Wikipedia:コメント依頼/たたたたたたたたったポンタ
利用者:たたたたたたたたったポンタ(会話 / 投稿記録 / 記録)さんの、独断による記述の大幅除去及び、その編集姿勢についてコメントを依頼します。--高砂の浦(会話) 2022年7月27日 (水) 14:07 (UTC)
経緯
[編集]以下は具体例(一部)です。
- 『人為的な要因による死者数一覧』で「単一の出典にしか基づいていない」ことを理由に記述を大幅除去[1]。詳細を問うと、「海外の資料のみにしか基づいていない」「三光作戦や南京事件について日本の学会と違う見解が書かれているように思います」と回答されています(こちらより)。私の取り消し、同氏のノートページでの回答後も、「三光作戦は日本軍の命令に存在せず現在では存在が疑問視されている。出典があるからと言ってそれが間違っていたり古い情報を書いていたりする可能性もある」[2]として当該記述の一部(三光作戦)を除去しています。私の所感としては「三光作戦」ないしは旧日本軍の戦争犯罪(とされる議論の分かれるもの)にこだわりを持っているのでしょう。
- 『偽史』では、東アジアについての例示を除去[3]、私が取り消すと、またしても同様の箇所を「わざわざ東アジアに対する差別を助長しかねない文章を入れる必要はない」として除去しています[4]。私はこれを受けて、編集合戦を避けるため、当該ノートページに議論を起こしています(当該ノートページのリンクは下に記載)。
- 『新冷戦』では、出典なしの記述を「独自研究と思われる」[5]として除去していますが、その一方で『ウクライナの歴史』では無出典で大幅な加筆を行っています(最近のことまで)[6]。--高砂の浦(会話) 2022年7月27日 (水) 14:07 (UTC)
追記 - 利用者:Dragoniezさんからのコメント後(下記)、同氏は「Dragoniezさんの助言より」として、三光作戦の記述を回復させたようです[7]。第三者から指摘を受けて、態度をやや軟化させたように見受けられます。もう一つ。被依頼者のコメントの箇条書きの上3つ(「なぜ一方的な削除の取り消しに合意が必要なのでしょうか」「合理性を欠いた削除」「私の取り消しには合理性がある」)ですが、こちらを見ていただければ分かる通り、取り消しを多用しないことは以後気をつける旨伝えております。また、箇条書きの下に「と言った私を」とありますが、この表現だと同氏が発言したように取れてしまいますが、発言したのは私ですので他利用者の方々は誤解なさらないよう願います。--高砂の浦(会話) 2022年7月28日 (木) 11:27 (UTC)
追記 - 同氏は『ドネツク人民共和国』での記述について、ノートページで議論中だったのにも関わらず、またしても議論対象の記述を除去しました。私は、同氏に合意形成を行うよう申し上げてきましたが、ご理解いただけていなかった模様です。私は上で、「第三者から指摘を受けて、態度をやや軟化させたように見受けられます」と書きましたが、そうではなかったようです。同氏は、同氏の投稿記録を見ていただいたら分かるように、2022年8月4日 (木) 08:23の編集を最後にブレイクに入っていたようですが、活動を再開したと思えばこの始末で、残念に思います。『2014年ウクライナ騒乱』での同氏の拙速な改名については、他利用者さんも疑問に感じていますが、改名作業については私も問題を起こしていますので、意見を述べることはしません(ノート:尊厳の革命#改名提案を参照)。--高砂の浦(会話) 2022年8月15日 (月) 09:50 (UTC)
参考リンク
[編集]- 利用者:たたたたたたたたったポンタ
- たたたたたたたたったポンタの投稿記録
- 利用者‐会話:たたたたたたたたったポンタの節3番目及び4番目
- 利用者‐会話:高砂の浦#たたたたたたたたったポンタです。
- 利用者‐会話:えのきだたもつ#疑問を感じる他利用者についての相談
- ノート:偽史#東アジアに関する記述の削除について
- ノート:ドネツク人民共和国#記事の冒頭について
- 「ドネツク人民共和国」の変更履歴
依頼者のコメント
[編集]他利用者さんよりWikipedia:コメント依頼について教えていただき、今回依頼を出すことにしました。 同氏に編集姿勢について問うても、釈然としない回答が返ってくるばかりか、私の同氏の編集(大幅除去)の取り消し行為を非難するばかりで、正直対応に苦慮しています。また、同氏が、本当にWikipedia:中立的な観点に沿った編集を行っているのか疑問を感じています。同氏による記述の大幅除去が妥当なものなのか、私はWikipediaの経験が浅いため、多くの方からコメントをいただきたいと思っています。--高砂の浦(会話) 2022年7月27日 (水) 14:07 (UTC)
被依頼者のコメント
[編集]人為的な要因による死者数一覧の削除について三光作戦が真実か疑問が呈されているのは事実でして、確かにノートで話し合うべきだったかもしれませんが、日本の戦争犯罪についてこだわっていると言うことは特にありません。 偽史に関しては別に中国、韓国、日本の問題に関して差別を助長しかねないのでいらないと思ったので除去しました。特に反省すべきところがあるようには思えません。 新冷戦に関しても完全な独自研究(「自由主義、民主主義を正義とする西側諸国」や「専制主義、権威主義、国家主義を正義とする東側諸国」などの記述)ですので、こちらに関しても反省すべきところはないように思います。 ウクライナの歴史に関して「無出典で大幅加筆」と言いますが私はあまりWikipediaに慣れているわけではないので無出典でも書ける年表を中心に最低限加筆したつもりでした。今は出典について大分理解したので今後は付けていこうと思います。--2022年7月27日 (水) 23:01 (UTC) —以上のコメントは、たたたたたたたたったポンタ(会話・投稿記録)さんが[2022年7月27日 (水) 23:01 (UTC)]に投稿したものです(ホーリーブライト(会話)による付記)。
私としてはどこがNPOVに反しているか理解できません。また、あなたは「取り消し行為を非難するばかり」と言いますが私が特に言いたいのは「編集履歴を片っ端から粗探しを行い碌な議論もせずに取り消しを行ったばかりか管理者のノートページやコメント依頼にまでまで議論を広げる」行為や
- 「なぜ一方的な削除の取り消しに合意が必要なのでしょうか」
- 「合理性を欠いた削除」
- 「私の取り消しには合理性がある」
- 「『お叱り』」(皮肉と感じられる)
- 「疑問を感じる利用者」
- 「同氏に編集姿勢について問うても、(編集姿勢というよくわからないものを問われ)釈然としない回答が返ってくる」
- 「正直対応に苦慮しています」
と言った私を下に見て自分を上げるような言動について私は非難しているのです。これについては本気で改善をしてほしいです。--2022年7月27日 (水) 23:19 (UTC) —以上のコメントは、たたたたたたたたったポンタ(会話・投稿記録)さんが[ 2022年7月27日 (水) 23:19 (UTC)]に投稿したものです(ホーリーブライト(会話)による付記)。 たぶん勘違いされておられるのだと思いますが、利用者名付き署名をしないのはコメント依頼の一覧ページであって、ここで被依頼者コメントを書く場合は普通に利用者名付き署名にしてください。--ホーリーブライト(会話) 2022年8月1日 (月) 03:13 (UTC)
第三者のコメント
[編集]- コメント 依頼文の内容を踏まえて簡単に被依頼者の除去編集の内容を確認しましたが、Wikipedia:独自研究とWikipedia:中立的な観点に反する不適切な編集と見做される可能性が高いものと判断します。例えば人為的な要因による死者数一覧(ノート / 履歴 / ログ / リンク元)における特別:差分/89663427の編集ではBix (2001)[1]を出典とする記述を除去されていますが、原典を確認したところ「歴史学者の姫田光義氏の統計によると、作戦中に247万人以上の中国の民間人が犠牲になった」(p.367) と書かれていましたよ。(ただし、私が確認した限りでは270万人ではなく247万人でした。文献の全てに目を通したわけではないので別ページ上の記述と統合の上追加された記述である可能性はありますが、原典において近しい数字が提示されていることは事実です。) 統計を発表した人物もそれを引用している人物も歴史学博士を有する人物で、統計を発表した本人だけでなく第三者にもその数字が引用されていることを考えても、Wikipedia:信頼できる情報源に合致した形で提示されている記述と捉えるのが妥当であると思います。被依頼者は、この出典の内容まで精査した上で除去編集を行ったのでしょうか。もし精査された上の編集だったのであれば、その除去編集の根拠 (例として、「この統計には不備があった」と証明している信頼できる情報源) の提示や、諸説あるならば除去編集ではなくそれら諸説両方を加筆というかたちで付け加えるのが正しい方向性でしょう。もしも原典すら確認せずに「自分が間違っていると思ったから除去した」という結論になってしまうような場合は、ウィキペディアの方針に真っ向から背く編集であると判断せざるを得ないため、投稿ブロックという結果さえもありうる、被依頼者が改善しなければならない編集姿勢だということになると思います。--Dragoniez (talk) 2022年7月28日 (木) 08:40 (UTC)
脚注
- ^ Bix, Herbert P. (2001). Hirohito and the Making of Modern Japan. New York: HarperCollins