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Wikipedia:コメント依頼/Shingo.a 20180108

利用者:Shingo.a会話 / 投稿記録 / 記録さんのエホバの証人の広告宣伝・迷惑編集についてコメント依頼します。wikipediaにおいては『Wikipedia:自分自身の記事をつくらない』というガイドラインがあります。同様の観点から『Wikipedia:案内文の文例#関係者による自己宣伝と思われる投稿をする利用者に』や『Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説台、広告宣伝の手段ではありません』の「自己宣伝」項目にあるように広告・宣伝活動は不適切であることとなります。エホバの証人の信者であるShingo.a氏はそれを繰り返しており、再三の指摘でも考えを変えることはなく、むしろ他の編集者を挑発するような発言をしているため、第三者のコメントを依頼します。以上、宜しくお願い致します。--Solidrock0327会話2018年1月8日 (月) 15:33 (UTC)[返信]

宗教的用語の解説

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宗教に無縁な方も理解できる様、説明させていただきます。

  • エホバとは
キリスト教における神様の名前(呼び名、表記)。明治~しばらくは「エホバ」であった。現在の主流は「ヤーウェ/ヤハウェ」である。エホバの証人は「エホバ」こそ神の名である、とする。
  • 聖書における「エホバ」表記
日本では「文語訳聖書」1887(明治20)発行当時、「エホバ」と表記。「口語訳聖書」1955(昭和30)年では「主」という言葉に変わり、以後主要な日本語訳聖書では「主」とされている。
  • 新世界訳聖書
エホバの証人のオリジナル聖書。原文の意味や言葉を書き換えているため、エホバの証人以外では使用されていない。当然、「エホバ」と表記している。

経緯

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今回の問題編集「ヱホバ追記」

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記事内の神様の名前表記において、他の聖書訳では「主」とされる神様の名前の記述を「ヱホバ」にし、その正当化(出典通りに記述しただけです、という主張)のために出典として文語訳聖書(一般に使用頻度の低い文語による聖書)を追加している。現在、あまり「エホバ」表記は使用されておらず、ましてや「ヱホバ」などはほとんど使われることはない。ただひたすらこの単語を追記する目的だけの編集と言わざるを得ない。

問題編集

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新世界訳聖書とは、エホバの証人しか使用しない聖書(学術的に聖書とはみられていない、文言が教義にあわせて変更されている)。その引用を「口語訳聖書」と表記し編集が行われている。当方が「利用者‐会話:Shingo.a#三位一体における編集について」で指摘すると、「気づいていませんでした。」と回答。しかも、聖書を引用するのに出典としていたwikiソースが「ちょうどその箇所のみ」新世界訳聖書に改ざんされていた。その箇所の改ざんがShingo.a氏によるものでないとしても、「エホバ」という言葉は一切口語訳聖書には登場しないため、引用で気付かなかったのは不自然と言える。
(※その後、Kirche氏により「出典無効」タグを追加されている。
石打ちサウル神の王国(第1段階編集)神の王国(第2段階編集)アサ (ユダ王) ヒゼキヤエレミヤ書ダニエル書ヨシュアエリヤダビデウジヤ

私論の展開

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(※出典追加は編集参加にはならないのでガイドライン違反にはならないという私論。)
(※上記主張への苦言に対しての返答。)
(※これに対し当方がwikipediaのルールに従わない事の表明になる、問題の提起を行う、と言っても私論を変更せず。)
以下は2018年1月1日、ノート:サタン#「ヱホバ」という記述を削除する行為についてでの発言
  • 私の手元には「ヤハウェ」を出典とするものは残念ながら都合が良いものはありませんので、やむを得ず文語訳聖書中に出てくる「ヱホバ」を使っていたのです。
  • 私はただ単に率直な記述をするために出典として一時資料となる聖書しか使っていませんから、これくらいは「再検証など不要の常識」くらいにしか感じていません。文語訳聖書や口語訳聖書からの引用というのも特に深い意味は無く、ただウィキソースに用意されてて使える状態だから使ったまでです。
  • 宣伝しているつもりはありません。
  • あとSolidrock0327さんも「ヱ」と「エ」の区別すらつかないんですかね?
(※「ヱホバ」と「エホバ」は違うので、宣伝ではないという主張。)
  • 本件で話しているのは文語訳聖書中に出てくる「ヱホバ」の事です。文語訳聖書を出典にしてヤハウェの固有名詞を展開した場合に「ヱホバ」となる点についての話なので、唐突に「エホバ」の話を出されても本筋ではないのですが、
(※上記同様、「ヱホバ」と「エホバ」は違うので、宣伝ではないという主張。)
  • Solidrock0327さんが「この編集」として2点上げている点でも、私としてはWikipedia:論争のある記事#論争を記述するに基づき、Wikipedia:中立的な観点で記述しているだけです。
  • これでは問題提起を行なっても依頼不十分で却下になる気がしますので、Solidrock0327さんのためにもやめておいたほうがいいと思いますよ。

他者へのいいかがり・挑発

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以下は2018年1月1日、ノート:サタン#「ヱホバ」という記述を削除する行為についてでの発言
  • それをBiblenaviさんの「とりあえず不要」などという、なんとも軽率な判断で取り除かれた訳です。出典を用いて置き換えるならまだ静観していたでしょうが、ただ単に削除する行為はいかがなものかと思います。私はBiblenaviさんを記事の信頼性を低下させる、Wikipedia:荒らし#分かりにくい荒らしに該当する人物と見ておりますが、いかがでしょうか。
  • まぁまぁ、二人とも落ち着きなさい。
  • まぁまぁ、Solidrock0327さん興奮しすぎですよ落ち着いて。
  • そもそも論で言いますと、無礼を図ったのはBiblenaviさんの方な訳でして。私は別に多めに見ているのですけどね。
  • 私が取り消しを行った際、「差し戻し前にノーとにて合意を得て下さい。」と筋違いな主張をされたのはBiblenaviさんの方です。それなのにもかかわらず、私はこうしてノートにて合意を得ようとしているのです。分かりましたか?私の寛大さが。
(※「差し戻し」が問題であるのに、論点をずらしBiblenavi氏が悪いかのようないいがかり。)

依頼者からのコメント

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コメント 補足・追記しますと、今回の件で焦点となるのは以下です。

  • Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しない・・・『自分の主張や観点が否定された後もぐだぐだと固執し、いつまでも言い続け、他者の言葉を受け入れたり自らの過ちを認めたりすることを拒否』『しばしばこのような編集者は、要点をはっきりさせようとしてなされた、他者のささいな発言を根拠にして、次なる攻撃や妨害的編集を続けようとします。』『根拠に裏打ちされた意見を熟練した複数の編集者、管理者、調停者から示されても、「納得する」ことを意図的に拒否』

wikipediaのルールに従わない事の表明をし(利用者‐会話:Shingo.a#エホバの証人関連の編集はおやめください)、上記の『他者のささいな発言を根拠にして、次なる攻撃』の指摘通り、以下のことが行われました。

  • Wikipedia:安易に荒らしと呼ばない・・・『荒らしとは「百科事典の品質を故意に低下させようとするあらゆる編集のこと」を言います。』『「百科事典を改良しようとなされた善意の努力は、間違いや見当違いや不適切なものでも、荒らしとは捉えない」ということをきっぱりと示しています。』

Shingo.a氏は私に対し、何の根拠も述べないまま繰り返し当方を「荒らし」呼ばわりし、侮辱しました。さらにはBiblenavi氏にまでも根拠も述べないまま同様に侮辱しました。ちなみに氏の主張するWikipedia:荒らし#分かりにくい荒らしは『誤った情報を付け加えたり、日付を変えたり、表面上は妥当な言葉の置き換えや誤記を行います。』というものです。全くひどい発言です。

今回の件はあくまで宗教的なことではなく、『Shingo.a氏の行為』についてのコメント依頼であることを改めて述べておきたいと思います。--Solidrock0327会話2018年1月24日 (水) 11:57 (UTC)[返信]

被依頼者からのコメント

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コメント

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コメント 宗教用語外の偽札無輸血治療石打ちにエホバの証人の観点で記述をするのは、広告宣伝・迷惑編集で信者でない第三者が書いたとしても削除されるものではないでしょうか。エホバの証人の観点で「信頼できる情報源」があるならWikipedia上に記述することは否定できないでしょうが、その場合はエホバの証人の記事に記述することで、各個の記事で言及するのは広告的だと思います。ついで、宗教用語の神の王国サタンでエホバの証人の観点でも記述するのは、中立的な観点からは問題ないものと思います。ただ、Shingo.aさんの編集は中立的ではなく、例えば『主はエホバである』こととするような一方的な観点の記述になっているように見えるので、問題だと思います。プロジェクト‐ノート:キリスト教/中立的観点で信条・聖書を出典とした場合の中立的な記述案が挙がっているので、例えばそれを参考に「他宗教・他宗派の観点」「エホバの証人の観点」の多方面からの観点となるような記述すると良いのではないでしょうか。信仰論争に限らず、右翼的な言及・左翼的な言及が「信頼できる情報源」に基づいて記述される場合は両論記述で矛を収めていると思うので、同様に多方面記述の一論としてエホバの証人の論があっても良いと思いました。宗教用語外でも信仰に基づいた記述はあっても良いとか、宗教用語での両論記述の中立性は良くないとか、他意見があればご指摘下さい。--やなぎ0会話2018年1月12日 (金) 09:10 (UTC)[返信]

まとめ

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