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Wikipedia:井戸端/subj/「三大方針」は絶対不可侵か?

「三大方針」は絶対不可侵か?

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Wikipedia:中立的な観点」に「三大方針」は「議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません」とあり、絶対不可侵と読めます。誰が編集したものであってもその記事内容で吟味され採用されなければならず、ましてや「三大方針」の大前提に反した編集に差し戻すことはできないと考えます。

上記各項目はPeace系を理由に差し戻され「三大方針」を大前提とする百科事典の質が低下してしまっています。この機会に最重要課題として議論し明快な結論を出しておくべきかと存じます。元提起は「ノート:北村稔」を参照してください。God-balance 2008年2月28日 (木) 14:17 (UTC)[返信]

表題の通りかと思います。Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないがあるからこそWikipediaはWikipediaなのであり、全てが平等に絶対的に守らなければならないjawpのルールでもあります。これに反したことがしたいのであれば、それはWikipediaではなく他のウィキサイトやご自分のウェブサイトでやられるのがいいかと思います。記事の内容がどうだか詳しく見てないので分かりませんが、「3つの方針のうち1つでも欠けるような記述はWikipediaにはいらない」というのは正しいことでしょうね。--青子守歌 2008年2月28日 (木) 14:25 (UTC)[返信]
Peace系がやたらとWikipedia:中立的な観点として「Wikipedia:中立的な観点はウィキペディアの記事における方針の三つのうちのひとつです。ほかの二つは検証可能性 (Verifiability) と独自の研究を含めない、です。ウィキペディアではこれらの方針を合わせて記事名前空間に書くことができる情報の種類と質を決定しています。これら三つの方針は相互補完的、議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません。」とかのたってます。Wikipedia:中立的な観点自身の執筆の根拠にしようとあちこちで記事を荒らしています。
しかし、Peace系は自説に固執し中立的な観点をしなかったために、Wikipedia:投稿ブロックの方針に該当し、中立的な観点をせずに他の執筆者との協調性を取ろうとせずにいわゆる日本の保守的観点の執筆に血祭りを上げた人物であるため、事実上の永久追放をされている人物です。Wikipedia:中立的な観点を守っていないと認識された人物peace系自体に問題があります。そもそも、Wikipedia:中立的な観点では「どうしようもなく偏った執筆者がいる」という項目も存在しており、この項目にpeace系が該当するのは明白であり、peace系がWikipediaでのさばる根拠にはなりえません。
しかし、Wikipediaを編集するに不適格である人物が投稿ブロック後もPeace系と類似する執筆者が出て、それも初顔とは思えないような編集であり、しょっぱなの編集からPeace系に酷似しており、Wikipedia:投稿ブロックの方針を嘲笑うかのうな対応をするふざけた人物です。
peace系荒らしが絶えないために、、Wikipedia:投稿ブロックの方針で新しいルール「投稿ブロック済みユーザーの別ユーザー名(ID)あるいは別IPアドレスに対する追加ブロック」(peace系対策ルール)が追記され、
  • 投稿行動などから(筆者注:荒らし行為を意図的に継続するユーザーと)同一ユーザーであると一定以上の蓋然性をもって推測可能な場合は新たなIPアドレスやIDに対して前回の投稿ブロックと同一理由を持って投稿ブロックを実施しても良いこととします。
  • この場合、緊急性があれば即時投稿ブロックができます(中略)。
  • この利用者による投稿は同一ユーザーであるという蓋然性を理由に差し戻すか、あるいは除去することができます
  • また編集合戦や編集合戦が予想されるために記事を保護する場合、この利用者による投稿は差し戻された状態で保護することになります。
とされました。これは事実上peace系対策の新しいルールです。そして、このルール自体「Wikipedia:中立的な観点」に従わない、peace系の存在に端を発しているものであるため、peace系の論法である「「三大方針」の大前提に反した編集に差し戻すことはできない」という論法を持って、peace系がのさばる根拠にはなりえないことを強くここに書いておきます。
結論。「peace系対策ルール」自体が「Wikipedia:中立的な観点」に立脚する合意である。そのため、『peace系対策ルール』と『「三大方針」は絶対不可侵か』には相反するところはなく、問題ありません。--経済準学士 2008年2月28日 (木) 14:44 (UTC)[返信]
結論を急がずに各項目を確認して冷静な議論をお願いします。God-balance 2008年2月28日 (木) 15:12 (UTC)[返信]
各項目に関しては、各項目のノートページで論じるべき問題といえましょう。ただ、単純にPeace系の主張に類似すると判断された時点で、該当人物が問題編集を行い、かつソックパペットなどで繰り返し同種の編集に固執するというその動向のみを持って、中立性を逸する(既に否定されている)内容の投稿を意味しておりますので、最早ノートで論ずるという段階を終えており、純粋にWP:5など主要ガイドラインの上で「進行中の荒らし編集」として合理的な判断が出ている問題であり、所定系列荒らし編集は、その系列において一律に処理されることこそが妥当な扱いかと存じます…個人の主張は自身のウェブサイトかブログでやるのが一番です。--夜飛/ 2008年2月28日 (木) 15:31 (UTC)[返信]
問題提起者が明らかなpeace系であれば、そもそもコミュニティがこれをまともに相手をする必要はないのですが。一応、ノート:ジョン・ラーベで説明しておきました。ゆう(matunami) 2008年2月29日 (金) 22:21 (UTC)[返信]
よく考えたら、peace系が言っていること、変ですよね。
Wikipediaの「三つの方針」(三大方針、なんて言葉はないと思うのですが)は、記事を書く時に適用されます。「三つの方針」を守って記事を書く、なんてことは基本中の基本、全く当り前のことです。
しかしpeace系は、これを変なふうに拡大解釈して、「三つの方針」を守った記述を削除することは「方針違反」である、というとんでもない主張を行っているようです。残念ながら、そんなルールは存在しません。「百科事典としての記事の体裁」を考えれば、「三つのルール」を守っていても、記事内容にふさわしくない、この記事にこのことをここまで詳しく書く必要はない(中国国民党記事におけるティンパーリの記述が好例)、実際には誰も相手にしていない珍説であるジョン・ラーベ記事における「武器商人」説)など、削除されるべきケースはいくらでもあります。
ましてや「Wikipediaにおいて編集資格を持たない」無期限ブロックユーザーによる編集など、差し戻されて当り前です。peace系の編集を差し戻すのに、いちいち「判断」を加える必要はありません。peace系が「編集を行うこと」自体がルール違反なのですから。本当に必要な記述なのでしたら、他の誰かが代わりに書いてくれるでしょう。いずれにしても「必要かどうか」を判断するのはpeace系ではありえません。ゆう(matunami) 2008年3月3日 (月) 11:38 (UTC)[返信]

利用者:青子守歌氏と同じ意見です。上記の項目の中でも特に北村稔ハロルド・J・ティンパーリジョン・ラーベ南京事件便衣兵Wikipedia:中立的な観点などの「三大方針」を無視した編集を行っているのはMatunami氏のサイドであるのは明らかで、「三大方針」よりも、お気に召さない記述を無条件で除去することに専念されているようにしか映りません。 「議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません」の文字通り、「三大方針」は本来ここで議論する余地もないプロジェクトの目標の大前提です。Spreadpower 2008年3月3日 (月) 14:31 (UTC)[返信]

>上記の項目の中でも特に北村稔、ハロルド・J・ティンパーリ、ジョン・ラーベ、南京事件、便衣兵でWikipedia:中立的な観点などの「三大方針」を無視した編集を行っているのはMatunami氏のサイドであるのは明らか
そもそも「中立的な観点に反する記述に固執し続けて」たために、無期限投稿ブロックを受け、Wikipediaからの永久追放を受けている人物の存在自体が「中立的な観点」に反する。
>「三大方針」よりも、お気に召さない記述を無条件で除去することに専念されているようにしか映りません。
お気に召さない記述を無条件で除去するのではなくて、無期限ブロックされた人物が多重アカウントで編集するふざけた人間の編集をのさばらないようにしているだけ。--経済準学士 2008年3月3日 (月) 15:19 (UTC)[返信]
上記の項目の中でも特に北村稔ハロルド・J・ティンパーリジョン・ラーベ南京事件便衣兵などで「中立的な観点に反する記述に固執し続けて」編集を行っているのがMatunami氏のサイドであることを確認されましたか?「議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません」の意味をよく考え、プロジェクトの目標を確認すべきです。投稿者への無期限ブロックはプロジェクトの目標を成すための一つの手段に過ぎず、プロジェクトの目的でも目標でもありません。私情(私怨の域に達しているかのようにさえ思われる)を過度に持ち込むべきではありません。「三大方針」を大前提とするプロジェクトの目標により適ったものであるなら、その編集は活かされるとするのが「議論の余地がないものであり」「他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません」の文言で明確に強調されている意味内容です。本来「議論の余地のない三大方針」を「他のガイドライン」や「利用者同士の合意」を持って覆してしまっていることにお気付きください。Spreadpower 2008年3月3日 (月) 16:25 (UTC)[返信]

利用者:God-balance会話 / 投稿記録 / 記録利用者:Spreadpower会話 / 投稿記録 / 記録はPeace系として即時無期限ブロック処分となりました。参照:Wikipedia:投稿ブロック依頼/利用者:God-balance、利用者:Spreadpowerより。--Web comic 2008年3月4日 (火) 09:29 (UTC)[返信]


利用者:貧乏暇無会話 / 投稿記録 / 記録はPeace系として即時無期限ブロック処分となりました。--S-PAI 2008年3月5日 (水) 17:00 (UTC)[返信]

ゆう(matunami)系の利用者による
matunamiが多重アカウントを行っているという証拠は? 共通項はpeace系を理由として無期限ブロックになっている編集に固執する執筆者の編集を差し戻ししているだけです。それぞれのユーザーの履歴を見てみても、編集する記事の歴史的認識もそれぞれ異なりますし、ジャンルの傾向やノートでのコメントの文章方式もそれぞれ個性的であり一致点が見られません(多重アカウントは編集する記事のジャンルや歴史的認識が殆ど同じになりますから)。
paece系が問題視されるのは歴史認識云々ではなく、合意を取らず編集を強行する強引性にあるのです。
後・・・登場していきなり、「matunami系の編集に問題あり」旨の言葉を書くこと自体、自分がpeace系と白状しているようなものです。--経済準学士 2008年3月5日 (水) 16:40 (UTC)[返信]
peace系アカウントをブロックした管理者は、1月以降だけで14,5人。ここ4年ばかりでpeace系への対処を行ってきたユーザーの数は、それこそ星の数ほど。peace系って、ひょっとして、私を「Wikipediaを陰で支配する大黒幕」だなんて思っていませんか(苦笑)。コミュニティがpeace系を忌避しているだけの話で、私はその対処を少しお手伝いしているだけのことです。「peace系対コミュニティ」の対立軸を、「peace対matunami」に矮小化しようとしても、誰も納得しないでしょう。ちなみに私は、多重アカウントは一切使用しておりません。
いちいちpeace系の相手をするのも馬鹿馬鹿しいので、この項、早いところ閉鎖しておきましょう。ゆう(matunami) 2008年3月5日 (水) 22:04 (UTC)[返信]