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Wikipedia:コメント依頼/NPO watching

これまでの経緯

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利用者: NPO watching駒崎弘樹において出典ある記述を大量削除することを繰り返し、またノートでの議論にもこれまでに一切応じようとしません。現在、記事は保護依頼中ですが、これまでに保護されていた間にも合意のための議論に一切応じませんでした。--義経侍会話2013年3月16日 (土) 14:26 (UTC)[返信]

問題の編集の一部

被依頼者のコメント

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第三者のコメント

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  • コメント第三者です。拝見しましたが、どちらもどちらと思います。被依頼者の「大量削除」自体は、やや乱暴と思いますが、特筆性から見て妥当な内容(元の記述が明らかにバランスを欠き過剰)と思います。逆に依頼者の履歴を見るとバランスを無視した大量編集[1][2]が散見されます(過去、複数の方から指摘されているようです。本人のブログやテレビ番組で発言のなど、出典さえあれば書いて良いというものではありませんWikipedia:特筆性情報を無差別に収集する場ではありませんを参照)。次に「ノートでの他人のコメントの改ざん」[3]も、やや唐突ですが、内容は中立的な見出しを選ぶに沿っています(他者のコメント修正は配慮すべきで、修正前(または後)に一言が望ましいですが、絶対修正禁止ではありません)。また、その後、被依頼者から返信[4]があり完全な対話拒否とは言えませんが、ただしその内容はWikipedia:法的な脅迫をしないに反しています。私は、依頼者・被依頼者の双方が、ウィキペディアのガイドの理解が必要と思います。--Rabit gti会話2013年3月17日 (日) 06:23 (UTC)[返信]
  • ありがとうございます。特筆性に関しては議論になるところと思います。執筆した私としてもそのへんは、被依頼者と話しあおうとは思っていました。コメント依頼してようやくノートで被依頼者からコメントをいただけましたが、Rabit gtiさんがおっしゃるように脅迫のみでがっかりです。--義経侍会話2013年3月17日 (日) 13:28 (UTC)[返信]
  • コメント編集差分を確認しましたが、いずれも妥当なものです。私だってしてるような編集ですね。とりあえず、この記事の編集に関わっている人は全員WP:BLP(特にWP:BLPSOURCESWP:SELFSOURCE)の確認から始めたほうがよいです。BLPではソースがあるというだけで記述を維持してはいけません。他の記事よりも高品質でより信頼性の高いソースが求められています。自己公表物(ブログ、ツイッターの類)のBLPでの使用は原則禁止です。NPO watchingさんによる編集はほとんどが、このBLPでは使えない自己公表物を出典にした記述を取り除こうとしたものです。本人の(つまり駒崎さんの)自己公表物は例外的に使ってもよいですが、バイオグラフィーなど論争にならないものにとどめておいたほうがよいです。本人ブログからの取捨選択が恣意的だという批判があれば、それらを出典にした記述は維持すべきでないでしょう(WP:NOR)。駒崎さんのネット右翼関連のツイッターは他者に対する評価が含まれてますので記事の出典には使えません。これらはこのツイッター発言に言及しているWP:RSを見つけてきて、それを出典にして記述するべきです。出典になっていたものでは、「税金と保険の情報サイト」のみが私の基準ではぎりぎり許容できるという感じですかね。もう少し大手の報道があるのならそっちのほうが絶対によいです。
それで、NPO watchingさんはノートが活用できてないのは事実ですが、これはBLPでは問題にならないです。{{存命人物の出典明記}}にありますとおり、ノートでの提案などを経ずに問答無用で存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷あるいは有害となるものはすぐに除去するというのが正式な方針です。NPO watchingさんは、「不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷あるいは有害となるもの」と判断した記述を取り除いたということですし、この判断を私は支持します。NPO watchingさんはノートでの話し合いに応じないまま記述の除去を繰り返してますが、これもBLPでは問題になりません(WP:BLPREMOVE参照、3RRは適用されない)。示された編集差分の中で唯一問題だと感じたのは「荒らし」に言及している要約欄だけでした。差し戻しは荒らし行為には見えませんので、安易に荒らしと呼ぶべきではないでしょう。
最後の差分は「ノートでの他人のコメントの改ざん」には当たらないと思います。むしろ、元の見出しは「不当な」という語句がWP:TALKNEW中立的な見出しを選ぶ見出しで批判しないに反しているように私には見えるので、この語句を除去するのは妥当だと思います。
最後に、マナーとしてNPO watchingさんにコメント依頼が出ていることを伝えたほうがいいと思います。新規参加者ですから、たぶん気付いてないでしょう。--Bugandhoney会話2013年3月19日 (火) 15:46 (UTC)[返信]
(NPO watchingさんに対して) ウィキペディアにはWikipedia:法的な脅迫をしないというルールがあります。これはウィキペディアに関して法的措置を取ってはならない、という意味ではなく、単純にやるならウィキペディア内部ではなくよそでやってください、という意味です。ですから記事のノートのようなウィキペディア内部で「訴える」などと発言されてしまっては困りますが、メールなどといった他者に見えない形で訴訟に関する連絡を取り合うのであれば、ウィキペディアにとっては全く問題はありません。また警察にもこういった窓口ありますのでこちらをご検討いただいてもよいかもしれません。ウィキペディアは無法地帯ではありませんから(Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは無法地帯ではありません)警察のような公的に権限を持った当局から指導があれば記事内容の修正など適切な対応がなされます。ただし、ウィキペディアにおいてこうした手段をとるぞ、などと発言したり、あるいはこうした手段を実際にとったなどとご報告いただく必要はありません。あくまでそうした行動はウィキペディア外部でお願いします。
(義経侍さんに対して) 井戸端にて義経侍さんは「訴訟リスクまた提訴脅迫されたから編集を控えるということはしたくありません。」とおっしゃいました[5]。しかしウィキペディアにご参加の方々の大半は訴訟沙汰などに巻き込まれることなく平和裏に参加したいとお考えの方がほとんどです。私は井戸端にて手訴訟沙汰になればこの論争とは全く無関係の方々にまでご迷惑がかかる可能性を申し上げたつもりです。すでに多くの方からご指摘があるように『駒崎弘樹』という記事の内容は不適切な部分が多く含まれているように思いますが、これだけ多くの方々の注目が集まっていますからこの記事の内容は保護解除後にでも適切な変更がなされるでしょう。その適切な変更の中には義経侍さんが賛同できない変更があるかもしれません。しかし、義経侍さん個人が「編集を控えるということはしたくありません」とお考えなのだとしても、くれぐれも義経侍さん個人の理想のために他の利用者にまで迷惑がかかるような編集はご遠慮いただきたいと思います。私から申し上げられることは以上です。--Henares会話2013年3月20日 (水) 05:51 (UTC)[返信]
    • 報道や論文など公刊された情報源でない限りは、公式ブログ(江川紹子さんという著名なジャーナリストのブログ(これを加筆したのは私ではありませんが))であっても、「潜在的に中傷となりうるもの」(そのように解釈されうるもの)を主張された場合は、削除に応じなければならない、逆にいえば、公刊された著作など信頼出来る情報源であればよいということですかね。BLP関連記事には本人の公式ブログやツイッターなどが引用されていることがよくありますが、それらも削除すべきという主張があれば、原則としてウィキペディア上は抗弁できないのですね。そのあたりは認識不足でした。そのようなルールはウィキペディアおよび他の編集者が訴訟リスクを可能な限り避けるためのものということなのでしょうね。Henaresさんのおっしゃることはわかります。私の発言は慎重であろうとは思うが、編集活動そのものを控える(やめる)気はない、という意味でした。記事についてはブロック解除後Bugandhoneyさんが編集に介入されるとおっしゃられるので、ありがたいです。私もNPO watchingさんが議論に応じないまま提訴と発言されたものですから激昂していました。--義経侍会話2013年3月20日 (水) 07:43 (UTC)[返信]

コメント再度のコメントです。前回私は「依頼者・被依頼者の双方が、ウィキペディアのガイドの理解が必要と思います」とコメントしましたが、依頼者は被依頼者がブロックされた後も、ノート:駒崎弘樹で自説の演説行為を繰り返しており、第三者のコメントを希望しても自説に合わない意見ならば延々と批判を続けるならば、コメントの意味がありません。依頼者は、既に複数の方から再三指摘されているように、検証可能性信頼できる情報源演説台ではありません善意にとるなどの各種ガイドの熟読と理解をお願いしたいと思います。ウィキペディアは「出典があれば書いて良い場所」ではありません。--Rabit gti会話2013年3月23日 (土) 02:42 (UTC)[返信]

  • コメント ノート:駒崎弘樹での依頼者の対話姿勢を見ていると対話での論争解決を期待するのはもう無理ではないでしょうか。少なくとも私はもう無理だと思います。被依頼者はご自身が駒崎弘樹さんの関係者であることをにおわせるようなご発言もなさっていますし[6]、被依頼者が『駒崎弘樹』という記事の除去を最初に試みて[7]からすでに1ヵ月が経過しています。もしもウィキペディアの記述で傷ついた方がおられるとしたら、そういう方にとっては1ヵ月という時間はそれほど短い時間ではないと思います。ノート:駒崎弘樹にて依頼者に対して粘り強く対話を試みておられる方々がおられますので個人的にはもう少しだけ様子を見たいですが、こうした私の態度も適切なものなのかどうか自信がありません。ウィキペディアにとっての社会的リスク(法的リスクに限らず)を考えると存命人物の伝記に関連した論争についてあまり時間をかけすぎることは望ましくないと思います。ウィキペディアへの参加姿勢改善のために依頼者に残された時間はもうそれほど多く残されていないのかもしれません。このままであれば依頼者に対する投稿ブロック依頼を行うべきだと思います。依頼者に対するコメント依頼を新たに行うなどしてこれ以上問題解決の時間を長引かせてしまうことは、本件に関して言えばむしろ不適切だと個人的には思っています。--Henares会話2013年3月23日 (土) 07:27 (UTC)[返信]
    • コメント Henaresさんに同意見です。依頼者は大変熱心で論理的な対応もされているので、できれば冷静になりガイドを再読し改善して頂ける事を期待していましたが、その後のノート:駒崎弘樹での依頼者の多数の発言を拝見しても、単に個々の相手に片端から反論して、「善意にとる」「合意形成」の姿勢が全く見受れないため、存命人物の記述配慮の観点からも、早期にブロック依頼へ進む事も反対しません。--Rabit gti会話2013年3月23日 (土) 08:29 (UTC)[返信]
      • それは時期尚早じゃないですかね。NPO watchingさんといっしょで、義経侍さんもウィキペディアでの経験は一ヶ月ちょっとということですから、まだ、ウィキペディアのいろいろな考え方に慣れてきている途中なのでは。別にノートでガイドラインの意味や情報源の評価に関して自分の考えを、たとえそれが他の編集者とは相容れなくて、どんなに風変わりではあったとしても、述べるのは自由でしょう。一義的には、ノートはそういう見解の相違をすり合わせるためにありますので。また、記事は義経侍さんの投稿を最後に一週間の保護を受けており、その間に誰かが編集依頼をしたというわけでもないので、義経侍さんの投稿内容に緊急に除去しなければならない内容があったというわけでもないかと思います。記事本体で無茶な編集を繰り返さない限り、投稿ブロックなどは不要でしょう。--Bugandhoney会話2013年3月25日 (月) 16:04 (UTC)[返信]