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Wikipedia‐ノート:進行中の荒らし行為/長期/Peace/temp

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半保護されたページ

お尋ね

500人もの人が全く同じ思想・主張を持ち、同様の記述をするとは思えない(政党が一つ出来ます)。同一人物による行為である事は明白ですよ、Peaceさん。--Gordon S 2006年11月19日 (日) 03:50 (UTC)[返信]

500人って?話が飛躍し過ぎは子供によくあるんだけどアホとちゃうかおまえ(笑)--以上の署名のないコメントは、 136.145.90.21会話/136.145.90.21 Whois)さんが 2006年11月19日 (日) 17:52 (UTC) に投稿したものです。[返信]

署名くらいしましょうね。「500人」ですが、誇張でもなんでもなく実際の数字です。Category:Peaceの操り人形だと疑われるユーザーにリストされている人数を数えてみましょうね。--hashikure 2006年11月19日 (日) 17:58 (UTC)[返信]

事実上このユーザー1名を追放するために策定されたルール

こんにちは。

事実上このユーザー1名を追放するために策定されたルールも存在している。

これはどの文書になるでしょうか?よろしくお願いいたします。--Phew 2007年9月11日 (火) 16:01 (UTC)[返信]

Wikipedia:追放の方針」だと思います。(現在は草案の段階。公式ルール化するため会議中)--220.157.207.207 2007年9月29日 (土) 04:24 (UTC)[返信]
ぼくも疑問に思いました。リンクしてないのは何故?説明だけしてその先を示さないのは変なのでリンクした方がいいんじゃ...。まだ草案だからなのでしょうか(草案でも参考程度にあってもいいと思うんですけど)。 --Mzm5zbC3 2008年2月20日 (水) 16:31 (UTC)[返信]
>>事実上このユーザー1名を追放するために策定されたルールも存在している。
>これはどの文書になるでしょうか?よろしくお願いいたします。
投稿ブロック済みユーザーの別ユーザー名(ID)あるいは別IPアドレスに対する追加ブロック
  • 投稿行動などから(筆者注:荒らし行為を意図的に継続するユーザーと)同一ユーザーであると一定以上の蓋然性をもって推測可能な場合は新たなIPアドレスやIDに対して前回の投稿ブロックと同一理由を持って投稿ブロックを実施しても良いこととします。
  • この場合、緊急性があれば即時投稿ブロックができます(中略)。
  • この利用者による投稿は同一ユーザーであるという蓋然性を理由に差し戻すか、あるいは除去することができます
  • また編集合戦や編集合戦が予想されるために記事を保護する場合、この利用者による投稿は差し戻された状態で保護することになります。
あたりじゃないでしょうか? 合意決定は記事「Wikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針」の2006年10月26日 (木) 11:32の版。--経済準学士 2008年2月27日 (水) 18:58 (UTC)[返信]

根拠のなくピース認定をする方へ

千葉の朝日ネットの可変IP氏が根拠なくやたらと疑いをかけて「進行中のアカウント」に入れています。自分の思想に反する編集をするからと、すべてをピースに認定するのは問題があります。私の場合も、慰安所のノートのところを見ればわかるようにipから必要に迫られてアカウントをつくった経緯があります。しっかり調べてからこのような場へ載せてください。それができず、感覚で載せるようなことをするのならば、それは単なるアラシです。--Mosad12 2008年2月1日 (金) 19:25 (UTC)[返信]

「進行中」アカウントいったん全削除の提案

随分と古いものも混じっており、また、中にはpeace系であるとは断定しがたいものも少なくありません。可読性と正確性確保のため、いったん全部削除しておきませんか? もちろん、新規発生したり復活したりしたら加えていく、ということで。ゆう(matunami) 2008年2月24日 (日) 06:51 (UTC)[返信]

載せるのならば、一応ご本人に連絡をするべきではないでしょうか?嫌がらせで載せられる人間もいます。このような場があることも知らない方もいると思うので、抗弁があるならば主張・除去できるように本人に連絡くらいはすべきと思います。--Namisenjin 2008年2月24日 (日) 09:04 (UTC)[返信]

リスト入りされられて異論がある人は、その人自身がメーリングリストなり出せばいい話と思う。--経済準学士 2008年2月27日 (水) 18:23 (UTC)[返信]
リスト入りされたことに気付かない場合が考えられますので、それはどうでしょうか。ブロックされてから弁解しろと言う事でしょうか?--Namisenjin 2008年2月27日 (水) 19:07 (UTC)[返信]
この場合、勝手に(強引に)除去しようとすると自分に都合が悪いから除去していると思われかねないので除去する場合はしっかりとした合意形成が必要です。特にこのような荒らし報告の場では。反対意見がないからというだけでは合意形成にはならないでしょうね(相当数の賛成票がないと)。 --Mzm5zbC3 2008年2月27日 (水) 18:35 (UTC)[返信]
(追記)再度同じアカウントで除去されていますが、ぼくは既に何度か rv したため、これ以上は 3RR になるので行いません。 --Mzm5zbC3 2008年2月27日 (水) 18:38 (UTC)[返信]
リスト入りさせるのは何の合意も必要なく、除去するには合意が必要なんですか?嫌がらせするには最適なシステムとなってしまう恐れがあると思いますが。少なくとも合意を求めるにしても本人に連絡は必要でしょう。--Namisenjin 2008年2月27日 (水) 19:07 (UTC)[返信]
念のために、ピースをかばってるのではなく私自身が嫌がらせを受けたことがあるので申していることをご理解下さい。--Namisenjin 2008年2月27日 (水) 19:14 (UTC)[返信]
根拠をしっかりさせることの重要性は私も感じますが、少なくともHoleerea氏は私が見ても「ピースっぽさ」がありすぎます。わざとやっているのか?と思うくらいに。もし違うならば疑われないように、「ピースっぽさ(新たなアカウントでピースとされる人の後を追うような編集やこのような場にすぐ出てくること)」をかもし出した行動は慎むべきではないでしょうか。--Namisenjin 2008年2月27日 (水) 19:37 (UTC)[返信]

「明らかな誤認」、あるいは「材料不足」のアカウントが「peace系」として報告されたら、必要と思う方がその方に「お知らせ」すればいいと思います。上の「Holeerea」のような露骨なpeace系にまで「お知らせ」する必要はないでしょう。また、アカウント名報告の時は、単にアカウント名を掲載するだけでなく、私が行ったように、「投稿ブロック依頼」に準じるような形でコメントすることを推奨したいと思います。

なお、最近peace系はやたらと「誤認の可能性」を言い立てるようですが、これは、コミュニティを混乱させて自分へのブロックを遅延させるための「策略」でしょう。本当に「誤認」があるのでしたら、それが一番わかるのはpeace系自身でしょうから、「どこまでが自分であるか」を明らかにした上で、具体的な「誤認アカウント名」を(Wikipediaではなく)メーリングリストに報告すればいいのです。しかし、「Namisenjin氏も疑われたように」なんて、ここまで白々しいことを、普通書くかなあ。

そして、「ブロック解除依頼」などの必要な手続を経て確かに「誤認」であると認定されたら、「名誉回復」の措置をとればいいでしょう。まあ、「わざとpeace系の真似をしてわざと誤認ブロックを受ける」ようなユーザーが万一いたとしたら、ここまで馬鹿なことをするユーザーの「ブロック解除」はおそらくコミュニティの合意を得られないだろうとは思いますが。ゆう(matunami) 2008年2月27日 (水) 22:26 (UTC)[返信]

削除と復帰に関して一言言わせて頂こう。この節で合意が成立していますか?あなたの行為は明白に荒らしです。--124.155.17.147 2008年2月28日 (木) 03:08 (UTC)[返信]

最近peace系は「matunami系」なる大層なレッテルを多用しているようです。私はそんな大物だったのか、という素朴な疑問はさておいて(笑)、明らかに「peace系アラシ対Wikipediaコミュニティ」の対立軸を「peace系対matunami系(なるもの)」の対立軸に矮小化しようとするセコい「策略」ですね。

私は自分では別に「左翼」のつもりはありませんし、「南京事件」に関して「大虐殺派」(これは蔑称ですね)なり「肯定派」なりに分類されることも好みません。私は自分が事実と思うことを自分のサイトに書いているだけの話ですから。(当然、Wikipediaでの編集と自分のサイトの編集とでは、スタンスをはっきりと分けています。Wikipediaでは、「自分が何を編集したいか」よりも「世間は自分にどのような編集を求めるか」を優先するべきでしょう)

それはともかく、もう何度も言っておりますが、Wikipediaは、どんな思想信条を持つ方が編集したっていいのです。愛国党員だって、中核派構成員だって、オウム真理教信者だって、編集に参加して一向に差し支えないのです。ただ一点、「Wikipediaの基本的ルール」さえ守ってもらえれば、という条件付ですが。(まあ、peace系のように自分の思想に固執して「常識の範囲」を逸脱した編集を行えば、当然コミュニティからは歓迎されざることになりますが)

peace系がブロックされ続けている理由は単純です。無期限ブロックを受けながら、別の名前のアカウントを作って登場することを繰り返す、というWikipediaコミュニティを馬鹿にしているとしか思えない行動をとっているからです。そのブロックされた別アカウント数がもう1200を超えているのであれば、これはもうWikipediaにとって大迷惑なアラシでしかないでしょう。

まあ、今後もpeace系が「matunami系」なるレッテル貼りを行うのであれば、すぐに「peace系ソックパペット」である、とバレてしまうだけの話です。ゆう(matunami) 2008年2月28日 (木) 12:31 (UTC)[返信]

進行中アカウントを削除しましたので、この節はクローズします。ゆう(matunami) 2008年2月28日 (木) 12:58 (UTC)[返信]

peace系アカウントか?

ところで、大塚拓‎の今日の編集ですが、不適切記述をしたのもPeace系でしょうか?その様な気もしないでもないですが…。--目蒲東急之介 2008年2月28日 (木) 12:34 (UTC)[返信]

どのアカウントですか? ちょっと見には、特にpeace系っぽいアカウントは見当たりませんでしたが。ゆう(matunami) 2008年2月28日 (木) 12:42 (UTC)[返信]
利用者:Mountainby会話 / 投稿記録 / 記録です。当方で消した「南京の~」と言う書き込みの復帰でそう感じるのですが…。--目蒲東急之介 2008年2月28日 (木) 12:45 (UTC)[返信]
最近彼はいろいろな「偽装」をしますので断定的なことはいえませんが、第一感としては違うような気がします。彼は過去、「プレビュー」を知らないかのような、こんなに細かく切っての編集を行ったことはありません。なおここで編集合戦を行っているこの3アカウントは、たぶん同一人物ですね。お気づきとは思いますが。
  • 2008年2月28日 (木) 16:05 Yuyo11 (会話 | 投稿記録) 新規利用者 ‎
  • 2008年2月28日 (木) 16:09 Logonsasa (会話 | 投稿記録) 新規利用者
  • 2008年2月28日 (木) 16:22 Mountainby (会話 | 投稿記録) 新規利用者
ゆう(matunami) 2008年2月28日 (木) 12:58 (UTC)[返信]
ご報告ありがとうございます。取り敢えず違うと言う事でよろしいですね。--目蒲東急之介 2008年2月28日 (木) 13:00 (UTC)[返信]

「三大方針」は絶対不可侵か?

そもそもpeace系に、「Wikipediaの三大方針の運用」云々について論じる資格はありません。そんなことを言い出すのでしたら、黙ってこう言ってやればいいでしょう。「三大方針を云々する前に、無期限ブロック措置を受けながらソックパペットを使ってWikipediaに登場するという、明らかにコミュニティを馬鹿にした重大なルール違反について、あなたはどう考えているのですか?」 
peace系は過去、これにまともに回答してきませんでした。Wikipediaの編集を行いたいのであれば、Wikipediaのルールに従うべきです。それがいやならばメーリングリストで問題提起をするか、それすらも厭うのであればWikipediaから消えるべきです。そんなpeace系が「Wikipediaのルールに沿っているかどうか」を論じようとすること事態、笑止なことです。
peace系の編集は、単純な誤字の修正など明らかに差戻しにふさわしくないケースを除き、とりあえずは機械的に差し戻して全く構いません。個別の編集内容について、いちいち「差戻しの妥当性」を考える必要はありません。Peace系が勝手に解釈する「三大方針」なるものを考慮する必要もありません。そもそも彼が編集を行うこと自体、「ルール違反」なのですから。
その上で、peace系の編集が有意義であった、と考える方がいるのであれば、peace系の編集を生かした形での再編集が行われることになるでしょう。もっとも過去、私はそのような例を全く思いつきませんが(^^;
もちろん「有意義」かどうかを判断するのは、当のpeace系ではありません。ある程度の投稿履歴を持ち、Wikipediaのルールを熟知し、コミュニティから信頼を得ているユーザーが判断を行うべきであろうと思います。
まあ現実問題として、ほとんど投稿履歴のないアカウントがいきなりpeace系編集へのリバートを始めたら、まず間違いなく「peace系ソックパペットの再登場」と判断していいと思います。ブロック覚悟でそんな馬鹿なことをするユーザーがいるとも思われませんし、現にそのようなことを行ったアカウントがブロックされた後、メーリングリストで「誤認」を訴える例を、私は見たことがありません。
だいたい、「peace系の編集が正しいと考える人が数十名も存在し、それぞれ入れ替わり立ち代わり新規アカウントを作成して、peace系編集を復活して回っている」なんて馬鹿なことが、ありうるはずもないでしょう。
というわけで、「三大方針」を云々したいのでしたら、メーリングリスト等他のところでどうぞ。「三大方針」云々を持ち出すのは、peace系の編集の差戻しを少しでも妨害したいという、peace系の策略でしかありません。
なお上のpeace系の投稿も(「matunami系」なんて「peace語」を使っているところでミエミエなのですが)、当アカウントのブロック後、黙って削除したいと思います。ゆう(matunami) 2008年2月29日 (金) 23:54 (UTC)[返信]


さて、おそらく皆さん、「三大方針」なる言葉でpeace系が何を言いたいのか、さっぱりわからなかったことと思います。無理もありません。Peace系の捻じ曲がった論理とあきれた強弁ぶりに慣れているはずの私ですら、未だによくわからないのですから(^^;

あちこちでのpeace系発言の断片を繋げると、どうも彼は、こう言いたいようです。

1.無期限ブロックされたユーザーだって、どんどんブロック逃れのソックパペットを作成して編集して構わない。(ということを前提にしないと、2が成立しない)

2.そしてそのユーザーが「三大方針」に従って「出典つきの編集」行っている限り、その編集を削除することは、「三大方針」違反である。それには議論の余地はない。(注:「三大方針」という言葉はない。正確には「三つの方針」)

3.「投稿ブロックの方針」3.5「この利用者(注.無期限ブロックユーザーのソックパペット)による投稿は同一ユーザーであるという蓋然性を理由に差し戻すか、あるいは除去することができます」は「日本語版WPはWP財団からの破門もの」。[1]


まともなWikipedia利用者でしたら、ご冗談を、で片付けてしまいそうな言い分ではありますが、一応コメントしておきます。

1.「無期限ブロックユーザー」による編集は、「ブロック逃れ」という重大なルール違反です。そんなことを許したら、「投稿ブロック」の意味がなくなります。・・・なんて当たり前のこと、今更言わないといけないのでしょうか。1回ぐらいなら「ルールがわかっていませんでした。ごめんなさい」も「あり」かもしれませんが、1200回以上(笑)では弁解の余地はありません。

2.Wikipediaにおける「三つの方針」は、「記事を書く時」のルールであり、「記事を削除する時」のルールではありません。従って「三つの方針」は、別にソックパペットの編集を差し戻すことを妨げるものではありません。しかし例えば、「史実を世界に発信する会はラーべを「国民党の御用商人」と表現している」なんてしょーもない編集をしておいて、これは「出典つき」だから削除はルール違反、なんて主張、本気でしていたのかなあ。[2]

3.「投稿ブロックの方針」3.5って、そもそも、本場英語版の「追放の方針」からとったものなのですが。この制定時の議論に参加していた(正確には必死の妨害活動を行っていた)peace系が、そのことを知らないはずがありません。「ごまかし」もいい加減にしてほしいものです。どうしてもご不満であれば、直接英語版に出向いて文句を言ってきてください。


真面目にお相手するような内容ではありませんので、このへんで終わりましょう。Peace系にもし言い分があるのでしたら、メーリングリストでどうぞ。ゆう(matunami) 2008年3月7日 (金) 11:42 (UTC)[返信]

「三大方針」は絶対不可侵か?(その2)

不可侵というより、現状最善の基礎だということです。  どうも、それらの表現は感情的で極論に対して極論をぶつけているように思えます。

1.>「三大方針を云々する前に、無期限ブロック措置を受けながらソックパペットを使ってWikipediaに登場するという、明らかにコミュニティを馬鹿にした重大なルール違反について、あなたはどう考えているのですか?」

『三大方針を云々する前に』というのは、投稿ブロックを受けた立場とか儀礼としては「前に」といえるでしょうが、編集者としては「その後で」とすべきものです。 ウィキペディアは民主主義の実験台ではなく、数でことがらを決めるものではありません。 みんなの智恵と知識を‘集める’ ものであり、それ以上にみんなで‘決める’ もの、というわけではありません。

2.>「三つの方針」は、「記事を書く時」のルールであり、「記事を削除する時」のルールではありません。

これは、独自研究の禁止に抵触します。なぜなら、独自研究の禁止は、表現やその結果の導きに対してもかかってくるからです。禁止されている「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」とは、特定の記事書込だけでなく、似たような意見の人々が集まって項目を編集した場合に、項目全体をそのようにしてしまうことがあります。
項目全体の方向が歪んでいると見て修正しようとしてまともな出典を付けた記事が書かれたとき、その記事を削除するなら、それは全体の歪みを放置しようということでもあります。 それ自体が、独自研究の禁止にかかってくる事柄であり、原則的に微妙な議論が展開されるべきだということです。 
一般によくあることですが、誰が先に問題を起こしたか、は視点によって違います。そこをルールといって決めつける姿は、他の編集者(潜在編集者)に歪んだ印象を伝えやすいでしょう。

3.>本場英語版の「追放の方針」からとったもの

ウィキペディアのルール解釈は、三つの方針が別々ではなく一体だとされているように、かなり面倒です。その精神から具体形を理解する必要があります。単純にとってきたから議論無しでいいというものではないので、反論には足りません。英語版の本来の目的は知りませんが、原則を解釈する姿勢としてそう思います。

 以上は、「原則というものについての考え方」としての意見です。 個々の具体例についてどうだったかといものではありません。 しかし、この項目は現在のウィキの実質方針を解説しているような項目です。そのノートで、原則に対してまちがった考えを読者に受け取らせるわけにはいきません。

 しかし、「投稿ブロックを受けた者は編集できない」ということは、私は否定していません。 これは、基本からは否定も肯定もされず、運営の実情からのルールだと思いますから。  ただ、以上述べてきたように、中立のための三つの方針を守ることは、いつも注意のいることです。そのために議論のノートページという蓄積があります。これらよりも、他人を排除することを優先するというのは、編集者の取るべきことだとは思いません。ゆうさんは以前、ノートからやりとりの記録を抹消するというやり方をしたことがありますね。 そういうふうに意見の集合と蓄積していくことを無視して、労力の軽減を優先する態度というのは、まちがいだと思います。 やりようによっては、多数派の決めつけに使えます。そうでないという証明をする努力は必要です。ノートのやり取りにおいて。

 少し余談ですが、 peace系が1200を超える多重アカウントを数えるというのは、本当に同一人物でしょうか? だれが1200も確認したのでしょうか? 数十名とはいわないが数名いるのでは。それらは同じ穴のむじなというならば、それらの認定は、第三者にとってやたらにレッテルを貼られる行為に見えることでしょう。 ノートの議論において、内容に文句を付けられたとき、そういうレッテル貼りの態度を見せること自体が、対立と紛糾の場となる原因と思います。 --如月の弥 2008年5月4日 (日) 06:22 (UTC)[返信]

大変申し訳ありません。如月の弥さんのご発言、一読してみたのですが、何をおっしゃりたいのか、どうも私の読解力の範囲を超えるようです。簡単にコメントを返しますが、私の理解不足でしたらご容赦ください。
1.私の発言の趣旨は、「そもそもpeace系には、自分の重大な「ルール違反」をさておいて、他人の「三大方針」違反云々を言い立てる資格なぞないだろう」という、単純なことです。ちょっと話が噛み合っていない気がします。
2.申し訳ない。こちらも、ちょっとわかりにくいのですが・・・。
peace系は、自分の編集内容を「投稿ブロックの方針3.5」に基づいて削除されると、「削除は三大方針違反である。「三大方針」は「投稿ブロックの方針3.5」に優先する」という理解に苦しむ主張をしてきたわけです。peace系の無資格編集を削除するのがどうして「独自の研究」になるのでしょうか? 
そもそも如月の弥さんは、peace系のこの主張に賛成なのでしょうか? つまり、「peace系の編集であっても削除は行うべきではない。なぜなら、それは「三大方針」に抵触するからである」というお考えなのでしょうか? ・・・まさか、そんなことはありませんよね。
3.またまた、申し訳ない。こちらも私の理解を超えています。Peace系は、投稿ブロックの方針3.5は「日本語版WPはWP財団からの破門もの」である、と主張しましたよね。私はそれに対して、3.5はそもそも英語版方針の先取りであるので、英語版からの「破門」など問題になるわけがない、と説明したわけです。それだけの話なのですが、一体何が問題なのでしょうか?


>ゆうさんは以前、ノートからやりとりの記録を抹消するというやり方をしたことがありますね。
そんなことをしたら、私は「他者発言の削除」でブロック対象になってしまいます。私は、Peace系に対する「投稿ブロックの方針3.5」の適用以外の「抹消」を行った記憶はないのですが・・・。
それすらも問題である、というのであれば、方針の改訂を提案していただくしかありません。


>peace系が1200を超える多重アカウントを数えるというのは、本当に同一人物でしょうか?
私はpeace系を、Wikipedia登場以前から知っています。彼の議論のクセ、独特の表現、考え方(例えば、極端な右派的思考、あるいは私や一部の方々への剥き出しの敵意)も、かなりの程度、承知しています。「見分けるポイント」のノウハウは一部しか公表していませんが(笑)、私が「認定」に関わった範囲ではおそらく「誤認」は皆無に近いと思います。
私としては可能な限り慎重な認定を行っているつもりですが、神ならぬ身ですので、ひょっとすると「誤認」もありえたかもしれません。もし「誤認」があれば、正式に名乗り出ていただければ積極的に「解除」に賛成する、と私は言っています。しかし今までのところ、そのような例はありません。(まあもっとも、私にさえも区別がつかないレベルでわざとpeace系のクセを真似したユーザーがいたとしたら、あまり同情できないとは思いますが)
なお、私の関与しないところでブロックされているアカウントも多数ありますので、全部が全部同一人物であるかどうかまでは、私にはわかりません。念のためですが、いちいち数えたわけではありませんが、私の実感から言えば、「1200」というのは控えめな数字だと思います。ゆう(matunami) 2008年5月4日 (日) 17:31 (UTC)[返信]
ていねいなご返事ありがとうございます。
読めないとおっしゃるならば、そのわけはたぶん、私が1、2、3の要素ごとに別々に考えているからでしょう。そちらからは、誤読ということになるかもしれません。 たとえば、2についてのことを考えるとき、無資格編集については考えに入れていません。
私はこのページの読者への影響を考えているのです。 「いったいpeace系とはどういうことか? 議論抜きに消されるという本来のウィキペディアの理念に反するような扱いがあるようだが、ウィキペディアの事実上のルールとはどうなっているのか? そういうことを勉強しないといけないな」 と思って読む人が多いと思います。 その人向けに、誤解させたくないということです。
なので、私が取り上げた部分は、取り上げた部分の断片だけが問題です。その断片を原則文のようにうけとられたくないということです。
3についてはかなり枝葉なのであまり繰り返したくないのですが、『反論には足りません。』というのは文言の理解を含めて説明がないと、私はわかったとは思えないのです。三つの方針にしろ、アメリカでさえかなりバラバラのようです。1年ほど前、二つに要約すればいいじゃないかという投票があったが、創立者がそれは根本に関わるといって却下したそうです。 そして、私は単純なルール理解が正しいとは思えない。 「追放の方針」の解釈にも疑問がありますが、それはさておき一般読者に対して、ルールはその精神を考えずに単純に適用していい、とは思わせたくありません。だから、ちょっと言及しました。
「>ゆうさんは以前、ノートからやりとりの記録を抹消する・・」
これは、「ノート:撫順の奇蹟を受け継ぐ会」でのことです。履歴からすると、200.31.42.3 とかメイビ名義の文を削除しています。 ノートからの除去禁止の例外としての個人攻撃の除去 のつもりでしょうが、議論中の批判に対して過敏にもとれます。 peace系ということが念頭になければ、主観的感覚・感情的削除によって会話を中断されたのはこの人のように見えます。 そういうことが、他の編集者には悪影響だと思います。 
理論上、ウィキペディアは個々人の認識限界を超えたところで共同編集がされざるを得ない面がある、とも思います。 peace系というのは共有感覚による認識に観えます。 感覚をもって強制行動を取ることは、まさしくその相手であっても、編集者のあり方として慎重さを見せるべきだと思います。 peace系を急ぎ排除しようとすることで、一見まともな批判さえも聞きたがらないコミュニティだと、他人に思わせる方が問題だと思います。 前述の項目とは別に、そういう印象の項目がありますから。
参考として。三つの方針は深い理解において、ウィキペディアの存在の前提だと、現在の私は思います。それは良識に正しく合うからです。ただ歪んだ解釈もありますね。だから私は、その精神からルールは理解しないといけないと思います。

--如月の弥 2008年5月5日 (月) 04:49 (UTC)[返信]

Jlpokの2008年5月5日 (月) 06:42 (UTC)の発言は削除。Wikipedia:投稿ブロックの方針#投稿ブロック済みユーザーの別ユーザー名(ID)あるいは別IPアドレスに対する追加ブロックに基づく。--Gordon S 2008年5月7日 (水) 11:53 (UTC)[返信]

 私は、上のGordon S氏の行動は、議論無視で一方的な権限の乱用的な投票終結によるものだと考えます。また、投稿ブロックとノートからの削除とは別のものであり、個人攻撃だと客観的に認定するのは無茶というものです。これでは、Jlpok氏の主張が正しかったということになってしまいます。
 したがって、いまやJlpok氏の主張を私が再録すべきであると考え、元々書かれた位置であるここに、以下に再録します。細かいところまで私は意見が同じとは限りませんが、まったく問題のない文章だと思います。リンク先の実例については、いちいち確認していません。個々の例の感覚的違いは別として、これは言論に適っているので削除は言論破壊に通じてしまうということです。 これのどこがノート削除に当たる個人攻撃だというのでしょう?
――――再録開始――――
 Wikipedia:井戸端/subj/「三大方針」は絶対不可侵か?で絶対不可侵を主張する方々の意見を読むと、ゆう(matunami)さんは彼らの意見を曲解しておられるようです。「無期限ブロックされた者の編集であっても、それを差し戻すことによって三大方針が損なわれたり、記事の劣化を招くような場合は、差し戻すべきではない」という趣旨でしょう。これは「議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません」と明示されている絶対的な方針に則するものです。取るに足らない編集は差し戻しても三大方針に抵触するものではなく「投稿ブロックの方針」3.5が適用できます。ゆう(matunami)さんの意見は無期限ブロックされた者の編集は価値のあるなしに拘わらず「何が何でも削除する」といっているだけで、それは「三大方針」に替えて「投稿ブロックの方針」3.5を絶対不可侵の位置にすり替えてしまっていてウィキペディアの方針の曲解です。その方針でさえ、差し戻すことが「できる」と書いているだけです。出典付記された記事さえ差し戻しているこのようなケースは明らかに記事の破壊が行われ価値が後退してしまっています。[3][4]
結果的に、「ゆう(matunami)さんや朝日ネット匿名IP群Wikipedia:投稿ブロック依頼/朝日ネット(千葉県)の行為はウィキペディアの記事を劣化させ、破壊を促進している」ということです。
Jlpok 2008年5月5日 (月) 06:42 (UTC)[返信]
思想弾圧的な行為の報告もあるとの指摘(Yhiroyukiさん)もされています。Jlpok 2008年5月6日 (火) 09:15 (UTC)[返信]
劣化、破壊されている記事
「無期限ブロックされた者の編集であっても、それを差し戻すことによって三大方針が損なわれたり、記事の劣化を招くような場合は、差し戻すべきではない」という趣旨に無理解な利用者の「無期限ブロックされた者の編集は意義のあるなしに拘わらず何が何でも削除する」行為から生じた記事の劣化、破壊されている項目の一部です。出典付与の記事まで差し戻しているケースも見られます。
――――以上、再録終わりです。――――
ここでの議論は、投稿ブロック投票が議論にならない惨憺たる結果になったり、ゆうさんとのやりとりが無理解のままに終わったりで、限られた人達相手では、議論の決着をつけようなどとは無益な徒労になりそうです。 常識を持った人達が少しづつやってきて読んでもらえることを期待して、文を置いておきます。 

--如月の弥 2008年5月8日 (木) 10:14 (UTC)[返信]

peace系アラシへの対処について

膨大になりますので、新しい節を立てます。

ええと、まず、私がどのような内容を抹消したのかを、確認しておきましょう。

<メイビ>

>えーと主語が曖昧でして「おかしなrevertを繰り返している方」とは加筆側から見ると削除リバート側のWatanabe氏とMatunami氏しかいないのですが。もしかして主語には私のことも含んでいるんでしょうか?そもそもpeace系という利用者を存じていません。Matunami氏の履歴を確認しましたけど議論で自論が支離滅裂になったり、行き詰まった時点で記事の内容とは全くの無関係な話をもちだして窮地を脱出する悪い癖が身についている方のようです。率直に言って第二次上海事変や松井岩根のノートの議論を確認しましても自論が「おかしい」と自分で気付いて最後はお逃げになっている印象が否めません。
>ということで左翼系掲示板「思考錯誤」の常連組と言われているWatanabe氏(Matunami氏が常連組というのは何かの書き込みで知っていました)との対話のために、その妨害となる記事の内容とは無関係の「リバートの理由」は分けさせていただきました。そうした無関係なお話は主語を明確にしてそれぞれの利用者会話ページで愚痴ってください。Watanabe氏との対話にあたってのお願いです。Matunami氏に言っておくことはこれ以上ありません。ではご自分のHPへお帰りください。メイビ 2007年6月12日 (火) 14:45 (UTC)


そして、このアカウント「メイビ」の発言をわざわざ復活したのが、「200.31.423」。明らかなオープンプロキシです。

左翼系掲示板「思考錯誤」の常連なら嘘を平気でつく連中の集まり。先に他者の発言を削除しているのはMatunamiて履歴から一目瞭然ですが


いずれも明らかなpeace系ですので、削除にはルール上何の問題もありません。Peace系にはそもそも編集する資格がないのですから。

だいたい、上のような口汚い個人攻撃発言・暴言を、わざわざ残しておく必要もないでしょう。上の発言が、「よりよい記事を作っていく」ために何か役に立っている、だからぜひとも残すべきだ、と本当にお考えですか? この「削除」がどうして問題視されるのか、私には理解できません。ゆう(matunami) 2008年5月5日 (月) 19:30 (UTC)[返信]


「投稿ブロックの方針3.5」の成立過程は、ご存知かと思います。成立以前は、peace系がどのような無意味ないやがらせ・議論を混乱させることを目的とした撹乱発言を行っても、いちいちそれにきちんと対処しなければなりませんでした。

例えば、私のノートページの過去ログをご覧ください[10]。私はこんな露骨な「いやがらせ」に対して、膨大な時間を費やして対応せざるをえませんでした。他の方々にとっても事情は同様でしょう。皆さんがこの無駄な時間を編集作業に回すことができたら、Wikipediaの充実に、一層の貢献ができたはずです。

そもそも編集の資格など持たない無期限ブロックアラシユーザーに対して、なんでいちいち議論に応じてあげないといけないのか。この思いはコミュニティでも同じだったようで、私の「3.5項追加」提案は、約1か月にわたる侃々諤々の議論の末、最終的には35対3という圧倒的大差で可決されています。 

今のpeace系の活動を効率的に封じ込めているのが、この「投稿ブロックの方針3.5」でしょう。彼にとって、このルールは邪魔で仕方がないはずです。ルール制定時にも、必死の妨害活動を行いました。(ここにも、peace系とおぼしきユーザーが登場してきましたね(笑) 一瞬、私のことを「アサヒネットユーザー」と言っているのかと錯覚してしまいました(^^;)ゆう(matunami) 2008年5月5日 (月) 19:30 (UTC)[返信]


「アラシ」対策として、よほど差戻し・削除に問題があるケースを除き、無資格編集はただちに差戻し・削除を行って差し支えない、と私は考えています。どうしても発言をしたいのであればメーリングリストで行うべきであり、Wikipediaの編集をしたいのであれば正式にブロック解除依頼を行うべきです。これは、きちんとルールを守って編集を自粛し、MLで「解除依頼」を行っている方々を馬鹿にした行為である、と思います。

peace系の編集が「よりよい記事」を作成する上で大変有効である、あるいは「差し戻し」によって記事が劣化する、と考えるユーザーがいるのでしたら、その方が差戻されたpeace系の編集を復活してあげればいいだけの話です。

しかし私の知る限り、peace系の編集は「単なるアラシ」か、「自分のイデオロギーの宣伝」か、せいぜい「あってもなくてもたいした問題ではない」レベルでしかありません。また、まともなユーザーが、peace系の記述を必要不可欠なものとみなして、積極的に支持して復活してあげた、という例も知りません。Wikipediaを活動の主舞台としていない私ですら、この程度の新規記事執筆はするのですが[11][12]彼がこのレベルの編集を行うのを、私は見たことがありません。

まさか上のような「口汚い個人攻撃・暴言」を、わざわざ復活するようなユーザーもいないでしょう。

(ついでですが、もし「アラシの無資格編集についても、残すべきかどうか一件一件個別に検討すべきである」ということになったら、それこそ彼の思うツボでしょう。彼はそれを口実に、一件一件に対して「説明」を求めてきます。そして昔のように、その「説明」に膨大な時間を費やすことになります。何で無資格編集者を相手にそんな「説明」をしなければならないのか、馬鹿馬鹿しく思うのは私ばかりではないでしょう)ゆう(matunami) 2008年5月5日 (月) 19:30 (UTC)[返信]


さて、如月の弥さんの発言に移りたいのですが、相変わらず、趣旨がよくわかりません。僭越ながら、最初に3行ぐらいで「自分の言いたいこと」を要約する。その後に、その「趣旨説明」を行う。そんな書き方をしてみてはいかがでしょうか。

私の発言を、いま一度要約します。

1.編集資格を持たないで「ルール違反」を繰り返すような輩に、そもそも他人の「ルール違反」を咎める資格はないだろう。

2.「投稿ブロックの方針3.5」を「三つの方針」と対立するように書くのは、明らかにおかしい。「三つの方針」に沿って記事を書くのは当り前の話で、それすらもしなかったら問題外。peace系が「三つの方針」を遵守した編集を行ったとしても、それは「無資格編集の削除」を禁止する理由にはなりえない。

3.Peace系は、「3.5」は英語版から非難されるような書き方をしているが、もともと「3.5」は英語版にあるルールの先取りに過ぎず、非難されるわけがない。

以上、別に私は記事を書く時に「三つの方針」を遵守する必要はない、と言っているわけではないのですが。また、そのように誤読するユーザーもいないでしょう。

ついでですが、「三つの方針にしろ、アメリカでさえかなりバラバラのようです」とありますが、「追放の方針」中「無資格編集の差戻し」についても「バラバラ」の意見があるのでしょうか? ないのであれば私の「3」への批判材料にはなりえませんし、例えあったとしても、現実に「改訂」が行われるまでは「英語版から非難を受ける」材料にはなりえませんよね。ゆう(matunami) 2008年5月5日 (月) 19:30 (UTC)[返信]

私の趣旨が通じていないようです。私はブロックのやり方の大きな方法よりも、その実行が荒っぽくなって、ウィキペディア編集の信頼性を落とし、質のいい編集者が近づかなくなってしまう危険を問題視しています。 あなたに何かを翻すことを求めているのではなく、実行において注意は大切であり、コミュニティのためのルールだといいさえすれば内容の議論を軽んじて見せてもいいとは一概に言えない、という――つまり、慎重さの――了解確認ができればいいのです。 あなた自身の個人行動に慎重さを求めているというよりも、これを読む人々に、「慎重さなんてばからしい」というメッセージが伝わらなければいいのです。
私の文意が通じないなら、以下のように書いていることを、再考ください。
>私が1、2、3の要素ごとに別々に考えているからでしょう 
>私はこのページの読者への影響を考えているのです。・・勉強しないといけないな」 と思って読む人・・向けに、誤解させたくないということです。
>私が取り上げた部分は、取り上げた部分の断片だけが問題です。その断片を原則文のようにうけとられたくないということです
>peace系ということが念頭になければ、主観的感覚・感情的削除によって会話を中断されたのはこの人のように見えます。 そういうことが、他の編集者には悪影響だと思います。
>(英語版との関連)一般読者に対して、ルールはその精神を考えずに単純に適用していい、とは思わせたくありません。だから、ちょっと言及しました。
 私は今peace系を弁護しているというわけではありません。実際、労力の節約というのは重要な問題です。
 ただ、顔の見えないネットにおいて、ある一人は一時的近似的にその人に似た別の誰かの象徴でもあります。 だから感覚的に相手をすぐはねつけて議論をブロックしてしまう風景に見えてはいけない。そのような注意が必要だということです。追放が問題なのではありません。 それまでの会話として、議論をしたくない人々の集まる項目だと、ノート読者に見せることが、悪影響を与えると言うのです。 三つの方針による根拠の議論に入ろうとせずに追放したがるという風景になれば危険です。
 そのような風景を観たことがあります。 また、アラシや紛糾を防ぐローカルルールにこだわって、大切な中立性を否定する講造にはまっていることも見られます。 その結果、狭い人間達の編集コミュニティとなり、結局労力負担が増えていくことになる、と分析しています。

--如月の弥 2008年5月6日 (火) 06:35 (UTC)[返信]

 追伸。
 メイビ氏の文ですが、残しておく価値はなくてもふつに耐えられないほどにも思えません。ノートを削除するというタブーに近い行動を取るというのは、激烈な選択だと思います。ゆう氏自身の個人的な感覚は別として、peace系という名で対話を拒否されたりする風景にまた一つこういう事柄が加わるというのは、悪影響を想像します。
 追伸2
 膨大な労力を取られるとか、感覚的に汚い、という相手にかかずらった経験は私もありますが。

--如月の弥 2008年5月6日 (火) 07:49 (UTC)[返信]

1.私はブロックのやり方の大きな方法よりも、その実行が荒っぽくなって、ウィキペディア編集の信頼性を落とし、質のいい編集者が近づかなくなってしまう危険を問題視しています。実行において注意は大切であり、コミュニティのためのルールだといいさえすれば内容の議論を軽んじて見せてもいいとは一概に言えない

2.感覚的に相手をすぐはねつけて議論をブロックしてしまう風景に見えてはいけない。そのような注意が必要だということです。追放が問題なのではありません。三つの方針による根拠の議論に入ろうとせずに追放したがるという風景になれば危険です。

如月の月さんのレスから一部抜粋してみましたが、このあたりが、如月の月さんの主張の要点であると理解しました。


逆にお伺いしたいのですが、では、具体的にどうすればよろしいのでしょうか?

私は、上のメイビなるアカウントの愚にもつかないアラシレスに、いちいち時間をとって、一生懸命にお答えしなければいけなかったのでしょうか? これからも、会話ページにアラシのように押し寄せるいやがらせに、相手の言い分をシャットアウトするまで必死に議論しなければいけないのでしょうか?

彼がきちんとした編集資格を持つユーザーであれば私にはお相手をする義務が生じますが、無資格編集者に対してそんな無駄な時間を費やしたくはありません。当事者としては、勘弁してくださいよ、としか言いようがありません。


peace系がどんなとんでもないユーザーであるかは、十分にコミュニティに知れ渡っていると思います。Peace系の発言をシャットアウトしたからと言って、それがコミュニティに悪影響を及ぼすとは、私には思われません。

コミュニティのルールを守ろうとせず、アラシ行為を繰り返すユーザーに対しては、「編集資格がない」ことをきちんと示すしかないでしょう。無期限ブロックをされてもゲリラ的に登場してコミュニティで発言できるんだ、という印象を与える方が、はるかにコミュニティに悪影響を与えると思います。


もしpeace系の意見が正しいと思う方がいるのであれば、それを引き継いで、自分の言葉で議論すればいいのです。Peace系の発言はもっともだ、というご意見であれば、如月の弥さんがそれを「自分の言葉」に翻訳して、問題提起を行えばいいのです。

おそらくpeace系は、また「便乗発言」を行ってくると思います。編集資格のない幽霊さんを相手に議論を行うような無駄を、私はしたくありません。今後も続くようであれば、正式に投稿ブロック依頼を提出して、その発言は「投稿ブロックの方針3.5」に基づき削除します。幽霊さん相手に議論を続けることの強要は、どうぞご容赦いただきたいと思います。


>メイビ氏の文ですが、残しておく価値はなくても耐えられないほどにも思えません。ノートを削除するというタブーに近い行動を取るというのは、激烈な選択だと思います。ゆう氏自身の個人的な感覚は別として、peace系という名で対話を拒否されたりする風景にまた一つこういう事柄が加わるというのは、悪影響を思わざるを得ません。

「耐えられるかどうか」という問題ではないし、また「耐えられるかどうか」を判定するのは当事者である私であり、如月の弥さんではないと思います。私は、「これに対して、時間をとって議論に応じる価値があるのですか?」と問うています。

>ノートを削除するというタブーに近い行動を取るというのは、激烈な選択だと思います。

とのことですが、では、無期限ブロックを受けたユーザーであっても自由に発言してもいい、とお考えなのでしょうか? ここまで露骨なルール違反を放置していい、というお考えなのでしょうか? その方が、はるかにコミュニティに悪影響をもたらすと思います。

なお、「peace系という名で」とありますが、私が勝手にpeace系と認定して削除したかのような書き方は、やめていただけないでしょうか。私は削除を行う場合には、管理者による正式判定を待ちます。管理者が「peace系」の名で投稿ブロックを行ったら、これはコミュニティとしての正式判定である、と考えて差し支えないと思います。

なお、万一違った場合には、MLによる救済、という制度も存在しますよね。その「権利」を行使しない以上、このアカウントは「判定」を受け入れた、と考えるべきでしょう。ゆう(matunami) 2008年5月6日 (火) 07:57 (UTC)[返信]


 あまり考えずにかんたんに書いてみます。これだけで済むかも知れないので。
>では、具体的にどうすればよろしいのでしょうか?
慎重さは大切だという確認了解を取れれば、ここではいいのです。個々の場合に、十分だと考えるかどうかは、その場によって人によって違います。 ゆうさんの直前の意見2008年5月6日 (火) 07:57 の具体的なことに対して、結論をここで出して、こうすべきだと考えるのは難しく、またできたとしてもうまく実行されないだろうと思います。(他人から見て激烈だとか、話が通じないのはどちらが先か、その程度のバランスはどっちがどれだけか、・・などという感覚は、主観や場所によって違いますね)。
 ただそれらを、ルールだといって処理するだけの姿勢でなく、個々の場合で考え直す感覚が常にあるべきだといことです。 つまり慎重さの微妙な一線という感覚が大事だとこのページに書き置きたかったのです。しょせん感覚に頼って判断することを、しっかりしたルールにはしきれないと思います。 そして、ウィキペディアの命である議論はひどく感覚に弱いのが現状のようです。
 その感覚の一線として、議論を大事にしていると他人に見せる感覚が、大事だと思います。 議論こそが目的であり、アラシの追放は手段なのですから。
 私は、これ以後、あるいは別の場所で、具体的に別の主張や意見を出すこともあるかも知れませんが、それはまた別の話です。
>私が勝手にpeace系と認定して削除したかのような書き方は、やめていただけないでしょうか。・・管理者による正式判定を待ちます。
了解しました。 個々の場合よりも、ここでの表現が気になっているので関係ないことですし。

--如月の弥 2008年5月6日 (火) 09:27 (UTC)[返信]


そろそろお終いのようですので、簡単に。

1.最初如月の弥さんは、私がアカウントメイビの書き込みを削除したことを問題視されていたと思います。私はそれに対して、こんなのを残しておいて、いちいちお返事しないといけないのでしょうか、と問いかけました。この点については、取り下げていただいたものと理解します。

2.私の主張の要点は2つです。Peace系の無資格編集を削除してもルール上何ら問題はなく、かつコミュニティの秩序の維持に適合する行為であること。またこれは、本来Wikipediaに登場する資格を持たないpeace系に対応する莫大な時間の無駄を排する効果もあり、Wikipediaの記事充実に貢献することが可能であること。必ずしも如月の弥さんのご意見とは一致しないかもしれませんが、十分コミュニティの支持を受けることが可能な主張であると思っています。

3.「慎重さは大切だという確認了解を取れれば、ここではいいのです」とありますが、私はpeace系対応は慎重に行っているつもりです。対応を間違えば、逆に私の方がコミュニティの批判を受けることになりますので。

4.下に登場したpeace系については、投稿ブロック依頼を提出しました。前に書きましたように幽霊さん相手の議論で時間を無駄にしたくありませんので、ブロック後、削除を行います。ご了解ください。(そもそも彼は、「無期限ブロックユーザーであっても自由に編集していい」って考えているのかなあ)。もし万一peace系の意見に理があるとお考えでしたら、如月の弥さんが議論を引き継ぐことは差し支えありません。ゆう(matunami) 2008年5月6日 (火) 20:27 (UTC)[返信]

1.その理解で結構です。
2.コミュニティの支持は議論の誠意の姿勢を、覗いた人に見せてこそ、認められるということです。コミュニティのために百科事典があるのではありません。
3.ゆう氏個人の過去の行動は対象ではありません。このページを読んだ他人がどう受け取るかの問題です。
4.>下に登場したpeace系については、投稿ブロック依頼を提出しました
その行動は、他人の意見を消し去ろうという危険な表現です。 それが問題なのです。 まともな人が相手にしない意見だというなら、返事をせずに放置すればいいでしょう。 現在たまたま支持者が顔を見せないだけということも十分あります。 あとでそういう人が現れたとき、「意見を出すには怖い場所だ」と思うことになりそうなことをするべきではありません。

--如月の弥 2008年5月7日 (水) 09:11 (UTC)[返信]

追伸。
結局、ゆうさんにはわかってもらえない、と思えます。わかってくれるようなら、私が「議論を大事にしていると他人に見せる感覚」が大事だと書いている直後に、この場でこんなに早く、Jlpok氏をブロックしたがる行動はとらないでしょう。
わかってもらえているならば、Jlpok個人をブロックしても、その内容は別に聞き置けるはずですが、私が、「慎重さを求める」とだけ書いて小さく満足したら、今までJlpok氏の書いた内容は無効になる、というようなものですね。 私は、表現はともかく、Jlpok氏と同類の危険を書いてきたはずですが。
私も説得を成功させようとは期待しません。ただ、そうでない考えの者がいる、とここで表明することが基本にありました。とりあえず文を対置すればいいです。
他の人たちがどう判断していくのか、そういう流れを見ながら、ゆっくりと、続けるかどうかなども含めて判断します。--如月の弥 2008年5月7日 (水) 09:40 (UTC)[返信]


無用な差し戻しについて

以下、本節のJlpokの発言は全て削除。Wikipedia:投稿ブロックの方針#投稿ブロック済みユーザーの別ユーザー名(ID)あるいは別IPアドレスに対する追加ブロックに基づく。Gordon S 2008年5月7日 (水) 11:47 (UTC)[返信]

なにやら、この Jlpok氏の書込までブロックの対象にしたいということで、私としてはここの小節の趣旨に賛同することを表明します。表現の程度がいちいち同じとは限りませんが、そういう危惧を共有しています。

--如月の弥 2008年5月7日 (水) 09:15 (UTC)[返信]

ブロックの理由は、このページでのPeace系の弁護であることと、初心者とは思えないということだそうですが、それならば、私がウィキペディアの編集でうんざりして改名して書き込んだときにも、手厳しい表現で書いたらPeace系認定ということになります。これが特定人物を認定する基準ですか。
ゆうさん個人は、ブロック賛同者の中では最も慎重な発言者でしたし、私に連絡はしてくれましたが他の人は、連絡の必要無しなどと書いたり、私も疑われるぞ、というかのような?発言があります。 これは、普通の人には恐怖や圧迫を感じることでしょう。 抱いていた危惧以上の風景だと言えます。
Wikipedia:投稿ブロック依頼 2008年5月

--如月の弥 2008年5月7日 (水) 11:21 (UTC) >それならば、私がウィキペディアの編集でうんざりして改名して書き込んだときにも、手厳しい表現で書いたらPeace系認定ということになります[返信]

普通のユーザーは、「わざとpeace系の真似をして自らブロックとなるリスクを冒す」ような、馬鹿なことはしないと思います。また、そのような無茶な行動を行うユーザーに、コミュニティが同情することはないでしょう。

アカウントjipokのブロック理由は、一目瞭然、無期限ブロックアラシユーザー、peace系のソックパペットだからです。今から予言しておきますが、これからしばらく、このノートページには、入れ替わり立ち代り、同じような発言をする新参アカウントが登場することでしょう。それは間違いなく、jipok=peace系の「生れ変り」です。

・・・と先回りに書いておけば、peace系が普通の感覚を持っていれば、もう再登場を断念するところなのですが。さて、どうなりますことやら。ゆう(matunami) 2008年5月7日 (水) 13:41 (UTC)[返信]

Q101の2008年5月7日 (水) 20:22 (UTC)における発言は削除。Wikipedia:投稿ブロックの方針#投稿ブロック済みユーザーの別ユーザー名(ID)あるいは別IPアドレスに対する追加ブロックに基づく。--Gordon S 2008年5月8日 (木) 04:39 (UTC)[返信]
>わざとpeace系の真似をして自らブロックとなるリスクを冒す」ような、馬鹿なことはしないと思います
ということは、普通の人は、恐れを為して似たことを書き込むことから逃げてしまうから大丈夫、ということですよ。 それは、他人から見て恐怖政治に相当します。--如月の弥 2008年5月8日 (木) 09:14 (UTC)[返信]

 向こう(Wikipedia:投稿ブロック依頼/Jlpok)では議論を封じるかのように強引に決着をさせたの海獺氏のせいで、続きができないので、ことらでまとめ直しましょう。  以下のことです。

 追放の理由はつまり、(1)ゆう氏の論敵である、(2)いままで正しいと思ってやってきたことの方向性を手厳しく攻撃されて傷ついた、(3)素人ではない、故に議論の敵である、――という論法ですね。 客観的にいって、議論にならない攻撃を受けたという理由になり得ません。
 ことに(1)については、このページは、ウィキペディアのシステム上、今までの追放のルールが正しかったかを再論議できる場所として位置づけられるはず。 ( 少なくとも、一般にはそのようにしか見えません。 追放賛同のひとたちは、追放理由を説明して広める場所としか考えてないかのようですが、ウィキペディアは公開された議論で公正さを担保するのが基本のはずです。) その特別の場で、主観感覚的に敵を決め、共有主観者の数を持って時を待たずに一気に論敵を追放しようとするなら、 ウィキペディアの公正のシステムは破壊されてしまうことになります。--如月の弥 2008年5月8日 (木) 09:39 (UTC)[返信]


まず、ブロック審議における如月の弥さんのご発言からです。
>これは私の意見に対する無言の強制圧力に等しいと言えます。 そのページとこことを共に読む人は、真の標的は私と私の意見にうなづく人々だと、思うことでしょう。


違います。私はそんなセコイことは考えておりません(笑)。
これまでのところ、如月の弥さんとの間では、お互い、そんなに不快感を与えるようなやりとりはしていないと思います。であれば、「合意」までは難しいとしても、ある程度私の気持ちをわかっていただける可能性があるのではないか。
私は今、そんなことを考えています。


彼の行動については、今さら説明するまでもないでしょう。
私の投稿履歴を追いかけて回って、片っ端からリバートして回る。あまり無茶なリバートを行うので抗議すると、わけのわからない議論をふっかけられる。その議論は、「反日」やら「歴史捏造」やら「サヨク」やら、暴言とレッテル貼りのオンパレード。そして、私のノートページに、うんざりするくらい執拗ないやがらせを行う。


当初の経緯からお話しますと、別に私がpeace系を攻撃したわけではありません。私は「編集」を行いにWikipediaにいるわけですから、できればpeace系なんぞとは無関係に済ませたい。でもpeace系にとって、私は不倶戴天の敵らしいのです。
私と彼とのWikipediaでの初接触は、「済南事件」ノートでのことでした[13]。見てください。「反日」「ダブルスタンダード丸出し」「真っ当な社会人になっていただきます様にお祈りしております」「単なる反日の為のご都合主義」「支離滅裂なご都合可変脳内」云々、云々。
私は、こんな暴言に耐えて議論に応じなければならなかったのです。


そしてそのpeace系は、無期限ブロック措置を受けながら数限りないソックパペット群を作成してWikipediaコミュニティを混乱させる、とんでもないアラシユーザーなのです。何で、膨大な時間と手間を費やして、こんな奴の相手をしなければならないのかなあ。
如月の弥さんには、こんな気持ち、わかりませんか? それでも、とんでもない時間と手間の無駄を覚悟して、議論に応じるべきだ、と言いますか?ゆう(matunami) 2008年5月8日 (木) 11:51 (UTC)[返信]


ものすごく、単純なことを質問します。
如月の弥さんは、無期限ブロックをされたユーザーであっても、どんどん別アカウントを作って自由に編集して構わない、とお考えですか? そして一度編集してしまったら、それは「既得権益」化してしまい、よっぽどのことがない限り削除なり差戻しなりをするべきではない、とお考えですか?
これまでの私とのやりとりを拝見すると、如月の弥さんは、そのような考えに立っているとしか思えないのですが。少なくともこれは、コミュニティとの考えとは違うものだと思います。ゆう(matunami) 2008年5月8日 (木) 11:51 (UTC)[返信]
そして、「論敵」だなんて、まるで私とpeace系が対等であるかのような言い方、やめていただけませんか?
Wikipediaコミュニティから嫌悪されているアラシユーザーと、それなりに記事編集でWikipediaに貢献している私が、どうして対等に扱わなければならないのでしょうか? 私としては、大変不本意な言われ方です。


で、これですが、全然違います。
>追放の理由はつまり、(1)ゆう氏の論敵である、(2)いままで正しいと思ってやってきたことの方向性を手厳しく攻撃されて傷ついた、(3)素人ではない、故に議論の敵である、――という論法ですね。(如月の弥さん)


「ブロック対象になりうるかどうか」という判断基準は、極めて簡単です。無期限ブロックユーザーの「生れ変り」であるかどうか。それだけです。
「生れ変り」であれば、ルールに則って再びブロックされることになります。そして、このアカウントはブロックされました。それだけの話です。


私の依頼理由は、「ソックパペットと判断できるか」という一点に絞っています。そしてみなさんも、私の見方に賛成してくれました。
如月の弥さんのご意見を見ると、どうもその肝心なポイントを外している。如月の弥さんがブロックに反対するのであれば、いや、そんな断定はできない、という材料を持ってこなければならなかったのです。
如月の弥さんのご意見が誰からも支持されなかったのは、別に皆さんが如月の弥さんに含むところがあるからではありません。その「反対理由」が、場の論点を察しない、全く的外れなものであったからです。


海瀬さんは別に強引に議論を決着させたわけではありません。無期限ブロックユーザーの生れ変りであればブロックされる。管理者として、コミュニティの基本ルールに忠実な処理を行っただけの話です。
「ルールを守らせる」という当り前のことを行った管理者に対して、あまりに失礼な言い方だと思います。老婆心ながら、きちんと謝罪しておいた方がよろしいかと存じます。


多少、言葉が荒くなったかもしれませんが、ご容赦ください。以上、ご一考いただければ幸いです。ゆう(matunami) 2008年5月8日 (木) 11:51 (UTC)[返信]
私の重視している点はまったく存在が無視されているようで困ったことです。
ともかく、具体的な正しさの判断の前に、ウィキペディアの公正は、議論という極めて感覚に流されやすくまた感覚を超越したものによって、支えられているということです。それは、公正を表現し続けなければ、かんたんに壊れてしまうものです。 このあやふやな次元にあって、正しいと思って勢い込むことは、独善に通じます。 完全に正しい基準体系の忠実なバリエーションが、本当に正しいとは限らないのが、論理の常識です。
その視点からルールを理解するという基本的に絶対必要な姿勢がないのは困ります。 自分は敵をやっつけているんだ、それ以外のことは考えていないんだ、というだけではね。
私は議論を大切にする人には礼儀を守るつもりですが、不注意のせいでも、そうでない人への批判について、感情的な部分を反省したとしても、一方的な謝罪はしません。
お互いに、労力の消耗は避けたいところです。 悪意がない相手であっても、無益に長引くことは結構あります。 「コミュニティ」という言葉の意味やら、基本的にルール解釈が間違っていると思いますが、 基本的には日を置きながらゆっくりやっていきます。 私から見れば、公正さの感覚視点がある人が見ればかんたんにわかるはずだと思うことが、見えない人には見えない、としか、今は言いようがないです。--如月の弥 2008年5月9日 (金) 16:33 (UTC)[返信]


ええと、私の質問は、一体どこに行ってしまったのでしょうか?
>ものすごく、単純なことを質問します。
>如月の弥さんは、無期限ブロックをされたユーザーであっても、どんどん別アカウントを作って自由に編集して構わない、とお考えですか? そして一度編集してしまったら、それは「既得権益」化してしまい、よっぽどのことがない限り削除なり差戻しなりをするべきではない、とお考えですか?
これが、本件の議論にとって、一番のキーポイントであるはずです。


無期限ブロックユーザーがソックパペットを作成して登場する行為が問題であることは、いちいち議論する必要もないでしょう。そんなことを許したら、そもそも「投稿ブロック」の意味がなくなります。
そして、そのような無資格ユーザーが行った編集は、原則として差戻されるべきです。「差戻し」が許されず、その編集が既得権益化してしまうのであれば、無期限ブロックユーザーのルール違反編集は「やり得」ということになってしまい、そもそも「投稿ブロック」の制度が空洞化してしまいます。


「劣化した記事」なるものがpeace系のご自慢の編集らしいですが(笑)、彼は、この程度の編集で、自分の「ルール違反」行為を帳消しにできるとでも思っているのでしょうか。まあ、もしこの編集が優れたものであると思う方がいるのであれば、その方が差戻された編集を戻してあげればいいだけの話です。
繰り返しますが、彼が意見を言いたいのであれば、メーリングリストで発言すべきです。Wikipediaで発言なり編集なりを行いたいのであれば、解除申請を行うべきです。それを行わずにアラシを繰り返すのは、コミュニティを馬鹿にした行為である、と思います。ゆう(matunami) 2008年5月9日 (金) 21:25 (UTC)[返信]


で、こちらの方にもお返事はありませんでした。
>それでも、とんでもない時間と手間の無駄を覚悟して、議論に応じるべきだ、と言いますか?
私は、peace系なんぞと、ただ消耗するだけの虚しい議論をしたいとは思いません。彼の目的は単なるストーカー的「いやがらせ」であり、どんなに自分の論拠が崩壊しても、ひたすら自論を繰り返して相手を消耗させようとします。こんなのにおつきあいしたら、自分の編集活動ができなくなります。
だから私は、私を含む投稿者の編集活動への妨害を排除すべく、「投稿ブロックの方針3.5」の付加を提案しました。この提案は、35対3、賛成率90%以上の高率で成立したことを、確認しておきます。


繰り返します。彼が発言をしたいのであれば、メーリングリストを使うべきです。Wikipediaでの無資格編集については、私はこれからも遠慮なく「差戻し」を行います。
如月の弥さんが、どうしてこのようなアラシの活動を許容しようとするのか。私には、不思議でなりません。ゆう(matunami) 2008年5月9日 (金) 21:25 (UTC)[返信]

追加です。どうせ上のpeace系アカウントはすぐにブロックを受けるでしょうから、無視します。

・命題A ブロック措置を受けたユーザーは、Wikipediaにおいて編集を行なうべきではない。万一登場したら、ただちにブロック措置を受けるべきである。

・命題B 無資格編集者の編集は、それが一定程度有効なものであれば、残すべきである。

AとBは、はっきり矛盾しますよね。先ほど私は、

>そして、そのような無資格ユーザーが行った編集は、原則として差戻されるべきです。「差戻し」が許されず、その編集が既得権益化してしまうのであれば、無期限ブロックユーザーのルール違反編集は「やり得」ということになってしまい、そもそも「投稿ブロック」の制度が空洞化してしまいます。

と書きましたが、そういうことです。


無期限のブロックを受けました。それが気に食わないので、オープンプロキシで別アカウントをつくって、Wikipediaで編集する。そのアカウントがブロックされたら、また次のアカウントをつくって編集を続ける。これでは、全然「ブロック」の意味がありません。


ましてや、「意見の内容」によって残すか残さないか決めるべき、というのでは、大混乱は必至です。

ある方が、「ルール違反」投稿を削除する。するとその違法アカウントは、別アカウントで登場して、「どうして削除したんだ」と抗議する。削除した方は、その「削除理由」を説明しなければならなくなる。これでは、折角「投稿ブロックの方針3.5」で「違法編集」を禁止して、「いちいちお返事する」ことを省けるようにした意味がありません。


「3.5」制定時にも、「誰が見ても立派な記事」を編集した場合には、例外的に「お目こぼし」をするという選択肢もありうるのではないか」という議論がありました。私はこれに反対でしたが、この意見を許容するとしても、peace系のように「右翼的情報をちょこちょこ加える」程度では到底残すに価しません。

議論の時も、「peace系が残すに価する編集を行なう可能性はまず考えられないが、他の無期限ブロックユーザーについてまではどうだろうか」という話になっていました。残すという選択肢が発生するのは、せめて、例えば私が今行なっている汪兆銘の大改訂レベルでしょう。


さらに、意見を述べたいのであれば、メーリングリストという手段があります。少なくない方が、こちらで「ブロックの解除」を訴え、そのうち一定数はブロック解除に至っています。Peace系の編集を許容することは、このようにルールを守って真面目にやっている方々に対する、背信的な行為であると思います。ゆう(matunami) 2008年5月10日 (土) 06:49 (UTC)[返信]

上記アカウントに対しては、peace系ということで投稿ブロック依頼を提出しました。如月の弥さんとの議論には応じますが、peace系と議論するほどヒマではありません。もし如月の弥さんが同じご意見でしたら、如月の弥さんが議論を引き継ぐことはやぶさかではありません。ゆう(matunami) 2008年5月10日 (土) 18:37 (UTC)[返信]

不気味さ

 履歴の「 2008年5月8日 (木) 22:31 Tatsujin28 (会話 | 投稿記録) (78,297 バイト) (発言を除去 per WP:PEACE/T) (取り消し) 」を見ると-----、Tatsujin28氏はかってに他人の文を削除していますね。 そのコメントでper WP:PEACE/T と書いているのはどういう事でしょう。 まるで、「邪魔なことを書くならPEACE系認定するぞ」、と示唆していると想像してしまいますが。
 たまたまその利用者ページでは直前に(2008年5月8日 (木) 15:55 )「内部に手引きをするユーザーがいれば」などという言葉が使われていますし。 削除された側は、その後に利用者‐会話:Yhiroyuki2008年5月9日 (金) 10:46 (UTC) )で、「以後は手を引くことにします」とあるのは、 削除された内容からして、私と同様に脅迫と取られたのではないでしょうか? [返信]
   (以後はこの方に証言を望んでも本心不明となりますから、部外者ということにさせていただきます) しかし、許可した形跡がなく、あったとしても他人に削除させるとは奇妙なことです。
  また、この削除した人は、下の方で統合の提案というのをされていますが、統合された場合、こういうノートにおける疑わしいデータはどうなるのでしょう? 元の項目の形のまま、データとして残るのでしょうか? --如月の弥 2008年5月9日 (金) 16:24 (UTC)[返信]

(節名をリファイン)あ、矛先がこちらに向かいましたか。じゃあ、一応コメントしておきます。正直、このページを眺めている(だろう)荒らしにエサを与える事になりそうなので、気が進まないのですが。
> Tatsujin28氏はかってに他人の文を削除していますね
banned user の投稿を除去するのは方針上認められています。議論(如月の弥さん風に言えば「許可」かな)は必要としません。私が利用者:Non-fishingを banned user であると判断した根拠は、次に述べる通りです。
> そのコメントでper WP:PEACE/T と書いているのはどういう事でしょう。 まるで、「邪魔なことを書くならPEACE系認定するぞ」、と示唆していると想像してしまいますが。
私の除去は 2008年5月8日 (木) 22:31 UTC [14]ですが、利用者:Non-fishing はそれに先立つ 21:12 UTC に無期限ブロック[15]となっています。ですから、「邪魔なことを書くならPEACE系認定するぞ」、と示唆しているという如月の弥さんの解釈は難しいんじゃないでしょうか。すでに認定された後の事だし。
Yhiroyukiさんについては、(今は)氏は部外者であることを望んでいるようなので、多くはコメントしません。ですが、氏はややこしいジャンルの記事においても、バランスの取れた振る舞いが出来る執筆者であると考えています。たまたま、別案件の絡みで肩に力が入り過ぎたんじゃないかな。記事の統合については、過去の記録の一切は保持されますので、ご心配なさりませぬよう。--Tatsujin28 2008年5月9日 (金) 18:23 (UTC)[返信]
まあ、ついでですが。
YhiroyukiとKinoriさんとのやりとりが、如月の弥さんには「脅迫」に見えたのでしょうか?
あれは、どう見ても「説得」、あるいは「注意」。誰の目にも、Kinoriさんの「説得」が正しいものに写ったものと思います。Yhiroyukiさんもそれを理解して、「説得」を受け入れました。それだけの話です。
Yhiroyukiさんは、きちんとした「常識」を持ち、自分のミスはミスとして認める度量の広い方であったようです。Yhiroyukiさんを見直しました。ゆう(matunami) 2008年5月10日 (土) 00:35 (UTC)[返信]

Urasiteの2008年5月13日 (火) 18:46 (UTC) における発言は削除。Wikipedia:投稿ブロックの方針#投稿ブロック済みユーザーの別ユーザー名(ID)あるいは別IPアドレスに対する追加ブロックに基づく。--Gordon S 2008年5月14日 (水) 02:38 (UTC)[返信]

統合の提案

Wikipedia‐ノート:進行中の荒らし行為/長期/Peace‎#保護の解除と統合の提案に、現在2つある対処ページの統合を提案しました。--Tatsujin28 2008年4月2日 (水) 14:04 (UTC)[返信]