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Wikipedia‐ノート:削除依頼/特別な業績無き個別声優記事

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(コメント)ここで存続票を掲げている方々は、1.該当記事に対し、継続的な編集を実施し、記事の品質・鮮度を積極的に維持する意思はあるんでしょうか? 2.万一存続決定した後、現在のサブスタ状態の記事を救済し、適切な百科事典的なものに成長させる意思はあるんでしょうか? そういう事をやってる人を見たことがないもので。Nekosuki氏の言葉を借りれば、存続厨とウザいサブカル編集厨も同様にWikipedia全体の質を貶めているだけのペアでしかありません。「存続でいい」と言ったその言葉にちゃんと責任を持ってくださいね。--パンチョ後藤 2008年1月3日 (木) 07:39 (UTC)[返信]

(コメント)Wikipediaの記事は、もちろん高い完成度であるにこしたことはありませんが、常に過渡的なものでもあり、それぞれの段階で高い完成度のもの以外を置いておいてはいけないということはありません。また、すでに述べたことですが、声優記事あたりにへたに「充実したテキスト」を求めた場合、方向違いの加筆が促進される可能性が高い。「スタブならスタブで置いといて淡々と充実を目指す」といった選択をすべきです。ついでに言っときゃ「短い記事=スタブ」なわけではない。短くても必要充分であり完結している記事はあるし、いまだ一部しか書かれていなくてもその範囲で役に立つ場合はある。もうひとつついでだが、自分はノートに移動せずに意見を書いておき、しかし「返信がある場合はノートへ移動してください」ってのはなんだ。だったら最初からノートに書いておけ。--Nekosuki600 2008年1月3日 (木) 08:16 (UTC)[返信]
(コメント)別にアナタの演説を聴きたいわけじゃないんですが。それで、自分の言葉に責任は持てるんですか?記事の救済と今後のメンテナンスを継続的に実施する意思はあるんですか?--パンチョ後藤 2008年1月3日 (木) 08:38 (UTC)[返信]
「責任」なるアイディアを突然出してきて何かを言ったつもりなんでしょうか。
任意の記事があなたにとって理想形でないからといって、誰も責任を取る必要はありませんし、あなたが誰かに責任を押し付ける権利を持っているわけではありません。また、頻繁なアップデートをする必要もありません(まあ、頻繁なアップデートをする必要がないかたちに書く、という知恵がないやつが多いのは事実だがね)。なんかそこんところに根本的な誤解があるんじゃないでしょーか。--Nekosuki600 2008年1月3日 (木) 09:06 (UTC)[返信]
責任を持って欲しいのは自身の発言にであって、記事にではない。俺が聞いたのは存続票を投じた記事に対して存続票を投じた利用者は維持メンテをする意思があるかどうかで、維持メンテをしろとか記事に責任を持てなんて一言も言ってない。提示した質問に対して回答する気がないのならコメントを控えてください。--パンチョ後藤 2008年1月3日 (木) 09:20 (UTC)[返信]
すりかえ、すりかえ。--Nekosuki600 2008年1月3日 (木) 11:19 (UTC)[返信]


コメント依頼でこの削除依頼を知りましたが、一言。削除依頼は「削除の方針に合致するものを削除する」ところでしょう。「メンテ等加筆ができないなら存続票を入れるな」と存続票を入れるのに制限を課すのは筋が違いますし、そんな制限を他人に強制するものでもないでしょう。まぁ記事の成長が気になるようでしたら、2、3年後に記事が育ってなければ、加筆依頼に出すくらいの気持ちで良いんじゃないでしょうか。--Etoa 2008年1月3日 (木) 15:44 (UTC)[返信]

エッセイ

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開き直って言っちゃうんだが、以下はエッセイだ。さっきにちゃんねるに出ていたもので、同一性証明はできないが、「猫が好き♪ ◆1GNekodnQQ」というコテハン&トリップを使えるユーザが書いたもので、そいつはWikipediaに掲載することをWikipediaのNekosuki600のパスワードを知っているおれに対してOKしている。

その分野をよく知らないひとにとっては役に立たない記事ってあると思うんすよ。それは、望ましいことではない。しかし、その分野をそれなりに知ってるひとにとっては、それでも役に立ったりするわけね。そのメリットを否定してほしくない。
知ってる分野のことについて削除依頼を出すのはありだよ。知らない分野についても、まあありかなしかって言えばありなんだが、慎重であってほしいわけ。
そのあたりで慎重じゃないやつが多すぎるとは思わないか。「これはスタブだ。分野に興味がないひとにとっては、親切な記事にはなってない。だけど、これでも役に立つ場合はあるんだ」ってことを、ちゃんと想像してほしいわけよ。

そのうち、Wikipediaにおける削除依頼についても、どこかで一度きっちり論じようとは思っているが、それは後日にまわす。とりあえずメモ書きってことで、ここに書いておく。

「その分野をよく知らないひとにとっては役に立たない記事」というのはスタブであり、より成長していただきたいものであるのは事実だ。しかし、「その分野をよく知っているひとにとって役に立つ記事」である可能性は、否定できないんだ。ある記事が、内容が理解できないという意味でも存在意義がよくわからないという意味でもいいのだが、自分にはよくわかんなかったとして、果たして「Wikipedia上に存在する価値があるのかどうか」というのは別の問題だ。まるっきしWikipedia上に存在する価値がないのならば、削除されるべきだろう。しかしそこで、「しかし自分とは異なる専門分野や興味範囲の者には、いくばくか役に立っている可能性がある」というあたりを、全力で想像してみてはもらえないものだろうか。

その上で、本当に「Wikipedia上に存在する価値がない」という結論に達したなら、がんばってもいいと思うよ。そうじゃないんだったら「削除すべし」という結論を最初から持って削除依頼をするのではなく、「どうだろう?」と相談する程度にとどめておいてほしい。そしてできれば、もし真面目にその可能性を検討して迷うようならば、削除依頼なんかしないでもらいたい。--Nekosuki600 2008年1月3日 (木) 16:40 (UTC)[返信]

仰るとおりケースEなんてのは価値観の問題なのだから、存続の合意がとれりゃ、存続に値する記事になるよう努力すればいいと思う。俺がハッキリさせたかったのは、存続をいれた人が「今後その記事を面倒見る意思をもって存続票をいれたのか、そんなつもりは毛頭ないがなんとなく誰かがそのうちやんだろ的に存続票を入れたのか」ということ。
記事空間じゃなくて、Wikipedia空間に入り浸ってるだけのような人に主に言いたかったんですけどね。過去の様々なgdgdとなった議論を見て、記事が存続で終わった後に俺がノートなりPJなりで提案を出したとして、果たして参加する気があるのだろうかという漠然とした不安があるわけ。
なので、当初は別にNekosuki600さんに言ったわけじゃなかったんですが、最終的に「すりかえ、すりかえ」などと足蹴にされたのは非常に残念でした。--パンチョ後藤 2008年1月3日 (木) 17:25 (UTC)[返信]
そんな主観主義的(念のためだが法的用語)みたいなもんを持ち出してどうなるってもんでもないでしょ。投票者の主観を問題にするんだったら、そんなもんは削除推進側にしても存置推進側にしてもろくにものごと考えていないやつなんかぞろぞろいるんだし。
第一点。
おれは刑事法の分野ではどちらかというと主観主義にシンパシーを抱いており、新派刑法系の立場を選んでいるのだが、しかし主観なんてもんは外部からは判断できないんだよ。本人がどう言おうと、それが主観をちゃんと反映しているとは限らないんだからな。安易に「責任」なんていうキーワードとともに主観主義の立場に踏み込むのは、やめておいた方が無難だ。というか、やめてくれ(念のためだが、極めて悪名が高い「治安維持法」なんてもんがあるのだが、あれは新派刑法系の思想を具体化したものであり、新派刑法という観点から見れば極めて優れた実例である。鮮やかな失敗例でもあるのだが)。
第二点。
Wikipediaの記事の品質管理は、特定個人に責任を求めるという方法ではなく、あいまいな集団の意思によって行われている。それはある意味で「無責任体制」ということでもあり、Wikipediaにおける制度整備というあたりではその無責任体制のしょーもない点が遺憾なくらい発揮されている。しかし記事空間については、それなりに機能していると言えるんじゃないだろうか。その「無責任体制」がキモチワルイというのは、それはそれで思想信条の自由だから、かまわんと思う。しかしながら、それがどうしようもなくキモチワルイものであり、特定の誰かに責任を押し付けないと耐えられないってことであるのなら、それはWIKIというシステム(Wikipediaではなく、Wikipediaが採用しているWIKIというシステム、な。念のため)と相性が悪いということにほかならないんじゃないか。
ま、そのあたりを改めてじっくり考えてみてくれ。おれに案内できるのは、ここらへんまでだ。あとは自分で考えてもらうしかない。--Nekosuki600 2008年1月3日 (木) 17:48 (UTC)[返信]
ようするに俺の質問に対する回答は「誰かがやるまで放っておけ、ただし俺は知らない」と読み取れたので、そのように理解します。回答ありがとうございました。--パンチョ後藤 2008年1月4日 (金) 17:03 (UTC)[返信]
ほう。そう理解しましたか。なるほどねえ(ふっ)。
いやあ。おれはあんたを足蹴にしたらしいな。知らなかったが、そうなんだったらどうも申し訳なかったね。率直なところ、真面目な返答に対して「別にアナタの演説を聴きたいわけじゃないんですが」なんて嘲笑的な返答をし挑発するやつなんざ、足蹴にされるくらいは当然であり即座に踏みにじられなかったことを幸運に思ってほしいくらいだったりするが、それはさておき。
誰かがやるまでほうっておくくらいのことが我慢できず、ありもしない責任なるものを発明して、自分の思うようにならない他人に圧力をかけることを正当化するということですね。これだけ説明をしてあげても結局軌道修正ができなかったということならば、それはそれでかまわないが、つまるところが「劇的な効果を性急に求め、じっくり構えることができない」という欠点を露呈したのだという理解でよろしいか。
これからもWikipediaにかかわっていくつもりならば、熟慮して返答してくださいな。丁寧な言葉遣いをしておけばどんな無礼なことを言っても許されるってもんじゃないんだぞ。--Nekosuki600 2008年1月4日 (金) 17:14 (UTC)[返信]
確かにNekosuki600さんの命令口調的発言にかっとなって挑発的な言葉で応酬したのはよろしくない対応でしたね。申し訳ありませんでした。--パンチョ後藤 2008年1月4日 (金) 17:26 (UTC)[返信]
表面的な謝罪なんかでやり過ごせると思わないでくださいな。真面目に内容に対してきっちりとした返答をすべきでしょう。
それから。命令形がどーのとかってのは置いといてだ。自分は表ページで演説をし、しかし他者には表ページでの返答を禁じ、さらにはノートでの返答に対してまで「アンタの演説など聞く気はない」という嘲笑的な返答を返したことについての、問題点の理解が足らないね。命令形がどうのではなく、「自分だけは表ページで演説をしてかまわない」と思い、それを実際にやっちまったことが問題だということが理解できていないのだろうか。それは、ダブルスタンダードっていうんだ。別にダブルスタンダードなんて珍しいことじゃないのだが、ダブルスタンダードを平然と使うやつが信頼されないってのも珍しいことじゃないんだよね。--Nekosuki600 2008年1月4日 (金) 17:37 (UTC)[返信]
「自分はノートに移動せずに意見を書いておき、しかし「返信がある場合はノートへ移動してください」ってのはなんだ。だったら最初からノートに書いておけ。」などと、激しい命令口調で伝えなければならないほどの、重大な問題であるとは思っていませんでした。
返答があったら可読性が悪くなるなくらいにしか思っておらず、配慮が足りませんでしたね。すいませんでした。--パンチョ後藤 2008年1月4日 (金) 18:00 (UTC)[返信]
まあ、いずれにせよ一晩とか一週間とかじっくり考えてから返答したら? 急いでリアクションしても、それが反論だろうが謝罪だろうが、軽い言葉にしかならないからさ。でだ。可読性がどーのという話以前に、ダブルスタンダードであったことを深刻に考えるべきだろう(ほれ。「考えなさい」とは言わなかったぞ。言いたいけどな)。そして、自分がダブルスタンダードに気付いていなかったことは、もっと深刻に考え、何ヶ月か落ち込んでしかるべきくらいの愚行だったと思うぞ。じゃあまた後日。--Nekosuki600 2008年1月4日 (金) 18:02 (UTC)[返信]