Wikipedia:コメント依頼/Nekosuki600 20080103
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利用者:Nekosuki600氏のWikipedia上における他の利用者とのコミュニケーション手法について、広く意見を求めます。--パンチョ後藤 2008年1月3日 (木) 12:30 (UTC)
直接的なきっかけ
[編集]俺自身が直接被依頼者と衝突を持ったのはWikipedia:削除依頼/特別な業績無き個別声優記事においてです。本依頼において、存続票を投じた利用者に対し、存続後の記事の扱いに不安を覚えたので、コメントで質問を求めたところ、被依頼者が回答にならないコメントを繰り返し行い、対話が成立しない状況に陥ってしまいました。具体的なやりとりはノートページを参照。
本件をきっかけに、いくつか被依頼者の履歴を精査させて頂きました。その中で被依頼者のWikipedia上における他の利用者とのコミュニケーション手法について、WP:CIVなどの方針と照らし合わせた上で疑問を感じましたので、コメント依頼を提出します。
本論
[編集]- Wikipedia:礼儀を忘れないにおいて、「礼儀を欠いた状況を作り出してしまうささいな事例」として、「不作法で粗野な態度」「要約欄での決めつけ語調」「相手がやってしまった不適切なことに、あれやこれやと言いがかりをつけること」などが挙げられています。また、「もっと深刻な例」として、「相手をあざけったり馬鹿にすること」、「個人攻撃」などが挙げられています。
- 上記を前提に置いて被依頼者の行動を確認した場合、それらの方針からかけ離れているのではないかという事例が散見できます。
- 被依頼者がWikipediaに対し、少なからぬ貢献をしているのは知っていますが、これらの傍若無人あるいは慇懃無礼な行動はWikipediaの貢献度に対してある程度看過され得るものなのでしょうか?
- これらの行動が客観的にどうなのか、確認させて貰いたく、ご意見をおねがいします。
被依頼者コメント
[編集]コメント
[編集]- (コメント)依頼者が挙げた発言のほとんどは被依頼者が知見を持っている分野についての意見だと思しく、特に間違ったことは言っていないとおもいます。ですんで特別粗野だとか個人攻撃だとかまして言いがかりをつけているとか思いません。ただ、年始からこっち、どうも発言の切れが悪いなあと感じます (批評)。少し休んだほうがいいんじゃないすかね。
それと、こういう思いきった表現は被依頼者だからまわりも (言わんとしていることをちゃんと汲み取れるので) 納得するんで、ただ語調を模倣したからといってまねできるわけではないとおもうんですよ。エピゴーネンが発生した (もうしているか?) 場合、被依頼者はそれに対して責任があるとおもいますよ。 --Hatukanezumi 2008年1月3日 (木) 12:51 (UTC)- (コメント)言わんとしている事はわかるし、概ね正しい事を言っているのも理解してますが、だからといってどんな言い方でもいいのか、正しければ何をしても良いのか、という事です。「この人はWikipediaに多大な貢献をしているのでこのくらいは許されるのだ」というのがWikipediaコミュニティの総意であれば特に言う事はありません。--パンチョ後藤 2008年1月3日 (木) 12:56 (UTC)
- (コメント)Wikipedia‐ノート:削除依頼/特別な業績無き個別声優記事でのやり取りについてですが、パンチョ後藤さんの書き込みは、存続票を投じた人に対して、「存続した記事は責任を取って執筆せよ」、と言っているように見えます。私にはこのような要求は、筋違いで、過大なものに思えます。削除依頼は記事の存続の可否を問う場所であって、執筆者を決める場ではないからです。これに対してNekosuki600さんは存続票を投じる際のスタンスをはっきりと述べておられますが、パンチョ後藤さんはもう一度、「存続した記事のメンテナンス」、を要求しています。やはりこれは過大な要求かと思いますので、これではこの件で話し合うことは難しいかな、と感じました。パンチョ後藤さんには、もう一度Wikipedia‐ノート:削除依頼/特別な業績無き個別声優記事のNekosuki600さんの指摘を読んでいただきたいと思います。私もNekosuki600さんは口が悪い方だと思いますが、今回ボタンを掛け違えたのは、パンチョ後藤さんだったかな、と思います。--Pica 2008年1月3日 (木) 15:13 (UTC)
- (コメント)Nekosuki600さんの発言についてですが、私にはNekosuki600さんは相手のミスに対し、強く応じるむきがあるように感じられました。乱暴な発言も、たしなめるためにあえてなさっていることだと思うのですが、丁寧な発言を出来る方が、あえて乱暴な発言をなさると、いかにも相手を見下しているように見えます。乱暴な発言は控えていただきたいと思います。--Pica 2008年1月3日 (木) 16:30 (UTC)
- (コメント)Wikipedia:削除依頼/特別な業績無き個別声優記事でのNekosuki600さんのご意見には同感です。日本語版では以前、平アナウンサー記事が大量に削除された事がありましたが、激論の末に削除されたアナウンサー記事が今ではすっかり再投稿され幅を利かせています。たとえ今個別声優記事を削除した所で同じような結果になるでしょう。ただ、この削除依頼でのNekosuki600さんの口調はいつにも増して乱暴で、他の人に対する配慮に欠けているように見えます。こういうのがかっこいいのだと若い人たちが思い込んで真似するのは困るので、自重していただければ幸いです。--miya 2008年1月4日 (金) 04:47 (UTC)
- (ご注意)前半部分について。当依頼は被依頼者の主張の内容に対して賛否のコメントを求めているものではないとおもいます。 --Hatukanezumi 2008年1月4日 (金) 08:40 (UTC)
- (コメント)少なくとももう少し態度を和らげるべきかと。語気が荒かったり、相手を見下しているかのような発言をしたり、説明を省略したり、コミュニティを消耗させる言動は控えていただきたいですね。--Personofedo 2008年1月4日 (金) 07:51 (UTC)
- (コメント)声優記事の削除依頼の件を含め、「発言の内容自体はまともだけど言い方がひどい」というケースが多いと思います。このコメント依頼をきっかけに今後は温和な表現を心がけてくださることを期待します。--貿易風 2008年1月4日 (金) 08:22 (UTC)
- (コメント)ご依頼者は「Wikipediaに対し、少なからぬ貢献」はお認めになっていらっしゃるようでございます。であるならばまず、一見「傍若無人あるいは慇懃無礼」と取られかねない乱暴な言葉こそがこの方の個性だとわたくしは常々考えていると申し上げておきます。さらに、このような一見乱暴な言葉遣いによってウィキペディアに限らず多方面で貢献なさってこられたのも事実だと思います。傍目から、時にはわたくしですら、「ちょっとそこまで言う必要はないんじゃないか」とか「そういう言い方は止めた方がよくはないか」、と思うような発言がございました。けれども結果的にそういった発言が絶大な効果を発揮した例は少なくありません。■ですが、ご依頼の通り、逆効果のケースも当然あったわけで、そのあたりはご本人もそれなりに考えていらっしゃるはずだ、とわたくしは考えております。Nekosuki600さまのご発言は、一見その場の思いつきのように見えますが、鍛え抜かれた直感と熟慮の末のご発言が多いため、ちょっと否定しづらいものがあります。また、このような指摘をされたことについても、ご本人は検討なさっているはずです。Nekosuki600さまとて、神のような存在ではなく人間ですから、「猿も木から落ちる」「弘法も筆の誤り」、に類する過ちはないと申せません。■パソコン通信時代から何十年もこのような流儀を貫き、おそらく何度か失敗をなさり、そのたびに立ち直るという切磋琢磨のうえで培われてきた流儀ですから、直ちにその流儀を改めよ、などと安直にコメントすることはできません。■したがって、わたくしがコメントしておきたいのは、このような流儀は、あって然るべきではないかと申し上げる以外に言葉が見つかりません。逆に申せば、わたくしはこういう流儀を認める立場です。なぜならば、その一見乱暴に見える発言もウィキペディア活性化のひとつの要素になっていると考えるからです。■とは申せ、個別の発言に関してNekosuki600さまに対し苦情を申し立てることを妨げようとは思いません。けれども、今回お挙げになった例に関して申し上げるなら、残念ながらわたくしには受忍限度を越える発言は一つも見つかりませんでした。Wikipedia‐ノート:削除依頼/特別な業績無き個別声優記事に関して申し上げれば、一も二もなくNekosuki600さまに軍配を上げます。■ちなみに、Nekosuki600さまのエピゴーネンについてですが、これは心配することはないと思います。スタイルを真似ることはできますが、長年の年季で鍛え上げられたNekosuki600さまの直感・熟慮とは比較になりませんので、いずれは手ひどい制裁の対象になるでしょう。エピゴーネンの発生する責任を押し付けるのは筋違いだと思います。それはエピゴーネンそれぞれが担うべき責任として処理すべきでしょう。こういう理由から自重を求めたいとも思っていませんし、「温和な表現」をお求めになる貿易風さまのご意見にも同意できません。
- Opponent 2008年1月4日 (金) 15:58 (UTC)
- ここにあった対話を#被依頼者と依頼者のコメントへ移動しました。
- (コメント)前からNekosuki600氏の発言は気になっていました。ただ、まず私が思うのは、何名かの方もおっしゃられておりますが、「削除依頼」は「該当記事の存続を問う」ところであって、存続票を投じた人に「記事のメンテナンスを要求する」とは根本的におかしいのではないかと思います。また、存続票を投じる人は「該当の記事は存続の価値に科する」と考えておられると思いますので、別に適切な百科事典的なものに成長させる等、急ぐ必要性はなく、後日該当記事のノートで話しあうとかして少しずつ加筆していってもいいんじゃないかと感じました。それに、「別にアナタの演説を聴きたいわけじゃないんですが。それで、自分の言葉に責任は持てるんですか?」はちょっと皮肉過ぎやしませんか?まぁ、Nekosuki600氏の方が一枚上手だったかな… そんなことはないか^^; 少し一度冷静になるのも一つではないですかね。ただ、最初に発言しましたが、これに限らなくてもNekosuki600氏の発言は少し自重した方がいいと思う点もありますが…。まじめな発言の方も多くお見受けできるのでなんか現実社会でイヤなことがあるのかもしれませんが(なわけないか…)、さすがにノート:フランジのやってよし。を初めとした言葉遣い、暴言(←私の思いこみなだけかなぁ)やらはさすがにこのWikipediaで発言するべき内容ではないんじゃないですかね。。まぁ、暴言を除いた言葉遣いに関しては個人の自由と言えばその通りだし、私が言えたものではないのでこれで終わりにします。。--nyaata 〔のーと〕〔ウィキめーる〕 2008年1月4日 (金) 17:50 (UTC)
- (コメント)「コミュニケーション手法」が主に文体ということを意味するのであれば、まあそれは芸風のうちということでいいんではないでしょうか。暴言があるとしたらそれはまた別の話ではないかと思います。正しければ何をしてもいい訳ではないのですから。また、手法に含まれるかというと違うかもしれませんが、自分の正しさに自信を持っていることの裏返しなのか、他者に対して不必要に攻撃的になる時があるように思います。なにか「単に自分と異なる考えをもっているだけ」ではなく、「自分と異なる考えを持ってるヤツは間違っている」「自分の考えに同意しないヤツはアホ」みたいなところからスタートしているのではないかと感じられるのです。そこからスタートしていい時もあるだろうけどそんなに多くないでしょう(たぶん)。この辺はコミュニケーションに影響している気がします。 By 健ちゃん 2008年1月6日 (日) 05:55 (UTC)
- (コメント)Nekosuki600さんの言葉遣いがしばしば挑発的であったり見るに耐えないほどひどかったりすることは私も気になっていました。言葉尻だのそれまでの経緯がいかであったかなどとおっしゃっていますが、経緯はどうであれ、傍観している者にとってはどちらも不愉快です。「芸風」などという言葉で曖昧に許してしまうのは、相手が誰であれ常に礼儀を忘れないというウィキペディアの基本方針をないがしろにするものではないでしょうか。逆に、私がNekosuki600さんと同様の口調でNekosuki600さんに話しかけようものなら、きっと口汚い罵り合いみたいになってしまうと思います。Nekosuki600さんが多大な貢献をされてらっしゃるところは誰しもが認めるところですが、だからこそNekosuki600さんには模範的なユーザーであって欲しいと願うものです。明晰な頭脳をお持ちのNekosuki600さんの事ですから、きっと話せばわかっていただけると思ってしゃしゃり出ました。ごめんなさい。--Nazox 2008年1月7日 (月) 12:07 (UTC)
- (コメント)たしかに、Nekosuki600さんの使う言葉には、ドキッとさせられることがあります。たんにへそ曲がりなんじゃないか、と思うことがないと言ったらウソになります。でも自分の思いつくところでは、Nekosuki600さんの印象は、日本の失われたガンコ親爺、というものです。ここでも幾人かの人が表明されているように、Nekosuki600さんの言うことは理に適っています、多くの場合。Nekosuki600さんと対峙して切れる人は、最初は行く道も逃げ道も指し示されていたのに、それに気付かずに、「キーッ!私のことを悪く言った!許せない!」と応じるケースです、多くの場合。そして、二の句が次げなくなってから、ルールを盾にどうにかしようとする。言われたその時は恨みもしようが、何年も恨み続けもしようが、十年、十数年経ってみれば、ああ、そういうことだった、と思い当たる、そんなようなことだ、と私は感じます。Uryah 2008年1月8日 (火) 12:07 (UTC)
- (コメント)依頼者は「礼儀を忘れない」を根拠に問題だと言っているわけですから、発言の内容が正しいかどうかは関係ないのではありませんか?正しければ何を言っても許されるというわけではありませんので、私はNekosuki600氏の発言の多くに問題があると感じます。--Pci Pro 2008年1月8日 (火) 13:03 (UTC)
- (コメンツ)この人は前から知ってましたが、僕もこの人の書き方を少し参考にして気さくにタメ口調に書くこともありますし、この人はここで長いこと活動してますので、「阿呆」とか「莫迦」とかの暴言などがない限りはなるべく気楽に方言も交えてしゃべることには異論ありません。敵から先に暴言吐かれたら応戦や鎮圧のためにやむを得ませんが、猫が好き♪さんから先にあからさまな暴言や挑発がなかったらもの凄くは重大ではないと思います。僕だけでなく、気さくに書く人の多くはこの人に感化された人が多いと思います。お国の言葉を使って気さくに書けないと、仕事で多大なストレスを抱えている御仁たちはここに近寄れません。自営業者やリーマンは、学生よりも多大なストレスを抱えているので。--Mid騎士特急 2008年1月11日 (金) 03:30 (UTC)
- (コメント)あえて一つ。文脈を捉えず部分だけ抽出して言葉尻を捉えてもことの全貌は全く見えないと思います。その意味では、パンチョ後藤氏にははじめに結論ありきの断定ではなく、もう少し冷静かつ慎重にNekosuki600氏の発言の深意を検証して欲しい、と思います。正直、パンチョ後藤氏の余裕のない言行の方が小生には目に余ります。--HATARA KEI 2008年1月21日 (月) 21:06 (UTC)
- (コメント)依頼文、被依頼人の投稿履歴を参照させて戴きましたが、私としては依頼人の被依頼人に対する反感に同調することは出来ません。依頼文に「これらの傍若無人あるいは慇懃無礼な行動」等と記述すること自体が依頼人のこの議論に求める所の客観性とは著しくかけ離れている様に感じられ、残念ですが私としては依頼人の個人的な感情の隆起でコメント依頼を提出したという印象を受けざるを得ませんでした。WP:CIVに抵触していると判断すること自体にどうしても主観的感情を多少なりとも含めなければならないと思っておりますので被依頼人が同項に全く抵触していないとは断定しかねますが、少なくとも例示された編集に於いて記述内容は適切であり、その要約欄の記述も内容としては的を得ているものであると思われます。これらの内容をそれまでの編集、議論の経緯を考慮せず個人攻撃である、或いはコミュニティを疲弊させている等と形容するのは甚だしく短絡的でしょう。WP:KIDを含めるWikipediaの基本方針から乖離した編集を行っている編集者への注意を喚起することは当然必要な行為であり、それや記事への貢献を精力的に行っているからという理由で被依頼人のWP:CIVに抵触している恐れがあると思われる記述が容認されると思っている訳ではありませんが、私はコメント依頼に提出するような程度であるとは全く判断致しません。そもそも、私個人としては依頼人の曲折に皮肉を込めた記述には多少なりとも失望を表明させて戴かなければならず、その感情的な言行には些か不快感を覚えます。依頼人は短絡的な行動に移る前に熟考を伴うべきであると個人的には思っております。--MMMRCOW 2008年1月24日 (木) 03:43 (UTC)
- (コメント)私も被依頼者より注意を喚起されたことがありますが、依頼者が述べておられるように深刻に考えるほどのことではないように思いますし、ウィキペディアにおいて様々なルール・解決方法等を熟慮された方であるので、理由なく対応されたわけではないように思います。ただし、私も未熟であるので注意をして下さるの大変ありがたいのですが、要約欄にやや逆撫でするような注意喚起をなさることは、正直申しまして余り気分が良いものではありませんので、今後控えていただければと思います。また要約欄の使い方について、『要約欄へのコメントについて質問』にてTokyodesertさんが疑問に感じておられる点にも一理あるように思いますので、その点を考慮していただければと思います。--Zell 2008年1月25日 (金) 09:02 (UTC)
- (コメント)この被依頼者は以前から無礼な文体を用いて無用な論争を頻発させている人物であると認識しています。特に捕鯨関係の記事では他の編集者の立場を一方的に決めつけることが多いようです。これは個人攻撃に関する公式方針に明確に違反していると私は考えます。この被依頼者には何らかの対策が必要だと私は思います。--Uniontour 2008年1月28日 (月) 15:24 (UTC)
- 基本的にはみなさんのコメントを読ませていただくことをメインにしておりましたが、と。まあ「ざっくばらんな口調への違和感」と「慇懃な口調への違和感」の両方がある中での前者の意見がメインですがそれを集中していろいろ読ませていただくのは考えるきっかけにもなって良いコメント依頼になっていると思いますが、と。それはとにかくだ。捕鯨問題などをめぐっては確かにいろいろな論争がありましたが、おれはその周辺に関してはことさらに丁寧な説明と対話をしてきたことを、改めて強く主張させていただきます。わたしは誰かの意見を一方的に決め付けたりはせず、わたしが持っている情報を丁寧に出し相手の主張の疑問点を指摘し説明をしてきただけです。一定の傾向を持つ方々がそれらの説明に逆上し立腹することがあるのは否定しませんが、それは「中途半端な知識しか持たないままに百科事典の記事の執筆をしようとした」ことの当然の報いでしょう。口調や言い方をめぐっての意見の表明ならばとにかく、こういうところに強くイデオロギッシュな争点を持ち込んで一方当事者の視点からの印象操作を行うという方法論には強く異議を申し述べさせていただきます。間違っているひとに「あなたは間違っている」と指摘し丁寧に説明することは、指摘された側がどれほど不快であろうと、もしも逆上することがあろうと、そんなことが個人攻撃のはずはありません。間違いを指摘することで誰かが不愉快になることをもって個人攻撃だというのなら、切磋琢磨を通じての百科事典作りなどできるわけがないでしょうが(怒)。--Nekosuki600 2008年2月2日 (土) 14:40 (UTC)
- (コメント)世の中には妥協というものが必要です。貴殿は自分の正しさばかり主張して、他のウィキペディアンからの要望を全て退け続けています。これはコミュニケーションが成立しているように見えて成立していない状況です。多少なりとも周囲の要望を受け入れて、無礼な口調や冗長な心情・信条の吐露を控える方向に軌道修正される姿勢が見られれば、これだけ批判されることは無かったと思います。周囲が貴殿の姿勢に不快感を感じていることを認識し、少し妥協してみることをご検討ください。このままご自身の正義のみ主張し、一歩たりとも妥協をされない姿勢を続けるようですと、投稿ブロックの提起も検討せざるを得ないのではないかと私は考えています。--Uniontour 2008年2月4日 (月) 02:33 (UTC)
- (コメント)投稿ブロックの提起の検討に関して深い遺憾を表明致します。被依頼人の言動に全く問題視する必要性がないとは判断しかねますが、私の愚見として被依頼人の他利用者に対するWikipediaの基本方針に基づく勧告は内容としては概ね適切であると判断でき、あくまで個人的にはWP:NPA乃至はWP:CIVに抵触するような程度であるとは認識出来ないと述べさせて戴きます。依頼人に因るとWP:CIVに抵触していると思われる被依頼人の記述は、概して個人的主観に基づいて他利用者に対して自己の意見の採用を強要している訳ではなく、Wikipediaの基本方針に基づいた適切な勧告であり、少なくともWikipediaの定義上の個人攻撃という類のものではない判断されます。そもそも、依頼人にはWikipediaの基本方針を遵守しているとは些か思われない認識、記述乃至は編集方針が見受けられると考えられ、論点の互換となってしまいますが根底にあるのはWikipediaの基本方針を理解しているとは言い難い言動、編集を繰り返す利用者が多々見られることにあると私は考えております。加えて、WP:BPの「2.2.1」に記述されている通り、投稿ブロック依頼の際に「他者を誹謗中傷する内容」と認識されるものとしては「根拠も無く一方的な非難や悪口を投げつける行為」であることが必要条件であると記述されているので今回の様な懸案で投稿ブロックの提起の検討を表明することはWikipediaの基本方針に基づき推奨されず、又これは私の個人的主観による印象ですが、その言葉に多少なりとも恫喝的側面が見受けられることは否定できません。本件に関しては被依頼人に他利用者の見解を提示することが出来た時点で目的は達成している筈ではないでしょうか。今回の議論から被依頼人が今後の編集に何らかの還元出来るものが得られれば幸いであると私は考えております。--MMMRCOW 2008年2月4日 (月) 04:52 (UTC)
- (コメント)被依頼者の最大の問題はノートにおける礼を失した馴れ馴れしい文体を一向に改めようとしないことだと考えます。そしてこのコメント依頼が開始されてからも、彼は全くそのノートにおける姿勢を変えておりません。彼がウィキペディアのルールに精通していることは事実でしょうが、同じメッセージを発する場合でも、言い方次第で相手の受け取り方は全く違います。彼があの文体を使うことで、これまでどれだけの無駄な言い争い、感情のこじれが生まれたかを考えますと、是非ともノートページで丁寧語を使うことくらいは憶えていただきたいと思うのです。--Uniontour 2008年2月5日 (火) 11:40 (UTC)
- 慇懃に言ったら納得するのかよ、と問い返したいと思います。慇懃に言われたら言われたで、なんかしら理由を探して文句を言うのでしょう。このコメント依頼に関して言うなら、あなたは明らかに異質なのであり、これ以上がんばるのはやめといたのがいいんではないですか。おれには「相手を政治的に見せることでけなそうとする、ネストが深い政治的策動」以外の言辞に見えません。それは、控えめに言って、あなたが立つ側にとって利敵行為ではないだろうかとか思います。率直な物言いで申し訳ないね。--Nekosuki600 2008年2月5日 (火) 15:16 (UTC)
- 被依頼者が無礼な振る舞いを改める意思が無いことが問題であるという考えに同意します。被依頼者が一番理解しないといけないのは上のUniontourさんの発言の中の「同じメッセージを発する場合でも、言い方次第で相手の受け取り方は全く違います。」という部分だと考えます。これは異質どころかごくごく常識的な考え方です。コミュニケーション手法について苦言を呈されているのに、政治的な立場がどうとかいうように話をすりかえるべきではありません。被依頼者の発言内容が正しいのであれば、言い回しにさえ気をつければ文句は来ないはずです。もし文句がくればそれは発言内容そのものについての反論でしょうから、言葉遣いにも注意を払った上で内容についての議論を続ければいい。それだけのことです。--貿易風 2008年2月6日 (水) 05:24 (UTC)
- (コメント)私は懇切丁寧な対応が物事の根本を解決するとは全く考えられないと判断致します。今回の懸案の場合、はっきり言ってしまえば依頼人も含め一部利用者の思慮に欠けたWikipediaの基本方針に準じていない浅はかと言いざるを得ない言動が発端であり、それらは仮に言葉尻を多少柔らかくした所で解決に至る類のものではないと思われます。当然WP:CIVにより礼節に満ちた言動が推奨されのは勿論ですが、Wikipediaの基本方針を遵守、熟読すらしない一部利用者に対して只管丁寧に議論を持ちかけるということに関しては、あくまで私の個人的感情として言葉は汚くなってしまいますが甚だ馬鹿らしく辟易の念を禁じえません。然りて言葉に棘が含まれる結果となり、それによって問題行動を続ける利用者が咎められた際にその言葉尻に憤慨するのは所謂逆恨みにも似たようなもので非常に見苦しいものです。被依頼人がWikipediaの基本方針を遵守している全く問題の無い利用者に辛辣な言葉を浴びせておられるのでしょうか。少なくとも被依頼人の言動を不快に思われた方々に大部分の原因があると考えるのは全くの誤りであるとは私には見受けられません。当然皆様の仰る様にこの様な理由でWP:CIVを考慮しないとするのは決して許されてはなりませんが、前述のコメントの通りその記述から今回の懸案はそれに抵触する程度の問題ではないと考えられます。話の本筋から多少外れてしまいますが、例えば言葉尻を柔らかくその実辛辣な言動をするのが寧ろ推奨されるという訳でも無いでしょう。--MMMRCOW 2008年2月6日 (水) 09:45 (UTC)
- 私は先日、要約欄へのコメントについて質問をさせて頂き、その内容と重複するかもしれませんがコメントさせて頂きます。私の意見は貿易風氏とほぼ変わりません。Nekosuki600氏は「慇懃に言ったら納得するのかよ、と問い返したいと思います。慇懃に言われたら言われたで、なんかしら理由を探して文句を言うのでしょう。」と仰られていますが逆に乱暴な言葉を使えば相手は納得し引っ込むのでしょうか。Nekosuki600氏が普段からどんな利用者へも分け隔てなく普通に丁寧語を用いていればこのコメント依頼も行われなかったのではないでしょうか。要するに慇懃に言っても乱暴に言っても相手が納得しないのなら慇懃な物言いをした方がつまらぬ軋轢を生まないのではないか、言葉尻をとらえられることもなかったのではないかと思うのです。次にMMMRCOW氏の「言葉に棘が含まれる結果となり、それによって問題行動を続ける利用者が咎められた際にその言葉尻に憤慨するのは所謂逆恨みにも似たようなもので非常に見苦しいものです」という発言にも一言。問題行動を続ける利用者を咎める折、言葉に棘が混ざってしまうこともあるでしょう。しかし咎める際の言葉の棘とこのような発言は根本的に違うのではないでしょうか。余計な一言がなければ「逆恨み」が起こらなかったケースもあるのではないかと思います。--Tokyodesert 2008年2月6日 (水) 12:10 (UTC)
- 私は被依頼者の抱える問題を以下のように分類・把握しています。「1)礼を失した言葉遣い」「2)相手の立場や性格を決めつける論法」。2について補足的に説明すると、上の発言で「慇懃に言われたら言われたで、なんかしら理由を探して文句を言うのでしょう。」「それは、控えめに言って、あなたが立つ側にとって利敵行為ではないだろうかとか思います。」がまさにこれに該当します。特に彼は捕鯨問題に関する記事のノートでは、相手を捕鯨推進派と一方的に決めつけての論が目立っております。さて、かかる被依頼者の行動規範は、1については「Wikipedia:礼儀を忘れない」に、2については「Wikipedia:個人攻撃はしない」に明らかに反するものであると私は考えます。もちろん、被依頼者を含めて私の考えに異論をもたれる方がいらっしゃることも存じております。そして、議論は平行線を辿っているように私には思えます。そこで提案なのですが、Wikipedia:論争の解決のステップ4に進み、彼の行動がウィキペディアの公式な方針を逸脱しているのかいないのかについて投票を行い、どの程度のウィキペディアンが彼の行動を許容し、あるいは許容しがたいと判断しているのかを調査してみるのはいかがでしょうか。もちろんこれは、今後の議論の参考とするための投票であり、彼の投稿ブロックを提案すべきかどうかについての投票ではありません。--Uniontour 2008年2月8日 (金) 07:24 (UTC)
- Uniontourさんがどの様にWP:DRを解釈なさって今回の懸案に適応しようとなさっているかは残念ながら私には理解しかねますが、あくまで私個人的にはその条項が主に編集合戦等の解決策としての意味が強いと判断されるので、仔細は存じませんがビューロクラット、管理者等の任命、解任を除き、その適応範囲は標準名前空間に於ける改名依頼や記述の挿入の妥当性に関する編集合戦等々の合意形成に基づく解決を目的とする際のみに限られるのではないでしょうか。そもそも、WP:DRの投票は仲裁の為の一プロセスに過ぎず、今回の懸案の場合は「被依頼人の言動等についてのコメントを広く求める理由で行われている」ことからこのプロセスを執り行うに当たってまず必要条件すら満足していないと判断されます。仮に仰るとおりに被依頼人の投稿ブロック依頼の際の判断材料に使わないとするのであれば、その投票自体が形骸的に目的化しており、その様な意味でも全く有意性を見出せません。議論の参考にする為に投票を行うというのは合意形成を目指すという目的がない以上行うべきではないと判断されます。第一、コメント依頼は正に今回のような懸案に対して半ば多数決的にWikipeidaの利用者の見解を求めるという類のものではなかったのではないでしょうか。残念ながらWikipediaの基本方針に抵触する恐れのある、乃至はそれに基づいていない独自の理論に因る如何なる提案に対しても私は賛同をすることは出来ません。私としては結果的に投票を行ったところで現在のように被依頼人の言動に対して利用者の意見が対立するのみで終結すると考えている次第で御座いますが、Uniontourさんは万が一仰るような投票プロセスが執り行われたとして、それに今回のコメント依頼とは別にどの様な有意性を見出しておられたのでしょうか。--MMMRCOW 2008年2月8日 (金) 14:58 (UTC)
- あーのー。すごい根本的な間違いの指摘をさせていただこうと思うのですが。捕鯨問題に関する項目を編集するとき、おれは相手が捕鯨推進派であるか捕鯨反対派であるかは、あまり考えません。おれが考えることは「そのひとにはどの程度、記述するに足りる知識があるか」ということだけです。中には「そのひとが捕鯨推進派であるか捕鯨反対派であるかおれにはわからない」なんてケースもありますし、「意図がわからないが、とにかく間違っている」というケースもあります。まあなんだね。おれのことを反捕鯨派だと思っている反捕鯨派は間違いを指摘されても怒らないが、おれのことを反捕鯨派だと思っている捕鯨推進派は間違いを指摘されただけで逆上する、といった図式はあるかもしれません(他の問題でも同様)。しかしそんなことは、ろくに確かめもしないで書いてるという姿勢の問題でしょーが。捕鯨推進とまでは言わないにせよおそらく親捕鯨側の方なのだろうとおれは判断しているものの、その方がお持ちの知識と見識には敬意を表すべきだと考えているケースも、今現在あります。あなたが言っているようなことは、断じて「立ち位置」なんていう高度な基準をめぐる問題じゃありませんよ(ここで「ふっ」とかゆーてためいきをついたらまた「フランクに過ぎる」とか言われてしまうのだろうか。でも、ためいきをつきたくなることはあるのだ)。--Nekosuki600 2008年2月8日 (金) 15:25 (UTC)--Nekosuki600 2008年2月8日 (金) 15:28 (UTC)(微調整)
- 私は被依頼者の抱える問題を以下のように分類・把握しています。「1)礼を失した言葉遣い」「2)相手の立場や性格を決めつける論法」。2について補足的に説明すると、上の発言で「慇懃に言われたら言われたで、なんかしら理由を探して文句を言うのでしょう。」「それは、控えめに言って、あなたが立つ側にとって利敵行為ではないだろうかとか思います。」がまさにこれに該当します。特に彼は捕鯨問題に関する記事のノートでは、相手を捕鯨推進派と一方的に決めつけての論が目立っております。さて、かかる被依頼者の行動規範は、1については「Wikipedia:礼儀を忘れない」に、2については「Wikipedia:個人攻撃はしない」に明らかに反するものであると私は考えます。もちろん、被依頼者を含めて私の考えに異論をもたれる方がいらっしゃることも存じております。そして、議論は平行線を辿っているように私には思えます。そこで提案なのですが、Wikipedia:論争の解決のステップ4に進み、彼の行動がウィキペディアの公式な方針を逸脱しているのかいないのかについて投票を行い、どの程度のウィキペディアンが彼の行動を許容し、あるいは許容しがたいと判断しているのかを調査してみるのはいかがでしょうか。もちろんこれは、今後の議論の参考とするための投票であり、彼の投稿ブロックを提案すべきかどうかについての投票ではありません。--Uniontour 2008年2月8日 (金) 07:24 (UTC)
- 私は被依頼者が捕鯨問題関連の議論において、相手の立場を予め想定した上で対応を変えておられるとは考えていません。もとよりウィキペディアは、どんな立場の人間であろうと中立的な記述を要求される場です。私が指摘しているのは、単に被依頼者が特定の記事のノートにおいて、論争の相手に対し「あなたはこういう立場に立っているのだろうと思いますが」と書きがちであるという点です。被依頼者がその豊富な知識を生かしてウィキペディアに貢献するに際し、要約欄やノートにおける粗野な言葉遣い、及びノートにおける「あなたはこういう立場なのでしょうが」という無用なる決めつけは全く不要ではないかと申し上げているのです。この2点について、もう少し他のウィキペディアンが自らを律しているものに近い規準を採用いただくことは、被依頼者がウィキペディアで今後もこれまで同様にご活躍されることの妨げにはならないのではないかと。付け加えるならば、全てのウィキペディアンが被依頼者と同じような言葉遣いをして、また被依頼者と同じようにノートページで議論の相手の立場や、相手の未だ実現されていない将来の行動を決めつけてかかるようになった時のことをご想像いただき、少々の自制をお願いしたいわけです。--Uniontour 2008年2月10日 (日) 07:53 (UTC)
- 確認してるんですよ。違うなら違うと言えばいい。もっとも、違うのだったらそうは書かないだろうなあという強い推測があるのは事実ですから、実際はそうなのに違うと言ったりしたら更にややこしいことになるかもしれませんが。さまざまな事象について、「特定のベクトルの人々が陥りがちな間違い」というのは、あるものですしね。--Nekosuki600 2008年2月10日 (日) 14:00 (UTC)
- 被依頼者が無礼な振る舞いを改める意思が無いことが問題であるという考えに同意します。被依頼者が一番理解しないといけないのは上のUniontourさんの発言の中の「同じメッセージを発する場合でも、言い方次第で相手の受け取り方は全く違います。」という部分だと考えます。これは異質どころかごくごく常識的な考え方です。コミュニケーション手法について苦言を呈されているのに、政治的な立場がどうとかいうように話をすりかえるべきではありません。被依頼者の発言内容が正しいのであれば、言い回しにさえ気をつければ文句は来ないはずです。もし文句がくればそれは発言内容そのものについての反論でしょうから、言葉遣いにも注意を払った上で内容についての議論を続ければいい。それだけのことです。--貿易風 2008年2月6日 (水) 05:24 (UTC)
- (コメント)投稿ブロックの提起の検討に関して深い遺憾を表明致します。被依頼人の言動に全く問題視する必要性がないとは判断しかねますが、私の愚見として被依頼人の他利用者に対するWikipediaの基本方針に基づく勧告は内容としては概ね適切であると判断でき、あくまで個人的にはWP:NPA乃至はWP:CIVに抵触するような程度であるとは認識出来ないと述べさせて戴きます。依頼人に因るとWP:CIVに抵触していると思われる被依頼人の記述は、概して個人的主観に基づいて他利用者に対して自己の意見の採用を強要している訳ではなく、Wikipediaの基本方針に基づいた適切な勧告であり、少なくともWikipediaの定義上の個人攻撃という類のものではない判断されます。そもそも、依頼人にはWikipediaの基本方針を遵守しているとは些か思われない認識、記述乃至は編集方針が見受けられると考えられ、論点の互換となってしまいますが根底にあるのはWikipediaの基本方針を理解しているとは言い難い言動、編集を繰り返す利用者が多々見られることにあると私は考えております。加えて、WP:BPの「2.2.1」に記述されている通り、投稿ブロック依頼の際に「他者を誹謗中傷する内容」と認識されるものとしては「根拠も無く一方的な非難や悪口を投げつける行為」であることが必要条件であると記述されているので今回の様な懸案で投稿ブロックの提起の検討を表明することはWikipediaの基本方針に基づき推奨されず、又これは私の個人的主観による印象ですが、その言葉に多少なりとも恫喝的側面が見受けられることは否定できません。本件に関しては被依頼人に他利用者の見解を提示することが出来た時点で目的は達成している筈ではないでしょうか。今回の議論から被依頼人が今後の編集に何らかの還元出来るものが得られれば幸いであると私は考えております。--MMMRCOW 2008年2月4日 (月) 04:52 (UTC)
- (コメント)私も参加した初めの頃は、誰でも自由に書けてしまうこともあって、ここのことを良く知らずに軽い気持ちで冗談を書いたことも有るのであまりご大層なことはいえませんが、誰でも感情的になれば語気が強まることはあっても、この人の場合は初期の頃だけではなく今になっても暴言や冷やかし、タメ口など人の感情を逆撫でするような発言が本文にも要約欄にも多すぎます。昔のことならばともかく、指摘があっても改善がないというのは大問題ではないでしょうか?私もブロック依頼に関わったことがあるSionnachという方は、結局はこの人と同様の理由でブロックされました。(その後、靴下の悪用という別件により無期限にはなりましたが) そういうことからしても、この人だけ長年野放しにしておくのは共通のルールに縛られて多数の利用者が活動する場では全然公正ではなく、異常ですよ。まるで、屁理屈を並べ立てたり曲解したりさえすれば通ってしまうようなウィキペディアというところは一体どうなっているんでしょうか?多くの管理者がいるのに、こういうことを放置する管理者の判断能力には疑問が多いです。たしか、依頼を出さなくても管理者の判断で瞬時にブロックできたのではないですか?
私が気が付いたその他のほんの一例
--イロ々 2008年2月17日 (日) 17:17 (UTC)
- (追加報告)この人の上げた画像についても調べたら、要約欄に「いらんコメントを追加」と書いている画像:ペット~犬たちと飼い主たち.jpgがあったので画像のコメントを見ると、「勝手にナンパをはじめるやつや、女の取り合いで喧嘩をはじめるやつとかもいて、見てると飽きません(笑)。」などという、単なる遊びか落書きのようなことが書いてあります。乱暴な言葉がこの方の個性なんじゃなくってここまで来ると愉快犯のレベルであり、今まで何回も依頼が提出されていることが代弁していると思う。この人との議論の当事者以外が端から見ているだけでも疲弊すると思います。
- このNekosuki600という人よりも、はるかに実績とか貢献がある人でもこの人のような行動をとる人はなかなかいないと思いますし、次元が違う問題なんじゃないでしょうか。初めの頃と比べても改める気もないみたいです。多くの人々は暴言や問題行動を指摘されたら改めるのに、今まで何回も改善の要求があったのに全然変わっていないのと、全般的に見て悪い意味でウィキペディアを挑発しているようにしか見えません。--イロ々 2008年2月21日 (木) 11:00 (UTC)
- そもそも当該画像ファイルは、「ペット」の項目にあまりに不適切な写真(愛猫家らしきひとが撮影した自分の飼い猫だかなんだかの写真。このあたりの事実関係には、不適切写真投稿者の釈明にかなりの変動があり、よくわからない部分がある。そもそも写真撮影者クレジットすら書き換えられているくらいの、出所すら不明な写真)が貼り付けられたことへの解決策として「『ペット』という項目にふさわしい、人間と被飼育動物とのかかわりあい」を説明できる写真を手持ちのものの中から探してきて登録したものです。んで、当該不適切写真の投稿者が、同じように「キャプションが気に入らない」と噛み付いてきていたりもしましたが、もしかしてあなたが当該不適切写真の投稿者であるなら、江戸の敵を長崎で討つようなくだらない真似はやめなさいと忠告しておきます(ま、当該対立を過去ログから拾ってきた第三者の方だと思いますけれども)。
- さて、当該キャプションですが、おれは全然不適切だとは思いませんね。不適切だと思ったら書かないしね。
- あの東京都内のとある公園の横んところですが、周囲の犬と同居しているひとたちの溜まり場になっており、飼い主側も被飼育犬側も、かなりのところまで顔見知りです。で、飼い主が制止しても勝手にナンパをはじめるやつとか、メスの取り合いで喧嘩をおっぱじめるやつらとか、始終います。飼い主側もそれなりに雑談をしながらなごやかにコミュニケーションをしています。「ペット」という項目は「人間と被飼育動物のかかわり」を説明する項目であるはずであり、多数のその組み合わせを描写したおれの写真は悪いものではないでしょう。ついでに、キャプションも、状況を適切に説明したものだと思います。
- ま、その当該不適切写真の投稿者やら、途中で介入してきた現在は無期限ブロックを受けているWikipediaにおける過去の重鎮やらとの交渉がめんどくさくなりましたので現在はオーファンのまま放置してありますがね。
- んでだ。おれは改めるべきであるということについて納得をしたら改めているし、批判に対して聞く耳も持ってるつもりだ。聞いてもあまり改善につながりそうもない批判は無視させてもらうことにしていますが、それは「聞いてもあまり改善につながりそうもない」というおれの側からの評価表明なんです。おれが「聞いたらいいことがあるのじゃないか」と思うくらいの迫力のある批判(これは、強い言葉で言えということではなく、説得力のある言辞を伴う批判、という意味だ。解説しておかないと表現だけエスカレートさせるやつが続出しそうだからな)を、あなたがすればいいんじゃないでしょうか。どうも辛辣で申し訳ない。--Nekosuki600 2008年2月29日 (金) 20:21 (UTC)
被依頼者と依頼者のコメント
[編集]- (コメント)「乱暴な言葉こそがこの方の個性」ということですが、そのような個性はWikipediaという百科事典作成のプロジェクトにおいて本当に必要なものでしょうか? 他人を不愉快にさせる、あるいは疲弊させる個性とやらはある程度の実績と貢献があれば認められるという事でしょうか?--パンチョ後藤 2008年1月4日 (金) 17:07 (UTC)
- さきほどこの差分で書いておいたこととも関係しますが。おれは、「乱暴な言葉がおれの個性である」とは思っていませんし、そういう意味でOpponentさんのコメントを不愉快に思っています。どういうときにどういう言葉使いをすればいいのかを判断するあたりのめりはりのつけ方に個性なるものがあらわれるのかもしれないとは思っていますが、しかしそのあたりは、まあどうでもいいや。(改行)「丁寧な言葉」を使うことや「ラフな言葉」を使うことは、相手に敬意を表しているか無礼であるかを意味するものではないでしょう。おれは時として丁寧な言葉も使うし、ラフな言葉も使うが、相手をする際に敬意を見失ったことはないと思いますよ。敬意を抱けない相手は、端から無視しますからね(その結果、「そんなガキはほっとけ。相手をするから付け上がるんだ」なんていう批判も多々頂いておりますが、そのあたりは、しかし、直す気はないなあ)。(改行)でだ。少なくとも内容面では何ら問題はなく、複数のひとが「熟読せよ」と言うような誠実な返答に対して「別にアナタの演説を聴きたいわけじゃないんですが」といった嘲笑的かつ挑発的なコメントを返すバンチョ後藤さんが、このコメント依頼を提起したことや、直前の意見表明を通じて、いったいおれに何を伝えたいと思っているのかが、おれにはよくわかりません。(改行)他にもいろいろ思うことはありますが、それはまあ、必要だとおれが思ったならば後日(必要があると思わなければ言わないと思いますが、その節はご容赦ください)。--Nekosuki600 2008年1月4日 (金) 17:28 (UTC)
- 被依頼者が、自分の事を自分でどう思うかと、他人が貴方の立振舞いをどう評価するかは一切無関係です。Opponentさんのコメントをどう思おうが自由ですが、それをこのコメント依頼の場で表明する事が、他人を不愉快にさせたり、暴力的だと評価されるのだと思います(間違った事実を指摘するなという意味ではありません念のため)。--パンチョ後藤 2008年1月4日 (金) 18:46 (UTC)
- さっきからWikipedia‐ノート:削除依頼/特別な業績無き個別声優記事で、「急いで返答する必要はないし、急いで行われたものはそれが謝罪だろうが反論だろうが軽いことが多いから、熟慮してから返答をしてほしい」と繰り返し述べているのですが、おわかりいただけていないようで残念に思います(というか、この内容をどのような言葉遣いで言おうと、おそらくパンチョさんは同じように傷つくのだろうなあと思うと、表現力不足を悔しく思いますよ....sigh)。--Nekosuki600 2008年1月4日 (金) 19:07 (UTC)
- 上の被依頼者本人のコメントを受けて気になったことを書きます。「ラフな言葉」と「乱暴な言葉」は違うはずです。文末が「ですます調」じゃなかったり、口語表現がふんだんだったりするのは個性のひとつだし問題だとは思いません。しかし、Nekosuki600さんがご自分で「相手をする際に敬意を見失ったことはない」と主張されても、こういう発言を見ればとてもそのようには思えません。この発言がNekosuki600さんのどのような主義に基づいたものであれ、公式な方針であるWikipedia:礼儀を忘れないに反する行為に対しては苦言を呈されても仕方ないと思います。--貿易風 2008年1月4日 (金) 18:50 (UTC)
- もともとのこのコメント依頼でサンプルにあげられているものがコンテクストを無視した言葉尻だとおれは思うんですが、貿易風さんが出した差分にしても、それまでにどのような対話があり、いかに相手方が無礼で独断的で、にもかかわらず丁寧な返答をしてきたのかを見ないで「その差分だけの印象論」で抱かれたご意見に対しては、「そういう見方もありますね」という以上の返答はできかねます。--Nekosuki600 2008年1月4日 (金) 19:07 (UTC)
- 被依頼者が、自分の事を自分でどう思うかと、他人が貴方の立振舞いをどう評価するかは一切無関係です。Opponentさんのコメントをどう思おうが自由ですが、それをこのコメント依頼の場で表明する事が、他人を不愉快にさせたり、暴力的だと評価されるのだと思います(間違った事実を指摘するなという意味ではありません念のため)。--パンチョ後藤 2008年1月4日 (金) 18:46 (UTC)
- さきほどこの差分で書いておいたこととも関係しますが。おれは、「乱暴な言葉がおれの個性である」とは思っていませんし、そういう意味でOpponentさんのコメントを不愉快に思っています。どういうときにどういう言葉使いをすればいいのかを判断するあたりのめりはりのつけ方に個性なるものがあらわれるのかもしれないとは思っていますが、しかしそのあたりは、まあどうでもいいや。(改行)「丁寧な言葉」を使うことや「ラフな言葉」を使うことは、相手に敬意を表しているか無礼であるかを意味するものではないでしょう。おれは時として丁寧な言葉も使うし、ラフな言葉も使うが、相手をする際に敬意を見失ったことはないと思いますよ。敬意を抱けない相手は、端から無視しますからね(その結果、「そんなガキはほっとけ。相手をするから付け上がるんだ」なんていう批判も多々頂いておりますが、そのあたりは、しかし、直す気はないなあ)。(改行)でだ。少なくとも内容面では何ら問題はなく、複数のひとが「熟読せよ」と言うような誠実な返答に対して「別にアナタの演説を聴きたいわけじゃないんですが」といった嘲笑的かつ挑発的なコメントを返すバンチョ後藤さんが、このコメント依頼を提起したことや、直前の意見表明を通じて、いったいおれに何を伝えたいと思っているのかが、おれにはよくわかりません。(改行)他にもいろいろ思うことはありますが、それはまあ、必要だとおれが思ったならば後日(必要があると思わなければ言わないと思いますが、その節はご容赦ください)。--Nekosuki600 2008年1月4日 (金) 17:28 (UTC)
- (どうでもいいような抗議)えーと。「何十年も」っていうと、それはふつう「20年以上」を意味すると思うんだ。それ以下だったら「数年」とか「十数年」とかいう表記をするのが正しいわけで。が、おれ、パソコン通信を使い始めた時点を基点にして20年も経ってないから。よって「何十年も」ってのは不当だぞ、と。なんか知らないがおれのことをものすげえ年寄りだと思ってるひとがそれなりにいるらしいんだけど、その手の誤解を加速するような不用意な表現はつつしんでおくれです。--Nekosuki600 2008年1月4日 (金) 19:33 (UTC)
- (コメント)「乱暴な言葉こそがこの方の個性」ということですが、そのような個性はWikipediaという百科事典作成のプロジェクトにおいて本当に必要なものでしょうか? 他人を不愉快にさせる、あるいは疲弊させる個性とやらはある程度の実績と貢献があれば認められるという事でしょうか?--パンチョ後藤 2008年1月4日 (金) 17:07 (UTC)