Wikipedia:コメント依頼/China
利用者:Chinaさんと他の何人かの投稿者との間で方針の対立があります。当事者間では議論が収束する見通しが薄く、調整が必要と考えられますので、ここでコメントを募集します。あちこちに議論が分散されていることは好ましくありませんので、これまでの経過のまとめとそれに対する議論がここに集約されることが望ましいです。このページの設立のきっかけについては、Wikipedia:井戸端#コメント依頼を参照してください。 --Michey 2005年1月24日 (月) 16:18 (UTC)
関連ページ
[編集]- Talk:章帝 (漢): 章帝 (漢)の見出しのつけ方の妥当性。
- User talk:Aphaia; 菅原道真の見出しのつけかたの妥当性。項目ノートも参照
- Talk:菅原道真: 項目への見出しのつけ方の妥当性。ならびにChinaさんの編集方針1。
- m:Requests for comments/Aphaia and Tomos discussion: 補足:付帯的状況
- User talk:Miya: 上記ページでの Miyaさんの発言につづく議論。Chinaさんの編集方針2。
- Talk:章帝 (漢); 上で提起されている見出しのつけ方の妥当性を再び検討。
- User talk:China: 上に挙げた各ページへの議論の参加への呼びかけ。
- 本表作成時までに、三回議論への呼びかけを行なっているが、China氏の参加はどの議論にも確認されていない。
作成。Aphaea* 2005年1月24日 (月) 16:38 (UTC)
Aphaea* 2005年2月10日 (木) 19:46 (UTC) 付記
コメント
[編集]- (コメント)井戸端で拝見して来てみたのですが、何についてのコメントを求めているのかがよく分かりません。Chinaさんの菅原道真での編集の妥当性ですか?それともその後の編集合戦についてですか?それとも何か別のことですか?Ligar 2005年1月25日 (火) 14:45 (UTC)
- 『Chinaさんの編集方針』の適否についてでしょう。私は適切でないと書きました。chinaさんが意見をこの場で述べないのは、執筆妨害であったことを認めることになると判断してよいとも思います。Authority 2005年1月26日 (水) 01:11 (UTC)
(コメント)まずChinaさんのセクション名の付け方ですが、「百科事典のセクション名として許容範囲にある」と思います。正確性と中立性の問題点についてはノートで指摘されている通りでその変更は必要ですが、Chinaさんは菅原道真を知らない人、つまり初学者の興味を惹くことを重視されている方だと思いました。
通俗小説のようなと評されているセクション名は、レベル1の大見出しとしては推奨されませんが、レベル2の中見出しとしてなら私は好きです。
つぎに、この量のセクションに中見出しを設定するかという問題ですが、それはケースバイケースだと思います。良い場合もあるし悪い場合もあります。このケースでは流れを切るという意見が出ており、私もその意見に賛成です。中見出しは1段落ぐらいでは必要性に乏しいと思います。
論理の分はAphaiaさんにあるように思いますが、好みの部分も混じった問題ですので、コメント依頼で気軽に意見を募集できる状態なら言い合いにならずにすんだような気がします。
もっとも、力ある執筆者を尊重うんぬんといった、主題とはあまり関係のない点を強調されている点がAphaiaさんやMiyaさんのコメントの端々にあるので、その点は逆にChinaさんに同情します。Ligar 2005年1月26日 (水) 05:01 (UTC)
- Wikipedia:ウィキペディアは何でないかに「通俗小説ではありません」と入れなければなりませんか? Tietew☎ 2005年1月26日 (水) 05:50 (UTC)
- もうちょっとはっきりと書けばよかったですね。「厳密な百科事典スタイルとしては問題があるのでAphaiaさんの編集が妥当。しかしChinaさんの編集も完全に不適切とはいえず条件によっては許容の範囲に入る場合もあると思う。」Ligar 2005年1月26日 (水) 06:35 (UTC)
(miya)Ligerさん、ご指摘ありがとうございました。たしかに初学者への手助けは必要でしょう。「生涯」「作品」「天神信仰」など、ある程度の切り分けは、私も(長文が苦手ですので)ありがたいと思います。ですが、「見出し」というものは好き嫌いでつけてよいものでしょうか?正確さ、的確さを大切にしなければ、百科事典としての信用が損なわれてしまいます。これをご覧ください。
- 「出世の道を歩む道真」:こう読むと、とんとん拍子に出世した、順風満帆な人生を想像しませんか? でも実際には、道真は「讃岐守を拝任、式部少輔兼文章博士を辞し、任国へ下向。」という厳しい境遇に落ち、そこから這い上がっています。この見出しは間違った予断を読者に与えかねません。
- 「藤原氏の陰謀と道真の祟り」都に戻った後の道真の人生を単純に「藤原氏の陰謀」で片付けてよいものでしょうか?また確証もなく「陰謀」と決め付けるのは百科事典に適切な言葉と言えるでしょうか? またこの部分は道真の死までで、祟りなどどこにも出てきません。
- 「力ある執筆者を尊重うんぬん」というのは、つまり、専門的知識・知見の豊かな方の意見を謙虚に聞くことは、百科事典の編集者としてたいせつなことではありませんか?・・・と言いたいのです。Chinaさんは、文章は細分化すべきだ・見出しには初学者の興味を引くような言葉を用いるべきだと確信しておられたように見えました。おそらく、ご自分が間違っているかもしれないとは疑いもなさらなかったのでしょう。ですが、それは大変に危険なことといわざるを得ません。
もちろん、結果的にChinaさんを叩くことになってしまったのは、まことに心苦しく思っています。ですが、かたくなな編集態度がウィキペディアから、あるいはその分野から専門家を遠ざける結果を招いてしまうとしたら、それはプロジェクトにとって大変な痛手ではないでしょうか?
ですから、専門家の意見には謙虚に耳を傾けていただきたい、具体的には、(細分化も小見出し付加も各人の自由だとは言え)それを他の執筆者が忌避したら、潔く引き下がるべきではないか?引き下がるのがいやだとしても、少なくとも、要約欄などではなくノートで 合意が得られるよう誠意を尽くすべきではないか?・・・と申し上げたいのです。miya 2005年1月26日 (水) 06:44 (UTC)
- 少し言葉にこだわりすぎたようです。「編集の妥当性」ではなく「編集方針の妥当性」らしいので、それは好みの問題も含むのではないのかと思ったわけです。読者の興味となるものをセクションのタイトルに含めるという方針はあってもよいと思いました。単純に編集の妥当性ならmiyaさんが指摘している通りだと思います。最後の尊重うんぬんというのは、Safkanさんや名無しさんの執筆は実際すばらしいのですが、記事を私物化しないというウィキペディアの精神からいうとその論理はすこし疑問に思われるわけです。Ligar 2005年1月26日 (水) 08:12 (UTC)
- 通俗小説のような見出しこそ、記事を私物化していることになるのではないでしょうか。Tietew☎ 2005年1月26日 (水) 08:27 (UTC)
- なぜそうつながるのですか?もうちょっとはっきりいいましょうか?「専門家のほうがえらいのだからお前は手を引け」という論理は、記事を私物化しないというウィキペディアの精神から疑問です。Ligar 2005年1月26日 (水) 08:35 (UTC)
- 通俗性というものが品位の問題で云々されるのはちょっと問題かもしれません。しかし、特に歴史学の世界では通俗的に理解されているストーリーが、学術的に解明されてきた構図と大きくずれているということはざらにあります。ですから、上でMiyaさんが具体的に挙げておられるように、これから進むであろう記述の進展において、通俗的に受容されている構図で見出しを作って、あらかじめ枠組みをはめてしまうことが、障碍になりうると言うならば、それは妥当と言えるのではないでしょうか。ちょっと、「通俗性」の好悪の問題と、実際的な記述の阻害因子の問題を分離して議論する必要があると思いますが。--ウミユスリカ 2005年1月26日 (水) 09:08 (UTC)
- (追記)例を挙げて言うならば、文芸としての「忠臣蔵」の記述で「吉良上野介の暴虐」という見出しをつけるのは妥当ですが、歴史事件としての「赤穂浪士討ち入り事件」の記述で「吉良上野介の暴虐」という見出しをつけるのは要注意ということになろうかということです。--ウミユスリカ 2005年1月26日 (水) 09:15 (UTC)
ウミユスリカさんの意見に同意します。Miyaさんウミユスリカさんが指摘するように、予断を与える、それも間違った予断を与えるということで「通俗小説」(つまり一般に流布しているがかならずしも史実を正確に反映していないもの)的な見出しには問題があると考えます。これは正確さの面だけでなく中立的な観点ということでも問題があるでしょう。どうしてもそういうことを書きたいのなら、史実の人間とは別に(忠臣蔵と元禄赤穂事件のように)別項目からあるいは別セクションにかくべきことで、史実に通俗的な説明を手続きなしで与えることは、百科事典というものの性質から到底許容できないと考えます。私がこうした見出しを歓迎しないのはこのような理由からですが、Safkanさんもおそらくはそうであろうと考えます。これは品位や文体といった好みの問題以前に、百科事典における学術的中立的記述はどのようにして可能になるかという編集方針の問題に帰着します。ですので争われていることは一見個々の編集であるように見えるかも知れませんが、この投稿者が他の項目でもこうした編集を繰り返している以上は、広い意味での編集方針の対立として捕らえることが妥当と考えます。--Aphaea* 2005年1月26日 (水) 14:31 (UTC)
- 章帝の件のとき、この件に関して僕はコメントしないと決めたつもりでしたが、どうしても気になったことがあったのでひとつだけ書かせてください。少なくともSafkanは専門家ではありません。個々の項目を専門家の書いている文章らしい記事に仕立てたいという意志を持っている一ウィキペディアンに過ぎません。確かに歴史を学問として学んだ経験は持ってはいますが、少なくとも中国史については趣味と一般教養の範囲を出るものではありません。例えば漢の章帝に関してならば、おそらくChinaさんのほうが詳しいはずです。従って、この問題をmiyaさんやLigarさんのように、(少なくとも章帝の件に関して)専門と通俗小説の対立のように書くのはおそらく適切ではありません。また、章の細分化、中見出しが必要か不要かは、例えば何文字以上はセクションを切る、というような規定を設けることはナンセンスであり、窮極的には好みの問題に帰結します。ですから、Ligarさんが最初におっしゃったことは確かにその通りと思います。なので、このセクションの前半でLigarさんがおっしゃっていることは理屈として正しく、誰かがこうしていたから尊重すべき、という議論では納得のできる結論は導き出せないのではないでしょうか。
- また、Aphaiaさんが上でおっしゃったような、中立的かどうか、百科事典的かどうか、という問題は、僕が既にノート:章帝 (漢)で述べたように、ひとつひとつの項目、記事の完成像をどこに見るかというもっとも大きな問題に関わってくるので、ここでこれ以上議論することはおそらく不可能でしょう。
- では問題とすべきなのはどこだったのかというと、見出しの細分化と可読性に関する認識、Chinaさんの見出し付与が記述の流れのぶつ切りになってかえって可読性を妨げたという印象を当事者がもったことではないかと思いますが、これに関しては下で議論されていますし、紛争当事者として問題行動を起こした経験のある僕がこれ以上どうこう言うのは不適当と思います。穏便で賢明な、かつ章帝で僕のやったような不適当な行動が抑制されるような判断が合意されることを期待します。Safkan 2005年1月27日 (木) 03:05 (UTC)
他人の文章に見出しを付ける是非について
[編集]この件に限らず、他者の書いた文章に見出しをつけるというのは非常に難しい問題です。 他人の文章に見出しをつけるので有れば、安易に見出しのみを付けるのではなく、文章そのものの構成から見直し大胆に編集する必要が有るのではないかと思います。 見出しではありませんが、便所でも本文中に特に性科学分野への記述が特にないにも関わらず、安易にcategory:性科学を貼り付けた方がいて、行為が適切かどうか問題視されたことが有ったように思います。
私はChina氏がそういった問題点を認識していたのか疑問に思います。実際、China氏の場合は見出しに無駄が多く装飾性過多で、記事の内容をきちんと読み解き反映していません。 それが為されていないため、China氏の編集は本文と関係のない見出し、無意味な見出しをつける行為となったと思います。 見出しの内容と本文の内容が食い違えば、読者に誤解を与え、事実を伝えるWikipediaの方針に反することになるのではないでしょうか。 また、私は無駄な装飾のついた見出しは、こういった問題を引き起こし易いため回避すべきと考えます。 こういったときに、積極的に対話が出来ればいいのですが、China氏の場合はそれもないため問題が拗れ編集合戦のようになってしまい、菅原道真に至っては保護対象となったように見受けられますが、こういった問題点の認識について、私は是非ともChina氏の見解を聞きたいと思っています。--Snow steed 2005年1月26日 (水) 09:33 (UTC)
- 私は、大幅に加筆されたもの(自分が編集に関わったもの)とWikipedia:コミュニティ・ポータルの整理にある人物記事について細分化しています。私は、決して本文にかんけいない見出しは付けていません。そうお思いになった理由をお伺いしたい。--China 2005年1月26日 (水) 11:03 (UTC)
- 事実を誤認されかねない見出しに関しては、当該項目のノートで他の方の指摘があったと思います。ご自身でつけられた見出しが最適なもので有ったとお考えなら、なぜ菅原道真は保護されてしまったのか、氏はどこに原因が有るとお考えなのでしょうか。氏の付けた見出しが文章を書かれた方からも本文の内容とズレがあり、最適なものでないのではないかと指摘を受けていても、問題ないとお考えなのでしょうか。--Snow steed 2005年1月26日 (水) 11:25 (UTC)
- 見出しの名称が一部中立的な観点から外れていた事については反省しています。菅原道真は編集合戦のため保護されました。あなたであったらどのような見出しを付けるか伺いたいと思います。--China 2005年1月26日 (水) 11:55 (UTC)
- 横から失礼します。Chinaさんは「私は、決して本文にかんけいない見出しは付けていません。」とおっしゃられていますが、菅原道真の「生涯」の項目の「藤原氏の陰謀と道真の祟り」は明らかに(中立的観点からではなく)内容とズレていますね。内容は道真が失脚したという事実が書かれていますが、たたりに関する事は一切書かれていません。また、内容が連続していてそれほど長くない項目を更に細分化すると、可読性を損ないます。
もう一つ付け加えると「出世の道を歩む道真」「藤原氏の陰謀と道真の祟り」といったような説明的なタイトルはこのような比較的短い文章につけるタイトルとしては不適当ではないかと感じます。数ページにおよぶような項目のタイトルはある程度説明的なほうが親切かなと思いますけど。Kurayamizaka 2005年1月26日 (水) 12:35 (UTC)
- Kurayamizaka氏、もちろん上記見出しに沿った内容で有れば横からの意見も大歓迎です。さて、China氏へのお答えですが、そもそも見出しだけをつけることはありません。他人の文章を細かくぶつ切りにしても話の流れを断ち切って読みづらくするだけです。他人の文章に見出しをつけるのであれば、前後も含めて文章自体の見直し、再構成が必要になってくると思います。--Snow steed 2005年1月26日 (水) 12:47 (UTC)
- China氏は「あなたであったらどのような見出しを付けるか伺いたいと思います。」といっていますが、見出しをつけることによって細分化することを自明のこととしており、これは意図してかどうかはわかりませんが、詭弁と考えます。「要約」ならわからないではありませんが、そもそも見出しをつけることの是非に疑問が呈されており、大多数の人がそのような細分化に異を唱えるところで、見出しの内容について争うということは、議論の本筋からそれる論点の提出です。このように本質とかかわらないところで争うところと、内容と構成に関係なく、ただ切れば読みやすく加筆しやすくなる、とでもいうかのようなChina氏の編集方針には、いくほどか関連するものがあるように思います。
- また内容と著しくずれる(これは中立的観点以前の問題です)、すなわち、内容をまったく理解していないでほどこす区切りというものはそもそも無意味なので、それにどのような名称をつけるのが妥当かという問いも意味を成さないと考えます。
- また、この点に関しては、同一の編集について、見にくいと指摘されれば、「いまはたしかに見にくいが、加筆の役に立つ」、加筆の妨げになるといわれれば「見易さにつながる」というふうに、主張が二点三点しています。ですので主張につけられた論拠が論旨の補強に役立っていないと感じます。また整理依頼についていえば、整理依頼されたのは加筆が行われる前であって、細分化を要請したわけではありませんので、依頼意図の誤解にもとづく無益な編集だといわざるをえません。China氏の細分化について個別事例と原則論との両方に渡り誰も支持する方はでてきていないように私には見えますし、それはChina氏の編集がむしろ「項目を読みづらく、誤解させやすく」する方向に働いているということの証左ではないかと思います。
- 項目を読みやすくしたいという編集意図は歓迎すべきものですが、現実にそうはなっていない、あなたの編集は、上で各氏から指摘されるように、項目を読みづらくするということで読者にとって有益でなく、また Authority さんや Miya さんの指摘するように、他者の加筆意欲をそぐということで、執筆者にとっても有益ではありません。自分で加筆できる場合にのみ見出しをつけることを行ってはどうか、と菅原道真に関して助言されていましたが、これは見出しをつける場合には内容に踏み込んだ加筆も必要になるという指摘と共通するものがあると受け止めました。China氏は残念ながらこれには同意できないようですが。--Aphaea* 2005年1月26日 (水) 14:23 (UTC)
この要約に賛同いたします。少なくとも「見出し」は本文が長すぎて文脈が掴みがたくなりそうな場合にパラグラフごとにつけるものだと思います。うまくまとまっている部分を分割して、無理やり夕刊紙の赤見出しみたいなものを付加するのは、読みづらくなること夥しい、といわざるを得ません。Authority 2005年1月26日 (水) 17:46 (UTC)
「他人の文章に見出しを付ける」ということは、「そのことについて発展性がある(見込める)から付ける」ということではなかろうか。 Snow steedさんの2005年1月26日(水)09:33(UTC)の発言で「安易にcategory:性科学を貼り付けた方がいて、行為が適切かどうか問題視された」とありますが「安易」という言葉は間違いです。しかもcategory:性科学を貼り付けた方の行為は適切である。彼の行為は、その分野についての加筆を期待しての行為、加筆しなくとも性科学記事として十分な記事にカテゴリを貼り付ける行為であるから。--222.145.74.157 2005年2月9日 (水) 04:01 (UTC)
- 全てが間違いだとは申しませんが、一部項目において適切でないと判断され問題になり、性科学記事として不十分な記事のカテゴリが剥がされたことがあったのは事実です。また、期待する方もいれば、その期待に沿う加筆がされそうに無いと判断し、見出しなどを削る方もいます。つけられた名前が不適切なものは項目名同様に適切なものに改められたり、削除されることも当然あります。--Snow steed 2005年2月9日 (水) 04:41 (UTC)
見出しによる記事の細分化について
[編集]これについては、
- 1パラグラフほどのものに付けるのは読みづらくなるもとである。
- ケースバイケースだが、ここで取り扱われている項目については不適当であった。
- セクション編集で扱える範囲が狭くなるため、執筆の邪魔である(see User talk:Miya)
などの意見が出されています。少なくとも China 氏が施すような細分化は「過度の細分化」として退けられているように思います。
ですので、上にある「他人の執筆に見出しを加える場合には、構成にも踏み込んだ加筆をすることが必要だ」(by Snow Steed さん)、「読みづらくすることおびただしい」(by Authority さん)などの意見も加味しますと、China 氏のような仕方での細分化は読みやすさには少なくとも寄与していないと多くの人が考える、場合によっては許容されるとする人もいるがその人も今回取り上げられている二つについては、むしろ可動性を損なうとしているといえると思います。 --Aphaea* 2005年1月26日 (水) 18:11 (UTC)
- 細分化によるデメリットの一つとして「セクション編集で扱える範囲が狭くなるため、執筆の邪魔」というものが挙げられていますが、一階層上のセクション(チャプター?)を編集すれば済むので、細分化していない場合と手間は変わりません。- Kk@「Wiki Way」紹介中 2005年1月27日 (木) 02:31 (UTC)
- なるほど。それもひとつの意見ですね。しかし私の実感としては実際に私は邪魔に感じました。
- 論理的になんの連関もないことが文中にあってしかもそれを尊重することは、書き手にとってストレスを与えます。
- これを追加の理由として挙げておきます。なお上では書き漏らしましたが、上に指摘していないことがあれば、みなさま随時ご指摘ください。--Aphaea* 2005年1月27日 (木) 05:15 (UTC)
今後の方針
[編集]今後どのようにしたらよいのか考えてみました。
まず、少なくとも菅原道真および章帝 (漢)については、China 氏は今後見出しを加えることはしないのが妥当かと考えます。また氏の見出しの文言にも難点が指摘されています。さらに、自分以外が支持しない、筆者自身から抗議があった場合でも不適当な見出しに固執しそれをたんに「編集合戦があったから」とするなど、編集合戦の原因を作りかつその当事者であるという自覚に欠けるように思います。
今後の氏の他の編集の取り扱いについては、以下のような条件ではいかがでしょうか。
- China 氏は自分が加えた見出しが除去ないし改変された場合には差し戻しをしない。ノートで意義を申し立て、賛成多数で合意が形成されるようなら、再び変更を加えることが出来る。最低1週間は合意形成に費やす。
- 今後、自分で加筆したのでない文章には見出しを加えない。本文の改変を一切伴わない状態で細分化ないし見出しの付加は行わない。
- セクションを導入し細分化する際にはノートで事前に細部化案を提示し、最低1週間は合意形成に費やす。
- この合意を破るようなら即時ブロックの適応事例とする。
最後の条件後者は、China氏が上記の条件に同意するなら含めなくてもよいかと思います。ただしこの条件に同意できない、今後とも細部化はあくまでも続けるということなら、それは上にあるような多数の意見とコミュニティの合意を自分は尊重しない、という宣言にあたるかと考えますので、その場合には、迷惑な投稿者としてブロック依頼に氏のブロックを提出することが妥当かと考えます。--Aphaea* 2005年1月26日 (水) 18:11 (UTC)
(miya)「自分で加筆したのでない文章には見出しを加えない。本文の改変を一切伴わない状態で細分化ないし見出しの付加は行わない。」というのは、どの程度なら「加筆」とみなすか、判断の分かれるところだと思います。わざわざそのために言葉をひとつ同意語に置き換えても「加筆」「改変」と言えないわけではないですし。ですから上記4条件のうち、最初の3条件は
- 自分が加えた見出しが除去ないし改変された場合には差し戻しをしない。ノートで再提案し、賛成多数で合意が形成されるようなら、再び変更を加えることが出来る。最低1週間は合意形成に費やす。
- 自分がセクションを導入し細分化した箇所がrevertないし改変された場合には差し戻しをしない。ノートで再提案し、賛成多数で合意が形成されるようなら、再び変更を加えることが出来る。最低1週間は合意形成に費やす。
でも良いのではないでしょうか?そうしてこれは、穏健なウィキペディアンの大多数の方が取っておられる編集方針でもあると思うのですよ。いかがでしょう>Ligarさん?
- そうして、私は性善説の頑固な信奉者ですから、Chinaさんがここで約束してくださるなら、最後の条件「この合意を破るようなら即時ブロックの適応事例とする。」の一文は、あっても無くてもよい(あっても適用する事態には立ち至らない)だろうと思います。miya 2005年1月27日 (木) 00
- 47 (UTC)
ええ、miyaさんの案が穏当かと思います。私もよく他人の文章に章立てするし改変もするので他人事でないのですが、意義がでたら検討するために1週間ほど置くのが良いと思います。Ligar 2005年1月27日 (木) 02:07 (UTC)
- (miya)ご理解ありがとうございます。で、「**(補足)1週間ノートで話し合っても合意が得られなかった場合には、その箇所により多く執筆している方の執筆者の方針を優先する」(Safkan氏より指摘がありましたので、「専門家」という言葉は取り下げます)のではいかがでしょうか?miya 2005年1月27日 (木) 04:32 (UTC)
- Miya氏の提案に賛成致します。見出しの付け方はじめ、執筆スタイルは人それぞれかと思いますが、タイトル名のズレなどはChina氏も認めて居られるようですし、Miya氏の提案したルールに沿った編集をしていただくことで有る程度問題の解決が為されると思います。--Snow steed 2005年1月27日 (木) 05:52 (UTC)
- Miyaさんの修正案に賛成です。補足も妥当だと思いました。ここで執筆とは項目本文への執筆であるということを明快にしておいたほうがよりよいかなと思います。最後の条項についてのご意見も同様です。ただ、ここでお約束していただけない場合には、これを条件として残すのがよいだろうと思いますが。--Aphaea* 2005年1月27日 (木) 05:58 (UTC)
- 補足については今回の件のみ適用なら賛成です。次回Chinaさん以外の人たちの間で似た論争になった場合は、執筆量の過多ではなく、どちらかというとノートかコメント依頼で簡易投票するのが良いように思います。バランスに欠ける側が執筆量の多いケースも考えられますので。Ligar 2005年1月27日 (木) 06:37 (UTC)
- そうですね、似た論争になることも十分起こりえるでしょうし、一般的な形に書き直しを試みてみました。
- Miya氏の提案に賛成致します。見出しの付け方はじめ、執筆スタイルは人それぞれかと思いますが、タイトル名のズレなどはChina氏も認めて居られるようですし、Miya氏の提案したルールに沿った編集をしていただくことで有る程度問題の解決が為されると思います。--Snow steed 2005年1月27日 (木) 05:52 (UTC)
Aphaia-Miya 案
[編集]China氏が編集にかかわっている項目への見出しの付加については次のように取り扱う:
- 自分が加えた見出しが除去ないし改変された場合には差し戻しをしない。ノートで再提案し、賛成多数で合意が形成されるようなら、再び変更を加えることが出来る。最低1週間は合意形成に費やす。
- 自分がセクションを導入し細分化した箇所がrevertないし改変された場合には差し戻しをしない。ノートで再提案し、賛成多数で合意が形成されるようなら、再び変更を加えることが出来る。最低1週間は合意形成に費やす。
- これに従わない場合は、即時ブロックの対象とする。ただし、ある投稿者がはじめて上に禁止する差し戻しを行ったときは、この限りではない。
- (附則)China氏の見出しの編集については、1週間ノートで話し合っても合意が得られなかった場合には、その箇所により多く執筆している方の執筆者の方針を優先する。
--Aphaea* 2005年1月27日 (木) 06:44 (UTC) 2005年1月27日 (木) 12:47 (UTC) 修正
- Chinaさんの合意を得られるかどうかはわかりませんが、私はそれでけっこうです。Ligar 2005年1月27日 (木) 07:44 (UTC)
- コメントをありがとうございます。今回の件については関係者が同意すればこれを方針として採用する、合意が得られないようなら、1週間ほど時間をみて、賛成が多数あるようならこれを方針として採用するというのではいかがでしょうか。--Aphaea* 2005年1月27日 (木) 08:27 (UTC)
- 今回はあくまでChina氏個人に対しての方針ということで賛成しました。私は、見出しもルールも必要最低限を除いては少ない方が良いと考えますし、細かいルールを作りすぎると初心者を含めた執筆者の負担が増加し、把握も難しくなりますので、一般に適用するルールとしての明文化には反対します。--Snow steed 2005年1月27日 (木) 08:56 (UTC)
- ご指摘ありがとうございます。ルールについてはそのように考えています。ただ氏も名指しでは気持ちよく同意できないでしょうし、後日応用が利く形にしておくことにはそれなりに意味があると考えましたので、このような形に改めました。ご説明になれば幸いです。--Aphaea* 2005年1月27日 (木) 08:58 (UTC)
- 私は、新しいルールを作らず、Wikipedia:論争の解決による解決をはかって頂きたいと考えます。今回はこの論争の解決においてChina氏の反応が鈍かったために問題が拗れた為、彼個人への方針が必要となっただけで有ると思いますから新ルール作成は行き過ぎと考えます。--Snow steed 2005年1月27日 (木) 09:20 (UTC)
- ご指摘ありがとうございます。ルールについてはそのように考えています。ただ氏も名指しでは気持ちよく同意できないでしょうし、後日応用が利く形にしておくことにはそれなりに意味があると考えましたので、このような形に改めました。ご説明になれば幸いです。--Aphaea* 2005年1月27日 (木) 08:58 (UTC)
- 今回はあくまでChina氏個人に対しての方針ということで賛成しました。私は、見出しもルールも必要最低限を除いては少ない方が良いと考えますし、細かいルールを作りすぎると初心者を含めた執筆者の負担が増加し、把握も難しくなりますので、一般に適用するルールとしての明文化には反対します。--Snow steed 2005年1月27日 (木) 08:56 (UTC)
- コメントをありがとうございます。今回の件については関係者が同意すればこれを方針として採用する、合意が得られないようなら、1週間ほど時間をみて、賛成が多数あるようならこれを方針として採用するというのではいかがでしょうか。--Aphaea* 2005年1月27日 (木) 08:27 (UTC)
- そのようにお返事したつもりでしたが、伝わっていないようですね。言葉をはしょりすぎたようで、申し訳ありません。わたしもルールとしてコミュニティに適応するということは考えておりません。むしろごく普通に人がしていることを改めて書いたというだけのことだと考えています。ただし、この対話の合意としては明確に書き出したものが必要であろうし、それは氏が従前および今後かかわるであろう関係者についてもある程度妥当するべきだろうと考えます。また氏を名指しで書くということは草稿の段階でならともかく、合意の最終稿では妥当でないと考えました。ルールとしてでなく、China氏をめぐる編集合戦の回避のための指針ないし合意と考えていただきたいと思います。お答えになれば幸いです。--Aphaea* 2005年1月27日 (木) 09:43 (UTC)
- 「次回Chinaさん以外の人たちの間で似た論争になった場合」というLigar氏のコメントから少々混乱、勘違いしていたようです。コミュニティに適応しないと言うことで有れば反対理由はなくなるので取り下げます。--Snow steed 2005年1月27日 (木) 10:46 (UTC)
- そのようにお返事したつもりでしたが、伝わっていないようですね。言葉をはしょりすぎたようで、申し訳ありません。わたしもルールとしてコミュニティに適応するということは考えておりません。むしろごく普通に人がしていることを改めて書いたというだけのことだと考えています。ただし、この対話の合意としては明確に書き出したものが必要であろうし、それは氏が従前および今後かかわるであろう関係者についてもある程度妥当するべきだろうと考えます。また氏を名指しで書くということは草稿の段階でならともかく、合意の最終稿では妥当でないと考えました。ルールとしてでなく、China氏をめぐる編集合戦の回避のための指針ないし合意と考えていただきたいと思います。お答えになれば幸いです。--Aphaea* 2005年1月27日 (木) 09:43 (UTC)
- ご理解をいただきありがとうございます。文意が明快になるよう冒頭文を改めてみました。ご査読をお願いします。--Aphaea* 2005年1月27日 (木) 12:47 (UTC)
China氏対案
[編集]- なぜ、1週間と時間を区切るのですか?
- あなた達はたとえコミュニティ・ポータルの整理欄に人物記事が出ていても「中立的な観点から外れた編集を一度でも行ったユーザーは編集するな」という事でしょうか?
- 「加筆をしないなら見出しをつけるな。」そもそも本文の内容を受けて見出しというものを付けると思います。
- あなた達は菅原道真の見出しが中立的な観点から外れていると言いますが、もし中立的な観点にそった見出しを付けると言ったらどういたしますでしょうか?
(案1)
- 菅原道真の生涯の細分化は大幅な加筆が行われない限り行わない。
- 章帝(漢)は後漢の激動期と重なるため見出しは保存する。
--China 2005年1月27日 (木) 09:18 (UTC)
- 提案された方針を改めて良くお読み下さい。Wikipedia:論争の解決でも呈示されているような当たり前の事を今回の件にあわせて少々ルールを追加して改めてお願いする方針であることがご理解頂けないでしょうか?--Snow steed 2005年1月27日 (木) 09:31 (UTC)
- China さん、あなたの問題は中立的な観点以前の問題なのですよ。ここで寄せられたコメントを改めて読み直してください。
- 「中立的な観点から外れた編集を一度でも行ったユーザーは編集するな」ではありません、記事の記述の内容もわからない、加筆する能力の無い人が文脈にそぐわない見出しをつけることはするな、ということです。
- 「そもそも本文の内容を受けて見出しというものを付けると思います」そのとおりです。そしてあなたはそれができていません。
- 「中立的な観点にそった見出しを付けると言ったらどういたしますでしょうか」だから、内容にそぐわないとして他者が外したならばをれを強いるなという提案が出ています。
- 不適切な見出し付け、ここや各所でのやり取り・返答など、総じて China さんは文章を読んで文脈を読む能力に欠けている、ということが理解されます。対話が不可能なユーザーであるとしてブロックを検討することを提案します。--Lem 2005年1月27日 (木) 09:39 (UTC)
- それだと国語読解力に偏りがちです。理科系が得意な人もいるでしょうし、話し下手でも私は構いません。--Mmm25967 2007年3月28日 (水) 11:06 (UTC)
- Snow Steedさんと同意見です。上にも書きましたが、提案の内容はきわめて常識的で、他の方ならとくに規則としていわれなくても自然と実践しておられることです。
- もっとも私は自分の案には特にこだわりません。コミュニティが合意に達することがもっとも大事であると考えます。Chinaさんとわたくしどもの案とのすりあわせは困難であろうと予想しますので、この件で議論によって合意に達せないなら、あるいは投票を行ってもよいと考えます。
- 二案を比べた場合に、Miyaさんの補正をいただいた自分の案のほうが汎用性があり優れていると考えますし、この案ではあげられた二件に関しても、反対意見との調整をどう行うかについての視点がかけているため、採用しがたいと感じました。それゆえ China さんの案を取り込むつもりは私にはありません。
- 期限をあげたのは、いつまでたっても結論を出せないことはコミュニティにとって益がないと考えたからです。1週間はWikipedia:合意形成が標準的な「もっとも長い合意形成期間」としてあげる期間であり、案が提示され改変がほぼ行われない状態なら、妥当な審議期間であると考えます。
- 以下、あげられているらしい論点に一応コメントしておきましょう。どれもすでに出た論点の蒸し返しのような気がしますが。
- あなたの見出しは内容に即していないということは複数の方からすでに指摘されています。一般論としてはあなたの主張は正しいのですが、それはあなたのつける見出しが内容を受けているということを意味しません。あなたが残念ながら他人の意見を聞く耳をもたないようなのであえていいますが、あなたが内容を理解しているとは、あなたの付ける見出しからは到底思えませんでした。
- 菅原道真について見出しをではどのようにつけるのか、と質問がありましたが、上にすでに書いたように、そもそも論理的に分断すべきでないところを分断し、見出しをむりにつけようとするのですから、そのような場所に妥当な見出しなどあるわけがありません。もちろんパラグラフごとの要約は可能ですが、それは見出しとはいいません。
- 以下、あげられているらしい論点に一応コメントしておきましょう。どれもすでに出た論点の蒸し返しのような気がしますが。
- 簡単ですが、お返事になれば幸いです。編集競合になりましたので、Lemさんのご提案は拝見してはおりますが、とくにいまはコメントしません。--Aphaea* 2005年1月27日 (木) 09:43 (UTC)
- 私が求めているのは具体的な名称です。--China 2005年1月27日 (木) 10:33 (UTC)
- ありえないものにつける名前はありません(このことを書くのは表現は違いますが三度目です)。Lemさんのご意見が唯一かどうかはともかく、可能な解決先であると私も考えます。ただし私は編集合戦の当事者になったこともあるので、直接氏と編集合戦をしたことのない、第三者が依頼を提出することを希望します。
- こうはなりたくなかったのですが、残念です。--Aphaea* 2005年1月27日 (木) 10:37 (UTC)
(miya)「China氏対案」について:
- >なぜ、1週間と時間を区切るのですか?
- 普通は一週間あれば十分だからです。
- >あなた達はたとえコミュニティ・ポータルの整理欄に人物記事が出ていても「中立的な観点から外れた編集を一度でも行ったユーザーは編集するな」という事でしょうか?
- 私の案以降では「編集するな」とは言っていません。「あなたが行った編集が他の執筆者に除去/改変された時、不服ならノートで再提案してください。」
- >「加筆をしないなら見出しをつけるな。」そもそも本文の内容を受けて見出しというものを付けると思います。
- 「加筆をしないなら見出しをつけるな。」とは言いません。「見出しをつけて、それを除去/改変された場合、不服ならノートで再提案して議論してください。」
- >あなた達は菅原道真の見出しが中立的な観点から外れていると言いますが、もし中立的な観点にそった見出しを付けると言ったらどういたしますでしょうか?
- このページのここまでの議論ですでに「この場合見出しは不必要であろう」という意見が大勢を占めているのがお分かりになりませんか?
- >菅原道真の生涯の細分化は大幅な加筆が行われない限り行わない。
- ご納得、ありがとうございます。できれば、Aphaeaさんの文章には今後一切手を出されない方が平和だと思います(老婆心ながらご忠告)。
- >章帝(漢)は後漢の激動期と重なるため見出しは保存する。
- >>「家系」:不適切だと思います。
- >>「治世」:不必要だと思います。
- >>「徳治政治と儒学」:これは最初にCninaさんが「儒学を好んだ皇帝」とつけた見出しで、せめてもうちょっと中立的・百科事典的にしようと私が「徳治政治と儒学」に改変したものですが、そもそも編集合戦にならなければ不必要だったと考えます。
- >>「後漢の衰退」:「衰退の兆しが見えてきた時代」というだけの文章には不適切
- >>「章帝の子孫」:これ以降は章帝没後の記述なので存続/表現は一考の余地有り?
- これでもご納得いただけないでしょうか?miya 2005年1月27日 (木) 11:14 (UTC)
- (案2)
- 菅原道真について
- ①菅原道真の生涯の細分化は大幅な加筆が行われない限り行わない。
- ②ほかの見出しは残す。
- 章帝について
- ①「家系」、「治世」、「徳治政治と儒学」、「章帝の子孫」は残す。
- ②「後漢の衰退」は「衰退の兆し」に修正する。
- chinaは編集合戦を防ぐために該当するユーザーへの対話を試みる。
ご意見をお願いします。--China 2005年1月27日 (木) 11:38 (UTC)
- 菅原道真の2.については妥当な判断でしょう。ただし汎用性がないため、これだけを採用するということは賛成できません。
- たとえば菅原道真の1については、「大規模な加筆」があったときにつけられる見出しの内実がわからず、それの除去を必要とするときどうしたらいいかなどが示されていないため、これだけでは賛否をいうことはできません。
- 章帝については治世の下位区分のほぼパラグラフごとの見出しは可読性を下げています。除去が妥当だと考えます。つまり、「徳治政治と儒学」と「後漢の衰退」の位置に来る見出しは、内容がどうであろうと、現時点ではおかないということです。
- なお、これだけで足りない理由ですが、Chinaさんが同様の編集を行っている記事は他にもあり、またこのような編集を続けるという言明を撤回していない以上、一般則を導入することは必要であると考えます。
- 該当ユーザへの対話というのが、これまでなされてきたような、論拠が二転三転するなかで、反論されている点について有効な再反論を行わず自分の好みを主張することをさすなら、それは対話ではなくただのいやがらせであり、他のユーザとの協調が取れないとする上で示された判断が妥当と考えます。また他のユーザとの対話方法として、上で諸氏の賛成を得ている提案は、対話の場所・方法について、ウィキペディアの慣行に合致したもので、これを受け入れずに主張される対話というものがどのようなものであるのか、私には疑問に思えます。まさか要約欄に「整理」などと、見出しで指摘されているのと同様に、まったく内実を反映しないことを書くのが対話たと主張しているのではないだろうとは希望しますが、これだけ話がかみあわないと、Chinaさんならそれくらいの奇妙な観念にとらわれていても不思議ではないなとも思います。--Aphaea* 2005年1月27日 (木) 12:44 (UTC)
- 会話ページの方に呼びかけがありましたので、愚見ではありますが、意見を書かせていただきます。菅原道真についてはあまり知識が無いので章帝 (漢)についてです。現在の分量に対して見出しが多すぎると言う意見には概ね賛成です。それと私が書いた「衰退の兆しが見えてきた時代」と言うのは「王朝を山にたとえて山が上り坂から下り坂に変わった所」と言うような意味合いで書いたものですが、これらはあくまで私の印象に過ぎないとも言えますし、それからすると「衰退の兆し」と言うセクション名も(私の書いた文章も)ふさわしくないともいえます。現時点ではこのセクションは必要ないと思います。徳治政治と儒学と言う名前については儒学を好んだ=徳治政治ではないと思います。
- ともあれ何度か言われていますが、こういうことは最終的に好みの問題になってしまうと思うので、今後とも対話を絶やさない事が肝要かと思います。細かい事に関してはこの議論が終わった後に資料を集めて加筆を行おうと思いますので、その時にまたお願いします。
- あと、失礼ながらAphaiaさんの言葉は(「奇妙な観念~」など)少々きついのではと思います。もう少しやわらかくお願いできないでしょうか。
- なんだか良く解らない文章になってすいません。失礼な物言いがあったと思いますが、先にお詫びしておきます。らりた 2005年1月27日 (木) 15:21 (UTC)
- ご意見をありがとうございます。耳障りな発言があったことをお詫びします。「China氏が考える対話の具体的な内実がわからないため、提案に返答はいたしかねる」と改めたいと思います。章帝 (漢)については、China氏の主張する現在の見出し位置をそのまま保持する案には賛成しない、細かい話は後日ということでよろしいでしょうか。
- 大きくは好みの問題というのは、そうだろうと思います。ですのでコンセンサスに沿うことが共同編集である以上重要なのであって、その意味でもノートページでの提案や他者の意見、合意形成をChina氏が重んじてくださることを希望します。--Aphaea* 2005年1月27日 (木) 15:55 (UTC)
ここまでまとめますと、記事の見出しには、三つの方針あるいは好みがあるようです。
- . 見出しなし(==参考文献==のみ)
- . 数個の見出し(いくつかの段落をまとめる)
- . たくさんの見出し(段落ごと)
1を好む人は、2になっても反対しないが、3には反対するという意見のようです。2を好む人は、1になっても反対しないが、3には反対するという意見のようです。3についてはChinaさんが好み、他の人はみな反対しているようです。ということは、多数は1か2のどちらでも良いと考え、Chinaさんだけが3を支持しているというまとめになりましょう。そのことはChinaさんもおわかりのようです。Chinaさんは自分が出した提案で、3を押し通すことはないと明らかにしています。この段階で、Chinaさんの意図はなお3にあると考えている人がいるようですが、それは誤読でしょう。
さて、一歩譲ったChinaさんが、記事がこの後1になるか2になるかを気にするのは自然なことと思います。それについては、2でもいいと考えている人がいますが、その一方で皆が1でまとまっていると信じている人もいるようで、実際私にもその色分けはよくわかりません。結局記事がどうなるのか、質問したこと自体がおかしいとは思いません。Kinori 2005年2月9日 (水) 11:28 (UTC)
- 見出しの個数の問題ではないことが議論の推移からお読み取りになられませんか? 論点は、文脈を無視した細分化と不適切な見出し付けなのです。この意味でchinaさんは一歩も譲っていないのみならず、この方針での編集を実施するための条件を提示して食い下がっていたのです。いったんは引き下がって様子を見ると書かれていますが、再開する可能性を示唆しています。ですから、論理的には事態は全く変わっていません。Authority 2005年2月10日 (木) 07:44 (UTC)
ブロックもやむなし
[編集]「Aphaia-Miya 案」はほとんどのウィキペディアンが無意識に実行している編集方針を文章化したものに多少条件を加えたに過ぎません。ですがそれすら、Chinaさんには受け入れていただけなかったようです。
一方、Chinaさんの「代案」はここまでこじれた問題の解決には役立ちそうもありません。見出しをつけない方が良いという意見が大勢を占めているのもご理解いただけなかったようです。
またその案を見ると、本文の内容を十分理解せず、ご自身の固定観念と先入観で見出しをつけておられるとしか思えません。こういう編集を章帝・道真以外でも行ってこられたようですし、またこの先も行うつもりだと明言なさっておられます。これは、執筆者の意欲を著しくそぐ上にウィキペディアの記事の正確性を損なうものでもあります。
その上、なんとかわかっていただこうと懇切丁寧に説明して他の皆様がわかってくださっても、Chinaさんご本人にはご理解いただけず、不毛な堂々めぐりになってしまっていました。ここまで対話が不可能とあってはこれ以上どうしようもありません。よってまことに残念ながら、
- Lemさんの「不適切な見出し付け、ここや各所でのやり取り・返答など、総じて China さんは文章を読んで文脈を読む能力に欠けている、ということが理解されます。対話が不可能なユーザーであるとしてブロックを検討することを提案します。--Lem 2005年1月27日 (木) 09:39 (UTC)」
- Aphaeaさんの「Lemさんのご意見が唯一かどうかはともかく、可能な解決先であると私も考えます。ただし私は編集合戦の当事者になったこともあるので、直接氏と編集合戦をしたことのない、第三者が依頼を提出することを希望します。こうはなりたくなかったのですが、残念です。--Aphaea* 2005年1月27日 (木) 10:37 (UTC)」
に同意します。miya 2005年1月30日 (日) 06:49 (UTC)
転記
[編集]Chinaさんから利用者‐会話:Miyaに下記のメッセージがありましたが、こちらの方がふさわしいと思われますので、転記した上でお返事差し上げます。miya 2005年2月4日 (金) 03:39 (UTC)
- ①菅原道真は現状維持。
- ②章帝は家系、治世、章帝の子孫とする。
当面、この二つの記事は経過を見る形にします。(時々加筆をする場合があります)整理が必要になりましたら、あなたの会話ページに案を提示させて頂きます。--China 2005年2月3日 (木) 01:53 (UTC)
菅原道真と章帝 (漢)の件に関しては了解しました。ですが、今後はそれぞれの項目のノートで提示願います。miya 2005年2月4日 (金) 03:39 (UTC)
- 分かりました。私も資料を集めて両記事に加筆をしたいと思っています。--China 2005年2月4日 (金) 03:54 (UTC)
- お二人で結論を出されているようですが、章帝はともかく、本文の大半を執筆したものとしては一の条件はとうてい応諾いたしかねます。残すことは妥当と考えますが、セクションのレベルなどはもっと検討が必要だと考えます。私見ですが、本文にほとんど有意な加筆を行っておらず、かつその分野の専門家であるというわけでもないだろうおふたりの間だけで、項目執筆にかかわるこのような重要な決定をされるというのは、執筆者としては到底納得しかねるところです。--Aphaea* 2005年2月5日 (土) 10:23 (UTC)
- 了解しました。菅原道真の保護解除依頼は取り下げました。miya 2005年2月5日 (土) 14:04 (UTC)
- 確認しました。ありがとうございます。コメントをいただくのはありがたいのですが、実際に執筆している人間が誰もコメントしていない状態で、Miyaさんに編集方針を決めていただくいわれはないというのが私の正直な実感でした。Chinaさんはあるいはご存知ではないかもしれませんのでご案内がてら申し上げますと、管理者は項目の編集になんら特別の権威を有しているわけではありません。Miyaさんは善意でおっしゃったのでしょうが、ご自分の意見としてではなく、方針を決めるような発言をおひとりでされたのは不適切だったと考えます。以後このような誤解を招かれるような発言は謹んでいただきたいと希望いたします。--Aphaea* 2005年2月5日 (土) 15:06 (UTC)
- 私が提示したものはあくまでも案でございます。もし、ご納得いただけない点がありましたら具体的な名称でお答えいただけると良いかと思います。(セクション名であったらどこをどのように変更するというように)--China 2005年2月6日 (日) 00:06 (UTC)
- お二人で結論を出されているようですが、章帝はともかく、本文の大半を執筆したものとしては一の条件はとうてい応諾いたしかねます。残すことは妥当と考えますが、セクションのレベルなどはもっと検討が必要だと考えます。私見ですが、本文にほとんど有意な加筆を行っておらず、かつその分野の専門家であるというわけでもないだろうおふたりの間だけで、項目執筆にかかわるこのような重要な決定をされるというのは、執筆者としては到底納得しかねるところです。--Aphaea* 2005年2月5日 (土) 10:23 (UTC)
- Chinaさんには2つ質問することがあります。ご意見へのコメントはその答えを伺ったのちに申し上げます。
- コメント依頼というページがあり、ここに議論を集約することでコミュニティの意見が一致しているにもかかわらず、当該項目の編集に直接かかわっていない方のノートを提案場所に選び、かつこの方と交渉するという方法は、どのような考えにもとづかれているのでしょうか。
- すでに以前、今後のChinaさん関係の編集方針として、提案が出され、これには明確な賛成が1名、反対しないという表明が1名ありました。また反対はありませんでした。日本語版ウィキペディアの慣例では、これは合意が形成されたということを意味します。Chinaさんご自身は、ここで提案されたことに明確な意思表示はいまだされていません(間接的な拒否は示したと思いますが)。これについて現在のお考えを賛成か反対かのどちらかで述べていただきたいと思います。
- --Aphaea* 2005年2月6日 (日) 00:51 (UTC)
- Aphaia-Miya案の事でしょうか?
- ①Chinaは章帝(漢)と菅原道真で整理が必要と思ったときはその案を該当するノートページに提示する。
- ②そのセクション名が変更された場合。
- ②-1変更された名称に納得した場合はこれに従う。
- ②-2納得できない場合はノートページで理由を聞き、編集合戦を防ぐ努力をする。
--China 2005年2月6日 (日) 03:39 (UTC)
- 何をおっしゃっているのか理解不能です。
- どのような考えにもとづかれているのでしょうか。:これの答えが
Chinaは章帝(漢)と菅原道真で整理が必要と思ったときはその案を該当するノートページに提示する。
- なのでしょうか? 私にはとうていそうは思えないのですが、どのような連関がるのか説明してください。連関がないのなら、お伺いしていることに答えてくださるようお願いします。
- 賛成か反対かで答えてほしいと申し上げているのですが、お分かりになりませんか? 誰も個別の話をしてはいないのですが。--Aphaea* 2005年2月6日 (日) 03:45 (UTC)
- ★ずっと後になって割り込んですみません。上でのChinaさんの返事は、一番目の質問「どのような考えにもとづかれているのでしょうか。」に対するものではなく、二番目の質問への返事でしょう。一番めの質問への返事は、下の「コメント依頼というページは今回初めて知りました」ですね。聞かれたことにわかりやすく答えるのが一般的には良いことなのですが、答えないことが許容される場合もあります。このやり取りでは、相手の質問に答えないのはお互い様なのですから、一段大きな寛容さを発揮してほしいところです。また同様に、賛成か反対か、というように返答方法を指定したときにも、一般的にはその求めをかなえるのが最善でしょうが、別の答え方が許される場合もあるでしょう。AphaiaさんとChinaさんの意見の隔たりは大きいのですから、Aphaiaさんが望む議論の進め方と、Chinaさんが望む議論の進め方が異なっていても、それ自体は咎めがたいと思います。その隔たりがどうしても埋めがたいなら、もともとのAphaiaさんの考え通り、この場で編集方針を投票にかけて決めてしまえば良いと思いました。(現在Aphaiaさんがその方向を進めていることに、私は賛成します。)Kinori 2005年2月9日 (水) 11:53 (UTC)
- コメント依頼というページは今回初めて知りました。今後はこのページを使う事にします。
- 私は、ノートの議論に参加して下さった方の中で私の納得できない点を個別に聞いているだけです。また、私は私の事を知っている方に助言を求めているだけでございます。
- Aphaia-Miya案の事でしょうか?
- ①Chinaは章帝(漢)と菅原道真で整理が必要と思ったときはその案を該当するノートページに提示する。
- ②そのセクション名が変更された場合。
- ②-1変更された名称に納得した場合はこれに従う。
- ②-2納得できない場合はノートページで理由を聞き、編集合戦を防ぐ努力をする。
--China 2005年2月6日 (日) 03:39 (UTC)
これはAphaia-Miya案を受けた私の案です。つまりここに書いてある事と重複する所は受け入れるという事です。
- 即時ブロックというのは私の編集を荒らしと同じ扱いにするという事でしょうか?この案については反対させて頂きます。
--China 2005年2月6日 (日) 04:10 (UTC)
- 一般論をしているにもかかわらず個別事象にのみ限定した上
- 示されている具体的なかつ広く取られている方策を受け入れず、あいまいな解釈が可能な「努力をする」という表現に固執する
- 共同作業である項目の編集を、個人間の調整とのみ理解する
- など、Chinaさんと私との間には、百科事典の共同編集ということに対して大きな理解の相違があるように思います。Safkanさん同様、今後はChinaさんとかさなる部分では私も執筆を見合わせることにするのが賢明なようです。後のことは、別セクションでMiyaさんが書かれたことに尽きているように思われます。--Aphaea* 2005年2月6日 (日) 04:48 (UTC)
- Chinaさんと他のかたがたとの間で対話が成立していないように思われたのでWikipedia:投稿ブロック依頼/Chinaにおいてブロック依頼を出しました。ご確認ください。 Kzhr 2005年2月6日 (日) 05:06 (UTC)
- あなたの返答を読むと私の答えが菅原道真の編集合戦が起きてから、何一つ変化していないように受け取れます。私は最初菅原道真と章帝(漢)はそれぞれ現状維持でした。しかし今は菅原道真についてはそのままですが、章帝(漢)については現状維持を撤回しました。それにコメント依頼のページを活用する事も案に入れました。しかし、あなたが宣言した事は私の案を真っ向から否定するものと思います。実際に実行するのはあなたの自由です。--China 2005年2月6日 (日) 05:41 (UTC)
- Chinaさんに求められているのは、記事の文脈を分断して見出しを付すのは止めること、なのです。これを全く無視しているといわざるを得ない提案をChinaさんがしている、という現状を認識すべきでしょう。Authority 2005年2月6日 (日) 06:03 (UTC)
- ★Authorityさんが指弾している点を、Chinaさんは既に受け入れています。そのことはまさに直前にChinaさんが釈明しています。まったく無視していると受け取ったのは、誤読です。Kinori 2005年2月9日 (水) 11:53 (UTC)
- 個別事象について話をしているのではない、といっているにもかかわらず、個別事象についてのみ交渉しようというのは、「まったく無視」と呼ぶのにふさわしいと存じます。なおこの件については、以後私からとくに申し上げることはしません。すでに論争の解決としてはフェーズ移行していますし、そのあとだした投票もコミュニティの支持する解決策ではないようなので、あとは大勢にまかせ、個々の重要な論点について賛否を述べるのみにしたいと思います。--Aphaea* 2005年2月10日 (木) 07:22 (UTC)
- ★Authorityさんが指弾している点を、Chinaさんは既に受け入れています。そのことはまさに直前にChinaさんが釈明しています。まったく無視していると受け取ったのは、誤読です。Kinori 2005年2月9日 (水) 11:53 (UTC)
- Chinaさんに求められているのは、記事の文脈を分断して見出しを付すのは止めること、なのです。これを全く無視しているといわざるを得ない提案をChinaさんがしている、という現状を認識すべきでしょう。Authority 2005年2月6日 (日) 06:03 (UTC)
?誤読とは私の能力及ばずして正解に到らず、ということでしょうか? どこを読んでもそのような解釈は出来ませんが。問題は、道真と章帝という二つの個別の事例ではなく、chinaさんが、この時点では、「文章の分割と見出し付け」を『編集方針』として言明していたことにあります。Kinoriさんは、この二つの案件に限った争議と『誤読』されているのではありませんか?Authority 2005年2月9日 (水) 17:15 (UTC)
- 菅原道真と章帝(漢)については今後しばらくは細分化することはないという事をお伝えします。また、細分化するときは事前にノートページに提示することもお伝えします。今後は記事を良く読んでから細分化すると共に、中立的な観点に基づいたセクション名を付けたいと思います。--China 2005年2月6日 (日) 06:09 (UTC)
- 「今後しばらくは細分化することはない」というのは「もうしばらくしたら細分化する」と宣戦布告したも同じですよ? Chinaさんの編集履歴を拝見しましたが、なんというか・・・行き過ぎた細分化と不適切な見出しは記事を損ないます(申し訳ないけど、いくつかは思わずはずしてしまいました)。ところで編集に関するコメントをここに書かずにわざわざ私のノートにお書きになったのには当惑しました。他の方々より扱いやすいと見られたんでしょうか・・・miya 2005年2月6日 (日) 16:40 (UTC)
- ★宣戦布告とは違うと思います。そもそもAphaia-Miya案からして、Chinaさんに対して見出し編集を無期限に禁じたものではありません。「しばらく」とつけたのは、しばらく後に段落ごとの細分化を復活させるというこではなく、「大きく加筆が進んだら」という程度の意味でしょう。Kinori 2005年2月9日 (水) 11:53 (UTC)
- 「菅原道真と章帝(漢)については」という但し書きを China さんがされている点についても、China さんの全般的な編集方針に対して持ち上げられている議論を無視している、対話を拒否していると感じられる部分であることをお伝えしておきます。--Lem 2005年2月7日 (月) 16:56 (UTC)
- ★Chinaさんが編集にかかわった記事とは、つまり菅原道真と章帝(漢)のことですよね。
- Aphaea* 2005年2月9日 (水) 18:10 (UTC) そうは私は捉えていません。それはたんに例として挙げられたものに過ぎません(そのことは下のMiyaさんの指摘からもうかがえるでしょう)。氏の編集全般が問題なのです。それは他の方も(一般論についての提案をし、賛成した方は)そうだっただろうと考えます。この数が大量であり、またこれからもそういう方針をかえないというなら、一般則を導入するほかないだろうとは考えず、この二つについてだけ解決すればよい、あとのことはどうでもいいというのは何か違うだろうと感じます。そもそもここで個別のふたつの項目だけが話し合わせているとするならそれ葉読解力の不足というものでしょう。
- それをそう書くことは議論の無視でも対話拒否でもないと思います。もちろん、LemさんはChinaさんを名指しで問題ユーザーと認定し、その編集を末永く縛りたいと考えているのでしょう。しかしそういう認定をChinaさんがいやがり、他のまとめ方はないかと模索するのは、人の心理として自然です。そもそもAphaia-miya案も当初は名指しを避けるものでした。その配慮を復活させることを望んだからといって、議論無視・対話拒否とするのは言いすぎだと思います。その望みを容れるかどうかが問われているのです。Kinori 2005年2月9日 (水) 11:53 (UTC)
- ★Chinaさんが編集にかかわった記事とは、つまり菅原道真と章帝(漢)のことですよね。
- 「今後しばらくは細分化することはない」というのは「もうしばらくしたら細分化する」と宣戦布告したも同じですよ? Chinaさんの編集履歴を拝見しましたが、なんというか・・・行き過ぎた細分化と不適切な見出しは記事を損ないます(申し訳ないけど、いくつかは思わずはずしてしまいました)。ところで編集に関するコメントをここに書かずにわざわざ私のノートにお書きになったのには当惑しました。他の方々より扱いやすいと見られたんでしょうか・・・miya 2005年2月6日 (日) 16:40 (UTC)
以上、後から来て横槍を入れるような形で、★付きコメントを入れました。不愉快に思われる人が多いでしょうが、誤解・誤読をいちいち咎めたくてしたのではなく、誤りに対して寛容になって欲しいという思いでしたものです。誤解・誤読というのはよくあることで、誤解を招かない書き方をするのも、生じた誤解を後から消し止めることも、たやすいことではありません。議論で相手の意を十分に汲み取れなかったことをもってブロック理由にするのではなく、いったんここで編集方針をまとめて、その後の様子を見ていただきたいと思います。Kinori 2005年2月9日 (水) 11:53 (UTC)
- まあ、そう解釈される方もいるのだ、ということですね。「議論で相手の意を十分に汲み取れなかったことをもってブロック理由」にはしていないのですが、議論の筋道から汲み取れませんでしたか?Authority 2005年2月9日 (水) 17:22 (UTC)
- わたしもそう解釈される人がいる、ととりました。私がした提案は個別記事の編集に関するものではなく、下で明細化したように氏の編集の仕方全般にかかわる提案です。それは認めない、すでに指摘された二つの項目についてのみ特定の提案をする。あとの項目については一切条件を認めない、ノートページでの協議といった基本的な事柄すら確言を拒むというのは宣戦布告だと私も思います。ここで編集方針をまとめるというのが二つの項目に関することのみであるなら、今後の紛争の防止にはまったく役に立ちませんので無意味だと感じます。氏の編集が妥当でないということはもうさんざん言い尽くされたことです。わたしはここで誰かの個人教師をしたいとは思いません。--Aphaea* 2005年2月9日 (水) 18:04 (UTC)
- そういう解釈をする人もいて、それは理解不能なたわごとではなさそうだと認めていただければ結構です。ブロック依頼との関連ではそれだけ認めていただければ十分と思います。Chinaさんの対応が完璧だったかというと、そういうわけではないでしょうし、私は実質論でChinaさんに同意しているというわけではないので、議論を代行するわけにもいきません。Kinori 2005年2月10日 (木) 22:43 (UTC)
- Chinaさんの行為は「議論の無視でも対話拒否でもないと思わせつつ議論の引き延ばす戦術」、また自分の編集方針を改めるという「言質を取られまいとする戦術」のように思えます。細分化して見出しを付けることおよび見出しが記事の内容を反映していない、百科辞典的でないと言う指摘に対して「中立的な表現でなっかった」などとすり替えた答えをし、「あなたならどんな見出しを付けますか」と逆質問をする。個別の議論ではないと言っているのに菅原道真と章帝(漢)に限定した対案を出す。しかも具体的な方策に対して受け入れるという言葉はつかわず「努力をする」という曖昧な表現をつかう。「ここに書いてあることと重複することは受け入れるということです」という表現もそうです。私はChinaさんが「議論で相手の意を充分くみ取れない」人だとは思えません。私は誤りに対しては寛容であるべきというKinoriさんの意見には賛成いたしますが、意図的な戦術に寛容であるべきだとは思いません。--Kurayamizaka 2005年2月11日 (金) 12:41 (UTC)
- Chinaさんが、Kurayamizakaさんの解釈どおりの人だとしたら、もうChinaというHNでは現れないでしょう。コミュニティを荒らしまわり、十分に騒動を起こしてかき回したのですから。ここでの議論もChinaさんの思うつぼだったことになります。何もしないで放っておくのがよろしいかも知れません。Authority 2005年2月12日 (土) 01:01 (UTC)
投票(2月案)
[編集]Chinaさんの編集活動について、コミュニティにおける合意を取り付けるための投票を行います。
投票準備にかかわる議論
[編集]個人的意見としては、準備期間3日、投票期間7日くらいでよいのではないかと思います。
なお私は当事者の一人ですので、投票管理をするつもりはありません。どなたか引き受けてくださることを希望します。 --Aphaea* 2005年2月7日 (月) 16:03 (UTC)
- 1日たちましたが、どなたも積極的に投票を支持される方はおられないようですので、提案取り下げたいと思います。--Aphaea* 2005年2月9日 (水) 18:14 (UTC)
総括へ向けて
[編集]ブロック依頼などでも議論の混乱が見受けられますので話を少し整理してみます。おかしい点があれば指摘してください。
事の発端は China さんの見出し分割に対して、内容を反映していないという異議が唱えられ、それによって編集合戦が発生したということであるということでよいでしょうか。これに対しては、
- China さんの分割は実際に文脈を反映しておらず問題である。
- 編集合戦は専門家対素人などのヒエラルキー問題ではなく個人の趣向の対立である。
- 見出しによる分割の量的争いといった問題ではない。
という点が確認され合意されている(#コメントのあたり、特に Safkan さんのコメント)ということでよいとおもいます。
その後#今後の方針のセクションでは、菅原道真や章帝 (漢)で実際に起きてしまったような編集合戦(とそれに起因するユーザー同士の諍い)を起こさないための方策が提示されました。一般的になユーザー間で暗にとられている方針を、見出し分割の場合に具体化したものが Aphaia-miya 案であります。
これに対して、China 氏は道真や章帝に関する具体的対処を対案として提示、一方それを編集合戦を防止する意思と対話の放棄とみなしてのブロック依頼、が行われたものと Lem 個人は考えています(これについては双方から異論があるかもしれません)。
さて、このあたりから議論が混乱しているように思われますので、再度確認すべき事項は何であるのか、明確化するべきではないかと考えます。Lem 個人としては
- China 氏は今後いかなる項目においても今回と同様の編集合戦を防ぐ努力をするか否か。
- China 氏は具体的方策として Aphaia-miya 案に同意するのか、同意しないとしたら何が不満なのか。
などに関して返答を求めるべきでは無いかと考えます。--Lem 2005年2月15日 (火) 04:04 (UTC)
Wikipedia:投稿ブロック依頼/Chinaで再度投票を検討し、今のところ賛成意見が多いので、とりあえず投票の準備に入ります。他の方から対案が出なかったので、このページにあったAphaia-Miya案を選択肢B案として追加しました。開始はちゃんこなべさんのコメントを頂いてからの方がいいかとは思いますが。miya 2005年2月28日 (月) 15:18 (UTC)
Wikipedia:投票の指針を見て、あと一点、複数選択肢のうち、一つだけを選択するか、複数選択可とするか、決めるのを忘れていたのに気づきました。複数選びたい方もいらっしゃるかと思います。とkに反対が無ければ下記のように「複数可」としましょうか?miya 2005年3月1日 (火) 09:48 (UTC)
- 四つのチルダ (~~~~) を使って、支持する選択肢に署名してください。複数の選択肢に賛成ならば、複数の選択肢に署名しても構いません。(Wikipedia:投票の指針のサンプルを改変)
投票(2005年3月)
[編集]先行する議論についてはこのページとWikipedia:投稿ブロック依頼/Chinaをご覧ください。
- Chinaさんの編集活動について、コミュニティにおける合意を取り付けるための投票を行います。
- 投票資格は管理者信任投票に準ずることとします。
- 以下の5つの選択肢で1週間の投票にかけて選択肢を絞込み、上位の2択でもう1週間かけて再投票を行います。
- 四つのチルダ (~~~~) を使って、支持する選択肢に署名してください。第一段階では、複数の選択肢に賛成ならば複数の選択肢に署名しても構いません。
- なお第2段階については、選択肢について合意が得られてからの開始となります。
即時ブロック案
[編集]対話不調を理由に直ちにブロックする
- 永久ブロックはルールにないので、無期限ブロックとする。
A案
[編集]China氏の編集については次のように取り扱う:
- 今後どの記事に対しても小見出しの追加はしない。
- 自分の編集が差し戻されても差し戻し返したりせずまず相手を含めた関係者と編集の是非について相談する。
- 相談の結果自分の気に入らない結論が出ても受け入れる。
- 以上の項目を無視した編集を強行するならブロックする。1回目、2回目は24時間ブロック、3回目は半年ブロックとする(Mh35氏の規制条件を参考にする)。ただし半年ブロック中に別アカウントやIPによる編集(いわゆる sockpuppet からの編集)があった場合は、その時点から改めて半年を起算する。
- ブロック期限が切れた場合には、以前の条件をブロック期限の終了を起点としてそのまま適応する。
- この案が採用されてからブロックされずに6ヵ月以上経過した場合、Chinaさんが希望するなら(1)の小見出し追加規制についてコメント依頼で再度意見を求め投票を行うことができる。解除について賛成多数となれば、(1)の小見出し追加規制は解除される(投票及びカウントの方法は管理者信任投票に準ずる)。ただし、(2)と(3)は解除されない。
B案
[編集]China氏の編集については次のように取り扱う:
- 自分が加えた見出しが除去ないし改変されても差し戻しをしない。ノートで再提案し、賛成多数で合意が形成されるようなら、再び変更を加えることが出来る。最低1週間は合意形成に費やす。
- 自分がセクションを導入し細分化した箇所がrevertないし改変されても差し戻しをしない。ノートで再提案し、賛成多数で合意が形成されるようなら、再び変更を加えることが出来る。最低1週間は合意形成に費やす。
- (附則)China氏の見出しの編集については、1週間ノートで話し合っても合意が得られなかった場合には、その箇所により多く執筆している方の執筆者の方針を優先する。
- 以上の項目を無視した編集を強行するならブロックする。1回目、2回目は24時間ブロック、3回目は半年ブロックとする(Mh35氏の規制条件を参考にする)。ただし半年ブロック中に別アカウントやIPによる編集(いわゆる sockpuppet からの編集)があった場合は、その時点から改めて半年を起算する。
- ブロック期限が切れた場合には、以前の条件をブロック期限の終了を起点としてそのまま適応する。
C案
[編集]Chinaさん 2005年2月14日 (月) 11:16 (UTC) より
- ①見出しの編集は論争解決後、6ヶ月間は行わない。
- ②6ヶ月間経過後もすぐに菅原道真及び、章帝(漢)の見出しの編集はしない。
- ③この期間は記事の加筆等に専念する。
対話継続案
[編集]投票で方針を決めてしまうのではなく、対話を続けて全員の合意を求める。
投票第1段階
[編集]- 投票期間(1週間):2005年3月2日0時UTC(午前9時JST)から2005年3月9日0時UTC(午前9時JST)まで
- 四つのチルダ (~~~~) を使って、支持する選択肢に署名してください。第1段階では、複数の選択肢に賛成ならば複数の選択肢に署名しても構いません。
- 第1段階投票終了後、上位二つの選択肢で第2段階の投票を行います。
- 即時ブロック:対話不調を理由に直ちにブロックする
- (ここにチルダ4つで署名をお願いします)
- Authority 2005年3月2日 (水) 00:48 (UTC)
- Lem 2005年3月2日 (水) 01:45 (UTC)
- Tietew☎ 2005年3月2日 (水) 03:44 (UTC)
- อนันต์ 2005年3月2日 (水) 10:24 (UTC)
- Kurayamizaka 2005年3月2日 (水) 11:41 (UTC)
- Kzhr 2005年3月3日 (木) 16:03 (UTC)
- A案を採用する。
- (ここにチルダ4つで署名をお願いします)
- Lem 2005年3月2日 (水) 01:45 (UTC)
- shimoxx 2005年3月2日 (水) 03:27 (UTC)
- Araisyohei(talk) 2005年3月2日 (水) 06:08 (UTC)
- Ypacaraí 2005年3月2日 (水) 10:54 (UTC)
- Kinori 2005年3月3日 (木) 02:08 (UTC)
- Hyuuga 2005年3月5日 (土) 02:54 (UTC)
- ちゃんこなべ 2005年3月8日 (火) 22:19 (UTC)
- B案を採用する。
- (ここにチルダ4つで署名をお願いします)
- Lem 2005年3月2日 (水) 01:45 (UTC)
- Tietew☎ 2005年3月2日 (水) 03:44 (UTC)
- Araisyohei(talk) 2005年3月2日 (水) 06:08 (UTC)
- อนันต์ 2005年3月2日 (水) 10:24 (UTC)
- Ypacaraí 2005年3月2日 (水) 10:54 (UTC)
- johncapistrano 2005年3月2日 (水) 11:00 (UTC)
- Goki 2005年3月2日 (水) 15:56 (UTC)
- Kinori 2005年3月3日 (木) 02:08 (UTC)
- Hyuuga 2005年3月5日 (土) 02:54 (UTC)
- Ligar 2005年3月5日 (土) 04:32 (UTC)
- ちゃんこなべ 2005年3月8日 (火) 22:19 (UTC)
- China案を採用する。
- (ここにチルダ4つで署名をお願いします)
- 対話継続:対話を続けて全員の合意を求める
- (ここにチルダ4つで署名をお願いします)
投票の結果:
- 投票期間中の全差分を確認したところ不正投票は認められませんでした。Tietew☎ 2005年3月9日 (水) 09:55 (UTC)
- ご確認ありがとうございました。それでは以下の2案で第2段階の投票を行いたいと思います。
- A案を採用する。
- B案を採用する。
- これに異議のある方は投票開始予定時刻 2005年3月10日0時UTC(午前9時JST)までにここにて異議を表明してください。異議が出た場合、投票開始は延期されます。miya 2005年3月9日 (水) 10:29 (UTC)
コメント:2005年3月10日0時UTC(午前9時JST)までに異議が出なかったため、第2段階の投票に移ります。miya 2005年3月10日 (木) 03:17 (UTC)
投票第2段階
[編集]投票は終了しました
- 期間(第1段階終了後の1週間):2005年3月10日0時UTC(午前9時JST)から2005年3月17日0時UTC(午前9時JST)まで(予定)
- 選択肢について合意が得られてからの開始となります。現在時刻 2024年12月22日 12:11 (UTC)
- 2択の投票となります。
- 選択肢のうち、ひとつを選んで4つのチルダ(~~~~)で署名をお願いします。
- (1)A案を採用する。
- (ここにチルダ4つで署名をお願いします)
- (2)B案を採用する。
- (ここにチルダ4つで署名をお願いします)
- Ypacaraí 2005年3月10日 (木) 23:31 (UTC)
- Tietew☎ 2005年3月11日 (金) 07:04 (UTC)
- Hyuuga 2005年3月12日 (土) 01:51 (UTC)
- Kinori 2005年3月12日 (土) 02:16 (UTC)
- shinya39 2005年3月12日 (土) 13:15 (UTC)
- 投票の結果:
- 投稿記録を確認しました。投票日までのShinya39さんの総投稿数は14回でした。これは本投票が準用するWikipedia:管理者への立候補の要件50回を満たしませんので、無効票です。その他は有効ですので、A案2、B案4でB案が採択されたことになります。Kinori 2005年3月20日 (日) 10:00 (UTC)
- 投稿記録の確認をありがとうございました。miya 2005年3月25日 (金) 16:33 (UTC)
- 投票締め切りから1週間以上たちましたが、他の方からの異議も出ませんので、B案採択確定でよろしいですね。Chinaさんには、B案の趣旨をご理解いただき、投稿ブロックの必要がない穏健な執筆活動をしてくださるようお願いいたします。
- 議論に参加してくださったみなさま、ご協力ありがとうございました。miya 2005年3月25日 (金) 16:33 (UTC)
採択されたB案
[編集]China氏の編集については次のように取り扱う:
- 自分が加えた見出しが除去ないし改変されても差し戻しをしない。ノートで再提案し、賛成多数で合意が形成されるようなら、再び変更を加えることが出来る。最低1週間は合意形成に費やす。
- 自分がセクションを導入し細分化した箇所がrevertないし改変されても差し戻しをしない。ノートで再提案し、賛成多数で合意が形成されるようなら、再び変更を加えることが出来る。最低1週間は合意形成に費やす。
- (附則)China氏の見出しの編集については、1週間ノートで話し合っても合意が得られなかった場合には、その箇所により多く執筆している方の執筆者の方針を優先する。
- 以上の項目を無視した編集を強行するならブロックする。1回目、2回目は24時間ブロック、3回目は半年ブロックとする(Mh35氏の規制条件を参考にする)。ただし半年ブロック中に別アカウントやIPによる編集(いわゆる sockpuppet からの編集)があった場合は、その時点から改めて半年を起算する。
- ブロック期限が切れた場合には、以前の条件をブロック期限の終了を起点としてそのまま適応する。