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Wikipedia:コメント依頼/Lovelovin108

利用者:Lovelovin108会話 / 投稿記録 / 記録さんの吉井和哉のページおよび、ノート:吉井和哉における行動についてコメントを依頼します。--Sube会話) 2016年11月6日 (日) 15:23 (UTC)(修正)--Sube会話) 2016年11月6日 (日) 15:37 (UTC)(再修正)--Sube会話2016年11月13日 (日) 05:23 (UTC)[返信]

経緯

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コメント依頼に至る経緯

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吉井和哉眞鍋かをりの結婚報道がなされて以降、吉井和哉のページにおいては「妻」として眞鍋かをりを記載する事がたびたび行われてきましたが、 そのたびに無言で消去されています。中には出典がついていたものもありますが、いずれも無言削除であり、理由を述べた例はありません。

うちLovelovin108さんは2015年8月14日 (金) 06:532016年6月24日 (金) 07:242016年7月3日 (日) 12:342016年8月4日 (木) 13:192016年8月4日 (木) 10:20と5回削除を行いその際に何らの理由もつけていません。

コメント依頼での行動

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利用者:丸和太郎会話 / 投稿記録 / 記録さんによって2016年8月9日 (火) 11:01 (UTC)にコメント依頼が提出されました。 同様に削除していた利用者は数名いますが、丸和太郎さんの呼びかけに対して対応されたのはLovelovin108さんのみです。[返信]

Lovelovin108さんはこのコメント依頼において、「前妻のことも載っていないページに妻のことを書く必要はない」「吉井和哉側が発表しておらず、公表を望んでいない」などの理由を説明されていますが、吉井と眞鍋の結婚はスポーツ紙のみならず「産経新聞[1]」「朝日新聞デジタル[2]」、「共同通信による配信記事[3][4]琉球新報静岡新聞)」等の一般紙、「日テレ」[5]、さらに音楽関係についても音楽ナタリー[6]ロッキング・オン[7]等でもニュースとして扱われるなど、音楽と関係ない事象とはとらえられず、さらに妻は著名人であり、積極的に公表しているためプライバシー案件でもありません。吉井サイドの公表が「なかったとしても」特筆性の観点で問題はありません。

このような議論が2ヶ月ほど続き、Lovelovin108さんは掲載自体には同意するようになられましたが、現在もなお「吉井和哉が公表していないという事実」「眞鍋が結婚を発表したという信頼できる記事に、吉井和哉側からのコメントが載っていないこと、吉井和哉事務所に確認をしたということが載っていないことは、事実であり、そのことは特筆すべきことだと考えます」[8]として、結婚の記事にその旨を記載することを主張されています。

この主張の問題は「吉井側が公表していない」と言うことを立証するのはいわゆる「悪魔の証明」に類することであり、信頼できる情報源の観測ならともかく、一利用者が「全部見たけどなかった」ということをwikipediaの出典方式で書くことができるわけもありませんし、出典が無い記述は削除されても文句は言えません(出典を示す義務を負うのは、除去を求める側ではなく、書き加えようとする側)。また信頼できる情報源が吉井側に確認をとったかどうかを言及していないにもかかわらず、それについて書くことは独自研究となります。

なお2016年1月8日のサンケイスポーツ記事では「イエモン15年ぶり復活!眞鍋と再婚の吉井「機が熟した」」では「昨年6月にタレント、眞鍋かをり(35)と再婚したことを発表した吉井は、同10月に女児が誕生。私生活が充実し、仕事にも気合が入る」という記述をしており、つまり吉井側が結婚を発表しているという形で報道しています。Lovelovin108さんはこの出典に対し、「そのサンケイスポーツの記事は明らかに誤りです。なぜなら、吉井和哉は結婚を発表などしていないからです」と述べられましたが、反証となる出典は挙げられていません。

また「前妻のことも載っていないページに妻のことを書く必要はない」という主張もされておりましたが、出典付であった吉井の離婚した前妻の記述を消したのはLovelovin108さんでした。その後2016年9月30日以降、(眞鍋のことを記載するなら)「きちんと前妻とその子どものことを記述」するように求めるなど、誰も言及しない前妻についての意見を述べはじめるなど、理解に苦しむ言動もしばしば見られました。

議論が3ヶ月以上に及び、なお収束する気配がありませんのでこれを区切りに利用者個人のコメント依頼に切り替えさせていただきます。

依頼者のコメント

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「記述されていないこと」から何を読み取れるかは、個人によって大きく異なります。

私見ですが、Lovelovin108さんの意図する記述が行われれば、 眞鍋はもとより眞鍋と吉井の間に生まれた子供、そして吉井本人に対する誹謗中傷の根源にしかならないと考えております。--Sube会話2016年11月6日 (日) 15:35 (UTC)[返信]

Lovelovin108さんのコメントをうけまして、一言だけ。「過去のいかなる時点においてもウェブサイトに掲載されていなかった」ことを、これからwikipediaの記事を見る者がどうやって確認するのか。検証可能性とはそういうことです。--Sube会話2016年11月9日 (水) 16:22 (UTC)[返信]

コメント議論を再開してほしいというご意見がありましたが、私があげた出典は「結婚当時の報道」に限ったものでもなく、特に朝日新聞デジタルの記事は「2016年3月17日」の記事です。速報にあたるはずもありません。好意的に解釈しても、出典に目を通していないことからくる誤認です。--Sube会話) 2016年11月26日 (土) 14:50 (UTC)(修正)--Sube会話2016年11月27日 (日) 05:18 (UTC)[返信]

文意が伝わりにくいかと思いましたので、補足します。まず、各新聞の報道は「眞鍋かをりが結婚を発表」としたものであり、真鍋の報告を事実として扱っています。真鍋が嘘をついているという可能性はどの報道にも示されていません。朝日新聞デジタルの記事は「結婚を公表した」とあり、さらに発表から数か月たった後のことです。この時点でも真鍋の結婚発表は「事実」と認識されているということです。--Sube会話2016年11月27日 (日) 05:18 (UTC)[返信]

Lovelovin108さんのコメント

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subeさんが書かれている、「一利用者が「読み取れる事実」ではなく、「信頼できる情報源が読み取った見解、事実」を書くのがwikipediaです」ということについては分かったつもりです。しかし、信頼できる情報源(ノートに情報源として挙げられたものの全て)に書かれている事実が、「眞鍋のブログでの発表」「眞鍋の事務所への確認」だけである、そのことも事実であると申し上げています。それは、誰もが確認できることであり、一利用者の「読み取り」でも独自研究でもありません。信頼できる複数の情報源(ノートに挙げられたもの)、また、眞鍋が結婚を発表した時の吉井和哉オフィシャルサイト、携帯サイトから、吉井和哉からの発表やコメントがなかったことも、誰もが確認できます。そのことをウィキペディア記事に書くことも、問題ないと私は考えました。subeさんが上で書いておられるように、「信頼できる情報源が吉井側に確認をとったかどうかを言及していないにもかかわらず、それについて書く」つまり、「吉井和哉側に確認をとっていない」と書くのではなく、単に、吉井和哉側からのコメントが記事やオフィシャルサイトにのっていなかったという事実を記したいという主張です。それを書くことが眞鍋やその子供に対する誹謗中傷だとは言えません。吉井和哉に何らかの(ファンや家族に対する配慮など)意図があるのかもしれませんし、それは、誰にも分からないからです。 ノートにも書いたように、このようにどの情報源からも、A側からの報道しかないのに、「AとBが結婚した」「AはBの妻である」ということを、Bの記事に書くことが、Bの記事において必要なことなのか?ということから、議論が始まっています。最初はBの記事には記述する必要はないと思いましたが、Bの名前を出して大きく報道されたことであり、記述するべきだという考えには、納得しました。ですが、その場合、AとB双方からの発表があった場合と同じ記述にすべきだと考えられるということでしょうか?Bの記事に、「AとBが結婚した」または「妻はAである」と記述すべきだということでしょうか。吉井和哉側からのコメントがなかったということを書くことが問題であるとは思いませんが、そのことに反対される人がいるとしても、記述できることは、「眞鍋がブログで吉井和哉との結婚と妊娠を発表した」という一文だけです。実際にそれしか確認しようがないのですから、それが眞鍋や子供に対する誹謗中傷であるとは思いません。吉井和哉本人が何か意図があって発表していないことであるのなら、そもそもウィキペディアに記述すること事態、慎重にならないといけないと最初から申し上げていますが、それはただの一ファンの独自研究であるとされることも、分かりました。当初、何もコメントせずただ削除していただけなのも、私のウィキペディア編集に対する認識不足です。それは、申し訳なかったと思います。--Lovelovin108会話2016年11月9日 (水) 12:58 (UTC)[返信]

また下のぱたごんさんの言うように「俺は吉井和哉のファンだ。だから俺の思うとおりが正しいんだ」とは主張していないつもりです。「吉井和哉側からの発表はなかった」ということを記述したいのは、それが事実であるからで、それを記述しなければ、「眞鍋がブログで発表した」という文章の不自然さが目立つのと、「妻はタレントの眞鍋かをり」だと、また冒頭に記述されてしまうのを防ぎたいからです。防ぎたいのは、吉井和哉本人がそのことを公言していないから配慮してほしいと思うからです。現在まで公言していないことをファンは知っていますが、それは信頼できる情報源による証明ができないため、独自研究とみなされることも、了解しました。ですが、少なくとも眞鍋がブログで発表した時期に、吉井からの発表がなかったことは、どの記事を見ても吉井和哉オフィシャルサイトを見ても、ないということが分かりますので、それは、単なる事実として、記述することができるのではないかと思いました。反論があるならきちんと聞いて、納得したいです。自分が絶対正しいとも思っていません。ただ。影響力の大きいウィキペディアの記事なので、慎重に、事実だけを記述したいと思います。--Lovelovin108会話2016年11月9日 (水) 13:19 (UTC)[返信]

長くなってすみません。しかし、「信頼できる情報源と、オフィシャルサイトに吉井和哉が結婚を公表したことがのっていない」などということが、記事になりようもないので、すべての文章に出典がないと一文も記事にしてはいけないのであれば、その記述はできないことになりますね。しかし、たとえば現在吉井和哉のページにあるすべての文章が一文も残らず、出典がある文章でしょうか?そうでないところも多々あるように見えます。誰にも確認できる事実でさえ、出典がなければ記載できないでしょうか?「眞鍋は発表したが、吉井は発表してない」という、確認できる事実を敢えて記述しない、ということのほうが、読み手の解釈を誘導しているように私には思えます。(自分が正しいとは思っていませんただの一意見です)が、何を言っても納得できない人のように思われるのでしたら仕方がないので、次の段階に進んでください。つまり、私という一個人の考えや意見や今までの書き込みを問題にして長々と無意味で非生産的な議論のための議論をするのではなく、実際にどう記述すべきかを、具体的に、話し合い、決定してください。私以外に具体的な文章での編集例を出していないので。私は聞かれたことに真摯に答え、きちんと議論しているつもりです。個人攻撃をしても意味がありません。私からは以上です。--Lovelovin108会話2016年11月9日 (水) 13:38 (UTC)[返信]

subeさんのコメントを受けまして。「過去のいかなる時点においてもウェブサイトに掲載されていなかった」ということを証明することはもちろん不可能です。そのことは分かっていると申し上げたつもりです。ただ、眞鍋が結婚したと発表した時点での記事では、また、現時点でウィキペディアを編集するにあたっては、眞鍋が吉井と結婚したということの信頼できる情報源、として挙げられているものの全てにおいて、吉井和哉のコメントがのってない、吉井和哉の事務所に確認をとったということも載っていない、ということは、確認できます。結婚の報告は、両者の公式発表ではなく、眞鍋からの発表であった、そのことを記述してもいいのではないか、そのことは独自研究でもなんでもなく、ただの、確認できる事実ではないか、と思いました。もし今後、吉井和哉からのコメントが確認できればその時に修正すればいいと思いました。私の意見は変わらないと思いますので、具体的に記述案を出して進めていただけたらと思います。--Lovelovin108会話2016年11月15日 (火) 12:31 (UTC)[返信]

下のWwLMvmさんの丁寧な解説を読ませていただき、「吉井和哉が結婚に関しコメントしていない」とウィキペディアでは記述できないということはある程度理解しましたので、吉井和哉のノートで、議論を先に進めていただけますでしょうか?(要は、私が主張すること、誰もが確認できる事実は記述してもよいということは、「空が青いということに検証はいらない」と言っているつもりでした。)そして、その論でいうなら、「空が青いということに検証がいる」というようなことかもしれませんが、「眞鍋がブログで吉井和哉との結婚を報告した」という報道が、イコール、吉井と眞鍋は結婚したということにはならないと思いますので、当初のように「妻は眞鍋かをり」と記述するのなら、「吉井和哉の妻が眞鍋かをりである」とする、信頼できる情報源からの出典(ゴシップ記事などではなく)をお願いしたいです。個人的には、最初の報道が全て「眞鍋がブログで吉井との結婚、妊娠を報告」という報道だったので、記述するなら、記述もそのようにすべきだと思います。--Lovelovin108会話2016年11月26日 (土) 02:22 (UTC)[返信]

追記ですが、「『ウィキペディアは芸能レポーターでも、スクープ記事でもありません。存命人物の伝記は、慎重に、かつ当該人物のプライバシーに配慮して書くべきです。』という、存命人物の伝記、は、何回も読み、その上で、眞鍋かをりとの結婚の記述はいらないと、最初は判断しました。そう判断し、眞鍋との結婚の記述を削除していた人は、私以外にもいたようです。理由は、本人がそのことに対して一切口をつぐんでいるからです。眞鍋のほうのウィキペディア記事に記述されていればそれでいいと思っていました。相手が有名人であり広く報道されたから、というのが主に理由のようですが、それだけでは納得できない気持ちは大きいです。「存命人物の伝記はプライバシーに配慮して書く」ということは、「書かない」という選択をしてもよいのでは?と、個人的には思います。(「吉井が眞鍋との結婚を発表した」あるいは「両者が発表した」のなら、書かないことなどありえませんが、そうではないのですから)しかし、書かないということはこの議論の中でなくなったようなので、諦めました。あとは、どう記述するかについて、議論をすすめていただけませんか?--Lovelovin108会話2016年11月26日 (土) 02:47 (UTC)[返信]

第三者からのコメント

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  • コメント この議論は少しばかり絡んでいますが、Lovelovin108さんはもはや「いつまでも納得しない利用者」と段階まできているものと思います。ノート:吉井和哉ではLovelovin108さんの主張は俺は吉井和哉のファンだ。だから俺の思うとおりが正しいんだということに集約されると思います。Subeさんが懇切丁寧に何回もwikipediaのルールを示しても、ルールよりも自分の思想をあくまで優先されると言うことではもはや議論にならないでしょう。Lovelovin108さんのやり方でとおりならば、wikipediaのどんな議論もいるまでも納得しなければそのとおりになってしまう。そういうのが通ってしまうのは吉井和哉氏の記事のみで済む話ではなくなってしまいます。--ぱたごん会話2016年11月6日 (日) 15:31 (UTC)[返信]
  • 「ある」ことの証明はできても、「ない」ことの証明はできません(悪魔の証明#消極的事実の証明)。もうすでにそのような指摘は受けていますよね?諦めることは悪いことではありませんよ。--有足魚会話2016年11月11日 (金) 10:51 (UTC)[返信]
  • 利用者に関するコメント依頼ということなので、当該記事の記述の是非に関しては、ひとまずコメントを控えます。必要であれば、当該記事ノートにも出向きますのでご依頼ください。
    1. 「結局何が記述可能で、何が記述不可なのか?」
      • 既に他の利用者から提示されていますが、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないをお読みください。特に、Wikipedia:検証可能性の冒頭には、
        『ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。つまり、私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけだということです。』
        と書かれています。
        • またWikipedia:検証可能性には、
          『ある著名な物理学者の「X理論」についてウィキペディアの記事を書いているとします。X理論は査読審査を経て学術誌に掲載されており、したがってウィキペディアの記事として適しています。ところが、執筆中にあなたがその学者に連絡をとったところ「実を言うと、今ではX理論は完全に誤りだと考えています。」と言われてしまいます。あなたが原著者本人からこれを聴いたとしても、彼がそう言ったという事実をウィキペディアに書いてはいけません。』
          という例示も示されています。その理由は文書の続きを読んでご理解いただくようお願いいたします。
        • 出典元に関してはWikipedia:信頼できる情報源をお読みください。
      • Wikipediaには「情報の合成」という用語があります。(これはWikipedia:独自研究は載せないから導き出されています。)いわゆる三段論法(AでありBである。したがってCである)を使う際には、「Aである」ことと「Bである」ことの出典の他に、直接「Cである」ことを述べた出典が必要になります。
      • Wikipedia:空が青いということに出典は要るという文書があります。これは「私論」と呼ばれるものですが、とても興味深い物です。是非一度お読みください。
    2. 「吉井和哉」での議論
      • 先述したとおり、Wikipediaでは出典が必要であり、しかも情報の合成は望まれていません。
      • 既に論じられていますが、「吉井側は何もコメントしていない」ことを記述するには、その出典が必要になります。Lovelovin108氏の仰る通り「ないことの出典は出せない」ので、これは記述できません。
        • ここで、利用者の誰かが個人的に事務所に問い合わせ、「コメントは控える」という回答をもらっても、Wikipediaに書けないというのはご理解いただけるかと思います。(上の「ある著名な物理学者」の例と同じです。)
      • また、2016年11月6日 (日) 11:36 (UTC)のコメントでの『「ある」ことの信頼できる情報源がないことをもってして、「ない」と記述してもよい』というのは、『「ある」ことの信頼できる情報源がない』に対する出典が必要です。すなわち、「XX日現在、吉井側のコメントは報じられていない」といった報道がない限り、この理論はWikipediaでは通用しません。
      • このように、「類推」や「推測」など通常の生活でよく使う考えが、Wikipediaで通用しないことはよくあります。(『「ある」ことの信頼できる情報源がないことをもってして、「ない」』とするのは、論法としては間違っていません。)これは、Wikipediaでは上に挙げたような独自の方針・ガイドラインを採用しているからです。もどかしい気持ちもあるかもしれませんが、郷に入っては郷に従えという言葉にもあるように、Wikipediaの方針・ガイドラインの理解・遵守をよろしくお願いいたします。
    3. Wikipedia:存命人物の伝記
      • これはLovelovin108氏だけに限ったことではないのですが、Wikipediaでは存命人物に関する記述の扱いが通常と異なります。この方針には
        『ウィキペディアは芸能レポーターでも、スクープ記事でもありません。存命人物の伝記は、慎重に、かつ当該人物のプライバシーに配慮して書くべきです。』
        とあります。著名な公的人物にもプライバシーがあること、肯定的内容にもプライバシー保護が適用されること、をお忘れなきようお願いいたします。
    4. Wikipedia:常に要約欄に記入する
      • 1年も前の行動についてコメントするのは恐縮ですが、単なる内容の除去をする場合でも要約欄に理由を記入することが強く推奨されています。
      • これは編集合戦や望まない議論の白熱・長期化(個人攻撃への発展など)を防ぐ効果があります。
      • 例えば、除去する際に「出典不足により除去」と記入しておけば、ノートで「○○という出典があります」と、議論が始まるかもしれません。
    5. その他
      • 自ら記述を除去してうえで「Aに関しては記述されてないから...」ということがあったようです。人為的ミスだったとしても議論が複雑化したのは否めません。小さな編集にも責任が伴いますので、よくご確認なさってから投稿するようお願いいたします。
        • 編集画面下部には、「プレビューを表示」ボタンの他に「差分を表示」ボタンもあります。是非ご活用ください。
      • もし、上に挙げた方針・ガイドラインがどうしても腑に落ちない場合、ノートページやWikipedia:利用案内Wikipedia:井戸端などで質問したり議論を提起したりすることが可能です。

まとめ

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終了一ヶ月が経過しました。ぱたごんさん、有足魚さん、WwLMvmさんからご意見をいただきました。被依頼者の論拠が正当であるというご意見はありませんでした。この状況をふまえまして、出典無しの状態で、依頼者の見解に基づく議論再開はありません。被依頼者には、しかるべき出典に記載されていない「事実」に基づく行動を起こされないことを強くお願いいたします。--Sube会話2016年12月6日 (火) 13:56 (UTC)[返信]