、涼しい顔して「もう終わりにしたら?」などと言ってほしくない、というのが本音です。
私だって、安心して記事に専念し、記事だけ書いていられるなら、どれだけ楽だろうかと思います。しかしながら実際には、安心して記事に集中できない環境が残っています。その1つには、何が何でも自分の言うことを聞かせないと気が済まない、圧政的な管理者の存在が挙げられます。かつてはくだんの元管理者がそうでしたし、現在では、依頼者がそうなっていると言わざるを得ません。また、管理者間で意味不明な庇い合いをやられたり、IRC等で密談されたりといった、不透明な運営も、安心して記事に集中させなくする要因の1つです。Wikipedia・トーク:管理者の辞任で行われていた、本来ならばシンプルなことをああでもない、こうでもないとこねくり回して、たった1人の管理者の留任を図るような、「権力の亡者」たちによる争いがいい例です。繰り返しますが、私だって、そういった政治的なことに振り回されずに、安心して記事に集中したいのです。記事に専念して欲しいのなら、「お前は記事だけ書いてろ、あとは俺たちが決めたことにはいはい従っていればいいんだ」というような、運営側への従属を強いる方向ではなく、執筆者が記事に集中できるような環境を作って欲しいと思います。
勿論、圧政的な管理者や、政治的ないざこざには「関わらない」という方向もあるとは思いますし、できれば関わりたくないです。しかし、かつてくだんの元管理者がやったように、あるいは本件で依頼者がやっているように、向こうからつっかかってこられたらその方法も効きません。「対話拒否」という呪文がある以上、無視するという手は取れませんし、さりとて「長いものには巻かれろ」という発想も、私はおよそ持ち合わせておりません。「はい」というまで付きまとわれるからと言っても、言う通りにするつもりもないのに「はい」と言うわけにもいきません。他の方にとってどうなのかは解りませんが、私にとってはやはり「はい」はYes、「いいえ」はNoの意味であり、それ以上でも、それ以下でも、それ以外でもないからです。
それでは長くなりましたが、私は再び記事に集中するため、Wikibreakを継続します。本当に、記事に集中させてください。お願いします。Yassie 2010年6月1日 (火) 00:31 (UTC)
まず、Wikipedia‐ノート:管理者の辞任に関しては、言いたいことは言ってきましたので、こちらを参照していただければと思います。
で、私としては、今後は運営に対しては不関与・不服従を貫くことにしました。これまでは、jawpが百科事典を作るコミュニティだと思っていましたから、その妨げとなる、特にしがらみにしかならないようなことについてはハッキリとNoを突きつけてきましたし、くだんの元管理者のような、長期間Wikipediamにいるのに百科事典を作るという方向性に対して何らプラスの結果を出せないような人に対しては、ズバズバときついことも言ってきました。それはすべて、ものを良くしようと思っていたから、そしてそのためには、良いものは良い、ダメなものはダメとズバリ、ハッキリ言っていくことが絶対に必要だと思っていたからのことであります。もっとも、私としましては、ものをズバリ、ハッキリと言うこと自体については、全く悪いことだとは思っておりませんし、むしろ婉曲的な表現を用いて言葉を濁すことのほうが嫌味であると思っておりますが。
しかしながら、たった1人の管理者を何が何でも留任させたいが為に、ああいう意味不明なことを平然と行って、管理者ぐるみで腕ずくで解決しようとするのなら、もう、どうでもいいです。私としては、百科事典の構築になら関わる気はありますが、仲良しクラブの構築には関わる気はありません。従って、今後はそういう仲良しクラブさながらの運営にはもう関わりません。しかし、はいはい言うことを聞くということもしません。このサイトを調べ物に使う閲覧者のために記事を書き続けるだけです。あ、念の為あらかじめ言っておきますが、単に「自分らの言うことを聞かない」というだけでは、管理者は方針上投稿ブロックを課すことはできません。また、Wikipediaの管理者はあくまで、Administrator、つまり「庶務係」であって、通常会社組織において「上司」となるManagerではありません。外資系企業であれば、AdministratorとManagerの区別は明確です。
ですので、運営系のページでくだんの管理者に言及することも、必然的に無くなるであろうと思っています。運営に関わらず、記事だけ書く分には、記事を書かないかの元管理者には遭遇しようがありませんから。もっとも、かの元管理者のほうから私の会話ページや私の書いた記事のノートページに突っかかってきたり、執筆妨害・編集妨害をしたりした場合は、避けようがありませんが。
そういうことですので、依頼者が求める「自粛」と言うよりは、本コメント依頼にていすか様仰るところの「嫌いなものには関わらない」というところになりますでしょうか。「なんで例示として名前を出すことが悪いの?」というのは、今の今に至っても全く理解できるところではありませんが、それはおそらく、私と依頼者、ないし各コメント者の背負っている文化やコミュニケーションコードの違い故でしょう。もっとも、依頼者としては、少なくとも本コメント依頼のノートページを見る限り、会話ページでのやりとりや本コメント依頼の提出によって、私にどんな多大なストレスを与えたとしても、結果的に私がかの元管理者に言及しなくなるなら、本コメント依頼の効果はあるということなのでしょうから、それでいいのでしょう。
それでは運営系の皆様、さようなら。そして執筆者の皆様、これからもよろしくお願いいたします。閲覧者のために、共に良い記事を書き続けていきましょう。では。Yassie 2010年6月13日 (日) 16:22 (UTC)
- (コメント)前言の「管理系に対する不関与」を明確に撤回します。もっとも、今後も記事執筆を中心とした活動をしていく予定であること、および、記事だけに集中できたらどんなに楽だろうと思っていることには変わりがありませんが、「理不尽に耐える」などという感覚は、私はおよそ持ち合わせておりませんし、他者が理不尽な仕打ちを受けているのも、やはり見過ごせません。私としては、「教室でのいじめを見て見ぬ振りをするその他大勢」はいじめの当事者以上に卑怯で悪質だとも思いますので、そこに成り下がるつもりはありません。Yassie 2010年10月9日 (土) 10:29 (UTC)
コメント
[編集]- コメントYassieさんはウィキブレイクに入られたようで誠に残念なことです。私も過去に色々とやっていることからYassieさんの嫌悪感、海獺さんの危惧感もわかるような気がします。リアルタイムで確認したわけではありませんが、Yassieさんは長期荒らしの方に粘着的に付きまとわれており、それは他のプロジェクトにまで及んでいるようです。そういう意味では疲弊なさっていると思います。ましてや数年に渡って継続しているわけですからその疲弊は私の想像以上なのでしょう。その長期荒らしの方についてのページを拝見すると当該元管理者の方の名前が書かれており、過去に加担した旨書かれています。私はこのことをリアルタイムで確認していたわけではありませんので、事実かどうかはわかりませんが、当該ページに書かれている以上、間違いではないのでしょう。そうすると、長期にわたって悩まされている荒らしの方に対する苛立ちから当該元管理者への嫌悪感が増すのはやむを得ないと思います。そういう意味でハッキリ唐竹を割ったような発言をされるYassieさんが「例えば[[利用者:NiKe|この人]]などとは違って」と書かれるのはまだぬるい様にも感じます。その長期荒らしの方がYassieさんに付きまとう限りは改善は難しいのでないでしょうか?しかし、Yassieさんの心情は推して知るべしだと思います。もちろん、海獺さんの危惧もわかります。有る意味、現実社会であれば名誉毀損という問題にもなりかねないことです。しかし、当該元管理者の方が何も言わない間(例えば、当該元管理者の方がコメント依頼を要請するなど)は静観すべきかな、と思います。
- それよりも気になるのは、議論に首をつっこみ、もしくは議論を吹っかけられた時、議論が続くと記事の執筆に忙しいので貴方の相手をしている暇がない、という主旨の発言をされることです。議論に参加した、もしくは吹っかけられたならばそれに付き合うべきですし(実際、私はそういう場合、記事の執筆を諦めます)、執筆に専念したいならば首を突っ込まなければいいんじゃないかなぁと思います。まぁ、私も別のコメント依頼で人に政治にかかわるな的な事を述べておいて、現在、政治的なものにかかわっていることからダブルスタンダートなのですが、極端なことを言えば、例えば私が居なくてもWikipediaは長く続くプロジェクトなので誰かがいつか書くでしょうし(ましてや必要と思われる項目がないことなんて当たり前な状況です)、それはYassieさんにも言えることで別段、緊急な記事というものは無いと思います。ですので、慌てて記事を書くこともないと思うのです。そういう意味で記事の執筆が大事であれば議論に参加しない、議論を吹っかけられないように活動すればいいだけのことで記事の執筆をしなければならないので議論は終わりというのはアンフェアなように感じます。ですので、私にも言えることですが記事の執筆に専念すべきではないかと思います(私も今の議論が終わり次第、ブレイクなり執筆への専念をしようと思っています・・・が、投稿ブロックという道もあるかもしれませんね)。--Hideokun 2010年5月25日 (火) 16:05 (UTC)
- コメント まず、今回の海獺さんの危惧とYassieさんの発言、双方ともに理解できるということを申し上げておきます。Yassieさんへのコメント依頼なので、海獺さんの行為の是非については措きます(忠告自体は真っ当なものです)。Yassieさんは上でHideokunさん(敬称の畳語のよう)も書かれておられるように、基本的にご自分の感情を感情論のようには表明しない方です。少なくとも最近はご自身で語られているようにそれなりの理由がある場面で発言するよう心がけていると思います。海獺さんの挙げられた例の3つ目のコメントアウトも多少自粛されている現れだと思います。
- ということでYassieさんが、海獺さんのおっしゃるような負の感情に基づく攻撃を継続されていること自体は事実だと思いますし望ましくない行為だとも思いますが、現在Yassieさんは、少しずつ感情も収まりつつあり、少なくとも理由のない場面での攻撃は避けていると思います。要は改善しつつある状態なので、もう少し長い目で見てはどうか、勿論RfBなどは考えられないという認識でおります。--ろう(Law soma) D C 2010年5月25日 (火) 23:54 (UTC)
- コメント「そんなことを言わなくても、他の言い方でいくらでもなんとかなる事なのに、何故そうしないのだろう」という依頼者の言葉を借りれば、「コメント依頼なぞしなくてもいくらでもなんとなる事だろう」という言い方も出来ます。礼儀を重視するあまり事実がないがしろになるのであれば、私はYassie氏のやり方についても一定の理解はできます。「解任審議を経て解任となった方」という曖昧な書き方をすると当時の議論に参加していた利用者のみが理解できる内容となり、その経緯を知らない利用者にとっては意味不明の文章になる可能性も指摘しておきます。管理人という他者をブロックできる強大な権限を有した人物は、たとえ解任されたとしてもwiki空間では「公人」扱いされるべきと考えていますし、また管理者としての過去の不良行為を指摘されることを問題視するのであれば、管理人に立候補した段階でその可能性を考慮していない点は重大な瑕疵ありでしょう。私の結論は議論に必要であれば現在過去を問わず管理人のアカウント名記載、或いはアカウント名を記載し問題行為の例示とする行為にコメント依頼するほどの問題は感じません。またYassie氏がHideokun氏に対しどのような感情を有しているかについては推測の範囲を越えられない点、Yassie氏の信条の問題である点を考慮しコメントは差し控えたく存じます。--Yonoemon 2010年5月27日 (木) 07:18 (UTC)誤解を招く表現を修正--Yonoemon 2010年5月27日 (木) 10:39 (UTC)
- コメント言わなくてもいいことは言うなっていうのと具体的に名前出したほうがわかりやすいって争い?好き嫌いの問題じゃないの?--テレポちゃん 2010年5月27日 (木) 12:27 (UTC)
- コメント Nikeさんとの過去のいきさつは、それなりに理解しているつもりですが、もうこの辺で終わらせては如何でしょうか。Nikeさんが、どこかで発言する度に、すぐさまレスをつけたり、今回のようにワザワザ名前を挙げて例示したり・・・。それを目撃するのは1度や2度ではなく、傍から見ていて、あまり気持ち良いものではありません。どうしても我慢がならないようでしたら、(経験から申しますが)しばらくは閲覧も含め、完全ブレイクすることをお勧めいたします。--Ashtray 2010年5月29日 (土) 12:14 (UTC)
- コメント - NiKeさんの名前を出していますとのことですが、「[[利用者:NiKe|この人]]」のように配慮する形になっているので特別問題にはならないと感じます。管理者とは関係ない場所でNiKeさんの編集姿勢を引き合いに出しているのならば問題ですが、今回の場合、管理者権限に関する場であり、このような例示は必要とまでは言いませんが、あっても問題視するほどではないと考えます。--akane700 2010年5月29日 (土) 13:39 (UTC)
- コメント - 被依頼者のこのようなコメントを、私は決して支持しません。がしかし、ことさら問題視もしません。なぜならば、利用者間の確執が問題の根源であるうえ、被依頼者は結果として長期荒らしに付きまとわれることになっているからです(当コメント依頼もその標的にされています)。被依頼者の精神的負荷は理解できます。第三者から根本的な解決を求めるのだとするならば、必要なのはこのような行為の中止要請ではなく、被依頼者 - 被依頼者の発言で示唆された利用者間の関係の修復をとりなすことであり、それがなされていない現状、致し方なしと考えます。
- しかしながら、被依頼者に申し上げたいこととして、「もう少し余裕を持ってはどうだろうか?」ということです。私も人間ですので、嫌いな利用者はいます。現在進行形で、「なぜこの人がブロックされないのか」という人物すら存在します。ですが、私のほうからその方に対し何らかのアクションを起こしたことはないですし、今後もないでしょう。それをすれば問題を大きくするだけでなく、自分の腹も痛む場合があるからです。嫌いな人物に関わってさらに痛みを負うことほど不快なことはありません。けしてポジティブな理由ではありませんが、「自分の不快を避けるため」今後発言をしないという手はあるのではないでしょうか。もちろん、根本的に和解が成るのなら、それがもっとも良いことであるということは間違いありませんが。-- いすか (talk/wikimail/contributions) 2010年5月29日 (土) 15:14 (UTC)
- コメント - 被依頼者の行動を支持しません。「ああ、またやってるよ……」という感じです。あなたはこう[1]書かれていますが、あなたの行為は百科事典構築のための一助にでもなっているのでしょうか?--Centaurus 2010年5月30日 (日) 08:47 (UTC)
- 依頼者は唐突に被依頼者との対話を打ち切って本コメント依頼を出しており、こちらの依頼趣旨からは肝心の「依頼趣旨」がさっぱりなので。本コメント依頼は依頼者自身の対話能力の限界から他ユーザーに協力を求めてのものなのか、投稿ブロック依頼または管理者である依頼者自身による裁量ブロックを前提としたものなのか、いったい何を意図したコメント依頼なのか明示していただきたい。--Dojo 2010年5月30日 (日) 13:21 (UTC)
- どちらでもありません。私自身の対話能力は客観的に他の方が評価・判断することだと思います。ただ、このまま1:1でお話するよりも広く意見をうかがった方が良いと判断し、予告した上でコメント依頼を提出する行為を、Dojoさんが「唐突に対話を打ち切」ったと考え「対話能力の限界」と形容されるのであれば、Dojoさんの印象を覆すための説明は行いませんし、そのように捉えていただいても差し支えありません。
- またブロックを前提したものでもありません。私は被依頼者へのブロックについてどこでも言及していないつもりですが、そう感じた箇所がありましたらご指摘をいただければと思います。
- 依頼主旨は、依頼文にあるとおり、「特定の利用者に対する負の感情に基づくと思われる発言であっても、「Wikipedia:礼儀を忘れない」の理念と照らして容認されうるものなのか、広くご意見を伺いたい」というものです。依頼のトークページに追記したのは、以前からの継続的な要素には触れず今回のきっかけとなった差分の内容を単体で取り上げていると思われるコメントがありましたので、蛇足ながら説明した次第です。また依頼者としてはWikipedia:礼儀を忘れないを引用した上で「相手の方にとってはストレスを引き出す土壌を作り出して欲しくないと思い、無益で無意味なのでやめていただきたい」と思っているということも依頼文に含めてあります。
- 依頼主旨をおわかりいただいている方も多いようですが、Dojoさんにとってはどういった点がわかりにくいのか、もう少し具体的に教えていただけないでしょうか?--海獺 2010年5月30日 (日) 13:50 (UTC)
- (コメント)個人的にYassieさんの歯に衣を着せぬ発言は大好きでして、的確に問題点を指摘し、有言実行の氏の言動は好感すら覚えます。しかし、ある特定の方に関する対応や言動は、普段の氏の客観視点が一切見られず、常軌を逸した言動が見られることは非常に残念です。ことあるごとに無関係な場においてその方たちの名前が出てくることすらあります。[[利用者:NiKe|この人]]という書き方は配慮でもなんでもなくて、単に名前を出したいだけであるようにしか思えません。それが無関係な場であるならば、なおさら晒したいという一念によってのみ書かれていると判断せざる得ないでしょう。なにも特定の利用者に名前を出さなくても主張をすることは可能なのですから、そういう大人気のない対応せず、もっとまっすぐに主張していけばいいと思うのです。Yassieさんはそれが十分できる方です。ぜひ、そういうようにしていっていただきたいと思います。また、そう促すためにこのコメント依頼が起こされたのだと私は受け取っておりますので、出されたことの意味意義は十分にあったものと考えております。--Star-dust 2010年5月30日 (日) 14:09 (UTC)
- 被依頼者のコメントを拝見しました。とても言いづらいのですが、ちょっとダークサイドに落ちまくっていて正常な判断ができてないんじゃないかと。強迫観念と被害妄想が文面から強く出ている印象を受けました。私見なんですけど、いつもの冷静な判断ができるまで月単位とかで長い時間ウィキペディアから完全に離れちゃったほうがいいんじゃないでしょうか。いつか、たまりにたまって暴発しないか、そういう心配をしてしまいそうです。それくらいの危機感を感じるコメントでした。--Star-dust 2010年6月1日 (火) 14:50 (UTC)
- (コメント)akane700氏にほぼ同じですが、被依頼者の意見に賛同はしませんが、管理者の辞任・解任に関する話題であれば全く関係ないことでなく、ありだと思います。特に個人攻撃をしないであるとか礼儀を忘れないだとかいう曖昧な方針に関する権限行使については利用者が注視して当然でしょう。johncapistrano 2010年5月30日 (日) 14:31 (UTC)
- (コメント)私事でウィキブレイク中でしたが、一言だけ。コメント依頼の対象となっているYassieさんの行動に賛同はしません。しかしながら、第三者が特段あげつらう必要性も無いように思います。Wikipedia:礼儀を忘れないにも無礼や下品はこのようなプロジェクトでは完全には回避できないということを受け入れ、自分は同じように対応しない。とありますように、Yassieさんの行動を見て快く思わなかった各々が「自分はそうした行動は控えよう」と自戒すれば良いのではないでしょうか。いたずらにこのようなコメント依頼を提起することで、Wikipediaにとって別の悲劇を引き起こしはしないかと、そちらの方が心配です。依頼者の海獺さんは、そうした配慮ができる方だと思っていますし、できれば別の解決方法を模索していただきたかったです。--R.Lucy 2010年5月31日 (月) 14:42 (UTC)
- コメントYassieさんはご自身の信念を貫かれる方で、恐らくこのコメント依頼にどのような意見が寄せられたとしても、ご自身が信じる道を進まれると思います。この件について、個人的にはう少しやり方を考えられてはと思いますが、止めようがない以上はただ見守るしかありません。そう判断していることもあってコメントはしないでおこうと思っていたのですが、2010年6月1日 (火) 00:31 (UTC)のコメントを拝見してYassieさんの精神状態が心配になりました。確かに、管理者が権限を濫用したり権限をちらつかせ恫喝をすることは他の利用者にとって脅威です。実際にそういう目に遭われたことで相当の脅威・恐怖を感じられたかもしれません。しかし権限を失った元管理者に対し、未だに恐怖を感じるというのはいまひとつよく分かりません。問題の元管理者の履歴を見ずに書きますが、その人物は管理者権限を失った後にもコミュニティにおいて隠然たる政治力を維持し続けているのでしょうか。そうであればある程度は理解できますが…「再任されたらこれ幸いとばかりに、私に対して再び、かつて行ったような嫌がらせの数々をするのではないか」と書いておられることから、Yassieさんが脅威・恐怖を感じるような嫌がらせをする力はもはや失われているとYassieさんご自身も感じておられるのではありませんか?もし再び管理者になったら、ということを懸念されているようですが、再度立候補した際に質問の場で追求すれば済むことではありませんか。件の元管理者がYassieさんに対する長期的な攻撃・嫌がらせに加担しているということについてはこの場でも理解を示している利用者がおられます。立候補の場でYassieさんが問題点を指摘すれば、コミュニティの理解は得られるはずです。コミュニティを説得できるだけの説明能力をYassieさんはお持ちですし、コミュニティもYassieさんのコメントに耳を貸さないことはないと私は信じています。私にも最低最悪と信じて疑わない元管理者がいます。私はかねてからその利用者の振る舞いに疑問を感じていましたが、Yassieさんがその利用者の権限行使について異議を唱え、コミュニティがそれを支持したのを見て大いに勇気づけられ、解任に繋がるアクションを起こすことができました。その一件から私はコミュニティの判断能力を信頼すると同時にYassieさんを義心があり勇敢果断な方だと思っておりますので、私にとっては実現可能性が疑わしい、コミュニティにノーと言われて解任された元管理者の返り咲きなどといったことにYassieさんが恐怖されているのは意外であり、かなり強度の強迫観念にとらわれているのではないかと心配しています。--廉 2010年6月2日 (水) 08:11 (UTC)
- コメント YassieさんがNiKeさんについて言及するのは何度も見かけましたが、実際にはその必要がないケースがほとんどだと思います。今回のケースでも、解任投票の手続きによって管理者を解任された方は複数おられるにも関わらず、殊更にNiKeさんのお名前だけを出した意図は理解し難いところです。会話ページでは「「コミュニティによって『管理者不適格』という合意が形成された結果権限を剥奪された人」の例として、事実上いの一番に解任された人を出しただけ」との説明がありましたが、日頃のYassieさんの振る舞いを考慮すれば、額面通りに受け取ることは困難です。
ウィキペディアにある程度の期間関わっていれば、どうしても意見の合わない人というのは誰にでもいるものです。しかし過去に特定の利用者との間に起こったことを必要もない場面にまで持ち出すようなことは、ほとんどの人はしていません。このようなことは場を徒らに殺伐としたものにするばかりでなく、議論の主題を拡散させることにもつながりますので、他の議論参加者にとって迷惑なだけです。Yassieさん自身にとっても、何年も前に起こったことをいつまでも根に持ってくどくどと恨み節をぶちまけるというのは全く子供じみたことで、みっともないのでお止めになった方がいいと思います。
「記事に集中させてください」とのことですが、Wikipedia‐ノート:管理者の辞任#自動退任のような高度に政治的な案件に進んで介入したのはほかならぬYassieさんご自身です。この件でYassieさんにコメントを求めた人など誰もいません。このような案件で個人攻撃紛いの発言をすれば、その真意を問いただされてしまうのは仕方のないことです。記事に集中したかったら、自分がそうすればいいだけのことです。それを敢えて、こうした政治的な案件に口出しするのなら、自分の発言に責任を持って、最後まで真摯に対話に応じるべきです。自分の言いたいことは言うけれども、その発言が物議を醸したらウィキブレイクに入る、というのは責任ある態度とは言えません。それは記事執筆を隠れ蓑にした、逃避というべきものです。
長期荒らしに粘着されていることに関しては同情します。しかしこれも、荒らしに対して必要以上に攻撃的な態度をとることが誘発しているという側面もあるのではないかと思います。私論ですがWikipedia:荒らしを侮辱しないという文書がありますので参考にしてみて下さい。--sergei 2010年6月3日 (木) 16:15 (UTC) - (コメント)コメント依頼のページから参りました。私は記事編集をする予定がないので利用者名を取得していませんが、井戸端や投稿ブロック依頼、コメント依頼といった場所は時々拝見していますので、被依頼者であるYassieさんの「特定の利用者名を出す必要のないところで、ご自分が好意を持たれていないと思われる方の名前をあえて出す」という行為は何度も目にしましたし、正直不快とも思っています。しかしそのことを指摘する方を今までお見かけしたことがなく、もしかするとWikipediaでは容認されることなのだろうか?と疑問に思っていましたので、今回のこのコメント依頼を拝見して「必ずしも容認されているわけではなかったんだな」と、疑問が解けてほっとしました。
ただ、私が何度も目にしたことがある方ってNiKeさんじゃなくて別の方なんですよね(その方のお名前を出してよいか判断に困ったので、ここでは書きませんが)その方に対してはそれこそ親の仇か何かですかってくらい、事ある度に名前を出したり利用者ページへのリンクを貼ったりしては非難されているので、もしかすると被依頼者様はこの行為を「何も問題はない普通の行為、正しい行為」と考えていて、それ故他の好意を持たれていない方についても同様の行為をされているのではないかと感じました。そしてそうだとすれば、やはりそこは考え直していただきたいと思います。
(なお念のため書き添えますが、名前を出された方々が過去にとられた言動に問題がなかったとは思っておりません。ただそれを理由にして、「こんなことをされても仕方ないくらい悪い利用者だ」と言わんばかりにこのような行為をされているのが不快だと感じています)61.210.115.53 2010年6月12日 (土) 07:11 (UTC) - コメント 経緯を拝見すると海獺さんの善意からスタートしたアドバイスに対し、Yassieさんが感情的に海獺さんを攻撃するばかりですね。Yassieさんは、「なぜ自分が注意されたのかという反省点」に目が向けられていない。自分の非を認めるのは勇気がいることですね。数年も過去に解決したNiKeさんの件を蒸し返して持ち出す事例から、自分と反目した他人を後世まで許せないYassieさんの性格が理解出来ます。「自分はぜったいに正しい。間違っているのはお前だ!」というYassieさん態度は、今回に始まった事ではありません。ウィキブレイク後に戻られても、なぜ海獺さんに注意されたか理解できなければ、同じように他のユーザーと本来は無くて良い衝突を繰り返すのが心配です。--ホオズキ 2010年6月15日 (火) 16:53 (UTC)
- コメント 被依頼者であるYassieさんのご主張には、どういった趣旨なのか私にはよく分からないところが、二つあります。Yassieさんの意図がよく分からないのですが、しかし、ともかくその考えが一般化・拡大されるとおかしなことになるだろうと思えるので、Yassieさんに対してというよりもウィキペディア日本語版コミュニティに「クギをさす」趣旨で、指摘しておきたいと思います。
一点目。Yassieさんは「仲良しクラブの構築には関わる気はありません」とおっしゃっています。たしかに、プロジェクトとしてのウィキペディア日本語版は、百科事典の作成を目的とするものであり、社交それ自体を目的とするものでも、社交を目的とする集団を作ることを目指すものでもありません。
しかし、社交それ自体を目的とはしなくとも、協働作業を含む活動であれば、参加者の互いへの配慮はそれなりに必要でしょう。「仲良しクラブの構築」に関わる気がないからといって「仲良く」しなくてもよいことにはなりません。
二点目。「私はものをズバリ、ハッキリ、ありのまま述べることが悪いと思ったことは一度もありませんし、悪いと思ってたらそもそもそうしません」とのことですが、何かを述べなければならないのであれば、それはハッキリと明確に述べるべきだ、というのであれば十分に理解できます。
しかし、そもそもそれを述べるべき時・場所・状況ではないのに、あることを述べてしまったら、それが曖昧なのであれ、明確なのであれ、非難されうるのは当然です。その点について、自分は明確、正確に述べたのだということは反論として十分なものとはいえないでしょう。
「正直が最高の徳である」というのは、日本人的な感性として、私も理解できます。しかし、私としては、ウィキペディア日本語版がそのような「徳」を過大に評価しないことを望みます。--mizusumashi(みずすまし) 2010年6月20日 (日) 14:50 (UTC)
- わたし自身は、jaWP上で生起するさまざまな課題について、被依頼者と立場を異にすることが多い、というかむしろ、かなり尖鋭に対立することが多いとおもいます。しかしいっぽうで、彼の「ズバリ、ハッキリ、ありのまま」という信条を実践しえている言動には、しばしば小気味よいものを感じ、ついつい共感してしまうことがあったのも正直なところです。
- ひところ、わたしの会話ページに複数の利用者が突撃するということが何度かくりかえされた時期がありましたが、そのとば口を開いたのは彼ではなかったかとおもいます。彼は自分の信念でそうしたけれど、彼に続いた者たちはその亜流にすぎません。わたしはそのやりかたに強い反感を覚えながらも、考えざるをえませんでしたし、彼の (いささか強引な) 問いかけがあったからこそ、いまでもウィキペディアに出入りしていられるのだとおもいます。
- いっぽうで (ここからは批判になります)、被依頼者の「ズバリ、ハッキリ、ありのまま」なる信条には疑いも持っています。たとえば、会話ページの
30日30KB過去ログ化。検索にもかからないようにすることで、一方的に対話を打ち切り、自身の放言したことへの追及を避けているようにも見えます。この点については、たいして「ありのまま」ではないのかな、との印象ももっています。 - また、特定の人物への執拗な言及には、正直言ってげんなりします。たとえば、jaWPでの著作権処理の方針が特定の (現在はjaWPに参加できない) 人物の意思に束縛されているといった主張を最近も繰り返していることは、とても理解できません。ウィキペディアンたちの胴体の上に
ついて載っているものは、奇抜な模様のサッカーボールではありません。ひとりひとりが、自分なりの判断で行動しているんです。この点は、コミュニティ内の他者に対して、相当に非礼だとおもいます。
- しばらく記事名前空間に専念されるとのこと、ちょっとほっとする(笑)と同時に、残念におもいます。落ち着かれましたら……または、ほかのウィキペディアンと触れ合いたいという気持ちになられましたら、またその痛快な発言を聞かせてください (できればお手柔らかに願いたいですが;-)。 --Hatukanezumi 2010年6月22日 (火) 12:16 (UTC) 訂正2箇所。--Hatukanezumi 2010年6月22日 (火) 12:23 (UTC)
- まぁ、いろんな人が記事作成に参加していていいんじゃないでしょうか? ここまでこじれた話の場合、現実的に会って対話とかをなぜしないのか、が不思議な点です。文字情報だけでは感情が類推しずらいので、出来ればWikimedia Conference Japan 2009みたいな機会が増えれば良いですねぇ。関西ウィキメディア勉強会などの取り組みは面白そうですね。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年6月26日 (土) 02:09 (UTC)