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Wikipedia‐ノート:削除依頼/両国橋 (神奈川県・山梨県)

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Takisawさんへ、私はあなたが道路や河川分野で活躍されていることを存じ上げています。また、Wikipedia:削除依頼/千歳橋 (千歳市)のときはTakisawさんもしっかり加筆してくださったことも記憶しています。

私の思い違いだったらごめんなさい。Takisawさんの千歳橋や今回の発言の「橋梁の記事」「橋単体記事」という言葉の端々から、私はTakisawさんが橋を「単なる構造物」という観点からしか捉えていないような印象を受けます。確かに建造物ですから、そういう観点はあるでしょう。設計、工法、施工、構造、などなどの観点で、他の「橋梁」と一線を画す何かがあるのか、いや無さそうだ、という考え方を持つことは否定しません。

しかし「橋」はほかにも言及の対象となる価値を秘めています。この橋の場合、千年コースの歴史をもつ山奥の谷に、初めて両岸を繋いだ近代橋によって国道が全通した。この谷地域への文化・社会・経済・政治・環境にインパクトが有っただろう、それはきっと何かしらの記録として残っているだろう、というところを想像できるかどうかじゃないでしょうか。道志村のHP「村のあゆみ」では、橋の竣工・新両国橋の完成は村の歴史年表に載るほどのおおごとですよ。そりゃそうでしょう、村を貫くたった1本の道を全通させるためのキーになる橋ですから。たとえば札幌市の建築に関する年表(「札幌市の年表」じゃなくて「札幌のなかでも建築に特化した年表」ですよ)では、豊平橋(日本百名橋)や創成橋(土木学会選奨土木遺産)でさえ言及がありません。札幌にとっての創成橋よりも、道志村にとっての両国橋のほうが重みがある、という傍証です。

この観点では、この橋梁が建築工学の観点では見るべきところが何もないとしても、この橋ひとつのために村の選挙がもめたとか、交通状況が変わったとか、都心からのキャンプ客が増えたとか、漁業に影響が出たとか、湯川屋の売上が倍増したとか、そういうことがあれば記事の発展の可能性はあります。まあもちろんそこらへんは、ことによると道志村道志みちとか道志川の記事で総合的に解説したほうが座りがいいとか、そういう可能性はあるかもしれません。

サブスタブがあったときに、発展の可能性を見積ることができるか、取っ掛かりも思いつかないかは、個人の感性や知識、経験に依存しているだろうとは思います。なので、「自分にはこれは価値があるとは思えないが、他のみなさんはどうですか」と声を上げること自体はいいんじゃないでしょうか。

実は私の場合たまたま、道志みちは何度も何度も仕事で往復した道で、この橋はとても印象的な橋です。削除依頼を見かけてすぐに、あー、あそこね、と情景が目に浮かびましたよ。道志みちは、首都圏には珍しい、山奥の谷に沿った長い長い一本道の、いかにも歴史を秘めてそうな、谷の一本道で、なかでもこの橋は実に印象的な橋です。東京側から行くと、この橋を渡ると山梨県に入ってああやっと半分来たなあとほっと一息、しかしここから先は急に谷が狭く険しくなる。静岡や山梨から帰るときはここまで来ると「東京に帰ってきたぞ感」を実感する。冬場は路面凍結の心配から解放される。橋のたもとに飯屋(宿屋)があって、いつもそこで食事をする。ここから先はもうゆっくり飯を食う雰囲気じゃなくなるし。イワナの塩焼き定食とかね。目の前、橋の真下が釣り場にもなっている。ここらへんは完全に私の個人的な経験でしかありませんが、同じように感じた誰かによって、なにかの人文的な言及があってもおかしくないだろうなーというふうにも思います。神奈川新聞とか、山梨日日新聞とかの地域欄とかね。
特に道路記事や自治体記事で顕著と感じるのですが、ウィキペディアの最初期にとりあえずカタチだけ全ての国道記事をスタブでもいいから網羅して、それっきり、という印象を私は持っています。私は個人的に蒲生峠鳥取県道31号鳥取国府岩美線を書いた経験から、トンネル1個、県道1本、峠一つ、橋1つでも、関心をもってがっつり調べればいろいろ書くことはどっさり眠っているぞー、というふうに思っています。蒲生峠も31号も、私も初めて通った時は意識にさえ登らず、単に目的地へ移動するための経路上の通過点にすぎなかったですが、今じゃ県道31号の写真とるために泊まりがけで出かけるレベルです。

この記事の場合2009年製なのでずいぶん古いし、削除依頼を出した時点での状態は「現地で見たまま情報」しかなく、出典ゼロのサブスタブと言っていいもので、確かに褒められた状態では無かったでしょう。記事を眺めた限りにおいては、「なんじゃこりゃ」と思うのは無理もありません。(今と2009年では記事の品質や検証可能性、出典明記、WP:Nの規定が違っていました。)しかし、ついさっき私がリンクを追加するまで、両国橋 (神奈川県・山梨県)へは、道志川国道413号道志村からさえもリンクがありませんでした。ということはつまり、両国橋 (曖昧さ回避)からしかリンクがなく、ほぼ完全に孤立していたわけです。そりゃまあ放置されて誰からも加筆されませんでしょ。しかたがない。まあ確かに初期の立項者さんらに「もうちょっとちゃんとやってよ」と求めたくなる気持ちは否定しませんし、2017年の今、このようなサブスタブを乱造した場合には、いくらかクレームをもらうことになるかもね、という考え方にも共感はします。今回はたまたまTakisawさんの目に止まり、声をあげたことで利用者:オランウータンさんが記事が発展させてくださいました。いいんじゃないでしょうか。--柒月例祭会話2017年1月14日 (土) 02:14 (UTC)[返信]

ご丁寧にありがとうございます。
まず、最初の質問ですが、確かに仰ることに近い感覚は持ってはおります。橋として単体の記事にするには橋単体について特筆すべきものがあることが望まれるという認識です。必ずしも構造物としての土木工学的な特筆性でなくともいいとは思っていますし、地域社会や経済へのインパクト等も考えられる事柄ではあると思います。ただ、それらは橋に着目して言及されることもあるものの、通常は橋単体よりは前後の道路の開通で隣の町と繋がったこと等によるものでしょうから、一般的には道路の記事の中で書かれるべきケースの方が多いのではないかと思います。
また、仰る通り、道路関係の記事(橋、トンネル、峠 等は特に顕著)には2,3行の独自研究やデータ的内容のみで立項されてそのままほとんど放置状態という記事が依然として全国に山ほどあります。調べもののきっかけにすらならず、まさに開いた瞬間に「なんじゃこりゃ」という感想しか抱かない。さらに初心者がそれらを真似て同様なサブスタブをさらに立項してしまうという問題もあります。そんな状態を自分のできる範囲でなんとかできないかなぁ、というのが自分がWikipediaに関わり始めたきっかけの一つでもあります。この両国橋も悩ましいものの一つと認識しておりました。
千歳橋 (千歳市)の時は、弾丸道路のことを自身が知識として知っていたことに加え、出典がネット上ですぐにいくつか見つかったので、加筆の余地があると考えることができました。今回は自分では出典を全く見つけられず、他の方の加筆も長年なされないままだったため発展の余地がないものとして依頼を出しましたが、オランウータンさんが言及を見つけられましたし、柒月例祭さんご提示の道志村のHP「村のあゆみ」もそれに準ずるものということになるでしょうか。となれば、今回の加筆で、分量は少ないながら今のルール上は単独記事としての特筆性はクリアしたと受け止めるべきなのでしょうかね。
それから、数年前、自分がもっとアクティブに活動していた頃は統合提案もケースE削除依頼も多数提出しており対処もなされておりました。しかし、統合に関しては、いくつかのケースで統合後のリダイレクトが削除できなくなることや括弧つきリダイレクトが残ることを問題視する指摘がなされることがあり、削除依頼についてもルール改定の後、実運用上もケースE依頼や投票がかなり削除に抑制的になっていると感じます。結果、こうした加筆が進まないサブスタブについて以前のような整理はしにくくなったと感じております。こうした状態が続いている記事についてはどのような対応が望ましいものなのでしょうか。不適切な状態でも気長に加筆を待つという方向になってきているのでしょうか。 --Takisaw会話2017年1月14日 (土) 12:15 (UTC)[返信]
コメント ケースE提出前の調査方法についてですが、地理分野の記事だと、少なくとも各種地名辞典や自治体史は一通り調べないと、WP:FAILNをクリアできないのではないでしょうか(Wikipedia:削除依頼/双葉町 (高崎市))。--伊佐坂安物会話2017年1月14日 (土) 12:53 (UTC)[返信]
返信 Takisawさんへまじめに調べ物をして、ある程度まとまったものを投稿する編集者にとって、スタブ・サブスタブを乱造して回ってその後は何もしない、というのがイヤだ、という感覚はよくわかります。それを許容したり、そのスタブを成長させればいいじゃないかという考え方が、そういう乱造をさらに助長させかねないという懸念もわかります。だからいっそ削除しちゃえという気持ちに至るのもわかります。
自分が完全な門外漢で興味もないような分野の場合、そこにどれほどひどいサブスタブがあっても、気にならないものです。わかんないし、興味ないから。が、自分が関心があり、もっと書けるだろとわかっているものほど、そこにサブスタブがあると気になり、がっかりさせるものです。これちゃんと調べれば立派な記事になるポテンシャルあるのに、なんでこんなひどい状態で投稿するかなー、みたいな。今回もまさにそれで、Takisawさんはこの分野に詳しいので、この記事が気になってしまうんだと思います。
しかし現実問題としてはしょうがない。中にはスタブ・サブスタブでもいいんだ、という利用者もいるわけで(その分野に詳しくない、関心がない人ほどそういう傾向があるでしょう)、どうしょもない。
ポジティブに振る舞うとして、そのサブスタブやスタブを育てる意図で、私はもっとバンバン「統合」「リダイレクト化」をしていいと思っています。削除よりずっとずっとハードルは低いし、今回の両国橋みたいに、細分化されすぎてどこからもリンクがされず、そのせいで育成される機会もない、みたいな記事を、ある程度上位の大きな記事にまとめてしまえば、人目にもつきやすくなるだろうし、加筆のチャンスは生まれるだろうと。単独記事の場合、やっぱりある程度(量の面でも、質や体裁の面でも)まとまってないと、なんかイヤでしょう?もしもTakisawさんが「両国橋」を単独記事として初版を投稿するとしたら、橋のスペック、建設の経緯、その後の影響、現在のこと、などをそこそこ網羅できたぐらいになってからじゃないと、投稿したくないっていう感じはあるんじゃないかなーと思います。しかし道路の記事のなかで橋に言及するぐらいの扱いである間は、断片的な情報を継ぎ接ぎされていても、まあそんなに気にならないんじゃないかなーと思うんですよね。(それで本当にじゅうぶん育ったら再分割すればいい)
なので、Takisawさんが仰るとおり「一般的には道路の記事の中で書かれるべきケースの方が多い」との観点で、この記事を県道の記事に統合しちゃうというのはよい判断だと思います。WP:Nにもあるように、たとえ単独記事として許容される最低ラインをクリアしているとしても、上位の記事に統合したほうがよりよいという場合もあるよ、ということになっています。
あとはなんかこう、真面目な執筆者が、あちこちに散らばってそれぞれが孤軍奮闘しているような感じがします。ウィキプロジェクトって当初の趣旨は「書式の統一」に主眼が置かれていたようですけど、ここいらで「記事の充実」に重心を移して、「この半年は神奈川の道路の強化月間にしましょうか」みたいな感じで、わってやったほうが捗るような(モチベーション的にも)気もします。(そのペースだと日本を一周するだけで25年ぐらいかかりますけどね。)--柒月例祭会話2017年1月15日 (日) 03:35 (UTC)[返信]
たびたびありがとうございます。プロジェクトについては参加者への呼びかけでそのように機能すれば非常に意義あるものと思いますが、近年の議論の低調ぶりを見るとあまり期待もできないのかと。今回は他の方のご意見も拝見しますと特筆性はあるとのお考えが多いようですので、今回の加筆にとどまらず今後さらに記事が成長することを強く祈ります。他にも気になる記事はたくさんありますが「自分がなんとかせねば」と思い過ぎないようにしつつ、統合その他の方法も含め記事郡の改善を引き続き考えていきたいと思います。--Takisaw会話2017年1月15日 (日) 08:56 (UTC)[返信]