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両国橋 (神奈川県・山梨県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
両国橋
両国橋を渡り神奈川県方向へ向かうバス
基本情報
日本の旗 日本
所在地 相模原市-南都留郡道志村
交差物件 道志川
建設 1982年[1]
座標 北緯35度32分22秒 東経139度6分48秒 / 北緯35.53944度 東経139.11333度 / 35.53944; 139.11333座標: 北緯35度32分22秒 東経139度6分48秒 / 北緯35.53944度 東経139.11333度 / 35.53944; 139.11333
構造諸元
形式 アーチ橋
材料
全長 70.5 m[1]
8.5 m
最大支間長 66.5 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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国道413号標識
国道413号標識

両国橋(りょうごくばし)は、相模川水系道志川に架かる国道413号の橋である。

相模国甲斐国の国境だったため、両国橋の名がついた[2]。現在は神奈川県山梨県の県境で、神奈川県側は相模原市緑区青根(音久和)、山梨県側は南都留郡道志村月夜野である。

歴史

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この場所では両岸の集落の共同で橋が作られてきたものの、頻繁に流出し、牛馬は浅瀬を渡って行き来していた。1915年(大正4年)4月、両岸が共同で釣橋を建設することになり、工費2235円16銭を投じて工事が行われた。橋は1916年(大正5年)12月に完成、1917年(大正6年)1月15日に開通式が行われた[3]。橋は木製の補剛トラス構造を持ち、橋長は42メートル、幅員は3メートルであった[4]。両国橋キャンプ場の敷地内には、1916年の竣工を記念する記念碑が残っている[2]

1950年(昭和25年)には鉄橋として架け替えられることになり、7月12日に起工式が行われた。橋は翌1951年(昭和26年)に完成、8月30日に竣工式が行われ、橋を通る道路は県道に編入された[5]。この橋は、道志村としては初めての永久橋であった[6]。橋は当時流行したスパンドレルブレースドリブアーチ橋で[7]、橋長は64.9メートル、幅員は4.5メートルである[8]。橋の開通により、相模原方面からのバスとの連絡が実現した[9]

しかしこの橋も老朽化し、歩道もない点が問題となり、1980年(昭和55年)度から4年の工期で、それまでの橋の約20m下流側に橋を新設することになった[10]。新しい橋は鋼製、上路式の2ヒンジソリッドリブアーチ橋の1等橋(TL-20)で、橋長は70.5メートル、総幅員は9.5メートル、有効幅員は8.5メートル(車道6.25メートル、歩道2.25メートル)、支間長は66.5メートルで支間割は1.6メートル、66.5メートル、1.6メートルである。アーチリブの高さは10.3メートルである。橋の山梨県側はやや右(川下側)にカーブした床版を有している。路面は1.5%の横断勾配が付けられている。歩道は川下側のみに設けられている。施工は住友重機械工業が担当し、架設工法としてケーブルエレクション斜吊り工法が用いられた[1]。新しい橋は1984年(昭和59年)4月1日から供用が開始された[11][注釈 1]。工事期間中の1982年4月には橋を含む区間が国道413号として指定施行され、橋はその一部となった。

周辺

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橋のある場所は1991年(平成3年)度より神奈川県が水質測定を行う地点に加えられており[14]、水質汚染が少ない地点としてしばしば上位に挙げられている[15][16][17][18]。附近は釣りの名所として知られる[19]

また橋は県境上にあるほか、さまざまな境界が橋を基準として設定されている。道志川は橋より下流の神奈川県側を中道志川[20]、上流の山梨県側を奥道志川と呼び分けられている[21]。釣り場の目印ともなっており、橋の上流側では地元漁協による渓魚の放流が行われている[19]

橋の左岸(山梨県)側すぐの位置に月夜野バス停留所があり、ここを境に運行事業者が変わるため神奈川県方面(神奈川中央交通西 三56 三ヶ木行)と山梨県方面(富士急バス 道志・都留市方面行)はここで乗り継ぎとなる。しかしながら双方の系統共に減便されており、乗り継ぎはほぼ不可能になっている[注釈 2]。また付近には両国橋キャンプ場が存在するとともに[22]、「両国屋」という名称の食堂がある[23]

脚注

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注釈

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  1. ^ 道志村は「村のあゆみ」で昭和57年の項に「新両国橋竣工」と記している[12]。また日本橋梁建設協会が発行する『橋梁年鑑』では昭和59年版に掲載されているが[13]、この号は昭和57年度に完工した橋を掲載する号であり、神奈川新聞の報道とは食い違っている。『相模の橋 今と昔 相模の昔を訪ねて』は1983年を架橋年としている[2]
  2. ^ 2021年4月5日現在の平日ダイヤを見ると、神奈川県側→山梨県側乗り継ぎでは月夜野着8:23・12:50、月夜野発6:30・15:50・17:44となり乗り継ぎは可能であるが、道志村から先の接続がない。 山梨県側→神奈川県側乗り継ぎでは月夜野着15:05・18:47に対し、月夜野発9:00・12:55のため乗り継ぎは不可能。ダイヤについては神奈川中央交通富士急バスのサイトを参照のこと。

出典

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  1. ^ a b c 橋梁年鑑 両国橋 詳細データ - 日本橋梁建設協会、2017年1月15日閲覧。
  2. ^ a b c 『相模の橋 今と昔 相模の昔を訪ねて』神奈川県土木部、1995年、266-267ページ。
  3. ^ 伊藤堅吉『道志七里』道志村々史編纂資料蒐集委員会、1953年、818ページ。
  4. ^ 両国橋1917- - 土木学会付属土木図書館、2017年1月15日閲覧。
  5. ^ 『道志七里』819ページ。
  6. ^ 『山梨県史 民俗編』山梨県、2003年、361ページ。
  7. ^ 関野昌丈 『かながわの橋』神奈川合同出版〈かもめ文庫 かながわふるさとシリーズ⓫〉、1981年、166ページ。
  8. ^ 両国橋1951-3-31 - 土木学会付属土木図書館、2017年1月15日閲覧。
  9. ^ 島方洸一「山梨県道志村における過疎化の実態――とくに消費水準上昇との関連において」『日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要』第7号、1972年3月。
  10. ^ 「県境の橋架け替え 来秋にも完成予定 道志川またぐ両国橋」『神奈川新聞』昭和57年(1982年)8月17日付13面。
  11. ^ 「1日から新橋開通 津久井の山梨県境 両国橋架け替え完成」『神奈川新聞』昭和59年(1984年)3月29日付17面。
  12. ^ 村のあゆみ
  13. ^ 『橋梁年鑑』昭和59年版、日本橋梁建設協会、1984年、101, 178-179ページ。
  14. ^ 『平成3年度 神奈川県水質調査年表』神奈川県環境部水質保全課、1993年、13ページ。
  15. ^ 『朝日新聞』1997年8月28日付(神奈川)。
  16. ^ 『朝日新聞』1998年8月26日付(神奈川)。
  17. ^ 『朝日新聞』2002年9月4日付30面(神奈川)。
  18. ^ 『読売新聞』2005年8月5日付28面(神奈川)。
  19. ^ a b FlyRodders編集部編『ヤマメ&イワナの日本100名川 西日本編』、地球丸2007年、10-11ページ。
  20. ^ アマチュア・アングラーズ・クラブ編『アユ釣り場集 関東・甲信越・東海・東北』西東社〈アングラー・シリーズ⑬〉、1963年、52-53ページ。
  21. ^ 『アユ釣り場集 関東・甲信越・東海・東北』54-55ページ。
  22. ^ 学研パブリッシング編『全国版! オートキャンプ場ガイド 2012』学研パブリッシング、2012年、105ページ。
  23. ^ vol.11 紅葉の道志みちから山中湖へ”. 日刊スポーツ新聞社 (2009年11月21日). 2016年1月16日閲覧。