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Wikipedia‐ノート:秀逸な記事の再選考/過去ログ1

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再選考のドラフトについて

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Wikipedia‐ノート:秀逸な記事からの議論の続きです)。


まず最初の印象としては「選考」とかぶっている文章は削ってしまって良いのではないかと思いました。また「選考」も「再選考」も投票形式をとっていますが、票は実のところ立場をはっきりさせるためのものであって、コメントの方が重要だと思っていますので、そういう文章にしたいと考えています。

さて、ここでは「選考の是非」の条件が焦点でしょうか。有権者ですが、個人的にはログインユーザに限って良いと思っています。ただしコメントは誰でもできる方が良いでしょう。ユーザとしての期間や編集回数などですが、ある程度条件を付けておいても良いと思いますが、強い意見はありません。「ステハン」対策を考えると厳しい方が良いかもしれませんが、例えば「ログイン1か月以上で50回以上の編集」という条件であっても、それを回避することは割と容易いようにも思います。個人的には発言の「説得力」で判断するつもりです。

得票数についても具体的な良い案を思い付かないでいます。Tsube さんのご指摘にあるように、あまり票が集まらないことも十分に考えられます。それでもうまく機能するようにする必要があるのですが。。まとまっていませんが、考えたことをひとまず書いておきます。電気山羊 2004年9月10日 (金) 22:09 (UTC)

コメントありがとうございます。
素案の改変ですが、大胆に推敲してください。たぶんあまり違うことを考えていないだろうと思います。
選考の是非ですが、書いている最中に思いついたプロセスがあります(後述)。これはご意見を伺いたく。
得票数は、「合計で5票」はきついかもしれないと思う反面、明らかに問題のある記事にはそれなりの反応があるのではないかという期待もあります。この点、早期にドラフトをまとめて、幾つかの記事の再選考で様子を見たあとで、得票数の条件の見直しをするのがよいかとも思います。現在やや残すことが楽なようになっていますので、あるいは選考通過の条件を厳しくしてみるのも手だと思います。
ありえる他の可能性としては
最低3票、かつ掲載可が多数の場合に状態を維持(閾値を75%から下げる、保留を数えないためやや残りにくい)
〃、かつ掲載不可が多数の場合に取り下げ(閾値を75%から下げる、やや残りやすい)
最低5票、かつ掲載可が多数の場合に状態を維持(閾値を75%から下げる。票数が必要なので成立しないリスクがます。かなり残りにくくなる可能性が増す)
最低5票、かつ掲載不可が多数の場合に取り下げ(閾値を75%から下げる、票数が必要なので成立しないリスクがます。残る可能性が増す)
などを考えています。
選考プロセスですが「再選考中」というフェーズを導入することを提案します。再選考フェーズでは
  • {{秀逸}}を外し{{再選考}}のテンプレートを用いる。
  • 再選考期間(2週間)が経過した後、結論に従い
  • 通過したものは、{{秀逸}}を戻す(これに加え{{再選考済み}}を用いて、再選考歴を付記してもよい)
  • 通過しなかったものは、たんに{{再選考}}を外す。かつて秀逸記事とされたことを明記するかは検討課題。
となります。
有権者の問題ですが、基本的に賛成です。「捨てハン」対策ですが、あまり条件をいろいろつけず、問題があると思われたものは個別に対処(不自然な投稿に対し、IPの調査を開発者に依頼するなど)するのでもよいという気がします。また、その記事に関わっていてかつその分野に造詣が深いと思われる投稿者の方に、注意を促すのも抑止効果があると思います。ただし、その場合でも投票資格に編集回数の制約は最低限必要だと思います。--Aphaea 2004年9月10日 (金) 23:38 (UTC)
問題提起だけしてその後何もしておりませんでした。作業の進行を見てただ感嘆。

理想論をいえば、事柄の性質上、判断は民主的方法(投票)ではなく司法的方法(要件をクリアするか否かの客観的判断)によるべき。多数にとっては問題のない「秀逸な記事」であるが、専門家から見れば問題がある記事や、論点が網羅されていない記事などを落とすことは民主的方法では困難(説明しなければならない「専門家」の負担が大きい)。司法的方法がWikipediaのシステムでは困難なのも十分承知。「web上だけの連続性のない関係で司法的方法が可能か」どうか(「そもそも必要かどうか」)は現在のリアルでの関心事。
話題変わって・・・Wikipediaでは各種選考に際し推薦者の投票を否定する例が多いようですが、クリアの基準を一票引き上げるのと、制度的にどのように違うのかが疑問。”参加者全員が合理的理性人であると仮定すれば「推薦者」と「記事に関与した者」を全て除外すれば、理性的な対話だけで要件の有無は判断できるはず”という理念形の代替手段としての「投票」ならば理解はできなくはないけれど、とすればどうも中途半端な印象。
ようやく本論。「捨てハン」対策ですが一般的な条件のみを規定してそれ以上は不要ではないかと思います。管理者選考などと異なり他への影響拡大の危険は小さいのが理由。個別的対処には反対。管理者などの権限濫用につながる危険がある。濫用の結果よりも、これによりWikipediaのシステムへの信頼が損なわれる点の方が危険度が高い。国家相手なら革命がおきますがWebのコミュニティでは亡命しかおきませんから。
要件の一般論としてですが、選考の撤回を民主的方法で行う場合にはそもそもの選考以上に要件を加重するのが普通。そうでなければ、「選考」を通過した記事がどんどん再選考されて消えていくことになりかねない。「選考」の基準(とくに投票基準)が適切かどうかを検討した上でそれ以上に加重するのが良いのではないかと思う。
以上、体言止オンパレードでした。Falcosapiens 2004年9月13日 (月) 02:57 (UTC)

本論以前に複数の話題が絡んできているので理解しきれていないかもしれないのですが、つまり「再選考」以前に「選考」のルールを見直す必要がある、ないし「選考」そのものの機能に疑問があるというご意見でよろしいでしょうか?
「選考」が「正常」に機能するためには全ての分野の専門家が十分な数必要です。しかし、それは現状では理想論でしかないため、次善的に「選考」を整備してきました。正直なところ「選考」の機能不全は感じていますが、ないよりはあった方が良い仕組みだと思っています。改善可能ならば是非そうしたいと思いますので、ご指摘よろしくお願いします。電気山羊 2004年9月13日 (月) 16:32 (UTC)

素案の修正・将来の見通し

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コメントありがとうございます。 内容の判定なのだから、民主的かどうかよりも、判断する能力のある人の判断を受け入れるというのが望ましいのですが、いまの日本語版でそれがどれだけ可能かは疑問だと思っています。後、コミュニティがそれを受け入れるかどうかも制度のスムーズな運営には重要だと思いますので、投票による仕掛けもある程度必要か名と思います。

ドラフトについて

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コメントと修正をありがとうございます。「除去」というのは確かに変なんですが、「秀逸リストから外す」ないし「戻す」というほうがよいでしょうか。秀逸な記事の認定を……外す、ですかねこれも。このあたりは些細な問題とはいえ、一度使い出すと定着するので、よい案がありましたらお寄せください。

投票にすると、人気投票のようになる危険性と、有効票が集まらない可能性はあると思います。そのあたりは、バグだしを一度した上で考慮しなおすことでは対応できないでしょうか。再選考を推薦時の選考より厳しくするとするという考え方は納得できます。これについては、

  • 投票資格を厳しくし
  • 期間を短くし
  • 推薦時の基準より多い人数の賛成を必要とする

ことで対応するつもりでしたが、有効票の問題を考えると、あるいは票数の制限は少なくてもよいかもしれません。短期間(推薦の1/6)に同数の票を集めるのは、それなりに厳しい宣言かと思います。いかがでしょうか。

推薦者除外には、実は Falcosapiens さんと同じ考えをもっています。制度的には閾値を1あげる以外の意味はないように思います。新着画像なども同じく、別に推薦者が投票してもよいのではないかとも思います。これは余談。

ステハン対策についての助言ありがとうございます。たしかに、投稿歴と記事の質やその判定能力には、ある程度相関はあっても因果関係はないので、たんに二重投票を防ぐ意味しかないように思いました。だとすると、変に複雑にするより判定が楽な指標を取り上げたほうがよさそうです。だとすると事前に準備できなければいい(あるいはそれなりに準備が大変ならいい)ので、

  • 選考開始前に取得されており、編集歴が50回以上あるユーザ
  • 複数ハンドルによる投稿だと分かったときには両方を除去(これは抑止力を期待しています)

でよいような気もします。まとまっていませんが。とりあえずこれで。

査読システムの構築

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将来的には、投票でなく査読委員会を作り、その一環として秀逸の再選考を行うという en.wp や de.wp と同じ体制に移行するのが理想的だと考えています。ある程度の専門家からなる査読委員会(これは互選)を作り、その中で判定をする、コミュニティはこれを受け入れるというのがよい形かなと思います。その一環で、コミュニティの意見を聞く(ただし委員会は拘束されない)ということがあってもよいようには思いますが。ただ、これは各分野に人がいなければ機能しないので、現在のところはやや難しいかと思います。再選考にかけるかどうかの判定に、隣接領域あたりまで含めて fast vote を行うくらいなら出来るかもしれませんが。査読委員会というと大げさに過ぎますが、秀逸な記事の再選考で投票できる人を、あらかじめか事後かはともかくとして、他のウィキペディアンから資格認定する制度を導入する、その際には投票で信任する、というようなことも可能かと考えています。これについてもご意見をお伺いしたいと思います。 --Aphaea 2004年9月13日 (月) 17:35 (UTC)

投票者の制限

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  • 選考開始前に取得されており、編集歴が50回以上あるユーザ

投票者の制限は上で述べましたように特に強い意見はありません。なので上記の条件に異論はありません。私は誰のコメントであれ、専門知識や調査、文献の提示などの裏付けがある発言であれば納得できるように思います。コメントが不十分であるならば質疑を経ることで合意を形成できるのではないかと考えています。労力はかかりますが、それがあるべき姿のように思います。電気山羊 2004年9月13日 (月) 23:35 (UTC) p.s. ついでにもう少し理想論を: あらゆるシステムの運営にあてはまると思うのですが、十分な知識をもった(ある程度)良心的なウィキペディアンが(ある程度)積極的に参加してくれることが一番良い(もしかしたら唯一の)方法で、そういう風になりやすいルールまたは運営形態にしていけたらな、と思います。

著作権侵害のおそれがある場合

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Wikipedia‐ノート:秀逸な記事でも書きましたが、この問題については「再選考」ではなく、通常どおり削除依頼で判断する問題ではないかと思いますが、いかがでしょうか?そこで判断がなされるまででは一時的にコメントアウトなどの対処で良いのではないかと思っています。電気山羊 2004年9月13日 (月) 23:35 (UTC)

余談:推薦者の投票

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推薦者の投票についてですが、推薦するということは(少なくとも推薦した当初は)賛成であるのが自明ではないでしょうか?ある程度議論が進んで推薦を撤回したいというのなら分かりますが、推薦しておいて賛成しないというのは不自然に思います。推薦者の投票を認めると「選考」では推薦のコメントと賛成のコメントを繰り返すことになるように思いますし、推薦者のみ2票もつのと同じことになりませんか?ちなみに「投票」はできなくても「コメント」は制限されていないので意見することは可能です。

こういう風に、推薦者の投票を認めることで敢えて重複とムラを作る必要はない、という考えから不可を提案しましたが、私の想定できていないケースまたは考え方があって、やはり必要であるというならば可にしても良いと思います。電気山羊 2004年9月13日 (月) 23:35 (UTC)

素案2

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いただいたご意見を元にドキュメントに反映させてみました。大きな改定点は

  • 投票制限を「再選考開始以前に取得」+「50回以上」とする。
  • 名誉毀損・著作権侵害およびその惧れのある投稿について、プロセスを別に設ける。

です。ご意見をお聞かせください。アドホックな付加になっていないとよいのですが^^; --Aphaea 2004年9月14日 (火) 01:01 (UTC)

タレWikipedia:著作権侵害かもしれない記事に載せました。まだドラフトの段階でもあり、自分で{{秀逸}}をコメントアウトするかどうかは、他の方の判断にお任せしたく。--Aphaea 2004年9月15日 (水) 01:10 (UTC)

査読依頼とサブページ化について

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半年以上議論が止まっているようですが、その間に、秀逸な記事の選考では、査読依頼ができたことによりルールに多少手が加わり、またルールと各記事の選考エントリがサブページ化されました。再選考も同じ形式に合わせてはどうでしょうか。Enirac Sum 2005年4月21日 (木) 14:14 (UTC)

ご意見ありがとうございます。私としては、以前のドラフトは査読依頼が当分の間たたない、また秀逸な記事の選考に再選考を載せるのはむずかしいだろう、というようなふたつの隠れた前提のもとで書いたものですので、おっしゃるような状況の変化に対応して破棄してもかまわないと思っています。あるいはこれは草案として破棄して、以前に公示されていたように、選考のところで、(同じ形式で)再選考をおこなうということでよいかもしれません。
このページを使う場合には、おっしゃるような形式の統一をしたほうが使い勝手がよいというのも賛成です。--Aphaea* 2005年4月22日 (金) 08:46 (UTC)