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Wikipedia‐ノート:過剰なカテゴライズ

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ガイドライン化

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本草案のガイドライン化を提案します。理由としては、この指針はWikipedia:カテゴリの方針に挙げられる抽象的な指針とは別に、具体的にネガティブリストを掲げるものであって、ウィキペディア初心者でも理解しやすいものであって有用だと考えられるからです。--Kurz会話2012年4月2日 (月) 11:04 (UTC)[返信]

ガイドライン化には賛成ですが、「人物にちなんで命名されたカテゴリ」と「賞の受賞者」は明らかに現在の日本語版の実態に合っていないようです。「特定の事物に関連する人物」も一定数作られていたように思います。--頭痛会話2012年4月2日 (月) 12:00 (UTC)[返信]
ガイドライン=目安であってそれほど強制力があるわけでもなく、別に例外があっても問題ないので現行のままでも別に構わないかなとは思っています。ただまぁ、実態を追認するのであれば該当部分はコメントアウトしますよ。--Kurz会話2012年4月2日 (月) 12:21 (UTC)[返信]
御二方様には、はじめまして(ですよね?)。ガイドライン化に賛成します。実態をもってガイドラインとするのか、英語版ガイドラインを適用して実態を正すのか、には特に意見はありません。なお、これに関連するというわけではありませんが、Wikipedia:コメント依頼/田中川日日日力を御覧下さい、自分の作成したカテゴリを削除された被依頼者が「これとこれとこれも削除してくれ」と言っているのですが、被依頼者の行為は置いておくとして、被依頼者が提示しているカテゴリがガイドライン上適切なカテゴリなのかどうかがわかるようなものになれば、より良いかと思います。--JapaneseA会話2012年4月2日 (月) 12:29 (UTC)(主アカウント:利用者:Sutepen angel momo会話 / 投稿記録 / 記録[返信]
挙げられている例はルールの悪用というべき話なので、あまり考慮に入れなくてもいいと思います(cf.Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用)。そういう場合はルールをどう定めても悪用されるものですしね。--Kurz会話2012年4月2日 (月) 12:49 (UTC)[返信]
「賞の受賞者」などは英語版では「基本的に作るべきでないが例外もある」みたいな説明がされているようですね。そちらはそれでもいいと思います。しかし「人物にちなんで命名されたカテゴリ」のほうはWikipedia:カテゴリの方針で「同名の記事を含むカテゴリ」としてそのようなカテゴリを解説しており、方針間で矛盾をきたすのでコメントアウトすべきだと思います。--頭痛会話2012年4月2日 (月) 14:05 (UTC)[返信]
ああそれはまずいですね、ではそこは異論がなければコメントアウトします。--Kurz会話2012年4月2日 (月) 14:28 (UTC)[返信]
報告 問題の節をコメントアウトしました。--Kurz会話2012年4月7日 (土) 02:17 (UTC)[返信]

コメントこういったもので具体的な例を挙げることは賛成です。内容の精査も今後しようと思いますが、とりあえず1つ、構成について、不適切なクロスカテゴリの問題が結構な量あるので、節を切った方がいいかなと思いました(芸能人関係もクロスカテゴリの話ですよね)。Fuji 3会話2012年4月4日 (水) 04:22 (UTC)[返信]

節の構成を変えるのは私としてはあまり賛成ではありません。なぜかと言いますと、現状の節の構成は基本的に翻訳元の英語版のそれに対応していまして、それを変えてしまうと再び翻訳が必要になった場合に不都合が生じたり、日本語版独自の修正がされているからといって翻訳がためらわれるようになって文書が陳腐化したり場合が多いからです。--Kurz会話2012年4月4日 (水) 10:30 (UTC)[返信]
報告 提案から2週間、最後の発言から1週間あまりが経過しましたが、賛成意見が複数あり、反対意見は特にないようですので、合意が得られたものとみなし、提案のとおり本草案をガイドライン化します。--Kurz会話2012年4月16日 (月) 12:50 (UTC)[返信]
コメントガイドライン化は意見の集まり方や精査の仕方から、ちょっと拙速な気がします(個人的には賛成なので、懸念の表明として受け取ってください)。
で、そこはおいておいて、先のKurzさんのコメントで気になったので確認しておきたいのですが、
「このガイドラインは日本語版のガイドラインであり、初版作成にあたりベースとしたのは英語版であるが、今後は英語版で改善があったとしても当ガイドラインの更新は自動的に行われるものではなく、通常のガイドライン改訂と同じ扱いになる。また、日本語版独自の修正も同様に通常のガイドライン改訂と同じ扱いで行われる」
という認識はあっていますか? Fuji 3会話2012年4月19日 (木) 03:38 (UTC)[返信]
コメント このガイドラインの内容にはそれほど争いになるようなものが含まれていないので、先の議論程度で十分だろうと思ってそのようにしたのですが、まずかったでしょうか。もちろん賛同者が多いにこしたことはありませんが、告知しても反応が薄かったようなのでなんとも。現時点では弱い賛同しかないので、弱い異論であっても草案に格下げされても止むを得ないかなとは思っています。 このガイドラインの扱い方については、私に所有権があるわけではないので、どういう扱いが適切かはその時々の合意によるので断言はできかねますが、私としてはFuji 3さんのおっしゃるような方法で扱うことが多いですね、状況にもよりますが。--Kurz会話2012年4月19日 (木) 11:19 (UTC)[返信]

即時削除の方針におけるカテゴリ関係の提案のお知らせ

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Wikipedia‐ノート:即時削除の方針#カテゴリ6の適用対象を拡充する提案およびWikipedia‐ノート:即時削除の方針#カテゴリ7の新設提案を提出しましたので、お知らせします。--Doraemonplus会話2022年5月19日 (木) 08:55 (UTC)[返信]

カテゴリの削除の方針の追加について

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Wikipedia‐ノート:削除の方針#提案:カテゴリに対する削除の方針の追加にて、削除の方針に盛り込むべき内容について、ご意見・ご提言を募っています。興味・関心をお持ちの方のご参加をお待ちしております。--Doraemonplus会話2022年6月2日 (木) 12:17 (UTC)[返信]

項目数が少なく、成長の余地もないもの

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WP:OC#SMALLについてです。Category:各国の土砂災害を見ると、下位カテゴリが8つありますが、このうちCategory:日本の土砂災害は82ページ+1サブカテゴリなので十分(すぎる)ですが、他の7つのうち6つは1記事ずつのみ。Category:中国の土砂災害‎のみ3ページありますが、7カテゴリともわざわざ作成するまでもなかったと思います。「項目数が少なく」に該当しますが、「成長の余地もないもの」とまでは言い切れない、しかし、成長してからカテゴリ作成すべきではないでしょうか?--2001:268:C298:A8D1:1DB9:64D3:5418:5AC8 2022年8月13日 (土) 19:00 (UTC)[返信]

全体的な内容の改訂提案

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当ガイドラインの内容に関して、最後に大きな改訂が行われたのは2011年1月(13年近く前)です。この間に実施された、Wikipedia:カテゴリの方針の改訂やWikipedia:削除の方針#カテゴリ1の新設、プロジェクト:カテゴリ関連/議論の立ち上げ、および新手の過剰なカテゴライズの事例など、最近の日本語版のカテゴリを取り巻く情勢の変化に対応するため、ガイドラインの内容の更新が必要と思われます。そこで、英語版の同等のガイドライン(en:Wikipedia:Overcategorization)の最新版をベースとしたWikipedia:過剰なカテゴリ/改定案202312を起草しました。同案における現行のガイドラインからの主な変更点および改善点は次のとおりです。

  1. Wikipedia:カテゴリの方針#カテゴリ化の要件「主題を定義付ける特徴」(WP:CGDEF)に対応し、「定義的特徴」をカテゴライズの基本的な評価基準として打ち出した点。
  2. 上記の基本的な評価基準の導入に伴って、以下の旧類型を別の似た類型に統合するか削除した点。
  3. 各類型に該当する過剰に作成されたカテゴリの実例を、主に過去の日本語版カテゴリの削除事例(削除依頼ログページへのリンク付き)から引用して掲載した点。

内容の刷新に併せて、当文書の名称を「Wikipedia:過剰なカテゴライズ」に変更することも提案します。理由は、「カテゴリ」という静的なイメージの語よりも、動的な「カテゴライズ」との表現を使用することにより、不適切な名称や定義のカテゴリを作成することだけでなく、その付与の仕方(カテゴリの内容)にまで統制を利かせることができるためです。わかりやすい例としては、Wikipedia:過剰なカテゴリ/改定案202312#年代・時代別に区分したクロスカテゴリで「名称は同じでも全く別のカテゴリとなってしまいます」と述べられている、Category:19世紀の政治家などがそうです。この例では、カテゴリ名は不適切とはいえないけれども、その運用(カテゴライズ)の仕方に問題を孕んでいます。

当ガイドラインは削除の方針の基準の一部でもあるため、今回の改訂では提案という形をとらせていただきます。よろしくお願いいたします。--Doraemonplus会話2023年12月10日 (日) 05:16 (UTC)[返信]

何の反応もありませんが、このまま反対意見がなければ、提案から3週間後となる大晦日にも、改名および改定を実施したいと考えております。よろしくお願いします。--Doraemonplus会話2023年12月26日 (火) 12:42 (UTC)[返信]
「過剰なカテゴライズ」への改名について、「カテゴリ」という言葉はそのまま入っていた方がカテゴリについてのガイドラインを探している人にとって見つけやすいと思うため反対します。--Sakidaya会話2023年12月30日 (土) 12:26 (UTC)[返信]
カテゴリのガイドラインを探している人は、まずWikipedia:カテゴリの方針に行き着くでしょうし、同方針文書から当ガイドライン文書へは随所でリンクされているので、ページ名のせいで見つけにくいことはないと思います。英語版のタイトルも overcategorization となっており、問題はないものと考えます。--Doraemonplus会話2023年12月31日 (日) 02:19 (UTC)[返信]

報告 内容に関しては異論が出なかったため、正式版に反映しました。ページの改名に関しては、反対意見が付いたため、ページの移動を保留中です。--Doraemonplus会話2023年12月31日 (日) 09:03 (UTC)[返信]

返信 (利用者:Doraemonplusさん宛) 「項目数が少なく、成長の余地もないもの」の廃止について、英語版で議論に基づき廃止されたことは分かりましたが、英語力の不足により全容を理解しきれずにおります。過剰なクロスカテゴリについては明記されていますが、過剰な階層化(或いは階層化ではないですが、「項目数が少なく~」にあった「エリザベス・テイラーの夫」のような例)については定義付けが違反でなければ削除対象と出来なくなったように感じるのですが、その辺り如何にお考えでしょうか?--鳴海会話2024年1月3日 (水) 21:21 (UTC)[返信]
返信 (鳴海さん宛) その件に関して、私も過去ログを全て読み通したわけではないですが、
  1. 「項目数の少なさ」の閾値設定が長年切望されながらも合意形成に至らず、量的な要素を規定するガイドラインとして曖昧さが残る点
  2. 「成長の余地もない」という条件がWP:CRYSTALBALLの方針と矛盾する点
などを解消するため、廃止された模様です。なお、英語版では、項目数が0のカテゴリは即時削除の対象(WP:C1)となっており、同項を廃止したとしても、項目数が極めて少ないカテゴリの処分が妨げられる懸念はないと判断されたようです。日本語版においても、同様の即時削除の方針を目下提案中です(詳細はWikipedia‐ノート:即時削除の方針#空のカテゴリの即時削除基準の創設を検討してはどうかを参照)。
  • 英語版では現在、同項に代わる新たな提案として、en:Wikipedia:Merge for now(仮訳:とりあえず統合)というタイトルの私論が作成され、議論が続いているようです。それによると、WP:OCは完全かつ永久に望ましくないカテゴリに関して規定したものである一方、
  1. 項目数の少なさという時の経過とともに変動する一時的な要素は、完全性および恒久性を要求する同ガイドラインと相容れないこと
  2. 項目数の少ないカテゴリは親カテゴリに統合すれば済むこと
などが削除よりも統合を指向する理由として挙げられています。
  • 結論、「定義付けが違反でなければ削除対象と出来なくなっ」ても、多くは【上位カテゴリに統合WP:CSD#C6】のルートで対処可能であるため、大きな問題はないと考えます。適切な統合先が見当たらない「エリザベス・テイラーの夫」のような例は大抵、他の類型のいずれかに該当するはずです。新ガイドラインでは「主題を定義付ける特徴でない」を過剰なカテゴリの基本原則として打ち出しています。
いかがでしょうか。--Doraemonplus会話2024年1月4日 (木) 12:11 (UTC)[返信]
返信 (利用者:Doraemonplusさん宛) ありがとうございます。「項目数の少ないカテゴリは親カテゴリに統合」するに当たっては何の条件に依拠すれば良いでしょうか?過剰なカテゴリの定義に「過剰な細分化・階層化」は明記されており、「過剰な階層化」について何らかの当該条件はあって然るべきと思うのですが。作成者は「過剰」とは思っていないでしょうし、統合を主張する側が条件を主張できなければ、統合の合意が得難くなることを懸念するものです。「テイラーの夫」の例は不適切だったかもしれませんが、過剰な階層化は「主題を定義付ける特徴でない」こととは逆でむしろ、「ごく一部の記事の定義に細かく焦点を当てる」ことで頻発しているように感じます。○○市長/町長/村長のカテゴリ然り。個人的にはCategory:黒山軍の人物の統合提案を出しており、それを念頭に置いています。--鳴海会話2024年1月4日 (木) 14:46 (UTC)[返信]
返信 (鳴海さん宛) 新たな視点からの問題提起に感謝します。
  • 親カテゴリへの統合に当たって何が条件になるかは、一般的には「テーマごと、記事ごとに個別に判断してください」としかいえないと思います。そこがカテゴリの取り扱いの難しいところです。カテゴリは大体が各専門分野で特殊化されているため、普遍的な一般則を定めるのが難しいのです。新ガイドラインでは、それを補うため、日本語版における過去の削除事例を判例として多数掲載しました。
  • 過剰な細分化と階層化は表裏一体だと考えています。下位カテゴリへの細分化を繰り返すほど階層が深くなり、階層が深くなるほどカテゴリは細かく分かれていくためです。実際のところ、(一部の極端な例を除き)適度な細分化・階層化と過剰な細分化・階層化の境目は曖昧なものです。ある人は「過剰」と感じても、別の人は「適度」と感じるかもしれません。これは当該項の廃止の如何に依らず、個別のケースに応じて弾力的に対応、判断されることに変わりはないです。「類型」の一つとしては廃止されましたが、依然としてWikipedia:過剰なカテゴリでは、序文で「過剰な細分化・階層化」を戒めています。
  • 「ごく一部の記事の定義に細かく焦点を当てる」問題に関しては、WP:OC#SMALLにとらわれない、新たな類型の追加をご検討されてはいかがでしょうか。日本語版のカテゴリの方針で過去に使用された文言の中では、「凝った定義」というのが、それに近いと思います。この用語は、現行のガイドラインでも一部引用しているものの、前面に押し出してまではいません。新たに明文化・具体化を目指されるならご協力できればと存じます。
ところで、カテゴリの作成だけでなく、付与にも節度ある編集を促すための「Wikipedia:過剰なカテゴライズ」への改名については、どのように思われますか?もしよろしければ、ご意見をお聞かせいただけると嬉しいです。--Doraemonplus会話2024年1月5日 (金) 09:11 (UTC)[返信]
返信 (利用者:Doraemonplusさん宛) まず前提として、私は方針議論というものに参加したことはなく、思いつきが無思慮無責任なものになるかもしれないことはご容赦下さい。依然として過剰な階層化が整理対象であることは分かるのですが、やはりそれに沿った何らかの類型がある方が問題提起しやすく、過度な反発も生まれにくいのではと思います。現状、私自身やDoraemonplusさんの整理提案でさえも、「果たしてこれはどの項目に依拠して"過剰"なのだろうか」と考えてしまい、であればそれらカテゴリの作成者はなおのことそう思うのではないか、と恐れているのです。
さて、類型の案として『過剰に細分化され、項目数が少なく(目安として5記事以下)、上位カテゴリで統合可能なもの』というのはどうでしょうか。
  • "項目数の少なさ"については現状の項目数だけを見るのではなく、現状含まれていない中にも該当する頁はないのかという視点も求められるものとします。一方で現状の項目数だけを削除の根拠とすることは許されないとしても、要素の1つとしては必要と考えます。ある役職がその人物の定義として極めて重要であるとしても、その役職に就いた人間が1人2人しかいないのであれば、その役職をカテゴリとすることには慎重になるべきでしょう。これを"将来的には増える可能性がある"と安易に考える方がWP:CRYSTALBALLに違反するはずです。
  • 「テーマごと、記事ごとに個別に判断しなければならない」というのは、類型があっても当然のことです。例えば『範囲の狭いクロスカテゴリ』という類型は現存しますが、何をもって"範囲が狭い"とするかは個別の議論と合意が必要でしょう。"過剰な細分化"についてもそれは同様であり、類型化したからと言って削除主義が激化するようなこともないと考えます。
  • 項目数が同じように少なくとも、そのカテゴライズが定義として重要なものなら、"過剰な細分化"として扱うことは慎重になるべきです。逆に一定の(重要とまでは言えない)定義を持つものであっても、それが該当項目の極端に少ないカテゴリとなるなら、その設置もまた慎重になるべきです。前者はCategory:魏の皇帝、後者はCategory:黒山軍の人物のようなものをイメージしています。歴史上において"◯◯の勢力に属した"ことは(特にこと三国志においては)定義として大きなウエイトを持ちますが、何らかの歯止めがないといくらでも弱小勢力で作成できてしまい、これを多少なりとも抑止したいのです。例が専門的になってしまいましたが、現代の政治家・官僚・首長などの役職についてもこれに近いことは言えるかと思います。
『過剰なカテゴライズ』については、用語としてそちらの方が適切なことは確かとは思うのですが、一方で利用者:Sakidaya様の意見も一理はあるかと思います。カテゴライズを軽視している人が大勢いることが問題である一方で、それは本頁(やWikipedia:カテゴリの方針)を把握していない人間が大勢いるためと考えられ、であれば少しでも視認性が高い方が良いのが現状とも考えられます。というか私自身がそれらカテゴリの概念というものを覗き込んで1月経っていないのですが、それを念頭に置いて実際のカテゴリ構造というものを見ますともう、魔窟とでも申しましょうか…(余談)--鳴海会話2024年1月5日 (金) 21:11 (UTC)[返信]
終了 長期間議論が停止していますので、本話題は閉じます。ご意見がございましたら、新しいセクションを立ててご議論ください。--Doraemonplus会話2024年2月26日 (月) 00:24 (UTC)[返信]

廃止された「項目数が少なく、成長の余地もないもの」の代替案

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ここでは、上記「#全体的な内容の改訂提案」で廃止された「項目数が少なく、成長の余地もないもの」(WP:OC#SMALL)の代替案を再検討します。新提案となるため、セクションを分けます。

鳴海さんが「過剰に細分化され、項目数が少なく(目安として5記事以下)、上位カテゴリで統合可能なもの」で実現したいことは、基本的に私が○○市長/町長/村長カテゴリで実現したいことと同じと理解しました。ただ、一律に項目数の下限を定めること、および「n記事以下」のnという数字には何の根拠もないことは、過去にも論争の的となっています(参考:Wikipedia‐ノート:カテゴリの方針/ 2010年までの過去ログ#カテゴリ内の記事数)。この場合、5記事はNGで、6記事ならOKなのか、といった下限値ありきの議論に終始しがちであり、カテゴリの質が軽視される元でもあります。さらに、6件程度ならリダイレクト項目を少し拵えれば、項目数の水増しにより、簡単にクリアできてしまいます。

そこで 提案 ですが、具体的な数量に依存しない表現にするならば、次のような文案はどうでしょうか。

過剰に詳細な分類または件名のカテゴリ

カテゴリページでは1ページあたり200件まで項目を一覧表示することが可能です。同類の記事をまとめて索引可能とするカテゴリ本来の特長を生かすためには、1カテゴリに含まれる項目数を常に適度な分量に保つことが肝要です。不必要に細かく記事を分類したり、過剰に特殊化された件名を付与したりしては、カテゴリから記事を探し当てにくくなったり、階層関係の混迷を極めたりすることになり、結局、実質的に記事を分類整理していないのに等しいです。

特に、たった1個の項目を追加するためだけに新しくカテゴリを作成することは控えてください。2個以上の場合でも、記事目録として有用でないテーマ・内容のカテゴリは、適切な類似カテゴリへの統合の対象となるか、編集による改善が不能な場合には、削除の検討対象となることがあります。ただし、信頼できる情報源に基づく確立した区分原理に従って項目を区分した結果、含まれる項目が少数の区分肢ができる場合(例:Category:被子植物の科のサブカテゴリなど)は除きます。

もう一つ、別の角度から。鳴海さん発案の「ごく一部の記事の定義に細かく焦点を当てる」は、内容的には「賞の受賞者」節で「賞の受賞者のカテゴリは、その賞を受賞したことが著名な受賞者の大多数にとって定義的な特徴の一つである場合にのみ、作成されるべきです」と述べられていることの裏返しを一般化した命題であると拝察します。

その筋から解釈し直しますと、

該当項目の大多数にとって特別な定義的要素でない

ごく一部の項目にとっては定義的特徴とみなせる場合でも、その特徴がその対象となる著名なメンバーの大多数にとって特別な定義的要素とはみなされない場合、そのようなカテゴリは作成されるべきではありません。これは、中立的な観点の方針における「不当な重み付けをしない」方針にも合致するものです。

たとえば、ある一揃いの人物が東京都財務局長を務めた事実が検証可能な形で当該人物の記事に掲載されたとしても、著名な該当人物の大多数にとって、同局長の職は取り立てて特別な定義的要素とはみなされないため、Category:東京都財務局長の作成は不適当です。この場合、記事「東京都財務局」に歴代局長の一覧を掲載するのが適当な解決策の一つです。

なお、Category:東京都知事は、一般に「著名なメンバーの大多数にとって特別な定義的要素」とみなされます。

となるでしょうか。一応、叩き台として、起草してみました。これもまた無思慮無責任なものである可能性があります。ご批判がございましたら、甘んじて受け止めたいと思います。

最後に、「過剰なカテゴライズ」への改名に対する意見は了解しました。改名提案を取り下げ、長く使用されてきた平易な表現である現行のタイトルを維持したいと思います。--Doraemonplus会話2024年1月7日 (日) 13:30 (UTC)[返信]

返信 (利用者:Doraemonplusさん宛) 結論を先に申し上げると、『過剰に詳細な分類または件名のカテゴリ』については方向性としては賛成、『該当項目の大多数にとって特別な定義的要素でない』についてはWP:OC#NONDEFなどの既存項目で包含すべきかと思います。私が前回申し上げた、「項目数が同じように少なくとも…近いことは言えるかと思います。」や、「ごく一部の記事の定義に細かく焦点を当てる」というのはざっくり言うと、「数だけで決めるのも良くない、定義としても必ずしもNGではない、でもどっちも微妙なカテゴリはやめませんか?」ということです。Category:黒山軍の人物の定義自体がNGとするなら、Category:曹操軍の人物も良いとは言えません。しかし項目数4と253の分類を一緒にすべきではないですし、前者を容認するとまだ勢力別カテゴリが作れるので際限がない、ということです。「市区町村の長はカテゴリの定義としてNGではないが、Category:黒埼町長などはカテゴリとして過小なのでは?」に近い話かと思います。

『過剰に詳細な-』については、Category:黒山軍の人物やCategory:黒埼町長のようなケースを想定したものにするのが良いと思いますが、それらを「詳細」と呼ぶよりかは、「細分化」と呼んだ方がイメージしやすいように思いました。またクロスカテゴリについては別項があるわけですからこの項は階層化に限定し、『過剰に細分化され、上位カテゴリや他のカテゴリと統合可能なもの』とするのはいかがでしょうか。これは無理に入れる必要はないのかもしれませんが、定義によっては『カテゴライズ自体はNGとは言えないが、実質的に無用な構造カテゴリ』(ex.Category:晋の妃嬪)も包含できるかもしれません。--鳴海会話2024年1月14日 (日) 13:57 (UTC)[返信]

「数だけで決めるのも良くない、定義としても必ずしもNGではない、でもどっちも微妙なカテゴリはやめませんか?」に関連して、「定義」という用語が曖昧で混乱を招いている印象なので、「定義」という語を使わずに「定義的ではない」とはどういうことかを説明しているen:Wikipedia:Categorizing articles about people#Definingから引用します。
(仮訳)たとえば、映画俳優で法学士の学位を持つ人は、映画俳優として分類されるべきです。法律家としてのキャリアが当人自身にとって特筆されるものであったり、俳優としてのキャリアに深く関連するものでない限り、法律家としては分類すべきではありません。多くの人物は、特筆されるような仕事をする以前にも様々な仕事をしていますが、それらその他の仕事では分類すべきではありません。同様に、香水を商品化した有名人は、調香師のカテゴリに入れるべきではありません。有名人が有名になった後にすることすべてが分類に値するわけではありません。
言い換えると、WP:OC#NONDEFがいう「主題を定義付ける特徴(定義的特徴)」とは、「分類に値しない特徴」ともいえるのかなと思います。
これまでに挙げられた具体例を振り返って、黒山軍の人物晋の妃嬪東京都財務局長黒埼町長はいずれも、人物記事を分類するカテゴリであること、人物記事のカテゴライズはウィキペディアのカテゴリの主要な領域を占めることを踏まえると、引用元ページに倣って(仮題)「Wikipedia:人物記事のカテゴライズ (Q4656638)のようなページを設けるのも一案ですかね。
「過剰に細分化され、上位カテゴリや他のカテゴリと統合可能なもの」についても、感覚的には理解できますが、その文言からは事実上ありとあらゆる下位階層のカテゴリが「統合可能」といえてしまいそうで、過剰なカテゴリの類型としては、もう少し具体的かつ的を絞らないと実効性を持たないと思います。目標が「この項は階層化に限定し」ならば、単純に「過剰に階層化されたカテゴリ」とすればよいのではないでしょうか。
以上、見てきたように、人物記事向けカテゴリ以外の実例が示されないうちは、全般的な類型を定めるのはなかなか厳しい感じがしています。--Doraemonplus会話2024年1月15日 (月) 03:12 (UTC)[返信]
返信 (利用者:Doraemonplusさん宛) 個人的には『過剰に階層化されたカテゴリ』より、『過剰に階層化され、上位カテゴリや他のカテゴリと統合可能なもの』とした方がイメージはしやすい気はします。一方で、「過剰に階層化され」ていることと「上位カテゴリや他のカテゴリと統合」すべきことはまずイコール(逆にイコールでないなら過剰な階層化と言い難い)ですから、Doraemonplus様のシンプル案にも反対しません。文面は先に示された『過剰に詳細な分類または件名のカテゴリ』(「カテゴリページでは1ページあたり…は除きます。」)のままでも問題はないかと思います。Wikipedia:人物記事のカテゴライズ作成は良きことだとは思いますが、この一項目の立項でも青息吐息の私が参画するには荷が重いかもしれません。--鳴海会話2024年1月15日 (月) 04:05 (UTC)[返信]
鳴海さん お返事が遅くなり、申し訳ありません。現状では、議論への参加者が少なく、また提案者である私自身も内容に確固とした自信が持てないので、今回は改訂を見送らせていただきます。せっかく議論にご参加いただいたのに、このような結果となってしまい、申し訳ございません。--Doraemonplus会話2024年2月2日 (金) 08:47 (UTC)[返信]

「過剰なカテゴライズ」への改名提案(再掲)

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#全体的な内容の改訂提案で少し触れ、一旦は取り下げた改名提案ですが、その後のカテゴリ関連の議論を通して、「過剰なカテゴリ」と「過剰なカテゴライズ」の間には大きな溝があることを改めて実感しました。

具体的には、プロジェクト:カテゴリ関連/議論/2024年/1月14日#Category:地方公務員出身の人物このコメントで述べたことです。「地方公務員」は、カテゴリの定義としては過剰(なカテゴリの作成)とはいえないものの、実際に「Category:地方公務員出身の人物」で収集されている人物記事の例を見ると、少しでも地方公務員の経歴を持つ人物が見境なく追加されており、過剰(なカテゴリ付与)となっています。明らかに「記事の主題に少しでも関連するカテゴリをすべて付与する必要はありません。たとえば、多彩な分野にわたる経歴をもつ人物であっても、カテゴライズされるべき特徴は厳選されるべきです。」に反しています。これは「出身の」というカテゴリ名に由来している側面もありますが、それを取り払ったとて問題の本質は変わりません。

提案 カテゴリページの名称・定義の可否のみを指しているようにも読める「過剰なカテゴリ」という静的なページ名から、実際にカテゴリが付与された記事とカテゴリとの関連づけをも本ガイドラインの規制対象とすることに含みを持たせる「過剰なカテゴライズ」という動的なページ名に改めることを再提案します。カテゴリの付与を「カテゴライズ」と表現することで理解の妨げとなるとの懸念については、Wikipedia:ウィキペディア用語集/カテゴリ#カテゴライズにリンクすることで改善を図っています。--Doraemonplus会話2024年2月2日 (金) 09:30 (UTC)[返信]

これは改名そのものへの反対意見ではないことは強調しておきたいのですが、12月30日の時点で利用者:Sakidayaさんが反対を表明していること、一度意見を述べた人がずっと議論に参加していないといけない(でないと有効票と扱われない)義務はないわけですから、合意形成の判定には慎重になった方が良いかと思います。--鳴海会話2024年2月2日 (金) 12:05 (UTC)[返信]
合意形成判定については、承知しました。以前の提案では別議論の一部でしたので、独立したセクションを設けたことをご理解いただければと存じます。--Doraemonplus会話2024年2月2日 (金) 12:33 (UTC)[返信]
Doraemonplusさんの考えと前回の提案で私が述べた考えの折衷案として例えば「過剰なカテゴリの作成・付与」のような形にするのはどうでしょうか。--Sakidaya会話2024年2月3日 (土) 19:01 (UTC)[返信]
提案 うーん、それですと「作成」も「付与」も名詞形で、表現に「動き」が出ないんですよね。それに、「作成・付与」だと「カテゴライズ」よりも語義が矮小化された感じがします。そこで、別の折衷案として「過剰なカテゴリ分け」のような形にするのはいかがでしょうか。これならば、動詞「分ける」の連用形の名詞化で、「動き」を表現できます。--Doraemonplus会話2024年2月4日 (日) 01:21 (UTC)[返信]
現状のWikipedia:過剰なカテゴリは、不適切なカテゴリの一覧のようになっていて、Wikipedia:カテゴリの方針#項目を追加するのような記事側からの視点はあまり見当たらないように思えるのですが、何か見落としているでしょうか。それとも、改名に伴い内容も改めるのでしょうか。--FlatLanguage会話2024年2月23日 (金) 12:55 (UTC)[返信]
お越しくださり、ご意見をいただき、ありがとうございます。
  • ガイドラインの内容自体に変更はありません。ただ、過剰なカテゴリに対する見方を少し広げる、とでも申せばよいでしょうか。「(過剰な)カテゴリ」というタイトルですと、何かそのようなカテゴリ名のカテゴリが不適切と捉えられがちで、肝心なカテゴライズした結果(含まれる内容、分類される側の記事)が軽んじられる傾向にあるように思われるのです。
  • 動機となった議論の一つに、プロジェクト:カテゴリ関連/議論/2024年/1月22日#Category:東京・ミュージアムぐるっとパス対象施設があります。「東京・ミュージアムぐるっとパス対象施設」の場合、「カテゴリ」としては、カテゴリの名称は不適切ではなく、含まれる記事にも特段の問題はないのですが、施設記事側からみると、「東京・ミュージアムぐるっとパスの対象」という観点は、明らかに過剰な重み付けにあたり、「カテゴライズ」としては不適当であるとみなされます。
  • このように「カテゴリ」と「カテゴライズ」とでは、その語感から受ける印象が随分と違います。英語で考えるならば、前者は名詞で静的な対象物(作成されたカテゴリページ)を、後者は動詞で動的な動作・作為(記事に何らかのカテゴリを付与すること)をよく表しています。後者の見方にも道筋をつけるため、今回の改名提案を行いました。理想的には、やはり最も正確かつ端的にこれを表現している「過剰なカテゴライズ」に改名したいです。些細な差と思われるかもしれませんが、かなり重要な変更になると考えています。英語版の同等の文書名が "over-category" などではなく、"overcategorization" と動詞の名詞形となっていることも、この見方を裏付ける根拠であるといえましょう。
--Doraemonplus会話2024年2月23日 (金) 13:36 (UTC)[返信]
理解しました。当該議論で私は『「○○氏が訪れたことのある国」「○○県の特産品」のような、受動的なカテゴライズ』と表現していたのでした。--FlatLanguage会話2024年2月23日 (金) 13:42 (UTC)[返信]
拙い説明でしたが、ご理解いただけたようで何よりです。まとめると、過剰なカテゴリという「モノ」の存在を戒めるだけで終わらず、過剰なカテゴライズという「コト」の自制を求めるガイドライン文書に進化するための改名提案です。前者ですと「存在」を消すか残すかの話(カテゴリの削除/存続)に終始しがちですが、後者では微妙な「自制」の程度の問題を扱うことになるので、「存在」の賛否のように白黒はっきり付けることは難しいでしょうが、カテゴリ利用の適正化に向けて確実に大きな一歩を踏み出す形になろうかと存じます。--Doraemonplus会話2024年2月23日 (金) 14:46 (UTC)[返信]
 最終確認 コメント依頼等でも十分に告知し、改名の意義について同意が得られ、本提案(再掲)から1か月間の間に他の方からの反対意見がないため、Sakidayaさんがよろしければ、「過剰なカテゴライズ」への改名を実施したいと存じます。--Doraemonplus会話2024年3月1日 (金) 13:06 (UTC)[返信]
(質問)特に反対はしませんけれど、質問です。改名したら、WP:DP#CAT1の1-1の「Wikipedia:過剰なカテゴリが示す類型……」も「Wikipedia:過剰なカテゴライズが示す類型……」に変更になるのでしょうか。削除依頼で対処の際に、「過剰なカテゴリとして削除」という文言を記述しているので、気になりました(削除理由が変更になってきます)。--柏尾菓子会話2024年3月2日 (土) 06:27 (UTC)[返信]
(回答)本ガイドラインとしては「カテゴライズ」にも対象を拡大しますが、削除の方針においては、ページの削除に関わることのみを扱うことになろうかと思われますので、同方針の文言は「カテゴリ(ページ)」のままでよいのではないかと存じます。改名元はリダイレクトとして残すので、リンク修正も特に不要と考えています。--Doraemonplus会話2024年3月2日 (土) 06:38 (UTC)[返信]
(返信)回答どうもありがとうございます。承知いたしました。--柏尾菓子会話2024年3月2日 (土) 06:44 (UTC)[返信]
ちょっと出遅れた感じですが、私の意見としては、ここは日本語版ウィキペディアなので、できるだけ日本語を使った「過剰なカテゴリ分け」の方が好ましいと思います。「過剰なカテゴライズ」が不適切とも思っていませんので、こちらが多数派なのであれば従います。「動的な名前にした方が良い」という根本の部分で同意見なので。--Bit会話2024年3月4日 (月) 15:04 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。折衷案とした「分け」でも悪くはないのですが、それだと「付け」のニュアンスが出ないので、やはり「カテゴライズ」と、やや意味をぼかした表現の方が、むしろ汎用的で使いよいかなと存じます。--Doraemonplus会話2024年3月5日 (火) 12:30 (UTC)[返信]
やはりカテゴリという言葉はそのまま入れておいたほうが何についてのガイドラインかがわかりやすいと考えるため「過剰なカテゴライズ」の案は賛成しづらいです。ほかに何か良い案はないかと考えていたのですが、現在本文中にある「カテゴリの乱用」を記事名にするのはどうでしょうか。乱用であれば付与も含めた行為を汎用的に表したいという考えにも合っているのではないかと思います。名詞だと動きが出ないとのご意見でしたが動きを表す名詞ですのでそのようなことはないと考えます。--Sakidaya会話2024年3月8日 (金) 20:50 (UTC)[返信]
「過剰な」を削除し、「乱用」とすると、問題の焦点が抽象的になってボヤけてしまうのと、ページ名だけでなく、ガイドラインの内容も大幅に書き換えなくてはならなくなります。
また、当文書は「Wikipedia:過剰なカテゴリ#取るに足らない瑣末な特徴」のような形で引用されることも多々あり、「Wikipedia:カテゴリの乱用#取るに足らない瑣末な特徴」とすると、一見して何のことか理解しにくくなります。
別の折衷案として、イニシャライズを初期化と呼ぶのに倣って、「過度なカテゴリ化」とする案も考えましたが、「カテゴリ化」という表現が表すものをイメージしにくい気がします。
Sakidayaさんとしては譲りがたいところかとは存じますが、やはり「カテゴライズ」が最も明瞭に当ガイドラインの趣旨を表現していると思います。--Doraemonplus会話2024年3月9日 (土) 08:18 (UTC)[返信]

 予告 提案(再掲)から間もなく2か月になります。Sakidayaさん以外の方からは一応の同意を頂いており、これ以上議論を引き延ばしても益を見出せないので、他に適当な名称案がなければ、来月初めにも「Wikipedia:過剰なカテゴライズ」に改名したく存じます。--Doraemonplus会話2024年3月24日 (日) 05:00 (UTC)[返信]

報告 予告通り、改名を実施しました。異議があり再改名される場合は、新たなセクションで議論を起こしてください。--Doraemonplus会話2024年3月31日 (日) 15:29 (UTC)[返信]
@Doraemonplusさん Wikipedia:削除の方針などいくつか重要な方針ページに旧Wikipedia:過剰なカテゴリへのリンクが残存しているようです。本件改名は重大な変更ですので、改名提案者の責任でリンク元修正をお願いします。--むじんくん会話2024年4月17日 (水) 00:34 (UTC)[返信]
返信 (利用者:むじんくんさん宛) 上で「修正しない」と明言していますが……--FlatLanguage会話 / 投稿2024年4月17日 (水) 03:45 (UTC)[返信]
@むじんくんさん FlatLanguageさんご指摘の通り、削除の方針の件に関しては回答済です。その他の方針文書については、リンクを変更すべきか方針ごとに個別に検討してください(削除の方針の例のように、変更する必要のないケースがあるかもしれません)。--Doraemonplus会話2024年4月17日 (水) 09:00 (UTC)[返信]
上のほうでそのようにご回答になったことは把握しました。そもそも1つの方針が他の方針文書で文脈によって「過剰なカテゴリ」と書かれたり「過剰なカテゴライズ」と書かれたりするのは非常に分かりづらいです。表現の工夫をご検討いただければと思います。(改名自体に今から異議を唱える趣旨ではありません)--むじんくん会話2024年4月17日 (水) 09:19 (UTC)[返信]
過剰なカテゴライズになってしまうカテゴリが「過剰なカテゴリ」であって、削除の方針は過剰なカテゴリを削除しようというものなのですから、これで良いのでは?--FlatLanguage会話 / 投稿2024年4月17日 (水) 09:21 (UTC)[返信]
Wikipedia:方針とガイドラインの一覧Wikipedia:Wikipedia名前空間の文書一覧については問題ないと判断し、リンク変更しました。Wikipedia:削除の方針においては「過剰なカテゴライズ」とすると、削除の基準が極端に拡大解釈されるおそれがあるため、差し当たり現状維持とし、保守的な姿勢でいます。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかはどちらでも構わないかと存じます。--Doraemonplus会話2024年4月17日 (水) 11:20 (UTC)[返信]